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西郷隆盛(Ⅱ) (1758)
日時:2012年09月24日 (月) 04時20分
名前:伝統

今日、9月24日は「南洲忌」。

明治維新の一番の要を演じた「西郷隆盛」の命日。

西郷隆盛については、「生長の家“本流宣言”掲示板」内
スレッド「西郷隆盛 (4625)」において紹介いたしておりました。
 →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=970

この掲示板においても、続けて参ります。

・・・

【南洲忌】

1877年(明治10年)西南戦争して、自刃。享年50。
西郷隆盛は、西郷南洲翁と呼ばれるため、命日がこの名称となった。


(自刃、そして明治天皇の嘆き)

西郷は別府晋介を傍らに呼び「晋どん、もうここいらでよか」といって
遥か東に向って拝礼をし「お上(明治天皇)」とつぶやき切腹のしぐさに入った。

別府晋介は「ごめんやったもんせ」(お許しください)と大きく叫んで西郷の首を刎ねた。


西郷の死を知らされた明治天皇は「西郷を殺せとはいわなかった」とつぶやいたという。

・・・


以下は、西郷隆盛にまつわるエピソードの紹介です。

 *桂樹亮仙(かつらぎ・りょうせん)『西郷南洲手抄 言志録講話』(修道僧院)から。

(1)エピソード

   「明治6年、翁は陸軍大将兼参議に任ぜられた。
   あるとき翁は陸軍大将の軍服を着て、若い士官をつれ坂を登っていた。

   そこに一人の車夫が汗を流して荷車を曳(ひ)いていた。
   翁は手に唾(つばき)をして、
   〈どれ、おいどんが押してやろう〉
   と云って車の後押しをされた。

   すると若い士官たちが申すよう。
   〈陸軍大将の軍服を着て車の後押しは人に笑われますよ〉
   と注意した。

   翁は振り返って
   〈馬鹿どんが、そんな頭だからお前たちはつまらんたい。
   人を相手にせず、天を相手にせよ〉

   と云われた」

(2)「己(おのれ)を尽くして人を咎(とが)めず。我が誠(まこと)の足らざるを尋ぬべし。」

   「人を相手にせず、天を相手にせよ」

   この言葉は、西郷隆盛の言葉の中でも、
   「敬天愛人」
   と並ぶほどの人口に膾炙した有名な言葉である。

   西郷隆盛の『西郷南洲遺訓』 
   の中の一節で、正確には、こうである。


   人を相手にせず、天を相手にせよ。
   天を相手にして、己(おのれ)を尽くして人を咎(とが)めず。
   我が誠(まこと)の足らざるを尋ぬべし。


   以下、現代語訳する。

   「人を相手にしないで、常に天を相手にするように心がけよ。
   天を相手にして自分の誠(真心)を尽くし、決して人を咎めるようなことをせず、
   自分の誠(真心)の足らないことを反省せよ」

   (1)のエピソードを一読して、初めてその真意が分かったという方も
   いらっしゃるようです。

   世間体(外面)を気にし過ぎると、良知を見失う。

   「人を相手にせず、天を相手にせよ」

   肝に銘じたい言葉である。

           <感謝合掌 平成24年9月24日 頓首再拝>

達人の素顔 (2215)
日時:2012年10月05日 (金) 04時56分
名前:伝統

    *岡崎久彦・著「教養のすすめ」(P30)より

西郷南州は、日本史上、あるいは世界史上最高クラスの達人です。

勝海舟は、次のように述べております。

「俺は今まで天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南州だ。
 ・・・そこで、俺は幕府の閣老に、天下にこの二人があるから、その行く末に
 注意なされと進言しておいた・・・

 横井の思想を西郷の手で行なわれたら(幕府も)もはやそれまでだと心配していたが、
 果たして西郷は出てきたワイ」

 横井小楠は、維新前に暗殺されて西郷だけが生き残るわけです。

昭和15年に大機道人という人が書いた『禅眼に映じた南州翁』(非売品、発行者 井上義男)
という本があります。大機 桂樹亮仙という人は一生雲水で過ごした。
大正、昭和を通じて知る人ぞ知る禅の達人の由です。

そのなかに、「諸家の評」という一章があります。まずは板垣退助です。

「維新の三傑といって、西郷、木戸、大久保と3人をならべるが、そんなものではない。
西郷と木戸、大久保の間には、零が幾つあるかわからぬ、
木戸や大久保とはまるで算盤(そろばん)の桁が違う」

板垣という人は、病的といってよいくらい正直、清潔な人です。
誠心誠意という点だけとれば、維新の人のなかで西郷と双璧でしょう。

その板垣の意見ですから、人を測る尺度も、知識とか能力よりも人間が本物かどうかの
一点にしぼられたコメントでしょう。

国学者・福羽美静は、自分が読んだ百巻の書は大久保の読んだ十巻の書に及ばず、
大久保の読んだ十巻の書は西郷が読んだ一巻の書に及ばない、といっています。
これも知識を超越した、物事の本質を理解する能力をいったものでしょう。

その他、山岡鉄舟、中岡慎太郎などは西郷を「至誠の人」と呼び、島津斉彬、藤田東湖、
平野國臣は、いずれも、彼こそは国家の大事を双肩に担う大人物と評しています。

           <感謝合掌 平成24年10月5日 頓首再拝>  



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