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大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《霊魂進化の神示》 《完》  (2268)
日時:2012年10月06日 (土) 18時07分
名前:コスモス

            霊魂進化の神示


 『神の子』なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。

 人間の運命とは『神の子』なる人間の実相(因子たね)が現象界に投影する時、時間的空間的に展開するのに、自ずから一定の順序を追うて展開して行くように大体定められているのを言う。


 それは譬えば朝顔の種子の中には既に『花』の因子が包蔵されているが、それが現象界に『花』となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遭い、芽を出(いだ)し、蔓(つる)を出し、蕾を生じ、ついに花を開くと云うように、大体一定の順序を追うて展開するが如きである。

 斯くの如く、神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するには大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遭うが如く、あるいは幸福に恵まれ、あるいは逆運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。

 しかし、その投影が完成するには、その投影は『念波の集積』で成り立っているのであるし、人間は心の自由を有ち、自由に実相の悟りによって念波を浄め得もすれば、迷いによって念波を一層汚すことも出来るのであるから、現象世界に実相人間を顕現する過程(進化の過程)を心次第で縮めることも長くすることも出来るのである。

 霊魂進化の過程を短縮するのは、念の浄化による。念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲に捉われざることが第二である。物質欲に捉われざるためには、『物質本来無し』の真理を悟るが第一である。

 『物質本来無し』の真理をさとる程度に達せざる者には、物質の快に捉われざるための修行として、自ら苦を求めて喜ぶか、物質に快を求めて却って苦を得る体験を通じて、ついに物質欲に捉われざるに到るかの二途しかない。

 前者は自ら進んで嘗める苦行であり、後者は幸福を求めれども求めれども運命的に他動的にやってくる苦難である。

 その他に過去の悪業の自壊する過程として自己の霊的流動体に起る擾(じょう)乱現象の苦痛もある。苦難がみだりに取去られず、多くの霊魂の霊界通信が、苦行の価値を力説しているのもこの色々の理由によるのである。

     (昭和八年九月十五日神示)

           (つづく)


    平成二十四年十月六日謹写 感謝合掌 


大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《霊魂進化の神示》 ② (2269)
日時:2012年10月06日 (土) 19時02分
名前:コスモス


    《 講 義 》


  「『神の子』なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的である。現象世界とは現界、幽界、霊界を通じて呼ぶ言葉である。」


 「霊界」と言いますと「実相世界」と混同する人があるのですけれども、ここにちゃんと、その区別を分けて示されているのであります。

 現象世界とは、限界、幽界、霊界をひっくるめて呼ぶ言葉であります。そのうちの「幽界」というのは、霊魂の"低い所"が「幽界」であります。

 それからその霊魂のやや高い所を「霊界」と言うのでありまして、その霊界のもう一つ高い所を「神界」と言っていますが、それは最高級の霊界でありまして、White Spirit即ち白色の霊光を放つ霊の生活する霊圏であります。

 「幽界」というと、Red Spiritと称しまして一寸赤黒い様な鈍い光をした霊魂が棲んでいるところであります。これが幽界であって、それからホワイト・スピリットとレッド・スピレットとの中間に、Blue Spiritといって、空の青(ブルー)みたいな光を放っている霊魂がいます。これが霊界であります。

 その上にこのホワイト・スピリットの白色の霊光を放っているところの霊の世界があって、これが神界であります。

 しかしそれは宇宙に充ち満ちている遍在普遍の神様というのではなくて、一度人間に生れて来て、修行によって神格に到達されたところの個別霊であります。

 即ち仏教でいう「修行」が悟りをひらいて「仏陀」となったというような神通自在の境涯の霊魂なのであります。

(つづく)


     平成二十四年十月六日謹写 感謝合掌 


大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《霊魂進化の神示》 ③ (2297)
日時:2012年10月07日 (日) 14時21分
名前:コスモス


  「人間の運命とは『神の子』なる人間の実相(因子たね)が現象界に投影する時、時間的空間的に展開するのに、おのずから一定の順序を追うて展開して行くように大体定められているのを言う。」


 人間の運命とはどういうものか。この神示には、先ず「神の子」なる人間の実相とあって、その次に括弧して(因子)と書いてありますね。人間の実相を種子(たね)に譬えたのであります。

 朝顔の譬えをもって言えば、朝顔には種子があるでしょう。その種の中に、朝顔が二葉になってから、茎が伸び、蔓が伸び、枝が伸び、蕾が出来、花が咲く、その形が全部この種の中にあるわけであります。

 この種の中に、「精神的模型」とでもいおうか、「物質的形」にあらわれるまでの「精神的カタチ」があります。しかしその「精神的形」はどこにあるかと、種をくだいて顕微鏡で覗いて見たところが、決して見えないのであります。

 見えないけれども、あらかじめ、そういう"精神的カタチ"があるからこそ、根から吸い上げられた成分が一定の設計通りに逐次並べられて、一定の茎、葉、花の形が出て来るのですね。

 もし、そういう成分が沈着増殖することを指導して、一定の秩序ある形にならべる「指導原理」となるべき「精神的カタチ」が、あらかじめなくて、単に、土壌から吸い上げられた養分の種類の結果、偶然に或る花の形をあらわすというのだったら、

 異なる種類の肥料の施しようによっては、朝顔の種を植えておいたのに、ダリヤの花が咲いたり、藤の花が咲いたりする事になりそうなものだけれども、そういう様にならないで、

 どんな肥料の種類を施しても、朝顔には朝顔の花が咲くのは、朝顔の種子の中に、どんなに分析しても、顕微鏡で見ても分からんけれども、時間空間の世界を超えたところに、朝顔という植物の「精神的カタチ」なるものが、その始めから終りまであるのであります。

 それと同じように、人間にも、"神の子"としての原型「精神的カタチ」というものが、人間の生命の中に初めから既に「ある」のであります。

 その"精神的カタチ"を「理念」と言います。


            (つづく)


    平成二十四年十月七日謹写 感謝合掌 


大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《霊魂進化の神示》 ④ (2299)
日時:2012年10月07日 (日) 21時29分
名前:コスモス

 「理念の人間」の相が、人間の実相でありまして、それが現象世界に出て来るときに、時間空間的に展開して来るのであります。

 映画のフィルムの中の画像が巻き収められて、まだ時間空間面には出て来ないのが、スーッと解(もど)けて出て来る時に、それが時間空間的に順序を追って出て来るのと同じ事であって、それが展開して来るのに、一定の時間的順序があるのであります。

 謂わば実相界でロケーションしてフィルムにチャンと映ってあるのが、映画館で時間空間的に画面にひろがって出て来るのに、それぞれの大体定められた順序というものがあるのであって、それが所謂夫々(しわゆるそれぞれ)の人間が一定の運命を備えているのだと解釈されるのであります。


  「それは譬えば朝顔の種子の中には既に『花』の因子が包蔵されているが、それが現象界に『花』となって完成するまでには、日光に逢い、湿気に遭い、芽を出(いだ)し、蔓(つる)を出し、蕾を生じ、ついに花を開くと云うように、大体一定の順序を追うて展開するが如きである。

 斯くの如く、神の子なる実相人間も、その投影を現象界に完成するには大体一定の時間を要し、植物が日光に逢い、雨露に遭うが如く、あるいは幸福に恵まれ、あるいは逆運と戦うことによって、ついに実相人間の現象界への投影を完成するのである。」


 爰(ここ)に投影とあるのは、投影された影であります。映画の画面に映るように現象世界に映ってくるのには、色々の順序があって出て来るのであって、

 人それぞれに色々の困難な運命に遭うように見えますけれども、それは植物が色々の季節を通過し、雨露に当ったり、日光にふれたりするのと同じ様な工(ぐ)合であって、それによって「神の子」たる性質が現れて来るのだ、というのであります。

 だから、その困難を「困難」として受けとらずに、スキーやスケートや野球などのスポーツの如く、向上のための鍛錬として、自在の遊戯三昧として、その困難を受け取れば、困難が困難でなく楽しいものに変わってた来るのであります。


  「しかし、その投影が完成するには、その投影は『念波の集積』で成り立っているのであるし、人間は心の自由を有ち、自由に実相の悟りによって念波を浄め得もすれば、迷いによって念波を一層汚すことも出来るのであるから、」


 ところが、映画のフィルムなら、その映像が物質である原版にチャンと映っているのですから、一遍写してしまったら変化する事は出来ないけれども、私たちの運命の原型となるべき「心のフィルム」にある色々の画像というものは、「念波の集積」で出来ているのであって、あの写真の現像液のような薬品がフィルムに固着しているのじゃないのですから、「念波の集積」によって出来ている運命の原型たる画像は、これを自分で一層汚すことも出来ますし、その反対にそれを浄めて、もっと楽しい清らかな人生を表すこともことも出来るのであります。


              (つづく)


      平成二十四年十月七日謹写 感謝合掌 

 

大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《霊魂進化の神示》 ⑤ (2308)
日時:2012年10月08日 (月) 09時44分
名前:コスモス


  「現象世界に実相人間を顕現する過程(進化の過程)を心次第で縮めることも長くすることも出来るのである。霊魂進化の過程を短縮するのは、念の浄化による。念の浄化には、実相を悟ることが第一であり、物質欲に捉われざることが第二である。物質欲に捉われざるためには、『物質本来無し』の真理を悟るが第一である。」


 こうして「念」というものによって、我々の現象界にあらわれて来る運命の原型たる「念のフィルム」が出来ているのでありますが、

 そのフィルムにある「念の像」を浄めることによって、一層早く霊魂が進化し、あらわれ来たる運命が一層よくなるのであります。

 その念を浄めるには、どうしたらよいかというと、"実相を悟る"ことであります。

 それですから日々聖典を読誦して、更に神想観をして、人間の生命というものは、神の生命であるということを悟ることが第一であり、それから、

 一切は神の愛と智慧との表現であることを知ってそれに感謝し、物質は本来無きことを知って、物質欲に捉われないことが、第二の必須条件であります。

 物質というものに捉われると、「物質は有る」という観念が、強く潜在意識に印象されて来ることになります。

 そして「物質は有る」という観念が潜在意識に強く印象されますと、実相の完全な相が見失われてしまうことになるのであります。

 物質に捉われた場合、「吾は豊かである」と言えば、天の恵みが豊かであり、自分の生命が豊かであるということに気がつかないで、自分の領有する物量が豊かな事だと思い違えて、

 物質の奥にある"冨"の"正味"ともいうべき神の恩寵を尊ぶ心を忘れてしまうようなことになります。だから物質に捉われない心になることが、霊魂を進化さすための第二の必須条件であります。

 それには、物質本来無しということを知らなければならないのであります。


   「『物質本来無し』の真理をさとる程度に達せざる者には、物質の快に捉われざるための修行として、自ら苦を求めて喜ぶか、物質に快を求めて却って苦を得る体験を通じて、ついに物質欲に捉われざるに到るかの二途しかない。」


 このように「物質本来無し」ということを悟るのは、霊魂進化の必須条件でありますが、まだ幼稚な霊魂であって、「物質本来無し」という真理を中々さとり切らない霊魂が、その真理を悟るためにはどうしたらいいかというと、

 其の一つの方法は、物質をなるべく無くして、肉体というものが、触れて快く、有って楽しき物質になるべく触れず有たぬことにして、物質に触れる快感の記憶を無くすることであります。

 物質による快感というものを求めるという習慣がつきますと、物質というものがあればあるほど愉快だということになって、益々物質に対して執着するようになり、そのために愈々(いよいよ)「物質無し」ということが分らなくなって来るのです。

 それですから、肉体のあらゆる快楽を拒絶する「苦行」というものを選んで、自己の霊魂の進化向上をはかろうとする健気な霊魂もあるのであります。

 即ち自らすすんで肉体に物質的快楽を与えないばかりか、時には肉体に快楽を与えないばかりでなく、逆に苦しみを与えることによって、肉体的欲望を超克するために、断食をするとか、水行をするとか、その他いろいろの苦行をやって、自分の魂を浄めるということが、今迄、動(や)もすれば行なわれていた訳であります。

 これは諸方の宗教で苦行というものが必要だと認められているのはそのためであります。それで釈迦牟尼仏もやっぱり発心の最初の頃には苦行をせられたのであります。

 六年間もウルビルワーの苦行林に入って、断食に等しいような生活をして苦行をされた。その六年にわたる苦行の後に始めてそこから、「苦行は悟りの因にあらず」という悟りが出て来たのですから、やっぱり苦行が悟りの遠い原因らはなっているわけであります。

 霊魂が或る高さまで進歩するまでは、その進歩向上のためには、苦痛を必要とするのであります。それですからキリストも、四十日四十夜、ヨルダン河で禊をして、その魂を浄められた。
それは一種の苦行であります。

 そして、魂の浄化の最後の段階に於いて、迷いの自壊作用の具象化としてサタン(悪魔)というのが現れて来て、イエスを誘惑した。

 釈尊も六年苦行の後、尼蓮禅河畔の菩提樹下に端坐していると、悪魔波旬というのが出て来て、物質欲や肉体欲の満足を提供して色々と誘惑した。

 いずれも「サタンよ去れ」「悪魔よ去れ」という訳で、キリストでも釈迦でも、その誘惑を突き抜けられた。

 そしていよいよ、人間は物質によって快楽を得るところのものじゃないのであるということを宣言されたのであります。


           (つづく)


     平成二十四年十月八日謹写  感謝合掌 



大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《霊魂進化の神示》 ⑥ (2318)
日時:2012年10月08日 (月) 13時55分
名前:コスモス


 即ちイエスは「人はパンのみにて生くるにあらず、神の口より出ずる言葉による」とこう言われています。これが悟りを開かれた第一声であります。

 「人間は神の言葉が生命となって、ここに生きているのが本当の人間なんだ。神の生命"こそ"人間である。仏の生命"こそ"人間である」という悟りに到達されたその悟りの表現であります。

 釈尊が悟りをひらかれたときには「有情非情同時成道。山川草木国土悉皆成仏」と悟られて、「人はパンのみにて生くるに非ず」という人間一個の悟りだけではなく、有情も非情も、みな仏の「いのち」によって生かされていると悟られたわけであります。

 こういう悟りの境涯に到達するには、肉体を喜ばすということによって、物質に対する執着力を増大さしておったのでは駄目なのであります。

 美味に舌鼓を打って、女の美しい姿態を見て、「ああ物質ぐらい快いものはないな」「酔っ払ってからの気持も、又捨てがたい好い気持だ」「ああ女と遊ぶのは楽しいな、美しい女の顔を見ていると嬉しい」などと思って、物質や肉体に執着している限りは、なかなか「肉体無」「物質無」の悟りには到達致しませぬ。

 それで生長の家の講師は地方へ講義や講演会に行きましても、酒を飲まぬようにまた飲ませぬように頼んであるのであります。或る時一人の青年が特飲街に遊びに行って、段々やめられなくなり、六十万円も親の金を持ち出して費(つか)ったらしいけれども、

 その結果は、楽を求めて却って苦しみを得て、その苦しみを逃れるために、ヒロポンを打ったら、それがまた苦しみの因になったと告白されましたが、このようにして物質というものは、、永遠の喜びというものを人間に与えるものではないんだということを、体験さすように自然になっているのであります。

 自然に、こういうようになっているのはやっぱり其の人の守護神が導いてくれているのであります。

 守護神というのは、皆さんが生れた時に、皆さんを守護するために産土神から命ぜられて、守護するために生涯導いている、皆さんの祖先の霊の中での秀れたる方々であります。この守護神が吾々を暗黙の間に導いてるのです。


             (つづく)


      平成二十四年十月八日謹写 感謝合掌 



大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《霊魂進化の神示》 ⑦ (2328)
日時:2012年10月08日 (月) 20時19分
名前:コスモス


 私たちは自由を与えられていますから、守護神の波長に合わんときにも、あまり強制力を用いて私たちは正道に引き戻されるということはありませんけれども、

 もういよいよ行き詰まって何とかせんならん、という時になると、守護神が一寸、生長の家のパンフレットを見せたり、何となく何処かの講演会場に行きたくならせて、

 誰か講師の話を聞かせて見たりして、自発的に「ああそうか。やっぱり僕の考え方が間違っていた」などという気持を起させたりするのであります。

 そして物質というものに、本当の快楽を得ようとしても、結局はその快楽は苦しみに変わるものだという真理を、自分の今までの行為と教えとに照らし合わせて見て、悟らして戴くという事になるのであります。

 そういうようにして、吾々は神の子なる本来を悟る。それに到るためには、いろいろ紆余曲折がある。だまされることもあれば、迷うこともある。

 その迷いというのも高山に登るジグザグ・コースみたいなもので、色々の順序でやっぱり、登っているのに間違いはないのであります。

 一直線に富士山の頂上に行かないで、いろいろと九十九折(つづらおり)の道をあべこべの方を向いて行ったと思うと"こっち"へ向いて、そして結局、頂上に行くように、私たちの霊魂の進歩も、こういう風にして必要に随って、そういうことになっているのであります。

            (つづく)


      平成二十四年十月八日謹写 感謝合掌 


大聖師 谷口雅春先生御著 『神ひとに語り給う』神示講義 教えの巻 《霊魂進化の神示》 《完》 (2329)
日時:2012年10月08日 (月) 21時05分
名前:コスモス

 
  「前者は自ら進んで嘗める苦行であり、後者は幸福を求めれども求めれども運命的に他動的にやってくる苦難である。」


 それでみずから進んで苦行を嘗める霊魂はある程度、意識的に「肉体の無」を知り、肉体を否定せんがためにやっているので、高級霊でありますが、

 いくら幸福を物質で得ようと思っても、却って苦痛ばっかり出て来るというので、始めて心の向き更りが出来るのは、まだ自ら、肉体の否定が意識的に行なわれないので、それに達する過程として、守護神から課せられている学科のようなものであります。

 
   「その他に過去の悪業の自壊する過程として自己の霊的流動体に起る擾乱現象の苦痛もある。」


 ところが人に苦痛があらわれるのは、過去の業が消え行く姿としてあらわれてくる場合もあります。

 業というのは、心の波が潜在的エネルギーとして蓄積されているのでありまして、本来のこの清らかなる「実相」の上に過去の心の波が溺(から)みついているのであります。

 それが吾々の「霊的流動体」(霊体であります)の本来の「神の心の波」(実相)で出来ている完全の体を汚しているのです。

 その迷いの心の波が霊体に焦げつくように"へばり"付いているのが、一つ一つ順次はずれて行くときに、一種の破壊的な振動が起る、これが自壊作用であります。

 その時に所謂「擾乱現象」というものが起って、病気とか災難とかいうものが出て来ます。

 それは例えば、髪の毛がくしゃくしゃにもつれているとすると、それを梳(くしけず)ると、うまく櫛が通らないで、毛が抜けるという事があるみたいに、

 或る破懐的作用みたいなものが起りますが、それが却って頭髪のためによい。それが頭髪の浄められる働きであるようなものであります。

 こうして業の自壊作用として、苦痛が出て来ることもあると示されているのであります。



   「苦難がみだりに取去られず、多くの霊魂の霊界通信が苦行の価値を力説しているのも此の色々の理由によるのである。」


 こういう訳でありますから、根本的には、神は人間に苦痛を与えることを欲したまわないから、苦行は必要ではありませんけれども、現象的に言いますと、霊魂進化のある過程としては、必要な時代があるのでありまして、

 低い幼稚な霊魂では、たとえば「赤ん坊」の時期には、甘やかして、温かい夜具の中で育てられて、苦しみは与えられないと同じように、ただ無性に快楽だけを追求する時代がありますが、

 少年期、青年期になりますと、色々勉強するために、宿題を与えられたり、難しい学科を与えられるように、苦行を追求する時代が来るのであります。

 更にその時期を卒業しますと、学校を卒業して、自分の好きな生活を楽しみながら、生活が向上して行く時代が来るように、最高級の霊魂になりますと、自己の向上のためには苦痛がなくなりますが、

 今度は他の人々を救うための菩薩行として、高級霊もまた他のために苦しむのであります。


            《完》

    平成二十四年十月八日謹写  感謝合掌 




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