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『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (2772)
日時:2012年10月24日 (水) 12時32分
名前:童子

           一.「無」の自覚は「忠」に貫徹する





 『生命の實相』において物質無・肉体無の哲学が説かれて以来、読者のなかには、今まで『物質あり、肉体あり』との観念に執われて心の自由を失っていたのが、その執着から解放せられて生命が本然の自由自在を回復し、その結果、奇蹟とも観えるような生活革命が現れて来、人生観の革命による精神昂揚の賜として、不治と自覚して永く病床に呻吟していた人さえも、その不治の自覚のあやまれることを知り、決然病床を起って国家に必要な激務にたずさわる人々が出来たり、人口漸減の傾向が嘆かれている此の際に、不思議にも従来不妊症と思われていた婦人が、著しく体力を若返らせて二十二年目、十八年目、十三年目、十一年目等々にして初めて子宝を得た如き実蹟をも挙げて、現時の日本に枢要な役割を演じつつあるのは人々の知れるとおりである。 〈拙著『子宝』参照〉

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (2) (2788)
日時:2012年10月24日 (水) 21時54分
名前:童子

          一.「無」の自覚は「忠」に貫徹する (つづき)




 この『無』の自覚は生命の内部的大解放を与える結果、実生活上に斯くの如き効果を惹起すのであるが、『無』を有無相対の無でありと思い、「肉体がなかったら飯が食えぬではないか」 「その君のたべるお米は『物質』ではないか」と反問するような愚かしき批評家さえも生じて来た。


 『無』を知らなくて、どうして日本精神を論ずることが出来ようか。楠木正成は『無』の中に七生報国を観たのである。平野國臣、頼三樹三郎、吉田松陰・・・・等々すべて『無』の中に不死を体得し得た人々ではある。今ほど日本人に『無』の自覚の要求せられる時はないのである。

 『無』とは一切相対智の破摧であって、相対的見地で『有る』と概念せられているものの否定であるばかりか、『無い』と概念せられているものをも否定して、有無を論(い)わせず、絶対無即絶対有を直観把握せしめるのである。




 『肉体なし』と自覚して病気が治る底のことは、単に『有無』の概念で『肉体なし』を知ったとて、それが出来ることではないのである。若し、普通『無い』と概念せられているような意味に於て『肉体無し』と悟ったならば、銀行に百万円預けてあると思っていた金が、その銀行の破産から『預金無』となったときの驚駭と同様の著しき精神的衝動(ショック)を感じて、却って其の肉体の病的症状が悪くなる筈である。

 百万円ならずとも、十五銀行破綻の時には、千円や二千円の小金を同行に貯金して置いて、それが銀行の破綻と共に『無』となったと知って病気になったり発狂した人さえもあったことは、人の夙に知れるところである。



 されば『肉体無し』の『無』は銀行に貯金してある金が『無』となると云うが如き、相対的立場や、五官的立場の『無』ではないのである。そう云う相対的立場や、五官的立場を抛げ棄て放げ棄ててしまったとき、眼の前にある物質〈と観られたるもの〉はそのままにして、其の侭に、それは物質としては観られなくなるのである。

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (3) (2841)
日時:2012年10月25日 (木) 21時46分
名前:童子

          一.「無」の自覚は「忠」に貫徹する (つづき)



 吾々が『物質』を『物質』として感じ得るのは五官で見る大いさの巨視的立場に於てに過ぎないが、既に一億倍にも見える顕微鏡で覗いて見たところの微視的立場に於ては物質は電気エネルギーの小点たる電子が、夜空に煌く星のように大なる間隔を距てて点在するに過ぎないところのただの『空(スペース)』にすぎないのである。


 吾々は巨視的立場に於ては、物質とか肉体とか云うものは一種の緻密なる構成の固塊(マツス)として見るのであるが、微視的立場に於ては、それらはただの『空(スペース)』に過ぎない。


 併し吾等はそう云う微視的立場を守って、『お前たちが固塊だと思っている物質や肉体はただの「空(スペース)」に過ぎないぞ』と云うのでもない。そう云う『空』の説き方は、巨視的立場に於て、物質の不可入性や、剛性や、不自由的凝塊性を主張せんとする一部の人々を論破せんがための、方便的議論として説かれることもあり得る。

 
 『生命の實相』にも一部この論法が用いてある。そして其の議論によって、『物質無がよく判った』と物質や肉体に対する執着を捨てて意外な儲け物をする人もある。併しながら、それも一つの立場であり、それが、一種の‘微視的立場’であって、所謂る‘相対的立場’である点に於て渝(かわ)りはない。


 吾々はかかる微視的立場さえも超えなければならないのである。物質無し、肉体無し、巨視的立場無し、そしてその立場なき立場に於て、‘もの’そのものの実相を把握し、‘いのち’の実相を把握し、‘くに’の実相を把握したとき、此の世界はただ神のみいます神の国である事が直観され、天皇は大御神にましまして、吾等は神の子であり、天皇は大君〈太極身〉にましまして、吾等は、天皇の拝身〈御手身(みたみ)〉なる実相の直接自覚が生れ、宇宙はただ『‘忠’』の理念の顕現であることが捕捉されて来るのである。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (4) (2865)
日時:2012年10月26日 (金) 16時16分
名前:童子

           一.「無」の自覚は「忠」に貫徹する (つづき)



 『忠』の実相は爰より開顕され、肉体本来無く、ただ『忠』のみありと分り、爰に矢野酉雄氏の『臣道無窮』の復古にして新しき倫理観は生み出され、大崎勝澄氏の『唯神史観』が、相対的唯物観や、相対的唯心史観を超えて生み出されるのである。


 或る真宗の亜流の如く、君臣のわきまえなく人間を等しく平等に凡夫と観、物質的肉体と観るが如き唯物的巨視的立場に於ては、日本の実相、“ものそのもの”、“くにそのもの”、“ますらをのいのちそのもの”は分り得ないのである。かくの如き凡夫仏教が今尚残りいるとすれば、それは過去に於て弓削道鏡を生み出したる残渣としての仏教として排撃せられねばならないのである。

 凡そ『日本的なるもの』を知るためには吾々はあらゆる立場を超えて『絶対無』にまで沈潜し行きて、『絶対無即絶対有』の中に広々とした『理念の世界』あることを知り、相対的立場を超えたる世界に於て、あるがままに、形なき形を見、声なき声を捉え、差別なき世界に於ける荘厳なる差別の相をとらえなければならないのである。


 相対的立場を超えて、立場なき立場に於て、形なき形を見、声なき声を捉えたとき、そこに厳然として‘ある’ものは、天皇と、天皇の稜威(みいづ)の展開(ひろがり)のみが其処に存すると云うことである。斯くてわが『天皇獨在』の直観哲学は生れる。

 更に立場なき立場に於て、そのままに直観されたる差別なき世界に於ける荘厳なる差別の相を捉えるとき、そこに君臣の別炳焉(へいえん)として美しき中心帰一の紋理を描ける天の道あり、地の道あり、人の道あり、犯さず、紊(みだ)れざる秩序の世界を見ることが出来るのである。

 まことに犯さず紊れざるが道である。道は冲(ちゅう)にして形無しとは、『形なき形』『声なき声』を捉えるまでの自覚の一段階である。道は、‘すじ道’であり、‘すじ’は理であり、理は本質の世界に於ける波紋であり、形なき世界に於ける形相であり、秩序である。

 そこに君臣の秩序あり、親子の秩序あり、夫婦の秩序あり、師弟の秩序あり、その秩序を生活に行ずるが、道を生活することである。それは、哲学することであり、宗教することであり、生きることである。

 
 斯くて、吾等の生きる道は先ず天皇に対して御民として理念に生き、親に対して子としての理念に生き、夫に対して妻の理念を生き、妻に対して夫の理念を生き、子に対して親の理念を生き、師に対して弟子の理念を生き、弟子に対して師の理念を生きなければならない。斯く生きることが、自分の生命を最大価値に生きることと成るのである。


 『朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ 其徳ヲ一ニセンコトヲ庶願フ』

と曰わせらるる大御心を拝察すれば拝察する程、聖恩の無窮に感泣せざるを得ないのである。斯く詔を承けて必ず行ずることが、実相の理念を実現する忠道の実践である。



 而も見よ、これらの秩序は中心秩序備わっておのずから諸徳備わるのである。その中心秩序とは何ぞや、曰く、自分を無にすることの外にはない。

 自分を無にすること。先ず楠木正成公の如く肉に於て死することである。それは必ずしも肉体の腹を切らなければならないことはない。自覚の世界に於て、肉体は無きものぞ、物質はなきものぞと知ることである。

 それにはひたすら坐して、『物質無』の世界に貫き入ることである。そして天皇を天皇の稜威のみ実在に在ます存在の実相を知り、『忠』に貫徹することである。忠とは教育勅語をそのまま実践することである。かくするとき爾余の諸徳はおのずから備わるのである。


 かくて『物質無』に徹する坐と、天皇独在をさとる覚と、詔を受けて必ず謹み実践する行と、この三つが吾等の臣道実践の中心となるのである。


 二千六百一年紀元の佳節に著者織す


                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (5) (3042)
日時:2012年10月31日 (水) 09時16分
名前:童子

          二.物質の否定、棄揚、神国の肯定




 生長の家倫理学を極端な唯心論であると考えている人達があるかも知れぬけれども、極端な唯心論ではなく、完全なる唯神論なのである。


 吾々は神一元の‘実在’を説いているのであって、この意味に於て、神そのものは自由自在であって、物質的不自由性はないのであるから、そして‘神のみ’が‘実在’であるのであるから、物質は無いと云うのである。


 一切の概念は制限的であるから、それは‘斯うである’と云った時その概念は其の他の概念の一切の否定に到達する。そこで制限なき自由自在な神の如き実在を徹底させるためには『そうでは‘ない’』と云わねばならぬ。

 されどその否定に依って一の新たなる肯定が発生する。蓋し否定されるものは、一定の制限された内容で、一般の全内容ではない。否定によって、否定されたるものを包容しながら、一層偉大なる全包容的全超越的なる内容が肯定されるのである。


 ‘無い’と‘ある’とは哲学上の本体論の問題であるから、哲学上の理解なくして言葉尻をとらえて批評して見ても判らないのである。


 日本の国土は物質で出来ているのに、‘物質は無い’と云うのは国土の否定となって日本の國體に適しない哲学であると批評するが如き愚かしき蒙論は実在と表現との区別を知らざる哲学的無智から来るのである。


 若し諸君が日本の国が物質で出来ていることを主張するならば、諸君は日本の国が『神の国』であることを否定して『物質の国』であることを主張することになるではないか。そして今日から日本の国を、『神国』と呼ばずして『物国』と言わねばならないことになるであろう。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (6) (3192)
日時:2012年11月03日 (土) 22時19分
名前:童子

           二.物質の否定、棄揚、神国の肯定 (つづき)




 凡そ為政者(かみにたつもの)はこの点に就て大いに考えなければならないのである。『物質は‘ある’』と云う論者は『実在(ある)』と『表現(あらわれ)』とを混同しているので、『表現』のことを、『ある』と間違えているのである。

 『‘本当にある’』か、それが『表現』であるかは、それが変化しない存在であるか、変化無常の相(すがた)であるかを見ていれば分るのである。 吾々は『物質は実在(ある)のではない』と云い、それは単に表現であると云うのである。


 表面、国粋論者であり、國體明徴論者であり愛国者であるように見える者のなかに、唯物論者の手先があり、露西亜のコミンテルンの謀者(まわしもの)のがあり、『日本神国』を主張する論者の言葉尻を捉えてこれを陥穽に落し入れ、日本國體に適せざる論者として、却って之を断圧でしめ、日本が神国であると云う観念を抜き去って、『日本は物国』であると云う観念を植え付けるように努力しているコミンテルンの謀者があるかも知れないのである。

 斯かる一団の者に使嗾せられて、本当の日本神国論者を却って批難、圧迫するが如きことあれば、それは由々しき国家の大事であるのである。




 『物質が本来無である』ことを生長の家が説くのが、日本國體に適しないのであるならば、最近著しく発達せる振興物理学は日本國體に適しないから、大学の講座から放逐しなければならなくなるだろう。

 日本評論某号にも、吉岡氏は、物質は波動であって、その波動も、水とか空気とか云う如き、波動すべき何物かがあって波動するのではなくて、‘かかる波動の媒体などはなく’“何物もなくして”ただ波動が顕れる、その波動の尖端が電子となる、と物質無のことを説いている。

 科学が物質無を説くのに哲学や宗教が無を説いたら日本國體に適しないと考えるのは愚かしき極みである。



 科学が、哲学が、宗教が物質無を説いてくれることは日本神国の國體明徴によくないどころか、物質本来無であってそれがただ本体〈実在〉の『表現』であることが明徴になってのみ國體の明徴が期し得るのである。

 もし物質が実在であると説くならば日本神国観念は如何にして徹底し得るであろうか。畏くも高天原より天孫降臨を唯物論者は如何に説明するだろうか。それが『物』の世界から、『物』の世界への降臨であるならば、地上の一地域から一地域への移住と云う意味になって、天孫降臨とは遊牧民族とか漂着種族とか云うことを類推せしむることになり、何等日本國體に神聖性を与えることにならないのである。

 物の世界をひとたびは否定し、更にこれを棄揚したときに初めて、天孫降臨の神聖さが判り、日本國體の尊厳が判るのである。

                  ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (7) (3240)
日時:2012年11月05日 (月) 03時31分
名前:童子

           二.物質の否定、棄揚、神国の肯定 (つづき)




 日本国が神国であると云うには三つの要素が必要なのである。

 〔一〕 その中心総覧者であらせられる ‘すめらみこと’が神でましますこと。

 〔二〕 その国土が物質ではなく神の表現であること。〈物質、物質に非ず、これを通称して物質と呼ぶに過ぎないことは最近の物理学の証明するところである。〉

 〔三〕 その国民がすべて神の子の表現であって、親神の御表現にまします ‘すめらみこと’の中心に帰一していること。

この三つの要素が、神一元に終始することによって、初めて完全に『神国』と称し得て、そこに『物国』の影も止めないことになるのである。



 生長の家倫理学では高天原とは物質国土の一地点とは認めないのである。若し物質的国土の一地点だと認めれば、日本民族は移住民族だとなる。吾々は高天原を無量智、無量壽、無量光明遍照の実在世界であると認めるのである。

 天孫降臨とは ‘すめらみこと’が高天原なる実在の世界から現象の世界への御表現を完成し給いしを指して云うのである。即ち 天照大御神の久遠金剛不壊実在の皇位が現象界へ降臨し給うたその御表現が歴代の 天皇であらせられるのである。

 だから歴代の 天皇は畏くも久遠皇位の御表現であらせられ給うて、御表現としては御肉体を現じ給う現人神〈あらわれの人の神〉であらせられ、生じまた滅し給うように見えまつるのは吾々の五官に映ずる御表現であらせられる‘のみ’であって、“御本体は久遠永劫金剛不壊の天照大御神の御霊体であらせられるのである。”

 だから歴代の 天皇の御本体は永遠に崩御ましますことなく、崩御の瞬間に次なる御践祚があって、久遠皇位の御表現に些かの間隙もなく、御表現身は歴代御代り遊ばすとも御本体身は朽ちず滅せず、久遠の存在であらせられ給うのである。
                  ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (8) (3288)
日時:2012年11月06日 (火) 15時05分
名前:童子

           二.物質の否定、棄揚、神国の肯定 (つづき)




 若し唯物論者の云うが如く、御表現身なる玉体を以て御表現身であると見奉らずして 天皇の御本体そのものを死滅の法則の中にあると認めることになれば、 天皇は永遠の御存在ではなく、崩御と共に御本体の朽ち滅ぶべき御存在であらせられると云うことになり、たとい崩御の瞬間に践祚のことあらせられるとも、‘ひとたび’は滅して、皇嗣子(こうしし)が、御位に就きたまうことになるから、天皇の‘ひとたび’は滅したまうことを予想することになる。


 畏れ多くも 天皇の‘ひとたび’は滅して次なる天皇の御登位を予想することは、皇位の中断を予想せしめることになる惧れがあるのである。すべて滅して、次が代ると云う事は、‘終末’と‘更新’とを予想せしむることであって、終末と更新とがある以上、それがどんなに瞬間的であっても中断を予想せしむるものである。

 而も仲哀天皇崩御(かむあがり)ましまして、応神天皇未だ御誕生遊ばされざるその間の期間の如きは、天皇の御本体を御肉体であると在来の如く観じ奉る限りに於て、皇位が中断したと云う事になり、萬世一系の名は空しくなるのである。


 生長の家が云うが如く、天皇の御本体を久遠常住の霊的実在なりと観奉り、その御表現身が御肉体であると観奉れば、御表現身が暫し崩御ましまして、次なる御表現身の御位に即き給うまでの期間が、暫時あろうとも、皇位の中断と云うことが断じてないことが判り、皇位の萬世一系は、ただ生長の家倫理学によってのみ明かとなる。


 “滅なく久遠常住の存在のみが中断なきものである”。唯物論者の謂うが如く、 天皇の御本体を生滅ある御肉体であると観奉る限り、天皇が久遠不滅の存在にてましますことを否定することになり、 天皇に対して由々しき不敬を犯すことになるのである。國體精神を明徴ならしめるもの生長の家倫理学に及ぶものはないのだ。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (9) (3312)
日時:2012年11月07日 (水) 05時20分
名前:童子

           二.物質の否定、棄揚、神国の肯定 (つづき)




 天皇の御本体は斯くの如く久遠永遠の御存在であらせられるが故に、歴代御表現身が御交代遊ばすともその皇位に滅なく中断なきことを知ることが出来るのである。

 その如くまた 天皇の御本体は永劫穢れなきところの御存在であり、無量智、無量光、無量壽の御法体にましますが故に未だ嘗て御迷い遊ばすと云うこともお間違い遊ばすと云うこともないのである。

 道鏡などの如き大逆臣に御惑わされ遊ばした如き記録が史上にはあるけれども、これも天皇の御本体と御表現との区別が判らない歴史家が御表現にましますところの御肉体を 天皇の御本体と思い違いせるが故に、天皇が道鏡にお惑わされ遊ばしたなどと云う不敬なる思想が顕れるのである。




 天皇は本来神聖にましましてその御本体は無量智であらせられるが故に、未だ嘗て如何なる奸侫(かんねい)の臣下にもお惑わされ遊ばしたこととてはないのである。

 古事記下巻などに描かれている 天皇の神聖を涜し奉る如く感じられる史実は、事些細なことと雖も 天皇の御本体に関することではないのである。併し、御肉体は御表現であらせられるが故に、それは鏡の如きものである。

 鏡は一切のものを映すが故に、国民が迷えるときには国民の迷いを反映し奉って、 陛下の御悩となって顕れる事もあるのである。であるから吾らは恐懽(きょうく)反省して、 陛下の御宸襟をお悩まし申さないようにしなければならないのである。

  天皇の御本体はかくの如く神聖であり、一切の悪に責任があり給わないから、如何なる間違った政治を時の為政者が行おうとも、たとい、それに御名御璽がありましょうとも、その全ては大多数国民の心の反映であり、また時の為政者の心の反映であるが故に、 天皇は本来神聖にましまして、責を執り給うべきではなく、すべては輔弼(ほひつ)の諸臣の責任となるのである。

 肉体をもって すめらみことの全存在であるとし、すめらみことの御本体と御表現身との区別を弁えざる唯物論者にはこの辺の微妙な消息は理解し得ざるところである。

 そして政治の良かざるは すめらみことの御責任であるかの如く すめらみことをお怨み申上げる不届者さえも時には生ずる。左翼の徒の如きはこれであって、御本体と御表現身との区別を弁えざるが故である。

 すめらみことが責を執り給わざることを、ただ斯くの如き‘機関’を設け置くことが便利なるが故に斯くあると考うるが如き、 天皇機関説を唱うる迷蒙の徒には、吾等の肉体本来無し〈詳言すれば、永遠不滅不垢の霊的実在身こそ御本体にましまして御肉体は御表現身なり〉との哲学が如何に日本國體を明徴するにすぐれたる哲学であるかがお判りにならないであろう。
                ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (10) (3510)
日時:2012年11月12日 (月) 14時39分
名前:童子

          二.物質の否定、棄揚、神国の肯定 (つづき)




 古事記を御進講申上げたる筧克彦博士も 天皇の御本質を観奉るに、決してその肉体をもってしてはいないのである。肉体を本質と観奉るときには大凡そ神聖性は覆い隠されて了うのである。

 筧博士は『続古神道講義』四ニ五頁に於て、この事を説いて『神武天皇とても矢張り手が二本お有りになり、足も二本お有りになり、脈も搏てば呼吸も為されたでありましょうが、ただ其様な方面より観奉るのみでなく』と斯くの如き物質的方面では神聖性が判らないことを指摘し、

 語をついで『‘無形的に如何なる’“御人格”‘を有っておいでになったか、如何なる神様であらるるかを分析して見まするにと実に深い根底がありまして’、“神代の神々の御関係が悉く含まれて居り、随って天皇のいらせらるる皇居は即ち神宮であり、其の皇居の存する国土も亦神居たる神宮に外ならず、是によりても実に我が建国の深くして広く且遠いことが分かる次第である”』 と言っている。

 傍点〈※註:´´´は‘ ’で、゜゜゜は“ ”で囲みました〉私が附けたのではなく筧博士自身がつけたのである。

  
 有形の御表現体のみを見ていたのでは神聖性が判明しないのであるから、筧博士は『“無形的に”』 ―― 『“御人格を”』 ―― と圏点を附し、無形的に御人格を観奉ったときに『“神様”であらるる』ことが判ると云う風に、御表現身を観奉らず、御表現身の奥に内在せられる“実相身”を観奉るとき、 ‘すめらみこと’が如何なる神であらせられるかと云うことが判ると申しているのであって、

 そして今迄外形ばかりを見ていた場合には物質を御入れ申した『物質の御舎(みあらか)』としか見えなかった皇居も、物質を見ないで、“無形的に”〈筧博士の言葉を藉る〉実相身〈御本体〉を観奉るときには、『天皇のいらせらるる皇居は即ち神宮であり、其の皇居の存する国土も亦神宮に外ならず』と云うことになり、物質を否定したとき、却って否定の極の肯定となって、今迄単なる木材その他の物質の材料とした建築物と思われていたものも神居たる神宮であると悟られ神の國と認め得るようになるのである。




 生長の家で、常に『物質無し』と云っていることは、今迄『物質』を単なる物質であると思って、無機物的、無価値の存在であると軽蔑していたその観念を排除し、『物質、物質に非ず、一層高きものの表現である』ことを肯定せしめんがためなのである。


 茲に生長の家は唯物論に対立するような唯心論ではなく、唯物、唯心を超越した唯神実相論であることが判るであろう。

 物質の否定は否定のための否定ではなく、大なる肯定の為の否定であることが判る。斯くの如くして今迄『物質』と認められていたところのものも、“神力の表現”であると大きく再肯定するのは此の生長の家倫理学であり、日本国土は物質国土と認められていたものを、更に『神の国』であると大きく再肯定するのが、此の生長の家倫理学であることが判るであろう。

 飛び読みした一二の語句を根拠として生長の家の思想を批判することなく、本当に生長の家の思想を批判せんとせられるならば、少なくとも『生命の實相』全十五冊を読了して、それを貫いて存する一大肯定の真理を捕捉せられんことを希望せざるを得ないのである。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (11) (3532)
日時:2012年11月13日 (火) 06時14分
名前:童子

           三.生命の全的把握としての「国」と「家」




 
 「家」を尊ぶという場合の「家」は、決して「建物」という意味でもなければ、個人の生命を縛るところの「封建的制度」でもないのである。「家」とは「宗祖」の生命と「個」の生命との「一連続」を表現する言葉である。


 戦後の日本人は「個」の生命には目覚めたけれども、概ね唯物論であるから、「祖孫一体、親子一体」の〃連続体としての生命〃の自覚を欠く傾向が非常に強いのである。

 人間の生命は「個」だけで忽然と地上に生まれたのではない。祖を通じ、父母を通じ、その生命の一連続の地上への顕現として此処に在る。それを自覚しないことは、人間生命の部分的自覚にすぎない。

 私たちは生命の部分だけで生きるだけで満足してはならない。私たちは生命の「全」を生きなければならない。それこそが自己の「全」を真に愛する道である。それゆえに真に自己の「全」を愛するためには祖先の生命が其処に生きている 「国」を愛しなければならないし、「家」を愛しなければならない。

 
 私たちは憲法にどうきめてあるから「国」を愛するというのではなく、法令で「家」の制度がなくなり「戸主」がなくなったからとて「家」を愛しないのではない。

 「国」と「家」とは私たちの「個」のいのちが其処に生きている本源であり、単に本源であるばかりでなく「祖」の生命が自己と家族の生命として分化し発展して、その空間的広○(※註:判読不明)としてあらわれたものが「国」であり、「家」であるから、「国」を単に「人民」に対立してそれを束縛する存在と見たり、単に人民が住むための土地の面積だと思ったり、「家」を単に「個人」の集団の場にすぎぬと思ったりするのは間違いである。


 「国」と「家」こそは、祖孫、親子一体の生命の具体的表現であり、過去と未来を「今」の一点に把握するその生命の展開であるのである。この生命把握の認識が欠如して、ただ唯物論的に孤立せる「個」としての〃肉体〃のみを「人間」だと感ずるがゆえに、一切の過ちとわざわいとはむらがり生ずることになるのである。



 私が憲法復原を高唱するのはこの意味における祖孫、親子、一体の生命の宗教的心霊的把握の上からであって、「現行憲法が単に、占領中に押しつけられたものであるから、その内容は良いけれども排斥する。」というような、そんな根拠薄弱なものではないのである。

 真の民主主義は「個」としての生命が祖孫一体に拡大してのみ完成し得るのである。しかも前述せるが如くジャーナリズムの大半は言葉の利剣をもって現行憲法の改定をただ「改悪」として「斬捨御免」的に葬り去ろうとしているのである。


 かくの如き一方的な言葉の暴力で日本の大衆は欺瞞されつつあるのに、われらは黙していて好いのであろうか。ああ、われらに協力して、真に日本を愛する人は出でざるか。

 愛国者協力してそれを運動化しなければ、国を救うことはできない。

 私は社会党に反対するものでも自民党に味方するのでもない。かつて本所区〈今の墨田区〉の細田製材所で講演をしたとき、ただいま社会党の書記長浅沼稲次郎氏は私の前座を講演されて、〃『生命の實相』を読んで、大いに啓発された点がある〃といって喜ばれたことを思い出すのである。鳩山一郎氏が『生命の實相』の賛仰者であるのと好一対である。

 真理は自民、社会両党を超えて、炳焉(へいえん)として輝くのである。ただ党を立て、党の領袖となるとき、党略に左右され、党の同志に引き摺り回され、いつの間にか真理を踏みはずすのである。

 党利に偏せず、党略に縛られず、ただ真理にのみ忠実なる者のみ、よく日本を救うのである。不偏不党ただ真理にのみ忠実なる哲人政治家の出現を私は待ちのぞむ。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (12) (3574)
日時:2012年11月14日 (水) 10時31分
名前:童子

           四.「忠」の倫理的根拠について




◇忠孝ランプ論

 日本人の「忠」の考え方は何処から来たものであろうか。

 日本は「忠」という語はなかった。〃忠義〃という意味で使う場合、「忠」という字には訓読みがないのであります。「孝」もまたその通りであります。〃孝行〃という意味で使う場合には「孝」という字には訓読みがないのです。だから吾々が中学生時代には「忠孝ランプ論」という語がはやったことがありました。

 ランプは当時、西洋からの輸入品であって、日本の品物にランプに相当するものがないから、ランプを和訳しても日本語に当てはめる文字がない。書くときには、〃洋燈〃などと当て字を書く人もあったが、結局、和訳は不可能ということになって、ランプは、英語でもランプ、日本語にするときにもランプ其のままが好いということになったのであります。

 それと同じく「忠」ということも、「孝」ということも、日本にはそれに当てはまるものがないので、和訳することができないので、「忠」は日本語でも「忠」、「孝」は日本語でも「孝」と言ったので、それは〃ランプ〃を和訳しないで、そのまま〃ランプ〃と称したのと同じことだと言うのであります。


 そういうように考えて来るならば、「愛国心」などという語も、外来の語であって、これを日本古来の語で翻訳することはむつかしいのではないかと思う。

 愛国心という語に当て嵌まる古代の日本語がないのは、日本民族に愛国心がなかったというのではなく、それが、余りにも人間性の当り前なので、取り分け〃愛国心〃などと呼ぶ必要がなかったのであります。




 
◇大道廃れ仁義あり

 老子は「道の道たるは道に非ず」とか「大道廃れて仁義あり」とか言ったが、日本の古代には、別に、取り立てて「忠」とか「仁義」とか言う必要がなかったのであって、老子にいわせれば日本古代には「大道」が廃れていなかったのであります。


 子が親を愛し、親に深切をつくし、親の言いつけに従いたいのは、人間自然の真情であって、別に「親孝行せよ」と特に取り立てて言うほどのことではない。当り前が、当り前に行われるのが自然なのであります。

 当り前ということは「当然あるべきこと」という意味であり、「当然あるべきこと」であるのは、既にその〃原型〃が〃視えざる世界〃に存在し、それが歪められない限り、現象界に当然あらわれる筈のものだという意味であります。その「既にある〃原型〃」を〃理念〃又は〃実相〃というのであります。


 〃実相〃を英語では“Truth”と言います。 「真理」と普通訳しております。日本語で「真理」という場合には、〃当然こうあるべきこと〃という意味であり、〃当り前が当り前であること〃であります。何故、〃当り前が当り前〃であり、当然そうならねばならぬかというと、既に、その〃原型〃が不可視の世界であるからであり、その〃不可視の世界に既にある原型〃を「実相」というのであるからであります。

 多少、理論が循環論法のようになりましたが、〃真理〃は即ち〃実相〃であります。「君に忠、親に孝ということは真理である」と申しますと、実相において、そういう〃人間関係の秩序〃が理念の世界に〃原型〃として存在するという意味であります。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (13) (3603)
日時:2012年11月15日 (木) 09時30分
名前:童子

          四.「忠」の倫理的根拠について (つづき)


◇人倫、即ち人間関係に於ける循環回転

 人倫と申しますと〃人間関係の秩序〃という意味であります。

 倫、論、輪・・・・・等ラ行の発音は循環回転をあらわす自然音であります。日本語ではラ行を語尾につけて循環回転をあらわします。クルクル、コロコロ、カラカラ、ハラハラなど回転または旋回運動をあらわしています。

 「見“る”」「知“る”」等は主観客観の循環関係をあらわし、「去る」「来る」は未来の循環関係をあらわしております。すべてラ行であるところに注目せられたい。この循環関係が、人と人の間においては「人倫」と申すのであり、そこには「与え“る”・与え“られる”」のラ行的循環関係が存在するのであります。

 この循環回転関係がみだれては正常な人間関係 人倫というものは成り立たないのであります。その正常な人間関係が「当り前のことが当り前」なのであります。

 「与えたものは、与えられる」によって、人間関係の循環回転が円滑に行われ、螺旋階段のように回転しながら、道徳性が向上し、文化が向上して行くのであります。

 「与えよ、さらば与えられん」の循環関係はキリスト教などでは人間が幸福になるための黄金律とせられているのであります。





◇忠孝仁義等は輸入語である

 「忠孝仁義」等の文字や発音は、輸入されたものであり、日本固有のものではありません。と言うのは、日本では、特に忠・孝・仁義などと、対象の変化にしたがってその呼び名を区別する必要がなかったのであります。


 それが所謂る日本国が「言挙げせざる国」だと言われた所以であります。日本では忠孝仁義等は「当り前のことが当り前にある」とせられていたのであります。その「当り前」のことを日本では総括して〃マコト〃と申したのであります。

 〃マコト〈誠〉〃とは「真実」又は「真理(まこと)」であり「実(まこと)」であり「実相(まことのすがた)」であります。「斯くあるべき当然のすがた」であります。

 その〃マコト〃が、君に向えば「忠」となり、両親に向えば「孝」となり、夫婦関係においては「貞」となり、朋友関係では「友愛」又は「信頼」となり、大衆関係では「仁」又は「慈」となり、相手にしたがって異る相を呈するのでありますが、それがマコトのあらわれであることに変りはないのであります。

 古代の日本では殊更に、そのマコトを分別して忠孝仁義という風に名称づける必要がなかったのであります。つまり、「大道すたれて仁義あり」ですが、日本においては、大道すたれずして、そのまま人倫が行われていたのであります。





◇人倫の本質は何であるか

 それでは人倫の本質は何であるかと申しますと、根本は一切の生命は、大生命を本源とする兄弟姉妹として一体であるという基盤の上に、「与えよ、さらば与えられん」の循環回転の「輪廻」によって成り立っているのであります。

 「輪廻」と謂うと、車輪の回転するように自分つくった業が回転して、次の生まれ代りの世にまで循環して来ることを謂うのでありますが、この循環回転の法則は、別に生まれ変って来なくとも、この世だけでも循環いたしますし、一民族のつくった業が、古代からズッと循環して螺旋階段のように上昇しつつ現代の其の民族にまで承け継がれているのであります。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (14) (3673)
日時:2012年11月16日 (金) 22時59分
名前:童子

            四.「忠」の倫理的根拠について (つづき)




◇日本の歴史的現実

 若し古代の日本がなければ現代の日本民族も存在しないし、若し神武天皇の大和の国の建国がなければ、現代の日本国も存在しない。そして神武天皇の建国がなければ吾々日本人は存在しなかったという訳であります。

 吾々日本人のひとりひとりの生命の中には天照大御神に発祥し、瓊々杵尊の降臨となり、神武建国以来、天皇家を中心に大家族的国家として其の国を護持し来った全ての日本民族の歴史が結晶し、凝縮して今此処に生きているのであります。

 ここに結晶し凝縮している日本人の生命は、明治や大正や昭和に生まれた人間ひとりひとりが、自分だけで創造したものではない。天皇を中心として吾々の祖先が護り育てて来たものを伝承し来ったものである。

 古代の日本民族をはじめとし、日本国を統一国家として大和朝廷をつくられた神武天皇の偉大なる功業に加うるに歴代の天皇の功業をもってし、それに仕える日本民族全体が努力を重ねられて、歴代にわたって新しき創造をそれに附け加えつつ現代に至って、爰に日本人一人一人の生命がある、それが歴史的現実である。

 現代に生を享けた吾々の生命は、その「伝承」の上に成り立つ。すなわち「与えられたもの」なのであります。「与えられたもの」は「与え返す」ことによって、人倫の和を完成するのであります。

 人倫は円環であり、その円環を完成することが〃報本反始〃の道である。〃本に報い始に反る〃のである。この歴史的現実において、その本に報いる感情が自然に起るのが「忠」であります。

 天皇家あっての日本国家であり、日本国家あっての日本人であり、そこに生命の一体感を生じて天皇の中心に日本国を愛し護らなければならない感情が起ってくるのであります。
    
                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (15) (3713)
日時:2012年11月18日 (日) 04時27分
名前:童子

          四.「忠」の倫理的根拠について (つづき)




◇日本の天皇と外国の帝王とは異る

 外国においては帝王又は国家主席は、常に禅譲放伐により交代し、強者が弱者を仆して帝王又は国家主席の位置についているのであるから、民族の恩恵の蓄積に対して「本に報いる」ところの民族国家への愛国心はあり得るにしても、帝王や国家主席は、必ずしもその国の発祥以来からの恩恵を武力によって横取りした者である場合が多いのであります。


 このような帝王又は国家主席に対して「本に報いる」ところの「忠」の感情が起らないのは当然であります。だから外国の帝王又は国家主席を頭において考える以上、「忠」とは支配階級が人民統治の便宜上、無理に教え込み、注入した道徳観念であって、そんなものに胡麻化されてはならないと考えるのは当然であります。


 即ち、日本国と外国、日本天皇と外国の帝王又は支配者とは歴史的現実が異なるのであります。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」であるから、支配階級と人民との関係は、君臣又は主従の関係ではなく、平等でなければならない。


 親子の関係においては現実に「産み」と「産まれ」との関係や、「扶養」と「被扶養」との関係があるから、「孝」の感情は解るけれども、天皇に対して、君臣の関係や、臣従及び忠義の感情は起こり得ない。むしろ天皇は吾々の税金で養ってやっているのである ―― このように考える若い人たちや、進歩的文化人もあるけれども、これは歴史的現実の異なる外国の帝王又は国家主席と、日本天皇とを混同しているから、そのような考えが起るのであります。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (16) (3785)
日時:2012年11月20日 (火) 02時28分
名前:童子

           四.「忠」の倫理的根拠について (つづき)





◇何故、一系の天皇が永続したか、神武建国の理想とそれに累積するもの

 オスカー・ワイルドの有名な語に「ロンドンの霧は詩人がそれをみとめて、それを詩に歌うまでは存在に入らなかった」という語があります。

 ロンドンの霧と同じく、日本国は、単なる物理的な領土の広さではない。それは心的存在である。日本国は神武天皇が、日本国〈大和の国〉を統一国家としてそれを認めて建国の詔勅を発しられたとき、はじめて人間の心の中に統一国家としての日本国が創造せられたのであります。

 すべての存在は、それが物理的にアルというだけであって人間の心の中に入って来なければ、人間にとっては存在しないのであります。

 こうして神武天皇は、奠都(みやこはじめ)の詔において日本国の都をつくりを次の如く宣言せられて、ここに日本国が人間の心の中に「存在」として確立されたのであります。


 「・・・・・ほとりの土(くに)いまだ鎮まらず、残りの妖(わざわ)いなお硬(こわ)しと雖も、中州(うちつくに)の地に復さわぎ無し。誠に宜しく皇都(みやこ)をひらきひろめ大壮(みやらか)をはかりつくるべし。

 而して今運(とき)わかく、くらきにあい、民心朴素(すなお)なり、巣に棲み穴に習俗(しわざ)常となれり、夫れ大人(ひじり)の制(のり)を立つ、義(ことわり)必ず時に随う。

 苟も民に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たがわ)む。且た当に山林を披(ひら)き払い、宮室(おおみや)に経営(おさめつく)りて、恭みて宝位(たかみくら)に臨み、以て元々(おおみたから)を鎮むべし、上は即ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくびし)に答え、下は則ち皇孫(すめみま)正に養いたまう心(みこころ)を弘めむ。然して後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩いて宇と為(せ)んこと亦可からずや」


 この詔勅のなかには専制君主としての性格は少しもあらわれていないことに注意すべきであります。

 人民のことを発音においては「大御宝(おおみたから)」と称したまい、また「元々」の漢字が当てはめられています。もっとも「元々」という漢字を「おおみたから」にあて嵌めたのは、日本書紀の編纂者の考えによるのでありましょうが、そのような意味に言い伝えられていたからこそ、人民(おおみたから)に「元々」の漢字を当て嵌めることになったに相違ないのであります。

 「元」は〃ハジメ〃であり、「元々」は〃ハジメのハジメなるもの〃であって、人民を国家形成の〃ハジメのハジメなるのとして、それを尊敬し重要視せられたことが此の詔勅にはハッキリ窺われるのであります。

 しかもその人民は、この詔勅にあらわれている処によれば「巣に棲む穴に住む」というような文化低き状態であったのでありますが、〈三笠宮さまが、二千六百年前は縄文土器以前であるから、神武建国の皇都的造営はあり得ないからとて、二千六百年を否定して、二千年説を採っていられるが、これには穴居的な文化低き人民の状態に、皇都造営の大業を成さんとせられる神武天皇の雄図とが対照的にあらわれている〉そのような人民に何らかの利があることであれば、何でもしてあげたい。

 それが聖の業であって、その聖道にひたすら妨うことなく国を治めたい。そのために皇都を増らねばならぬと仰せられているのであって、「自分の威厳を示すために都を造る」などとは一語も言っておられないのであります。

 この詔勅の文章のなかには全然そんな専制君主的な雰囲気はない、どこまでも、人民の元(はじめ)の元なるものとして民利のために聖業を怠らない ―― それが上は天津神〈註:宇宙神霊〉がこの日本の国を授けたもうた神徳にこたえるものであり、下は皇孫瓊々杵尊が天降って来られて以来の「正に養いたまうた心」を弘めることにかなうのであるから、このようにして善根を積み、徳をおさめ、やがて、その積善の余慶をもって、やがて皇都のほかに「六合の都を兼ねる都」〈連邦政府の都〉をひらいて世界の八方の国々の人々たちが互に一家族たる大和(やまと)の理想を成就したいと宣言せられたのであります。


 人民を「元々」とし、「民利」をはかることを以て「聖の業」としたところの天皇国家にして同時に民主的世界実現を目指す此のような素晴らしい神武天皇の理想のもとに日本国は建設され、そのときから現代に至るまで、その理想実現の過程には、消長があり、混乱があり、隠覆があったにせよ、神武建国のこの理想が筋金となって、天皇の民利を修めたまう御徳が累積して今日に至ったのであります。


 そのような歴史の天皇の民利を軫(しん)念したまう御徳が累積していることがなかったならば、悠久三千年になんなんとする神武建国以来、一度も中断することなしに万世一系の天皇が存続し得るという全世界未曾有の事実が実現し得る道理がなく、必ずや、一層民利をはかる勢力者が民の信望をあつめ、帝位を纂奪して帝位の交代が頻々として行われたに相違ないのであります。

                 ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (17) (4451)
日時:2012年12月10日 (月) 06時11分
名前:童子

           四。「忠」の倫理的根拠について


◇わが祖先の愛国心によって生かされている

 私は「与えよ、さらば与えられん」が人倫の大本であり、与えられた徳に報いる 〃報本反始〃 が因縁循環の天理であることを説いて来ました。

 日本国民は、神武天皇によって国を開かれ、吾々の祖先が「巣に棲み穴に住む」頃から、天皇の英知によって壮大なる帝都が築かれ、それを中心として日本民族が統一国家となることが出来、そのために国威がとみに挙り、新羅や支那本土からの侵略をもまぬかれ、ついに現代のアジア第一の文化国家としての隆昌を見るに至ったのであります。

 国民の自由と権利との維持というものは、国家の権威を背景としてのみ得られるのであって、若し、明治時代の日本国民に愛国心が欠如しており、ロシアが侵略して来ても、無抵抗・無防備で、手をあげてさえ居れば 〃誰が日本の国を治めてくれても、人民がラクでさえあれば好いではないか ―― というような現代の進歩的文化人のような考えでいたならば、そして明治天皇の英断によって、ロシアの侵略に抵抗せずロシアに宣戦布告して戦うことがなかったならば、現代において日本国民全体が享受している人民の自由も権利も全く存在しないで、現在の日本はソ連の属国又は衛星国になっているのであります。


 若し日本がソ連の衛星国になっていたら、近頃になって日本国民が民族精神に燃え出して、独立運動を起してもハンガリヤの独立運動と同じ轍をふむだけであって、ソ連の首カセは永遠に続いて、私たち日本国民の自由を縛っていたにちがいありません。

 日教組などは「愛国心反対の教育」をほどこすに躍起となっていますが、明治時代の吾々の祖先の日本国民に愛国心がなく、ロシアに抵抗しなかったら今頃日本はどうなっていることでしょうか。考えるだけでも戦慄せざるを得ない訳で、「愛国心反対教育」の宣伝で赤い旗を掉って行列している日教組の先生がたも、そんなことが自由にやれるは、やはり、明治天皇の英断と明治時代の日本国民の愛国心とによるのであり、更にそれを遡れば、神武建国以来、累積せられて来た諸々の天皇の御徳と、吾々の祖先が培って来た「義勇公に奉ずる精神」のおかげであります。

 我々は、これら天皇の御徳と祖先国民の諸徳を受け嗣いで生かされているのでありますから、これら天皇の御徳と祖先国民の諸徳に報いんがために、 天皇を中心に祖先の築いて来た日本国家を護ろうという「報本反始の心」「与えられたものを与え反す人倫」が、日本国民に於いては「忠」として発現するのであります。
                         ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (17) (4609)
日時:2012年12月14日 (金) 08時33分
名前:童子

           四.「忠」の倫理的根拠に就いて (つづき)


◇若し、今上天皇が戦争終結の英断を下されなかったら

 吾々が享受している天皇の御徳を数え上げれば無数にありますが、今上天皇が、若し昭和二十年八月十四日の最後の御前会議で、「ポツダム宣言を受諾して戦争を終結させる」という大英断を下されなかったならば、ソ連は北海道に上陸し、更に南下して宮城県、福島県あたりまで占領し、現在の日本はアメリカ領の南日本と、ソ連領の北日本とに分割され、ソ連圏の日本国民がどんなにソ連の搾取に苦しめられているかも知れないのであります。


 自由文教人連盟の常任理事・湯村栄一氏は、次のように言っています。

 「今日になって考えますと、終戦後、日本も敗戦という悲劇を思うさま満喫しましたが、皆さん、まあ良かったと思うことが二つあります。

 第一は八月十五日に戦争が終結して本土決戦が行われなかったとい事です。 ・・・・・ 例えば東京に市街戦が行われ農村地帯でゲリラ攻防戦が行われたなら悲惨は更に空前のものと思われます。・・・・・

 第二に良かったのはソ連の占領下に置かれなかったという事であります。もしこれが実現して居たらハンガリーの悲劇であったと思われます。あのブタペストの最後の放送を何と聞きましたか・・・・・。


 〃世界の文明国の人々よ、千年の伝統を有するハンガリーに、最後の火が正に消えようとしているのだ。ソ連軍の戦車と大砲とはハンガリーの土地を蹂躙している。母たち、娘たちは恐怖におののいている。一九四五年のソ連軍侵入がまざまざ残っているのだ。

 われわれを救ってくれ。S.O.S.・・・・世界の文明国民よ、自由と団結の名において、われわれは諸君の助けを求める。われわれの船は沈みつつある。明りは消えて行く。やみが刻々と濃くなってゆく。われわれの叫びを聞いてくれ。行動を起してくれ。兄弟の手をさしのべて呉れ。世界の人々よ、われわれを救ってくれ。S.O.S.・・・S.O.S.〃


 外電の報じました事によりますと、ソ連の傀儡政権はストやデモをなしたものは特別裁判にかけ、二十四時間以内に絞首刑にかけるという新しい指令を発しました。労働者、農民の政府という国が、労働者、農民がストやデモをやると死刑です。自由があり過ぎていると言われている日本の労組幹部の正直な御感想が聞きたいものです。

 それでも、ソ連の無慈悲な理不尽な戦車と大砲に包囲されながらも、所謂る反革命分子の大量逮捕とシベリア流刑と銃殺と流血のすさまじい威圧のうちにハンガリー国民の無言の抵抗がつづきました。

 僅か十歳の子供すらライフル銃を持って立向かいました。婦人も火炎瓶を手にしました。」  〈以上、湯村氏著 『分裂せる日本』より〉


 
 それでもついに力及ばずハンガリーはソ連の武力の下に屈服するほかはなかったのであります。こうしてハンガリーの独立運動は、人口九百八十万〈丁度現在の東京都の人口に匹敵する〉、九万三千平方キロのこの小国の上空には、ソ連のジェット機五千機が乱舞し、二千五百基の精鋭戦車が荒れ狂い、ハンガリー人民八萬余がの犠牲となったのであります。

 日本もです。そのような犠牲を払っても、若し日本が、〈ソ連の属国になっていたら、今頃どんなにあがいても独立国とはなれなかったのであります。

 そのような悲惨な運命から、日本国が救われたのはまことに今上天皇の「私の身体はどうなってもよいから」という一身を投げ出してのせん壮終結の大英断によるものであって、現代の私たちは、天皇のこのような御徳に報いなければならない。〈与えられたものは報いられねばならぬ法則〉それが、日本国においては「中心に向う心」即ち「忠」となって発露するのであります。

 天皇がなければ日本国は無い。日本国が無ければ、日本国民たる吾々ひとりひとりも無い。ここに天皇と一体であり、日本国と一体であるところの日本人の「自己の生命」を発見するのであります。

 天皇を仰慕し、日本国を愛するのは、自己の生命の因を知るからであります。それが「忠義」なのであります。

                           ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (18) (4614)
日時:2012年12月14日 (金) 09時16分
名前:童子

           四.「忠」の倫理的根拠に就いて (つづき)


◇若し、今上天皇が戦争終結の英断を下されなかったら(つづき)

 
 男女でも、互に愛したならば心中するのであります。それは互に「一体の生命」を自覚するからであります。

 心中を「情死」と書く人がありますが、〃心中〃 は 〃心中〃 でなければならない。 〃心は「○(ひとつのもの)」を―(つらぬく)〈Φ〉〃 のが 〃心中〃 であります。 〃忠〃 は 〃○を―く心〃 であり、それが 〃忠〃 であります。

 天皇の生命と、天皇の建国されたる国の生命と、自己の生命との「一体」を自覚し、国家の危急に際しては、それを護り、それを救わんがために、自己の生命を抛って挺身する。たとい、そのために戦争をしても、それには「殺人」とか「敵を殺す」とかう意味は少しも含まれていない。国の危難に心中するのであります。それが「忠」の心であります。

 だから日本国が敗戦し日本国は滅びるならば、生きていたくない。終戦の前日の阿南陸相の自刃がそれであった。田中静壱東部軍指令官の死がそれであった。日本国の敗戦に殉じたのである。

 阿南陸相は自刃に先立って、二枚の色紙に次の如くしたためた。 ―――

   〃大君の深き恵みに浴みし身は言い遺すべき片言もなし 
         八月十四日夜、 陸軍大将 惟威 〃

 もう一枚には、――

   〃一死以て大罪を謝し奉る
         昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟威 〃


 「阿南は純白のワイシャツに着かえた。侍従長官時代、天皇からの拝領品である。〃お上が肌につけられたものだから、これを着てゆく〃そういいながら着た」と花見達二氏はその著『危機』の附録に阿南陸軍大臣の自刃の光景を書いている。

 たしかに、天皇との一体感を、象徴的にその服装をあらわし、日本軍の無条件降伏を「祖国の死」と感じ、陸軍大臣として、「祖国の死」にいたらしめた責任を感じ、「祖国の死」と共に彼は心中したのであった。


 無論「忠」の心のあらわれは、生き残って、祖国の復興につくすように発想する人々も多いのであり、それも尊いことでありますが、茲には日本国民の「忠」とは、天皇及び天皇建国の日本国の生命との「一体感」に立脚し、歴代の天皇を通じて受け来たその恩恵によって生かされている自己の生命の本質の自覚から報本反始の心に燃え、天皇と共に生き、天皇と共に死し、日本国と共に生き、日本国と共に死なんとする天地自然の人情にもとずく「人倫」〈即ち人間関係における循環回転〉であることを明らかにするために、阿南陸相等の殉死を引例したのであります。
                           ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (19) (4744)
日時:2012年12月17日 (月) 18時02分
名前:童子

             五.国家と自分



 
 八絋一宇とは斯うだよ。吾々の人体でも『一』と『多』とが一つになっている。諸々の細胞が四百兆、或いは一千兆と言われておる細胞が一つになって、同時に一つであり、そして中心に帰一している。それと同じことだ。


 一即多になったときに、それを生活に生きたときに、そこに生々としたいのちが動いて来るのだ。一即多でないものは皆バラバラで摧けるものだ。


 君等、日本精神の青年達はまだ熱意が足らぬぞ。僕は皆さんに敢えて生長の家を弘めろとは言わないが、天皇信仰、日本精神に引っぱり込むという熱意はもっと燃えねばならぬ。そのためならその手段方法は本当に‘いのち’がけで、地下に潜り込んでも、天に舞い上がっても、如何にしてでも、自分の知っている限り、皆な手繰り寄せてそして日本人皆を天皇信仰に導かなくてはならない ―― そういう熱意とか行動とかいうものがまだ足らないのではないか。


 尤も東奔西走するばかりが能ではない。静かに深く日本、祖国をおもい、じっと魂の底深くそれを練り、魂の底深く忠の理念を?醸して、そこに生気を貯えると言うことも時としては必要じゃないかと思う。


 そのためには坐禅的、神想観的修行というものが是非必要だ。坐禅と言っても唯黙って坐って自分だけの悟りを開いたらいいとか、自分だけ、天皇を信仰しておったら好いのだというのであってはいけないのだ。自分だけと言う利己主義が曲者だ。自分だけ悟ると言うのは ―― 是は自由主義だ。個人主義だ。野狐禅だ。本当の日本主義でもなければ、本当の悟りにもなっていない。


 『一』つの全体が吾々だ。一即多が日本の哲学だ。一即多、多即一が日本民族の自覚である。それを八絋一宇と言う。我々すべての日本人が、否更に進んではすべての世界の人類が一人残らず日本精神に目覚め天皇信仰に目覚めたときが八絋一宇の実現だ。これが実現するまでは、寝ても覚めてもじっとしておられないと言う位に、それが自分の胸悩める位にならなくちゃいかぬぞ。

                        ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (20) (4819)
日時:2012年12月19日 (水) 17時37分
名前:童子

           五.国家と自分  (つづき)


 皆さんの話の中に『国家に‘対する’忠』と、国家に対していのちを捧げると言うような言葉が出ているが、是は無論間違いでも何でもない。

 けれども尚一層切実に言うならば、『国家に対して』と言う『‘対して’』だけは不要だ。『対して』ということは国家と自分とが離れて相対的になっている。尤も現象的に説明する場合には『国家に対して』という言葉の表現は間違っているのじゃない。ただ自覚の上としては、国家の‘いのち’が自分の‘いのち’だ。この自覚が必要だ。



 国家の‘いのち’が自分の‘いのち’なんだから、国家を生かす外に自分の‘いのち’を生かす道がない。全体の‘いのち’と自分の‘いのち’とはバラバラじゃない、ひとつなんだ。一円相だ。一円相で国家を生かし、皇国を生かす他に、何物も自分を生かす道はないのだ。‘祖国を生きる’ことが自分が生きることなんだ ―― それが分ったならばじっとしておられない筈だ。

 自分が生きるか死ぬかの問題は、同時に国家が生きるか死ぬかの問題だ。それが二つに分れていると思うのが、それが現象に捉われ、肉体に捉われ、物質に捉われ、物質の塊りの五尺の塊りが人間だと思っておるからだ。肉体無しの自覚に徹せよと言うのはそこだ。



 『肉体はなし』と本当に分ってしまった時に、自分の‘いのち’と言うものは、此のまま国家とピタリと一つのものなんだ。国家が私なんだ。私が起たなければ誰が起つのだ。その自覚がみんな一人一人に出来るのだ。


 『私が起たなければ誰が起つ?』 この自覚を日本人ひとりひとりが皆有った時に、本当に日本の国は強くなる。みんなが国家そのものを全責任を背負って、古来からの聖者は、世の中は悩むものがひとりでもあるかぎりはそれは私の責任だ ―― 斯う言った。それと同じように『日本の国にひとりでも 天皇信仰と言うことに徹底しない者があるのは、私の罪なんだ』 斯うひとりひとりが皆自覚が出来るようになった時に、本当に日本中が、天皇信仰になれるのだ。そうしてその信仰が、百万、千万、一億の力となるのだ。




 国家が自分だ。そのほかに『自分』と言うものが何処にある。国家の為に勤労を捧げると言うことが、それが自分が生きると言うことなんだ。国家が自分と対立しているように思い、国家に捧げると思う。捧げるのは捧げないより優しだが、それではまだ国家と自分の分裂がある。捧げただけ自分が減って来るように思う。是が物質を観、物質的イデオロギーで人間を観て、そしてそのプラス、マイナスを考えているからそう言う風になるのだ。

 我々は物質を観ないで、肉体を観ないで、そして本当の‘いのち’そのものを目のあたりに観る。そうすると国家の‘いのち’が自分の‘いのち’であることが判るのだ。


 我々は日本の歴史を背負って、茲に天之御中主神以来、久遠のいのちを背負ってその歴史的現実の一点に立って、今『自分』を切実に生きるのは、唯国家を生きることしか仕方がないのだと言うことが本当に分らなければならない。分らない青年がひとりでもあるということは非常に情けない。これは我々自身の熱意の足らぬ罪だ。

                          ~ つづく

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (21) (4996)
日時:2012年12月24日 (月) 11時05分
名前:童子

           五.国家と自分 (つづき)


 皆さんひとりひとりが、又我々ひとりひとりが皆祖国を担っている。祖国の興亡は皆さんの胸中にある。我々の心の中にある。皆さんの一言一行の中に、我々の一言一行の中に祖国がみんなかかっておるのだ。それは責任が重いことであると同時に、それは又非常に生き甲斐のあることだと思う。


 自分の、個人個人だけのものであるならば、それがどんなに成功したってそう大したものではない。


 それは、そう生き甲斐のあることではない。そんなものは個人の成功などと言うものは、大いなる歴史の流れの上に浮んだところの泡見たいなもので、皆消えてしまう。併しながら大日本真理国家は、悠久なる真理の発現として、それは消える時がない。

 久遠に皆さんの努力、皆さんの忠、皆さんの祖国に対する真心が、そのまま永遠に悠久から悠久に久遠の‘いのち’の流れをもって、久遠に続いて行くのが是が、日本の国家である。決して亡びない‘いのち’を生きようとしたならば、それは国家に‘いのち’献げるということしか仕方がないわけなのだ。


 ‘いのち’献げると言うことも、是は外面的に‘いのち’献げているというのでは駄目だ。実際に具体的に我々は‘いのち’を献げなくちゃならない。それは腹を切ってなくなることじゃない。国家のいのちを自分自身の‘いのち’の上に行ずるのだ。



 

 日本の国の最初の天つ神の神勅は修理固成の神勅である。漂える国を修理固め成せと斯う天之御中主神が仰せられて、そしてその時以来その神勅に依って日本民族の使命というものは定まったのである。

 漂える国を修理固め成す、混沌たる世界を中心理念に帰一せしめることが、これが日本民族に与えられたところの使命なのだ。それを実現するのが宇宙と‘いのち’が生きることで、同時に国家の‘いのち’を生きることだ。日本人のひとりひとりの魂の中に、此の『漂える国を修理固め成せ』と仰せられた神勅がみんなに生きているのだ。


 
 この神勅こそ皆さんの生命であり我々の生命だ。そう知ったらじっとしては生きていられない。本当に神勅を生かすのは、本当に一歩一歩それを実現する事だ。生産に従事する人は一分間でも二分間でも、もももその間墳みなく造り固めの行事をなすのだ。‘むすび’の行事をなすことである。‘むすび’とは生産をなすことだ。

 学生が机に向って勉強するのは、それも尊き仕事である。しかしながら書物に書いてある真理とか学説と言うものを、唯頭の中で反芻して、そして自分で自慰しているだけでは、それは何の為の学問であるか、と言うことになる。

 その学問を如実に生かす ―― 生かすとは漂える国を修理固め成せと言うその修理固成の神勅を実現することだ。その時にこそ本当に自分が学校で学んでいるところの学が、知識が知恵が具体的に完成するのだ。




 日本の国の為になるということは、国の‘いのち’は即ち我々の‘いのち’とひとつの‘いのち’だから、詰り自分が拡大することにもなる。本当の自己拡大だ。国が生きるのは、自分が生きるのだ。その他に生きる道はない。

 而も今、素晴しい時代に、日本の国が本当に実相を現わして八絋一宇が実現せんとする時に、それに直接に参加することが出来る時代が来た。その時に生れ合わせて戴いたと言うことは、実に素晴しい有難いことだ。


 皆な悦べ、悦んで働くのだ。その時代に生れ合わせて、そして生長の家の思想に触れて生き甲斐の本物を見出し、日本民族の使命と言うものを、日本民族の中で選ばれて本当に率先して一番早くお知りになった諸君は、ただそれだけでも先覚者ではないか。だから、その使命も亦重い。使命も重いから、それだけ又生き甲斐があり、働き甲斐もあるのだ。


 諸君しっかりやろうぜ。

『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (22) (5064)
日時:2012年12月26日 (水) 17時55分
名前:童子

            六.人類光明化運動の選士を讃えて



 人類光明化運動の選士よ、神に選ばれたる若人よ。

 諸君は神武天皇建国の日本国に生れたることを誇りとし、慶びとし、この誇りと慶びとを若き人たちに分ち、子々孫々に伝えることを名誉ある使命とするのである。


 諸君は、天祖、彦火瓊々杵尊の天降りましてより、神武天皇に至るまで、約(およ)そ一百七十九万二千四百七十余年の古き伝統をもて建てられたる日本国に生れたることを誇りとし、慶びとし、この誇りと慶びとを若き人たちに分ち、子々孫々に伝えることを使命とするのである。


 彦火瓊々杵尊の天降りを歴史的事実にあらずと疎んじてはならないのである。諸君は天照大御神の御孫の天降りとは、天球すなわち大宇宙を照らし、それを光明化する理念の天降りであることを知るのである。

 理念は現実に先立つ、日本の現実はいまだ理念の完全さに達せずとも、宇宙を照らす大理想をもって天降り来ったことが日本民族の使命として斯くの如き神話を創造して代々相伝承して来たことが尊いことを知るのである。



 諸君は知る、天照大御神の孫の降臨とは、眞子(まご)の降臨であることを。それは神意の伝承、「まことの理念」の伝承のことである。この尊き天意の伝承の下に日本国は肇まったのである。

 されど、時運いまだ開けず、交通不便にして、日本民族全体が統一国家になっていなかった時代が幾世代も続いたのである。それを『日本書紀』は「是の時、荒きに逢い、時、草味にあれたり」というような言葉で表現しているのである。

 時期の至るまで、神武天皇にいたる多くの世代を通じて、天皇家の雌伏の時代がつづいたのである。単に雌伏していたのではないのである。 「かれ蒙くして正を養い、此の西の偏(ほとり)を治(し)らす。皇祖皇孝(みおや)、神聖にして、慶を積み、暉を重ね、多(さわ)に年所(としのついで)を歴(へ)たり」 と『日本書紀』は書いている。

 暗黒の時代にも、常に「正」を養って来たのが、日本民族の祖先であり、その祖宗は、「神聖である」ということを知っていたのである。即ち、日本民族は、連綿として、神の霊統をつぐところの「神の子」であるという自覚をもって正を養い、みずからの修養に尽して来たのである。


 諸君は、斯くの如き尊き伝承をうけつぎ来った日本民族の一員として生れ来ったことを誇りとし、慶びとし、この誇りと悦びとを、若き人たちに分ち、子々孫々に伝えることを名誉ある使命とするのである。

                         ~ つづく



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