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天皇即大宇宙一体の理念 (2288)
日時:2012年10月07日 (日) 05時01分
名前:伝統

天皇即大宇宙一体の理念①

   *「精神文化全集第12巻」『谷口雅春選集』(昭和16年、潮文閣)より

私は自伝篇『超宗教を建つるまで』に書いたように『心で人生を支配する』思想の種子が
私の心に蒔かれたのは私が早稲田の文科にいた頃に読んだオスカー・ワイルドの芸術論で
あった。

オスカー・ワイルドは私に『芸術は人生に先立つ。』『人生は芸術を模倣する』と云うことを
最初に私に教えて呉れた最初の人であった。

彼は、人生よりも芸術の方が真であり、人生は芸術の模倣である。
換言すれば人生の『真』はコトバであり『現象の人生』はコトバの反影(リフレクション)で
あると説いたのである。

イプセンの書いた戯曲『人形の家』に新しい女ノラが表現されて日本へ輸入されると
幾多のノラ張りの『新しい女』が日本に輩出したことは吾等の記憶に左程遠くないことである。

当時流行の『新しき女』なるものは、所謂る『新しい』と云う形容詞が冠せられたが、
何等新しいものではなく、イプセンの『言葉の芸術』の反影(かげ)でしかなかったのである。

日本でも所謂る新しい文士達が新しいタイプの女性を小説に書くと、その種類の女性が、
家庭や銀座街頭に百鬼夜行の現象を呈したことがある。彼らは『新しい』と見えるだけで、
ただ文章に描かれた人物の傀儡にすぎなかったのである。

やがて、所謂マルクス・ボーイやマルクス・ガールが、人生の新しい救済者顔をして登場したが
これらはマルクスの著書にあらわ思想の言語魔術におどらされた傀儡に過ぎなかった。彼等は
新しいどころかマルクスの理論(コトバ)の反影であり、幻影であり、幽霊であり、亡者で
あったのである。

所謂る『新しい』とか、『流行児』だとか称せられるものは悉く真に新しくもなければ、実在性
もないのものである。『新しきもの』が其名の如く陳(ふる)くなり、忘れられ、一層新しきもの
に取って換えられるのは、本来それが実在性のないものであったからである。

従って、真に実在性あるものは、古くして常に新しきものでなければならない。
それは神話の中に見出される『民族の理念』である。それは移り易(かわ)るところの表層の
新しさでなく、常に腐らないで混々として湧き出る地下水の如き根本的なるものである。

移り易る新しいコトバの魔術によって、表層を左右されていた日本民族も、時局の激しい震動の
ため、その外来的表層が剥落して、もっと深いところを流れていた『日本民族の理念』が、
『日本神話』の理念が、古事記の理念が復活して来たのである。

神話を単なるお伽譚だと見るのは大変な間違いなのである。

イプセンの思想は、現実(かげのよ)の『新しき女』よりも『真』であるが尚それは外来の
ニセモノであり、”あと”から附加えた余所(よそ)のものであるが、

神話は其民族に本来ある思想 ―― 民族の本質をなしている実相であり、理念である。

外来の表層を蔽うところの、イプセンやマルクスの思想は、それは思想と云い得るかもしれぬが、
それは理念と云うには足らぬ。それは妄念であり、妄想である。

日本古来の神話こそ本来アルモノ ―― 神定(かんさだ)められたる固有の理想 ―― 
神の定められた規範、則(のり)、コトバ ―― 理念なのである。

これこそ民族の血、民族の本物、”あと”から造りたる所謂新しい言語魔術ではなく、
実在界に既にある理念 ―― 神のコトバなのである。


では、日本神話の語る日本理念は凡そ如何なるものであるか、

それは『漂える国』を一つの中心に『修理(つくり)固成(かためな)す』ところの理念であることは、
天津神が伊耶那岐、伊耶那美命に下したまえる『修理固成の神勅』に於て明かである。

而もその『漂える国』とは、日本を離れたる対立国家にはあらずして、古事記はその冒頭に、
大宇宙(たかあまはら)即天之御中主大神、天之御中主大神即大宇宙の 天皇即大宇宙一体の
雄大さはきまわりなき宇宙観国家観を述べているのである。

(古事記原文の「高天原に成りませる神の御名は天之御中主大神」とある「高天原」とは
大宇宙であり、成るとは宇宙に鳴り、満つる意でその大宇宙即天之御中主大神の意である。)

(天皇即大宇宙一体の理念②へ続く)

<関連スレッド:「精神文化全集第12巻(谷口雅春) (1030)」
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=252 >

           <感謝合掌 平成24年10月7日 頓首再拝>

天皇即大宇宙一体の理念② (2538)
日時:2012年10月17日 (水) 04時45分
名前:伝統


此の 天皇即大宇宙一体の日本民族の魂の奥底の叫び、日本民族の神話(現象智以上の実在)
日本民族の理念は、それが真に不滅無窮久遠を一貫した原理であって、一夜造りのお伽譚では
ないが故に、天照大神の天孫降臨の神勅とあらわれ、神武天皇の八紘一宇の神勅となって顕現
して、終始一貫、少しも渝(かわ)ることがないのである。

これこそ真に古くして常に新しく、常に日本民族の魂の中に、血の中に、新しき相を以て顕現
して止まざるところの、久遠無窮の、久遠無窮なるが故に常に新鮮なるものであり、日本の
歴史を通して当に萌え出でて止まず、今、興亜の大聖業となりて、全世界を変貌しつつある
ところの、偉大なる力の源泉であるのである。

此の日本神話を語る漂える国を修理固成する理念は既述の如く『漂える国』と『修理固成する
能作者』とが相対的でないところに特長があるのである。八紘は宇宙創造の原始(はじめ)から
既に一宇であり一体であり、理念に於ては『既に成れる状態』であったのである。

他国を併合し、征服して一体となるところの協同体ではないのである。
日本の理念は決して協同体の結成ではなく、はじめから一体たるところのものが本に返って
手を繋ぐことである。

中心帰一である。一つの中心、一つの生命、一つの幹より出でたる千生り瓢箪が、
八方に伸展し、八方に膨張していたのが、その生命の根元を知りて中心帰一すること
なのである。

近時、蓑田胸喜氏の『昭和研究会の言語魔術』なるパンフレットを読み、
氏が日本学の大家であるだけに、

昭和研究会が作成せる日本理念を協同体にありとする所謂る新哲学を駁撃し、
日本の理念は宇宙と倶に存して久遠悠久たるものであって、
新哲学の樹立などの必要なきことを喝破せられたるに共感するところ深く、
ここに余の豫て抱懐するところを開陳して敬意を表するものである。

(天皇即大宇宙一体の理念③へ続く)

           <感謝合掌 平成24年10月17日 頓首再拝>

天皇即大宇宙一体の理念③ (3271)
日時:2012年11月06日 (火) 04時53分
名前:伝統

附言

近頃『理念』なる語が本来の哲学的意味を離れて単なる指導精神とか、原理とか、観念とか、
未来への待望とか云う意味に於て通俗語として用いられているが、

これは私が『理念のための戦争』と題して事変勿々『いのち』誌に書き、その後論文を
『いのち文庫』のパンフレットにして大衆に大部撤布せる結果、哲学用語が通俗用語となった
のであり、

その通俗化の過程に於て、本来の意味を知らぬ人たちが単なる精神とか、観念とか、指導精神
とか指導理論とか云う意味に使い出して言語の混乱を極めるに至ったのである。

従って人の書き又は論じている文章を観ていると、共産主義の理念とか、国家社会主義の理念
とか、蒋介石の理念とか・・・途方もない理念が飛び出すが、天地にひと筋に一貫せるものが
理であるから理念と云うものはそう種々雑多に沢山あるものではなく、また、段々未来に進歩
して行くものでもない。

昭和十五年十一月初旬、文学博士中村孝也氏が『国史の精神』と題するラジオ放送で、未来に
変易するものとして『理念』を定義されたのを私に思う。

種々雑多に沢山あったり段々進歩するのは甚だ遺憾雑念妄念に過ぎないのである。

共産主義の”雑念”国家社会主義の”妄念”、蒋介石の妄想・・・と云う風にそれは表現せらる
べきものであって、それを誤って『理念』と表現するすることになれば大なる価値の顛倒を惹起
し、大衆をして著しき誤謬に陥れるものであるのである。


理念とは日本神話の本質をなす本質、宇宙に”既にある”もの 天皇即大宇宙の本来一体理念で
あり、天皇国土臣民の本来一体の理念であって、伊太利から輸入して来た如き協同国家の理論
でもなければ『マイン・カンプ』に於て”国家を手段也”と公言したところのヒットラーの
共栄圏理論でもない。

斯くの如き功利や経済的理由に根拠する相対的イデオロギーは、いずれも絶対の理念ではない
から相対的経済理由などが消滅してしまったときには変易したり消滅したりするのである。

ヒットラーの理論なども民族純粋の哲学から、民族の不純粋でも共栄すれば好いとの共栄圏理念
に迄変易して、** 血の純粋の哲学は色が褪せ、ローゼンバックの『二十世紀の神話』など
もあまり表面に出なくなったのである。

”新しく”創作された『二十世紀の神話』はその”新しき”が故に、それは他の一層新しき
御都合主義のものにとって換えられるのである。変易し消滅し、移り変わるものは終始一貫せ
ざるが故に、これは理念と云わないのである。

日本の神話はそれは”久遠そのもの”日本民族の魂の叫び、魂の本質、實相の表現であるが
故に、何ら新造のものでなくして”常に久遠に新しき”ものである。

最近某真宗信徒が、神仏別異論を唱えて、日本の神のほかに『仏』と云うようなものがある
かの如く言い触らし、吾等に日本主義陣営に旺んに食ってかかっているものがあるが、

日本の神、天之御中主神は大宇宙そのものを、自己のうちに包容してい給うが故に、
日本の神”のみ”あって、外国の『仏』などと云う、治外法権的な外国教権の存在は断じて
無いのである。

名称を『仏』とつけようが『神』とつけようがそれによって治外法権的な外国教権の存在を
認めて貰おうなどと云う卑屈な策略はやめるが好い。

若し『仏』などと云う教権の存在を日本の神以外にあると認めるならば、
大宇宙を蔽いたまう日本の神、天之御中主神の絶対性を犯し奉り、天之御中主神の宇宙の外
に『十萬億土の彼方の世界・仏の世界』を認めることとなるのである。

天之御中主神、天照大御神 天皇は絶対に一体にましまして、三体即一の宇宙大教主にまします。
苟も『仏』に教権やその説法に真理があるならば、それは月が太陽の光を受けて照るが如く、
天之御中主神の光を反映して輝いているに過ぎないのである。

だから神仏本来一つの光なのである。

是が生長の家の万教帰一論であり、本地日本垂迹他国論である。

死んでからの世界を救う仏と云うものがあり、神とは別であると云う神仏別異論の如きは、
夜の世界を照らす照らす月は太陽の光を受けないで輝いているので、月は太陽と独立した
存在であると云う説を立てると同様の妄論である。

最近、全仏教及び全基督教の合同運動が行なわれんとしつつあるが、神仏別異の論を説いて
その全仏教や全基督教が 天皇信仰にまで脈略を得るべき架橋を打ち落とそうとしている」
非国民があるのは甚だ警戒すべきことである。

今迄『十萬国土の彼方の治外法権的世界』を説いていた真宗の提灯持をしていた彼等が、
日本主義の確乎不抜の堅陣に向つて、『生長の家は日本の神を知らぬ』などと云う悪罵を
あびせかけれのは、他に対して『あいつは日本精神でない』と叫号さえしていれば、
ひとかど自分自身が日本精神的にみえるが故のカムフラージ手段に過ぎないのである。

自己防衛自己欺瞞のために日本精神を叫ぶ者の思想的歴史を検討せよ。
付焼刃や鍍金を本物と思ってはならないのである。

時代世相は益々怪奇複雑になり行くから愈々益々警戒を厳重にしなければならぬ。


(天皇即大宇宙一体の理念 完了)

           <感謝合掌 平成24年11月6日 頓首再拝>



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