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弟子であれば、谷口雅春先生の新刊書を出すべく尽力するのが当たり前ではありませんか…?それなのに、その新刊書発刊の阻止を画策するとは…呆れて物も言えません! (2167)
日時:2012年10月04日 (木) 08時53分
名前:「靖国見真会」参加者

今、心ある人たちの間に衝撃を与えているのが、これです!

ここにきて、ようやく、なぜ谷口雅春先生の新刊書が出版されないできたのか…?

その全貌が明らかになったからです!

〉谷口雅春先生の新刊聖典出版停止は、平成四年七月十五日の日本教文社取締役会において決定された。

 東京渋谷の東急イン会議室で早朝に開かれ、出席者は、代表取締役・中島省治氏(社長)、常務取締役・鈴木卓郎氏(調整部長)、取締役・宮本三男氏(庶務・経理部長)、取締役・永井光延氏(第二編集部長)、取締役・辻信行氏(第一編集部長)、非常勤取締役・谷口雅宣氏(生長の家副総裁)、非常勤取締役・三浦晃太郎氏(生長の家本部理事)、非常勤取締役・磯部和男氏(生長の家本部理事)の八名であった。

 冒頭、磯部和男氏から谷口雅春先生の新刊を今後停止したいとの提案があった。その理由は以下の通りであった。

① 現在の生長の家は、会員信徒とそうでない信徒を明確に区別する両輪体制下にある。谷口雅春先生のご文章は両輪体制以前の神誌時代のご文章である。だから誰に読ませるご文章であるか分らないので現在の生長の家には相応しくない。

② 谷口雅春先生はすでに故人であり、ご本人の了承のない著書を第三者が勝手に出版し続けることはおかしい。

③ 谷口雅春先生の教えは、現在谷口清超先生、谷口雅宣先生に継承されており、お二人に中心帰一しなければならないから、谷口雅春先生の新刊書を出版する必要はない。〈


なんとまあ、これが弟子たるものの言うことでしょうか…?

この3つの理由とも、それこそ「為にする論」であって、一顧だにする価値もないものばかりでありますが、とりわけ酷いと思ってしまったのが、③でありますね。

何でも、この趣旨は、谷口雅春先生の新刊書を出したら、信徒が、谷口清超先生、谷口雅宣先生に「中心帰一」しなくなる…と読み取れる文章であるからです。

ざっくり言って、谷口雅春先生はもはや亡くなってこの世におられないのだから、そういう先生の本は要らない、そう言っているも同然ですよ、これは。

これを言った人が、今の生長の家教団の「理事長」になっているというのですから驚き呆れかえります!

はっきりいわせていただきます。

磯部和男氏は、谷口雅春先生“殺し”(尊師の新刊書を世に出さない、それは私から言わせれば谷口雅春先生殺しと言われても致し方ない大罪です!)の“功績”により、「理事長」の椅子につくことができた…ということです。

こういうことが、信徒が全く預かり知らないところで、影でこっそりと決定されていたというわけですから、生長の家教団がおかしくなるのは当たり前ですよ。

だって、“人の道”に外れたことをしているのですから!


“人の道”に外れた人が「総裁」になり、「参議長」になり、「理事長」になる…それが今の生長の家教団だということです! (2170)
日時:2012年10月04日 (木) 09時43分
名前:「靖国見真会」参加者


弟子であれば、どんな難問、課題がその前に立ちふさがっていようとも、何としてでも、それを克服して、尊師のご本を世に出せるようにするというのが当然の感覚ではないでしょうか…?

ところが、そうではなくて、逆に、尊師のご本を出させないようにする、そういう人達がいたということが、私には本当に信じられない思いです。

当然、磯部氏の提案には、反対論が相次ぎました。

その間の事情をこう語っています。

〉この発言に対し、日本教文社サイドの取締役から種々反対意見が出され議論が紛糾した。中島省治社長は事態の収拾を図るため、生長の家総裁・谷口清超先生にお伺いしてから決定してはどうかと発言した。しかし、谷口雅宣副総裁は「その必要はない」とそれを制し、ただちに決を取るよう命令に近い提案を行った。この鶴の一声の結果、磯部和男氏の提案が可決された。

 この経緯から分るように、この決定は、谷口雅春先生の著作権継承者である谷口清超総裁、谷口恵美子白鳩会総裁に何らの事前のご承認もなかった。そして生長の家理事長も知らず、ただ谷口雅宣氏と磯部和男氏、三浦晃太郎氏らの強要による日本教文社取締役会単独の決定であったことが分る。〈


そもそも、何で、日本教文社の会議において、非常勤の分際でありながら、尊師の新刊書を出させないという提案ができるのですか…?

既にそこからして秩序を無視していますよね。

その上でなおかつ、生長の家総裁・谷口清超先生にお伺いしてからという提案を、谷口雅宣副総裁は「その必要はない」とそれを制したというのですから、これまた驚き呆れかえります。

自らこういうことをしておいて、よくもまあ人には、「中心帰一せよ」と言えるものです。

自分は「総裁」に中心帰一しないが、自分が総裁になったら、自分に「中心帰一せよ」なんて、それは余りにも虫が良すぎるというものではないでしょうか…?

かくして、このお三人は、今や教団のすべてを差配する地位に上り詰めたというわけであります。



現生長の家の失敗 (2173)
日時:2012年10月04日 (木) 12時18分
名前:童子

 本来ならば、谷口雅春先生の御生誕100年記念事業として

 谷口雅春著作全集として書籍を、また御講演のDVD、CDを発行すべきでした。


 開祖を包み隠すとは正しく「罪」です。

谷口雅春先生の新刊書とは? (2202)
日時:2012年10月04日 (木) 23時22分
名前:あめのうずめ

新刊書とは、当時発行されていた書籍のリニュアル版を指すのでしょうか?

それとも新たなる書籍(まだ世の中に出ていないもの)があるという事なのでしょうか?

よくわからないので、どなたか教えて下さいませんか?

いくらでも有ると聴いています (2203)
日時:2012年10月04日 (木) 23時33分
名前:蒼穹

世に出ていない谷口雅春先生のご文章又ご講話録音、ビデオはいくらでも有ると聴いています。

そ、そうなんですか? (2207)
日時:2012年10月05日 (金) 00時46分
名前:あめのうずめ

蒼穹様、早速にご回答頂きまして、ありがとうございました。

こんなに隠蔽してしまって、なんだか怖いような気持ちでいます。


谷口先生のお若い頃のお写真も、私はあまり見た事がありません。

新刊書について (2210)
日時:2012年10月05日 (金) 01時24分
名前:元本部職員D

新刊書の定義は微妙なものがありますが、一般的には雑誌などに連載されたり、あちらこちらに記事として発表されたものを「本」として編集して発行したものも新刊書としている事が通例です。

したがって、雅春先生の新刊書は少なくてもあと200冊以上出すことも可能なほど、雅春先生は雑誌・講演等でおコトバを残されています。その宝のようなものを停止しているということが、現在続いていると判断なさったらよろしいのではないでしょうか。

“昔”の黒河内潤理事長は素晴らしかった…!どうしてそのときの思いを忘れてしまったのでしょうね…? (2220)
日時:2012年10月05日 (金) 08時22分
名前:「靖国見真会」参加者


一顧だにする値打ちもない、新刊書の発刊停止の3つの理由について、いの一番に疑義を呈したのは、当時の黒河内潤理事長でありました。

黒河内潤理事長の文書を引いておきます。


〉「平成四年八月五日付にて報告された『平成四年七月十五目の取締役会における決定』を拝見しましたが、下記の点に疑義がありますのでお尋ねします。文書にての御回答をお願い致します。

              記

Ⅰ 貴報告において、谷口雅春先生の新刊書を発刊しない理由として挙げている「(イ)両軸体制以前の会員・未会員未分化時代のお原稿が元になっていること」について

1  運動の観点から、対象を会員と未会員に分けて出版するという考え方は、あってよいと思います。しかし、“御教えを伝える(学ぶ)聖典”という観点に立てば、会員のみにしか通用しない、或いは未会員のみにしか通用しない真理の書などというものは現実にはあり得ません。

 一ロに未会員と言っても、その中には、“生長の家を全く知らない人”と、“組織の会員ではないが、生長の家には触れている人”とがあり、普及誌の読者の大半は後者に属します。谷口雅春先生のお原稿(又は御講話録音)は、後者のクラスに適したものが多いと思います。また、会員クラスにふさわしい内容のものもあると思います。従って、両軸体制に即した出版となし得るか否かは、編集次第にあると思いますが如何でしょうか。

2  会員・未会員未分化時代の谷口雅春先生のお原稿は不可と言う考え方を妥当とするならば、その考え方は当然既刊書にも及ぶと考えられますが、この点はどう考えているのでしょうか。

Ⅱ 「(ロ)著者の承認を経ない新刊が延々と発行され続ける矛盾」について

 一般社会においては、相続によって著作権を継承しても、それは単なる財産権の継承にすぎないものでしょう。しかし、谷口清超先生が谷口雅春先生から法燈を継承されたということは、著作権の相続は、即ち、財産権の相続のみならず、著作物の内容についても谷口雅春先生と同一のお立場に立たれたということではないでしょうか。従って、谷口清超先生の御指示あるいは御承認ある新刊を、「著者の承認を経ない新刊」と見ることは誤りであると思います。

Ⅲ 総裁先生と日本教文社の立場について

 貴社は、昭和九年十一月二十五日、谷口雅春先生によって貴社の前身である株式会社光明思想普及会が設立され、谷口雅春先生の御著書の出版を主軸として成長し、今日に到っていることは御存知の通りです。そして今日は、谷日清超先生が法燈を継承され、貴社の新刊及び重版に対しては、生長の家常任理事会に、その企画を審議せしめ、可否の承認を与えておられます。

 このような立場にある貴社として、取締役会において、いきなり、このような方針変更を決議されたことを遺憾に思います。〈


如何でしょうか?

普通の信徒であれば、誰しもが、黒河内潤理事長と同じ疑問を抱く筈です。

昔は、そこまで、黒河内潤理事長という人は、納得のいかないことにはきちんと「No」と言える、そういう「戦う」精神を把持し得ていた人だったのです…。

実際、当時、黒河内理事長は、回りの人に、谷口雅宣先生のその余りの独善的なわがままな姿勢に心底、困り果てていた、苦り切っていた、弱り切っていたことを零していたようであります。

それを当然、快く思っていなかったのが、他ならぬ谷口雅宣先生であります。

「理事」経験者でも「長老」になれるのに、「理事長」を長年、勤めあげた黒河内さんが未だに「長老」になれないのは、この時の不興をかったことが大きいというのが専らの噂であります。

それに懲りたのでしょうか、今や黒河内さんは手の平を返すが如く、牙を抜かれ、『生命の實相』の著作権裁判をめぐる裁判では、教団本部側の証人として出廷し「大東亜戦争は侵略戦争というのが今の生長の家の公式見解です」と証言するまでに豹変してしまいました。

こうして、谷口雅宣先生に忠誠を尽くせば、いずれ自分も「長老」にしてもらえるとでも思ったのでしょうね…。

しかし、未だに「長老」にしてはもらえていないようで、何とも哀れではあります…?

どうせそんなことなら、腹をくくって、将来の生長の家のために、谷口雅宣先生にどれだけ苦杯をなめさせられたか、自らの体験をもって証言すればいいのにと、そう思わずにはいられません。

次の世で、谷口雅春先生とお会いしたとき、どの面下げて「大東亜戦争は侵略戦争です」などと言えるのでありましょうか…?

それを思ったら、とてもではありませんが、谷口雅春先生に顔向けなんかできやしません!

しかし、厚顔にも裁判所でそう証言できたのですから、恐らく、黒河内さんは次の世で、谷口雅春先生とお合いするなどとは露程も思っていないのでしょうね…?

やっぱり、どうも生きる価値観が私などとは違うようであります…?

今の理事長といい、前の参議長といい、そしてこの黒河内さんといい、みんなこの世で偉くなっていく人というのは(それも結局は教団内のことであって、一般社会では何の意味もないのですけどね)、どうも、次の世で、谷口雅春先生とお会いするということを端っから信じてはいない人のようであります。

谷口雅春先生は、「また皆さんとお会いします」と言われたんですけどね…。

その「お言葉」を信じてはいないということなのでしょうか…?

もしかして、こういう人は、「死んだら終わり、この世だけがすべてさ」なんて思っているのかもしれません。

谷口雅春先生の「お言葉」を信じられない人が、教団のトップに登り詰めることができる…?

何だか、そっちの方がむしろ怖いような気がしてまいりました。

トップがこれでは、教団がおかしくなるのも決してゆえなしとしない…ということでしょうか?


最後の審判の時期 (2222)
日時:2012年10月05日 (金) 08時36分
名前:縹

合掌 ありがとうございます


「 『荒す憎むべき者』の聖なる所に立つ見ば(読む者さとれ)」

とあります。

黒河内先生で思い出した事 (2225)
日時:2012年10月05日 (金) 12時08分
名前:あめのうずめ

黒河内先生といえば、神奈川で活躍された方ですね。

三年前の神奈川の練成会の時に、ご自分が病気をされて、それをきっかけに信仰を深めたいという体験談をしたそうです。

その話を教えてくれた知人は、「あんなりっぱな先生でも、病気になるんだ!

それでまた信仰を深めるとは偉い。感動した。」と、話していました。

私は内心、病気は無いが御教えなのに、なんだか違うかなと思ったことでした。

自称法燈継承者および教団幹部は、非信徒の集まり (2232)
日時:2012年10月05日 (金) 20時36分
名前:アクエリアン

童子様

>本来ならば、谷口雅春先生の御生誕100年記念事業として

谷口雅春著作全集として書籍を、また御講演のDVD、CD を発行すべきでした。

開祖を包み隠すとは正しく「罪」です。
ーーーーー

同感です。

文章伝道を伝動の中核としている教団が、開祖の教えの根幹ともいうべき、教団機関誌にご執筆された、毎月の法語を出版し、信徒の教義研鑽、学習のための教典とすると共に、一般読者に、生長の家の教えに触れていただく機会を与えることは、法燈継承者及び教団幹部の果たさなければならない義務であり、責任です。

こんなことは、本来、宗教団体としては、当たり前のことなのですが、今の教団は、この果たさなければならない義務、責任を、やる気がないのか、果たさない。

何故、やる気がないのか。

開祖の教えに違和感を感じているからだろう。

真理と思えないのだろう。

ということは、法燈継承者および教団幹部は、信徒ではないということですね。

仏教学者津田真一氏は、仏教信徒の定義として次のように述べている。

ーーーーー

仏教信者と はブッダの教えを聞き、それを真理として信受 し、それに従って自らの生(レーベン)を実践 的に規整してブッダが教示する宗教理想に帰入 しようとする、つまり、ブッダの思想を自ら生 きようとする人のことである。」
(「アーラヤ的世界とそ神」(大蔵出版)2 38p)

ーーーーーー

今の教団幹部の人たちは、開祖の教えにたいして「真理として信受し」という態度が取れない、非信徒の集まりだ、ということになってしまいますね。

それほど、現在の幹部の、開祖の教えの根幹ともいうべき、教団機関誌に執筆された、ご文章にたいする姿勢は、重大な意味を持ってくるのです。



あんなりっぱな先生でも、病気になるんです (2233)
日時:2012年10月05日 (金) 20時57分
名前:元本部職員D

黒河内先生は理事長になられてから大変な苦労をされました。

特に副総裁が雅春先生の愛国聖典の重版保留(事実上の絶版扱い)を進めている事に対して最後まで断固とした態度で抵抗されました。

しかし、副総裁から[獅子身中の虫」と罵倒され苦しまれました。亡くなった吉田晴彦参議長もそうですが、真面目な人ほど内心は傷つき苦しんでいたことは当時を知っているものは気がついていました。病気にならない方が不思議です。

そんな黒河内先生も雅宣さんの実相顕現を祈り、ハイと付いて行こうと考えられたのでしょう。当然、心の中にあった鬱積した悩みはかいほうされたのでしょう。

心の法則はいかなる場合でも厳然と働くので癒しが訪れたということでしょう。しかし、見方によれば残念ながら雅春先生よりも生長の家よりも、ご自分の癒しを優先したとも残念ながら取られても仕方がないでしょう(失礼)

元本部職員D様 (2235)
日時:2012年10月06日 (土) 00時06分
名前:あめのうずめ

いつも色々教えてくださり、ありがとうございます。

楽しみに拝読させて頂いております。

黒河内先生は、体と心の病になったそうです。

その後はお元気になられたのでしょうが、お気の毒でしたね。

その後は、随分方向転換なさったようで、信じられません。


総裁は、人の心のわからない、心の冷たい人ですね。

最も宗教家に向かないタイプの人でしょう。

もともと人が信じられない人みたいですし。


それにしても、谷口雅春先生の新刊書を出さないなんて、

信徒にとって、あまりといえば、あんまりな話です。

そんなに沢山の新刊書が出せるなんて、全然知りませんでした。

いつの日にか出版された折には、是非是非読みたいです。


単純な疑問。なぜ総裁を更迭できないのでしょう? (2255)
日時:2012年10月06日 (土) 11時42分
名前:あめのうずめ

どんな企業だって、トップが暴走したら、それを止めるシステムがあると思います。

一般企業では、社長でさえ更迭する事が可能なのに、なぜ原宿教団では、それが出来ないんだろうと不思議です。


それとはまた別の話として、信徒達に、“中心帰一の履き違え”を刷り込んだ罪は重いと思います。

私は、総裁とは互角の血統である貴康先生に、本流の総裁になって頂き度いとかねがね思っておりました。

しかし、雅宣総裁は、総裁席を貴康先生にサッパリ譲るような、そんなカッコイイ事するでしょうか?

・・私は、ありえない気がします。

学ぶ会のトップに立たれる事の方が、現実的に思えますが、貴康先生のお考えもあるでしょうから、何とも言えません・・。







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