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愛国さんの掲示板? (2358)
日時:2012年10月09日 (火) 20時19分
名前:よりどころ


私のパソコンだけ?

愛国本流さんの掲示板が閲覧できませんが私のパソコンだけでしょうか?

皆さんは閲覧できますでしょうか?

合掌

見えません (2359)
日時:2012年10月09日 (火) 20時24分
名前:半会員

見えませんね。
この掲示板の立ち上がり時を思い出す。

愛国本流掲示板の管理人さん、どうか理由を説明して下さい。 (2402)
日時:2012年10月11日 (木) 08時14分
名前:元幹部役員


本当にどうしたのでしょうか?

゛指定されたページは存在しません゛

になっていますね・・・

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/hikarinomi.html

管理人さんどうして開かなくなったのか
光明掲示板にて理由を説明して下さい。

皆さん心配していますので・・・

どうか宜しくお願い申し上げます。

愛国本流さんの掲示板の管理人様 (2415)
日時:2012年10月11日 (木) 10時50分
名前:全く同感


愛国本流さんの掲示板の管理人様

合掌

掲示板見られなくなり心配しています。

トラブルの過程を光明掲示板を借りて説明してくださると
安心します。

復旧を待っております。

祈っています。    合掌


創造の選択は人間に委されている (2683)
日時:2012年10月22日 (月) 19時29分
名前:伝統

「生長の家”愛国本流宣言”掲示板」が消えて2週間程度になります。

この先の状況は全く不明ですが、その復活を心より願いながら、
生長の家”愛国本流宣言”掲示板に掲示された情報の一部を、
このスレッドにて紹介して参ります。
(時系列的には、順不同となりますことをお許しください)

紹介する内容ついては、谷口雅春先生が説かれた真理の言葉が中心となりますが、
それ以外で大切な事項についても対象としております。

なお、生長の家”愛国本流宣言”掲示板が「復活」した時点で、削除する予定です。

・・・
◆「創造の選択は人間に委されている」◆ (1116)
日時:2012年09月23日 (日) 09時14分
名前:聖句

     生長の家創始者 谷口雅春先生

宇宙は大自然の創造してやまない力が満ち満ちている。

人間は生まれるまでは、大自然は自己みずからの想念の形に、
大自然の姿を造講して来たのであるが、

人間が神の創造力の自覚的意識的発想の中心として出現して来て以来は、
聖書は「審判は子に委ねられたり」とイエスは云っているのであるが、

宇宙の創造力をどんな形にあらわすかは、
人間(神の子)が出現して以来は、人間にその「想念」(創造の模型)の選択力が
与えられていると云う意味である。

自己自身の想念の相に自分の身辺の事が作られ、
自己自身の想念が選んだ通りの形に宇宙の創造力は働いてくれるのである。
爰に於て人間は宇宙の創造力の主人公となったのである。

宇宙にエネルギーが充ち満ちているのであって、
人間がエネルギ^を創造するのではないのである。

人間はそのエネルギーを物質化して自己の想念する位置に配置するのである。

人間は自己の欲する位置に必ずしもそのエネルギーを配置することは出来ない。

それを欲する位置に配置するのは、心の方面では心の法則に従わねばならないし、
物質の方面では物質の法則に従わねばならない。

尤も物質の法則を探求し、それを利用するのも心の力によるのであるから、
人間は物質両面に於ても心によって運命の支配者となるのである。

善き想念を意志強く持続し、そこから自然に動く叡智を意志強く実践して行く者が
人生の勝利者となるのである。

            「幸福を招く365章」より

「人間神の子」という「中心自覚」が生長の家の「根本自覚」 (2709)
日時:2012年10月23日 (火) 06時31分
名前:伝統


「人間神の子」 中心自覚こそ、生長の家の第一。 (934)
日時:2012年09月11日 (火) 08時24分
名前: 山川草木国土


「生長の家」の御教えとは「人間は神の子である」ということである。

その「人間神子」を伝える事を「人類光明化」運動という。
人類光明化がすすめば、「環境保全」もすすむのである。


いくら「環境問題」に取り組んでも、そこに「神の子の自覚」が伴わぬため、

1億円かけて取り付けた太陽光パネルで、10年間に3千万円浮いたといい、
10年後また1億円かけて使用済みパネルを廃棄し、環境負荷をかけて、
また1億円かけて・・いう無駄をしたりするのである。

また、その環境報告のための監査に仕事の時間を割いて
報告書のペーパー数が3倍になったりという「錯誤行為」となるのである。

これらの錯誤行為は、「神の子」の自覚の欠如から来るものと思って間違いがない。


下記の谷口雅春先生の「真理の言葉」を参照されたい。

・・・

  「人間神の子」の真理こそ、生長の家の根本の「御教え」である。

人間(ひと)は神の子である。
これが「生長の家」の主張する根本自覚で、この自覚を「中心自覚」と申すのであります。

なぜこの自覚を「中心自覚」と申しますかといいますと、この根本自覚は円の中心のような
ものであって、この中心から外的な一切の善きものが流れ出でるからであります。

この根本自覚が完全であればあるほど、この根本自覚が強烈であればあるほど、
われわれに発現する知恵はいっそう明らかとなり、愛はますます深くり、生きる力は
いよいよ豊富となり、万事における能力は層一層旺(さかん)となるのあります。

神われに在(い)まし、われ神の内あるがゆえに、
すべてのこと、あらゆること、われに不可能なるものはない。

これが「中心自覚」でありまして
「不可能という言葉取り去れ」
これが生長の家の生きかたの最初の第一であります。

       (「生命の實相」頭注版第5巻23頁)

「日本人はすごい!!」 (2746)
日時:2012年10月24日 (水) 06時10分
名前:伝統


「日本人はすごい!!」(発明編) (950)
日時:2012年09月12日 (水) 07時41分
名前:愛国発明家


「日本人はすごい!!」


日本人が発明した物

●乾電池
●エサキダイオード
●ネオジウム磁石
●青色ダイオード
●胃カメラ
●光ファイバー
●八木アンテナ
●マイクロプロセッサ
●インスタントラーメン
●レトルトカレー
●インスタントコーヒー
●ブラウン管テレビ
●ウォシュレット
●シャープペンシル
●カラオケ
●自動改札機
●CD
●VHS
● オートフォーカス
● 青色LED。CD(ソニー)
● CDーR(太陽誘電
● CVCC(本田シビックに搭載された環境エンジン)
● デジカメ
● DVD(松下)
● エレキギター
● ファックス
● フラッシュメモリー
● ハイブリッドエンジン
● アイスノン
● インテル4004(世界初のCPU。設計者が日本人)
● ラップトップコンピューター(東芝開発膝に乗るパソコン)
● LSI
● MD
● ニュートリノ
● プラズマ・ディスプレイ(日立)
● ロータリーエンジン
● SACD(普通のCDより高画質)
● テトラポッド
● ウォークマン(ソニー)
● ワープロ(東芝)
● アルミパック食品
● 改良胃カメラ
● 液晶ディスプレイやモニター(シャープ)
● つり銭の出る自動販売機
● 書いた字が消せるボールペン
● カードシステム
● カッターナイフ
● 缶コーヒー
● 乾燥粉末アルコール(風味調味料)
● 魚群探知機
● グルタミン酸ナトリウム(味の素)
● 新幹線
● 光造形技術(原理の発明は日本人。特許未請求)
● サッカーボール
● 自動車用エアバック
● 養殖真珠
● 水晶発振のクォーツ時計
● 水力発電
● ステルス機の電波吸収剤(TDK)
● 洗濯機の屑取り
● 世界最薄避妊サック
● 世界初のLSIコンピューター(富士通)
● 全身麻酔薬
● ソーラーシステム
● バイキング
● 破傷風・ジフテリア血清治療
● ビタミンの発見
● パソコンの圧縮ソフトのアルゴリズム開発
● 病院にMRI検査機
● RPG
● フェアリードール
● フロッピーディスク
● 光ファイバー(発明:日本人。量産化米国コーニング社)
● ヘッドカバー
● 防犯セキュリティーのための警備システム(SECOM)
● 文字変換システム
● 焼肉用無煙ロータリー
● 人工心臓
● 留守番電話
● 炭素繊維
● 地下街
● 超鉄鋼
● 炭ソ菌予防ワクチン
● 中間子理論
● 旗を持ってのツアーガイド
● 使い捨てカメラ
● 電気自動車
● 電気炊飯器
● 電子ライター
● 誘導性ポリマー
● 電波時計
● トレハロース
● 温水洗浄便座(TOTO)
● 同時送受無線電話機


  ちなみに・・世界各国の特許使用料黒字国と赤字国

■2011年 世界各国の特許使用料 黒字国 TOP10

1位 アメリカ △721億3300万ドル
2位 日本 △79億1200万ドル
3位 イギリス △53億2200万ドル
4位 フランス △48億4900万ドル
5位 スウェーデン △47億5000万ドル
6位 オランダ △17億8300ドル
7位 ドイツ △13億3400万ドル
8位 フィンランド △11億0500万ドル
9位 パラグアイ △2億5200万ドル
10位 ベルギー △2億3500万ドル


■2011年 世界各国の特許使用料 赤字国 TOP10

1位 アイルランド ▲355億7000万ドル
2位 シンガポール ▲139億9100万ドル
3位 中国 ▲122億090万ドル
4位 韓国 ▲58億1900万ドル 
5位 カナダ ▲48億5100万ドル
6位 台湾 ▲44億8300万ドル
7位 ロシア ▲44億4100万ドル
8位 イタリア ▲33億820万ドル
9位 タイ ▲29億3100万ドル
10位 ブラジル ▲24億5300万ドル


   すごいぞ、日本。

尖閣竹島周辺から、人類史上最大の地下資源も確認されているし・・

あとは、「生長の家」を、左翼勢力から奪還したら、日本は「更に素晴らしくなれる・・。」

「<実相顕現>でありますよ。」 

伝統さんおせーて (2756)
日時:2012年10月24日 (水) 07時58分
名前:山川秋桜

竹島で馬鹿にする隣の国やその隣の大きな国には発明はないのでしょうか。
特許使用料赤字国では3位、4位に支那や南鮮が出ていますね。

なおついでと言っちゃ叱られるが、ノーベル賞受賞者数は如何でしょう。

”山川秋桜 さま” ありがとうございます (2761)
日時:2012年10月24日 (水) 08時44分
名前:伝統

”山川秋桜 さま” ありがとうございます。




>竹島で馬鹿にする隣の国やその隣の大きな国には発明はないのでしょうか。
>特許使用料赤字国では3位、4位に支那や南鮮が出ていますね。

 両国に、発明がないわけはないでしょうが、
 発展途上にあるため、国家間の特許使用料収支に大きく寄与していないと思われます。

 (過去の日本も、発展途上国時代では、同様であり、海外から揶揄されておりました)


>ノーベル賞受賞者数は如何でしょう。

以下のWebにて、ご確認願います

  国別のノーベル賞受賞者- Wikipediajcom_O_organic_01.gif
  →http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%A5%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85


<他の参考Web>

 ①国別・分野別 ノーベル賞受賞者数
  http://sangakukan.jp/top/databook_contents/2009/3_others/4_nobel_prize/pages/2009_80/2009_80.html

 ②ノーベル賞の数、アジアではダントツ日本が一番!で、お隣の中国や韓国って一体・・?
  http://okwave.jp/qa/q3670046.html

 ③日本は技術貿易黒字国(OECD加盟諸国の中で1位)
  ~韓国と中国の状況もこのWebで紹介されております。
  http://tomisia.blog49.fc2.com/blog-entry-2780.html

以上です。

「吾が理想とする青年とは」 (2803)
日時:2012年10月25日 (木) 04時47分
名前:伝統

「吾が理想とする青年とは」 (1100)
日時:2012年09月22日 (土) 18時51分
名前:聖句

「吾が理想とする青年とは」

 ・・・善念のみを放送するように
      しなければなりません。・・・・


     生長の家創始者 谷口雅春先生

陰鬱な感情、暗黒な想念、激しい言葉、反感、悪意、嫌悪、嫉妬、猜疑・・・
これらのものは周囲に破壊的波動を及ぼすものでありまして、
人間はどんな時にも朗らかでなければならないのです。

自分と云うものをもっと尊びなさい。

自分と云うものを、孤立したものだと考えるから無責任にも、
自分の心くらいどう持っても好いじゃないか ー などと考えることになるのであります。

自分の想念感情と云うものが全世界を動かしていると知るとき、
決して無責任に自分の心を暗く陰鬱なものにできないでしょう。

あなたは「全世界」号と云う飛行機を操縦しつつ無辺の空間を走る航空士のようなものです。
あなたの心の舵のとり方で、「全世界」号が安全に平和地帯に着陸出来るか、
三原山に激突して粉砕するかがきまるのです。

そう考えるとき、あなたの使命はまことにも重大且つ雄渾きはまりなきものとなるではありませんか。

凡そ「生長の家」人たるものは、みづからを「全世界」号のパイロットと考え、
一瞬一刻と雖も注意して、善念のみを放送するようにしなければなりません。
斯くの如き青年こそ吾が理想とする青年であるのです。

          『真理』第4巻青年編 120p

伝統さんありがとうございます (2805)
日時:2012年10月25日 (木) 07時51分
名前:山川秋桜


伝統さんありがとうございます。

アジアでのノーベル賞はまさにダントツですね。
私の好きでない大江なんて人も受賞していますが。

日本がんばれ。

日本の底力 (2850)
日時:2012年10月26日 (金) 04時56分
名前:伝統

”山川秋桜 さま” ありがとうございます。




日本の技術革新は、本当に素晴らしいですね。

対中国関連では、次の記事があります。

「レアアース生産停止に追い込まれた中国の誤算
 ~中国からの輸入を2年で1/4に縮小した驚異的な日本の技術革新」

2010年レアアース

(1)総輸入量     28564トン
(2)中国からの輸入量 23422トン(全体の83%を中国から輸入)

       ↓

2010年、中国は、尖閣諸島沖漁船衝突事件で、対抗措置として対日輸出を規制した。

       ↓ 日本は、技術革新と調達先開拓で対応。

2012年レアアース(1~6月実績値で年間を推定)

(1)総輸入量     12204トン(10年比43%)
(2)中国からの輸入量  5980トン(全体の49%を中国から輸入)


 この2年で、日本は中国以外の輸入国を増やしながら、徹底的な技術革新で
 レアアースの輸入量そのものを大きく減らし、中国のシェアを大きく下げることに
 成功しています。

 
 <Web → http://blogos.com/article/49077/ >

生学連使命曲 (2878)
日時:2012年10月27日 (土) 04時30分
名前:伝統

11番まで、ありましたね。確かに・・。 (1111)
日時:2012年09月23日 (日) 00時59分
名前:光☆星

生長の家学生会全国総連合の歌 

   ―生学連使命曲―

        谷口雅春先生作詞

(一)
ひんがしの 日のいずるくに
日のもとの ひじりのくにに
世のけがれ きよめんとして
すみのえの おおかみここに 
立ちたまう 立ちたまう

(二)
いざなみの ゆいぶつろんの
やみのくに 死のくに文化
ひろまりて 今やせかいは
ぶんれつし せんそう闘争
絶え間なし 絶え間なし

(三)
いざなみの 唯物論の
死の兵器 黄泉軍(よもついくさ)を
ひきつれて 生命(いのち)の国に
せまりくる 危機救わんと
われら起つ われら起つ

(四)
ひのもとの 実相のくに
生のくに いざなぎのくに
死の神に いまや追われて
暗と昼の(やみとひの)峠 比良坂(ひらさか)
危機せまる 危機せまる

(五)
いざなぎの おおかみ此のとき
桃の実を 三つとりたまい
死の神に なげ撃ちまう
死の神は やぶれてあとに
しりぞけり しりぞけり

(六)
桃の実は 生命の実の
象徴ぞ 東方朔(とうほうさく)の
右の手に にぎれる果実
不老の実 いのちの樹の実
あらわれぬ あらわれぬ

(七)
ひのもとの 生命の実の
てつがくを 此の世にひろめ
やみくにを ひかりのくにに
なさんとて いまやわれ起つ
使徒われら 使徒われら

(八)
いざなぎの 大神、簾(みす)を
巻きあげて い覗き(いのぞき)ませば
いざなみの 神のみからだ
うじたかり 水爆原爆
無慚(むざん)なり 無慚なり

(九)
あなしこめ しこめきくにの
文化かな ここに宇宙の
大祖神(だいそしん)御国(みくに)きよむと
たちはなの あはぎの原に
みそぎます みそぎます

(十)
たちはなの おとの言葉の
ちからにて 最後のきよめ
なさんため すみのえのかみ
今立ちぬ その使徒われら
大学生 大学生

(十一)
宇宙きよめの 神の子ら
その神の子の 中核体
われら選ばれ 団結し
生学連を 結成し
宇宙浄むと 起ちあがる
宇宙浄むと 起ちあがる
使命大なり 生学連
使命大なり 生学連

新版 生長の家 聖歌歌詞 平成十四年六月一日 初版発行

悩んでおるあなたに・・・ (2919)
日時:2012年10月28日 (日) 04時34分
名前:伝統

「悩んでおるあなたに・・・」  藤原敏之先生 (1032)
日時:2012年09月18日 (火) 14時53分
名前: 森永考星


生長の家の信徒になったら、救われるのでなくて、
逆に「悩み」が増えるのか・・・・と、笑った、他宗の方がおられたという。

生長の家人であるという事は、
「神の子」を生き、「悟り(神人一体)(自他一体)」を生きることでもある。
(「生命の實相」第一隠蔽・第二隠蔽を参照。)

下記の素晴らしい御文章を読まれて、信仰の原点に還っていただきたい。



     「悩んでおるあなたに・・・」

行詰まりや不幸は神が現われていない証拠です。

神様は遠いところにあるのではなく、
私の中にあって、常に私を守り導いておって下さることに気づかなければなりません。

神様を離れた私はなく、私を離れた神様もありません。
だから、私達は悪くなりようがないのが本当です。

悪くなるのではあるまいかと案ずるのは、
神様を抜きにして、私が一人で生きていると思い違いしておる時です。

神様に対抗する程の悪も力もありません。

私達はただ、神の前に平伏して、ありがとうございますと無条件降服する外はありません。
生きることも神様の御心なら、死ぬることも神の御心です。

私の力や甲斐性で出来ることは何一つないのです。
ただ感謝して、今を全力を出し切って生きる他はありません。

人生の目的は何ぞや。
富を得ることでもなく、名誉や地位を得ることでもなく、
本当のことを覚って迷わず、安心と喜びをもって生きることです。

池田首相も佐藤さんも、巨億の富も地位も名誉もみんな置いて、
魂だけが旅立って行かれたのです。
安心して行かれたか、喜んで行かれたか、それだけが問題です。

この世のものは、多かれ少なかれみんな預かりものです。
預かっている間だけの楽しみです。

しかし預かりものと知ることは、実生活において消極的になることではありません。
必要なものは必ず与えられることを信じて行動することです。

他人に迷惑をかけるのは神の子の生き方ではありません。
神の子は無限の可能性があり、神の導きと守りがあり、無限の知恵と力があるのですから、
思い付くままに積極的に行動すれば、必ず無限に道は開けるのです。

行きづまるのは神の子ではなく、心配するのも神の子ではなく、
必要なものは、必要に応じて与えられる生活でなければなりません。
必ずその通りになるのです。

神と常に直結し、神の知恵と力とを、
お腹の赤ちゃんが常にお母様と直結して栄養を受けて成長する如く、
常に受ける心境になることです。

それには神の無限性を信じて、ありがとうございますとの感謝を忘れないことです。
天地一切のもの、誰とでも調和することです。

神想観を怠らないことです。
これが先日の実相研鑽会の議題であります。

     『魂のめぐり逢い』藤原敏之先生著 152pより

大善来る (2951)
日時:2012年10月29日 (月) 04時49分
名前:伝統


「大悪起これば大善来る」 (1288)
日時:2012年10月05日 (金) 11時33分
名前: ウエッブ天使

< 「大悪起これば大善来る」>  『小さな人生論』藤尾秀昭著より

「苦難は幸福の門」―― というのは、倫理研究所を創始した丸山敏雄氏の言葉である。

苦難は生活の不自然さ、心のゆがみの映った危険信号であり、ここに幸福に入る門がある。

従って、苦難を忌み嫌うのではなく、
喜んで取り組み、苦難の原因になっている生活のあやまり、心の不自然さを取り去ると、
かつ然として幸福の天地が開けてくる、と述べられている。

 「大悪起これば大善来る」――

と仏法では言われている。小さなよいことは、日常の中でもしょっちゅう起こる。

しかし、大善 ―― 本当に大きなことは、こんな苦しみはもういやだと言いたくなるような、
大悪が起こった後にやって来るというのである。

耐え切れないような大きな苦しみや困難や障害がおそってきた時に、
もう駄目だと投げ出すのではなく、ここを越えれば、
必ず大善 ―― 本当に大きなよきことがやってくる、これはその前兆だと信じて、
その波を越えて行けと、仏法は説いてにるのだ。

いま国も企業も大きな困難の渦中にある。個人的に煩悩を抱えている方もおられよう。

しかし、苦難は私たち自身をさらに成長させ、
新しい世界を開いてくれようとする天の意であることを、
先知先賢の言葉は教えてくれている。

                 『小さな人生論』

   ――――――――――――――――

 「大悪起これば大善来る」関連する雅春先生のお言葉を掲載致します。


<苦痛にも感謝せよ>

苦痛は肉体の何処かに故障があるのを警告するために霊が送って来るところの信号である。
苦痛はまたその痛むところへ全生命力を集中して早く治癒に導くための信号である。

苦痛のあるところに生命力は集中し、その復旧に必要なる細胞と養分とが送られるのである。
だから肉体の何処かに苦痛が現れた場合には、その苦痛を憎んではならないのである。

むしろ其の苦痛の起こる毎に「これで私の病気は癒されつつあるのだ」と念ずるがよいのである。
むしろその苦痛に感謝せよ。

苦痛にも調和するとき、その苦痛は消滅してしまうのである。

「天地一切のものに和解せよ」と云う教えは「苦痛にも感謝せよ」と云うことを含んでいるのである。

                『眞理』實相篇96頁

<何でも受ける>

何でも起って来るものに敵意をもって立ち騒ぐことは、
発熱や、発汗や、下痢や、喀血や・・・・その他のどんなものでも増悪せしむるばかりであって、
不幸はその「起って来るもの」に対する不調和の念によって増悪されるばかりでございます。

「何でも受ける」と云う覚悟が出来た時に病気の治った人は沢山ございます。

若しあなたが病気であって治り難いのでございましたならば、
此の「何でも受ける」と云う心境が無いのではございますまいか。

「あれも嫌や、これも可かぬ」と言って素直に受ける心境におなり遊ばされねば、
心の調子(リズム)が騒がしいので神の療能(なおすちから)が働きかねるのでございましょう。

「何でも受ける」という心境におなりなさいましたならば、第一恐怖がなくなります。

恐怖と云うものは、遁れる道がまだあると思い、何とかして逃れたいと思うからでございます。

もう宣告を受けた囚人には恐怖がございませぬ。

逃走中の犯人の心は恐怖で充満しておりまする。
逃れるような卑怯はすまい、すべてを受けよう」斯う決心した時に
恐怖心は消えるものでございます。

恐怖は神経の過労を惹起こし、血液の循環を不平等にし、
血液その他内分泌中に毒素を造り、自然療能を妨げるのであります。

今日から私達は恐れないと決心致そうではありませんか。

                  『靜思集』76頁

ありがとうございます (2955)
日時:2012年10月29日 (月) 05時01分
名前:rei

合掌

ありがとうございます。ありがとうございます。

               


――ー平成四年入信の者より

天皇陛下は「神」である。。。  (3000)
日時:2012年10月30日 (火) 04時30分
名前:伝統

天皇陛下は「神」である。。。 (971)
日時:2012年09月14日 (金) 12時19分
名前:尊皇愛国の洋雄

天皇陛下は「神」である。。。


《 マッカーサーを心服させた昭和天皇 》

「…(終戦時において)陛下に対する占領軍としての料理の仕方は、四つありました。

一つは東京裁判に引き出し、これを絞首刑にする。

一つは共産党をおだてあげ、人民裁判の名においてこれを血祭りにあげる。

三番目は、中国へ亡命させて中国で殺す。

そうでなければ、二〇個師団の兵力に相当するかと怯えた彼らです。

また第四番目は、闇から闇へ、一服もることによって陛下を葬り去ることでありました。


いずれにしても、陛下は殺される運命にあったのです。


天皇は馬鹿か、気狂いか、偉大なる聖者か、いつでもつかまえられる。

かつては1万8000人の近衛師団に守られたかもしれないが、
今や全くの護衛を持たずして、二重橋の向こうにいる。…


陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。

貞明(皇太后)様は、(侍従に、)陛下から目を離さんように命じました。

じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。

九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、
マッカーサーの前に立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。

ついに天皇をつかまえるべき時が来た。

マッカーサーは、二個師団の兵力の待機を命じました。

マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、
傲慢不遜にもマドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともしなかった。

陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言われました。

『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。
私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。
絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』

――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか

――しかし陛下は続けました。

『しかしながら、罪なき8000万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、
食べるに食なき姿において、 まさに深憂に耐えんものがあります。
温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』

天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、一切の責任はこの私にあります、
絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても…と淡々として申された。

このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であったのです。

陛下は我々を裏切らなかった。

マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くようにして座らせました。

そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒーをさしあげるように」と。


マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち、

「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなものでありましたか!
私も、日本人に生まれたかったです。
陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりとお申しつけ下さい」と。


陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、
「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みがありましょうか。
重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と。

そののちマッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送ったのです。

皆様方、日本は8000万人と言いました。

どう計算しても8000万はおらなかったでしょう。いかがです?

1億の民から朝鮮半島と台湾、樺太をはじめ、すべてを差し引いて、
どうして八千万でしょうか。

じつは6600万人しかいなかったのです。

それをあえて、マッカーサーは、8000万として食糧をごまかして取ってくれました。

つまりマッカーサーは、いわゆる、陛下のご人徳にふれたのです。

米国大統領からは、日本に1000万の餓死者を出すべしと、
マッカーサーに命令が来ておったのです。

ただ一言、マッカーサーは、『陛下は磁石だ。私の心を吸いつけた』と言いました。

彼は陛下のために、食糧放出を8000万人の計算で出してくれました。


それが後で、ばれてしまいます。
彼が解任された最大の理由はそれであったというのが、事の真相です。                         


《 米が驚愕した天皇陛下と日本人 》  

『ヒロヒトのおかげで父親や夫が殺されたんだからね
旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ。

ヒロヒトが40歳を過ぎた猫背の小男ということを日本人に知らしめてやる必要がある。
神さまじゃなくて人間だ、ということをね。
  
それが生きた民主主義の教育というものだよ。』
  

昭和21年2月、昭和天皇が全国御巡幸を始められた時、
占領軍総司令部の高官たちの間では、こんな会話が交わされた。

しかし、その結果は高官達の"期待"を裏切るものだった。

昭和天皇は沖縄以外の全国を約8年半かけて回られた。
行程は3万3千キロ、総日数165日。

各地で数万の群衆にもみくちゃにされたが、石一つ投げられたことはなかった。

イギリスの新聞は次のように驚きを率直に述べた。

日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。
各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。
何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている。

イタリアのエマヌエレ国王は国外に追放され、長男が即位したが、
わずか1ヶ月で廃位に追い込まれた。

それに対して、日本の国民は、まだ現人神という神話を信じているのだろうか?


欧米人の常識では理解できないことが起こっていた。


《 欧米が驚愕した天皇陛下と日本人 その2 》
  
「ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。
私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、
イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。

殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。

だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。
だからすでにこの世におられないと思っていた。

ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。

天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。
しかも、2年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、
国民を慰めておられる。

陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、
無防備のままで巡っておられる。

平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、
厳重な守りがなされている。

それでも暗殺される王様や大統領がある。

それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が
日本の北から南まで、 焼き払われた廃墟を巡る。

国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。


いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。                
しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。

こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、
これはどこにも見られないことである。

われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。


天皇陛下が硫黄島に行かれた時、
「この島、自体が墓であるから」といい靴を脱いで上陸された。

因みに小沢一郎は普通に靴をはいて上陸した・・・

遺骨収集が完了していない地下壕跡に入るとき、
周りの案内役はそのまま足を踏み入れたが、
陛下は靴を脱いで裸足になられたという...。


天皇陛下は「神」である。。。

現人神(あらひとがみ)であるとしか、表現しょうがない・・。

このことを、生長の家人である限り、伝え続けてゆきたい。。。

命の限り、左傾化激しき「原宿教団」から、例え除名されようとも・・・。


生長の家の御教えの基本は「天皇国日本」である!!  (3036)
日時:2012年10月31日 (水) 05時05分
名前:伝統

生長の家の御教えの基本は「天皇国日本」である!! (1070)
日時:2012年09月20日 (木) 07時52分
名前:あいこく11


珍しい名著です。生長の家祭務部編集、発行の著書です。
生長の家の基本は、この「天皇国日本」という事です。

しかし、最近では幹部でもこのことを良く御存じでない方も多いようです。
「学ぶ会」誌等をしっかりと学んでいただきたいと思います。



 「天皇国・日本」  (生長の家祭務部 編著昭和55年)


  編者のことば

神意に、発し、神理を建国の理想とする神聖日本。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の大御心(おおみごころ)を承(う)け継がれ、
神を祀(まつ)り国民(くにたみ)の平安を第一に祈り努(つと)めて来られた御歴代の天皇。

誠にも日本は、世界の人々が心から均(ひと)しく感嘆するように、
世界に稀(まれ)な、天皇を中心に発展して来た“天皇国日本”である。


“人間神の子”の生命の實相顕現を第一義とする私たちは、
運動の三本柱として、「日本国の實相、天皇の實相顕現」を奉戴(ほうたい)している。

吾が祖国たるのみの理由でなく、神意の地上顕現の真理国家たる日本、
宇宙普遍の真理の継承実現者たる天皇の實相顕現である。

しかもこの自覚は、生長の家の歴史を見れば明らかなように、
発祥(はっしょう)の初めより使命づけられている。

 
谷口雅春先生の本住吉神社への毎朝の御参拝、立教当初の「中心(すめろぎ)に帰一する道」
や古事記・日本書紀の御講義。

更には楠正成(くすのきまさしげ)公の時代にさかのぼる谷口家の忠誠の伝統である。


天皇仰慕(ぎょうぼ)、國體護持にわたる生長の家立教の精神は、
聖経『甘露の法雨』巻頭の「大調和の神示」の“皇恩に感謝せよ”を始め、
多くの神示に明白に示されている。

そして鎮護国家(ちんごこっか)の悲願達成の具体的顕現として建立されたのが、
龍宮住吉本宮である。日本国の實相顕現、それは即ち「天皇国日本」の成就にある。


谷口雅春先生はこの間(かん)の理念について、
「生長の家」誌の法語(昭和51年2月号)で、次のようにお示しになられております。


<<天皇の御心から逸脱して政治家が動き出すとき、その国は危機の淵に陥ろうとするのである。
明治時代の日本国は、時の内閣が行きづまって総辞職をするならば天皇さまが、次の総理大臣
となる者を選んで指名し給い、組閣が行われるのであった。

政治が旨(うま)く行われなかったら「誰」に対して総理大臣及び閣僚が責任をもつかというと、
天皇に対し責任をとるのである。

つまり、当時の政治家は、天皇の理想光に反照して自己を反省するのであったが、
今の政治家には自分の心や政治のやり方を反照すべき鏡をもたないで、
有象無象(うぞうむぞう)の人間智をもって何とかやり繰りしているので、
天爾(てんに)が政治に顕われないで国内がガタツクのである。

占領軍が起草して日本に押しつけた現行の日本国憲法には、
その前文に「主権は国民にありと宣言し」と堂々と書いているが、
国民は一人ではない、多数である。多数が皆、主権者であって、
じこの利益を主張する多頭政治である。

ここは国家は多数国民の主権に皆バラバラに分れて国家は空中分解してしまっているのである。
国家には主権はなく、国民のひとりひとりが憲法に定めた文化生活をいとなむことが
できないようなことになると、国民は国家を被告として訴えるのである。

本当にこれでは日本国家は空中分解してしまっているのであるから、
愛国心の起こりようがないのである。----------


日本天皇の統治のやり方は、その十六菊の御紋章にあらわれている通り、
天地八方十六方向の国民の声をキクことによって国民全体が本当に福祉が得られるように
政治を行うことだったのである--------

本当に私心なく、国民全体の福祉を願い給う無私(むし)の人格は天皇さまのほかにはない。

国民は、日本国家のドコかに立っていて偏(かたよ)らない位置にいないから必ずその考えが
私利だとか党利だとかいうもので汚(よご)され歪(ゆが)められているのである。

それ故にイザという重大事に迷いによって汚されない歪(ゆが)められない処置をしようと
思ったならば、私心(わたくしごころ)を空しくして天皇の御心(みこころ)の方に振向く
制度がつくられていなければならない。

あの終戦時、閣僚も軍首脳もすべての重臣が、なすべき道を失い、如何(いか)にすべきか
わからなくなった時に、彼らは天皇さまの大御心の方にはじめて振り向いたのである。

そうしたら天皇さまは「自分のカラダはどうなってもよい、戦争をやめる」と
仰(おお)せられた。そして大東亜戦争は解決したのであった。

もしあの時、天皇さまの大御心の方に振り向かず、総理大臣や陸軍大臣が、私心をもって
戦争の結末を処置しようとしていたならば、あんな聖潔な、敵が上陸して来るのに一滴の血も
流さないで粛然(しゅくぜん)として平和が回復し、過去の敵たりしアメリカが日本の味方と
なって食糧を供給し、産業復興資金を貸してくれ、ソ連が北海道に進駐したいと主張するのを
マッカーサー元帥や、中華民国の蒋介石総統が防(ふせ)いでくれるなどの事はなかったに
ちがいないのである。

無私の心で、天の御心をうけ給うた天皇陛下の御裁断(ごさいだん)であったればこそ、
あんな素晴らしい結果となり、日本が速(すみや)かに復興するを得たのである。>>


では、「天皇国日本」実現のために私共は如何にすればよいか。

戦後の教育やマスコミ、社会風潮により、天皇の尊厳、國體の本質は著しく損なわれ、
歪められ、真実は伝えられていない。

そこで先ず、世にも比類ない天皇のご仁徳、國體の特質を十二分に理会することである。
そして次に、第三者に自身をもってお伝えすることである。

その具体的資料として、ヨーロッパ、アメリカまで含めて陛下に関する多くの文献を、
出所を明らかにして示したのが、本書である。

世界の人を感動させたたくさんのエピソード、歴史の流れを変えた陛下の御事蹟を通して、
そこに一貫する大御心――歴代天皇が承けつがれた“日本のいのち”を感得して頂ければ
幸甚である。

最後に、出版をお許し頂いた谷口雅春先生に感謝申上げると共に、
出版の意図が十二分に発揮される事を心から祈って已(や)みません。

         昭和五十五年三月十日

・・・・・

以下は、「生長の家”愛国本流宣言”掲示板」以外からの参考の資料(Web)です。


*立教当初の「中心(すめろぎ)に帰一する道」
  
「中心(すめろぎ)に帰一する道」
 山ちゃん1952の日記(2012年07月10日)
http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/diary/201207100001/

生長の家“本流宣言”掲示板
「中心に帰一する道」の奥義の解明 (7979)
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1895

・・・・・

「神の愛を「今」を完全に生きよ」 (3061)
日時:2012年11月01日 (木) 04時40分
名前:伝統

「神の愛を「今」を完全に生きよ」谷口雅春先生の聖句 (1263)
日時:2012年10月03日 (水) 00時31分
名前: 聖句

「神の愛を「今」を完全に生きよ」

生長の家創始者 谷口 雅春 先生


あなたの生命(いのち)の内に神の愛が宿っているのである。
神の愛は唯勝利するほかないのである。

過去に何があろうとも、それは今日の魂の前進の準備となったのである。
過去の失敗に捉われるな。

形の一進一退のうちに魂は必ず前進して行くのである。

今生かせ、神を信じ、神に祈りつつ今を全力を出して生きるのである。

「今」は実相世界に既にあるところの勝利が
現実世界にあらわれて来るところの門であるのである。

「今」を支配するものは過去の失敗を勝利にかえ、魂の進歩にかえ、
未来永劫にただ悦びの生活を送ることができるのである。


次の如く念ぜよ。

「われは今日、善と愛と親切の言葉のみを語るのである。
われはそれ故に愛と深切のみを刈り取るのである。
われは如何なる悪しき言葉も今より後に口にしないのである。

自分は人の行いと其の動機とをさばかない。
自分はあらゆる人々の行いに其の善意をみるのである。
自分は人を軽蔑するような言葉を決して語らない。

自分はすべての人々の美点のみを見、美点のみをかたるのである。
自分は言語が神であり、創造者であることをしったのである。

だから、今後自分は善き事のみ語り、善き事のみが実現するのである。」

繁昌は一日にして来らず、それが単なる偶然の好意であるかに見えても、
必ず過去に蓄積されている善き想念、善き言葉、善き感情が現実化して生ずるのである。

すべての想念、感情、言葉、行為の結果は実現しないではいないのである。

それは原因結果の法則である。
原因結果の法則には、物理化学な法則と、心の法則とがあるのである。
大抵の人は物理化学的法則のみを知っていて、心の法則を知らないのである。

繁栄せんと欲する者は顧客に対してよき想念、善き感情、深切な注意、
行き届いたサービスの精神を揮い起さなければならないのである。

            「幸福を招く365章」 より。      

「甘露の法雨」は日本を守った。 (3096)
日時:2012年11月02日 (金) 04時02分
名前:伝統


「甘露の法雨」は日本を守った。 (1104)
日時:2012年09月22日 (土) 21時28分
名前:あいこく11

「大自然讃歌」が新聖経として位置つけられようとしています。

これは「聖経」でなく「お経(経本)」ですとは、何たる詭弁。同じことである。

稚拙で、ずるい「冒涜」であります・・・・。


「今昔物語」より。

<聖経『甘露の法雨』は日本民族分断の悲劇を防いだ >

8月15日は、大東亜戦争終結の御詔勅が玉音放送として
全国民にNHKラジオから伝えられた日であります。

このことに聖経『甘露の法雨』が、大いなる働きをなした事、
そして日本民族分断の悲劇を防いだ事、この奇蹟については、
現代に生きる「今の教え」を信仰している生長の家信徒の人たちは
詳しくご存知ないと思いますので、謹んでお取次ぎ申し上げます。


昭和二十年八月九日と十四日の御前会議で、ポツダム宣言を受諾して大東亜戦争を終結する
との昭和天皇陛下御自身の御発意による決定が下され、終戦の御詔勅が翌八月十五日正午に
NHKラジオで放送されることになり、その録音が完了されました。

これを知った近衛師団の中堅幹部将校たちが本土決戦による徹底抗戦を主張し、
これを阻止しようとした森師団長を射殺し、軍司令官のニセの戦争継続命令を
出そうとしたのであります。

これを伝え聞いた東部軍管区司令官・田中静壹大将は『甘露の法雨』をもって
副官を従えて反乱現場へ駆けつけ、右手にその『甘露の法雨』を打ち振りながら
熱情を篭めて天皇陛下の御心を諄々と反乱将校たちに諭されたのであります。

不思議にも、この時、田中静壹大将が右手で打ち振っている
“紫色のサック入り大型の聖経『甘露の法雨』”が反乱軍将校たちには、
“紫色の?紗に包んだ天皇陛下の御諚”に見えたのであります。
かくして反乱軍は鎮圧されたのであります。

そして無事に戦争は終結したのでありますが、
反乱が実行され戦争が継続されていたならば、
その後の日本はドイツと同様、東西に分割占領され、
日本民族は分断の悲劇を招く事になったでありましょう。

この民族的悲劇を間一髪のところで食い止めたのは田中静壹大将の打ち振られた
『甘露の法雨』であります。

開祖・谷口雅春先生は「生長の家四十年史」P.59~60に於いて
次のように書かれておられます。――

<< ・・・ 反乱軍の戦争継続の考えを変更せしめたものは、全くこの奇蹟であったのである。

田中静壹大将の右手に握っているものは、紫色ではあるけれども、紫色のサックに入った
紫色の表紙を持つ大型の聖経『甘露の法雨』であったのである。

それを反乱軍の中の唯一人が、天皇陛下の御諚と見あやまったのであれば、
それは唯の錯覚だと言う事が出来るかも知れないが、田中静壹大将を取り巻いて、
「戦争継続に反対なら射つ」と身構えして覘っている多勢の将校全部に、
その『甘露の法雨』が、紫色の?紗に包んだ陛下の御諚と見えたのである。

これは明らかに、住吉大神が日本滅亡の危機を救わんが為に『甘露の法雨』を媒介として、
奇蹟を演じられたのだと解釈するほかはないのである。

もしあの時点で日本が終戦の終結に同意いていなかったならば、
ソ連は八月十五日の三日後にはエトロフ、クナシリ、ハボマイ、シコタンの諸島にまで
侵入して来ていたし、(これをソ連はまだ返還しようとしない)

日本軍は、当時まだ日ソ中立条約が有効中であるので、ソ連軍は決してその条約を破って
攻撃して来るとは予想もせず、従ってソ連国境および北海道の兵員は極々手薄にして、
南方に全兵力を投じていたものだから、

ソ連が計画的に正規軍を以って侵入してきたら、ひとたまりも無いのである。

もしあの時、近衛師団の反乱を鎮定できずに戦争継続状態になっていたならば、
瞬く間に北海道、東北六県、関東、信越諸県はソ連軍の席巻するところとなり、
東京は東部半分がソ連の駐屯、西部半分がアメリカ軍の駐屯となり、

日本は、恰もドイツが東ドイツ、西ドイツと分断され、ソ連圏内の東ドイツが未だに
ソ連に搾取誅求されて、経済的には常に貧しく、思想の自由すら失った警察国家である
ように、ソ連圏の東日本はドンナひどい目に会わされていたかも知れないのである。

これを救い給うたのは、実にあの時点に於ける天皇陛下の戦争終結の大英断の賜であるが、
それにしても近衛師団が反乱を起こして、全日本の師団をリードして抗戦を続けていたら
大変な事であったのに、

その反乱を中止せしめた、住吉大神(観世音菩薩)の降ろし給へる聖経『甘露の法雨』が
奇蹟的に反乱将校を鎮圧せしめる功徳を演じてくれたお蔭である。 

 住吉大神が何のために、万教帰一を説きながら、特殊の生長の家という姿で、
今から四十年前に出現しなければならなかったか――それはこうして此のような時点に
於いて日本国家を鎮護救拯せられんが為であったのである。>>

(注)「神の真義とその理解」P.223~230もご参照下さい。

      ――――――――――――――――――――

私たち生長の家信徒はこの“奇蹟的事実”を毎年八月には認識を新たにしなければなりません。

最近は誌友会のその月のテーマが各教化部で統一されているようですが、果たして
今月八月の統一テーマとしてこの極めて重要な< 八月十五日と聖経『甘露の法雨』の奇蹟 >
を取り上げた教化部がどこかあったでしょうか?

第三代目・谷口雅宣先生の「小閑雑感」においては取り上げてはおられません。
第三代目・谷口雅宣先生は常に”理性“を強調され、科学的合理性なき宗教上の
いわゆる”奇蹟的事実”は「今の教え」においては禁句・禁語とされていると判断されます。

奇蹟のない宗教では、医者や社会から見放された人々の”病・悩・苦“は救われません。
開祖・谷口雅春先生が遺された<奇蹟の聖経『甘露の法雨』>には

私たち個人個人の”病・悩・苦”を救う力があり、
更に”国家”自体をも救う力があるのであります。

日本民族が分断の悲劇を避け得たのも<奇蹟の聖経『甘露の法雨』>のお蔭であることを
今月は認識を新たにし、誌友会への出講講師のみなさんは勇気を持ってこのお話を誌友会場へ
来られた人々にお伝えください。

奇蹟のお話のない宗教はもはや宗教ではなく、単なる時流に乗った教養団体にしか過ぎません。
『今の教え』の生長の家は“セレブ階層向けの普通どこにでもある教養・環境団体のひとつ”
にしか過ぎません。

日本国実相顕現・真理国家日本の建設を通しての”世界平和・国際平和“であり、
この過程を経ない”世界平和・国際平和”などは、社民党・共産党レベルの机上の空論の
学者・評論家の域を出るものではないのであります。

生長の家を真剣にいのちを掛けて築いてこられた開祖・谷口雅春先生時代の諸先達方は
霊界で悲しんでおられます。

こころある信徒のみなさま! 真実に目覚め勇気を振るい起こして
本当の生長の家を復活させ、物で栄え、こころで滅び行く現代日本を救う働きを致そう
ではありませんか! 感謝合掌


日本分断統治の計画
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E8%A8%88%E7%94%BB

指導者となるための指標 (3145)
日時:2012年11月03日 (土) 05時00分
名前:伝統


「 指導者となるための指標 」 (963)
日時:2012年09月13日 (木) 12時43分
名前:九州男児

  恩は原因を知る心である。
     本源を培うとき、その人は
            栄えるのである。 (谷口雅春先生)

「 指導者となるための指標 」

  『生長の家』昭和二十五年六月号・巻頭言

一、 汝のもてるすべてのものを以って強力に前進すべし。
   今の瞬間に汝の凡ゆる未来がかかってあるかの如く今手近にある所の仕事に集中せよ

ニ、 進歩発達は責任の加はる毎に増加するのである。自から求めて責任を負うべし。
   これを避けるべからず、人生を一大冒険と考えよ。

三、 明日希望する所の仕事のために、今日を用意せよ。
   そのために常に受けるよりも一層多くを与うべし。
   これが成功に到る大道である。

四、 常に静かなる自信をもちて行動し、常に次のことをモットーとせよ。
   「常識を逸脱せず周囲と調和し而も勇敢に行動せよ」
   大いなる成功は常に「敢えてなす勇気」を要するのである。

五、 「行き届く」という良習慣を発達せしめよ。
   すべての細部にわたりて行きとどく習慣こそ成功の生きた要素である。

六、 凡ゆる材料をあつめて沈思熟考したる後、断乎と決意せよ。

七、 誰が世間の名声を獲得するかについては思ひ煩うこと勿れ。

八、 何事もどんな忠言にもよき聴き手たるべし。

九、 命令を与えたり対決を表明する前に他の人の意見を悉くきけ。
   それ迄は自からを表す勿れ。

十、 これはほめる値打ちがあると気がついたならば速かに賞賛せよ。
   非難すべきことが必要ならばひそかにその人のみに語れ。

十一、人の犠牲に於いて自からも利せざる様注意せよ。
   一時の個人的な利益よりも友人同僚の協力こそ永遠に尊き価値があるのである。
   汝の好まざる人をよく深切に導け。而して彼らの美点をほめることを試みよ。

十二、決して不平の心をおこすべからず。心の曇りを毎日きれいに拭い去るべし。
   寛容雄大の精神を教養せよ。

十三、自分を悲しみの心を以て汚すな。
   必勝の態度を常に保て。
   クロムウェルのモットー「思いを深くして感謝せよ」に従うべし。

十四、今日一日の生命と思いて生きるべし。取越苦労はいらぬのである。

十五、仕事の合間、ほっとした時にニ、三回深呼吸を行いて精気を新たならしむべし。

 (米国の光明思想実践運動D・I・Aの標語より)


恩は原因を知る心である。
    本源を培うとき、その人は
           栄えるのである。(谷口雅春先生)

「神癒について」~ 徳久克己 先生 (3206)
日時:2012年11月04日 (日) 04時31分
名前:伝統

<神想観の悟り> 「谷口先生が云われるのだから間違いはない」 (578)
日時:2012年08月26日 (日) 04時17分
名前:静観実相

谷口雅宣先生がもしかすると・・「神想観」を実修されていないのでは・・という疑惑が
出ていますが、徳久先生の御文章を紹介させて戴きます。


    「神癒について」~ 生長の家長老 徳久克己 先生

 神想観をする前と、神想観をした後では、すっかり人相の変わった相手を発見することがある。

 神の生命の虚の人に、神想観を通じて神の息吹が流れ入ると、
 瞬間にして病気が消えて明るい神の生命が顕現してくるのである。

   「病とは神の生命の顕現していない姿である」

 と云うことを、生命の世界で知らして戴く。

   「病がない」

 と云う事を、少し判らして戴いて、神の世界が一層広くひろがったように感じる。

 生命の實相を条件つきでなく、全面的に信じられるようになった私は幸福である。

   「谷口先生が云われるのだから間違いはない」

 今の私は、ただこの喜びに包まれている。

 神癒と云うと、何か悪いものがあって、それを神の力で修理してなおした。
 と云うように感じるが、そうではなく、神の生命があらわれて、
 生き生きとした「神の生きる力」が、流れ入ることである。

 空気の抜けたゴムマリに、空気を入れるよりも、もっともっと力強く入るもので、
 光に満ちあふれたようになる姿である。

 「病はない、神の生命のみあるのだ」 

         『白鳩』誌 23年4月号

「神のアイディア」を受信し、それを実行せよ。 (3242)
日時:2012年11月05日 (月) 05時03分
名前:伝統

神から直接「神のアイディア」を受信し、それを実行するようにせよ。 (465)
日時:2012年08月21日 (火) 04時15分
名前:真理の言葉


一般に動物は本能や単なる習性によって生き、動き、生活しているのである。
人間も本能や習性を持つ。

人間は最高最広の生命形態であるから、あらゆる動物の有する本能も習性も、
ことごとく自己の内に包摂している。

けれども、それらに支配されないで、
それらを支配し、自己の理想又はアイディアに準ってそれを統御し、
美しき秩序あるものたらしめるのである。

人間社会又は人間関係の美はそのようにして生ずるのである。

与えられるままの本能や遺伝的習性は、そのままにそれらを伸ばして行くならば、
自然に生えた雑草が、草ぼうぼうと繁っていて、何の美感もなければ、
足の踏み場もないのと同じような、混乱状態を社会に提出することになるのである。

しかし人間は自然の動物性そのままでは生活しないのである。
それは衣服を着、髪を適当に切り整え、梳り、自分のもつ理想又はアイディアに従って、
動物性‘そのまま’を、そのままの状態にあらしめず、動物性をも生かしながら、
それを崇高なる理想又はアイディアの指導する秩序の上にのせて、
新しい美を創造するのである。

それはたとえば、山野に自生した草花や樹木の枝を、
新しき〃美〃の秩序の上に配列して新しい美を創造する〃活け花〃の美の創造にも
似ているのである。

神は創造主(つくりぬし)であるが、
〃神の子〃はその創造者としての本質を継承して、
地上世界に新しき美を創造するのである。
  
動物は理想をもたないが、人間は理想をもつ。
動物は本能的〃知〃以外にアイディアを持たないが、
人間は本能を統御し克服するための規準となるべきアイディアを発想する。

自然界は神の発想し給えるアイディアの実現であるが、
人間社会は〃神の子〃たる人間の発想せるアイディアの実現である。

しかし人間の発想は、人間そのものが神の自己実現であるから、
結局は、人間の発想そのものが、「ある段階における神のアイディアの発展」だと
いうことができるのである。

自然界の創造は、基礎産業みたいに文化の素材となるものをつくるのである。
人間の創造はその素材の上にたって、その素材を色々に配列し、組合わせ
新しき秩序と美とを創造する。それが文化の創造である。

〃人間のアイディア〃といっても、
人間の発想そのものが「創造のある段階における〃神のアイディア〃の発展」であり、
〃神のアイディア〃を受信して発想したものが、〃人間のアイディア〃であるから、

善きアイディアを受信しようと思うならば、
やはり吾々は、〃心〃を神に振向ける修行として、毎日怠らず神想観を実修し、
神から直接「神のアイディア」を受信し、それを実行するようにしなければならないのである。
     
       谷口雅春師 『理想世界』誌 47年5月号より

「 神との霊的交わり 」~ 仙 頭   泰  (3270)
日時:2012年11月06日 (火) 04時48分
名前:伝統

9月15日。今日は「霊魂進化の神示」が天降った日であります。 (978)
日時:2012年09月15日 (土) 07時01分
名前:みすまる


ありがとうございます。
本日は、昭和8年9月15日。
谷口雅春先生を通しまして「霊魂進化の神示」が天降った日であります。
人生の目的をお示しくださった重要な「神示」であります。


今日は、元生長の家ハワイ教化総長。
仙頭 泰 先生 の「懺悔の神示」講義を御紹介いたします。


「 神との霊的交わり 」~ 仙 頭   泰

私達は神との霊的交わりをすることによって、
凡てのことが益々順調に伸展していくのであります。

私達の魂の波長を意識的に神と合わすことが祈りなのであります。
私達の魂の波長が、神の波長と同化することによって、自分の心境が変化せしめられ、
その結果として心の法則によって、現象的にも自然に変化が起こってくるのであります。

私達は神に祈ることによって、自分の心を神に振りむけるのであります。

「神よ、みこころの如くならしめ給え」と、
神の方へ心を専一に振りむけることが大切なことなのであります。

生長の家で教えられます「神想観」は、神と本来一体である人間
の実相を自覚するためには、大変大切なものであります。

「神想観」は、実相に於いて全てのものが既に与えられていることを確認し、
肯定するための強き観法であります。

谷口雅春先生は、私達が神の子として、自己の内に与えられている力を自覚することを、
第一の目標とすることを教えておられます。

つまり宝物を外に求めるのではなく、
自分の内にあるすばらしい「宝」を発見することを先にすることであります。


人生の目的は、「神の子」なる人間の実相を現象世界に実現するのが人生の目的であると、
このように「霊魂進化の神示」に示されているのであります。

私達は「招神歌」にありますように
「吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」、
このような言葉を常に思い出して、神と一体である自覚を深めましょう。

谷口雅春先生は「現象は遷り変わるが、実相は金剛不壊の存在である。
実相は神によって造られ、神によってその存在が保たれているのであるから、
それが決して肉眼に見えなくとも滅するものではないのである。

遷り変わる現象の不完全さに心を奪われて、
その奧にある真実在(実相)の完全さを見失ってはならない」。


そのためには、真実在の完全さを見つめるために神想観をすることが大切であると、
教えておられます。

私達は常に、既にこの世界は完全であり、この人間は完全であることを確認し、
神をほめ讃え、神に感謝する祈りをするのであります。

生長の家では、現在の不完全な状態を認めて、神に懇請することによって、
神が不完全なる状態を修正してくださると考えることは、神に対する侮辱であり、
その考えは間違いであることを説いているのであります。

旧約聖書の創世記第一章三十一節には
「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」
と書いてあります。

神の創造に、出来そこないの不完全はないと云うことです。

現象の不完全な状態は、私達人間の「心のラジオ・セット」が、
神からの完全円満なる霊波を、そのまま完全に受信することが出来ないで、
色々なものを混信しているからであります。

これは私達の心の調律をすれば、忽ちにして、現象の不完全さは消えるのであります。

谷口雅春先生は、私達が人生で色々な問題にぶつかって、人生が思うようにならない時には、
自己の想念を変化し、自己の人生観を変化し、自己の生活感情全体を変化することを
教えておられます。

つぎのように述べておられます。

「先づ自己が神の子であることを信じ、神の全能の力がわが内に宿っていることを信じ、
神の創造り給える環境が常に自分に対して微笑(ほほえ)みかけていて下さることを
信じて楽観的な気持ちをもって、自己内在の力を出来るだけ出すようにするならば、
事業に於いては新しき機会が、健康に於いては新しき活力が、おのずから目覚め来たって、
輝かしい成功と健康とを実現することが出来るのである」。


 聖経「続々甘露の法雨」に、つぎの様に示されています。

「汝らよ恐れずに人生の行路進むべし。
恐怖なき者には不幸は決して近づかず、全ての不幸と悲惨とは神の所造に非ざるなり。
恐怖なく人生の行路を歩む者には不幸もうな垂れて避けて通り、病気も帰順の意を表して
その『本来の無』に還帰して消滅せん」。

以上の様に「恐怖心」の影響について示され、
さらに「心の平和」が「神の癒しの波動」と同波長であり、
心の平和あるところに、神の癒しの波動が宿り来たって健康の姿となって顕れると、
示してあります。


いかにして心の平和を得るか、それについては、つぎの様に示されております。

「心を鎮めて平和ならしむるの秘訣は唯『有難う』と一切のものに感謝するにあり。
一切の人に、事に、物に、症状に感謝するとき、其処に本来の平和は汝の心を訪れん」

そして更に、次ぎの様に示されています。

「汝ら常に愛し、感謝し、悦びて公けの仕事にいそしめば、
すべての病いは汝を冒すこと能わず、既に病いある者も速やかに癒ゆること必定なり」。

さらに、またつぎの様に示されています。

「病人は殊更に病気を心より放つべし。
 しかして、唯愛せよ、唯感謝せよ。
 國を愛せよ、人を愛せよ、家族を愛せよ

 すべての物と事と人とに感謝せよ。
 さらに特に汝の父母に感謝せよ。

 常に悦びて何か必ず人のためになる事を為せ。
 愛と感謝の感情は、病いの癒ゆる生命波動を
 感受する最善の波動なり」。

ここで私達が思い出します言葉は聖経「甘露の法雨」のはじめにあります
「大調和の神示」であります。

この中で、中心となるものは「天地一切のものと和解せよ」「天地の万物に感謝せよ」
と云うところであります。そして「その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを
受けるであろう」と示されているのであります。

この神示の最後のところには、次のように結んであります。

「われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。
 われは愛であるから、汝がすべてのものと 和解したとき其処にわれは顕れる」。

私達は、実相を直視し、天地万物に感謝を捧げ、天地一切のものと和解した生活を
することが、如何に大切なものであるか、と云うことがこれで理解できるのであります。

これが、神とともに生き、神の栄光を現すところのすばらしい生活となるのであります。

                  (終わり・215-11)

流産児講話 ~ 楠本加美野長老 (3310)
日時:2012年11月07日 (水) 04時46分
名前:伝統

御参照:「流産児講話」(楠本加美野長老) (343)
日時:2012年08月15日 (水) 18時02分
名前:いのちの叫び


中絶は殺人・・・・
  まずこれを認めないと懺悔にならない

で、この懺悔という事ですがね、
懺悔という事ですが、

中絶は・・・殺人なんだと。
中絶は殺人である。
中絶は殺人。

まず、これを認めないとね。
懺悔にならないね。

「中絶は殺人なんだー」と。


胎内の子供は明らかに人間の子・・・・
      堕胎罪があり勝手に堕胎すると罰せられる

『限りなく美しい』(谷口清超先生著)という本の104ページにですね
書いてありますけどね。

≪胎児はまだ生まれていないから、
殺人では無いと言う人もいるだろう。
しかし、胎内の子供は、
明らかに人間の子であり、
猿の子でも豚の子でも無い。

だから日本の刑法でも、
堕胎罪というのがあって、
勝手に堕胎すると罰せられる。


≪日本の「優生保護法」によって、
“ある条件の下で”中絶が認められている。≫

ある条件下に認めているだけで
      ・・・・中絶は殺人

ある条件の下に認めているだけであって、
これは殺人なんだーっていうわけね。

「中絶は殺人なんだー」っと。
これが分らないとね、
なんか堕した、堕して良い事してる
と思ってる人は居ないけどね。

あんまりそんなにね、
悪いことしてるとも思っていないでしょう?
殺人なんだーって事ね。

水は涙、洪水は涙・・・・
    出来た子みんな堕す・・・その涙

それからね、『行き詰まりは無い』っていう、173ページにあるけどね。

これは、中国にでね、
大洪水が起きたんです。

44年ぶりの大洪水が。

水は涙である、
って言うんです。

悲しみ、悲しいと
涙出るでしょ?

だから、寝小便なんては
子供がね、寝小便すると
親の涙だと言われてるね。

だから、水は涙である。
洪水って言うのは、涙なんだと。

それでは、何の涙であるか、と言うとね。

大体中国では、一人っ子政策っていうのをやってるでしょ?

一人っ子政策ってね。

もう、一人しか産まないって言うんです。

そうすると、出来た子みんな堕すって事になるでしょ?

その涙なんだって言うんです。


流産児供養塔建立の祝詞・・・
    人工流産にて流し棄つるもの
        毎年二百万以上に及ぶ

で、ここに、
≪宇治別格本山には、流産児供養塔が建立され、
毎年八月中旬には、招霊供養大祭が行われている。≫
その祝詞にね、これは谷口雅春先生のお言葉ですね。

祝詞にあります。

『行き詰まりは無い』173ページより
≪近頃わが國に於いて経済的困難な事を理由に、
折角大神より神聖受胎を受けし婦人たち、
その受胎する胎児を人工流産にて流し棄つるもの、
その数毎年二百万以上に及ぶといふ、
流されし胎児のうちには、
既に高級霊にして迷いなき霊もあれども≫


救はれんと諸霊の無念の想ひは災厄を引き起こし
           ・・・救って貰いたい、祟りじゃない

≪そのうちの数多き霊は、
折角地上に降誕して現世(うつしよ)に
定められたる己が使命を完うして、
いっそう高き進化をとぐべき
目的にて受胎したるに拘らず、

不慮の堕胎の厄に遭ひ、
つひに此世を去るに至る、
此等諸霊は、或は無念の想ひに、
世を咒ひ、人を咒ひ、或いは悲しみ歎きて、
涙も絶えるひまもなく、

或いは親族縁族にたよりて救はれんとするにより、
彼等諸霊の無念の想ひは、
此世に色々の災厄を引き起こし≫

ね、「救われんとするにより」ですよ、
救って貰いたいからですよ、

祟りじゃないんだね。


悲しみ歎きの念は、水に具象化して、
     洪水、高潮、津波などの水渦となり

≪救はれんとするにより 
彼等諸霊の無念の想ひは、
此世に色々の災厄を引き起こし、

その悲しみ歎きの念は、

水に具象化して、
洪水、高潮、津波などの水渦となり≫

書いてあるね。
洪水、洪水ね・・・
洪水ね、高潮ね、津波・・・
洪水、高潮、津波、ね?



頭据わらず、手脚不自由、
       知能未発達の患者を生ず
               ・・・・・小児麻痺

≪津波などの水渦となり、
尚胎児として頭据わらず、手脚不自由、
知能未発達の患者を生ず≫

小児麻痺ね、そういう症状、
だから谷口先生の祝詞ですよ。

≪この現幽両界の惨事を見るに忍びず、
 有縁の人々の淨志により、
   この淨域に一大供養塔を建立し≫



36年全国無縁流産児供養塔建立、
       37年日本の小児麻痺が半減

これが、これね、供養塔、これね。
だから、昭和三十五年にね、この宝蔵神社できたんですよ。

で、三十六年にね、
全国無縁の流産児の供養が出来た。
そしたら三十七年にはね日本のね、
小児麻痺が半分に減ってるね。

だから、あそこへね、
この全国無縁の流産児の供養塔が
出来たってことはね、
日本の国に非常に
大きな影響を与えてるんだ、
ということが言えますね。


「無限供給について」~小嶋博講師 (3359)
日時:2012年11月08日 (木) 04時51分
名前:伝統

(有名講師の名言)小嶋博講師「谷口先生は私たちを、神だと思っておられるよ」 (76)
日時:2012年08月05日 (日) 07時51分
名前:義友(愛国源流)


(有名講師列伝)

 小嶋博講師の名言

「谷口先生は私たちを、神だと思っておられるよ」

 当時宇治別格本山で部長をされていた小嶋講師に
 入山したばかりの中堅講師、E講師はいった。

「小嶋先生のような方はまさに 雅春先生の直弟子ですね。」

「いや、弟子とは思っておられないよ。
 谷口先生は私たちをを、神だと思っておられるよ」(小嶋  博)

   生長の家史に残る名講師である。


本日は、「無限供給について」歴史に残したい小嶋博先生の体験談を御紹介致します。

この文章は後の祈願部長になられた
これも後の名講師・E講師の御文章だそうです(平成17年逝去)。


(「谷口雅春に訊け」より引用させて戴きました。)

   小嶋博先生のこと


終戦直後は岡崎(愛知県)は大変な勢いで教勢が伸びていた。

谷口雅春先生は戦犯として追放になっていられることもあってか、
小嶋博先生に「私も岡崎に移ろうかな」とおっしゃったことがあるという。

尊師のおともをして愛知県の蒲郡あたりを物色して歩いていたことがあるということである。

その頃はなにをやっても日本一であった。

「全国ではじめての道場だね」

あるとき岡崎に来られた谷口雅春先生がこうおっしゃった。

このとき小嶋先生は三十畳の道場を建てようと決心していたので
その旨を申し上げたのであった。昭和二十四年のことである。

「三十畳では小嶋さん狭いですよ。
これから生長の家はうんと伸びるからね。百畳敷きにしなさい」

と言われたのである。そして、

「今、本部にお金がないから出せませんがね」と言われた。
小嶋先生はあっけにとられて空いた口が塞がらないほどであった。

物資の何もないときである。釘も木も何もないときである。
三十畳でもみんなを納得させるのが大変であった。
やっとのことで協力を決めてくれたところであった。

谷口先生はそう言いおかれるとさっさと東京にお帰りになってしまわれた。
さあ大変である。

しばらくは考えつづけた。何度考えてもやれる訳がないと思った。
しかし、谷口先生があんなに喜んで期待されておっしゃっていられるのである。

それを無視するわけにはいかない。

とうとう考えあぐんだあげく、とにかくやれるだけやってみようということを考えた。

もし、谷口先生に、”小嶋さんやってみたかね”
ときかれたときに、全然やってみませんでしたではすまされない。
もしやれば、失敗しても”ハイやりましたが駄目でした”ということが出来る。

やりもしないで駄目は通らないということにようやく考えが至ったのであった。

さあ、それから、今まで協力してもらった人たちに集まってもらって会議を開いたのである。
結果はみじめにも”それは出来る訳がない”ということになって、
やらないことにして皆な引き揚げてしまった。

そのときの小嶋先生のお気持はどんなであったであろう。

しばらくは力が抜けたようになってそこに黙したまま立っていられたのではあるまいか。

そこにトヨタの下請をやって大いにトヨタの社長に賞賛されたほどの大きな仕事をやった
ことのある○○さんがやって来られた。会議に遅れたのである。

「どうでした」とその人は訊いた。
やらないことに決まってみんな帰ったところだ、と言った。

「そんな馬鹿なことがありますか、やりましょう!」
とその人は言うのであった。

「それをさっきの会議で言って呉れればよかったが、
もうやらないことに決定してみんな帰っちまったよ」

と小嶋先生は言った。

しかし、さすがに大きな仕事をしたことのある○○さんである。仲々の信念である。

「小嶋先生は日頃なんと言っておられるんですか。
やれば無限力だからなんでも出来る。
やれないのはやらないからだ、と言っておられるではありませんか」

と食い下がってくるのであった。

「資金もあってやれるとはじめから解っているようなことなら誰でもやる。
資金もなく、やれないことだからこそ値打ちがあるんじゃないですか。
私はいつもそんな気持でやって来たから今度もそう思うのかも知れませんが」

と言われたのである。このとき、
小嶋先生は”乗るか反るかやってみよう”という気になったのである。

「そうだな、○○さん。やれるだけやってみよう。
それで失敗したら○○さん、私の骨を拾ってくださいよ」

と言った。○○さんは涙ぐんでいる。
そして手を握り合ったのである。

それをどうしてか山本さんという人だけ残ってこの光景をじっと見ておられたらしい。

そして感動して、自分も今の話を聞いて感動したが、
あいにく自分にはいまお金がないので協力のしようがないと、しばらく考えていたが、

「私とこに乳牛があるから、これを質に入れよう」

と云って帰って行ったというのである。

そんなことが出来るかと思っていると、
二、三日して七万円借りることが出来たと言って持ってこられたのであった。

当時の七万円が現在のどれくらいになるのか。
そっくりそのまま持って来られた。

ところが、他の人たちはみんな反対になってしまっている。

いままで集まりつつあった寄付も集まらなくなってしまったのである。
そんなもの出来るわけがないと言ってまわる人さえ出て来たりした。
そこでほとほと困ってしまった上に更に困ってしまった。

そこでひとつのことを思いついたのである。

だいたいこの百畳敷きのことを言い出されたのは
谷口先生なのだから先生に、主な人々に一筆書いてもらって、
協力を呼びかけて頂こうと思ったのである。

そこで早速大阪に出かけて行ったのである。
大阪ではそのころいろいろと問題があったらしい。

それを何も知らず谷口先生の宿舎になっている旅館にお訪ねしたのである。

谷口先生のお部屋の前でノックしたときの中の反応からして、
もういつもとはちがっていた。

”おやっ”と思ったが、もうノックしてしまったから帰るわけにはいかない。
ドアを押し開けておそるおそる入っていった。ちがう。何かいつもと全然ちがっている。
何か部屋の中の空気がピリピリとしている。

先生はこちらをお向きにもならないで、机に向かって原稿を書いておられる。

やっとこちらに注意を向けられたので、実は、と道場建設についての協力の依頼状を
書いていただきたいむね勇気を起こして申し上げたのである。

「僕は他人にものをたのむのはいやだねッ」

と尊師はつきはなすように言われた。

なんともとりつくことの出来ない雰囲気であった。
なんとまあ冷たいことだろうと思った。

それでも帰れとは言われないし、第一このまま帰ってもそうにもならないところまで
追い詰められているというような気もあって、

後ろの腰掛に腰掛けて谷口先生の後姿をながめているより仕方がなかった。

すると、ドアをノックする音が聴こえたのである。

やがて、尊師の応答のお声があって、

そーっとドアがひらくと、年配の幹部が四、五人の青年をつれて入って来た。
何か問題があってその行き違いのことで先生に謝りに来たのである。

この青年たちは充分に反省しているのでどうぞ赦してやってほしいと申し上げた。

「駄目だよ!真底からすまないと思わなくては駄目だよッ」

と表情はかたく、厳しいお姿である。
しばらくその人たちは立ったままである。

「出て行き給えッ!」

大きな声が厳しく響いた。もうしようがない。
その人たちはそろそろと恐縮して出て行った。

また谷口先生は原稿のペンを運んでおられる。

また沈黙がやってきて息苦しいときが流れた。

そうしているうちに昔お父さんから聴いた話を思い出した。
岡崎で昔ばくち打ちが打ち首になったことがあった。
このばくち打ちはおそろしく腹のすわった人物であった。

後ろ手に縛られて、座って首を前に出したとき、首を切ろうと刀を抜いてかまえている
首切り係に向かって、

「おい、しっかり斬るんだぞッ頑張れよッ」と言った。

斬る方がどぎもを抜かれてしまって仲々斬ることが出来ない。
ガタガタと腰が震えて来てしまった。

これを小嶋先生のお父さんが見ていたのである。

結局は首斬られたのであったが、どういう訳か、お父さんはしばしばお話になった。

いま、この話を思い出していた。

そして、いよいよ腹をきめたのである。
どうしてもお願いしよう。
死んだつもりでお願いしようと思った瞬間である。

絶対に忘れることが出来ない。

クルッと尊師が顔をこちらに向けられると

”ニコッ”とされたのである。

なんというそれはやさしい、
やわらかい明るい輝きに満ちたお顔であったことか。

地獄で仏と出遭ったというようなものではなかった。
地獄が完全に消え去ってしまっている。

暗い何もない。過去の何ものもそこに持ち越していない。

地獄とは過去のことである。
過去があると思うのが地獄である。

前後裁断ということを思い出したのである。


あの尊師の尊い雰囲気はどこから出て来るのか。

それに直接ふれて感動することは出来るが、
実際はそれはどこから、どのようにして出て来るのか、
ふれればふれるほど新しいのであって、
どうしても捉えられないのではないだろうか。

「小嶋さん、どうしても書かなければいかんのかね?」

ニコッとされたかと思うとそう親しく話しかけられたのである。
やはりそこには先ほどの厳しい雰囲気は消えていた。
「ハイ」と小嶋先生はお答えした。

「そう」と言われた尊師は「小嶋さんここにおいで」と、
椅子を左によせられて、右のあいたところに手で招いて下さった。

尊師と並んで机の前に座った。

「小嶋さんの言う通り書くからこれに下書きしなさい」

と言われて、便箋を一枚下さってペンも貸してくださった。
しかしペンを持った手がガタガタと感動にふるえて書けないのである。

「あまり感動して書けません」

と申し上げた。尊師はだまってほほえまれるのだった。

それで、先生におまかせすることにして喜んで帰ったのである。
これで大丈夫だぞ、出来るぞ、という思いが湧き上がって来るのだった。

それから何十年もたって、あのとき協力して下さった方が見せて呉れたのだが
尊師は一人づつに丁寧な依頼状を直筆で出して下さっていたのである。

どうして、何十年も小嶋先生はそれを見せてもらおうと想われなかったのかと思う。

あれだけの大変な想いをされながら、どうして見せてもらわなかったのかと思う。

如何にあわただしかったかと言うことである。

尊師のお部屋を出たとたんにこれから先のことが頭に一杯つまっていたのであろう。

「あの直筆は大したもんだな」

と言っておられる。ご自分はもらってないのである。

直筆が大変なことは先生はそのときから知っておられる。

それをもらうことに自分が協力したという、
自分の顔を出すのがいやであったのであろう。

何かのときに、尊師に七十枚か八十枚も
短冊を書いていただいたが全部渡してしまわれて一枚も残っていない。


ともあれ、尊師には依頼状はおねがいしたものの、それからがいよいよ大変である。
ぽつぽつと協力者が戻って来た。
瓦はどこかの倉庫の古いのを使うことにした。
釘も何も無いときの話であると、何度もこのことをきいた。

ある日、例の乳牛を質に入れている人が喜んでやって来た。

そうして話すには、
そのころの農業組合の主催の農産、畜産の品評会が行われた。
ある日、地区の役員がこの人のところに来てなにか出品せよというのである。

何もないというと、
牛があるではないかという。

それでもそんなにいい牛だとは思えない。
乳はたくさん出るだろう、と言う。
まあ乳だけはたくさん出るというと、ぜひ出せということになって、

とうとう娘さんと二人でつれて行った。

途中娘さんに前をひかせて、
自分は牛の後ろについて歩いて行きながら、

「おい、娑婆の奴らは知らんが、オマエは生長の家のために役立っているんだから
素晴らしいんだぞ。大変な役目をしているんだぞ。頑張れよッ」

と牛のお尻をたたいてそう言った。

いよいよ展示場に着いた。つなぐ場所まで行くと、

娘さんは娘さんで、ご自分はご自分で
それぞれ用があって展示場に牛をおいたままで出かけていった。

まさか、入賞することなど夢にも思わなかった。

ところが、帰って来て見ると、まぎれもなく自分の牛が優秀賞になって、
首にその印をぶらさげてもらっているというのである。

親娘ともびっくりしてしまった。

スカイラインのなんとかという名前もつけられていた。
それがまた賞金が十万円だったというのである。

この話は谷口雅春先生がときどきお話になるということである。

神の教えの道場を建立しようと心が願い、一番大切な乳牛を質に入れ、
さらにまだお役に立ってくれよと話ししながら追っていったのである。


いよいよ落慶の日は尊師谷口雅春先生が来られて、
およろこびになられた。

そして最後の五十万円の支払を本部から出して下さったのである。

この体験によって小嶋先生は大きな自信を得られた。

そして教化部長として行くところ行くところに道場が建ち、九つも建ったのである。

三河道場と名づけられた岡崎のこの道場は、全国で一番早く出来た道場であったが、
ここで地方練成会も全国で一番早くはじまったのである。

≪使命感≫雅宣氏と「雅春先生」決定的な違い。。。。  (3405)
日時:2012年11月09日 (金) 06時08分
名前:伝統


≪使命感≫雅宣氏と「雅春先生」決定的な違い。。。。 (553)
日時:2012年08月25日 (土) 02時43分
名前:感動の嵐


昭和50年の12月の事です。
  ・・・九州別格本山練成会に参加する機会を得ました。

           金戸 栄 本部講師  (故人)

 夜の浄心行に総裁谷口雅春先生、輝子奥様がお揃いで
『私たちも浄心行を受ける』と仰せられて、練成員と同席して
浄心行の説明を聴かれ、記載し、聖経読誦のうちに焼却なさいました。

その翌日の「祈り合い神想観」では、練成会員と
一緒に説明を受けられ、祈られる方(かた)の方(ほう)に御坐りになりました。


その時の総裁谷口雅春先生の祈願内容は、
『キリストも弟子ヨハネによって洗礼を受けた。
 教祖だから穢れなき者と思うのは増上慢である。

≪私は日本国が赤化の方向に激動するのを歎き、憂いの心が高まり、
私の魂は日本国と同一化して肉体の微熱と感冒状態を現しているのである。≫

よごれた心を着物として皆様に洗濯していただき、人を導くものとして、
もっともっと心を浄めたいのである』

――とこの様なお言葉でした。


輝子奥様は、
『私はもっと深く広く愛の実践が出来るようになりたい』との内容で、

この言葉を伺い参加者一同涙にむせび、あちらでもこちらでもすすり泣きが起り、
声をつまらせ、それが号泣に変わる者多数でした。

     『聖使命新聞』 51年1月21日号より

「唯神実相意外に何があるというのか!!」~榎本恵吾講師  (3465)
日時:2012年11月11日 (日) 04時46分
名前:伝統


(有名講師の名言)「唯神実相意外に何があるというのか!!」榎本恵吾講師 (146)
日時:2012年08月08日 (水) 08時24分
名前:あげぽよ恵子

「唯神実相意外に何があるというのか!!」
   ~元生長の家宇治祈願部長 榎本恵吾講師(故人)


人間の悩みはつまるところ、
その生活の一瞬一瞬を如何にすれば完全な生活として生き得るか、との問題に帰する。

大いなる展望のもとに確かなる軌道上を
一歩一歩建設にいそしむ本当の意味での理想世界建設
ヘの力強い建設感が、各員各個に確立されなければならない。

その確かな軌道と一歩一歩は如何にして吾れらのものとなるのであろうか。

この道は『實相独在』『久遠の今』のみ教えによって吾等の前に開かれた。

今此処の一点に立ちて、一人一人の一瞬一瞬が全宇宙に対して、
確かに必要且つ充分なる一点一点である時にはじめて、
この″確かなる歩み〃がはじまるのである。

先づ、一個がこの宇宙に対してたしかなるこの広大無辺なる宇宙の一点に立って、
如何に一人一人が必要且つ充分なる一点を占め得るかの問題を明らかにした上で、

我らの運動全体を真の建設運動、理想世界建設者として
神の永遠の構図に於ける創造の確かな軌道上を
一瞬一瞬実りのある道を進み行くことの出来るのが

尊師のお開き下さった人類光明化運動である。

ここにおいてはじめて各自一個一個が実質的に
建設者としての生活に入る基盤が与えられているということになるのである。

人間の悩みはつまるところ、
その生活の一瞬一瞬を如何にすれば完全な生活として生き得るか、との問題に帰する。

その悩みは自己と他との問題であれ、学業と運動の問題であれ、求道と伝道の問題であれ、
自己と全世界との問題であれ、要は一瞬一瞬、今此処にいかに完全なる生活を
その人が成就し得るかの問題に帰する。

自分の生活が全宇宙に対して
如何にすれば必要且つ充分なる一点を占めた生活が出来るかと云うことである。

それ故、真の自信とは自己の生活の一瞬一瞬が全宇宙に対して必要且つ充分なる、
分裂なき一点を踏まえているのであると云うことへの
信仰的自覚でなければならないのである。

人間が生きて歩むその一瞬一瞬に完全なる一点一点を生き切れば
最早やその人には悩みはなくなっているのである。

この地点において私達は尊師の開かれた
『久遠の今』の光明の福音を聴くのである。

そして、自分自身が生命の純粋持続としての創造活動、
即ち生長の家人類光明化運動そのものであったことを発見するのである。

自分自身が光明そのものであり、その創造的展開が光明化運動であったのである。

久遠の『今』に立つとき、このことがわかって来るのである。

此処において地上天国建設の途上において
犠牲となって倒れることなき生活があるのである。

我らは『今』、神の創造活動の延長であり、生命の純粋持続としての創造活動、
人類光明化運動としてのさらに大いなる運動を展開するにあたりその根本的基盤を
ここに録す次第である。

何故、釈迦は世界の山川草木一本一本を調べてみた訳ではないのに、
山川草本国土悉皆成仏、有情非情同時成道と解ったのであるか。

又、どうして尊師は万教帰一を唱えられるのか。

その根拠は何処にあるのであろうか。
この根拠が即ち、そのまま我々が踏まえなければならない根拠なのである。

我等の活動は神の創造の続く限り続くであろう。

その神の永遠の構図のもと、人類光明化の運動を押し進めながら
吾等一人一人は夜空に輝く星群をどのように仰ぐのであろうか。
どのような呼吸が吾々に通うのであろうか。

我らは地上天国建設への道を、全宇宙の運行との関係において、
生命の純粋持続としての必要且つ充分なる確かな軌道上に歩を進めるのである。

此処に於いて我らの開く書物、対する文字が
荘厳なる光とかわり、神の子の姿が顕れるのである。

一切万物発生の枢機を握るこの一点、久遠の『今』から一切は発したのである。

それ故全宇宙が此処にあり、一切の運動も学問も文化も、歴史も、
個人一個の呼吸もここから生れ出て来たのである。

此処に分裂なき活動の基点がある。
此処に生命体系、実在体系としての文化体系の発する根拠がある。

ここに立って動く時、それがそのまま体系者としての道を歩んでいるのである。

      『試論・波状光明化への道』351項より

<虚構の>従軍慰安婦問題 (3502)
日時:2012年11月12日 (月) 06時04分
名前:伝統

「<虚構の>従軍慰安婦問題」に関する興味深い記事。 (675)
日時:2012年08月29日 (水) 12時53分
名前:mituyo


毎日新聞 1992年5月22日の記事

--------------------------
第二次世界大戦中『従軍慰安婦』として強制連行されたミャンマー(旧ビルマ)で預けた

軍事貯金の支払いを求めていた韓国・大邸市在住の文(ムン)玉珠(オクジュ)さん(68歳)が

11日、山口県下関市の下関郵便局を訪れ、預けた貯金の原簿があったことが分かった。

(中略)

当時「日本人として貯金した個人のお金だから直ちに返して」と訴えている。

(中略)

原簿によると43年6月から45年9月まで12回の貯金の記録があり、残高は26,145円となっている。

--------------------------

自称「従軍慰安婦」の文玉珠(ムン・オクジュ)さんは、2年半で26,145円を貯蓄したという。
1ヶ月当たりの貯蓄額は、驚くことなかれ。なんと、約870円になる。


    当時の貨幣は、現在の≪1万倍の貨幣価値があった。≫

     「1万円長者と言われた時代である。(1万円が1億円)」


当時のエリートである日本の陸軍少尉の<年俸(年収)は850円。>
また、5000円もあれば、東京において広い家が「余裕で一軒」買えたという。(五千万円に相当か・・)


それらから類推すると、自称「従軍慰安婦」文玉珠さんは、

1ヶ月当たり、今の貨幣価値で500万円以上の収入。

1年間で5千万円以上、2年で1億円以上を貯金していたことになる。

(当時、日本の東北では多くの人が飢えていた。人買いが横行し、
貧しい農家では娘が売られていた時代・・韓国人の「従軍慰安婦」は日本人があこがれた
陸軍のエリート将校の月収の「10倍」以上の収入を得ていたという。。。これは
「無理やり連れていかれて・・従軍慰安婦にされた??」といえる性質のものだろうか。。)


(678)
日時:2012年08月29日 (水) 15時10分
名前:「タイトルなし」

mituyo様

ご紹介ありがとうございます。

検索してみましたら、下記にいろんな写真の資料入りで
詳しく解説してあります。参考になりました。

(偏向左翼の)日本人が仕掛けた慰安婦騒動を大いに悪用
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/ianhu.html


以下は、このページのまとめです。

------------------------------------------------------------

まだわからない。納得いかないと言う人は下に短くまとめてますのでこれだけでも読んでみてください。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
■「済州新聞」1989.8.14
日帝時代、済州島の女性を慰安婦として205人、
徴用していたとの記録が刊行された。

※YOSHIDA SEIJIが書いた小説が発端となり、「慰安婦騒動」が始まった。

しかし、慰安婦騒動には、非常に多くの問題がある。

1.島民の証言が無い。

2.本に記述されている地域で、慰安婦狩りを証言する人はいない。

3.島民たちは、この小説を読み「あほらしい嘘だ」と言っていた。

城山浦のチョン・オクタン(85歳の女性)の証言。
「250軒の村で、15人も徴用すれば大きな事件だ」
「しかし、そんな事件はなかった」

歴史研究家、金奉玉の証言。
「調査をした結果、判明した。慰安婦問題は嘘だ」
「この本は、日本人の悪徳を示す軽薄な商魂の産物だ」

最初、YOSHIDA SEIJIは「妻の日記が証拠だ!」と言った。
しかし!YOSHIDAは独身だった!

そして、YOSHIDA SEIJIは「この本は全て嘘でした」と認めた。
ヨシダこいつ!!!!!!!!!!!!!!!!!1

あほらしい小説を信じた、日本の主婦が韓国に行って、宣伝した。
これが「慰安婦騒動」の始まり。

■1944年、3人の朝鮮人の日本兵から聴取した記録(USA公式文書)
「朝鮮人慰安婦は、全て志願者か、両親が売った者だ」
「強制連行は不可能」
「もし朝鮮女を強制連行すれば、朝鮮人は激怒して決起し、日本人を殺す」
Composite Report on three Korean Navy Civilians List No. 78,dated 28 March 1945,"Special Questions on Koreans"(U.S.National Archives)

■戦時中あるいは終戦直後、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦から聴取したアメリカ軍の記録。

※単純に言えば「300~1000円で親に売られた」という事。
※また親と相談・合意・承諾の上、慰安婦になった。
※ブローカー、経営者も朝鮮人。

そして、ここが重要。

当時の朝鮮総督、日本軍は、
「違法な慰安婦の募集が行なわれているから検挙しろ」
と厳しく命令した。

要するに、自分の意志で慰安婦になった。即ち売春婦だ。

慰安婦の月収は1000~2000円。
日本兵の月給は15円~25円pu

慰安婦は、個室のある二階建ての大きな家に宿泊して、「仕事」をした。
慰安婦の生活は、非常に贅沢だった。

慰安婦は接客を断る権利を認められていた。
借金を返した慰安婦は、朝鮮に帰った。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html

■日本の毎日新聞 1992.5.22
慰安婦の文玉珠(68)が「預金した貯金を返せ!」と日本の郵便局に訴える。

原簿を調べると12回の貯金の記録があった。

貯金の金額は「26145円」だった。

※アメリカ軍の「慰安婦の月収は1000?2000円」というレポートと一致している。
※現在の韓国貨幣に変換すると10億won。
※文玉珠(68)は「当時、1000円で故郷の大邱に小さな家を一軒建てられた」と言っている。
※26145円あれば、朝鮮に家を26軒は建てる事が出来ました。

文玉珠(68)が2年で貯めた金額=10億won

■26145円も貯金した文玉珠(68)の慰安婦時代の手記。
中国系マーケットに行って買物した。
鰐皮のハンドバッグと靴を私の為に買った。
母の為にもプレゼントを買った。
将校さん達に連れられてジープに乗って、ぺグーの仏像を見に行った。
YAMADA ICHIRO(日本兵の恋人)と大邱の母の無事を祈って帰ってきた。

嗚呼、幸せに満ち溢れた従軍慰安婦の生涯...。


「竹島は日本である!!≪ラスク書簡≫」  (3526)
日時:2012年11月13日 (火) 04時32分
名前:伝統

「竹島は日本である!!≪ラスク書簡≫」 (341)
日時:2012年08月15日 (水) 17時38分
名前:愛国信徒

  御参考: ≪ 竹島問題研究所 ≫

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima06/takeshima06_12.html

  「ラスク書簡」という歴史的に重要な文章があります。

ラスク書簡(ラスクしょかん)とは、第二次世界大戦後、サンフランシスコ講和条約を
起草中であったアメリカ合衆国政府へ大韓民国政府からよせられた日本国の領土や、
韓国政府が戦後に享受する利益に関する要望書に対し、
1951年8月10日、米国が最終決定として回答した文書。

当時の米国国務次官補ディーン・ラスクから通達されたことからラスク書簡と呼ばれる。

現在、日本政府と韓国政府の間で竹島(韓国名:独島)の領有権をめぐる対立(竹島問題)
があるが、この文書では竹島に対する韓国政府の要望を明確に退けており、
日本の主張を裏付ける史料の一つとして考えられている。

韓国政府から米国政府への要求は大きく分けて以下の3つであった。

1.竹島と波浪島を日本の放棄領土に加え、それを日本国との平和条約によって放棄とする
 のではなく、1945年8月9日(注: 日本によるポツダム宣言受諾)の時点で
 放棄したことにすること。

2.在韓日本資産を韓国政府および米軍政庁に移管すること。

3.マッカーサー・ラインの継続を日本国との平和条約で認めること。


しかし、米国政府はこの書簡の中で、在韓日本資産に関して米軍政庁の処理を認めるよう
に記述を修整することを認めたが、
竹島の要求、マッカーサー・ライン継続の要求には同意しなかった。

竹島については、日本の1905年以降、島根県の管轄下にあり、
韓国からの領土権の主張は過去になされていない、とアメリカが認識している旨を回答している。


ラスク書簡による米国政府の回答

韓国の独立日は1945年8月9日ではない。
韓国政府は1945年8月9日(日本によるポツダム宣言受諾)をもって、
日本が朝鮮(竹島も含む)に対する全ての主権を放棄するように要求しているが、

それに対する回答は
「米国政府はポツダム宣言の受諾をもって全ての主権を日本が放棄したとは思わない」
というものだった。

Liancourt Rocks(竹島)の扱い

Liancourt Rocks(竹島)は日本の領土である。
上記にもあるように、米国政府はこの岩島は1905年から日本の島根県の管轄下にあり、
韓国から自国の領土であるとの主張がなされたことはない、としている。

(在韓米国大使館によるドメスティックな発表であって、国際法上無効であるが在韓大使館は、
この問題に対して「日韓いずれかの立場をとらない」としており、
「日本・韓国の二国間問題」として平和的に解決することを要望している。)

韓国側は、しばしば、2005年3月16日付の駐韓米国

大使館の韓国政府に対するプレスリリース(発言)を意思表示したものと持ち出すが、
国際社会の不特定多数を相手にしたものではない。

そもそも韓国政府、韓国国民を相手に意思表示がされたのである。

したがって日本政府として、このドメシティックな
意思表示に国際法上の法的拘束を受けることはない。


また、この意思表示は、下記2008年7月30日のホワイトハウスでの記者会見と同じく、

両国が領有権を主張する理由において、また紛争解決の手段において、
どちらかの一方の立場はとらないということを意味している。

米国としては領有権については1952年に決めたとうりである、という意味である。
つまり、米国は1952年以来、竹島は日本に領有権があるという認識はしている。

しかし、"この領土に関する紛争問題での解決手段に当事者の話合いでもなく、
国際司法裁判所の裁定でもなく、米国が日本の主権を回復する立場をとる"ということは、
それは軍事行動による主権回復も意味するので、米国はそれはできないと意思表示している。

国際社会の不特定多数を対象に政府の意思表示をすることを目的にした場所(ホワイトハウス)で、
不特定多数を対象に意思表示する手段でなされた政府の記者会見のほうが、
特定の狭い地域で、特定の組織、機関を相手に意思表示することを目的になされた通告、
声明より、国際法上は法的拘束力が強いこと

(善意の第三者に対して損害を与えることを防止するという国際慣習、原則)は明らかである。

よって、竹島の領有権の帰属そのものについての米国の見解や、その紛争解決の方法についての
米国政府の見解は、1952年以来変わっていないということは2008年7月30日のホワイトハウス
定例記者会見から明らかである、

とするのが国際法上の解釈として重要である。


つまり、米国政府は竹島の領有権の帰属に関する見解も、紛争解決の方法についての見解も上記、
ラスク書簡やサンフランシスコ講和条約やヴァン・フリート特命報告書以来変わっていない
ということを意味する。

但し後続する文章で以下記載されており、

韓国側の認識としては「領土紛争に対して米国は中立な立場を保ち、この問題については
韓国と日本の国交関係の中で解決するべきである」というスタンスを1952年から
変えていないという事のみを指し、

「サンフランシスコ講和条約で合意された見解を変えていない」

という解釈は間違っていると指摘している。


・・・・1952, and that is, we do not take a position on this territorial dispute; that we believe that South Korea and Japan need to work diplomatically to resolve this issue. But it is their issue to resolve.

後続する文章が「, and that is,」で続いている為、

1952年から変わらない米国のポリシーとは
「竹島領土問題についてアメリカは関わらないので両国の外交関係で解決しろ」という意味
合いが妥当である。

またこのホワイトハウスでの記者会見で日本側が認識する重要性として、
「米国が竹島領土問題を認識したのが1952年(即ち1952年1月18日に韓国大統領・李承晩の
海洋主権宣言に基づく漁船立入禁止線<李承晩ライン>を宣言)からである」という
解釈をもとに、

1952年以降に韓国が竹島を実効支配している事実は領土問題を解決する上で考慮されない
という意図としても受け取れると解釈している。


マッカーサー・ラインと李承晩ライン

マッカーサー・ラインは日本国との平和条約の締結後は有効ではない。

米国政府は、明確に日本国との平和条約以後に効力を持たない、と回答しつつ、

韓国政府は平和条約第9条の規定

(日本は希望する連合国と速やかに漁業協定の交渉をしなくてはならない)の利益を
うけることができる、として、戦後の日本・韓国間の漁業活動区域については
マッカーサー・ラインに拠ることなく、二国間で協議して新たに協定を結ぶべき、
としている。

しかし、韓国の李承晩大統領は日本国との平和条約が発効する直前の1952年1月18日に
李承晩ラインを一方的に宣言した。


戦後の個人財産の保障

日本は在日個人財産を保障する必要はない。]
米国政府は、日本により在日韓国人の財産は侵されていない、
当時は日本国民としての地位を有していたことから
すると日本が当該財産について補償する必要はない、

と回答している。


米国によるラスク書簡の認識の再通知

サンフランシスコ条約後、日米安保条約に基づく行政協定において1952年7月に竹島を
爆撃演習地とすることが日米間で合意されたが、日米に無断で竹島へ調査をしていた
韓国人が爆撃に遭遇し韓国政府がアメリカに抗議を行った。

1952年12月4日に韓国の書簡の「韓国領の独島」に対して、釜山の米大使館は
「アメリカの竹島の地位に関する認識はラスク書簡のとおりである」と韓国外交部に
再度通知を行った。

しかし、1955年に韓国外交部が作成した「獨島問題概論」では、
このラスク書簡に触れた部分を「etc.」でカットして掲載したことが判明している。



ラスク書簡の持つ意味

韓国政府による竹島(韓国名:独島)の領有権の主張には以下のようなものがある。

日本国との平和条約の第2条に竹島の記載がないのは、
竹島を日本の領土と認めているからではない。

SCAPIN-1033によって画定されたマッカーサー・ラインは
現在も有効であり、李承晩ラインは正当である。

しかし、このラスク書簡により、条約第2条の日本の放棄領土に竹島の記載がないのは、
米国政府としてはそれが日本の領土と考えていたことが確認できる。

また、マッカーサー・ラインは
平和条約発効後の日本の漁業操業区域まで規定するものではないとも明記されている。


連合国ではない韓国政府は、マッカーサーラインについて定義する権限も執行権もない。


国際法上の位置付け

 ラスク書簡は、ウィーン条約法条約32条に基づきサンフランシスコ講和条約の
準備作業としてその解釈の補足的な手段となる。

サンフランシスコ講和条約第二条第(a)項で朝鮮の領域を

『日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対する
すべての権利、権原及び請求権を放棄する』としており、

本条項について日韓政府は以下のように解釈している。

日本政府:米国は竹島を韓国領とする条約の修正要求を拒否しており、平和条約において
     日本領であることが肯定された

韓国政府:独島が鬱陵島の属島として鬱陵島本島とともに韓国領土として承認された
     と解釈される条約はウィーン条約法条約31条により用語の通常の意味において
     誠実に解釈されなければならず、

第二条(a)項に示される『朝鮮』若しくは『鬱稜島』と呼ばれた地理的範囲に
竹島が含まれているかどうかが争点となる。しかし、

竹島が朝鮮の領土であったことも韓国併合後に
朝鮮総督府の行政区域に含まれたこともないことから、
日本が放棄した『朝鮮』若しくは『鬱稜島』の範囲に竹島は含まれないと解釈される。

もし、鬱稜島から90km離れた竹島を朝鮮領と認める意図が連合国にあったのであれば、
条約中に明記する必要があった 。

この日本の放棄領土に竹島は含まれないとの解釈は、条約草案の改定経緯、
竹島を日本領として韓国の要求を拒否したラスク書簡、
日米行政協定に基づく演習場指定といった条約解釈の補足手段からも確認できる。


なお、韓国は、ラスク書簡にもかかわらず、第二条の領土条項が例示的な列挙であり
放棄領土に竹島が含まれるという解釈を棄てていない。

しかし、カタール・バーレン事件の判例で国際司法裁判所は
宗主国である英国の決定に拘束力を認めたことから、

連合国を主導したアメリカのラスク書簡での判断は極めて重要な意味を持ち、
拘束力を有するとされる可能性が高い。

このため、韓国は国際司法裁判所での解決に一層消極的になるものと思われる。


なお、内藤正中など一部でラスク書簡が日本の情報のみを根拠にしているから効力がない
とする主張がみられるが、米側は書簡作成にあたり、

ワシントン中の全ての情報("tried all resources in Washington")、及び、
駐米韓国大使館への調査も行ったことが明らかとなっている。

・・・

  日本国外務省(竹島に関する公式見解)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/gaiyo.html

「<虚構の>南京大虐殺」 (3568)
日時:2012年11月14日 (水) 06時06分
名前:伝統

9月15日に「日本『南京』学会」(会長・東中野修道亜細亜大教授)が解散!! (911)
日時:2012年09月10日 (月) 19時19分
名前: 相愛会の雄

昭和時代には、保守勢力の雄。
「生長の家」がまさか「自虐史観」の宗教になるとは思わなかった。

そして・・「日本『南京』学会」が無くなるとも・・。
時代は「変わっているんですね。。」



南京学会、「真相解明」し今月解散
 “事件”実態は完全に「プロパガンダ」という結論。


2012.9.9 00:55

昭和12年12月に、日本軍が当時の中国の首都・南京を占領した際の真相解明を
目的に発足した「日本『南京』学会」(会長・東中野修道亜細亜大教授)が解散することになった。

同学会は平成12年10月、南京虐殺などが既成事実化することに疑問をもった
東中野氏らが立ち上げ、戦前から戦後にかけての内外の膨大な資料を精査、
南京占領に関係した、元日本軍兵士ら40人弱から聞き取り調査を行うなどした。

その成果は42号に及ぶ学会報や6冊の「南京『事件』研究の最前線」(展転社)などに
結実した。

同学会によると、日本軍の南京占領に関して、学問的にほぼ解明、不法殺害はほとんどなく、
その実態は中国国民党中央宣伝部によるプロパガンダであることがはっきりしたという。

また、南京事件の証拠として通用する写真は一枚も発見されなかったという。

同会長によると、年齢的に、元兵士を含む新たな証言者も得にくい、などから
会としての活動は難しいと判断した。

同学会は9月15日に都内で最後の大会を開き、正式に解散する。


・・・

資料映像です。 (913)
日時:2012年09月10日 (月) 19時37分
名前: sirohato

「<虚構の>南京大虐殺」資料映像です。

http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/12.html

  自虐史観は、「人類暗黒化」運動です。

・・・

知らぬ間に、左翼の手先にならぬために・・。 (914)
日時:2012年09月10日 (月) 19時59分
名前:愛国歴史学者

「通州事件」を隠蔽するための「偽造」南京事件。

  日本人は、民族的に○○のような「惨殺」はできない。


昭和12(1937)年7月29日、北京の東方は、冀東(きとう)防共自治政府の
首都・通州(下写真は当時の通州)で「大虐殺」がなされました。

いわゆる「通州事件」と呼ばれるものです。

「南京大虐殺」が大々的に取り上げられるのとは反対に、
何故か、意図的に年表からも削除されている事が多く、
教科書にも全く取り上げられる事の無い、
この「通州事件」について、今回は書いてみたいと思います。

「通州事件」 ── 又の名を「通州大虐殺」とも呼ばれるこの事件は、
「廬溝橋事件」の3週間後、起こりました。

当時、通州には、「廬溝橋事件」の余波で避難していた婦女子や
朝鮮人(当時は日本国籍だった)を含む日本人居留民、天津特務機関長・細木繁中佐ら
軍人等200余人が住んでいました。

通州には、日本軍の守備隊も駐屯していたのですが、
たまたま、主力が南苑攻撃の為、町を離れ、僅か110名の留守部隊しか
残っていなかった所へ、支那保安隊千数百名が襲撃を掛けたのです。

通州を襲撃した支那保安隊は、多勢にものを言わせて日本軍守備隊を全滅させ、
余勢を駆って、何とあろう事か、日本人居留民をも「標的」にしたのです。

支那保安隊は、日本人居留民を通州城内に全員集め、
城門を閉めた上で(要は城外へ逃げられない様にして)、
日本人居留民の住宅一軒々々に火を放ち、女性には暴行を加えた上で
局部に丸太を突き刺す等して殺害、子供は両手・両足を切断し、
男性には首に縄を巻き付けた上で引き回す等、「残虐」の限りを尽くしたのです。

前回のコラム(『83.「日本軍国主義」の象徴 ── 「南京大虐殺」等あり得ない!!』)
で指摘した「屠城」。正にその「屠城」が現実のものとして、支那保安隊によって
繰り広げられた訳です。

「廬溝橋事件」は、日本軍と支那・国民党軍と言う軍隊同士による軍事衝突でした。
しかし、「通州事件」は、支那保安隊による日本人居留民 ── 「民間人」への
殺戮行為でした。

これは、明らかに国際法違反です。
しかも、その殺害方法が、正に「屠城」そのものであり、
残虐極まりないものであった事も重要です。

支那は現在も、ありもしなかった「南京大虐殺」を持ち出しますが、
こと「通州事件」については、自らの過ちであるにも関わらず、
謝罪も補償も一向にする気がありません。

支那が「正しい歴史認識」と言うのであるならば、
虚構の「南京大虐殺」を主張する前に、まず「通州事件」における
日本人居留民虐殺について明確に謝罪すべきです。


◆通州事件については犠牲者名簿があり、
当時、日本の外務省も公式声明を発した(デリシャス冷珈琲氏)

※他にも支那国民党軍政権下の軍閥等による日本人などの外国人虐殺・掠奪・暴行は、
「 済南事件 」(1928年)や「 南京事件 」(1927年)が存在する。

済南事件の犠牲者の凄惨な姿は虚構の「南京大虐殺」の犠牲者の姿に捏造利用されている。
他にも上海、蕪湖、鎮江、九江、漢口、杭州、南昌でも虐殺・掠奪・暴行が行われた。




200人の国際法違反の「大虐殺」を隠蔽するために、

20万人、30万人と、「白髪三千丈・・・」式に大げさなプロパガンダを成して、
先祖を「犯罪者にして」、雅宣氏らは、それを、「純情に」信じているんだろうか・・・。

まことに、御気の毒である。もっと深く、社会経験を積み、
人生の深い見かたを学べば良かったのだろうが。

もう、60歳(還暦)を越えて、総裁という立場上、
「自己反省」も「改善」もないのだろうが・・。

-----------------------------------------------------------

実相を礼拝しながらも、事実は「目を背けず」知っておくことは大事でしょう。

知らぬ間に、左翼の手先になって、父祖の守りしこの「御国(みくに)」を
売ったりしないために。

「孫子(まごこ)の代」まで、「日本人として辛い」思いをさせぬためにも。


御参考

「創氏改名」についての真実。 (3596)
日時:2012年11月15日 (木) 04時47分
名前:伝統

「創氏改名」についての真実。 (796)
日時:2012年09月03日 (月) 20時11分
名前:愛国本流国際情報部

<わかりやすい文章を見つけましたので、御紹介致します。>

現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが
「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。

台湾で日本時代に行われた「許可制」による改名運動に比べたら、
むしろ韓国人にとっては「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。

ましてや「日帝」は万民平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、
戸籍さえ許されなかった人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。

さらに、「皇民化」=近代国民運動によって日本語やハングル文字を普及させた
だけでなく、李朝時代以来、両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、
漢字・ハングル混じりの文章を 体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進した
というのが、紛れもない史実だ。


「生命を奪われた」というのも、じつは史実に反している。
近代化による産業発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、
有史以来の飢餓と疫病を克服することができ、植物依存の生態系 までも
変えることができた。


そのため、米の生産量が一千万石から 二千万石以上に倍増し、
韓国の人口も倍増(1906年の980万人が1938年には2400万人に急増)した。
このことを、生命を奪ったとは 言わないだろう。

日本は優生学的にも人口学的にも、韓人の生命の質と量を飛躍的に向上させたのだ。

客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と言うべきだろう。

韓国人に「七恩」を施したから「七世報恩」(七代までも恩返しせよ)とまで、
日本人がいちいち口にする必要はないが、少なくとも韓人に対して、
自国史についてのより「正しい歴史認識」を日本は求めなければならない。

 (『「龍」を気取る中国「虎」の
          威を借る韓国』P142-143より)


こういった韓国の意図的な**(確認後掲載)教育について例を挙げればきりがないが、
ここで彼らが日本批判によく用いる「創氏改名」をピックアップして
少し詳しくみてみよう。

まず、言葉の意味から。

「創氏」とは、つまり氏(家族が共有する名)を創ること、
そして「改名」は文字通り名を改めることを意味する言葉であり、
朝鮮が日本の一部だった時代に戸籍管理の一環として行った政策である。


朝鮮人はこれに対し、「日帝は強制的に民族の名前を奪った!」などと
日本を非難するのだが、結論からいえばそれは無知ゆえの事実誤認であり
日本が彼らの名前を奪ったなどという事ではない。

なぜなら「創氏改名=名前の変更」というのは朝鮮人が望んで得た権利であり、
『希望者が申請すれば日本式の名前の使用を“許可する”』という制度だからである。

もう少し詳しく説明しよう。

まず、アフリカの黒人らが宗主国人と同じ名前の使用が禁止されていたのと同様に、
当初は日本国の朝鮮地方でも、朝鮮人や台湾人が日本風の名前を名乗ることは
総督府令で禁止されていた。

しかし、当時の朝鮮人というのは「朝鮮原住民、かつ、日本国民」であったことに
加えて当時の強国であった『日本』の名前を使用したほうが朝鮮名を使用するよりも
中国で商売するにも有利であったりといった理由で改名の要望も増えていった。

また、アフリカ人らと違って朝鮮人は肌の色や顔形が宗主国人の日本人と似ていたため、
彼らにとっての利便性から「勝手に」日本名を使用する事例が増加し、戸籍が混乱した。

そこで本来禁止していた改名を、1940年=皇紀2600年(※)の紀元節を記念して
『特例として』2月11日から8月10日までの半年間は「氏」を創ること(※)も許可した。

※「皇紀」
 西暦がイエス=キリストが誕生したとされる年を紀元元年としているのに対し、
 皇紀とは日本書紀に記されている神武天皇(初代天皇)即位の年を元年として 
 起算した日本独自の紀元表記のこと。紀元節はその節目の年の祝い。

※「氏」を創ること

 氏を持っていなかった日本人が明治維新の時に「創氏」、
 つまりファミリーネーム(家族名)を創って名乗るようになったのと同じ。

 ちなみに改名に関しては特例の半年間に限らずいつでも受け付けた。


ちなみに朝鮮の人口の半数近くを占める奴隷階級は、それまでの朝鮮の法律では
「戸籍を持つことさえ」許されておらず、女性などはさらに低く扱われていたので
姓どころか「名前ですらも」持っていなかった者も多かった。

しかし日本が創設した新しい戸籍制度では全ての朝鮮人(※ここでは便宜的に朝鮮人と
表記したが、当時は国籍上、日本人である)に姓氏を与えることとなった。



ここで当時朝鮮人に向けて告知された
「創氏改名の法院公告(案内のチラシ)」をご覧頂こう(下記)。

これを現代の日本語に直すと以下のようになる。

1.創氏届け出は八月十日までです。その後創氏届けはできません。
  名の変更には期限がありません。

2.八月十日までに氏の届けをなさぬ者は従来の戸主の姓がそのまま氏となる。

  結果、戸主の姓が金なれば、金が氏となり、妻尹貞姫は戸主の氏に従い 
  金貞姫となり、子婦の朴南祚は金南祚となり、紛雑するおそれがあります。

  この結果は内地式氏を設定しなかったことをかえって後悔することになるだろうと
  思われます。

3.氏と姓とを混同する向きがあるようですが、
 氏は家の称号であり、姓は男系の血統を表するもので、
 両者の性質は全然異なっております。

4.氏を設定すると従来の姓が無くなるという誤解があるようですが、
  氏設定後においても姓および本貫はそのまま戸籍に存置されますから心配ありません。

5.門中または宗中は同一の氏を設定しなければならぬと考えられている人もありますが、
  大いなる誤解であります。氏は家の称号であるがゆえに、各家異なる氏を設定する
  のが当然であります。

6.氏選定について熟慮中のようですが、考えすぎるとかえって
  迷うおそれがありますから、速やかに簡明なものに決定するのが
  もっとも理想的であります。

7.期限も迫りました。不審の点は早く府面邑または法院へ
  お問い合わせください。

                             大邱地方法院

 ※枠上:期限は刻々と迫る 八月十日限り 今熟慮断行の時
 ※枠下:認識を誤って悔いを子孫に残さぬよう
 ※枠右:△好機を逸さぬよう!
 ※枠左:△即刻届け出しましょう!


これを見ていろいろなことに気付く人も多いだろう。

まず創氏改名の「創氏」と「改名」は別のルールで行われている。

この2つは別々にして考えなければならない。

つまり創氏改名というのは、噛み砕けば、

 『創氏(家族名を創る事)』= 義務
 →強制的に新しい戸籍システムに移行するが、
  元々「氏」(※ここでは氏族名)を持っていた両班階級には関係ない。

  何もしなくても世帯主の氏が戸籍登録された。

 『改名(個人名を変更する事)』= 権利
 →家族名を創るついでに日本風の名前に変えてもいいが、
  変えなくてもいい。改名に関しては本人の自由であった。

という制度である。


では“なぜ”この問題がややこしくなるか。
それは「元々朝鮮には家族で共有する名前(家族名)がなかったこと」に起因する。

朝鮮人の名前でよくみかける金とか朴などの呼称は実は「家族名」ではなく、
「本貫」という姓の発祥地に由来した男系血族集団の「氏族名」を表すもので、
いわば本籍地のようなものである。

家族名がないため、日本やアメリカと違って朝鮮では現在でも夫婦で姓が異なり、
子は必ず父方の姓を受け継いで名乗っている。

氏と姓が混乱しないようにここで用語を一度定義しなおすと以下の通りである。

 ・姓=氏族名。本貫の名。集団の名前。朝鮮や中国特有のもの。戸籍登録には不要。

 ・氏=家族名。家族で共有する名前。朝鮮には存在しなかった。戸籍登録に必要。

 ・名=個人の名前。ファーストネーム。戸籍登録に必要。


ここに『戸籍』、つまり“家族”を単位にして住人を把握するシステムを導入する場合、
「単位となる家族名」が朝鮮に存在しないことが問題だった。

そこで新たに家族で共有する家族名を自分たちで考えて登録せよ、
というのが「創氏」である。


感覚的な理解を助けるため現代風の例え話にすると、
ある“団体スポーツ”の大会に出場する選手たちを大会運営委員が管理する時に、
所属地域名(氏族名)だけでなく、チーム名(家族名)を作って申請せよ、
と「大会の運営者が」決定した、というようなことである。

つまり、東京に属する選手が多い(金や朴という本貫に発祥する氏族が多い)場合に、
ただ単に「東京の誰々」(氏族名+個人名)と名乗られるより、
たとえば“東京ジャイアンツ”や“東京ドラゴンズ”のようなチーム名を
創らせたほうが、大会運営側にとって、遥かに便利だということである。

そして運営者が使う(戸籍管理に使う)のは、「ジャイアンツの誰々」
(家族名+個人名) という登録名(戸籍登録名)だというだけの話である。


このルールで、たとえば徳川家康という日本人を戸籍登録をするとした場合、
徳川家康は「清和源氏」という氏族名を名乗っていたので、

 氏族名:清和源 + 家族名:徳川 + 個人名:家康

つまり清和源氏+徳川+家康となる。
そして日本の戸籍制度で登録に使用するのは家族名と個人名だけなので
戸籍の名前は「徳川+家康」になる。

ところが朝鮮には家族名がないので、金正日という朝鮮人を戸籍登録する場合、

 氏族名:金 + 家族名:なし + 個人名:正日

となってしまう。

これでは「何」正日なのかわからない。

しかも金正日の妻に至っては家族名が無いだけでなく、女性なので(※)
氏族名があっても金正日の「金」とは別の名前である可能性が高い(※)上に、
場合によっては個人名すら無い(※)ケースが考えられる。

つまり家族単位で住人を把握するタイプの(日本本土と同じタイプの)戸籍を
作るにあたって、家族名が無いのが不便なので「創氏」せよ、という制度なのである。


※ここで例示した金正日の妻は当時の一般的な「女性」にあてはめた喩えであって 
実際の金正日の妻たちは現代人なので当然ながら名前(高英姫ほか数名)がある。

※1997年に改正されるまでは同じ本貫(男系ルーツ)の祖を持つ氏族同士は  
結婚できなかった。逆に同じ氏族名でも本貫が異なる場合は婚姻可能だった。

※ちなみに貴族になった女性でも、たとえば李氏朝鮮末期に君臨した『閔妃』という 
女帝ですら、その名は「閔妃=閔という氏族の女」という意味で個人名ではない。

 また、閔妃を意味する「明成皇后」という名は、死後に彼女を憐れんだ日本人が
名付けたもので、生前はそう呼ばれていなかった。


要するに、戸籍に必要な家族名を創れという制度なのだが、
だからといって金や朴といった氏族名を廃止したわけではない。

氏(家族名)を新たに作ったとしても、
      (田中、鈴木、長谷川、など)

姓(氏族名)を仮に日本風に改名したとしても、
(金→金井、高→高田、など)

姓をそのまま朝鮮名のまま使用したとしても、 
   (朴、李、鄭、崔、黄、など)

いずれの場合でも戸籍には旧姓・氏族名も新たな名前と一緒にそのまま記載される。

ただ単に氏族名は『国が家族単位で戸籍管理する上では使わない』だけで、
氏族名は、戸籍情報の中のいわば“本籍地”のような扱いになるわけである。


生活する中で何の支障もないし、普段から呼ばれる氏族名がもしあるのなら
戸籍にそれを家族名として登録してもいいし、戸籍に別の家族名を登録した
としても生活上は今までの呼び名を使い続ければいいだけである。


さらに言えば、名前の無い女性や戸籍のない白丁階級(奴隷)ならまだしも、
元より氏族名や個人名を持つ両班階級(貴族)であれば話はもっと簡単だ。


仮に家族名を登録するのが面倒で“届け出をしなかったとしても”、
それまで使っていた姓である金や朴や李などの氏族名がそのまま自動的に
氏(家族名)として戸籍に登録されたのである。

現代の韓国人のほとんどが『元両班階級の良家の出身』だと“自称”するのだから
たいした変化は無かったはずなのだが、韓国人の多くが創氏改名に食ってかかるのは
おかしな話だといえるだろう。

これだけ見ても日帝が朝鮮民族の名前を抹殺する意図がなかったのは明白である。

そもそも今までの朝鮮名を「日本名に無理矢理変えさせたい」のだとしたら
なにも届け出の期限を「半年間」に限定する必要など無いのだが。

つまり彼らが怒りに燃えて叫ぶ「日帝が名前を奪った!」という言葉は事実誤認であり、
当時の日本国民である朝鮮人にも日本風の名前を使うチャンス・権利を与えただけ。

『強制性』があったのは「新しい戸籍制度への移行」と
「それまで持っていなかった家族名を“新たに持つこと”」だけだったのである。


「創氏」については以上のように“新しい戸籍システムへの移行においては強制”
であったが、何も奪っていない。

残る「改名」についてはもっと簡単だ。

改名は任意、つまり自由であった。
日本風の家族名に合わせての改名、今後日本人として生きていくのに便利であろう、
と 「改名の許可」が出された。それだけの話である。

(カルフォルニア共和国がアメリカに併合されてアメリカ合衆国カルフォルニア州として 
現在も存続しているのと同様に、当時は日本の敗戦など誰も予想しなかったので、
その後彼らが永遠に日本国民として生きるための配慮、という意味があった)


仮に元の朝鮮名をそのまま使わないことを選択し、家族名だけ日本風に変更したとして、
たとえば「田中ヨンジュン」や「鈴木ジョンイル」では違和感があるだろうし、

中国人から差別を受けるかもしれないという統治者側からの配慮であり、
それでも構わないのであればその名前を使えばいいが、「太郎」や「花子」などの
日本風の個人名に変えるのも“自分で申請さえすれば”自由、という制度である。


ちなみに改名が任意であった証拠を探すのは容易い。
実際に20%ほどの朝鮮人が朝鮮名のまま改名しないことを選択しているからだ。

もちろん名前を変えなかったからといって制度上の不利益はない。

たとえば白洪錫少将のように朝鮮名のままで日本軍の将軍職を務めた朝鮮人もいたし、
金錫源少佐のように朝鮮名のまま活躍して金鵄勲章(当時の軍人最高勲章)を受賞した
朝鮮人もいたのである。

洪思翊将軍(中将)などは指揮官になった時に部下となる日本兵の前で、
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により指揮をとる。
異義のあるものは申し出よ」と訓示したという。

つまり朝鮮名のままでも完全に日本国民(日本軍人)としての権利を
享受していたのである。

これは同時に、「統治される側の国民」が『国軍(日本軍)』に入隊できるだけでなく、
出世して、地位を得たそれらの者が、宗主国民である日本兵を指揮する立場に
なることもできたという事実であり、「欧米諸国の苛烈な植民地統治」と
「日本の植民地・併合統治」では制度や理念が根底から全く違うことの証明と
いえるだろう。


また、彼らとは逆に、自ら創氏改名することを選んだ朝鮮の有名人もいる。

韓国の民族的作家で、朝鮮近代文学の父とも言われる李光洙(イ・グヮンス)である。

彼は「香山」と創氏し、名を「光郎」と改名した。


■李光洙(イ・グヮンス)

「私はよくよく我が子孫と朝鮮民族の将来を考えたあげくに、
 こうするのが当然だという堅い信念に到達したのである。
 日本人との差別がなくなること以外に
朝鮮人は何を望むだろうか。

 したがって差別の除去のために、あらゆる努力を注ぐことが、
 最も重大にして緊急なこととなる。

 われわれの在来の姓名は、支那を崇拝した先祖の遺物である。
 永郎、述郎、官昌郎、初郎、所回(巌)、伊宗、居漆夫、黒歯
 このようなものが、古代のわれわれ先祖の名前であった。

 徐羅伐、達久火、斉次巴衣、ホルゴ、オンネこういったものが、

 昔の地名であった。そのような地名と人名を支那式に統一したのは、

 わずか六、七百年前のことだ。すでにわれわれは日本帝国の臣民である。

 支那人と混同される姓名を持つよりも、日本人と混同される氏名を 持つ方が、
より自然なことだと信ずる。」

「内鮮一体を国家が朝鮮人に許した。
 故に、内鮮一体運動を行わなければならないのは、朝鮮人自身である。

 朝鮮人が内地人と差別がなくなる以外に、何を望むことがあろうか。

 したがって差別を除去するためにあらゆる努力をすることの他に、 
何の重大でかつ緊急なことがあるだろうか。姓名三字をなおすのも、 
その努力の中の一つならば、なんの未練もない。喜ぶべきことではないか。

 私はこのような信念で、香山という氏を創設したのである。これから徐々に 
わが朝鮮人の氏名が国語で呼ばれる機会が多くなって行くだろう。

 そのような時に李光洙よりも香山光郎の方がはるかに便利だ。
 又満州や東京大阪等に住んでいる同胞が、日本式の名をもつことは、

 実生活の上で、多くの便宜をもつだろう。」
 
        (毎日新報コラム『創氏と私』より)



※内地……朝鮮から見た日本本土のこと。

香山光郎こと李光洙は朝鮮の有名人だったので、
当然ながら総督府は彼の言葉を朝鮮人への宣伝に活用した。

このようにして創氏改名は朝鮮人自らの意思で行われることとなったのである。


逆に、同じ日本の統治下にあった国でも
朝鮮のような「権利」が与えられなかったケースもある。

台湾である。

朝鮮が「併合」(日本と一体になること)であったのに対し、
台湾は「植民地」だったので、朝鮮人ほどの権利は台湾人には与えられなかった。

創氏改名の「権利」を日本から与えられず、
創氏改名に「許可」が必要だった台湾人の目線を見てみよう。




■ 黄文雄 ■

▲現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが
「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に
行われた「許可制」による改名運動に比べたら、むしろ韓国人にとっては
「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。
ましてや「日帝」は万民平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、
戸籍さえ許されなかった人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。

▲さらに、「皇民化」=近代国民運動によって日本語やハングル文字を
普及させただけでなく、李朝時代以来、両班から蔑まれていた
ハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・ハングル混じりの文章を
体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したというのが、
紛れもない史実だ。

▲「生命を奪われた」というのも、じつは史実に反している。
近代化による産業発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、
有史以来の飢餓と疫病を克服することができ、植物依存の生態系
までも変えることができた。そのため、米の生産量が一千万石から
二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増(1906年の980万人が
1938年には2400万人に急増)した。このことを、生命を奪ったとは
言わないだろう。日本は優生学的にも人口学的にも、韓人の生命の質と量を
飛躍的に向上させたのだ。

▲客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と
言うべきだろう。

韓国人に「七恩」を施したから「七世報恩」(七代までも恩返しせよ)とまで、
日本人がいちいち口にする必要はないが、少なくとも韓人に対して、
自国史についてのより「正しい歴史認識」を日本は求めなければならない。

          (『「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国』P142-143より)



※日帝三十六年の七奪(チルタル)
 韓国人が日本を糾弾するための攻撃材料を覚えやすく7つに分類したもの。
 日帝が「韓国から主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源を奪った」と
 主張するもので、韓国の教科書にも載っているが、“現実は”以下の通り。

 ・主権を奪った?→日韓併合条約第1条で韓国皇帝が自分で天皇陛下に献上した。
 ・国王を奪った?→日韓併合条約第3条で王公族として日本の皇族に準じる待遇を受けた。
 ・人命を奪った?→飢餓、病死者が減り、食料生産が増え、むしろ人口が増えた。
 ・国語を奪った?→日本人の税金で学校が作られ、底辺階級にまでハングルが普及した。
 ・姓氏を奪った?→元名を残す自由もあり、新規に家族名を創らせ、底辺階級にも戸籍を与えた。
 ・土地を奪った?→韓国政府が管理していた国有地が当然日本政府の国有地になった。
 ・資源を奪った?→何もなかった。ゆえに日本が数万本も植林し、農業や産業を育てた。



台湾では植民地支配の中で台湾の国力が増強された事実を正当に評価している。

ちなみに上で引用した黄文雄は、日本の「皇民化運動」(併合を機に「生粋の日本人」と
「新たに日本国籍になった元朝鮮人」を同等に扱っていくための制度改革)についても
「近代国民国家成立への過程でどこの国でもみられた国民運動」と位置づけている。

また、日本が朝鮮人や台湾人の姓名や国語を奪ったとはいえないことを
「中国の華化運動」や「フランスの国民運動」などの同化政策と比較して説明している。

たとえば中国(清)による漢化政策などは、台湾人から姓名を奪い漢姓(中国人っぽい名前)を
下賜(上から与える)しただけでなく族譜(中国人としてのルーツのようなもの)まで押し付け、
それを拒否するものには5倍以上の租庸(税金)をとって漢化(中国人化)を促したという。

日本は中国のようなことまでしなかったため、敗戦前の年代ですら日本の旧陸軍士官学校の
卒業生名簿の半島出身者の名前は、日本名併記もあるが、半数近くは朝鮮名のままだったのである。





■全国で「改名ブーム」 裁判所には申請が殺到
 理由は「名前が気に入らない」など様々

・改名申請、月1万件上回る

当事者の意思を尊重し、改名を幅広く許すべきだという最高裁判所が
下した判決の影響力は非常に大きかった。
東亜(トンア)日報が昨年11月23日、「個人の意思を尊重し、
改名を原則的に幅広く許可しなければならない」という最高裁の
新しい判例を報じた後、全国の裁判所で改名を申請する件数が
爆発的に増えていることが、18日に確認された。

▲昨年12月、2000年以降最高値へ〓最高裁関係者は「改名条件を
緩和するという最高裁の判例が報じられた後、改名を申請する件数が
爆発的に増え、12月の申請件数は1万1518件と集計された」と話した。
最高裁によると、改名申請の統計が確認された2000年以降、全国の
裁判所で、1ヵ月間の改名申請件数が1万件を突破したのは初めて。
昨年1月から11月まで、ソウル家庭裁判所など全国18の裁判所
(支部含む)に受け付けられた改名申請件数は月平均5572件。

8月(7661件)の1ヵ月を除けば、毎月、改名申請件数は
5000件前後だった。8月に改名申請件数が突然増えたのは、
大ヒットしたテレビドラマ『私の名前はキム・サムスン』の影響で、
全国に「改名ブーム」が広がったため。
8月以降、再び約5000件に減っていた改名申請は、本報の
報道があった11月に7536件へと急増を始め、12月には
月平均の約2倍にのぼる数値となった。

裁判所別に見てみると、昨年1年間、水原(スウォン)地裁(傘下
4支部含む)に受け付けられた改名申請が9532件で最も多く、
釜山(プサン)地裁(7743件、傘下6支部含む)、大邱(テグ)
地裁(6771件、傘下7支部含む)の順だった。

▲申請件数も増え傾向も変わり〓17日午後、ソウル瑞草区(ソチョグ)
瑞草洞のソウル家庭裁判所1階にある総合民願室(国民相談室)。
改名について問い合わせする人々と、改名申込書を提出するために来た
人々で、5つの受付窓口のうち、改名申請受付の窓口が最も混雑していた。
総合民願室の金担当官は「1日平均15?20件だった改名申請件数が、
最高裁の判例が報じられた後、35?40件に増えた」と話した。

ソウル家庭裁判所・戸籍課の朴参与官は「改名申請件数が増えただけでなく、
改名申請の傾向も変わっている」と紹介した。
一見これといった問題点が感じられない名前の人も「名前が気に入らない」
というなど、さまざまな理由を挙げて、改名を申請しているとのこと。
かつては、名前の発音が悪印象を与えたり、呼びにくかったりという理由で、
改名を申請する人が主流だった。

2006年1月19日 東亜日報
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2006011994308


【続報】‘氏名変えればうまく行くかな…’ 改名 急増
運勢が名前で変わると考える人が増え、改名希望者が3年で2倍に。去年は10万人に迫る。

2007年3月13日 文化日報(韓国語)
http://www.munhwa.com/news/view.html?no=20070313010301271490020




▲「改名条件を緩和するという最高裁の判例」が報じられた途端に
“気に入らない”とか“ドラマに影響を受けた”とか“運気が変わる”という程度の理由で
自分で自分の名前を変える現代の韓国人が、
日本が与えた創氏改名という「権利」に対して60年以上経った今、声を荒げて罵倒している
というのも滑稽な話である。


▲余談だが、韓国では裁判所に申請すれば、なんと「誕生日」すら変更することが可能である。

実際に、日本に不法残留して風俗店の客引きをしているところを逮捕され、退去強制処分を受けて
帰国したはずの韓国人中年女性がわずか半年後に日本に再入国しているところを職務質問されたが、
「新しい誕生日で新規作成された正規のパスポート」を持っていたので罪に問えないなどという
異常事態が起こっている。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2006011994308


伝道体験講話①~大熊良樹講師 (3630)
日時:2012年11月16日 (金) 04時35分
名前:伝統

<消失板>「お盆・お彼岸の伝道体験講話」 (525)
日時:2012年08月23日 (木) 09時32分
名前:大伴公平


 この伝道講話は、平成22年から23年まで、
宇治別格本山のインターネット講師として「原宿派」にも「本流派」にも人気の
あった練成部大熊良樹講師の公開されていたブログ画面を、
当時「コピーさせて」戴いたものです。


 大熊講師の講話の特徴は、必ず「体験談」が多く取り込まれていることです。
禅宗のお坊様出身ということで、大変、迫力があり、しかもわかりやすい講話です。
私も宇治の練成会で2度拝聴しました。
また、出講でもお話をしていただき、感動したことを覚えています。

データが偶然見つかりましたので、ここに公開させていただきます。
「お盆」にふさわしい講話です。

 尚、現在大熊講師は講師活動を一部制約されているようで
「ブログ」も閉鎖されており、この講話は「消去」されています。惜しいことです。


「お彼岸の伝道体験・大熊 良樹講師 」 

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  『 ※ 3年前の練成講話のようです。 』

     (平成21年伝道練成会収録)

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ありがとうございます。

    きょうは、伝道練成会最終日であります。

実は今年は、私が生長の家に触れて、26年(3年前)になります。そして・・
宇治別格本山に入山させていただいて、ちょうど7年(3年前)になります。

 その・・・入山7年の夏、というより8月のお盆は、
   驚くような経験をいたしました。

そして、引き続き、9月のお彼岸にはまた、これ驚くような経験をさせていただきました。

それも、「先祖」に関わること。
    「いのち生き通し」ということに関しての体験でありました。

    またその話は後にさせていただきます。

本題に 帰りますが、
伝道 というのは、してあげる のでなく、させていただくのですね。

いくら謙虚でも、してあげていると思っていると、
たちまち痛棒を食らわせられる。

本物の棒でなく、
「帰れ」とか「うちは関係ないから、他所へ行ってくれ」とか、
激しい拒否の言葉であります。

かなり昔の話ですが

楠本加美野先生でさえ、
 「若いくせに人の家の前でお経を読む暇があったら、働けー」

と酔っ払いに怒鳴られた事もあるそうですねえ。

皆さんならどう思いますか?

日々、何が起こるかということに関しては、

聖人君子も凡人も同じ神の子ですから、実は変わらないこともある。

しかし、立派な人は違いますねえ。

みんな立派なんですよ、
本当は、みんな神の子であり、みんな如来です。

如来とは、実相界から来生したる者 という意味です。

本来、みんな立派だけれども、
ただ、『心がけ』は違うんですね。

だから、人生の展開が違うし、運命も違う。

楠本先生は、
          
全てを神だと拝み、全てを神の声と思って聴いておられるから、

 その酔っ払いを通して
  神は何を言われんと
    されているのかーと
     考えられたそうですよ。

そして、「そうだ。地元の方の喜ぶ事をしよう。
神社の多くがゴミや落ち葉で汚れている。
多くの神社を清掃させて戴こう。」

と思い付かれたのだそうです。

そして今日も行っています、

神社清掃・公園清掃の原形が出来たのです。

今では、研修生が公園近くを歩いていると、
仏さまのように 近所の方から拝まれているそうですね。

先日もある研修生が、
●●●園という有名なお茶屋さんの御主人から拝まれ、お布施まで戴いたなんて
いう話も聞きました。

あるいは、「生長さんいつもありがとうございます。お陰で公園がきれいでねえ・・・」と

合掌されたなんていう話もありました。

理屈ではない。

布教のための布教でもない。

 まず、ありがたい皆さまのいのちを礼拝させていただくのが伝道なのですね。


こういう経験が私にもありました。

昨年の夏です。台湾の方が大祭奉仕のあと、伝道もして帰りたいというのです。

願いは 叶いました。
わたしも台湾の方2人と本山職員の奥村さんと組ませていただき、
JR宇治駅周辺を伝道させていただきました。

参加者は45人ほどで20組みほど作り伝道しました。

そこで、私は思いもしなかった、実に驚くような体験をしたのでありました。 

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「お彼岸の伝道体験・大熊 良樹」 

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(平成21年伝道練成会収録)

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それは、平成20年の8月のことでした。

大祭奉仕をされた台湾の方たちが、
是非伝道練成会を受けて帰りたいというのですね。

その願いは叶えられました。

私と当時、霊宮聖使命会員課の奥村さんと、
台湾の方2人とで組みを作ったのですが・・。

 お二人は、殆ど日本語を話せません。

 お経も、もちろん台湾語であります。

 まさに 礼拝する事のみ。

 台湾語の聖経を真心をこめて読むのみの伝道でした。

 あるお宅を訪問すると、80歳代前半くらいの御婦人が出てこられた。そして、

 私たちの伝道のタスキを見て、きっぱりと、こう言ったのです。

    『私たちは天理教です。生長の家じゃないから、いいです。』

 台湾から来られたお二人の気持ちを思うと、礼拝さえも拒まれたようで、

 申し訳なく・・・私は、断られてもいいから、

 これだけはお伝えしたいと、思わずある言葉が口から出てきたのです。

 『私たちは、皆さんを 神さま 仏さま として拝む修業をさせていただいています。
 この方たちは、台湾から皆さんを拝みに来られた方たちです。』

 婦人は、あっと驚くような顔で、お経を読む事を許可下さり。。。
 家に戻って行かれました。

 4人の伝道者は、その天理教の御一家の繁栄とご幸福を祈念し、
 聖経を心をこめて読んでおりました。
 
 日本語と台湾語。
    違う言葉なのに、
      違いが絶妙に調和して
         快く響いていました。

 しばらくすると、家の中から、やはり80歳後半くらいの御主人が出てこられて、

   じーっと・・・懐かしい人を愛おしむような目で見つめていました。

   途中で、『どこから来たんだって?』と問います。

   「生長の家宇治別格本山といいまして、平等院鳳凰堂の裏にあります。。。。」

   というと、「違う。」という。

   ああ・・と気付いて 

   「このお二人は台湾から来られました…」というと、

   そうですかあ。
   といって、軽く会釈し、残りのお経を夫婦で聴いて下さったのでした。

   普及誌も受け取って戴き、
   最後には、『ありがとうございました。』と感謝の言葉をいただき、

     なんと・・・手にはいっぱいのお土産を持たせてくださったのでした。

 言葉ではないのですね。

 厳密に言うと、言語だけではなく、
 想念・思念・真理の響きこそが、「真理のことば」なのでありますね。

 台湾から、ひとのいのちを拝みに来たという真実が人の心を打ったのです。

 今も思い出すんです。

   あの御婦人の顔が豹変したあの瞬間を。

 真実は人を変えるのです。

 これが伝道ではないでしょうか。



実は、豹変するといえば、

伝道の時に、8月ならば、「もうすぐお盆ですね。」

9月ならば、「もうすぐお彼岸ですね」

と一言 添えて伝道すると、
ほとんどの方が顔も態度も豹変するという事を知っていますか??

これは 理論ではなくて、私の体験であります。

「もう帰ってください」というような感じのかたが、

『よういらしたねえ』という感じの柔らかーい顔になる。

それこそ豹変するのであります。

これは技術的な事でも要領でもない。

   御先祖に関わる
   大切な事実・・・

   真理が根拠となっているのであります。

伝道体験講話②~大熊良樹講師 (3680)
日時:2012年11月17日 (土) 06時25分
名前:伝統


 《平成21年9月 お彼岸月の伝道練成会で、 
   私は一生涯忘れられない体験をいたしました。》

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「お彼岸の伝道体験・大熊 良樹」

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宇治の伝道練成会を受講された方は御存じと思いますが、

  宇治の伝道は本当に丁寧なのですね。

  招神歌のあとに
   「●●家の御先祖様のお悟りのために
    聖経甘露の法を読誦をさせていただきます」と宣言しますね。

   びっくりしました。
      最初は。。。なぜ

  「●●家の皆さんのために」
        じゃないんだろう???。

  その後、聖経を1巻読誦します。
    その後、残りの方が聖経を1項目読誦する中を
      訪問者が普及誌を持ち訪問するのですね。

  最初に申しましたように、宇治に入山させて戴き7年がたちますが、
  伝道も毎月参加させて戴いてますと、
  春夏秋冬の伝道があるわけです。

  ある時、伝道を繰り返す中で気付いたのですが・・・・

  8月にはお盆。3月・9月には お彼岸。12月はお墓に暮れのお参り。
  1月にも新年の御参りに墓参する方が多いわけです。

  殆ど2カ月に1度はお墓参りの機会がある。

  ま、近くにお墓がある方は毎月、あるいは毎日墓参している方も
  いるかしれませんが、基本的にそれは無理な方が多い。

  したがって、ほとんどの方の先祖供養の基本は
  「仏壇供養」がベースになっていると思います。

  毎日墓参したい、それも叶わぬので・・と寺社を模して作った寺院ミニチュアが、
  仏壇の起源ですからねえ。

  それを身近に毎日・朝に夕にお参りする。

  その上で、特別な事情がない限り、どんなに遠方に住んでいても、

  半年に1回・年に2回は帰郷し墓参りをするというのが、
  平均的先祖供養像ではないでしょうか。

  日本人の先祖供養というのはすごいですよ。

  ここまで丁寧なのは、世界にもまれです。

   そんな事に気付いたわけです。

      お坊さん出身なのにねえ・・・・

   遅ればせながら・・・
    宇治の伝道で・・・ねえ。

  不思議に、また、お彼岸の頃なんかには、墓参りに行く人や、
  帰ってきたお父さんお母さんに会うわけなんですよ、これが。

  ・・・手に、線香と青花なんか持ってたりして。。。ね。

  いつの頃からでしょうか。

  常に伝道では訪問先の御先祖様を意識して伝道するようになっていました。

  ですから、お彼岸の頃になりますと・・自然に、

  「もうすぐ彼岸の入りですねえ。」とか、

  「お彼岸の中日で忙しいところすみません。。。」
  なんて、言えるようになりましたねえ。

  それが 不思議なことに、その一言を 言うと、

   訪問先の方の表情がことごとく変わる
    事に気付いたのです。

  これは技術や要領ではない。
    そのうち・・・

  ああ、これは
   御先祖様が喜んでいなさるんだー
    とわかりました。

  先ほどはお盆月の台湾の方との伝道体験談でありましたが、

  今からお話するのは、平成21年の9月。

   ・・彼岸月の私の体験であります。

  宇治の元研修生で静岡の松井●●さんという方が伝道に来られていた。

  その松井さんと、京都第一教区の女性信徒さん。3人で伝道に回りました。

  そこで、その話をついついしてしまったのです。

  すると、松井さんが
  「じゃあ 大熊先生に、次は訪問して戴いてよろ・しい・ですか・・?」と。。。。(笑)                    

  松井さんというのは宇治の元研修生ですが、
  優秀で、真面目で、向上心がある方です。

  おそらくは、私が伝道講話で毎回、力説しているテーマである
  『先祖の思い』というのを実感したかった というのが、
  偽らざる気持ちだったのではないでしょうか。

  さて、私は、聖経を1巻、2人と読誦してから、
  普及誌を持ち、訪問したわけであります。。。。続 く

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  「お彼岸の伝道体験・大熊 良樹」
       (平成21年伝道練成会収録)

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1軒目、静岡から来られた松井●●さんが訪問。

2二軒目、京都第一教区の女性が訪問。

そして、3軒目、先述しました、

松井さんの「大熊先生お願いします」の一言に、
私が訪問することとなったのであります。(笑)

 よく榎本一子先生が伝道講話で言われますが、
   伝道の展開は、心境の善し悪しは 関係ありません。

いろいろあるのです。そして、いろいろあって、いいんですね。

そこで 何があろうとも、深く拝ませていただいたか?

そこで何があろうとも、実相を祝福礼拝できたか?
 という事のほうが大切なのです。。

まして、何冊普及誌を渡せたか、何人に渡せたかというのは、
それは 渡せないよりは渡せた方がいいけれど、それが すべてではない。

渡すのでなく、拝むのが、伝道です。
その、拝むかたちとして、伝道があるのです。

ちょっと、前振りが長くなりましたが。。。。

ですから、私が どんなに心境が高くても
かたちとしての伝道がうまくいくか どうかはわからない。(笑)

  「帰って下さい」なんて言われて、

  ぴしゃーっと 戸をしめられるかもしれないわけです。(笑)

さて、わたしの訪問の番です。

そのお宅はお家を改築中でありました。

 改築中のお宅というのは、だいたい家主でなく、
 工事の人が、ピンポンおす前にだいたい出てきますね。
 でたり入ったりしてる訳です。

 経験上 わかっておりましたので、
 そのつもりで、お宅を訪問すると、
 作業服を着た人がやっぱり出てきた。(笑)

 次に 奥さんが顔をのぞかせて、
 たすきを掛けた姿を見たとたんに

 「うちは いいです。」と。。。。
 手を横にふるんです。。。

 私は、「お彼岸が近いですね。

   生長の家ですが、雑誌(普及誌)※を無料でお配りしています。

 できれば、お家の繁栄もお祈りさせていただきたいのですが、いいですか?」

   ※(備考・普及誌というのは生長の家の信徒同士でしか使わない言葉なので、
    初めての人にはわからない。
    相手にわかるように配慮して宇治ではこう言っています。。)

 すると・・・驚いたことにころっと変わるんです。

 さっきまで いいですと言っていた奥さんが、
 「ハイ」と・・・。

その3軒目のお宅をお祈りしていると、
今度は4軒目のご主人がバイクで帰ってきた。

臨機応変です。
祈りの途中ですが、すぐに声掛けします。

そこでも私が、「こんにちは。もうすぐお彼岸のいりですね。」

といって挨拶をすると。。。
警戒心満々の顔が、優しいおじいちゃんの顔に変わったですねえ。

しかも、地元の歴史や、地域の事。ご先祖のこと。
家系にまつわる最近の御不幸や、喜びについて。。。

まるで、お盆に帰省した孫に言い聞かせるように
興味深く、親しく話をしてくれたのでした。

本当に不思議な時間が流れてゆきました。

話が終わり、とても嬉しく安らかな気持ちで
祝福礼拝・聖経を読んでおりますと、

次は向かいのおうちの方、

5軒目のお宅の方が車で帰って来られた。

こちらが訪問するのでなく、
あちらが続々飛び込んで来る感じです。(笑)

この5軒目のお宅は今でも忘れられないお宅でしたね。

      (ねえ、松井さん。)       

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   「お彼岸の伝道体験・大熊良樹」 (平成21年伝道練成会収録)

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向かいの、5軒目の方が車で帰ってきました。
 
駐車場に車を止めると奥さんが助手席から出てきました。

松井さんが声をかけてくれましたが、
なんだか、つっけんどんに
ささーっと、家に入って行きました。

おそらく 私が声をかけても、
あの奥さんの勢いなら、同じ事であったと思います・・。
そんな感じでした。

そうしましたら、
運転席から御主人さんが出てきたのですよ。

買い物にでも出てたのでしょうか・・・
大きな袋を抱えて・・・・

「こんにちは。生長の家ですが・・・」
というと、

「うちは仏教徒だからいいです。」
と たちまち断られました。。。(笑)

皆さん、うちは仏教徒だからダメ。
   浄土真宗だから ダメ。
     禅宗だから ダメ。というひと、伝道先でいますがねえ、

これは 大きな勘違いですよ。

昭和初期。総持寺の管長さんである伊藤道海老師は、
生長の家の「生命の実相」に書かれてある言葉は、
ひとつとして如来の言葉でないものはない。

と言われています。

偉いお坊さんの特徴は
     先入観でものを見ないですね。

わたしは・・・偉いお坊さん
     ではありませんが、(笑)

それでも 禅宗の僧籍を持って真仏教を研鑽しています。

生長の家の信徒さん・・ というより、日本における9割以上はおうちの
代々の信仰は仏教でしょう?

本当の仏教「真仏教」をわかるために、生長の家を勉強しているんです。

  あるいは神道・キリスト教イスラム教でもいい
  あらゆる宗教の真髄を学び 生活化し実践する教えが、生長の家ですよねえ。

  さて、話は
   もとにもどります。

「もうすぐお彼岸の入りですね。今、。。。。。。。。。」
というと、

今まで全く取りあってくれなかったご主人さんが、

  急に神妙な顔で話を聴いてくれ始めたのでした。

私が話し。。。
松井さんも話し。。。

やがて、聖経を是非読んでくださいということになったのでした。(拍手)

  実は実は、奥さんが、近年、脳溢血で倒れ
  以後、少し体が不自由らしく・・・だから、

さっきも、極端に私たちの訪問をわずらわしく感じたようのなのです。

なんだか、奥さんが倒れた時の話を聞いていると・・

人ごとに思えなくて、倒れたご本人である奥さんと、
心配だったろう御主人さんの気持ちを思うと、

  もう真っ赤な顔になって。。

「それは、本当に大変でしたね」

「それにしても、歩けるようになってよかったー」

私も脳溢血で母を亡くしているし、
おばあちゃん子でもあるのですが
祖母も脳溢血で倒れたことがある。。。。。

人ごとでなかったのです。

我が事として、「よかったですね」と申し上げたのです。

すると、松井●●さんが、
「よかったー」 とやはり言う。

ふと みると、眼に涙を浮かべている。。

あっと 思いました。
そういえば。。。。。

松井さんのお父さんが、
数日前に 脳溢血で倒れたばかりであったのですね。

  なんという 巡り合わせでしょう。

4人で心からよかった。ありがとう。
よかった ありがとう。と。。。涙目で祝福したのでした。。。

最後に・・2ヶ月後に 眼の手術をするんですよ・・
という御主人さんに、

 3人で「眼の手術の成功と、眼がますます良くなるように、
    祈らせていただきます」と・・

 お祈りをさせて戴き。。
 
 本当に 喜んでいただけました。

伝道とは、いろいろあるものです。
いろいろあって、いいのです。

でも、あの日のような伝道は初めてでした。

そのお家で聖経を読み終わると、
ちょうど伝道の終わりの時間となりました。

3人で名残惜しそうに
手を振りながらそのお家を離れました。。。

そして。何か不思議なものを見たような、
言葉にならない暗黙の確認を共有したように。。

  すべての伝道先で・・ともに、
   何か不思議な何かに導かれ、守られながら、伝道させて
  戴いた実感と感動に包まれて、

3人は、眼を見合わせ、
      うんうんと。。。

   うなずき合いながら・・
   笑顔で、充ち満たされて
      お彼岸月の伝道を
         終了したのでした。 続く

伝道体験講話③~大熊良樹講師 (3717)
日時:2012年11月18日 (日) 06時38分
名前:伝統


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 「お盆・お彼岸の伝道体験・大熊良樹」(平成21年伝道練成会収録)

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  【報恩と忘恩】

お盆 お彼岸の2つの伝道体験をご紹介いたしましたが、テキストお開き下さい。

「新版人生を支配する先祖供養」(谷口雅春先生著)14ページです。 

《この真義を全ての人類が捉えたならば、全世界は相(すがた)をかえてしまう》        

全世界は相(すがた)をかえてしまう とありますよ。。

これは「生命の實相」頭注版十巻にもある高級霊の霊界通信として
谷口雅春先生がご紹介下さった一節でありまして、

     それに対して、
      「 そんな 重大な
         真理が盛り込まれて
               いるのである」

と、谷口雅春先生は述べられている。

引き続き、15ページ、16ページ読んでゆきます。  ( 少 略 )
どうですか・・皆さん。

「 突然 事故で父が亡くなり、
 もう絶望してしまいそうな母を、子が抱きしめたけれども
 それは、父の霊の感応であった。。。という事なのであります。 」

私はもともと禅宗の僧侶出身ですので
  霊とか。。苦手なのですね。
  興味がなかったのです。

「人間の霊性」なんて言葉は すばらしいなー なんて 思えるんですが、
霊が人をのろったり、運命を左右するなんて。
なんだか 幻覚の傀儡になってしまうようで・・興味が 持てなかったのです。

キャラ的に、
魂を込めるなんて言葉は大好きなくせにねえ。(笑)

したがって、感応などという言葉にも興味は全くありませんでした。

しかし、宇治というのはすごいところでしょ。。。。

日本中から、悩みや難病など問題を抱えた方や、
人生万般よくなりたい という方が来られる。

年間、3000人から4000人は練成会に来られているんじゃないでしょうかねえ。

    それが半世紀以上
       続いている 
         というんですから・・。

1年でも2年でもいいですから、来れる月に来て、練成に参加し見続けていると
すごいことになりますよ。。。。。

  講話だけでなく
    輪読座談会なんていうのがあるから、
  参加者の心の変化がよくわかる。

  この輪読会での出来事を本にして出版したら大反響。
  大ベストセラーになった?
  なんて練成員さんも かつて いました。


それはさておき、重大なことですが・・

どうしたら不幸になり、どうしたら幸福になるか
目で見て、話を聴いて、体験で わかるようになります。
 
かつて谷口雅春先生が真理を生活に活用すれば、
どうなるかという大いなる実験証明である
というような言葉を使われていましたが・・・

わたしも練成道場で、その「証明」を見させていただいて、
これは一つの例外もなくそうだなあと思ったのには、

忘恩してると不幸に思うような事件・事故人生問題がおこるですねえ。
全ての人生問題はそこから出てきている。

逆に 知恩感謝から、報恩感謝に立ち帰ると
全て問題はたちまち解決しますねえ。

 自分の存在を
  肯定できないなんてのは
    それこそ忘恩の極みです。

父母への感謝や、先祖への感謝、
自己の神聖への目覚め(神性開発)によって、
多くの人が救われるのは、そういう理由なんですね。

さて話はもともどりますが、
私たちは、常に多くの人に守られ導かれている。
それを忘れる事は明らかに忘恩です。

感応について思い当たるのは、
常に父母を亡くした方でも、父母に代る愛や深切の代行者が必ず出てくるということです。

練成を見てたら それがよくわかりますねえ。

いのちはひとつなので、常につながっていて、
親切な方に愛する方の愛が感応し、

 あるときは深切な行為となり、

 あるときは 気付きの言葉となり。。。。

お互い導きあっている。。
そんな 実感を持っています。

さて、話は佳境に入りました。

人は死んでも、愛する人を常に見守り、常に導いて下さっているのであります。

そのことへの報恩感謝行が、先祖供養なのであります。


実は、あの お盆の体験・お彼岸の体験の後。


それらの事を伝道講話でお話しましたところ・・
後日、驚くような体験をある女性が話してくれました。

(つづく)

伝道体験講話④~大熊良樹講師 (3756)
日時:2012年11月19日 (月) 06時51分
名前:伝統

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 「お盆・お彼岸の伝道体験・大熊良樹」(平成21年伝道練成会収録)

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今年(平成21年)の9月・・お彼岸明けのことです。

私は、お彼岸に徳島で「先祖供養講演会」を担当させていただき、宇治に帰ってきたのですが、

そうしたら、鈴木祥子さんという研修生の方が

「大熊先生にお話ししたいことがあります。。。」と、言ってやって来たのであります。

ちょうど私が不在の期間に短期入院されていたというんです。

  実は、彼岸の入りから体調が崩れまして・・・
  腸閉そくで近くの病院に入院となったというのでした。

  幸い絶食と栄養点滴だけで5日間で退院できることになったのですが、
  彼女は素晴らしいですねえ。

  「神様私をお使いください。愛を表現する対象の方をお与えください」

  とベッドの上で祈ったというのですから・・・

  すると3日後に石田さんという上品な御婦人の方が直腸ガンで入院してきた。
  向かいのベッドに来られたわけです。

  石田さん、どうも不安で不安でしょうがないらしい。

  聞くつもりはなかったのですが、
    静かな病室では、小さな声もまる聞こえ です。。。

 主治医の先生と石田さんの、お話しする声が聞こえてきたそうです。

   3日後、鈴木さんの退院日です。退院前日。

  石田さんのことを思うとたまらなくなった鈴木さんは、
     思わず ふわっと浮かぶような感じでベッドを降りて
    何かに押されるようにすすすーっと
      向かいの石田さんのベッドに近寄り、失礼します。

      ちょっといいですか。
           と声をかけました。

     どうぞ と声が返ってきて
      締め切ったカーテンの中に入ると、石田さんは

   奇妙なものを観たような表情で、きょとんとしている。

     (その理由はあとでわかるのですが。。。。)

   鈴木さんは、親身になって話し始めました。

   自分も この春に腸の手術をしたが、心配はいりませんからね。
   大丈夫ですからね。

 ここに私がいつも持っているお経があるので
     お守りと思って持っていてください。

   と言って、聖経 『甘露の法雨』を手渡したそうです。

   すると、「鈴木さんはどこに住んでおられるのですか?」と聞かれたのです。

   本当は静岡の出身ですが、
   今は生長の家の宇治別格本山というところでお勉強をしているのです。
   と答えたのです。

    すると石田さんはさらに驚いた顔で
  「ええーっつ。。。私の母は、その
      生長の家というところの信仰をしていましたよ。」といって、

   招神歌を歌いだしたというのです。

《生きとし生けるものを生かしたまえる御祖神・・・・》

  「それです。それです。
    今 お渡ししたのは、その歌が載ってるお経ですよ。」というと、

  「母が熱心に仏壇の前で読んでいました。
   当時 私は幼くて 興味がなかったので、
   すっかり忘れていましたが。。。。」
  
  とおっしゃったのでした。

  そのとき この季節、お盆やお彼岸に報恩感謝のお話をしていた

  私の先祖供養の講話が甦ってきたというのです。

  体調が崩れる直前の伝道練成でも先祖供養の話を聴いたばかりだった鈴木さん。

    先祖は 肉体がないけれど、
      周囲の 善意をもった人に神の愛として 感応し、
         常に愛する子孫を守り導く

  という話を
  「人生を支配する先祖供養」(谷口雅春先生著)の実例(新版p15~17)を
     引用して指導された事を思い出したのだそうです。。

  それで、思わずこう言葉が自然に出てきたそうです。

  『石田さん これは私の言葉のようで、実はあなたのお母様が
      私を通して愛を表現されているかもしれませんよ』と・・。

    すると、石田さんは心から喜んでくださり、
    ありがとう ありがとう 
          と何度もお礼を言ってくださったそうです。

 鈴木さんは翌日退院したのですが、
   それから2週間がたち、
   10月の自主研修というお休みの日に
      石田さんをお見舞いに行ったそうです。

   当日は石田さんの手術前日でした。
     不安気な石田さんは、大変喜んでくださったそうです。

  そこで 驚くような事実がわかりました。

石田さんはこう言ったそうです。

  『初めてお会いした時、鈴木さんは 「失礼します。」とおっしゃって、
     カーテンを開けて入ってこられましたよね。
    あの時 びっくりしました。

  実は、鈴木さんの頭の上から白い光みたいなものが、
   ストーンと鈴木さんの中に入ったのが見えたのです。

  私は、宗教も信じてないし、特別な信仰を持ってるわけでもありません。

  何だろう と・・びっくりしてたら、まるで母さんのように優しく
   だいじょうぶですから、心配しないでくださいね。。。

    といって下さった。

  あの時、私はあまりの不安と恐怖から絶望して
     「死んでしまおうか」
    と 本気で思い詰めていた時だったのです。

    その私に 大事な お経を下さった。

   しかも、その お経は
    偶然にも 私の母さんが毎日欠かさず仏壇で読んでいた
    あの お経だった 。

     本当に びっくりしました。』

   『しかも お会いした あの日、私は、夢を見たんです。

     実は、母の信仰は 唯一 姪に伝わっているんですが、
     その姪と鈴木さんと 私の3人で 嬉しそうに
      宇治川のそばを歩いている夢なんです。。。。。

   そういえば、鈴木さんとお会いする直前、

   お彼岸にお墓参りで姪がお墓の前で読んでいた
   お経があの いただいたお経(「甘露の法雨」)だったんですね・・。』


 鈴木さんが腹痛で苦しみだした当日、彼岸の入りに 
 同じ宇治市の空の下でじつに見ず知らずの石田さんは 
 お母さんのお墓の前にて聖経を姪に読んでもらっていたわけです。

興味深いのは、それでも
   お経のカバーの特徴さえ覚えていないくらい無関心であった
 石田さんが まるで母の感応を受けたような・・

    私は そうであると思いますがね。。。

   鈴木さんに救われた事である。。。。

  更には、宇治川沿いに宇治別格本山があることを知らない

   石田さんがそのそばを歩く夢を見た、という。


  これは 本当に不思議ですねえ。

    科学や理屈を超越していますねえ。

  鈴木さんはすっかり驚いて、
   今回のお彼岸から始まった諸々の出来事が
    全ての人が、常にご先祖様(この場合は母親)から 
     無限の愛で愛され守られ 導かれているという真実を 
      教えて戴くための貴重な体験であった ことを知ったのでした。

鈴木さんは、
   「それを学ぶためにわざわざ入院を体験させていただいたんですね・・」
     と・・感動されていました。

どうですか、皆さん。
これが、お盆からお彼岸にかけての体験談3つ目のお話であります。(拍手)


そして今日は 締めくくりに
    ある 不思議な体験を話させていただきます。

  もう残り時間が10分しかありませんので、
 足早に お話させていただきます。

初めに、生長の家に触れさせて戴いて26年という話を致しましたが・・

実は、私がはじめて先祖供養の話を聞いたのは

  26年前の
     徳島教化部
         だったのです。。。。。

             続 く

伝道体験講話⑤~大熊良樹講師 (3790)
日時:2012年11月20日 (火) 04時26分
名前:伝統

 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

  「お盆・お彼岸の伝道体験・大熊良樹」~最終 (平成21年伝道練成会収録)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

初めて先祖供養の話を聴いた徳島県とわたしのご縁。。。

 今から 26年前のことです。
その数年前より本好きの私は、生長の家の書籍に巡り会い・・愛読。
   まとまった在庫冊数のある場所として愛媛教化部の図書コーナーに、
      月に一回は通うというような生長の家叢書のフアンでした。

教化部に通っておりますと、Kさんという学生のかたが、
【当時私もピカピカの大学1年生でした。。】

講演会にゆこう・・・といって、
ありがたくも 強引に私をお誘いくださり、
なんと片道・・・5時間以上当時、かかったと思いますが、
徳島まで連れて行って下さったのでした。

当時、講話が素晴らしいと有名だったA教化部長先生でした。

なんと、そこで聴いたのがご先祖の導きという事のお話だったのでした。

  当時お聴きした講話は
       相当、強烈な講話でありました。

『秋の頃。山奥で野焼きを一人でしたおった
    農家の女性が火と煙に巻かれて死にそうになる。。。』

『大きな声でこっちこっち と、
     叫んで母が 助けてくれたが。。。。』

・・・・助かって はっと、我に返ると、母はかなり
以前に 他界していた。。

というお話でありました。。。。

涙がぽろぽろ出ました。

純情ですねえ。
     18歳・19歳頃ですよお。

しかし、感動的だからといって、本当の話であるという証拠がないのです。
霊体験というのは、そういうことが多い。

思いましたねえ、そのとき。
「わたしが、体験したら信じよう。」と。。。
死後の存在を実感する体験とか、交流とか、確証を得るなにか・・・
                      ですねえ。

しかし、その後私自らが、26年かけてその体験をしようとは思いもしませんでした。

御参考

大熊良樹の体験?
大熊良樹の体験?


私は禅宗の僧侶出身ですので、むかしから・・・・霊的な話というのは苦手である。
興味も あまりなかったのでありました。。。。
   (禅僧は基本的に霊や、死後を語らないのです。)

しかし先祖供養というのは、
現代においては僧侶の大切な役割であり、
また、その重要性を多くの方々に語ることは社会的責任であろうと思う。

   しかし、そこには現代仏教が抱える
      ギャップが私の中にもあったのですね。

しかし、生長の家で
すべての謎が体験として、ほとけた。

その意味でこの体験は重要な意味を持つものでありました。

  最後に、その初めてお聴きした先祖供養の話から26年たって・・・・

私が、宇治別格本山に入山7年。
昨年のお彼岸ですよ。。。。

講師を拝命して。。
 初めての教区からの《講演依頼》 は。。。
  何だとおもいますか。。。???

なんと、「秋のお彼岸」の《先祖供養講演会》でした。
そして、依頼教区を聴いて驚きました。

まったくの偶然ですが・・あの、
 徳島教区でした。
    (拍手)

   本当は、偶然なんてのは、ないのか しれませんねえ。

更には・・
 入山7年目の夏、宇治便り(宇治別格本山の新聞)を見ておりましたら
びっくりしましたねえ。

あの26年前の(昨年ですから25年前の)あのA教化部長先生が 
宇治の思い出について、しかも供養についての体験を書かれておられる
記事が偶然掲載されているんです。

私も 思わずああーっ、
あの時の先生やーあっと・・。

宇治便りありますので、記事読みますね。
『教化部長を拝命して
    はや25年になります。。。。
   最初の教区は徳島でした。
    その新米教化部長第一年目の
      昭和59年、初めて宇治の盂蘭盆供養大祭の神官奉仕を
        させて頂きました。・・・ 』略

   解説しますね。大祭三日目の浄火の儀のおりに、
          突然 若くして亡くなったお父様の顔が浮かんだというのです。。

そのような体験を書かれていました。

そういえば、その教化部長先生の担当する教区はどこに行っても
   すべての成果において素晴らしい伸び率を上げる事で有名らしいですが、

秘訣は、
先祖供養を大切にされておるのだそうでありますねえ。

守護してもらうために・・
 ではないんですよ。

御守護 御慈導に
感謝するために供養するのです。
知恩感謝の供養ですねえ。

       どうですか。いろいろと
        お話をさせて戴きましたが、

   ほんとうに・・人生に、たまたまなどというのは、ないのかしれませんね。

常に神の導き、ご先祖様の導きがある。
  この、恩を知ることを知恩といいます。

人は、知恩するとき感謝があふれてくる。
  感謝があふれるとすべてがあるべき姿 本然に整うのです。

生長の家で、人間は神の子だあー。
という事を知ると、またその自覚を練成会に来て高めると、
奇蹟のような事が起こるのも、
先祖供養を真心込めて行うと素晴らしい事が起こるのもそういうことである。

逆が 忘恩である。
自分をつまらない存在と思い、
父母の恩を忘れるところから、自己否定が展開するのでありますねえ。

「ああ、神(仏教なら仏でいいです。
  禅ならば、法身といいます)と、先祖と、
父母と、我は一つであったのだあー」

この実感。喜び・・・
 これは、生長の家の宇治練成道場で
    体験として悟らせて頂いた貴重な学びでありました。

本日は伝道練成会最終日ですね。どうか、ご先祖様の代表のつもりで、
  たとえ経過が、どういう展開になろうとも・・です、

素晴らしい 御子孫様を、
喜んで 祝福賛嘆 礼拝させて頂きましょう。

 心を 込めて ・・。

縦にも、横にも
 ひとつ の自覚 で、ですね。。。

さあ、今から 伝道です。

  本日はご静聴
ありがとうございました。 了

//////////////////////////////////////////////////////////

大熊先生は、楠本先生に次いで多くの「体験を生む」先生のおひとりです。

「雅宣先生の美点」を述べて、本流より攻撃されていた時代もありましたが
・・その指導力には、本流派も一目置いております。

今は、できれば教団でお祈りに徹していただきいたく思います。

勝手な引用を御容赦くださいませ。




思いだして嬉しくなりました。 (526)
日時:2012年08月23日 (木) 09時40分
名前:由美子

この講話を直接聞きました。
思いだして嬉しくなりました。

ここには、机上の空論がないです。
堅苦しい理屈がないです。

実祭に神様から頂いた、「体験」と
真理の「学習」「反省」「感謝」があふれています。

素晴らしいです。・・・・



あの講演会で、私の信仰の目が、開きました。 (529)
日時:2012年08月23日 (木) 11時56分
名前:えっちゃん

「お盆・お彼岸の伝道体験」~最終 で出てきました
T教区の講演会に参加したものです。
あの講演会で、私の信仰の目が、開きました。

「真理が鳴り響く」といって、グラスをチ~ンと、
打ち鳴らす光景は、今でも夢に出てきます。

ありがとうございます。合掌



まことに、ありがとうございました。  合掌 (534)
日時:2012年08月23日 (木) 19時04分
名前:練成マニア

この、伝道講話には「真理」の全てが網羅されている気がします。
どうしたら、人間は「不幸」になり、どうしたら人間は「幸福」になるのか。

人間の霊性・・伝道のお手本。

理論ではなく、「体験」から出た「言葉 (コトバ)」。

まことに、ありがとうございました。  合掌



情報です。 (535)
日時:2012年08月23日 (木) 19時16分
名前:北海道の信徒

わたしは、平成22年の春。
先生の噂をお聞きし、個人指導を受けさせていただくために北海道から
「京都」までお伺いしました。

全ての悩みが解決し、家族も子供もみな、大喜びです。
ブログは、楠本先生のウエッブサイトの消失の後、
同じく消えてしまい・・残念に思っております。


大熊良樹先生のブログは閉鎖され、
内容は削除されているようですが「体験談」だけは見ることができるようです。。。。

http://blogs.yahoo.co.jp/ookuma4141/3277222.html

「自殺について」~谷口雅春先生 (3824)
日時:2012年11月21日 (水) 04時48分
名前:伝統

「自殺について」  死後の世界を語る
     生長の家創始者 谷口雅春先生 (909)
日時:2012年09月10日 (月) 16時22分
名前: 鏡 佑太 


「自殺について」~生長の家創始者 谷口雅春先生

自殺者の死後の運命は、罪を犯した人の死後の運命と非常に共通した点があるのである。
それどころか、普通の罪人以上の悪い運命を受けるのである。

自殺とは卑怯なる行為であり、その結果に恐怖すべき報いを招く罪悪である。

来るべき苦痛を避けようと思って自殺したる死後の霊魂の言葉を借りて言えば、
吾々各人は地上に於いて成し遂げねばならぬ責務または使命を持っているのである。

此れは吾々自身の「善」と向上の為に耐え忍ばねばならぬ試練である。
(この地上の世界を試練の世界と観る事はスピリットたちの一致して告ぐるところで
あるから信じてよいと思う)。

此の試練を避けて、定められた時以前に人間的苦痛から逃げ出すのは自然の法則に反逆することである。
自然の法則に反逆する者は、自然の法則から恐ろしい復讐を受けなければならない。

自殺は肉体的苦痛を逃れる道ではない。
自殺した者の霊魂は、破壊した肉体から容易に蝉脱する事が出来ない。
その苦痛は、決して一思いに死ぬなどの苦しみとは比べものにならない甚だしさである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     (霊界通信)

地上の生命の糸が断ち切られたとき、彼の霊魂は、暗黒と苦痛との世界に自分自身を見出しました。
長い間その霊魂は肉体を離れることが出来ませんでした。

墓穴の蓋が自殺した肉体の上に閉ざされた後までも、
彼の霊魂は、長い間その肉体の周囲にたゆとうていました。

彼は許されずにやって来た他界へ来ても誰も歓迎して呉れもしなければ、
落ち着きも得られませんでした。

暗黒が彼を取り巻いていました。

そして陰暗朦朧たる闇を通して、同種類のみずから破船した人々の霊魂が、
平安なき孤独の状態で,悄然と蠢動しているのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自殺は、自然の法則を破毀した我侭な行為であると言う点に於いて
それは罪せられずにはいられないと言う事にスピリットたちの言葉は一致しているのである。

スピリットたちは、いづれも「口を揃えて」自殺者の霊魂は自殺の瞬間にとった
いまはしい不快な状態を長い間継続して感じた後、暗い陰惨な冥界へ移され、
そこで改悛の情の起こり来るまで苦しまねばならぬと言う事に一致しているのである。

「先ず神に和解せよ」~谷口雅春先生 (3895)
日時:2012年11月23日 (金) 04時32分
名前:伝統

<個人指導>「先ず神に和解せよ」谷口 雅春先生 (601)
日時:2012年08月26日 (日) 19時43分
名前:愛国本流講師М


子供の喘息が治りません。

毎日、この喘息は「治りました」「治りました」と?
100回くらい、祈っているのですが、なぜ、治らないのでしょうか・・・? 

         (  入信3年・・・・高田  )


現(あらわ)れている喘息(現れて消える喘息)を、「ある喘息」と見て、祈っていませんか。

認めることは、「ある」と祈ることです。

ないものを無いと、観ることで、「速やかに消えてゆきます。」

その始めは、「神への絶対感謝であります。。。」
谷口雅春先生の御文章を紹介致します。



「先ず神に和解せよ」 ~ 生長の家創始者  谷口 雅春先生
 

『天地一切のものに和解する』には、第一、神に和解しなければならないのである。

神に和解するには、神の創造した世界には、
一切の悪は存在しないと云うことを先ず信ずることである。

「お前のこしらえたものに碌なものはない」などと考えているのでは
相手に和解していることにはならないのである。

神に対してそんな考えをもっていながら神に和解していると考えてはならない。

肉眼に如何に不完全な相(すがた)が見えようとも、
神の創造(つく)ったこの世界には不完全な存在はない。

それは自分のあやまれる心の反映だと自分の心を反省しなければならない。

       「生長の家」誌 昭和25年11月4日の法語

「枕石寺の由来」~藤原敏之講師 (3925)
日時:2012年11月24日 (土) 06時20分
名前:伝統

(有名講師の名言)「枕石寺の由来」藤原敏之講師 (506)
日時:2012年08月22日 (水) 17時16分
名前:「訊け」管理人


    *『そのまま極楽の道』(藤原敏之著)25頁より

(親鸞上人に関して)その中で特に有名なのは、「枕石寺の由来」であります。

常陸の国(茨城地方)を二人のお弟子を伴って托鉢しながら縁のある人々を教化し、
導いて歩いているうちに猛吹雪となり、5メートル先も見えない程の大雪で、
あっという間に雪が積もってどこが道だか田圃だか全然判らなくなりました。

そのうち日がくれてしまい、どうすることも出来なくて困っているとき、
はるか彼方に明りが見えるのを頼りに辿りついてみると、
立派な門構えの大邸宅がありました。

これは有難い、一晩だけ吹雪を避けさせてもらいましょうと、一夜の宿を乞いました。
すると家の主人が立ち現れ、「縁起でもない、クソ坊主など泊めるいわれはない、
さっさと出て行け」と大声でどなりながら、木の棒で追い払い、門の外まで追い出して
内側から厳重に閉めてしまったというのであります。

この人物は日野左衛門といって近郷近在きっての大金持ちでありました。

門の外まで追い出された主従3人は仕方なく歩き出すことに致しました。
しかし何分にも北国の冬であり、今とちがって降る雪の量も多くてどうすることも
出来ません。夜が更けるにつれて雪はうなりを立て容赦なく吹きつけて来ます。

親鸞上人は門の敷石を枕に横になって休まれました。
2人の弟子が衣の袖と菅の笠で上人さまにかかる吹雪を防ごうとしますが、
見る見る雪が積もってまるで雪の布団にくるまっているような状態であります。

素足に草鞋の上人の足からは、皸(あか)ぎれで血が吹き出しています。
これを見て2人の若い弟子が、「なんという無慈悲な翁であろう、せめて門の内にでも
入れてくれたらこんなにまで痛ましいお姿にならなくてもすんだものを・・・・・」

「もしも出家せられずに家を継いでおられたら、今は公卿の御身分で、どんな栄耀栄華も
思いのままであろうものを、衆生済度のためとはいいながらこのご難儀は、何と痛ましい
ことか・・・・・」と泣いているのをごらんになった上人は、

「お前達は何を文句をいっているのか、そんな間違った考えを起しては親様に申訳ないぞ」
といいながら詠まれた歌が有名な、


 寒くとも袂(たもと)に入れよ西の風
         弥陀の国より吹くと思へば


というお歌であります。

この意味は申すまでもなく、どんな寒さも、困難と見えるものも、
何一つとして神様の恵み、仏のお慈悲でないものはないのだぞ、
どんな寒さも阿弥陀様のみ国から吹いてくる風だという気持で受け、
有難いと感謝して大切に袂にでもしまうような心で受けてみよ、

苦しいものなど何一つとしてないぞよと、天地一切のもの悉く仏の恵み御慈悲の現れ
であると諭しておられるのであります。

諭され、教えられた二人の弟子たちは、大いに恥じて眠られぬままに大声で、
感謝の称名、お念仏を称えておりました。

と、先程の当家の主が松明を掲げて出て来て門の戸を開き、
「どうぞ家にお入り下さい」と丁寧に招じ入れ、火を焚いて温めてくれた上に、
温かい雑炊を作って食べさせてくれ、

一晩中仏のお慈悲について親鸞上人から説き聴かされ、
さすがの強欲非道な日野左衛門も真理に目覚め、本願他力によって救われたのであります。
ついにご開山の弟子となり、広い邸宅を解放して教えの道場に捧げるに至ったのであります。

そのいわれによって寺号を枕石寺、即ち石を枕の寺と号されたのであります。

<了>

無条件の感謝~藤原敏之先生 (3961)
日時:2012年11月25日 (日) 04時51分
名前:伝統

「なんで悪いことが起こるの?」「教えてください、藤原先生」 (527)
日時:2012年08月23日 (木) 09時48分
名前:「訊け」管理人


    *『すべてを癒す道』(藤原敏之著)P128より

<< 往信 >>

長年の生長の家信徒で、教えはよくわかっているが、心臓病と喘息で苦しんでいる
という婦人から。

<< 復信 >>

合掌

御文意正しく拝承致しました。
次から次と種々の魂向上のための自壊作用が現れ難儀しておられるご様子、
心より御同情申し上げます。

私達は天の使いとして神意を地上に顕現するための尊い使命によって、
地上に誕生したものでありますが、また一面魂が無限に向上を遂げるための過程として
人生学校に入学したものでもあります。

ですから人生とはその人の魂の程度に応じて問題のあるところなのです。
問題のないことを願う気持はわかりますが、それは神の子とわかってはいても、
未だ自覚が得られていないからであります。

神を知ってはいるけれども信じていないからであります。
わかったのと信じたのとの違いであります。
知った知識が救うのではなく、信がそのまま、即救いとなるのであります。


キリストも”汝の信ずる如く汝にまでなれ”と教えられ、又”汝の信仰汝を癒せり”とも
教えておられます。よく判ったら救われると教えておられないところに御注目ください。

尊師谷口雅春先生も救いの根本が自覚にあることをお教え下さっております。
自覚とは気がつくことでありますが、ただ表面の心で気がつくのではなく、
魂(生命)で知ることであります。

もっとわかりやすくいえば身体で知ることであります。
信とは実感となることであり、実感は身体を通して知ったときであります。
火が熱いとわかるのは、手に触れてみるからです。

考えたからでも、熱い論理がわかるからでもありません。
実感を通してのみ、信念となるのです。

料理を食べておいしいと感ずるのは、訳がわかったからおいしいのではなく、
食べてみたからです。料理に関する知識や訳が全然わからなくて食べても、
おいしいものはおいしいのであります。

いくらきいても読んでも救われないというのはこの肝腎の行がないからです。

何もわからず、知らずにいても、行じている人は救われるのであります。
それは救われていない者は本来無いからであり、みんな既に救われておりながら、
救いを現さないだけなのです。

工事も完璧であり、電球も備え付けてあり、発電所では無限に発電せられておりながら、
暗いのはスイッチを入れないからであり、電源につながらないからであります。
発電所には電力があるとわかり、電球はともるとわかっておりながら、
スイッチを入れないで”どうして明るくならないのであろうか?”と思い煩っているのと
同じであります。

信仰に最も大切なことは真剣さと素直さであり、勇気と行動力であります。
何故かと考える先に行動致しましょう。
救いの根本行とは、ただ”有難う”と感謝することであります。

どうすればよいか・・・ではありません。

そのままで感謝するのです。善くても有難く、悪くても有難いのであります。
自分の力によるものは何一つないのでありますから、一から十までことごとく頂きもの
であった、丸貰いの丸儲けとわかれば感謝以外にはないはずであります。

自己の力をちょっとでも頼みにし、当てにしている間は無条件に感謝出来ないのです。
”私が無かった”とわかるとき、無条件の感謝となります。

人間としての私は昨日死んだものと決めなさい。死に切ってごらんなさい。
今あるのは神様だけになります。神様だと決まったら、病気はないのです。
神以外に”私がある”と思っているから病気を認め、病気を許すのです。

病気と妥協し、病気の存在を許すから、無い病気が”のさばって”あるかのように
幅をきかせるのです。

今日限り、今限り、病気の存在を否定し、断乎として追い払いましょう。
無い病気を認め、許すのが無明です。その無い無明が病気の姿をして頑張っているだけです。
 
『甘露の法雨』に「あらざるものを有りと想像するが故に迷いなり」とあります如く、
全く夢であります。夢は無いけれどもみている間はあると感じて苦しむのです。

あなたも病気の正体を見破りなさい。
あると認めて治そうと思っておられる限り、あるように現われます。
救われようと思い、焦っている限り救いは現われません。

それは救われていないと信じているからです。
救われていなかったら、生まれることも生きることさえも出来ません。

生かされている事実を信じて、只管(ひたすら)感謝し、
「有難うございます」を一日少なくとも、一万回以上誦えましょう。
三時間半で一万回誦えられます。

これを実行して十年間の全身リュウマチが一日で治った実例があります。
なぜといって、理由も訳もありません。
神様に波長を合わせるから、本来の姿が現われるだけであります。

結果を予想せず、ただ「有難うございます」をコトバに誦えましょう。
求めなくても結果(答え)は現われます。
大根の種を蒔けば、訳も理由もなく大根が生えるようにであります。

 このことを信じて唯々行じましょう。

 再拝

<了>

神の子である事実を生命で把握し、根こそぎ全托しましょう (4051)
日時:2012年11月28日 (水) 04時23分
名前:伝統

「あなたは苦しみが伴うから無い病気をあると認めておられます。
つまり迷いと妥協し、偽もの を許しておられます。」 (541)
日時:2012年08月24日 (金) 08時42分
名前:「訊け」管理人

   *藤原敏之・著『すべてを癒す道』(P131)より

<< 往信 >>

 長年の喘息の発作に苦しむ、入院中の女性。

<< 復信 >>

 合掌

お手紙によりますと、長い間の喘息の発作にてお苦しみの御様子、誠にお気の毒です。
七月の練成会にもおこし頂いたそうですが、未だ快癒せず入院中の由、
私の祈りと愛念の不足を痛感致し、深くお詫び申し上げます。 
 
あなたは宗教による救いと医師の医療とを混同しておられるようですが、
身体に現れた疾患を治すのは医師の仕事であり、医療の目的でありますが、

宗教の目的はそのような現象の悪や不完全を取り除いたり、
身体の病気を治すためのものではありません。

神様を医療の代行機関や薬や注射と間違えてはなりません。
信仰によって、難病や奇病が癒えるのは悪いのが何かの力を借りて、何かを足してもらって
快くなるのではありません。

元々、どうもなっていないから、どうもなくなるだけです。
あなたのお手紙では、どうもそこの所が未だ本当におわかり(覚り)になっていないように
思われます。

生長の家のみ教えは絶対でありまして医学や常識では絶対に治らないとされている
業病や奇病でも簡単に消えてしまって、治っているのですが、
あなたの考えておられるように悪いものが何かによって快くなるのではありません。

どうもないと覚ったとき、どうもなくなるだけであります。
練成会のときにも申した通り、目を閉じて暗い暗いと思っているのが、
目を開けなさいといわれて素直に目を開いて今まで暗かったのが明るくなるのであって、
本当に暗があるのであれば、どんなにしても暗を除くことは出来ないはずであります。

光を見ないから暗いだけであります。
夢の中での出来ごとがどんなに恐ろしいものや苦しいものであっても
夢は元々実在ではないから目がさめれば、みんな消えてなくなるのと同じであります。

宗教による解決法はすべて今まで本当だと思っていたものが、
例えば目に見えるもの(現象)が実在だと考えていたのが、根本的なまちがいであって
現象はすべて影であり、実在ではなかったと心の底から気づく(自覚する)ことであります。

肉眼では見ることの出来ないもの、即ち本当にあるものは生命であり、理念という心であった
と気づくことであります。

普通一般常識はみな逆なのです。
実在するもの(實相)は目に見えないから無いと思い込み、影である現象は目で見えるから
本当にあると思い込んでおりますが、このことを仏教でも生長の家でも無明である、
これが根本的な間違いであるとお教え頂くのであります。


しかも一切の苦悩、病気も貧乏も争いもことごとく無明から生まれると教えられます。
この根本を解決せず、結果である病気だけを治そうとしても本末転倒ですから
解決のしようがないのであります。

あなたほどの人であれば、ここの道理がわからないはずはありません。
したがって運命も環境もすべて心で決め、心の思っている通りに現れるのであります。

あなたは苦しみが伴うから無い病気をあると認めておられます。
つまり迷いと妥協し、偽ものを許しておられます。
お化けがいると思っているのと同じであります。

無い現象の方を信じ、實相(真理)を信じていないから、
「よくなりたい、よくなりたい」と願いながら、いつまでも治らないのであります。

あなたはみ教えを知り、理解はしておられるようでありますが、
未だ信じておられないようであります。

宗教は学問ではありません。
私達は現実に生活しているのであって考えているだけではありません。
宗教は考え方も変えますが、生活をも変えるのであります。

実践(行)を伴わないのは宗教学であって信仰とはなりません。
お腹の空いたのは、どんなに食べたらふくれるとわかっても考えても
おいしくもなければ満腹感も生まれません。行を通さなければ実感とはなりません。

実感を通さないから信とはならず、現実の救いともならないのであります。
”こうらしい”と”こうだ”とでは内容的には大きな開きがあり、
力の生まれる度合いに於いては問題にならない程大きな違いを生ずるのであります。

先ず第一に神の子である事実を生命で把握しましょう。
自分の力で出来ていることは何一つない事実を素直に確認し、根こそぎ全托しましょう。
後は神の生命、神の権能(ちから)だけに生かされている事実に目覚めましょう。

病状から推察してあなたは大変潔癖症で間違ったことは許せないという性格のようですね。
その上大変気が短い方のように思います。喘息になる方は大体性急な人です。
これは長所であると同時に短所でもあります。

この性格は信仰による以外にはちょっと治りません。
それとご主人に”絶対ハイ”が足りません。
心の底でご主人の命を突き返しておられる、その心が息(生命)の通る道をふさぐのであります。

神の子だと自覚したとき、他を裁く心がなくなり、そのままで感謝し拝めるようになります。
責める気持が逆にお詫びする心になります。
喘息など神様がお造りにならないから元々無いのです。

あなたの思いが一変すれば勝手に消えてしまいます。
あなたは今、尊い体験を通して喘息で悩んでいる沢山の人を助ける使命をさずかって
おられるのであります。喜びを以て精進して下さい。

<了>

神癒の原理 (4116)
日時:2012年11月30日 (金) 04時28分
名前:伝統

『練成会に臨んで内観すること』  藤原敏之 先生 (998)
日時:2012年09月17日 (月) 03時41分
名前: 澤水 紘一


生長の家史上、「実相独在」の吉田国太郎先生や「神癒」の服部仁郎先生。
「練成を始められた」徳久克己先生も「名講師」であられるが、

この「藤原敏之 先生」こそ、生長の家史上「最高峰の名講師」と思われる。

「藤原敏之 先生」が、なぜ全国的に無名であるかと言えば、
珍しい経歴で、生長の家職員(出身)でない講師であったからである。

日本生命の支店長を定年まで務めあげ、定年退職してから、
本部講師・教化部長を拝命した方であるからだ。

異例中の異例。異色中の異色であろう。

この「実相独在」の系譜が宇治の奇蹟続出の「裏」の真実でもあるのだ。

詳細は名著「弟子像」(榎本恵吾著)をご覧いただきたい。



『練成会に臨んで内観すること』
~生長の家宇治別格本山  元練成部長 藤原敏之 先生


◇偉大な〃神癒の原理〃

合掌、有難う御座います。

生長の家大神の御守りと御導きを賜り、尊師谷口雅春先生の御恩徳によりまして、
毎回信濃練成に於て神癒と奇蹟とが続出しておりますことを此の上もなく有難く感謝申上げます。

医学や常識では、到底治る筈が無いというような重患が、一瞬にして消えたり
人間業では解決しそうもない困難な問題が、忽ち解消すると言っても、
一般には一寸納得出来かね又体験として発表しても信じようとはしないのであります。

其れ程迄に現象にとらわれ、現象を信じ込んでいるのが人間なのであります。
この長きに亘る迷妄を打ち破ることこそ御教えの目的であり、根本的課題である
と信ずるものであります。

『生命の實相』第一巻第三頁に、この神癒の原理が示されているのであります。

『生命の實相の自性圓萬を自覚すれば、大生命の癒力が働いて
メタフィジカルヒーリング〈神癒〉となります』

とも御示し戴き又實相圓萬の自覚によって、大生命の治す力が働いて
われわれの不幸を癒して戴くことが出来るとも御教え戴いておりますから、
私達は只信じて実行すれば、それだけでよいのであります。


私は練成の根本方針を、此処のところに於て実施させて戴いております。

御教えが絶対であり間違いないからこそ御教え通りどんな悪性疾患も機能障害も
みんな消えて治ってしまうのであります。

別に種も仕掛けもないのであります。

強いて言えば、同じお話しをしても行事をするにしても、形式的とならず、
生命が篭り生命を通したものがそこに発現して練成を受けられる皆様の魂を打ち、
肉の耳で聞くだけではなく魂で受け止め、身体で受けられる結果
神様に直結せられ神癒をお受けになるものと信じます。


理由は私共にも判らず又治る方々にも判らないのであります。

兎に角人間は少し本を読んで判りかけますと、覚えたものを自分のものだと思い違いしたり、
御教えを私有物とし勝ちでありますが、このことは極めて警戒を要することだと思います。

御教えを御説き下さる谷口雅春先生も
「自分は教祖ではない教祖は自分を指導して下さる御神霊である」
と申しておられます。

私達は常に神想観して自己を否定し、己れを空しうする時、
神に直結し神の導きを戴くことが出来るのであります。

人間心や人間力で人間が救われる筈がなく、私達が祈りに徹し自己を放下し切った時、
神は私達を媒体として働き給い、神智と神愛とを天下し給いて神癒を現わされるもの
と信じます。


私達は練成に際して神以外のものを一切認めないよう自己否定の祈りに徹して
練成に従事させて戴いております。

随って信濃練成は「神様が直接主催し給う練成」であると信じております。

私達は只奉仕者としてお手伝いをさせて戴くのであり、
神意以外のものが混じってはならないと、
常に厳重なる内観の下に従事させて戴いております。

話しが上手であっても、行事がうまく行われても、人間によって為されている限り、
単なる行事に終り、話しとなります。

救われるのは話しでもなく行事でもなく、
そこに神の御降臨があるかないかで決まるものと信じます。

どれだけ神を現すかが重要な鍵となり、
このことを明確にし正しい基盤の上に立って行われる時、
上手下手には関係なく必ず成果が上がるものと思います。

何故かと言えば、其処に神が現われている時、そことは最高となり最善となりますが、
神が現われないでは人間力が主体となり、相対力しか働かないからであります。

神力は無限でありますが人間力に自ずから限界があり、絶対的な自信は伴わないから、
言うこと為すことに権威が無く相手の魂を打つだけの迫力に欠けるのであります。


御教えは覚えたり、知るものではなく、行ずるのであります。
教えをそのまま実行する時初めて結論となり、金剛不壊の信となり、
信は即ち絶対でありますから自信となり、其処に完全な自由が得られるのであります。

無碍光如来とはこの様な境地に生きる人を言うのであります。

『生命の實相』に「自己を礼拝し自己を讃嘆せよ」とあり、
釈尊が「天上天下唯我独尊」の自覚を得たのも
如来以外のものを認めなくなったからだと思います。


この自己を礼拝するということは、肉体人間を礼拝することではなく、
「自分が自分と見える侭自分ではなく、神の生命其のものであり無限なるものである」
という自覚に到達することでありますから、

只話しや言葉だけではなく真実であり、御教え通り如実に実現するところに
御教えの真実性と無限の尊さがあるのであります。

さて、前おきが長くなりましたが、物ごとは前提となり基盤となるものが一番肝腎であります。

建物でも土台がシッカリしていない所にどんなに立派な建築をしても、
すぐガタガタになり壊れてしまう如く、練成の成果もこれ同様でありまして
奉仕する者、練成担当自身の心構えが極めて大切であり、
ここが狂っていては正しい指導は生れず、どうすることも出来ないと思います。


ありもしない現象ばかり見て現象処理の方便ばかりと取り組み、
心の法則や因縁話だけに力を入れてみても、
實相を観る心が開かれないで、迷って苦しんでいる人達は
益々判らなくなるばかりであります。


生長の家の御教えには、縦の真理と横の真理とが明確に区分されて説かれて、
縦には「人間は神の子であり、無限であり、絶対なるものであり、
肉体的存在ではなく生命そのものであり、其の生命は即ち神の生命である」
との大前提に立つのでありまして、このことを離れては御教えは存在しないと信じます。

この御教えの根本であり中心を貫く筋金がシッカリとはいっていなかったならば
「物質は無い、肉体は無い、病気も無ければ不幸も無い」と横の真理を口で言ってみても、
所詮解決は得られないのであります。


病気が癒えるのも、不幸が解消するのも、元々無いものが無くなる丈のことであって、
悪いものが善くなったり、あるものが無くなる訳ではなく、
本来善なるものが本来の姿に帰るだけのことであります。

人間は、現象の悪や不完全なものがあるという迷妄によって、
ありもしない苦しみや悩みを造り出しているのでありますから、
この根本的な間違いを打ち破る以外に、解決の道は無いと確信致します。

現象の悪に執えられて苦しんでおられる方達は、
丁度ありもしない夢を見て夢を本当だとして恐れているのと同様でありますから、
夢の中の出来事を解消する為の努力を払う必要もなく、夢が醒めることが根本なのであります。

私達練成担当者の使命は、この夢にうなされ苦しんでいる人達の夢を
醒ましておあげすることだと信じます。

そのことを忘れて一緒になって夢の解決に力を入れているようでは
本当の救いとならないのは当然であります。


指導する立場にある者が現象や悪を認めて現象処理の方便としての横の真理のみに力を入れて、
心の持ち方や、又先祖祀りの形式や、神想観のやり方の上手下手によって問題の解決が決まる
というような導き方で根本的な解決の出来る道理はありません。

それだけでは生長の家の肝腎要の神髄が失われ、骨抜きになります。

救いの顕れるのは本人の自我的努力によるものでは勿論なく、
指導者の巧拙によるものでもなく、「どれだけ相手の實相を拝み得たか」
ということにあると確信致します。


拝むということは人間を拝むのではなく、神を拝むのであります。
相手を人間と見乍ら何程拝んでも、それは拝んだことにはならないと思います。
本当に拝むということは徹頭徹尾現象を否定し、人間を否定し切ることであります。

そこに初めて神を観ることが出来、無条件に拝むことが出来ると信じます。
否拝まずにはおられなくなるのだと思います。


生長の家の練成会には必ず〃神性開発〃という肩書きが附けられのも、この為だと思います。
このことが抜けた場合は、只の練成会となり、他の団体等で行われている単なる
集団訓練と変わらないことになります。

神癒の原理は人間的常識を超越することによって起るのであり、
現象の法則を超えた神の世界に於いてのみ現れるのでありますから、
常識では納得出来ないのが当然であります。

信ずる者のみに起る現象なのであります。

キリストも「汝の信ずる如く汝にまでなれ」と教えております。

この信とは単に頭で理解するだけではなく、真理に醒め自覚することであり、
自覚とは生命で把握することでありますから小賢い者程、人間智が邪魔して自我が捨て切れず、
真剣さに欠けたり素直さが失われ本来の相(すがた)を観ることが難しいのであります。

神のお造りになった世界には、元々聾唖盲も居ないのでありますが
現象界には現象界の法則があり、生長の家の横の法則としては仏教でいう三界唯心であり
運命や環境は心の影でありますから無いものでも仮りにはあるが如く現れ造ることも
出来るのであります。

病気や不幸等もみんなこのありもしないものをありと想像し思い違いした結果
あるかの如く現れているに過ぎないのでありますから、無いものが無いと判れば
自然と消えるのであります。

このことを離れて生長の家の御教えは存在しないのであります。

唯単にみ教えを受売りするだけの言葉では、
中々魂の底には響かないで肉の耳にしか達しません。

正しい祈りにより神想観を通して生命で把握した言葉は只の言葉ではなく、
相手の生命に結び附くことが出来るのであります。

「神のみが神を観、生命のみは生命を観る」とは
このようなところを指してお教え戴いたものと有難く拝受致しております。


以上は講師として尊い御使命を頂戴致した者が、
最も関心を持ち、第一に把握しなければならない最重要事項として、
常に自分に言い聞かせ、常に内観を怠らず反省を繰返しているところであります。

自我流になった時、御教えを毒し汚すことになりますので、注意が肝要と存じます。

 以上が練成に臨む私の根本とする心的態度であります。

        『生長の家』誌 47年6月号より・・

生長の家の10周年~<昭和15年3月1日> (4229)
日時:2012年12月03日 (月) 04時40分
名前:伝統

<人類の遺産>「生長の家80年史」を作成致しましょう!! (602)
日時:2012年08月26日 (日) 20時10分
名前:愛国本流宣言 篠原

<昭和15年3月1日>

生長の家の10周年 ・・・・谷口雅春先生の御文章。

  「近況通信」(後に「明窓浄机」に改名。)
                
      昭和15年3月  谷口 雅春 先生


愈々生長の家創刊満拾周年の三月一日がまいりました。
創刊頃私は、自分に専用する机一脚もないのにこの仕事を始めたのでした。

子供の専用机を子供が夜間眠っている間に借りて執筆したものです。
寒中炭火もなくひとり起きて筆を走らすこともありました。
尤も昼間は会社の仕事に鞅掌していたのであります。

物資統制の今の皆さんの状態よりも、まだまだ峻しい、行だったのでした。
それは苦行と云う意味ではありません。

生命(いのち)が‘ひとり立つ’ところの、厳粛な訓練時代だったとも云えるでしょう。
その中に法悦があったのでございます。・・・・

・・・机なく、寒夜に炭火なく、しずかに肉体を克服して
私は肉体無の哲学を物質無の哲学を成就したのです。

招福の呪文を誦して、軽率に百事如意を謳歌したのではございません。・・・・


・・・道を開いて五年目、東京に招かれて光明思想普及会を結成したときの
最初の普及会の事務所は、お山下の現在の伊東種さんの邸です。

伊東種氏の家族数人にして既に狭し。
かくの如きが、今の生長の家兼光明思想普及の最初の事務所だったのです。

その当時を知り、現在赤坂の生長の家本部と光明思想普及会の事務所を見るもの、
これが五年間の発展かと屹度眼を瞠(みは)るものがあろうと存じます。

げに無一物無尽蔵なり、この大生長の家、わがものにして、わがものに非ず、
近く宗教法人たらんとす。

無にして無限大なり、一物の『私』することなく、空手(くうしゅ)にして天地を動かす。

米国に、和蘭に、南洋に、満州に、中北支に、救わるる人々数えがたきほどになろうとしています。

一脚の机なきところより、さらに『無』より出発す。『無』をわすれたるとき天地倒顛せん。

われ『無』なるが故に、わがはからいなきが故に、天地が計らうなり。天地が行ずる也。

わが計らいならば行は苦行とも思われもせん。

されど天地の計らいなるが故に、それは楽行道なり、大船に乗りたるなり。嬉しきなり。

法悦なり。天地はからうが故に無尽蔵なり。無にして無尽蔵なり。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

實相独在 (4395)
日時:2012年12月08日 (土) 05時08分
名前:伝統


實相独在 (195)
日時:2012年08月10日 (金) 10時31分
名前:「訊け」管理人

――吉田國太郎曰く、

根底に於いて悪を見、困却の相を見たところからの心の動きは、
その心自身が、如何に尊げな姿に於いて現れ、如何に深度の状態に於いて現れ、
宇宙的な迄の高度な状態の如くに現れても、いずれも全てよしなく空しいことである。

それは神の心にもとり、実在の相を忘失し、業の輪廻を深めたに過ぎない。

    (『常楽への道』338頁)


――榎本恵吾曰く、

根底に於いて悪を見、困却の相を見たところからの心の動きとは、
悟っていない心、救われていない心のことである。

私達の今やっている人類光明化運動は世界の危機、悪、祖国の困却の姿を見たからこそ
行っているというような運動ではないだろうか。

もし世界に危機が存在しなかったならば、
行う必要がなくなるというような運動をしてはいないだろうか。
そのような出発の仕方をしてはいないだろうか。

そして、もし、それが、實相のみが存在し現象は無い、と云ったら、
われわれの運動が成り立たなくなるではないかというような心から出発しているもので
あるならば、その光明化運動が、愛国運動が、いかに尊げな姿に於いて現れ、
如何に深度の状態に於いて現れ、宇宙的な迄の高度な状態の如くに現れても、
いずれも全てよしなく空しいことである。

それは業の輪廻を深めたに過ぎないと云わなければならない。

吾々は今まで、このような主張に対して抗言した。
それは日本的にも、世界的にも、宇宙的にも尊いものであると。

しかし、それには何かが足りなかった。
絶対的に尊いとは言い得なかった。
神以外に、神に相対する困却を認めていたからである。

神に対立するものは何もない。
神のみが唯一の実在であると云う絶対の世界を知らなかった。



――尊師曰く、

それが判らなければ第一自分が救われていないのです。
『生長の家』の『智慧の言葉』に「自分に深切であれ」と云う言葉がある。
自分が救われなければ、他を救うことが判らないのです。

救われたと云う状態はどんな状態だと云うことがわからなければ、
本当に人を救われた状態に導くことが出来ないのです。

    (『生命の實相』第二巻377頁)

本当の真理を云えば『生命の實相』をさとった方は誰でもみな此の「多宝仏」と
一体である。誰も皆自分が無量無辺無限時間前から生き通しの神そのものであり、
無量無辺百千万億那由阿僧祇却以前から悟りを開いている仏であると云うことが判る。

二千年前ユダヤで説教していたイエスも自分自身であった。
四千年前印度で説教していた釈迦も自分自身であった。

三千大千世界を此の世に現じ運転せしめていたのも自分であったと云う
実に大きな自覚に入ることが出来るのであります。

   (『生命の實相』第六巻134頁)



――藤原敏之曰く、

現象がすべて影だと判れば現象は問題でなくなりますが、影だと判らず
本ものだと思い違いするから現象に振り廻されて動きがとれなくなります。
それを迷いといいます。

今現れているのは影であり、これまでの間違った思いが現れて消えたのであると
判れば、何も心配することもない、反対に喜べるのであります。

借金が無くなって苦にする人はないでしょう。
悪いことが現れたのを見て、悪くなったと見ないで善くなるためだと判ったら
安心するのであります。

雨が降るのは、お天気になるために水蒸気が雲になっているのが雨になって、
雲がなくなり晴天になるためでありましょう。

日が暮れて夜がふけるのは、朝が来るためであります。

電車がトンネルに入るのは、トンネルを通って出てくるためであります。

このように悪くなったように見えるのは、
すべて善くなるためだと観るのが生長の家であります。

悪いことを悪いとだけ見たのでは普通の考え方であって、暗黒思想でありましょう。
生長の家は徹底した光明思想であって、善くなることだけを想い、
善くなることに感謝して生活しようとお教え頂くのであります。

     (『あなたは必ず救われる』238頁)


占領憲法が吾らの日常生活に及ぼす悪影響 (4461)
日時:2012年12月10日 (月) 08時17分
名前:伝統

◆私は反体制に味方する   谷口雅春先生 (960)
日時:2012年09月13日 (木) 12時07分
名前:いいちこ


『占領憲法が吾らの日常生活に及ぼす悪影響』
  全文 /  谷口雅春先生 (44年7月)

◆私は反体制に味方する

私は現在の日本の政治体制に反対しているものであります。
それゆえに私は反体制論者であります。

だから、その暴力的行動には賛成できないが、
或る意味では、現在の体制に対して反抗して反体制運動をしている全学連にも、
同情する者であります。

若い人は敏感に現在の体制がアメリカ生まれの体制であって、
本来の日本の姿でないことを感じて、ジッとしておれない感じが暴発しているのが
方向を過まって暴発しているのだと思います。

何故、私が現在の日本の政治体制に反対するかといいますと、
それは真理に反しているからであります。

そしてこの政治体制は日本人みずからが定めた政治体制ではなく、
占領軍、特にアメリカ軍が原子爆弾という非情な不法兵器を使って、
一時的に日本国民に抵抗の自由意志を喪失せしめた上、
脅迫によって押しつけた現行の日本国憲法 

― 即ち〃占領憲法〃がつくりあげた政治体制であるからです。

そして此の憲法の下に成立している政権はアメリカ製憲法に基いて成立している
偽政権であり、日本建国の精神と、その伝統に基いて成立している政権でないから、
その政権はアメリカ軍を背景とした幕府的存在でありますから、

速やかに現在の政権は、自分の政権が『何』の上に立っているのかを脚下照顧し、
自悔自粛して、日本国本来の、国家統治の大権を皇祖皇宗を通じて享け給える天皇に、
国家統治の大権を奉還すべきものであると信じます。

<参照Web:(生長の家“本流青年”掲示板)
       『占領憲法が吾らの日常生活に及ぼす悪影響』44年7月
       → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&mode=res&log=57 >

「往相精進の境を超えて」~前篇 (4826)
日時:2012年12月20日 (木) 07時21分
名前:伝統


(有名講師の名言)「往相精進の境を超えて」吉田國太郎講師 (152)
日時:2012年08月08日 (水) 09時46分
名前:「訊け」管理人


或る日の記――

神と云ふもの、眞理と云ふものを、自分みづからよりも髙き存在として發見し、
自分自身を、低きもの醜きものとみなし、努力に努力を重ね、勵(はげ)みに
勵みをかけて、やがて、己を神の如く完きもの、淸きものに高めなして行かうと
する歩み方は、此の人生を最も價値深く生きて行かうとする人々の心を強く打つ
ものであり、此處に何か求道者にとつての最髙價値がこめられてあるやうに
思はれ勝ちでもあつた。

精進と云ふ言葉が、神の如く完かれとの勵みが、どんなにか私達にとつて髙いものに
拜まれて來たことであつたらうか。

然しそれは決して吾々にとつて最髙のものではあり得ないことを
悟れなければならないのである。

或る道程に於ては私達に対して、此の行き方も或る種の價値を生み出しはするであらうが、
それはやがて一度は捨てて葬られなければならないものであり、私達自身捨てて葬れる
人間に迄髙昇しなければならないのである。

「人新たに生れずば神の國を見ること能はず」これはイエス・キリストの言葉であつた。
こと改めてキリストの言葉を此處に擧げる迄もなく、此の行き方が決して人間をして
神の髙さに迄髙めあげ得ないこと、天國と自分とを遂に一枚のものとなし得ないことは、
濁りを淸め淨めて行くこと、足らぎるを充たし滿たして行くこと、總じて勵みによつて
完からんとする行き方に、己を捧げた經驗を踏んだ人々には誰にも頷けることに
違ひないのである。

遂に永遠に「神の國に住し神の國の喜びを身に受けることは出來ず、
それを最高理想として翹望(ぎょうぼう)し、その如くに完からんとする勵みの中に
微かなる慰安を味ふのみにすぎない。

かうした信仰の世界に澁滯してゐる人が餘りにも多く充滿してゐるのではなからうか。

彼等は皆異口同音に云ふ、紙一重なのだけれども、手がとどきさうなのだけれども、
ほんのもう一寸なのだけれども、と云ふ樣な言葉を。そして又しても、勵みに勵み
努めに努めて己の醜さを殺して行かうとする。其の姿は悽慘なまでの傷ましさである。

これは「煩惱を斷じて菩提を得」と答へて、達磨大師から「汝は我が肉を得たり」と
賞められる底の人であらう。『生長の家』からは遙かに遠い世界でしかない。

又自分の今ある生活、今の惱み苦しみを救ひに到る道程とみなし、これで良くなる
のである、これが結構なのである、必ずよくなる、必ず助かるなどと、段々と
助けられて行き、助かつて行きつつある姿に見返し、こんなにも今現に助けずには
おかない力が働いてゐるではないか、これが神である、これが救ひである。

煩ふこともない、惱むこともない、素直にまかせきつて生きれば好いではないか。
といふ助かり方は、私達の先を歩いて行つた多くの先人の方々によつて尋ね當てられた
魂の憩ひの世界であつた。

樣々な苦惱の中に身を擦り減し人生の歩みに疲れ果てた人々にとつては、
かうした救ひも一種の魂の慰安とはなり得るであらう。

然しこれも亦如何に低位な救ひに過ぎないであらうか。
これは未だ救ひの光と自分とが一枚の存在ではなく、無明の自分を光明が照らして
呉れてゐるやうな姿であり助けられる事にきまつてはゐるが、それは未来のことであつて、
今はまだ助かつてゐない自分であり、暗の中から光を拜んでゐる姿である。

今迄私達に與へられた信仰は全て此の種のものに過ぎなかつた。
無明が光を拜んでゐる姿。罪の子が神に縋(すが)つてゐる姿。
足らぎるものが完さを願つている姿。

これも亦明かに光明一元ではなく、明暗混淆の世界であるに過ぎず、
生長の家の敎えの外である。

此の種の信仰――自分が惱みの塊として惱みの世界に住み、自分の現實の外に神を認め、
光を認めて、その神の救ひが己の惱みの世界に恵み與へられ、惱みの世界が消えて
光の世界に変貌することを願つてゐるやうな信仰がどんなにか氾濫してゐることであらう。

深く神を崇め高い信仰に達してゐると云はれてゐる樣な人々にも、此の種の種類の信仰に
墮ちてゐる人がどんなにか多いことであらう。正しくはこれは信仰の墮落である。

絶對の神、絶對の神と拜しながらも、絶對の神以外に其の神に助けられる事を哀號し、
或ひは又勵んで其の神に迄到らうとしてゐる自分があるやうな鈍い信仰ではなからうか。

例へば學者學生が學問の世界で捻りまはしてゐる絶對といふものには、
得てしてこんな絶對がある。學者の自分が此處にをつて、絶對といふ言葉を文字の上で
轉がしてゐるやうな姿である。

これでは絶對は夢で事實は相對でしかない。
信仰がかうした姿に墮ちたならば、遂に救はれ得ないことである。
神以外にはみ出してゐる自分、その自分の力での勵みは空しい。

神ならざる力、わしがの力での勵みは空しい。
生長の家では何時でも今此處に救の光があると云ふ。
自分とその光とは一枚であつて、離れてゐないと云ふ。

その實の相は今此處にあれども、然しそれは又遂に永遠に、相對自力にたつた
努力精進と云ふ世界からはキャッチし得ない世界である。

自力の行者、努力精進の行者ヨハネは遂に躓いて地に堕ち、
艱難修行は悟りの因に非ずと悟つた釈迦は天に生れたのである。

私達の求道の道程に於いても、一度は、此處の處をはつきりと整理しなければならない
時が来るのである。

そしてこれは又是非一度は通過しなければならない關門であり大切なことである。
もう一歩なのだけれども、紙一重なのだけれども、よく判りはするのだけれども、
その境に澁滞して徒らに近くして遠い嘆きを嘆かなければならない世界を超える爲には、
〝私が〟の力によつての勵みの渾てを、一度は撥無しなければならないのである。

神に眞理に相對するところの心が、己の勵みによつて、神の完さに到らうとはげむ。
そんな心の上に咲く誤れる誠實、誤れる謙虚、これら全てを捨てなければならない。

然し、神のみ唯一の實在、この眞理に盲目となり、自分に對するそんな惡しき存在がある
と思つて、その存在を殺しにかかつたならば、それは既に無いものに轉ぜられてゐる迷で
ある。

眞實の自分に仇する惡しきものが存在するとの迷ひは烈しい力で私達の心に喰ひ入つて
ゐる。そして兎もすれば、惡さを殺さうとする迷の世界へ顛落しやうとし勝ちである。

完くありたい、神の御前に恥ぢない人間でありたいとの心旺んなる日、
此處が大きな躓きとなることがある。

現象は無いと云ふこと。不完全は無いと云ふこと。
何を措いても此處の悟りが牢固として動かないこと。
此の世の眞意實相にはつきりと目覺めてあること。

完全のみがあり、それ以外は天地間に一物の存在も無いことを悟ること。
肯くこと。信ずること。素直にハイと受けること。其處が道である。
わしがの無い世界への生れ更りである。

〝私が〟が撥無され、神の子が神の力で信ずる信仰であること。
此處まで来なければ、神をキャッチしたやうに感じられてもそれは空しいことであり、
自分が救はれてゐないのであり、救はれたと云ふ實感も生れては来ないのである。

一度自分と云ふものが消えてしまつた人は生活ぐるみ渾てが光つてゐる。

語るも眞理。語らぬも眞理。眞理でないものは何もない。
渾てが渾てみんな眞理ばかりである。

『私はラッパであつて何も知らない。』との恩師の信仰。
『識らず』と云つて立ち去つた達磨大師の信仰。
神の御光唯一つ生きてゐる世界が此處にある。わしがの無い信仰が此處にある。

神が神の言葉を語り、絶對が絶對を語る世界が此處にある。
『總じてもつて存知せぎるなり』と無に消えた親鸞聖人の構へた南無阿彌陀佛が
此處にある。

現象無しに徹しきつて唯實相あるのみに生れ出た、生長の家の信仰は此處に立つ。
目を閉ぢて噛みしめると、言葉することの出来ない、心のうちに入り切れない、
深く廣く髙い響きが感ぜられる。矢張り無限と云ふ感じである。

     (「常楽への道」)

「往相精進の境を超えて」~後編 (5429)
日時:2013年01月10日 (木) 04時17分
名前:伝統

現象は無い。此の言葉が再び新たに身に沁みて痛い今日である。

無の一字。此處をよく通過出來ることこそ、道を求むる者の前におかれた關門であつた。
されば佛教は無字を超えることに生命を宿し、キリストは窄き門を説き、
生長の家は現象本來無を説くのである。

よく此の關門を超えて、しかる後に發見する神の世界であり、神の子でなければ
其處に權威もなければ光も無い。

此處に鈍さが残る時、其處が躓きの因である。地獄の始りである。
この地獄は決して勵みとか、努力とか、淸めあげとか、神の御前に誠實にとか、
かうしたことばかりでは治えることのない地獄である。

現象が撥無されなければ地獄は消えない。
現象を撥無する時、私達は今の此處に天國を発見する。
現象に心が執する時、天國は永遠の彼方に離れ去る。

現象に轉ぜられると云ふこと、これが一番恐ろしいことである。 
現象に立つての努力は空しい。現象と實相と二つの世界に心またがりながら、
現象の足りなさを嘆いての努力も空しい。

それは恰も、神をいと髙きものとし、己を醜く低きものとして、
神に到る勵みを勵んで行く愚に等しい。現象は元々そして今も無いものである。
如何樣な姿に現はれてもをれ、それは無の一字に盡きるものでしかない。

生き切れてゐない自分も無く、況んや、兩者の間に横はる溝も本來無いのに、
何時しか無いものの變轉に心拉し去られてゐた愚かさ。
無いものには整つたもなければ整はないもない。無いものは無いのである。

如何にともあれ、現象は無いのである。

何故此の空しいものに、實在の衣裳を着せて、實相の前へ曝さうとしたのか。
總じて現象を捉へて、どうしたならば實相の完全なる如く此處も亦全くありうるであらうか
と足掻いてゐた愚かさ。何故こんな解り切つたことに足を掬はれやうとしてゐたのであらうか。

最近神に誠實でありたいとの心強く、實相が開かるれば現象は整ふのである。
此處がより好く整ふことは神が生きて動くことである。整ふべきであり整へるべきである。

どうか完全でありたい、神でありたい。
此の真摯な心の前での躓きであつた爲に躓きを躓きと悟れず、寧ろ尊い一歩の前進で
あるやうに考へ違へてゐたことに氣がついたのである。

ことさら深く落ちる危險が此處にあつた。神への誠實てふ美はしい心を抱いて
私は地獄へ顛落しようとしてゐたのであつた。

今の此の現實を神らしく生きねば、吾と吾が身を神の子であるとは云ひ得ないのである。
今此處にある姿を晦まさず、淺く滑らずはつきりと受けて其處を割り切りつつ進んで行く、
此處から實相と現實とが一つになる。

これは一見尤もらしくはあるが、然し、これは神の子が尤もであると肯くのでなく、
肉體人間の意識に尤もだと肯かれるにすぎないものである。
これは餘りにも大いなる錯覺であつた、と氣が着き得た今日の安けさ。

斷崖絶壁で辛うじて身を躱(かわ)し得たやうな安らかさである。
實相の完全と現象の不完全と、兩者の間の溝に落ちて良心の痛みに追はれ、
幾ら辛くとも此處は晦さず、正直にうけて其處に自分らしい道を發見しなければならない。

其の時こそ信仰がよりはつきりと確立し、兩者を隔てる溝も治へることになるのだ。
今日から其途を踏み出さう、これは悲しむべき事ではなく道を求むる者にとつての
光榮ある苦惱であるなどと決意した或る日、恩師の御講義が餘りにも烈しい痛さで
私の心を叩いたのである。

それは恰も八つ裂きにでもあつたやうな感じであり、踏んで踏んで踏み抜かれ、
叩いて叩いて叩き拔かれて、粉々にされて吹いて飛ばされてしまつた樣な感じであつた。

自分でよしと許してゐたものを一つ残らず全部奪つてかなぐり捨てられ、
そしてす―つと向ふへ行かれてしまつたやうな感じであつた。
呆然とした中で淋しい心が湧いて来た。

こんな心の三日日、私は『生長の家』誌の八月號を披いて目をうつしてゐた。
八月六日、娑婆即寂光土と悟る日の一節

『けれども生長の家は世界に何ら非道なことは存在しないと云ふのである。
それは存在するものは「道」ばかりであるから、それが少くとも存在する限りは、
それは「善」であり、それが「善」でない限りに於いて、それは如何に存在するやうに
見えようとも、それは「非道」印ち「道の缺乏」「道の無」をあらはしてゐるに
過ぎないとするのである』

此處を讀んだ時、私は何かしらハッとした。


今自分の捉へてゐるところのもの、今自分の立つてゐる世界、今自分の辿らうとしてゐる道、
それ等全てをひつくるめて『無』と一喝激しく叩かれたやうな感じであつた。

完全のみがある。そして不完全はない。
何かしらハッと心でうけとめ得た感じであつた。
それはこちらで握つて居なくとも決して落ちることのないやうな感じである。
うけたと云ふよりは内から開いた樣な感じであつた。

完全のみがある、そして不完全は無い。
自分が整へようとかかつてゐた其の整へされない自分はない。

今私が尤もらしく、
『今の現實を晦まさず、其處を忠實に生き、現實から淺く走らずはつきりときはめ切つて』
などと云つてゐる、其の今は『永遠の今』ではなく現象の今に過ぎず、此の現實、此の現實と
云つてゐる現實は、實相の現實ではなく現象の現實で本來無いものではなかつたか。

『永遠の今』が現象の今にすりかへられ、實相の現實が現象の現實にすりかへられ、
何時しか地に墮ちようとしてゐたのである。

生長の家を現實逃避ではないかなどと反撥したり、
無理に目を閉ぢて今現にある苦しみを見まいとして力んで居るのではないか
などと理窟を云つたり、全てをもつと公平にもつと冷靜に、あるが儘の其の儘を
受け容れなければならない、などと云つたりする人が出て来たりするのも、
本來空しきものに過ぎない現象の現實を〝あるある〟と迷つて居るからこそであつた。


實相と現象との關係などと愚かにも考へた日もあつた。たつた今迄その心が残つて居た。
然しこれは何と愚かしいことの沙汰ではなかつたか。

實相獨在で現象は無いのに、どうして兩者の側に關係などがあり得るだらうか。
關係などと考へる間は未だそれは現象無しが悟り切れてゐないのである。
現象が死に切らずふらふらしてゐるから兩者の關係などと躓くのである。

魂が目を覺ますこと。
現象が死に切つて、其處へ實相が生れ出づること。
完全のみがある、そして不完全はない。
善のみがある、そして善でないものは無い。

淸めあげなければならない自分は無く、勵みに依つて完全にしなければならない自分も無く、
實相の完全さをみて未だ到り得ないことを歎かなければならない自分もなく、
今あるやうにみえてゐる不完全なものは幾らあるやうに見えても全てなく、

そして今既に始めから完全なる神と通ずる自分のみが此處にあり、
それ以外は何も無く、吾らは始めから成佛して居ると諭されて居たのであり、
神一元、佛一元で、それ以外は無いのであると知らされて居たのであつた。

これを悟ることによつてのみ吾等は神であり、佛であり、完全であり、
淸くあり髙くあり得るのであつて、それ以外には道は無いのである。

悟ること。新たに生れること。
誠にも、人新たに生れずば神の國を見ること能わず、である。

『煩惱本來無し、唯菩提あるのみ、現象本來無し、唯實相あるのみ』
これ以外無いのが眞理であり、これ以外無いのが生長の家である。
天地崩るるとも此處以外に心走らない人間であること。

『身は是れ菩提の樹、心は明鏡の臺の如し。時に拂拭して塵埃を惹かしむること莫れ』
と示した神秀上座の心と、

『菩提は本樹無し、明鏡亦た臺にあらず。本來無一物、何れの處にか塵埃を惹かん。』
と示した慧能禪師の心と。

慧能は心安穏とし神秀は心苦しみに覆はれてゐたことであらう。
神のみあること。完全のみあること。そして、それ以外には遂に一物の存在も無いこと。
今から完全にして行く自分ではないこと。今から完全にして行く自分はないこと。

今完全であり、それだけであつて其れ以外は無いこと。
此の自覺にかへる時、其處が其の儘道であり神の子である。
そして誰もが今此の儘でそれなのであつた。

『〝其の儘〟でよいのである。人間は〝其の儘〟で完全である。人間の〝其の儘〟が神である。』

の恩師の御言葉が新たなる響きをもつて身に沁みる今日である。

     (『常樂への道』103頁)



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