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中心帰一 (2183)
日時:2012年10月04日 (木) 13時53分
名前:童子

『生長の家』誌 53年4月号 巻頭言




               『中心帰一』
                           谷口清超師



 自分が人生に絶望したからといって、妻子を道連れにして自殺する人がいる。こんな心を、決して中心帰一とは言わない。それはあくまでも夫の利己心であり、我欲の押しつけにすぎない。たとえそれが自分の子供であっても、子供には各自の生きる自由があり、それを親がネジ曲げることは断じてゆるされない。


 一体どうしてこんな考えを起すか。人間を霊として考えず、肉体として考えるからであろう。肉体的にいうと、たしかに子供の肉体は父母の交りによって生れてくる。がしかしその持主は、豊なる子供の魂であるから、子供の肉体の主人公は、父でもなく母でもない。


 それ故この肉体を殺してしまえば、親は大きな罪を背負わなければならなくなる。母親の胎内の子供を殺す場合も同様である。人間にとって最も偉大なる行為は、人を生かすことであって、殺すことではない。生かす者は生かされ、殺す者は殺される。これが掟なのだ。


 そもそも中心帰一の信仰は、神と神意に帰一するこころであるから、我欲に統一されては何もならない。それではまるでヤクザの親分の言うことなら何でもきく、何でもきかそうとするのと同じで、とんでもない暴力集団が結成される。



 すべて神意は、人々に決して奇異な感じを与えるものではない。何故なら、神は凡ゆるところに普遍し給う智慧であり、愛であるからだ。その智と愛とは、全ての人々の中にすでに宿り給う。それ故、神意はごく分りやすい。そして全ての人々を快く納得せしめ、
 「それが正しい」 
と認めさせる力をもっているのである。


 ところが我欲は決して人々を満足させはしない。たとい形式的に〃満場一致〃のような形態をとり、美しく整えられたようでも、どこかに無理がある、不調和がある。


 全ての集団も、教団も、結社も、国家も、このような不調和から崩壊した。それは人々相互間の争いによるように見えても、実はそうではなく、本当は神意への帰一が行われなかったからだ。「愛」がなかったのだ。


 「愛」は縛ることではく、解き放つ心である。人々に真の自由を与えることなくして、我意我欲で縛り統御して、そこに断じて〃中心帰一〃が実現するはずはない。



 日本が中心帰一国家として永い栄光の歴史をもつのは、その中心者に「愛」があられたからだ。その「愛」は、初期には未熟であっても、次第に完成し、成熟し、何ともいえぬ滋味あふれる相を呈したのである。


 日本国民は、このような「愛」を観、それに魅かれ、打たれ、団結し、永続し、末永くそのような国家目標を追求しようとしている。この自由なる霊なる国の理念、即ち「神意」に帰一することこそ、最も尊い行為である。

 
 



これは預現の書なのか (2184)
日時:2012年10月04日 (木) 14時00分
名前:童子

 「神意」に帰一する。

 「愛」がなければならない。

 そうでない集団は崩壊する。

 「神意」でない我欲に統一されたら、とんでもない暴力集団が結成される。


 何か思い当る団体がある・・・この書は必読配付すべきだろう。

谷口清超先生に学ぶ (2201)
日時:2012年10月04日 (木) 23時21分
名前:蒼穹

『生長の家』誌 53年4月号 巻頭言

 『中心帰一』 谷口清超師

現教化部では『中心帰一』が盛んに言われますそこで清超先生のご文章の語句を換えて学びます.

 谷口雅春開祖の教えが理解出来ないとして、今の教えなるものに、現在の信徒を道連れにして総裁の席に固執する人がいる。こんな心を、決して中心帰一とは言わない。それはあくまでも雅宣氏の利己心であり、我欲の押しつけにすぎない。たとえそれが開祖のお孫さんであっても、信徒には信徒の開祖の教えを生きる自由があり、それを現総裁がネジ曲げることは断じてゆるされない。


 一体どうしてこんな考えを起すか。開祖谷口雅春先生を霊として考えず、肉体として考えるからであろう。肉体的にいうと、たしかに谷口雅春先生はこの世にはおられない、しかしその教えは、生命の実相に顕れた文字ではなく豊なる文章力の魂であるから、生長の家の教えの主人公は、本部講師でもなく、理事長でもなく現総裁でもない。


 それ故この谷口雅春先生の教えを殺してしまえば、現総裁は大きな罪を背負わなければならなくなる。現総裁への進言や意見を殺したり左遷をする場合も同様である。現総裁にとって最も偉大なる行為は、人を生かすことであって、殺すことではない。生かす者は生かされ、殺す者は殺される。これが掟なのだ。


 そもそも中心帰一の信仰は、神と神意に帰一するこころであるから、我欲に統一されては何もならない。それではまるでヤクザの親分の言うことなら何でもきく、何でもきかそうとするのと同じで、とんでもない暴力集団が結成される。




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