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新嘗祭 (3306)
日時:2012年11月07日 (水) 02時05分
名前:童子

          ◆伝統的信仰としての稲の祭り




 私達の祖先がこの日本列島に住みついたのは何時の頃からでしょうか。この問題については昔から多くの学者や研究家が探索を続けておりますが、未だに確かなことはわかりません。

 只、明治以降、特に戦後の考古学及び周辺諸科学の発達と、各地における遺跡の発見が相乗効果をもたらして、次第にその年代が古く遡って行く傾向にあることは確かです。

 また縄文式文化の時代には稲作はなかったとされていた定説が、北九州の板付遺跡の発掘によりくつがえされつつあります。この発掘をまたなくても、縄文の遺跡や縄文そのものに祭祀形態の痕跡が推定されるのであって、幾千年とも知れない遠い昔から熱心に祭祀(まつり)が行われてきたのであります。


 昔の人は祭祀(まつり)の中に全ての生活が在る状態を神代と言い、外(はず)れてきた状態を人の世と言っております。どこの国でも古い時代ほど「まつり」が盛んで凡ゆる生活の出発点であり、同時に終結点でありました。

 この伝統的信仰を忘れた民族や文明がこの地上から姿を消して行くのは、古今東西の歴史の示すところであります。



 この問題は別の機会に譲ることとし、今日の私達が住む日本列島を南から北へ、また東から西へと眺めてまいりますと、全国の何処かで祭りの行われていない日はない程、日本人は祭りが好きな民族であります。

 ところがこの「まつり」という言葉が甚だ曖昧でして、祭りと言えば一般的に華やかな祭礼が思い浮ぶのですが、重要なのはその前に行われる御神事であります。

 この文章でも祭りという言葉を神事を中心に考えてまいります。その意味では祭礼があってもなくても全国の社寺で、また個々の家々で毎日神事仏事が行われておりますし、一番熱心なのは御皇室であります。



 この御皇室が年中の祭祀の中で最も重要とされ大切にされておりますのが、十一月二十三日におこなわれる『新嘗祭(にいなめさい)』であります。

 この日は現今の法令によりますと「勤労感謝の日」といった、神事とは切離された為体(えたい)の知れない祝日にすり替えられておりますが、勤労感謝の淵源が新嘗の祭りにあり、その新嘗の意義が明らかになれば勤労感謝の意味も自ら判ることになります。


 ところが宮中の奥深い処で吾々と関係なく祭りが行われるというのでは余りピンとくるところもありませんが、その点については追々お話することとし、新嘗の祭りというのはやや広い意味では秋の収穫(とりいれ)の感謝祭でありまして、農耕民族であれば世界各国どの地域でも民族の発生以来続けてきている慣習であります。

 わが国ではこの収穫の中心となりものが稲でありましたから、新嘗を始めとする諸々の祭りは稲の祭りということも可能です。従って吾々の生命の糧である「稲」について考察を進め乍ら、国の生命の本義についても述べて見たいと思います。

                       ~ つづく




 ※谷口雅春先生米寿奉祝記念への木間敬氏の特別寄稿からです。

新嘗祭 (2) (3354)
日時:2012年11月08日 (木) 00時26分
名前:童子

           ◆稲を媒介とする君民一体の神事




 日本の祭祀(まつり)と神話、及び歴史を通じて、看過(みのが)すことのできない重要な事実は稲作文化との関連であります。いや関連というよりも古代では一年を周期とする農耕自体が祭祀であり、政治でありまた神話でもあり、更に歴史と文化とが渾然と融合しておったのでありまして、当時の稲作は今日減反問題で軽視されている米作りとは比較にならない、尊くも有難い神事でありました。


 と言いますのは、原始の食生活を考えて見ますと、それは野生の果実の収拾、狩猟漁労、焼畑農業などで何れも収穫が不安定で貯蔵がむつかしく、常に栄養のアンバランスがもたらす疾病と飢餓の危険にさらされておりました。特に越冬が容易なことでなかったろうと推察されます。


 このような時代には栄養価が満点で〈玄米〉美味くて然も何年でも貯蔵のきく稲なるものの伝来は、人々をしてどれ程明るい希望と生命の充実感をもたらしたことでしょう。

 この稲は食糧として貴重であるばかりでなく、籾(もみ)を採った後の茎、即ち藁(わら)は住宅の屋根を葺く材料に、また寝床のクッション材に、履物に或は雨具〈蓑〉に利用できますし、使い古したこれらの物を燃せば炊飯の燃料となります。更に燃え滓の灰は肥料となり、全てが一点の無駄なく生活に役立ってくれます。当に神が日本民族に与え給うた天のマナでありましょう。

 これに加えて稲作の周辺文化である金属器具の使用、衣料品の生産等の高度文明はこれを見聞する人達から渇仰と歓喜をもて迎えられました。神武天皇の御東遷はこの輝ける稲作文化の東遷であって、武力による征服ではありません。



 この文化の中心である稲が如何に貴重な最高の取扱いを受けたかは、天照大御神の皇統を承継ぐ神の御名に付せられていることからも判明致します。即ち天忍穂耳命(アメノ○ミミノミコト)穂能邇々藝能命(○ノニニギノミコト)、穂穂出見命(○○デミノミコト)といった具合です。

 また御幼名を狭野(サヌノ)命と呼ばれた神武天皇の御名は、稲田に働き給う産霊(むすび)の神〈サ〉の主という意味で平和そのものであります。

 何時の世でもそうですが、偶々自衛力を発揮するとそれが話題となって後世に伝えられ平常のことは隠れてしまいます。


 さて皇孫穂能邇々藝能命がこの日本の国に天降られるに際して皇祖天照大御神は『吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし』と申されて以来、稲の霊〈稲霊(いのち)――生命(いのち)〉と天皇様は御一体であり、国民に対しては御親(みづか)らが日の大神の霊光を満身に受けた御存在であられるが故に、国民にその糧を保証されることを御歴代の使命として承継いでこられたのであります。

                 ~ つづく

新嘗祭 (3) (3397)
日時:2012年11月08日 (木) 23時20分
名前:童子

          二.稲を媒介とする君民一体の神事 (つづき)




 天皇様が宮中の御田で親しく田植をされ、夏の草取りから秋の収穫(とりいれ)までお勤めになられるのも、単に国民の勤労の原点である農事を体験されるといったこと ―― これも勿体ない限りですが ―― のみでなく、今申上げた尊い御精神の発露でありまして、御祖神(みおやがみ)のお志しを行じ給う親孝行の至高のお姿をここに拝するのであります。

 また終戦後の混乱時に占領軍司令官を訪問され、皇室財産の全てばかりか御自身の生命までも捧げて、国民が飢餓に苦しむことのないよう食糧の確保を要請されたもこの伝統的な御使命感によるものと拝されます。



 稲は国民にとりましても生命(いのち)でありまして、日の大神の恵みと一年の勤労の結晶は国民の魂であり、これを捧げることによって天皇様と御一体になるという行事が現代でも実施されております。即ち毎年の新嘗祭には全国の知事からその土地の産米が宮中に奉献され、前記の宮中の御田で収穫された稲とが混合(まぜあ)わされて神前に奉納される御飯とお神酒になります。

 これを陛下が天照大御神にお捧げすることにより大御神と御一体になり、またこの御饌(みけ)を大御神からお受けして召上られるのであります。


 全国の稲穂が宮中に奉納されると言うことは、天つ神の「お言依(ことよ)さし」によって植えた稲が斯くも美事に稔りまして有難うございましたとの「かへりごと」を遂次上(かみ)を通して申上げる行事であって、昔は戸から村へ、村から郡、国、宮中へと奉納されたものです。

 現在では県知事が代表して奉納しておりますが、かくすることによって国民の御魂、各県の国魂が皇御命(すめらみこと)に合一し奉るのでありまして、従ってこの御祭りは私達と関係がないどころか、稲を媒介とする君民一体の御神事であるわけです。この事を昔風に申せば「食国(をすくに)のまつりごと」となります。

                 ~ つづく

新嘗祭 (5) (3522)
日時:2012年11月12日 (月) 23時37分
名前:童子

         ◆感謝の循環 ―― 祈年(としごひ)と新嘗と




 日本全国津々浦々の祭りは文字通り八百万の神々そのものでありまして、これを概念的にも集約することは到底不可能なことでありますが、祭祀の基幹とする御精神を伺いますと、それは祈年祭(としごひのまつり)と新嘗祭に帰着すると拝察されます。

 勿論、各神社には独自の特殊神事がお有りになりますが、これは各社(おやしろ)の個性、特殊性でありまして、普遍性の見地から申せば広義の祈年と新嘗であると考えられます。


 ここに言う祈年は年頭に当って ―― 年頭と言っても必ずしも暦の上の年の始めを意味するものではなく、農事の始め、仕事始め、現代では暦日の年頭が該当する場合が多くなってきておりますが ―― 御祖神の生命が宿る稲(とし)を始め、五穀や海の幸山の幸、生産品、取扱う商品やサービスの稔り豊かなることを予祝祈願する感謝祭でありまして、現実には目の前に豊穣なるお恵みを授けて下さいまして本当に有難うございますと心から感謝し、同時に御皇室の天壌無窮なる弥栄(いやさか)と国家の安泰を感謝祈念、言寿(ことほ)ぎまつったのであります。
                ~ つづく

新嘗祭 (6) (3531)
日時:2012年11月13日 (火) 05時16分
名前:童子

          ◆感謝の循環 ―― 祈年と新嘗と (つづき)




 この言寿(ことほ)ぎの言葉を式祝詞によって見ますと実に妙なる歌詞で格調が高く、

 田植の様子を『手沫(たなひぢ)に水肱尽(みなわか)き垂り、向股(むかもも)に泥尽(ひぢか)き寄せて取作らむ奥津御稲(おきつみとし)を』と謳い、

 稔りの秋を『初穂をば千頴八百頴(ちかひやほかひ)に奉り置きて瓶閉高知(みかのへたかし)り、瓶腹満(みかのはらみ)て雙(なら)べて、汁にも頴(かひ)にも称辞意(たたへごとを)へ奉らむ』と讃えまして、

 現(うつつ)には見えない田植や稔りの秋に感謝しているのであります。頴(かい)は稲の穂、瓶(みか)は酒を造るカメ、汁は神酒のことです。


 御皇室については『皇御孫命(すめみまのみこと)の御世を手長(たなが)の御世と堅磐(かいは)に常盤(ときは)に斎(いは)い奉り、茂御世(いかしみ)に幸(さきは)へ奉る・・・・』とあります。敬虔に有難い気持で唱えるのが良いとされています。



 以上官祭の祈年祭祝詞の一部を紹介しましたが、民間でも同様でありまして、小正月の予祝行事として、神棚の前に削り花を飾り立てたり、餅花、団子花を供えて稲穂が撓撓(たわわ)にみのっている光景を想像感謝したり、田植を中心とする農耕の所作を演じて祈願する行事は広義の祈年(としごい)と見ることができます。

 この祈年に対する新嘗は、予祝が実現すたことについての報告感謝祭であります。



 祈年祭と新嘗祭とは対応しないという有力で且つ尊敬に値する学説があります。その官祭についてのご見解は完全にはご賛同しますが、祈年、新嘗を予祝と実現の感謝祭と広義に解した場合には、天つ神の言(こと)よさしに対する感謝、予祝感謝、勤労感謝、実現報告感謝と循環し、かかる生活姿勢がまた祭祀の精神と言いますか、天つ神の御心にお応えする道ではなかろうかと存じます。

                 ~ つづく

新嘗祭 (7) (3573)
日時:2012年11月14日 (水) 09時53分
名前:童子

         ◆祖神祖霊と感応道交する祭り




 そもそも新嘗という事実を現在通称となっている「ニヒナメ」なる言葉で統一したのは何時の頃、誰が為されたか、管見による記憶では本居宣長夫人(うし)であると存じております。

 新嘗なる漢字は古くから使われておりますが、古代の新嘗の事実を伝える言葉と今日のニヒナメという言葉とは接続致しません。即ち新嘗の習俗を伝える歌として必ずと言って良いほど引合いに出される万葉の東歌三三八五の

   鳰鳥(にほどり)の葛飾早稲(かつしかわせ)を‘にへす’とも
      その愛(かな)しきを外(と)に立てめやも

を見ますと、この「にへ」は、「贄」即ち神に捧げる食物で「にへす」として神に早稲をお供えして祭りを行なっている状態を謳っております。この「にへ」は現今の新嘗の「新(にひ)」でもなければ「嘗(なめ)」でもありません。然し間違いなくこの歌は新嘗の事実です。

 また三四六〇の

   誰ぞこの屋の戸押ぶる‘にふなみ’に
     わが背を遣(や)りて斎(いは)ふこの戸を

の「にふなみ」は「贄(にえ)の物忌み」であってこれも発音は似ていますが「にふ」が新(にひ)になったのでもなく、「なみ」が嘗(なめ)となったのでもありません。



 食物の中で最も神聖視された稲を媒介として自らを神に捧げ、また神から新たなる生命をお受けする魂斎(ものいみ)の神事に、たまたま古代支那の秋祭であったとされる「嘗」の漢字を宛てたまでで「嘗」だけでも良いのですが、旧穀をもってする月次祭(つきなみのまつり)の神今食(かむいまけ)と混同しない為の配慮から、新穀をもって行なう「嘗」に「新」を冠して「新嘗」と造語をしたのであって、中古ではこれを訓読みして「ニヒナヘ」或いは「ニハナヒ」と言っておりました。

 これも現在の「ニヒナメ」とはつながりません。事実が伝えられていて、言葉が継続していない不思議は、民間習俗である「アヘノコト」「トヲカンヤ」「イノコ」「廿三夜」等にも見られる通り、これらの一つ一つの新嘗の習俗であり乍らニヒナメの発音に連なる言葉を伝えないのは、ニヒナメが造語に対する訓読みの一種であること、元々統一した呼名がなかったことによりましょう。



 然しその本質は「贄(にへ)の忌(い)み」で斎(ゆま)わり浄(きよま)わりの言葉に見られる通りの厳重な魂斎(ものいみ)の中で、恩頼〈ミタマノ‘フユ’〉に深甚なる感謝を捧げて祖神祖霊と感応道交する祭りでありますから、秋祭りというよりは‘フユ’の祭りであり、季節的にも旧暦十一月は冬であって冬至の前後となり、陽(ひ)の一番短い冬至を太陽神の衰亡と考えた古代人が新生命の復活を願った祭りであると、民族的に考えることも可能でありましょう。

 この祭りの後も月次、神今食(かむいまけ)、大祓と粗忌(あらいみ)が年末まで続き、これらの諸祭が終ると冬籠りが終って、生命(いのち)の晴〈春〉を迎え、新生命の誕生を感ずるのであります。正月の清新の気はこれです。然して一年の計を案じ予祝する祈年の祭りへと循環致します。

                 ~ つづく

新嘗祭 (8) (3623)
日時:2012年11月15日 (木) 21時40分
名前:童子

          ◆御神霊が天皇様に御顕(みあ)れされ




 太陰太陽暦が行われてていた明治五年以前の公の新嘗祭は十一月霜月の二番目の卯の日を当日としておりました。何故卯の日を選んだかということは陰陽五行(おんみょうごぎょう)によるもので方角日時について厳密詳細な理論的根拠があるのですが、紙数がありませんので省略して習俗的なことを申しますと、この日に天皇様を始め吾々の生命が新たに“生”れる、また“初(う)”いに通ずるとされててます。陰陽道でも似たような結論です。



 明治五年十二月三日をもって太陽暦の一月一日とされ、新嘗祭も十一月下の卯の日が廿三日であったので爾後毎年の祭日として決定したのですが、まことに天地の神々のお計いは不思議なもので、民間の習俗では干支によらず十一月廿三日の夜に収穫感謝祭を行う例がきわめて多く、太陽暦の採用でも日取りが変らなかったということです。

 この夜の忌籠(いみごも)りは次第に月の出を拝む信仰に移行しておりますが、新穀をもって祖神をお祭りすることに変りはありません。月の満ち欠けは農耕の日取りの規準でしたから‘月齢を読む’ことは太陽神への崇拝と同様に大切で、月読(つくよみ)命の御神名もこの事から発しているのでしょう。


 何れにしましても従来バラバラであった公と民間の新嘗の日取りが、太陽暦の採用と共に一致したという事実に深い御神慮を拝する次第であります。

 この日取りの神秘は私達信徒にとりましても後述するように関連があります。

                 ~ つづく


新嘗祭 (9) (3655)
日時:2012年11月16日 (金) 17時14分
名前:童子

         ◆御神霊が天皇様に御顕れされ (つづき)




 宮中ではその前日に天皇様の鎮魂祭(みたましづめのまつり)が執行されます。この祭りを含めて新嘗祭と言っておりますが、この鎮魂祭は天之岩戸にお隠れになった天照大御神の甦りを願い斎(いわ)う祭りと、旧事本紀に記す「十種(とくさ)の瑞宝(みづのたから)」によって神武天皇の御魂を鎮め奉ったという伝承の二つに由来するものです。

 前者は、主上、皇后、皇太子お三方の御玉緒を宮中に仕える掌典が各十回結ぶ行事で、一結び毎の数唱と共に、天宇受賣(アメノウズメ)になり変った内掌典が宇気槽(うけそう)〈長方形のたらいを伏せたもの〉に乗って、鈴をつけた賢木(さかき)の桙(ほこ)で底を突く神厳なり祭りで、これを糸結び〈鎮魂みたましづめ〉と呼びます。

 後者はお三方からお下げ願った白羽二重各一匹を御魂実〈みたまざね〉として柳筥に入れ、これを捧持して左右に五回、計十回が神楽の演奏と呪文の奉唱と共に揺られる行事でこれは御衣振動〈鎮魂みたまふり〉と呼ばれています。

 御皇室の安泰と長寿を斎う祭りです。鎮魂の祭儀は掌典長以下が執行うものですが、陛下には厳重な潔斎による禊をもって翌日に備えられます。禊は身削ぎで五官の否定であると同時に霊注ぎであります。



 新嘗の当日当夜、陛下には純白の神々しい明衣(きよぎぬ)という正絹(すずし)の祭服を召され、御冠の立纓(りつえい)を卵型に前面におたてになって臨まれます。

 新嘗を聞召す御時には、金鈴が一斎に鳴り響き荘厳の気漲る中で皇祖とご対面になられるのですが、その次第は僅かに伏見天皇の記された御記に「拍手三度称唯、以両手受盃、頗頭佐飲之」とあるのを拝見するのみです。

 称唯というのは昔、臣下の者が主上から物を賜わる時、拍手を打って「オオ」と発声する、それであって、主上が皇祖から白酒(しろき)、黒酒(くろき)を賜わるのに拍手を打って「オオ」とご返事を申し上げるのであります。黒酒は、くさぎの葉を蒸した灰を混入した酒のようです。

 その他洩れ承わるところもありますが、拝察しますところは、前日に禊で身心を清められ、霊注きされて新たな御生命を受けらた陛下が、更にこれを玉体の上に御顕斎されるのでありまして、皇(すめ)大御神のお言よさしによって作られた稲深甚なる感謝の御報告とともにご献供なされる。その感謝の極点において大御神に合一され、肉体的には皇祖からお粥とお神酒を賜ることにより、御神霊が天皇様に御顕(みあ)れされるのであります。

                  ~ つづく

新嘗祭 (終章) (3773)
日時:2012年11月19日 (月) 16時16分
名前:童子

          ◆宇宙的経綸が秘められた奇しき実のなる年の祝い



 以上が宮中における新嘗の儀であると洩れ伺っておりますが、天照大御神の御顕れには記紀に説かれている通り、また前日の御禊に拝されるように、住吉大神の御誕生とお働きによって始めて為される御業でありますので、この御事を二年前にご顕斎を奉祝して次のように述べさせて頂きました。



 天照大御神がお生まれになるには『その前の霊(ひ)として、宇宙浄化の住吉大神がお生まれになる』といった神界の構図が、そのまま地上に顕現して、新嘗祭で天皇様に大御神がお生まれになる「前の日」の十一月二十二日に私達の総裁先生〈※註:谷口雅春先生のこと〉がこの世にご誕生になられたのであります。

 この「ご誕生日」に、陛下には御魂の‘禊祓’へを執行(とりおこな)われるのでありまして、ここに神界の「前の霊(ひ)」と地上の「前の日」が合わせ鏡のように一致するのであります。

 このようなことから十一月二十二日という日には宇宙的な経綸が秘められておりまして、新たに総裁先生に住吉大神がお生まれになると同時に、私達一人一人にも大神が御降臨になられて、この世を住吉の世界に作り為す、その時が顕斎の年を迎えてやってきたわけであります ―― と。


 やがてその日をお迎えすることになりますが、ご承知の通り今年のご誕生日は尊師の米寿という佳節であります。米寿の米は稲の実であって、稲はこれまでお話しましたように古来非常に尊貴に取扱われまして、その実は「奇しき実」であるとされ、現在、米と呼称されるのも、その約言であるクミが、クメ、コメと転訛した言葉と記憶しております。


 総裁先生が‘奇しき実のなる年’をお迎えになるということは、私達にとり、いや生きとし生けるものにとって何と慶ばしいことでありましょうか。

 米はまた八十八と書きます。その意義は、生長の家がこれから八〈末広がりに〉十〈充足し、満ち足り〉八〈弥益々発展する〉ことを予祝感謝することであります。

 まことに有難くお目出たい日をお迎え出きる幸せと、尊師の米寿に因んで終始、米の持ついわれと祭祀、また日本の国体の尊厳について、述べさせて頂いた光栄に感謝して筆をおくことと致します。有難うございました。

                              合掌



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