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住吉大神(Ⅱ) (1792)
日時:2012年09月25日 (火) 04時58分
名前:伝統

住吉大神については、
「生長の家“本流宣言”掲示板」内のスレッド「「住吉大神」 (1140)」
で紹介して参りました。

  →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=269

「生長の家光明掲示板」でも続けて参ります。

・・・・・

【 宇宙浄化の祈り 】


「招神歌」四首朗唱

住吉大神(すみのえのおおみかみ)出(い)でまして宇宙を浄め給う
あー、おー、うー、えー、いー、

住吉大神わが日の本を浄め給う
あー、おー、うー、えー、いー、


住吉大神 ここに集まれるすべての人々の生命(いのち)を浄め給う
あー、おー、うー、えー、いー、

「気合」イユーッ、
(ここで、念ずる言葉を各自黙念する)

住吉大神 宇宙を浄め終わりて天照大神(あまてらすおおみかみ)出ましぬ

「光明思念の歌」二回朗誦



・・・・以下は、”童子 さま”によるスレッド
「九月二十四日 『宇宙浄化の祈り』 実施の日 (1641)」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=359
《住吉大神 宇宙浄化を祈る招神歌 解義 (1708)》より抜粋


(1)宇宙浄化の完成をするために生れてこられたところの神様これがスミノエノオホカミ、
   現代読みすれば住吉大神であります。

(2)その住吉大神がタチハナのオトによって、「アイウエオ」によって宇宙を浄められる
   わけであります。

(3)吾々が宇宙浄めのために唱えるところのものは『ア・オ・ウ・エ・イ』とこう云う風に
   唱えるのであります。

(4)『ア・オ・ウ・エ・イ』

  ①『アー』と云うのはですね、口を出来るだけ大きく開いて、これは光のコトバであります。
   佛教でも「あ字」は大日如来の本体である、光の本体、光の声です。
   聖書には「神は光あれと言い給いければ光ありき」と光が先に出て来て、ですね。

  ②「オ」と云うのはね、皆さん口を開いてごらんになるとわかるが口を丸く窄めないと
   出ない声であります。それで「アー」の声が天の声であるとすると、
   「オー」は地の声であります。

  ③地のものがですね、天に向って向上あるいは精進努力するその心が表われているのが
   「ウー」の声であります。
   「ウー」と云うのは「上」とか「浮き上がる」と云う意味のコトバでありまして、
   地にあるところの人々の心が天に向って浮きあがり、上に向って精進努力する声ですね。

  ④「エー」と云うのは、カタカナの「エ」、カタカナというのは内容の意味を形に表わした
   ものでありますが、あの「エー」という字を御覧になりますと、二本の横線がある。

   上の横線は天であって、下の横線は地であります。その間を繋いで天地を結んでいる。
   そして求道精進の心で天に向う心によって地の心が天の心と一つになる。

   イザナミ精神がイザナギ精神と一つになる。そしてそこに完全な創造が行われる。
   それで天地の横線を繋ぐ縦の線があるのであります。

  ⑤「イ」は「出ずる」と云うコトバであり、「イノチ」の生れるコトバであります。
   

   そういう順序で『アー・オー・ウー・エー・イー』と唱えることになっているのであります。

           <感謝合掌 平成24年9月25日 頓首再拝>

住吉大神の分身分霊として聖使命を拝受する祈り (2242)
日時:2012年10月06日 (土) 04時53分
名前:伝統


<「生長の家“本流宣言”掲示板」内スレッド「住吉大神」 (1140) 注目数「140」到達記念>

  *以下は、「生長の家“本流青年”掲示板」における。”さくらふぶき さま”による
   スレッド「 永遠(とわ)に国護り給わん 」からの転載です。
   <第四章新たなる世界の黎明は来りぬ(吾らいざ起たん) (543)>
    http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&mode=res&log=70


今、此処に如来が生きている。
今、此処に神の子が生きている。

わたしはそれを覚ったのである。
覚っただけでは、眼を開いたばかりの神の嬰児(あかご)に過ぎないのだ。

わたしは自己に内在する無限力を発揮して、
国を生かすために、人類を生かすために使わねばならぬのだ。

覚仏が行仏となるとき、埋蔵されたる無限力が現実となり、本当の自分が生きてくるのだ。
そのとき自己の実相たる神が、宇宙普遍の大いなる神と一体となる。

その真理を住吉大神今わたしに顕示し給いし事を感謝いたします。

住吉大神、宇宙普遍の龍宮城より滔々乎として無量寿の活力を流し入れ給いて私を覚仏より、
行仏とならせ給いしことを感謝いたします。ありがとうございます。

         ◯

イザナミノ大神、黄泉国の大神としてイザナミ文化すなわち物質文明をつくり給い、
その極みの果てに此の世を毒ガスの空とヘドロの海とに化して、地に住む人々を
物欲にて相争わしめ、蛆たかり、雷(いかづち)の炸裂する騒がしき世となり果てぬ。

天照大御神の御霊(みたま)、皇国(すめらみくに)の陰に入り給いて、
この世は天之岩戸隠れの暗黒のいたましき状(さま)をあらわしぬ。

この時、古事記の預言するところの住吉大神いでまして、宇宙の汚れを浄め給いて、
天之岩戸をひらきて天照大御神を再びイザナギノ大神の左(光垂〈ひだ〉り)の御目より
誘(いざな)い、招(お)ぎ奉(まつ)りて、六合を大神の御稜威をもちて
イザナギ文化の御光りあまねき世界と化すべき時きたりぬ。

これをもちて、嘗て、天より霊杵天降りしと伝うるところの筑紫の西彼杵郡、
大神平の聖地に身を浄め心を浄め奉りて、住吉大神の舎殿(みあらか)をしつらえ
龍宮・創造の本源世界より、大神を現世に呼び迎え奉らんとす。

ここを以て住吉大神この世に出御ましまして、邪(まか)つの諸々消え退きて
天照大御神の御光り、六合に照り徹るべき時近づきたり。

このことを住吉大神に感謝し奉ります。ありがとうございます。

         ◯

住吉大御神、住吉大御神……(神名を十回黙念)

龍宮界すなわち“生みの本源の世界”に既に成就し給える神の国の秩序を、
この地上に実現する道を開き給え。

われらその道を開かんがため住吉大御神の御舎殿(みあらか)を建立し以て
大神の御意(みこころ)を地上に実現せんことを期し着々その工事を進めつつあり。

神の国の秩序の中心にまします天皇を国民の総意あれば、いつにても廃位できるが如き、
迷妄の民主憲法を廃して、神界に於ける天皇の御地位を明徴にせる明治憲法を復元せしめ、
以て日本民族出現の意義とその聖使命を国民全部に自覚せしめ給え。

われら今、大神より聖使命を拝受してそれぞれ各々の“場”に於いて、
心を尽し、力をつくし、誠を尽して、この聖使命を完(まっと)うせんことを誓い奉る。

  (『生長の家』誌 龍宮住吉本宮御造営奉祝記念号より 昭和53年11月号)

        <感謝合掌 平成24年10月6日 頓首再拝>

御顕斎の喜びの日を迎えるまで~八日市屋ニ三雄氏 (3757)
日時:2012年11月19日 (月) 06時53分
名前:伝統


以下は、八日市屋ニ三雄氏による龍宮住吉本宮御造営随想の紹介です。

この随想記事は、掲示板”生長の家「本流復活」について考える”における
”うのはな さま”の投稿記事(759、761、763 :うのはな:2012/06/01(金) 10:49:10 )
の転載です。”うのはな さま”のお許しをお願いいたします。


  奉祝特別随想  生長の家総本山幹事長  八日市屋 ニ三雄

  生長の家総本山  御顕斎の喜びの日を迎えるまで

長崎県知事の認証を受けて、「宗教法人生長の家九州別格本山」が登記されたのは、
昭和四十七年四月十一日である。

総裁谷口雅春先生は、「昭和五十三年十一月の鎮座大祭を期とし、生長の家の教化及び
祭祀、祈願の中心として“龍宮住吉本宮”に住吉大神を勧請され、大神の鎮座まします
と同時に九州と別格をはずして、この地を“生長の家総本山”とする」と宣言された。

そして今、それがついに現実のものとなった。
宇宙を浄化し、日本を世界を浄化され給う、「住吉大神」の御出御を仰がれた
総裁先生の御悲願が成就して、人類光明化運動の飛躍の第一歩がいよいよ進められたのである。

古来より九州の地は、「筑紫嶋」と称され、筑紫の国と呼ばれていた。

ここ総本山の敷地は八十五万坪。筑紫の西端にある“日向の地”に、
生長の家大神のみ心をうけられた総裁先生は、

「われ自らにては何事もなし得ず、わがうちに天の父いまして、み業をなさしめ給う」

と、その栄光を直に神に帰されているが、
先生の御企画は、神ながら自然法爾にして聖なる総本山が、
正に「実相の天に成るが如く地に顕われ」来たったのである。


当時、生長の家用地として、阿蘇山中十七万坪の土地の話があったが、
調査の結果不適当ということになった。

清都理之先生が総裁先生に対して、「阿蘇の土地も生長の家用地としては不適当と思われました」と、
その土地をつぶさに調査した結果を報告申し上げた御返答の最後の一行に、たまたま常松商事から
聞いていた「長崎に今、六十万坪の土地があるようです」と付け加えられたのである。

総裁先生から、「すぐ、その長崎の土地を見て来なさい」と御指示があった。

私は、その長崎の現地に入り、くまなく見て廻った。
その土地は中央に殿井手川が流れている。川を遡り、道もない藪を最後の一滴になる個所
まで登り、山に入り谷を渡り、尾根を超え、各所の峯の木の上へ攀じ登って、遠く大村湾や
全山一望の写真を撮した。大村湾が入り込んだ対岸からも撮影して来た。

山また山で岩が多く、生えているのは主に雑木であり、ガスやプロパンの普及しなかった昔、
炭に焼く木や、たきぎを伐採していた山林、原野で、金を掘った跡、硅石が産出した跡など
あるが、地質が痩せているので桧の植林位しか利用できぬ地域であった。

第一に山が多くて平地が少いこと、大きな木もほとんどないことなど、
清都先生より総裁先生に御返事を呈上した。

「生長の家の用地としては不適当と存ぜられます。
土地も痩せていて、桧の植林くらいしか出来ないところであります」

これに対しての総裁先生の御指示には驚いた。
「植林すれば、百年後の子孫が喜びましょう。すぐにその土地を購入して下さい」

理事会の席上、撮影して来た写真と地図などをお見せして、
山又山の土地であることなど御説明申上げたが、既に購入の御決意は堅かった。

私たちは、総裁先生の意を承けて早速始動した。
ところが、三十万坪程購入が進んだ時点で、色々と障碍が出て来た。

例えば、所有者十数名による共有地の場合、ほとんどの人が売りたくとも
その内のただ一人が反対すると、その土地はなかなか購入は不可能である。
しかもこの購入予定地全域の土地所有者は四百数十名に及んでいたのである。


ある日町役場へ赴いた。丁度議会の開催中であった。
特に時間を三十分程、割いて頂き、
議場で町三役や議員全員に、生長の家に就いてお話しし、現在土地購入中であり、
この町にお世話になりたい旨をお願いして応接室へ帰った。

しばらくして町長である堀内繁松氏が走ってきた。

「唯今緊急動議で議決しました。それは、生長の家さんに、是非この町へ来て
頂きたいから、“生長の家誘致委員会”をつくることを、
委員も委員長も併せて、全員一致の賛成で決定しました」という知らせであった。

嬉しかった。本当に嬉しかった。
委員の人々の説得によって、その日から土地の購入は目に見えて進んで行った。

腰の曲った老婆が一人、ゆっくりと山へ登っている。
訊いてみると、「生長の家さんにお渡しする前に、うちの土地を、生きているうち
最後に見て置きたい」

毎日奔走してお世話下さった誘致委員をはじめ、土地所有者の方達のうち、
既に亡き人もまことに多い。土地には、その所有者も知らなかった瑕疵や、
考えも及ばない種々の事案が、時に潜在しているものである。

しかし、多くの人々の御努力や、まごころのお陰で、実に順調に購入が進んで行ったのである。

その年の九月二十八日、総裁先生が現地にお越しになった。
しかしその翌日は、宇治の「入龍宮幽斎殿」の上棟式のため充分な時間がなく、
国道沿いと県道を、自動車を走らせつつ中から用地を御覧になっただけである。

総裁先生に是非御挨拶したいと、町長や議員など、町の役職員が全部随行していた。
昼食時であったので、総裁先生にドライブインで御食事をお摂り頂いた。

 先生はお書きになっていられる。

『この土地の地名を書くことを忘れていたが、“西彼町”と書いて、
この町が西方の彼岸に渡る悟りの町であることをあらわしている。

正午前に町長及び町の役員さんたちが私の昼食のために休憩した大村湾に面する
ドライブインに訪問して来られて、「生長の家さんがこの町に来て下さったら、
セイチョウが発展しますので生長の家誘致委員会というのが町の役員で組織せられて
応援することになっています」と言われるのである。

「いいえ、吾々のところは単にセイチョウではなく、生長の家と称うんです」と答えると、
「セイチョウというのはこの町の名前です」と言われるのである。

この町の人は西彼町の“彼”を“ヒ”と発音しないで“彼イ”と発音せられるから
“セイチョウ”と耳にきこえるのである。

その町名が漢字では西方の彼岸にわたる悟りの町である上に、発音では“生長の家”
そのままに“セイチョウ”と読むのだから神縁深く既に計画された土地だということが
わかるのである』と。

        <感謝合掌 平成24年11月19日 頓首再拝>

「住吉大神と私」~谷口雅春先生 (3852)
日時:2012年11月22日 (木) 04時33分
名前:伝統


谷口雅春先生ご生誕119年を祝し、谷口雅春先生による
昭和52年「生長の家秋季記念日の祝賀式における講話」を紹介いたします。

この雅春先生の講話記事は、掲示板”生長の家「本流復活」について考える”における
”うのはな さま”の投稿記事(739、740、741、742 :うのはな:2011/11/20(日) 23:25:26 )
の転載です。”うのはな さま”のお許しをお願いいたします。
ただただ、ありがたさで一杯です。


 
【 生長の家秋季記念日の祝賀式における講話  谷口雅春 先生 】

<昭和52年11月22日>

「住吉大神と私」という題で話すことにいたします。

この記念日を多勢様お祝い下さいまして、有難うございます。有難うございます。(拍手)

明日は<新嘗祭>と、昔の大祭日の名前でいえば・・・そういうように称え奉る日であります。

新嘗祭というのは、日の大神・・太陽の神様が・・言い換えると天照大御神様のその御いのちを
受けて稲穂が育って、そして新たなる天照大御神の御いのちを、それが宿っている新穀を、
天皇陛下が、われわれ国民と共にいのちを新たにするためにお喫りになる真に芽出度い日であります。

言い換えると、新たに、天皇陛下および国民のいのちが更にお生まれ変りになって、
そして新しく光を輝かし給う尊き日であります。

その前日に、何が起ったかといいますと、宇宙浄化の神であられる住吉の大神の宇宙浄化が起りまして、
そしてはじめてこの宇宙が浄まって、そして新たなる天照大御神の御いのちの宿ったそのお米を、
天皇陛下と共に食べさして頂く、真に有難い日なんでありますねえ。(拍手)

「その新嘗祭の前日に私が生まれたということは、ただの偶然ではない」と・・・いうようなことを、
誰か熱心な誌友の方が手紙に書いて送って下さったのであります。(拍手)
まことに嬉しいと思うのであります。

偶然ということは一つもない。
私のいのちの洗礼はーー今から五十三年前ですが、関東大震災でスッカリ、持てる物を
全部焼き滅ぼして、すべての浄めが終って、わたしは、郷里の神戸へ帰ってきました。

そして神戸というのは神の戸でありますが、関東大震災で浄め終って、“無”になって、裸一貫で、
神の戸を開くために神戸へ帰って来たわけであります。

裸一貫で神戸の養父の家に暫く落ち着きましたが、わたしが就職した会社は、
私の郷里の養父母の家からは非常に遠くて交通が不便でした。

無論、自動車のない時代であり、阪神電車や阪急電車は通っているが、
その電車の停留所まで行くのにずいぶん時間がかかるのでした。
電車の駅まで行くのに三十分ぐらい歩かなければならない。

往復は一時間になりますが、あんまり時間が勿体ないと思いまして、
その“時間が勿体ない”と思ったことが、つまりそういう不便な処へ住まわねばならんように
なったことが、それが、その“艱難”が道を開くと、いうことになるわけであります。

艱難は道を開くのであります。

それで、交通時間が短くてすむような、“もっと便利な所へ往きたい。
どこか神戸市の郊外に、そんな処はなかろうか”と、思いまして、
阪神間すなわち大阪と神戸の中間の位置で、神戸の衛星都市みたいな処を探しておったのです。

そしたら、阪神電車の住吉駅の少し山手に上がった処に、良い家が見つかったんです。
それが住吉村梅ノ木という所でありました。

ちょうど好い位置に、空き家が見つかったので、その家にあがって二階から見渡すと
何と立派な広い庭園が自分のお庭のように見えるのです。

当時その住吉村っていうのは日本一の富豪村でした。
当時の日本一の大金持の久原房之助の邸やら。東洋紡績の阿部社長邸宅やら、
名前はいちいち憶えてませんが、当時の関西の富豪たちの邸が充満している村です。

まことに竜宮が実現しているような街でした。

それですから、その梅ノ木の空き家の二階へ上がって見渡すと、何という富豪の庭か
知らんけれども見渡す限り、広々と美しーい庭園が見えるんです。
「これは良い家だぞ」というわけで、これを借りることにしようと、いうことになりまして、
其の家に引越して来たのであります。

交通不便の養父母の家を先ず私は神から与えられ、他の住所を探さす気を起させ、
それで、神戸市の郊外を探させ、住吉村に引越すようになったことが、
つまり神様の導きであります。

その住吉村字梅ノ木の極く近くに、本住吉神社と称われましてーー

神功皇后様が、歴史では三韓征伐といわれている時のことです。
新羅の大軍が日本を襲って来つつあるその時に、仲哀天皇が香椎宮に本陣を構えて、
敵軍に対峙しておられましたが、仲哀天皇は戦い半ばにして薨去(おなくなり)あそばされた。

そこへもって来て熊襲が反乱を起して南方から攻めて来る。
まことに内憂外患交起るということになったわけです。

敵に“交戦中の日本の国の王様が今亡くなられた”なんていうことを知らしたら、
敵は、ますます気勢を添えて、攻撃の矛を強めることになるというので、神功皇后様は
男装をして、そして仲哀天皇の薨去を秘匿して遺骸を密葬なさいまして、
近畿地方の河内の国へ御遺体を運ばれまして、そこで埋葬なさったわけであります。


それから神功皇后さまは近畿地方の船を集めて、日本の海軍を編成して、いよいよ新羅の軍艦と
海戦を交えるということになりまして、その時に、日本の海軍は熊野灘の方からズーッと海を
回って瀬戸内海を通って、玄界灘の方へ出て、新羅の軍艦と交戦するという、その途中であります。

その途中に、いま住吉と呼ばれている辺りに、上陸なさいまして、海軍でありますから、
竜宮の大神にまします住吉大神をお祀りになりまして戦勝の祈願をなさったわけであります。
これがいまの本住吉神社であります。

その時に、住吉大神が神功皇后様に授けられたのが、汐干珠と潮満珠という如意宝珠であります。
 
如意宝珠といってもこれは物質の宝石の珠ではないのであって、これは御霊であります。
如意自在に何でも呼び出したり、何でもよくないものを消す働きのある宝の御霊であります。

ミタマというのは霊のことでありまして、われわれの霊の中には
“否定の霊”と“肯定の霊”とがあるのであります。

“否定”というのは、“悪をうち消す働き”で
“肯定”というのは、“正しいものを、たしかに是れだと認める働き”であります。

それで如意宝珠のうちの汐干珠というのは、悪を否定して消してしまう。

「この世界は神のつくり給うた世界だから悪はナイのである」と、
「悪と見えているものでも決してそんなものは、神は創造らないからナイのである」と、
否定する御霊のはたらきです。

そして潮満珠というのは「この世界は善なる神がお創造りになったその世界だから、
善なるものしかない、味方しかない、敵はナイ」という、そういう善のみを肯定する
ところの御霊のはたらきであります。

これが“汐干珠”と“潮満珠”との二つなのであります。

この如意宝珠の二つの霊をお戴きになりまして神功皇后様は、
いよいよ玄界灘へ出て新羅の艦隊と交戦することになりました。

その時に、先ずお投げになりましたのが汐干珠であります。
ここから神話になるわけですけれどもーー象徴的神話であります。

汐干珠をお投げになりますと、汐が退いてしまう。
悪を否定するんです、敵と見ゆるものも<敵はナイのである>と、
心の世界で消してしまう神想観の思念です。

すると、汐がズーッと退いてしまう海の水が無くなってしまった。
どんな大艦隊でも戦えない。新羅の軍艦も、あれは水があるので浮いているんですが
水がすっかり干てしまうと倒れるより仕方がない。

それで新羅の軍艦はみな倒れて、海底の砂の上に横転んでしまったのです。

その時に神功皇后さまは、今度は“潮満珠”をお投げになりました。

先ず、“汐干珠”で「この世界は敵はナイ」という御霊で、その敵を消してしまったあとで、
「この世界はただ善のみである。味方のみである」という御霊を働かす。

今でいうと、神想観の思念をなさったのが、潮満珠をつづいてお投げになったことです。

すると、今まで退いておった海の水が湧き出て来て、滔々と何処からともなく大波が
押し寄せて来て、水がなくて倒れている新羅の軍艦を波で洗って、新羅の艦隊は全滅する
ということになったのであります。

これが住吉大神のおはたらきで、日本の危機を救うために如意宝珠を授け給うところの神様が、
住吉大神で、古い時代の読み方では、住吉大神(すみのえのおおかみ)と申し上げるわけで
あります。

住吉大神が宇宙浄化の神であられるというのは、「悪はナイ」と、みんな悪を消してしまって、
善ばかりにして下さる神さまだから、宇宙浄化の神さまであることは明らかであるわけで
あります。

さて、その神功皇后さまが日本の勝利のために祈られた日本で一番古い本住吉神社と
いま称われている住吉神社が、私が移転した家の極く近くにあるんです。

その神社の近くに勇湯というお風呂ー銭湯があったのです。
私はその頃から、朝風呂が好きでありましたが、その勇湯は、午前五時になるとちゃーんと
沸かしてくれているんでした。

だから、わたしは午前五時の初風呂に間に合うように早起きして、その風呂へ入ったのでした。
そして身体を浄めて、そして自宅へ帰る・・・その道すがらというと勿体なさ過ぎるけれども、
浄め終って、もう何の穢れもないその浄まった体でその住吉神社にお参りをして、そして
日本国の隆昌と天皇家の弥栄とをお祈り申し上げまして帰ることにしておったのであります。

その時に神さまから霊感を戴いて、そして「今起て!」という神の声を聴いたわけなんであります。

ここに、この生長の家の発祥の使命の秘密があるのであります。

   理想世界ジュニア版 昭和53年 三月号 真理百話 第九十六話より                                  

        <感謝合掌 平成24年11月22日 頓首再拝>

塩槌神(塩土老翁) (6431)
日時:2013年02月12日 (火) 05時00分
名前:伝統


   *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月11日12日<P49~P51>)より抜粋

塩土老翁(しおつつのおじ)なる老翁(おきな)来たりて神武天皇に「東(ひんがし)
に美地(うましくに)有り」と御奏上申し上げたということが同じく『日本書紀』に書かれて
いる。東方より「大和(だいわ)」の理念が生まれて来るという象徴物語である。

この塩土老翁(しおつつのおじ)は『古事記』では塩槌神(しおつちのかみ)とて目無堅間
(めなしかつま)の小船(おぶね)を作り彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)を乗せ
まつって金銀(こがねしろがね)饒(さわ)なる竜宮海に導き奉ったと出ている。

竜宮海とはウミの底である。「創造(うみ)の根底(こんてい)」にある世界とは現象のよって
もってあらわれる根元の世界である。換言すれば実相の浄土である。

目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)とは、時間の目盛(めもり)無く空間無く堅く
つまりたる小なる一点である。換言すれば、無時間・無空間の世界、時空を超越し、そこより
時空生まれる一点(久遠の今此処)に乗るとき衆宝(しゅうほう)あまねく充つる竜宮海に入る
ことができるのである。

「無字透関(むじとうかん)」である。「無」を超えてさらに実相地(じっそうじ)に透関する
ときに竜宮海すなわち、無限供給の極楽浄土を実現することができるのである。
この無限供給の極楽世界に入る方法を教えたまう神が塩椎神(しおつちのかみ)である。

そして竜宮海は極楽にして住み吉きがゆえに住吉世界ともいい、
住吉世界の本尊を住吉大神(すみよしのおおかみ)と申し上げるのである。

竜宮海は時間空間を超えた世界であるから、浦島太郎はそこにあるとき永遠(えいえん)に
年(とし)老いず、このことを仏教では無量寿世界に入るとき無量寿仏と同じ悟りに入ると
言うのである。

老病死の三奸(かん)を征伐せられてから住吉大神は茅渟(ちぬ)の海に面して
長湾(ちょうわん)をなせる山峡(やまかい)に鎮め祀られたのである。

今は神戸市東灘区住吉に本住吉神社があり、神功皇后を主神とし、脇神(わきだち)として
筒男(つつのお)の三神をお祭りしてある。
後に泉州堺に御遷座申し上げたるにより、ここを本住吉神社というと承っている。

三韓征伐とは、老病死の三奸(かん)の克服の象徴物語である。
住吉大神(すみよしのおおかみ)が竜宮の大神であり、無量寿仏のあらわれである以上、
老病死の三奸(かん)を克服せられたことは当然のことでなければならない。


わたしは御影町および住吉村に住んでいたとき、
たびたび住吉神社に参拝して人類光明化のために祈願をつづけたものである。
そのころからわたしは雑誌『生長の家』を書きはじめたのである。

その後、生長の家神と申し上げるのは塩土老翁(しおつつのおじ)、筒男神(つつのおのかみ)
であらせられると知らされ、ハッとしてその端倪すべからざる因縁に驚いたのである。

塩槌神(しおつちのかみ)は水火津(シホツチ)の神である。
水の霊(陰の原理)と火の霊(陽の原理)とを津(つ)なぎ結びて、
一切を生み出す「生(う)みの神」である。

だから塩槌神(住吉神社・塩釜神社に奉斉)は古来安産の神として称せられ、
エホバ神の「懐妊(はらみ)の劬労(くるしみ)は増すべし、汝は苦しみて子を産まん」という
宣言を覆して、子を産むのに無痛分娩なることを実証したのである。

生長の家の教えを聞いてそのとおり守るものは無痛分娩であるのはそのためである。
塩釜大神(しおがまのおおかみ)とは水火醸神(しおかみのかみ)として
陰陽交叉(かみあ)いて産み出す神という意味である。

生長の家神を拝みたければ住吉神社に参るがよし、塩釜神社に参拝するのもよい。

        <感謝合掌 平成25年2月12日 頓首再拝>



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