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「変えてはいけないもの」私は、それが『我ら日本人として』にあると思っています! (3602)
日時:2012年11月15日 (木) 09時17分
名前:「靖国見真会」参加者

「トキ」さんがこういうことを書いています。

これまた、納得がいかないところがありますので、反論しておきます。

〉「教区会員」板
277 :トキ:2012/11/14(水)

今の生長の家はおかしな点が多々ありますが、総裁の立場になると分かる部分もあります。
例えば、尖閣諸島や竹島の問題は、日本人として考えればどう見ても中国や韓国の言い分は無理難題であります。ところが、台湾や韓国にも生長の家の信徒が沢山いますから、総裁の立場になると、日本の信徒だけを意識する訳にはいかないのも事実であります。〈


→「トキ」さん、こういうことをいうから、結局は、「和解派」の本質は、「八ヶ岳教団」の体制を擁護するものでしかないと言うのです。

貴兄のこの言い分を容認したら、かつて谷口雅春先生が竹島について言及なされたことはいけなかったということになりますよね。

例えば、『若人のための78章』には、このようなことが記されています。

…軍備というものは自衛のためでもあるが、「国家の威厳」の象徴である。威厳なき国家は、韓国にも馬鹿にせられる。嘗てソ連のブルガーニン首相はインドを訪問しての帰国にあたり声明して曰く、「ジュネーブ精神は失われたのではない。しかしわが国のみが一方的に軍備を縮小することはできない」と。此の大国にして水爆を所有する国でさえ斯くいうのであります。現代の人類の魂の発達の程度においては、世界の平和は勢力の均衡によって保障せられる。アメリカとソ連とは今は勢力が均衡しているから平和状態である。北鮮と韓国とは勢力が均衡しているから今は平和状態である。しかし、韓国と日本とは勢力が均衡していない故に竹島をとられ、日本海における漁業権を侵略されつつあるのである。
 勢力の均衡とは物質的表現であって、其の実は国家の威厳であることに、注意していただきたいのであります。(183~184頁)


「日本の信徒だけを意識する訳にはいかない」というのであれば、もちろん、「天皇様」のことについても語ってはいけないということになりはしませんか?

つまり、貴兄の言うことに従えば、谷口雅宣先生のやった『愛国書』の絶版は肯定されるし、「国家」を抜きにした「自然環境保護路線」も大いに首肯されるということになるのです。

事実、この『若人のための78章』は絶版にされているのは、ご存じの通りです。

貴兄は、このように「総裁の立場」に理解を示して、谷口雅宣先生のやっていることを、結果的に容認しているのですよ!

そして、貴兄はこういうこともいうわけです。


〉また、日本国内の思想状況を見ると、谷口雅春先生ご存命中は、まだまだ左翼性力が跳梁跋扈しており、日本の将来が危うい状況でありました。が、最近では、国内の思想状況は改善され、かってのような左翼勢力や売国勢力が好き勝手にできる状態ではなくなっているのも事実であります。

→こういうことを言うから、貴兄には失礼と思いつつも、だから脳天気だと言うのです!

「左翼」の反日工作の恐ろしさを貴兄は知らなすぎますよ。

「平和ボケ」しているから、こんなことが書けるのだと呆れかえります。

「和解派」に対して、私が痛感するのは、その余りの状況認識の甘さであります。

それでなくとも生長の家の信徒は「人が良い」、人が良すぎます!

だから、こんなにも谷口雅宣先生にいいようにしてやられるのだとも思っておりますが…。

そんな甘い状況認識しか持ち合わせていないところにきて、こういうことを言うから、カチンと来るのです!

〉その他、谷口雅春先生ご存命中とは社会状況等も変化しているので、当時のやり方をそのまま踏襲するのは適切ではないのも理解はできます。
 しかし、変えなければいけない部分と、変えてはいけない部分があります。信仰の根本の部分は変えてはいけない部分だと思います。ところが、最近の教団は自分達の自然偏重路線を正当化するために、教義の根本の部分まで改悪しています。これは、私は賛成できません。〈

「トキ」さん、それでは伺います。

貴兄は、何をもって「変えてはいけない部分」と言っているのですか?

「信仰の根本の部分は変えてはいけない」その信仰の根本の部分とは、一体、何を指すのですか?

それをはっきりと明示すべきです。

貴兄に代わって、私が申し上げましょう。

「絶対に変えてはならない部分」それは『我ら日本人として』にある次の言葉であると私は思っております。

…二千六百年来、吾々の父祖が築いて来た日本の精神的宝を護持するための聖なる運動が、この「生長の家」の運動だと知らねばならぬ。唯、本を読んで悟を開いてしかつめらしい顔をして、神想観をして、ただ何を言われても、「有りがとうございます」と感謝しているだけを生長の家だと思っていては大変な間違いであります。それは野狐の生長の家である。生長の家の受取方が根本から違っている。…これは祖国防衛の運動である。これは全人類を救済するための運動である。(190~192頁)


「祖国防衛の運動」これこそが、生長の家が絶対に「変えてはならない部分」なのです。

谷口雅宣先生はこれを変えたから、私どもはそれに異議申し立てをしているのです!

それは決して批判ではありません。

それこそ、生長の家の根本信仰に関わることだから、決してゆるがせにはできないと考えているのです!

「トキ」さんとは、「生長の家の受取方が根本から違っている」そのことを改めて痛感した次第です。



「我ら日本人として」に思います。 (3612)
日時:2012年11月15日 (木) 13時17分
名前:マリーゴールド

「靖国見真会」参加者さまの

「我ら日本人として」の転写のご文章を読んで感じました。

谷口雅春先生は、御自らを「我はラッパなり」と仰いましたが、

谷口雅春先生のお説き下さったラッパは、まさに護国の神剣そのものではないでしょうか。

真理を「お国の経済事情や歴史事情」で変えてはならないと思います。

真理は、真理として語っていくことが、神の子が神の子を尊ぶことであると感じます。

お国の事情や時代に応じて変化する、カメレオン人間(カメレオン信仰)にはなりたくないものであります。


「マリーゴールド」様へ (3640)
日時:2012年11月16日 (金) 09時16分
名前:「靖国見真会」参加者


「マリーゴールド」様には、『若人のための78章』を転写していただき、その労に心からの感謝を捧げさせていただきます。

今回の投稿にも大いに活用させていただきました。

改めて、谷口雅春先生の深い愛国の至情に心打たれた次第です。

それを忘れ去ってしまったかのような「八ヶ岳教団」の現状には、本当に残念で、悲しい思いで一杯です。

〉お国の事情や時代に応じて変化する、カメレオン人間(カメレオン信仰)にはなりたくないものであります。

この言葉、心に響きました。

かつて、先代貴乃花が、高見山との大一番で、髷が先についたばかりに負けてしまったことがありました。

その折り、インタビューで、「大関、髷がなかったら勝っていたのに、残念でしたね」と水を向けられて「髷がなければ相撲はとれません」という名言を吐いたことがありました。

同様に、これが無かったら生長の家が生長の家でなくなる、というものがあると思うのです。

それが、私は“国家”の二文字であろうと思います。

それだからこそ、私は“国家”を説かない「八ヶ岳教団」はもはや「生長の家」に非ずと申し上げているのです。

私が一貫して、私は生長の家をやめてはいません、と言うのは、そういう思いがあるからです。

却って、私は、今の「八ヶ岳教団」にいる人にこそ、こう言いたいと思います。

「どうして、生長の家を辞めるの…?」って!

今後ともどうぞ、よろしくお願いします。



国家を学ばないことは、神の子を学ばないことだと思います!! (3693)
日時:2012年11月17日 (土) 13時38分
名前:マリーゴールド



 合掌 有難うございます。

 「靖国見真会」参加者様

 身に余るお言葉に、心より感謝申し上げます。

 私は「若人のための78章」を謹写させて頂いて、私も大変勉強になっております。皆様とこのような機会を与えて頂いていることに、感謝の思いでいっぱいでございます。

 有難うございます。

 
 「靖国見真会」参加者さまの

 >同様に、これが無かったら生長の家が生長の家でなくなる、というものがあると思うのです。

それが、私は“国家”の二文字であろうと思います。>


 のお言葉に感じたことがございます。

 「国家を学ばないということは、神の子を学ばない」ということでなかろうかと思うのであります。

 日本の歴史や「古事記」という神話。国家そのものを学ぶことは、神の子そのものを学ぶことです。

 八ヶ岳教団でも、神の子を学べるとお思いの方もおられるでしょう。

 八ヶ岳教団としては、「単体の神の子」としての学びしか、私の会員時には、学ぶことは出来ませんでした。

 もっともっと学びを深めて参りたいと思います。


 こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。

   
      感謝 合掌 再拝




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