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親への感謝、親孝行 (176)
日時:2012年08月08日 (水) 03時45分
名前:伝統

 今日、8月8日は 【親孝行の日】 でもあります。
「88」が「は(8)は(8)」、「パ(8 )パ(8)」と読めることと、
「ハチハチ」を並びかえると「ハハ(母)チチ(父)」となることから。


明治天皇が煥発した教育勅語には、12の徳目が示されております。

(1)孝行   ~ 親に孝養をつくしましょう。
(2)友愛   ~ 兄弟・姉妹は仲良くしましょう。
(3)夫婦の和 ~ 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう。

(4)朋友の信 ~ 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう。
(5)謙遜   ~ 自分の言動をつつしみましょう。
(6)博愛   ~ 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう。

(7)修学習業 ~ 勉学に励み職業を身につけましょう。
(8)智能啓発 ~ 知識を養い才能を伸ばしましょう。
(9)徳器成就 ~ 人格の向上につとめましょう。

(10)公益世務 ~ 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう。
(11)遵法   ~ 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう。
(12)義勇   ~ 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう。

・・・

さらに、「生長の家“愛国本流宣言”掲示板」には、谷口雅春先生の言葉として、
「良人も、父も、子も、兄弟姉妹も皆、〃神の最高の自己実現〃である。 (124)」
が紹介されております。
 
 → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=hikarinomi&mode=res&log=44

・・・

<『七つの燈台の点燈者』の神示 より抜粋>

神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。

皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。
汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物に感謝せよ。
その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。

・・・

「生長の家“本流宣言”掲示板」内の関連として次のスレッドがあります。

(1)母の大恩 (964)
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=224

(2)お母さんの偉大な力 (4535)
 →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=943

(3)いのちが響き合う (8809)
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2067

(4)父の恩 (2607)
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=509

           <感謝合掌 平成24年8月8日 頓首再拝>

汝の霊の根元に感謝せよ (247)
日時:2012年08月09日 (木) 07時28分
名前:伝統


         *「幸福を招く365章」(P167)より

骨が折れるのは、神と先祖と父母に対する尊敬と愛が足りないからである。
ホネは霊根(ほね)である。自己の霊のそだつところの根元である。
吾らの霊は、神・先祖・父母と云う風に伝わって来て今日あるを得たのである。

霊根をつちかわないから骨が折れる。
父母に反抗している場合に脊椎カリエスにかかっていて医療では中々治らない場合がある。

北海道の札幌で幹部教修会があったときに○○修二と云う人が話した体験によると、
14歳の時に家出してヤクザの群に入り、ついに刑務所で服役までしたのであるが、
出獄後脊椎カリエスにかかり三つの楼口から毎日多量の膿を排出し、
段々生命旦夕に迫ると云う処まで来たが、

たまたま自分の父親が七十幾歳にて老衰した姿で枕元に来て優しい言葉を
かけてくれたとき、父がこんなに老衰させたのは私が済まなかったと思って
おわびの心をおこしたのである。

するとその重体が三カ月で癒え炭坑で
重労働をしても耐えられる健康さが恢復したのであった。
                      
           <感謝合掌 平成24年8月9日 頓首再拝>

生命の神秘体験 (325)
日時:2012年08月11日 (土) 07時07分
名前:伝統

『赤ちゃんは親の声を聴いている』

    *宇治・O講師プログ’(平成22年12月5日)より

▽以前、日本教文社でも「 生命の尊厳 」と「 生命の神秘 」、
 そして「 胎教の大切さ 」を書かれ出版されていた・・

 医学博士 池川明さんの講演会に寄せて戴いた事がありましたが。。。。

 (この方は、産婦人科医ですが、「子供は親を選んで生まれてくるのだ」
  と宣言されている お医者さんです。。。)

  ・・・

  *池川明医学博士による「胎内記憶」については、
   「生長の家“本流宣言”掲示板」内にて紹介いたしております。
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1361

  ・・・

 その時に、おなかの中から聴いた父母の声の集音に成功したという事で、
 その音を聴かせて戴いた事があります。

 なんと、ちょうど、お風呂に仕切られたガラス戸の向こうから
 聴こえるハミングや、声やつぶやきのように。。。


 まるまる、そのまま、
   はっきりと聴こえる
       のですよねえ。

 驚きました。。。。。。

   ほとんどの聴衆は、

 うっすらと 
    涙を浮かべて
       いたようです。。。

    なぜなん
      でしょうね。。。。。

 おなかの中から出てくる前から、
 私たちも親に愛されていたんだという実感が 甦ったのでしょうか。。

 生命の神秘に心打たれたのでしょうか。。。

 私にとって貴重な生命の神秘体験でした。。。

  お父さん
    ありがとうございます。

  お母さん
    ありがとうございます。

  生んで下さったからこそ。。
   今がある。。。ありがとう。。

  父さん。母さん。。。

   本当にありがとう。。。

  感謝が魂の奥底から湧きあげてきました。。


 御先祖様のいのちが。。

  僕に・・私に・・今、ここに
    結集しているんですね。。

 こんな素晴らしい奇跡が
      あるだろうか。。。。

 なんと 素晴らしい
     奇蹟であるのだろうか。。

あなたの
 愛をうけて
   今ここに
     ある「生きる喜び」。

           <感謝合掌 平成24年8月11日 頓首再拝>

孝といふ字は老と子との合成である (359)
日時:2012年08月12日 (日) 06時56分
名前:伝統


       *谷口雅春先生・著『幸福をひらく鍵』(P149)より

子が老を負んぶしている象(かたち)である。
これは親をいたわる象でもあるが、子は親の生命を背負って出現したという象でもある。
子の生命の淵源が親であり、親子一体、祖孫一体の愛を表現する文字である。

子が親につかえ、親が子をいつくしむ親子の愛情は、
その生命の淵源する一体の實相から来るのである。

親の愛は、子供が“何をするから愛する”のではない。
子供との一体感において、純粋無条件に愛するのである。

母親の無条件の愛が徹底したとき、子供も無条件に母親を愛するのである。
愛は互いに反映するのである。

親が子を愛する場合には、自分の産んだすべての子を愛するのである。
一人だけを愛して他を顧みないということはないのである。

無論、その子供の性質や精神状態の如何によつては、
その愛情が稀薄になることはあるにしても、
根本に於てすべての子供を愛するということには変りはないのである。

ただ親から愛されている受動的の愛では、進歩がなく創造がないのである。
愛は受動的段階から創造的段階にまで進まなければならない。
ただ愛を受けるだけではなく、愛を興えるやうにしなければならない。

受ける愛より興える愛に進むのである。
消極的愛より積極的愛へと向上するのである。

           <感謝合掌 平成24年8月12日 頓首再拝>

感謝の便りを (426)
日時:2012年08月15日 (水) 04時27分
名前:伝統


     *メルマガ「人の心に灯をともす(2011年04月26日)」より

   松原泰道師の心に響く言葉より…

   「二度とない人生だから
   一ぺんでも多く
   便りをしよう
   返事は必ず
   書くことにしよう」    (坂村真民)

   ある定時制の高校でお話する機会があり、この坂村真民さんの詩を紹介しました。

   すると、ひとりの生徒が、こういうのです。

   「僕たちは昼間の学校に行っている友達ともハンディがあって1年余計勉強するんです。
   田舎で中学を終わって、故郷を出るときに、ああこれから友だちより1年多く勉強
   しなければならないんだなという憂鬱(ゆううつ)な気分で汽車に乗りました。

   集団就職ですから友だちも多いから寂しくはなかったんです。
   僕はさいわい電車窓側に座れたので、窓の縁(ふち)に手を乗せていました。

   発車のベルが鳴ると同時に気がついたのは、
   僕の手の甲の上にお母さんの手が重ねられていたのです。

   僕の手の甲を押さえてくれるお母さんは、
   老いと仕事の疲れでザラザラになった荒れ果てた手で、
   僕の手の甲を押さえて僕の耳に口を寄せて言ってくれました。

   4年前の言葉です。

   『東京へ行ったらね、できるだけたくさん便りをおくれ。
   お母さん待ってるからね、葉書でいいからおくれよ。

   疲れていたり、忙しくて書けなかったら、
   寝るとき必ず故郷の方を向いて寝ておくれ。

   お前の夢を見ることが出来るかも知れないからね』

   といってくれたのです。

   今、先生のお話を聞いて思い出しました。

   僕書きます。
   寮に帰ったらすぐ書きます」

      <『禅のこころに学ぶ 日々好日』総合労働研究所>

   ・・・

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう

貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう

     (坂村真民)

親が子を思う気持はいつの世も同じだ。
どんなに口やかましくいう親でも、子どもが家を離れ、巣立っていくときは、涙を流す。


吉田松陰の歌に

「親思ふ 心にまさる親心 けふのおとづれ 何ときくらん」

松陰が獄中にあるとき、両親はたびたび、着る物や、食べ物を差し入れ、書物も届けた。
また、不衛生な獄舎の生活に、母親はよく洗濯にも通ったという。

「親が子を思う気持ちは、子どもが親を思う気持ちより数段深い。
私が処刑されることを知ったら、どんなにか悲しむことだろう」

処刑される前にうたった歌だそうだ。

信念を貫いた自分は仕方がないが、
私を思ってくれる親に対して申し訳ない、という切々とした思いが伝わる。


親が生きているうちしか、親孝行はできない。

誰もが分かっていることなのに、多くの人は親が亡くなってからこの事実に気づく。


二度とない人生だから…

親に感謝の便りを出したい。

           <感謝合掌 平成24年8月15日 頓首再拝>

恩を知る (458)
日時:2012年08月16日 (木) 19時52分
名前:伝統

父母恩重経

日本に最初に「仏説父母恩重経」をもたらされたのは、鑑真和上(688年- 763年)でした。


「仏説父母恩重経」でお釈迦さまは、次のように説かれております。

   善男子、善女人よ。わたしたちは、父親にいつくしみ(慈)の恩を、
   母親にあわれみ(悲)の恩をうけている。

   なぜなら、人間がこの世に生まれてくるには、前世に自分が蒔いた善悪の種子(たね)を
   直接原因とし、父と母とを間接条件としているからだ。

   父がなければ、わたしたちはこの世に生まれてこないし、
   母がなければ育つことができない。


私たちは、両親から非常に大きな恩を受けています。

その恩に十種あると、お釈迦さまは『仏説父母恩重経』に説かれています。


   父母の恩の重きこと、まさに天に限りないのと同じである。
   善男子・善女人よ、この父母の恩を詳しく説くならば、十種の恩徳となる。


   (1)懐胎守護の恩~この世に誕生するまで受けた恩
   (2)臨生受苦の恩~この世に誕生する際に受けた恩
   (3)生子忘憂の恩~子供の健康を一心に念ずる親の恩

   (4)乳哺養育の恩~睡眠時間を削りながら母乳で育てられた恩
   (5)廻乾就湿の恩~おねしょした際に受けた恩
   (6)洗潅不浄の恩~汚れたおむつ・服を洗ってもらった恩

   (7)嚥苦吐甘の恩~子どもの発育を優先してもらった恩
   (8)為造悪業の恩~悪行をしてまでも守ってもらった恩

   (9)遠行憶念の恩~子どもの遠出の際心を配ってもらった恩
   (10)究竟憐愍の恩~老いても、慈しみを受けた恩


お釈迦さまは、天に限りの無いのと同じくらい大きな父母の恩に報いるには
どうすればよいかと問われ、それには先ず「知恩」だと申されています。


恩を知ることで人は感謝をします。

恩を知ることで人は優しくなれます。

恩を知ることで人は全てを許します。

恩を知ることで人は命の大切さを知ります。

恩を知ることで人は真実に目覚めます。


 <参考Web:漫画「父母恩重経」>
  http://byoung.tulip-k.jp/comic/hubo/index.html

           <感謝合掌 平成24年8月16日 頓首再拝>

聖地宇治別格本山での奇蹟の数々 (476)
日時:2012年08月17日 (金) 04時56分
名前:伝統


     *Web:宇治別格本山より

聖霊天降っている聖地

谷口雅春先生が御自ら筆をおとりになり、宇治練成会の体験を纏めて発表されたものは圧巻である。
「生長の家」誌昭和三十三年六月号の「明窓浄机」に10頁を費やしてお書きになった。
その一部をつぎに掲載する。


昭和33年3月21日の研修会での体験発表の時間に、
奈良県北葛城群当麻村大畑の寺田喜代子さん(23歳)が体験発表された。

寺田さんは富裕な農家の生まれであるが、
幼いときから両親が常に「男でないと仕事が出来ない。女では仕方がない」と口ぐせに
言われるものだから、「男になりたい」願いが潜在意識に深く根をおろした結果、

言語動作等ことごとく男のように粗暴になり服装などもほとんど男としか見えないような服装を
つけるようになり、馬などを扱うときにもほとんど全く男と同じような態度、語調で
どなりつけるようになった。

年頃になっても、その男性的性格がいよいよ甚だしくなるにつれ、両親が心配して、
「もっと女らしくなれ」と言うものだから、

「幼い時には女では駄目だ。男でないと、仕事はできん、と口癖のように言っておきながら、
いまさら『女らしくなれ』とは何事だ」――と大いに憤慨して両親を恨み両親に反抗する
ようになり、酒は毎日五合? くらいは飲み、煙草がは毎日30本以上ないと足りないように
心がすさんでしまっていたのであった。

ところが縁あって、宇治の生長の家修練道場に来て、諸先生の話をきき、
更に楠本加美野講師の親不孝が治った体験を交えた話をきき、
神想観中に「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます」と
心で念じていると、

今までの親不孝な自分についての悔恨の情が沸々とたぎるように沸き起こって来て、
泣けて泣けて仕方がなかった。

それから、「祈りの間」にはいって祈りながら、存分に泣いたのである。

「祈りの間」を出て、山に上って見ると、そこにひときわ大きく輝いている星が
自分を見詰めているように感じられた。その星を見ていると、それが母の慈愛深い眼を
思い出させた。

「あの星は母の眼なのである。母は私を愛して私がよい娘になってくれるようにと
常に私を見詰めていてくれるのである」と思うと涙があふれ出て来た。

今まで母に反抗してすまなかった。
涙にかすんだ眼に、その星がぼんやりとなり、その星が母の顔になって見えるのである。

彼女は大声で「お母さん!!」と叫んだ。
この声が奈良県にいる母に通じればよい……再び彼女は大声で「お母さん!!」と叫んだ。
大粒の涙が彼女の眼から滝のように流れ落ちた。

彼女は母親に心をこめて今までの不孝を詫びる愛情の手紙を書いた。
それから幾度も幾度も母親に手紙を書いた。

そして此の体験談を発表した最後に、
その母から来た「喜びの手紙」を泣きながら彼女は読みあげたのであった。

宇治市の生長の家別格本山の研修会では
親孝行に転向した実例がずいぶんたくさん発表された。

そのうちのもう一人は兵庫県西宮市浜甲子園の石井晶君(28歳)である。

晶君の父親は運悪く次々に妻と死別して4人も妻を迎えたのである。
そのたびごとに息子としての晶君は、親を憎み世をのろい、すべて暗黒面を見て、
人生がただもうまっ暗に見えていたのであった。

そして全身の病を得て働けなくなり、長い病床生活を経て、死んでもよいと思っていた。
ところが縁あって尼崎の石原講師の指導により宇治の練成会に参加することになった。

最初はあまりその講話にも興味を覚えなかったが、
練成の何日目かに楠本講師の親孝行についての話をきいたときに
ピンとこたえるものがあった。

しかし親に感謝してみようと思っても、親の不快な顔ばかりが浮かんで、
どうしても感謝する気持ちが起こらないのである。

それで吉田武利講師にそのことを訴えて相談すると、
「祈りの間」に入って神想観をして親の顔を思い浮べて
「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます」と
熱心に念ずるがよいと教えられた。

最初「祈りの間」に入って、父母の姿を思い浮べても、
それは恐ろしい顔で叱っているような形相ばかりが眼に浮んで、
もう神想観をやめようかと思ったことが幾度もあったということである。

しかし、それを押し切って「お父さん、お母さん、ありがとうございます」と
繰返し念じているうちに、自分の眼の裡に浮ぶ父母の顔がやさしい愛情の顔に
かわって来たのである。

その愛情の顔を見ると、晶君は嬉しくて嬉しくて、沛然として涙があふれて来た。
そして本当に心の底から「お父さん、お母さん、ありがとうございます」と
感謝できることになったのである。

この体験談でもわかるように、息子というものは、本当は親を愛しているのであり、
愛せられたいのである。

しかも或る機会に叱られたことなどから、「私の親は私を愛していないのだ」と思う
ようになり、心の中に、「自分を叱っている両親の姿」ばかりを描いているのである。

その心の姿が両親に反映して、現象的には依然として、自分につらく当る父母を見るのである。
しかしその現象の姿を「祈りの間」で否定し切って、「実相の父母」の愛情に満ちた
にこやかな温顔を思い浮べて「ありがとうございます」感謝の語をのべていると、
実相の愛深き父母の姿が心の眼に見えて来るのである。

そして心で父母を「愛情深き者」と見得るようになると、
現実の父母もまた実際に「こんなにも父母は私を愛していたか」と気がつくような
愛深き姿にあらわれるのである。


同じく宇治の研修会で発表された体験談の一つには、その状態がハッキリ説明されている。
それは妙見達郎君の体験談である。

神戸市須磨区平田町二丁目(当時)の妙見達郎君は金持ちの息子であった。
親は手紙1本出せばすぐ必要な金額を送ってくれる便利な銀行だ位に考えていた
というのである。

中学1年から、酒と女と賭博、ヒロポンの注射などに身を持ちくずして、
しまいには親の家や畠までも売り飛ばし7年間におよそ400万円を浪費したというのである。

初めは宗教などとても信じられなかったが、
ともかく、宇治の修練道場へ来て講話をきき、
「祈りの間」で父母に感謝の神想観を実践しているうちに、
自分の父母を見る心が変って来たのである。

すると、母から実にやさしいやさしい愛情のこもった手紙が来た。
その手紙を妙見達郎君はズボンの下の丹田のようなところから探り出して、
「私はこうして母からの手紙をお守りにしているのです。これを朗読いたします」と
言って読みかけたが、感きわまって嗚咽の声でその朗読は充分聞きとれなかったが、

その母の手紙には、「お前をそう言う状態に追いやったのは、お前が悪いのではない。
母なる私が悪かったのだ。どうぞ私を赦す宥して下さい」と書いてあった。

達郎君はこれを読んだとき、
「こんなに愛情の深い母を私は裏切っていてすまなかった」と思って4回も5回も
読みかえして、「この手紙をお守りにして、今後、父母の喜んで下さる自分になろう」
と決心したのだそうである。

宝蔵神社の設計者である四方さんは、
宇治別格本山敷地がまだ決定していないで交渉を進めている最中に、
「山火事か」と思う焔のような霊光が今、宇治別格本山の敷地になっている地点に
おりたのを見た体験談を発表されたが、

続々として上記のような奇跡的な体験談が出るのは、
生長の家の説く真理がすぐれているのは言うまでもないが、
この宇治別格本山の地はまことに聖霊天降って衆生教化の中心地として
いたまうからであるということが推察せられるのである。 

宇治研修会で次のような体験を京都市下京区中堂寺北町33の山崎昇さんが話した。

山崎さんは毎月、日課のように宇治の練成に来ているのである。
ある日、練成に来てこの人は入浴が好きなので道場の湯殿へとび込んだ。

そして下半身に湯をかけて顔を湯槽の湯でぬらして髭を剃る準備にと思って
ツルリと顔を湯でしめて、湯槽の中にいる先客を見ると、その人の全身が数日間
水浸しになった土左衛門のように赤むけの皮膚の上が、水でほとびて白く腫れた
盛り上がったような皮膚になっていて、二た目と見られない醜い全身の皮膚病なのだ。

ことに両股から脚部へかけてはその状態が甚だしいのである。
その人が「手拭は湯槽の中に入れないで下さい」と貼紙してあるにもかかわらず、
湯槽の中で、その二た目と見られない皮膚を手拭でごしごしこすっているのである。

それを見ると山崎さんは、湯槽に入るのを躊躇したが、半身は既にぬれているし、
冬のことで寒いので、やむなくその湯の中に入っては見たものの、
心の中に沸々とたぎる憤りのようなものがわいて来るのである。

「その皮膚病は何ですか」と山崎昇さんはその人にきいてみた。
「これは湿疹です」
「あんた、それを治りたいと思いませんか」
「治りたいので来ているのです」
「それでは私の言う通りしますか」
「治るならどんなことでも致します」
「それじゃ、私はどなりますよ。大声でどなっても素直にききますか」
「はい」

「あんたは父母に感謝がたらん。両脚は祖先をあらわす。一番身近い祖先は父母だ。
父母に感謝をせずにその皮膚病と同じような、いやらしい心をしているから
そんな病気があらわれるのだ……」

山崎昇さんは大声でどなっていたが、自分がどなっているのではなく、
神懸りしてどならされているようで、どなった言葉は詳しくは覚えていなかった。

そのうちに其の皮膚病の男は泣き出してしまったのである。
そしてその男はその夜一心に父母に今までの非行をわび懺悔と感謝の一夜をすごした。

すると、翌朝になってみると、あのひどかった両股のあたりの皮膚病がカラカラに乾いて
一部治っていたのである。それから後、5日間の練成中に、この全身皮膚病は完全に
癒されてしまったのであった。

その人は福井県敦賀の中村さんという人であるとのことである。
この「何者かが神懸りしてどなっている」うちに相手の皮膚病が治るなどと言うことは、
やっぱり聖霊が降り来ている霊地だという感じがするのである。

           <感謝合掌 平成24年8月17日 頓首再拝>

親というもの (839)
日時:2012年08月29日 (水) 06時53分
名前:伝統

   *橋本徹馬・著「生命の医学大事典」(P162)より

すべての人にとって親は最も大事な存在です。
親はこの世の中の万物を造る宇宙の創造神(大生命の神)の御心をうけて、
神がこの世に人間を造り給うみ心を代行して、子を生育するのです。

その意味においてすべての人間は、神の分身であり、無上に尊い存在です。

同時にすべての子は、前世で造った因果相応の親を選んで生まれます。
親は前世で造った因果と、現世で造った因果とに相応する子が授かります。
だから何人もその本性は無上に尊い半面において、
親子共に自分の造った因果相応の境遇をうけます。

それゆえ自分の親がどんなに気に入らなくとも、
親を否定したり、親を恨んだりしてすむことではありません。

親は悪い事をしても、子は罪がないと言う人がありますが間違いです。
親子は不可分であり、因果の上からは同罪です。

それゆえ悪事をした親にもよく仕えて孝行をすべきであって、
そうする者は後には栄える反面において、
不孝をする者は、自分の運勢を自ら傷ける者です。

親に孝行するという事は、その行ないを通じて神に仕えるのです。
親不孝をする者は、その行ないを通じて神に反逆するものです。

神に反逆する者は神の理法、即ち生命の法則に背くものであるから、
栄えないのが当然です。

若い時からこの道理を知っておくとよいです。

         <感謝合掌 平成24年8月29日 頓首再拝>

父母はあなたをこの世に登場させて下さった恩人である。 (971)
日時:2012年09月02日 (日) 07時59分
名前:伝統


     *谷口清超先生・著『輝く未来が待っている』より

人間は「神の子」であるが、それは肉体人間のことではなく、
肉体は「神の子」の霊が使う道具だ。

父母はその道具を作って与えてくださっているということである。
肉体は、私たちが地上生活をするために、なくてはならぬ道具である。

だからこれを下さった父母には、まず第一に感謝するのが当たり前であろう。

         <感謝合掌 平成24年9月2日 頓首再拝>

親子の因果関係 (1131)
日時:2012年09月06日 (木) 04時48分
名前:伝統


親子は因果の寄り合い

      *橋本徹馬・著「難病全快の話」より 

親は子を生みますが、その子は先にもいうが如く、親が勝手に選んで生むのではなく、
その子の方もその子の持っている、前生からの因果応報の親を選ぶのであります。
つまり親子は同じ因果の寄り合いであります。

だから世間でよくいう「親は悪事をしても、何も知らぬ子に罪はない」という言葉は、
本当は間違っているのです。その子もそのような悪事をする親を選んで、生まれて来るだけの
悪因を持っているのであるから、親の悪事と無関係とはいえないのであります。

このことが分かれば、どんな人も親が気に入らぬといって、不平をいう資格はないのです。
気に入らぬといって、不平をいう資格はないのです。
気に入らぬ親の子に生まれた資格は、その人自身にもあるからです。


黒住宗忠翁の歌に 

【 皆人の知り顔にして知らざりき 親もわが子もわが身なりとは 】

というのがあります。


・・・


親子の因果関係

        *橋本徹馬・著「生命の医学大事典」(P163)より

(問い)親と子は同じ因果関係を背負って、この世に生まれ出ているように説いてありますが、
    同じ親子でその子に賢愚や、貧富の差の甚だしいのがあるのは、世間に沢山ありますが、
    これはどのようなわけでしょうか。

(回答)これは同じ親と子で、因果相応の子、因果相応の親を選らんで生まれるといっても、
    その親の因果は複雑であり、一色ではないから、それぞれの因果を代表する子が生まれる
    ということです。

    その一人ひとりについてよく調べてみれば、必ずその子はその両親のどの点かの因果を、
    代表していることが分かるわけです。

    まれにどこも親に似ていぬと思われる子もあるが、それは祖父母のどちらかに似ています。

    世間でいう「牧師の子には、よく放蕩者が生まれる」というのなどは、表面だけを見ては
    分からない。その牧師の心に相当の放蕩心があるが、牧師という職業の上から、
    その放蕩心を無理におさえて来た。その因果が子の上に現れるのであります。

         <感謝合掌 平成24年9月6日 頓首再拝>

面接試験での課題 (1312)
日時:2012年09月11日 (火) 04時48分
名前:伝統



あるまじめな青年はこのたび就職することとなり、青年は面接で何を聞かれてもいいように
新聞を読んだりして勉強し、自分でほぼ満足する社会情勢を勉強しある会社へ面接すること
になりました。

面接会場に着き、いざ面接すると面接官にはその会社の社長さんもいました。

社長さんは履歴書などの書類に目を当してその青年に
  「家族構成には間違いないですか?」
と聞いてきました。

青年は
  「はい。間違いありません。」

すると社長さんは
  「君は親孝行をしたことがありますか?」
と聞いてきました。

青年はてっきり今の社会のことやその会社を選んだ理由などを聞いてくると構えていたのに、
聞いてきたことは「親孝行していますか? 」の質問。

青年は頭が真っ白になり、必死に親孝行の経験を考えましたが、何も思い出せません。

何とか思いついたことは
  「幼いころ母に肩を叩いたことがあります」と答え、

社長さんは
  「それ以外にありませんか?」
と更に質問をしました。

青年は何も思い当たることもなく、嘘もつけないので仕方なく首を縦に振りました。

それを見た社長さんは
  「面接はこれで終わりましょう。
   通常より早く終わるので君はこのまま実家に帰り、お母さんに親孝行をしなさい。」
といって、面接は終了していました。

その青年の母親は、青年が幼いころから、朝から晩まで行商で野菜などをこつこつ売って、
兄弟3人を大学まで行かしてくれました。

その母親に青年は、
「親孝行は何もしていないのか? 」「母親に何をすればよいのだろう」と
考えながら実家に向かいました。

そして、青年は
  「そうだ、母の足を洗ってやろう」
と決めました。

家に着いた青年は、足を洗うための桶にお湯を入れて帰ってくる母親を待ちました。

そして、母親が帰ってくると青年を見て
  「どうした!何かあったのか? 」
と、突然帰ってきた青年に対して言いました。

青年は、今日の面接の話をして
  「親孝行のために、母さんの足を洗わしてくれ。」
と頼みました。

母親は拒否しましたがあまりに青年が頼み込むので
仕方なく足を洗ってもらうことになりました。

青年は
「母も女性。きっと、か細く柔らかい足だろう」と思って、母親の足を洗い始めました。

するとその母親の足は思っていた足とはぜんぜん違いました。
母親の足は開ききった扁平な形で、足の裏もゴツゴツしてまるで大男の足の裏のようでした。
母親は青年が小さいころから行商で歩き回っていたためそのような足になっていたのです。

青年はその足を見て
  「母さん、ごめんね。今までありがとう。」
と母親の足を洗いなが、目からポロポロと涙を流しました。

するとその青年の後頭部に何か冷たいものを感じました。
母親は自分の足を一生懸命洗う青年の姿と、その言葉で涙を流していました。
そして、青年と母親は二人で抱き合いました。

その後、青年は再度同じ会社に面接へ行き、社長さんへ
  「社長のお言葉で、最高の親孝行ができました。」
と報告したそうです。

         <感謝合掌 平成24年9月11日 頓首再拝>

親孝行の「養生訓」 (1509)
日時:2012年09月17日 (月) 04時47分
名前:伝統


今日9月17日は、敬老の日です。

敬老として、一番身近な存在である、親への感謝があります。


以下は、貝原益軒の『養生訓』からの紹介です。

≪ 貝原益軒 親孝行の「養生訓」
   ~自分の親を愛さず、他人を愛してどうする ≫


 健康読本の超ロングセラーといえば、貝原益軒の『養生訓』。
 江戸時代に発売され、三百年ほどたった今日でも人気がある。

 幼少から体が弱かった益軒は、中国の漢方医学書や様々な健康法
 を精力的に学んでいった。

 しかも、その記述を鵜呑みにせず、自らの体で効果を確かめ、
 日本人の体質に合った健康法を集めていった。

 83歳にして、生涯かけた研究成果をまとめたのが『養生訓』である。



 心の持ち方が、健康に大きな影響を与えると説く益軒は、
 「親」と「子」の在り方を、次のようにアドバイスしている。



 世の中を眺めてみると、年老いて子に養われている人の中には、
 若いときよりも怒りっぽくなり、子や人を責めてばかりいる人が多い。

 それだけでなく、欲も深くなっているようだ。


 健康のためには、なるべく怒りと欲を抑えたほうがよい。
 わが子の不孝を責めず、物事に寛大になるように心掛け、心を楽に保つべきである。


 子としては、年寄りの性質をよくわきまえ、父母が怒りを起こさないように、
 ふだんから気を配っておくことが大切だ。

 父母を怒らせるのは、大変な不孝だからである。


 また、親から「おまえのような親不孝者はいない」と責められた子供が、
 反対に「うちの親はボケてしまった」などと悪口を言いふらしている。
 これこそ、大不孝である。


 年老いると、寂しさに耐えられなくなるものだ。
 これがまた、健康に悪い。

 子たるものは、時々側へ行って、なんでもいいから話をして、親の心を慰めたほうがよい。

 友人や妻子とは親しく行き交い、いつまでも語り合っていながら、
 父母に対しては面倒がって、ほとんど話をせず、近づこうともしない。

 こんな者は、自分の親を愛さず、他人を愛しているのだ。

 恩を受けた親を遠ざけるとは、全く道理に背いている。
 なんと愚かなことか。         
                    (『養生訓』巻第八)


 人生の大先輩からのお叱りであり、お導きでもある。

         <感謝合掌 平成24年9月17日 頓首再拝>

親孝行~妙好人「庄之助」の話 (2556)
日時:2012年10月18日 (木) 04時52分
名前:伝統

    *谷口清超先生・著「善意の世界」(P85~)より

【火消】

『妙好人伝』という本の中に、江戸庄之助の話というのが載せられている。
それは大略次のような内容である。

昔、江戸塩屋町に庄之助という男がいた。
この男は初め火消の役をつとめていたが、或る学者から、
親に孝行することは、「万善(まんぜん)の長なり」と教えられた。

しからば親に孝行するとは一体どうすることか。
「何事も親の命を背かざるが誠の孝行なり」という。

この教えをきいて庄之助は手を打って喜び、今まで親孝行するとは
難しい事のように思っていたが、その位のことならいと易しいことだ。
これからは必ず「親のいう通りにします」と約束して帰っていった。

以来庄之助は、何事も母のいう通りにしてすこしもそむかず、
母の言葉通りの生活を送っていたので、母も最初は訝しげな様子であったが、
或る時庄之助にこんなことを言われる。

「お前はこの頃魂を入れ替えたらしく、まことに孝行を尽してくれて、
こんな嬉しい事はない。ところが今一つだけ私は不足に思っている事があるのです。

それは火事のたびごとにお前は火消に出て、手柄を立てているが、
親の身にとって万一怪我でもしないかと、それが心配でたまらない。
どうか今日を限りとして、火消の役をやめておくれ」

これを聞いて庄之助はびっくり仰天した。

何でも母の言う通りをきくのが孝行だと教えられ、その通り行なおうと決心していたが、
火消をやめよとは困ったことを言うものだ。
もし火消をやめたら、明日からの仕事もなくなり、食うにも困り、生きる張り合いもなくなる。

困ったことにになった、どうしたらよいものかしらん・・・と首を傾けていたが、
フト気がついた事があった ――
「アア誤ったり、我勝手なる事ならば随い、又不勝手なる事は随わずと申さば、
孝にあらず、然(され)ば此れより運は天に任せ、譬(たとい)餓死に及ぶとも悔むべからず」

と一大決心をして、母にハイと答え、家主にその旨をゆたえて火消をやめたいと申し入れた。

すると家主は、なぜ庄之助が火消をやめるのか訳が判らないから、
庄之助を名主達の前によび出して、

「お前は日頃からよく働いて手柄も多く立てたけれども、今何のわけもなく退役したいと
いうのは、察するに役料(給料)を増してほしいというのであろうな」
と訊いたのである。

【孝行】

庄之助は手をついて、決してそのような心ではない、母が自分の身を心配してやめよと
申されるので、この家業からは離れたくはありませんが、やむを得ずやめさせて頂くのです
と申し上げた。

それを聞いて一同大いに感心し、それならば早速お前の代りの者をきめて退役しても
よろしい、ということになった。そこで庄之助は間もなく代りの後役の青年をきめて、
火消をやめることが出来、母は限りなく喜ばれたということだ。

さて、その後間もなく新宿に大火があり、その時火消の者達の大喧嘩が始まって、庄之助の
身代りに出た青年は、鳶口(とびぐち)を打ちこまれ、その傷がもとで死んでしまった
のである。

後になってそれを知って、庄之助は感泣し、もし自分が親の言葉にそむいて退役せず、
今も火消をつとめていたならば、おそらく大喧嘩で、自分も鳶口を打ちこまれ、死んでいた
に違いないが、母の言いつけに従っていたために、この難をまぬがれた。

これもひとえに母のおかげでありますと言って、その後もますます孝養につとめ、
やがて仏法を伝えられ仏門に帰依し、寛政七年六月二十三日、念仏の中に息を引きとった。


この話は、親孝行とはどうすることかということを教えていると同時に、
それが一切のよきことの始まりであり、人間知では考えつくことの出来ない功徳がそれに
付随するということを教えているのであって、自分だけ災難をまぬがれたら他人はそうなっても
よいといっているのではないのである。

人間の世界にはいろいろの出来事があり、ちょっと考えると不可能と思われることが可能と
なったり、不都合と思われた事がかえって好都合となったりするものであるが、それは人間知
の浅墓(あさはか)さによるのであって、

「神の御意(みこころ)」に従っておりさえすれば、全てがうまく行くものである。
しかして、「神の御意」は、父母に感謝し、父母の御心を生かせよということであるから、
そのような行動を通して、神の秩序があらわれ、思いがけぬ素晴らしい結果が出て来るのである。

         <感謝合掌 平成24年10月18日 頓首再拝>

親孝行~妙好人「庄之助」の話② (2920)
日時:2012年10月28日 (日) 04時39分
名前:伝統

    *谷口清超先生・著「善意の世界」(P88~)より

【真の自由とは】

大体自分にできることだけやる ―― というのでは、大して魂の生長は期待できないものである。
一見「できない」と思われるようなことでも、それが善い事であれば、
断乎としてやることが大切だ。

しかもただ単に善い事というだけでなく、それが「神の命宣(みことのり)」であれば、
どうしてもやらなくてはならないのである。
だからそれがどれだけの力をもって命令されているかを知らなくてはならない。

「天地一切のものに感謝せよ」という根本の御教えがあるが、これは全人生をかけて
実行しなければならない課題である。しかし、その課題は今直ちに人間に「義務」の形で
は課せられていないのであって、自分の心の自覚に従ってやることになる。

そしてやればやっただけの偉大な結果があらわれて来るのであり、これは間違いなくそうである。

親孝行の場合も、現在では「義務」として課せられる時代ではないが、しかし、それはあくまでも
「御意」なのであるから、絶対的課題として庄之助のようにやるならば、必ずすばらしい結果に
なって来るのである。

「生長の家」の誌友の中には、庄之助以上の自覚をもって、教えられた通りの感謝や実行を
なさっている人も沢山いる。そしてそのような時には、必ず人知を超越した「よき果実」が
結ばれている。

さてこの『妙好人伝』中には、庄之助が火消しをやめてからどんな仕事をしたかは書いていないが、
其の後、寺に多くの寄付をしたりしている事が書いてあるから、決して飢えたりはしなかった筈だ。

母も、息子が絶対に素直なハイを実行してくれたならば、いつまでも「あれをするな、
これをせよ」という心ではおられない筈であって、息子を信頼して、自由に解放されたに
違いない。

こちらの心が変われば、相手の心も変わるというのが原則だから、それは『妙好人伝』中に
詳しく書かれていなくても当然のことである。

つまり、「絶対ハイ」は「真の自由」への関門である。

自由は、勝手気儘を行なうことによって得られるのではなく、
「神意」にそのままハイと帰一するとき、
即ち、”絶対帰依”によって得られるところの大調和なのである。

         <感謝合掌 平成24年10月28日 頓首再拝>

「偲ぶ心が親孝行」 (3143)
日時:2012年11月03日 (土) 04時53分
名前:伝統

    *月刊『致知』2012年11月号 より
     ~西端 春枝(真宗大谷派淨信寺副住職)


最近はタクシーを使うことが増えましてね。
その時にはできるだけ運転手さんに話し掛けるようにしているんです。
怖そうな人は別だけど(笑)。

この前も「あんた、お母さんいてはるの」とお聞きすると、
小学校の頃に亡くなったと言うんですよ。

でも具体的に何月何日だったかは覚えていないし、
ある運転手さんは両親の命日を知らない。

中にはお兄さんと喧嘩して家を飛び出したから、
どこのお寺さんに行けばいいのか分からないという。

こういう人たちに出くわすと、
もう黙っていられないから
身を乗り出して説教が始まるんですよ(笑)。

彼らはいつも車で走っているので、お寺の前を通ったら、
ちょっとでも頭を下げるようにと言うんです。
それだけでもいいって。

でもね、そうすれば、自然とお母さんのことを思い出したり、
心の中でお父さんに話し掛けられるようになるんです。

そうやってご自身が亡くなるまで、
折に触れて親のことを偲ぶことも親孝行なんですよ。

そしてこのような話をしながら、
私自身もまた自分の親のことを偲んでいる。


ある運転手さんが私と話し込んで、
つい道を間違えてしまって遠回りしたことがありました。
彼はしきりに謝りましたが、
それよりも私は「遠回り」というのが懐かしいなと思ってね。

なぜかと言えば、子供の頃に母親から
「はよ帰っておいで」と言われていたんだけど、
機嫌が悪くて遠回りして帰ったことがあったんです。
つまらないことして、親を困らせてね。

そんな懐かしい母との思い出を、
思わぬ人の言葉で思い出せるんです。

父は親孝行なんて、親が生きている間に
満足にできているなんて思うな、と言っておりました。

親が子を思う心の半分も、お返しなんぞできるものではないと。

だから昔の人はお盆の時に、墓石を洗いながら
こんな詩を思い浮かべていたんです。

「父母(ちちはは)の背を流せし如く墓洗う」

いま生きていれば一遍でも背中を流してあげるのにな、
と思う時にはもう親はいないんですね。
だからせめて父母の背中を流すつもりで墓石を洗う。

こうやって一つひとつの出来事を通じて、
私たちは亡き親を偲ぶことができるんですね。

         <感謝合掌 平成24年11月3日 頓首再拝>

良弁僧正と母 (4195)
日時:2012年12月02日 (日) 06時41分
名前:伝統

昨日の新聞に、良弁僧正坐像についての記事がありました。

良弁僧正については、「良弁杉」として次の言い伝えが残っております。

・・・

《良弁杉の由来 ~ 母は、大ワシにさらわれた子供を30年間捜し続けた》

 今から約1300前の奈良時代のこと。
 琵琶湖畔の志賀の里には茶畑が広がっていた。

 澄み切った青空のもと、子供を連れた女性数人が茶摘み見物に来ている。
 乳飲み子をあやしながら、実に楽しそうだ。

 ところが、次の瞬間、茶畑に悲鳴がこだました。
 一陣の突風が吹いたかと思うと、大ワシが舞い下り、
 さっと子供をつかんで大空に舞い上がってしまったのだ。

 母は空をにらんで泣き叫ぶ。
 「返せ!返せ!光丸よ……、光丸よ……」

 雲のかなたに消えたわが子を追って、母は野を駆ける。

 「光丸よ、今に、この母が助けに行くからね……。 待ってるのよ!」

 夫に先だたれ、一子・光丸の成長だけを楽しみにしていた矢先の事件であった。
 母は、そのまま家を出て、当てもなく捜し回った。

 「光丸を、知りませんか。大ワシに連れ去られたかわいい子供なのです」

 叫び続ける彼女に、
 「かわいそうだが、もう死んでると思うよ」と言う人があっても、

 「きっと生きています。母を慕って泣いている声が、私の耳には聞こえるのです」と、
 あきらめる様子はなかった。

 子供かわいさに、諸国を訪ね歩くうち、いつしか30年の歳月が流れていた。

 母は、ある時、川の水面に映った自分の姿を見て愕然とした。
 髪は真っ白になり、しわ深く、やつれた顔・・・・。
 あまりにも変わり果てている。

 「ああ、あれから30年もたったのだ。あの子が生きている保証は、万に一つもないだろう。
 故郷へ帰り、せめて菩提(ぼだい)を弔(とむら)おう・・・」

 夢から覚めた心地で、彼女は渡し舟に乗り、帰路に就いたのであった。
 ふと、同じ舟に乗っている客のうわさ話が耳に入ってきた。

 「今、この国でいちばん尊いお坊さんは、やっぱり、東大寺の大僧正、
 良弁(ろうべん・華厳宗の僧)様であろう」

 「その良弁様は、杉の木の上で生まれられたと聞いたが・・・・」

 「違う、違う。何でも、子供をさらった大ワシが、東大寺の杉の木へ運んできたそうだ。
 もうちょっとで食われるところを、泣き声に気づいた僧侶が助け出したらしい」

 百雷のごとき衝撃が、母の胸に走った。

 「もしや、わが子・光丸ではなかろうか」
 心はすでに奈良へ飛び、何も考えずに急ぐのであった。

 ようやく東大寺の大門にたどり着いた。
 しかし、あまりにも広大な寺院に圧倒されてしまった。

 「公家が参拝するような、こんな寺の大僧正様が、自分の子であるはずがない」

 いったん、あきらめようとしたが、どうしても思い切れない。
 たまたま通りかかった僧に、
 「良弁大僧正様にお会いしたいのですが・・・・」と願い出た。

 「私たちでさえ、めったにお側へ近づくことができない偉い方です。
 失礼だが、そなたの身分では、到底かなうまい」
 と、すげない返事。

 しかし、わが子を捜し求めていることを、涙ながらに訴えると、

 「良弁様は、毎日、杉の大木の前を通られます。今、そなたが語ったことを紙に書き、
 木に張っておけば、必ずや読んでいただけるだろう」と教えてくれた。

 緋(ひ・濃く明るい赤色)の衣を着た良弁が輿(こし)に乗って杉の木に近づいてきた。
 多くの供人を連れている。
 老母は遠くで平伏し、見守っていた。


 良弁は、木の前で輿から降りて、
 「人間として、この世に生まれ、仏法を聞けるようになったのは、まさに父母のおかげであります。
 大恩ある両親は、今、どこにましますのでしょうか。一度でいいからお会いしたい・・・・」
 と念じていた。そのうちに、木に張ってある紙に気がついた。

 一読して良弁は、

 「これを書いた人を探してくれぬか」と供の者に命じた。

 「この近くには、みすぼらしい老女が一人いるだけですが・・・」

 「かまわぬ、その方をこれへ」
 老母は、恐る恐る前へ出てきた。良弁は優しく語りかける。

 「この紙を張った人を見ませんでしたか」
 「それは・・・・、おそれながら、私でございます」

 驚いた良弁、
 「私もワシにさらわれた子供の一人です。詳しく聞かせてください」と尋ねずにおれなかった。

 老母は、30年間、どんな気持ちで諸国を歩き、わが子を捜し続けたかを切々と語りだした。

 子を思う親心に、聞く者、皆、涙せずにおれない。

 良弁は言った。

 「親子の証になるような品を、持っていらっしゃいませんか」

 老母は首を振り、

 「今となっては何もございません。ただ、あの子の衣に、夫が主君から拝領した錦で
 縫った袋をつけてありました。特徴がありますので、見れば分かります」

 「ハッ」とする良弁。
 大事にしてきた布を取り出した。

 「もしや、今、申された錦とは、これではあるまいか。
 ワシに連れられてきた時に身に着けていた物の一部です」

 一目見るなり、老母は、
 「アッ!これです。間違いありません。この錦の布を縫ったのは私です・・・・。
 ということは、良弁大僧正様が光丸・・・・」。

 「おお、あなたが、私の母上・・・・」

 見つめ合う顔からは、はらはらと涙が流れ、抱き合って、親子の名乗りを上げるのであった。

 「ああ、申し訳ありません。長い長い年月、私がお母様を苦しめ続けたのです。
 旅の途中で、食べる物がなく、ひもじい思いをされたことが、どれだけあったことか。

 宿にも泊まれず、冷え切った山野で夜露をしのいでおられる姿を思い浮かべるだけで、
 胸が張り裂けそうです。よくぞ30年間も、私を見捨てずにいてくださいました。

 お母様が、遠くから念じていてくだされたからこそ、奇跡的に助かり、無事に私は成人できた
 のです。知らなかったとはいえ、どうぞお許しください」

 両手を突いて、詫びる良弁。
 付き従う人も皆、もらい泣きし、老母をいたわって輿に乗せ、東大寺へ向かうのであった。


 子を思う母心の、なんと広大なことか。文楽(ぶんらく)や歌舞伎でも、
 「良弁杉の由来」と題して、今なお上演され続けている。


<参考Web>

 ①良弁僧正坐像
  http://www.todaiji.or.jp/index/haikan2001/1216/roben.htm

 ②良弁と大山
  http://www2.tba.t-com.ne.jp/magoemu/ryouben.html

         <感謝合掌 平成24年12月2日 頓首再拝>

最も根源的な恩返しは「親孝行」 (4392)
日時:2012年12月08日 (土) 05時00分
名前:伝統


   *メルマガ「人の心に灯をともす(2011年06月03日)」より

  日本のイメージトレーニングの第一人者、西田文郎氏の心に響く言葉より…


  「人生とはなにか」を考えたとき、私は、「恩を感じて、恩返しをして死んでいくこと」
  だと思っています。

  恩を感じる力とは、「積極的自己犠牲」です。

  親は子の面倒を見て、子は親の面倒を見る。
  かつての日本は、それが当たり前でした。

  ところが現代の日本人は、親への恩を忘れています。

  自分を犠牲にしてでも、親の面倒を見ようとする「本当の愛」を持っていません。


  「社会的成功」=「人生の幸せ」とはき違え、
  他人との競争に勝つことばかり考えています。

  「自分は、まわりに生かされている」ことを忘れてしまったのです。

  日本人が豊かさの代りに失ったもの。
  それは、恩を感じる力です。

  他者のために尽くすことが、自分の幸せにつながることに、気づいてほしい。

  そのためにも、「恩返しの法則」を実践してほしいと思います。


  人は、自分以外の人との出会いによってしか、成長できません。
  自分以外の人と一緒にいなければ、「心の幸せ」を感じられません。

  「恩返しの法則」を実践すれば、
  「自分がまわりに生かされている」ことに気づくことができる。

  そして、どんな小さなことにさえ「恩」を感じ、
  「生きていてよかった、生かされてよかった」と幸せをかみしめることができるのです。

      <『一瞬で人生が変わる 恩返しの法則』ソフトバンククリエイティブ>

  ・・・・・

「あなたが感謝すべき人、10人の名前をあげなさい。
そして1年以内に、10人全員にあなたの感謝を伝えなさい」

と西田氏は言う。


人間にとって、最も根源的な恩返しは「親孝行」だ。

そして、親孝行といえば、二宮金次郎が思い浮かぶ。

父親が病気がちとなって家も零落し、小さな子どもを抱えた母親も働けないという
劣悪な環境の中、金次郎は、子どもの頃から、昼となく夜となく働き、家を助け、
親孝行した。

13歳の時に父親が、母親は15歳の時に亡くなり、
結局、金次郎は叔父の家に引き取られ、兄弟もバラバラになるという、
過酷な運命を生き抜き、それを乗り越えた。

かつての日本では、そんな厳しい現実はいたるところでみられた。


積極的な自己犠牲とは、論語にある「身を殺して仁を成す」の心だ。

「我が身を殺しても、仁の道をなすこと」だが、
世のため人のために、身を投げ出す覚悟のあること。


感謝には行動が伴わなければならない。
百万遍、「恩返し」と唱えたところで、恩返しはできない。

お世話になった方々に、メールや電話ではなく、直接に出向いてお礼を申し上げたい。

         <感謝合掌 平成24年12月8日 頓首再拝>

親孝行の昔話~養老の滝 (4792)
日時:2012年12月19日 (水) 06時45分
名前:伝統


    *生長の家“愛国本流宣言”掲示板 より

日時:2012年09月18日 (火) 04時27分
名前:喜びの先祖供養


昔、此の美濃の国に貧しいけれど
親を敬い大切にしている樵(源丞内)が住んでいました。

毎日山に登り薪を取って、それを売り、年老いた父を養っていましたが、
其日の暮らしに追われて老父の好む酒を充分に買うことが出来ませんでした。

或る日いつもよりずっと山奥に登りました。

谷深くの岩壁から流れ落ちる水を眺め『あ~この水が酒であったらなあ』と
老父の喜ぶ顔を思い浮かべた時、苔むした岩から滑り落ちてしまいました。


しばらく気を失っていましたが、
ふと気がつくと何処からか酒の香りが漂って来るのです。

不思議に思ってあたりを見廻すと岩間の泉から山吹色の水が湧き出ているのです。

これはどうしたことだろうと掬ってなめてみると香わしい酒の味がするのです。

夢かと思ったが、『有難や天より授かったこの酒』
と腰に下げているひさご(ひょうたん)に汲んで帰り老父に飲ませた所、

半信半疑であった老父は一口飲んで驚き、二口飲んでは手を叩いて喜び、
父と子の和やかな笑声が村中に広がりました。


老父はこの不思議な水を飲んだので
白い髪は黒くなり、顔の皺もなくなり、すっかり若々しくなりました。

この不思議な水の出来事が、やがて都に伝えられ、奈良の都の

元正天皇は『これは親孝行の心が天地の神々に通じてお誉めになったものでありましょう』
とおおせになり、さっそく此の地に行幸になり、御自身飲浴せられて

『私の膚は滑らかになり、痛むところを洗ったらすっかり治りました。
めでたい出来事です、老を養う若変りの水です。』 

と年号を養老と改められ、八十才以上の老人に授階や恩賜があり、
孝子節婦を表彰され、此の地方の人々の税を免除されました。

                 (古今著聞集より訳文)

<参考Web:養老の滝
       http://hukumusume.com/douwa/amime/jap/m04_20.html >

         <感謝合掌 平成24年12月19日 頓首再拝>

《親孝行していますか?》 (5557)
日時:2013年01月13日 (日) 06時33分
名前:伝統


      *メルマガ「リーダーズアカデミー(2012年10月25日) 」

 今週は、《親孝行していますか?》というテーマでお伝えをします。

 私は親孝行に関してはあまり偉そうなことを語れる立場ではないですが(汗)、
 最近感じていることを少しだけお伝えさせていただければと思います。

 ご存知の通り私は今シンガポールに住んでいます。

 こんなことができるのも、私と妻両家の親が、多少問題を抱えながらも、
 元気でいてくれているおかげだと感謝しています。

 私が親孝行を意識し始めたきっかけは、30歳の時に非常に親しい友人のお父さんが、
 偶然にも2日連続でなくなるということが起こりました。

 もちろんお葬式にも参列し、
 「俺も自分の親が死ぬような歳になったのか・・・」

 と「親の死」というものと、はじめて向かいあった瞬間でした。

 その時までは「いずれ・・・」ということはわかっていましたが、
 具体的にイメージしたり、考えたりしたことはありませんでした。

 18歳で大学に通うため、東京へ出てきたので、親元を離れてから約30年。

 さすがに今では75歳も超えて、親の老いは感じています。

 平凡なサラリーマンの家庭でしたが、本当に素晴らしい親に恵まれて、愛され、
 平々凡々と自分のことだけ考えていればいいように生きてきたタイプだと思います。

 40歳くらいまでは、親孝行は息子である自分の顔をたまにでも見せて、
 一生懸命生きている姿を見せることだと思っていました。

 ですから、年に数回実家に帰ったり、東京に呼んだりしながら会っていました。

 ところが、昨年くらいから、

 「もしこのまま親に何かあったら俺は後悔をしないだろうか・・・」

 と、考えるようになりました。

 よくよく考えてみると、今更ながら情けないですが、
 本当に何もしていない自分に気がつきました。

 かといって、それぞれの事情の中で、できることは限られてしまいます。

 「今できることは何か・・・」

 その結果、毎月日本にきているわけですから、せめて毎月1回、顔を合わせて話をしようと
 思い、お互いの時間が許す範囲で、できるだけ今は会うようにしています。

 すると父から

 「お母さんは、お前と会った後は元気になる。呼び出してでもくれないと
 東京に出る機会もないので、気分転換にもなってちょうどいい」

 と聞き、少しは役に立てているのかとホッとしています。

 みなさんは親孝行していますか?

 「何をしたらいいのだろうか・・・」

 ではなく、自分にできることから始めて見てはいかがでしょうか。

 「親のありがたみは失って分かるもの」

 と言いますが、生きているうちに、できる限りのことをしたいですね。

 今週も

 【人生1回!あなたの人生に 作楽(さくら)が咲きますように!】

・・・・・

 谷口雅春先生講話「生命の實相講義(第1集第2巻)」より

 【 合掌すれば妙楽の世界開かん、父を拝まん  母を拝まん 】

         <感謝合掌 平成25年1月13日 頓首再拝>

親孝行は「神の御意」 (6502)
日時:2013年02月15日 (金) 06時26分
名前:伝統

       *谷口清超先生・著『善意の世界』(P88~96)より抜粋

人間の世界にはいろいろの出来事があり、ちょっと考えると不可能と思われることが可能と
なったり、不都合と思われた事がかえって好都合となったりするものであるが、それは人間知の
浅墓(あさはか)さによるのであって、「神の御意」に従っておりさえすれば、
全てがうまく行くものである。

しかして、「神の御意」は、父母に感謝し、父母の御心を生かせよということであるから、
そのような行動を通して、神の秩序があらわれ、思いがけぬすばらしい結果が出て来るのである。


《父母の喧嘩》

さて高知県に宿毛市という所がある。県の南西端にある美しい町で、その上居下というところに
後藤良夫さんといって英語と数学の私塾を経営している教育者がいらっしゃったが、私が
昭和42年の冬高知市に講習に行ったとき、こんな話をして下さった――

後藤さんは現在宿毛市の相愛会長をしているが、
ある日或る所で高校生と中学生との見真会が行われた。

その時後藤さんは講師として出席し、親孝行の話をし、
”感謝は凡てを癒す”ということをテーマに話した。

さて後藤先生がその晩会場内の一室で眠っていると、中学3年のA君が部屋にやって来て、

「先生、先生」と揺り起す。

「どうしたのかね?」ときくと、A君は、

「先生、相談があります」と真剣な顔でいう。

「よし、分った。しかしここでは皆さんに迷惑をかけるから、別室へ行って話を聞こう」

と、電燈のとぼっている別室へ行ってA君の相談をきいてあげた。

「先生は今日、”親に感謝しなさい。感謝は凡てを癒す”という話をなさいましたね? 
しかし僕は、どうしても親に感謝することができないのです」

「そりゃ又どうしたことかね?」

「実は恥かしいんですが、僕の父には母以外に女の人がいるんです。
それがもとでお父さんとお母さんはよく大喧嘩しています。
近所でも評判になるくらい、毎日のように喧嘩をするんです。

その父母を見ていて、僕の夢はやぶれてしまいました。
あんな喧嘩を見ていると、どうしても父母に感謝なんかする気になれません」

「そうか。なる程。あんたの気持もよく判るよ。しかしねえ……」と、
後藤さんは大略次のようなことを話してあげた。

(1)親と子の結びつきについて。

(2)神に感謝しても、父母に感謝し得ない者は、神の心に叶わぬということ。

(3)香川県での或る体験談。即ち或る不良の息子が、或る日父に多額の金を無心したところ、
   父に断られたので、カーッとなって、父に火の入った火鉢をぶっつけようとした。
   すると父はその時、合掌して息子を拝んだ。

   その尊い父の姿を見て、息子はそこにひれ伏して、
   「お父さん、僕が悪かった」と言って、遂に父と子の和解ができたということ。

   即ち、どんなに感謝しにくいような出来事があっても、その現象の奥にある実相を
   礼拝するならば、必ずそれがあらわれて、現象の悪は消えるのであるということ。

(4)いかなる逆境でも、それを住みよい世界にする智慧と力とが、
   人間には与えられているのだということ。


後藤先生はこの4つのことを、A君に約1時間半にわたって話して間かせた。
夜半のこの愛のこもった話は、A君の心の中にしみ透って行ったようである。
A君の顔には明るい微笑すら浮かぶようになった。



《合掌》

「先生、有難うございます。僕、帰ったら、お父さんお母さんに、第一番に感謝します!」

と、A君は力強く言って部屋に引き上げた。

やがてその見真会も無事に終りA君は喜び勇んで我が家に帰って行った。
そして開口一番、「お父さん、お母さん、有難うございます」と言おうとした途端、
家では父と母とが大喧嘩をしている真最中であった。

その喧嘩の声が、近所隣に鳴り響いている。これを見たとき、A君は、
「こんな下らない父母に、どうして感謝ができるものか!」
と、なさけなくてたまらず、せっかく見真会で心にきめて来た父母への感謝の言葉など
一口も出て来なかった。

ただ口惜しさ一杯で、父母の浅間しい姿をじっと見守っていた。
すると父母の喧嘩は段々激しさを増し、ついに父が母をぶん殴ろうとして、手をふりあげた。
その時、A君は無我夢中で、パッと父の前にとび出し、父をつき飛ばした。

父は思わぬところから新手の攻撃をうけ、ヨロヨロとそこへ倒れた。
その瞬間、父はカーッとなって、近くに転がっていた棒切れをとるやいなや、
それを握って立ち上り、A君に向って殴りかかろうとした。

その途端、A君は後藤先生からきいた話を思い出した。
いうまでもなく、不良の息子から殴られようとしたときの、父親のあの話だ。
A君の頭に、

「合掌するのは今だ!」

と、ひらめいた。A君は、直ちにその場に正座合掌して、父を拝んだ。
目をとじて合掌しながら心の中で、

「お父さん、有難うございます。お母さん、有難うございます」

と念じていると、何分たっても、棒が振り下ろされない。
どうしたのだろうと目を開いて見ると、お父さんの眼からは、
涙がポロポロと頬を伝って流れ落ちていたのである。

その父の涙を見たとき、A君はたまらなくなった。
父の涙が、A君の胸を深くえぐったのだ。思わず、

「お父さん!」

と呼んで、父の胸にとびついた。

「お父さん。僕が悪かった! お父さん、僕をゆるして下さい! 」

父とA君とは、抱き合って泣いた。合理的な筋も何もありはしない。
何がわるい、どちらが悪いの問題ではないのだ。

A君が父と喧嘩しなければならぬ筋はないし、又わびなければならぬこともない。
がしかし、こうして父と子とが抱き合って泣いたとき、一切の行きがかりが何もかも解消して、
心と心とが通じ合った。二人は心から和解し感謝し合うことが出来たのである。



《絶体絶命》

この有様を見ていたお母さんも、たまらなくなって泣き出した。
もとはと言えば自分と夫との争いである。

ああ私が悪かったと気がついたものだから、抱き合っている父と子のところへ飛び出して、

「お父さん、タカシ、ゆるして頂戴。私が一番わるかったんです。ゆるして頂戴! 」

と泣きながらわびた。こうして親子3人は心から懺悔と和解の涙にむせんだ。

このようなことがあってから、A君の家庭は一変してしまった。
父と母との仲がよくなった。

A君が父と母との「争い」に心を奪われて、それを心で咎めている間は、
どうしても調和できなかった一家が、A君一人の心が変り、
父母の争いの姿の奥底にかくれている「本当の父母の姿」を観る心になり、
それを振り上げられた棒の下で、実際に拝み切った時、忽然として調和した姿があらわれ、
「争い」の姿が消えて行ってしまったのである。

このことがたちまち隣近所で評判になった。
何しろ今迄はあんなに派手に争い合っていた夫婦が、すっかり仲よくなり、
親子も調和し合ったのであるから、

「一体、どんなことが行われたんだろう」

という訳だ。

こうしてA君の父と母と、A君自身、その妹の全家庭が、
熱心に「生長の家」の御教えを行ずるようになり、全員聖使命会員となった。
勿論、お父さんとの間に問題のあった女の人も、話し合いできれいに別れて行ってしまった。

そもそも人間にとって、根本的に不可能なことなど何一つありはしない。
何故なら、人間は本来「神の子」であって、神から無限の智慧と愛と生命力とが
与えられ済みだからである。

ところが人々は、とかく現象的な知識で、自分の能力を限定し「常識」の虜囚(とりこ)
になっている。

自分に深切にしてくれる人でなければ感謝できないと思っていたり、
自分に都合の悪いことを言う親の言う事などきいてやるものかと思っていたりする。

そう思って「自分」という殻をしっかり握りしめている間は、
人間の「実相」はその「殻」によって蔽い晦まされて、出現しない。
自分の「実相」があらわれてないから、世界は狭く暗澹としている他はないのである。

この「殻」を打ち破らなければならない。
親に感謝するという、最高の命令を、断々乎として実行に移す。

それは親から「不可能」と思われることを命ぜられる時でもよろしいし、
親のふり上げる棒の下でもよろしい。

そのような”絶体絶命の境地”に於て、無条件で合掌三味の心境になり、
父母の心にハイと一つになり切るとき、忽ち我(が)の殻が破れ去って、
光明燦然たる「実相」が輝き出し、一切の悪しき現象がことことく拭い去られてしまうのである。

人生とはそういったものなのだ。

         <感謝合掌 平成25年2月15日 頓首再拝>

天国の親への孝行 (7153)
日時:2013年03月17日 (日) 03時42分
名前:伝統

      *植西聡・著『天国の親が喜ぶ39の習慣』より 

《はしがき》

若い頃には、親から受ける恩のありがたみを、なかなか気づけないものです。
自分のことで精いっぱいで、そこまで考える心のゆとりが持てないのかもしれません。
 
しかしある程度の年齢になって、ゆとりある心でものを考えられるようになると、
しみじみと親のありがたみがわかってきます。

「親から色々なことで助けてもらった。応援してもらった。今の自分があるのは、親のおかげだ。
本当にありがたい」という気持ちが芽生えてきます。

そして「恩返しのつもりで、これからは親を大切にしていこう。
親に喜んでもらえることをたくさんしてあげよう」
という気持ちが出てきます。

しかし、せっかく親に恩返しをしたいと思うようになった時には、
親はもう天国へ逝ってしまっているという場合も多いようです。

ことわざにも、「親孝行したいときには、親はなし」というものがあります。

「親が生きている間には、親のありがたみや、親の苦労に気づかない。
それに気づいて親孝行したいと思う頃には、親は既に亡くなっている。
『親が生きている間に親孝行しておけばよかった』と後悔する人も多い」
という意味を表しています。

しかし本書で、私は「『親が生きている間に、親孝行しておけばよかった』と後悔した時から、
新しい親孝行が始まる」という趣旨を述べたいと考えています。

つまり天国にいる親へ孝行する方法です。

「そんなことができるのか」と思う人もいるかもそれませんが、
天国の親を喜ばせる方法はたくさんあると思います。
その中から39の方法について、本書にまとめました。

大切な点が2つあります。

(1)一つには、天国にいる親のことを、いつも心に置いておくこと。忘れないでいること。
   そして折々に親の人生を思い出してあげることです。

   それだけでも、天国の親は大いに喜んでくれるでしょう。

(2)もう一つは、親が天国から、この世で生きている我が子の姿を見て、
   「あの子も立派になったものだ。誠実で、まじめで、人から感謝される生き方をしている。
   これで私も安心だ」と感じてくれるような生き方を、自分自身がすることです。

親にとっては、我が子が幸せになり、立派に生きてくれることが、何よりも喜ばしいことになのです。
生前の親の人生をたどっていくうちに、人は、自分自身がこれからどう生きていくべきか、
色々考えさせられます。親の人生と照らし合わせる形で、自分の人生と向かい合うのです。

そのような機会を得られるのも、「天国の親に孝行する」良い点です。
今、私たちが天国の親にしていることは、せいぜい墓参りぐらいでしょう。

しかし、その他にも、親のことを思い出す色々な方法を試してみることによって、
天国の親への孝行ができるのです。


 ・・・・・・『天国の親が喜ぶ39の習慣』・・・・・

(1)お墓参りに行って親不孝をわび、親に感謝する。
(2)親とのケンカを思い出す。
(3)親から教えられた言葉を思い出す。

(4)親に心配させたことを思い出す。
(5)親の写真を毎日見る。
(6)親に手紙を書く。

(7)親が遺した日記や手帳を読む。
(8)親の形見の品を使う。
(9)親に連れて行ってもらった場所へ行ってみる。

(10)親と一緒にやった遊びを、我が子としてみる。
(11)母子手帳を読んでみる。
(12)親の若かった頃の話を聞きに行く。

(13)毎日、親への祈りを奉げる。
(14)親から受けた辛い試練に感謝する。
(15)親に向かって、謙虚に反省する。

(16)天国の親に挨拶し会話する。
(17)親に丁寧な言葉で挨拶する。
(18)親の年表を作る。

(19)親の伝記を書く。
(20)親のゆかりの場を訪ねる。
(21)親の箸の使い方を見習う。

(22)親がモットーとしていたことを真似る。
(23)親がしていた年中行事を、自分でもしてみる。
(24)親の希望を一つでもいいから叶えてあげる。

(25)親が遺した手紙を読む。
(26)天国の親に謝る。
(27)親が好きだった花を飾る。

(28)親が愛読していた本を読んでみる。
(29)天国の親の肩を揉むつもりで、家族の肩を揉む。
(30)親からもらったものを飾る。

(31)親が趣味で作った作品を飾る。
(32)親が好きだった料理を作る。
(33)親のいいところ、悪いところを書き出す。

(34)「働く意味」について、親に問いかける。
(35)親が悩んでいた持病について考える。
(36)親がしていた慈善活動を受け継ぐ。

(37)家族で写した記念写真を見る。
(38)母の愛を思い出す。父の教えを思い出す。
(39)親の恩を思い返す。

         <感謝合掌 平成25年3月17日 頓首再拝>

親の写真を毎日見る。 (7190)
日時:2013年03月19日 (火) 03時44分
名前:伝統


    *『天国の親が喜ぶ39の習慣』(植西聡・著)<P28~32>より

ある女性が面白い話をしていました。
彼女は亡くなった母親の写真を身近に置き、毎日母親の顔を見ることを習慣にしているそうです。
同じ写真ですから、そこに映っている母親の表情は変わりません。

しかし、母親が静かに笑っているように見える日があれば、
なんだか悲しそうな表情をしているように見える日もあります。
怒っているように見える日もあれば、思い悩んでいるように見える日もあります。

彼女は、ある日、気づいたそうです。
「お母さんの顔が笑っているように見える日は、私が楽しい気分でいる時だ。
お母さんが悲しそうな顔をしているように見える日は、私自身が悲しい思いでいる時だ。
つまりお母さんの顔の表情は、私自身の心の鏡なのだ」と。

それに気づいてから彼女は、母親の写真に目をやる時には、意識して自分の心を明るくし、
またほほ笑みながら写真を見るように努力しているといいます。

亡くなった親の写真を身近に置き、折に触れて写真を眺めることを習慣にするのは、
天国の親にとってはうれしいことだと思います。
きっと天国の親も、子供の顔を見たいと思っています。

自分の親の写真へ目をやる時、きっと親も写真を通して自分の顔を見ているのではないでしょうか。
ですから、彼女のように、親の写真へ目をやる時、明るくほほ笑んでいる顔を見せてくれれば、
天国の親はもっとうれしい気持ちになるでしょう。


江戸時代の人形浄瑠璃のセリフに、
「子鳥が鳴けば親鳥も鳴く。これは生き物に共通した特徴なのだ」という言葉があります。

これは、「子鳥が鳴けば親鳥も鳴くように、人間の親子も、子供が悲しい思いをしている時は、
親も悲しい思いとなる。子供が落ち込んでいる時には、親も気持ちが落ち込む。
子供がうれしそうにしている時には、親もうれしい気持ちになる。
親子はそのように気持ちが通じあっているものなのだ」という意味が表されています。


気持ちが通じあっているのは、天国にいる親であろうと同じことだと思います。
先ほどの女性は、「自分が悲しい気持ちで親の写真を見るから、写真の親も悲しそうな顔をしている
ように見えてくる」と言っていました。

現実的にはそれが正しいのでしょうが、次のように考えることもできるように思います。
「自分が悲しい思いをしていると、その気持ちが通じて、天国の親も悲しい気持ちになってしまう。
写真の悲しいそうな表情は、本当に天国の親の気持ちだ」と。

いや、そのように信じてもいいのではないでしょうか。

天国の親を喜ばせてあげるのも、立派な親孝行になります。

そのためには、いつも自分が前向きで明るい気持ちでいられるように努力するのがいいと思います。
明るく物事を考え、楽観的でいるのがいいのです。

その気持ちは天国へ通じて、親を明るい気持ちにしてあげられるでしょう。
そして写真に写る親の顔も、いつも笑っているように見えてくるはずです。

         <感謝合掌 平成25年3月19日 頓首再拝>

親を愛し慕う気持ちを持つ (7351)
日時:2013年03月29日 (金) 07時43分
名前:伝統


    *『天国の親が喜ぶ39の習慣』(植西聡・著)<P62~64>より

中国の儒教の古典『孝経』には、

『親を愛する者は人を憎むことはない。親を慕う者は人を毛嫌いすることはない』

という言葉があります。

この言葉が意味するのは、「あらゆる対人関係の基本は、親子関係にある」ということです。

人が生まれて初めて出会う人は、親です。
初めて声をかけ合うのは、親です。
初めて人間関係を結ぶのは、親です。

その親を愛し慕う気持ちを持てる人は、親以外のどのような相手であれ、
やさしい気持ちで愛し慕うことができる、ということだと思います。

親に対して親しみを感じられるようになることで、
会社の同僚にも、友人にも、同じ親しみを持って
つき合っていけるようになると思います。

         <感謝合掌 平成25年3月29日 頓首再拝>

天地神明、そして天皇が愛でたもうた孝子 (7797)
日時:2013年04月21日 (日) 04時36分
名前:伝統

     *「日新館童子訓(現代語新約)<武士道の教科書>」(P80 第25話)より

若狭国(わかさのくに)遠敷郡(おにゅうごおり)に丹生弘吉(にうのひろよし)という者がいた。
幼き日に父は死んでしまったが、弘吉は毎日その墓に参って慇懃に合掌し、涙を流した。

そうして母を養っていたが、孝行の誠を尽くし、痒いところに手の届くこと並々ではなかった。
まず冬の寒い時には囲炉裏に火を焚いて室内をあたため、夏の暑いさなかには風を入れて涼しくした。

朝夕の食事は手ずから作ってすすめ、褥(しとね)に入りたもう時はあかるい声で
にこやかに物語をして、ことごとく母の意に叶うように気を配りつづけた。

自分の田畑は孝養のあいまによく耕し、草取りも欠かさなかったので母を養う分はおのずと事足り、
なにひとつ問題はなかった。

洪水旱魃などがあって村中が不作に悩まされる年も弘吉の田畑だけはいつもの年と変わることなく
実ったので、人はみな、

「天地神明が弘吉の孝行を愛でて福をたまわったに違いない」

と言い合ったそうである。

これらのことがやがて天皇のお耳に入り、天皇は勅を下して弘吉を二位の位階に叙し、
その孝行を賞された。貞観(じょかん)年間(859~876)のことであったという。

     (注)貞観年間は清和天皇の時代である。

         <感謝合掌 平成25年4月21日 頓首再拝>

谷口雅春先生、父母への憶い (7896)
日時:2013年04月25日 (木) 03時48分
名前:伝統

      *「光明道中記」(四月二十ニ日 父母を憶い出ずる日<私の実父の祥月命日>)

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                   (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して、
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招(よ)ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのだろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

・・・・・

        *「光明道中記」(四月二十五日 因縁尊き日)

【貴女の我(が)でこれは善だとか批判してはなりません。
         今日から良人を神様だと思いなさい。(『生命の實相』第十七巻)】

自分の生みもしない子を幼い頃から育てるのは大変な骨折(ほねおり)であったであろう。
私は可愛がられていたから、養父母のことを実父母だと思っていたのである。
その位私は可愛がられていたのだ。

その事を私は心から感謝するものである。

私の実父母のところで育てられていた私の肉身の兄妹たちは私ほど学校教育を受け
なかった。若し私が生まれた家に育てられて生活していたならば、今日の『生長の家』
は存在しなかったかも知れぬし、私の運命も非常に変わったものとなっていただろう。

子に貰われるも、貰われぬも、養子にやられるのも、みんな神の指図であり、
そして自分自身が前世から持っていた種蒔(たねまき)の芽が生えたのである。

因縁不可思議であり、また不可思議でもない。
ただ斯くあるものが斯くあることが貴いのである。

私は或る誌友から「あなたの今日あるのは両親のお蔭であるから生長の家の各教化部に
あなたの両親の写真を掲げて拝せしむべきである」と忠告されたときに私はハタと当惑
した。私の親の写真は4人ある。

         <感謝合掌 平成25年4月25日 頓首再拝>

毎日、親への祈りを奉げる (8312)
日時:2013年05月11日 (土) 06時33分
名前:伝統


    *『天国の親が喜ぶ39の習慣』(植西聡・著)<P60~62>より

人の親になれば、「子供に尊敬されたい」と思うものです。
では、「子供から尊敬される親」になるには、どうすればいいのでしょうか。

仏教の教えをわかりやすく説いた『道歌物語』という日本の古典に、参考になる言葉があります。

「子供から尊敬されたいと思うなら、自分自身が自分の親を大切に思い尊敬することだ。
自分自身が親を軽蔑するような態度を取りながら、自分の子供には『親を尊敬しろ』と教えても、
子供は言うことを聞かない。自分が親を尊敬してこそ、それを見習って我が子も親を尊敬し、
世間から『あの子は親孝行だ』と言われるようにもなる」というものです。

天国の親へ尊敬の態度を子供に示す方法として、
たとえば、「毎日、仏壇に祈りを奉げる」ということがあります。

水を取り替え、お花を飾り、毎日、熱心に仏壇を拝みます。その様子を見て、子供は
「お父さんお母さんは、自分の親を大切に思っているんだな。私も見習って親孝行しよう」
という気持ちに、自然になるでしょう。

仏壇を拝みながら、「自分がいかに親を尊敬していたか」
という話を我が子に聞かせてやってもいいでしょう。
その話を聞きながら、我が子も自然に親を尊敬する気持ちを育てていくでしょう。

仏壇への祈りを欠かさずに行なうことは、もちろん天国の親を喜ばせます。

祈りを奉げる対象は、もちろん仏壇でなくてもかまいません。
親の写真を飾ったり、親の遺品を並べたりして、自分なりの「天国の親コーナー」を家のどこかに
作っておくという方法もあると思います。

写真や遺品に向って毎日、祈りを奉げるのです。
そういう方法でも、親を大切に思う心は我が子に伝わっていくでしょうし、
天国の親も喜んでくれるでしょう。

「親の背を見て、子は育つ」という言葉もあります。

自分が天国の親を慕い尊敬する心がけを忘れない限り、
我が子もそれを見習っていくと思います。

         <感謝合掌 平成25年5月11日 頓首再拝>

「母の日」に親を想い、先祖を想う (8332)
日時:2013年05月12日 (日) 04時58分
名前:伝統

   *中山靖雄・著」「すべては今のためにあったこと」(P66~68)より

ある方に、「今日は母の日だね」と言ったら、
「お母さんはずっと昔に亡くなっていないから、私には関係ないんです」
と、そうおっしゃるのです。

ですので、
「お母さんの好きな食べ物を買ってきてお供えしてあげてくださいね。そして、自分の子どもに
『おばあちゃんはね、こういう食べ物が好きだったんだよ』って言ってあげてね。
それが天孫降臨だから」とお伝えしました。

でも、「あなたのあばあちゃんは、こういう人だったんだよ」と、子どもに語ってあげることは
大事なことです。それを聞いた子どもはすごく嬉しいものなのですね。

ある方のお父さんがお庭で咲いている白いアセビの花を見て、「これはおじいちゃんが好きだった
花だよ」と教えてくれたことがあったそうです。

そんなことは初めて聞いたし、花のことを言うような父ではなかったのだけれど、
「これはおじいちゃんが好きだった花だ」と教えてくれて、ものすごく心に響いたと
おっしゃっていました。

お父さんがおじいちゃんを想っていた想いが、自分にも伝わってきて、
とても感動されたのだそうです。

今、ここにいても、いなくても、私たちが生まれるために、その時いてくださったのです。
その時いてくださったからこそ、自分が今ここにこうして、生まれているわけです。
お供えをするとか、好きなものは何だったとか考えることで、その人を想うということが大切です。

それが親を立てているということにもなってくるのですね。

どんな親だから尊敬できる、どんな親だから尊敬できない、ということではありません。
この親だったから、この親がいてくれたから、私がこの世に生まれてきたということを
どうかわかってほしいのです。

「天は親なり」です。

親である天とつながるためには、自分をここに生んでくれた親に、
そして一度も途絶えることなくつなげてくれたご先祖様に、
心底「ありがとうございます」という思いをもつことです。

目に見えない世界の中に、親である天の喜ぶ生き方があります。
そのことがわかれば人生は大きく変わっています。

         <感謝合掌 平成25年5月12日 頓首再拝>

「ビートたけし氏とお母さんの感動秘話」 (8515)
日時:2013年05月19日 (日) 04時01分
名前:伝統


      *『致知』2013年6月号 より
        ~ 下村博文(文部科学大臣/教育再生担当大臣)
 

いまの日本には偉人伝というだけで 拒否反応を持つ人がいるんですよ。
それ自体、異常な社会だと思うのですが、
そういう時、私はタレントの北野武さんの話をするんです。

そうすると皆さん「なるほど」と言って、聞いてくださいます。

それは北野さんのお母さんのお話なんですね。

北野さんが芸能界に入って売れるようになった頃、
お母さんから「金をくれ」と言われたというんです。

それからも何かにつけて法外なお金を要求されたと。

とんでもない親だと思ったけれども、
親には世話になったし迷惑を掛けたのも事実だから
言われたままに出していたそうです。

そして、お母さんの命がもう何日もないという時に
軽井沢の病院に行った北野さんは
お母さんから一冊の通帳を渡されるんです。

帰りの新幹線の中で
その通帳を見た北野さんはビックリするんですね、

いままで渡していたお金が全額入金されていた。


芸能界は浮き沈みの激しい世界ですから、
お母さんとしては息子が売れなくなった時のことを考えて、そっと蓄えておられたのでしょうね。

子供は親孝行したいと思っているけれども、親が子を思う気持ちはもっと深い。


吉田松陰が「親思う心にまさる親心」と詠んでいますが、
親が亡くなって 「もっと孝行しておくべきだった」
と子供だったら皆思うんじゃないでしょうか。

これは何も国が「親孝行しろ」と言うのとは違うわけでしょう。

道徳の授業の中でそういう話が
エピソードとして出てくれば、誰でも素直に皆受け取るはずです。


人が人として生きるために大事なことを学ぶのは、
本当は英語や数学の学力を高めること以上に必要なことなんですね。

         <感謝合掌 平成25年5月19日 頓首再拝>

父母は天地の如し、父母には朝夕に孝せよ (9071)
日時:2013年06月06日 (木) 04時43分
名前:伝統

    *「子どもと声に出して読みたい『実語教』」齋藤孝・著(P79~80)より

お父さんやお母さんは、みなさんを生み育ててくれた人ですから、みなさんより世の中のことを
よく知っています。だから、天地とか宇宙みたいなものなのだといっていますね。

宇宙が地球のすべてを生み出してくれたものだとすれば、
私たちにとっての天地は・宇宙は両親です。

お父さんとお母さんがいなければ、みなさんは、この世に生まれていないのです。
だから、父母を大事にしなくてはいけませんよ、といっているのです。

「孝」という字があるのは知っていますか?  親孝行の「孝」です。
この字は両親を大切にしましょう、という意味をあらわしています。

父の日とか母の日には、記念に贈り物をするとか、「ありがとうございます」と感謝の気持ちを
伝えることも「孝」の一つですね、とても大事なことです。

子どもは親に育てられるのは当たり前と思うかもしれません。でも、親からすると、子どもを
育てるのは大変なのです。自分でやりたいことがあっても我慢して、子どもが病気にならない
ように、ちゃんと学校に行けるようにと、毎日子どものことばかりを考えています。

だから、子どもの方も、両親に感謝しながら生きなくていけないのです。

昔の子どもたちは、両親にも敬語を使って話していました。
「お父さま、お母さま、お休みなさい」「行ってらっしゃいませ」というように、
自分の敬意を表現していました。

今の子どもたちは、親にも友だちのように話すことが増えてしまいました。
でも、親への「孝」という気持ちは忘れてはいけないと思います。

みなさんはまだ、自分一人で生きていくことはできないでしょう。
お父さんやお母さんに教えてもらうことが、たくさんあります。
両親にはいつも「ありがとうございます」という気持ちを持たなくてはいけません。

ここの言葉は、親を大切にすることは自分自身にとっても大事ですよ、といっているのです。

         <感謝合掌 平成25年6月6日 頓首再拝>

謙虚な気持ちをもって、親を思い続ける (9110)
日時:2013年06月08日 (土) 04時44分
名前:伝統


    *『天国の親が喜ぶ39の習慣』(植西聡・著)<P75~76>より

中国の儒教の古典『孝経』には、

『親に対して謙虚でいられる人は、誰に対しても謙虚な心を忘れることがない』

という意味を表す言葉があります。

親とは、言いかえれば、永遠の先生であり、指導者であり、人生の良き先輩だとも言えます。

たとえ親がこの世にいなくとも、天国の親に向かって、そのような敬意を持っておくことが
大切だと思います。

そして「天国から私を導いてください」という謙虚な気持ちをもって、
親を思い続けることで、『孝経』に述べられているとおり「誰に対しても謙虚でいる」
ことができるようになります。

         <感謝合掌 平成25年6月8日 頓首再拝>

感謝の原点は、親への感謝にある (9342)
日時:2013年06月19日 (水) 04時33分
名前:伝統

       *中山靖雄・著」「すべては今のためにあったこと」(P60~64)より

天の思いを私たちがなかなかわからないように、
親の思いを子どもはなかなかわからないものです。
「親の心子知らず」という言葉がありますが、私自身にもこんな経験がありました。

母は82歳で脳梗塞になって倒れて以来、家で寝たきりの生活を送っていました。
しかし、私が講演に出かけれる時は必ず、「今日はどこに行くんだ?」と聞くのです。

「どこどこへ行く」と答えると「気をつけて行って来いよ」とこう言う。
私は「わかった。ありがとう」と答える。
このような他愛のない会話をするのです。

しかし、そのあとには「何時から何時まで話すのか?」と聞くのです。
すると、つい、自分の親だか言ってしまうのです。「そんなの聞いてどうするん?」とか、
「人のこと心配せんと、自分のことを心配しなさい」とか、どうも冷たい物言いになってしまう。

さらに、「寝たきりだから、みんなに好かれる老人にならなああかんよ」
なんて言ってしまうしまうのです。

それでも、何度も聞くものですから、私が「何時から何時までだよ」と講演時間を答えると、
「みんなに喜んでもらえるように、しっかりがんばってこいよ」と言って、
ベットの上から見送るのでした。

そして、私は家を出てから後悔の思いでいっぱいになるのです。
もっと優しい言葉をかけてやれば良かったなぁって、わかってはいても、つい、
優しくできなかったりするのですね。

その母も90歳で亡くなりました。
お葬式を済ませたあとに、家内がふと、
「お父さん、心配してくださる方が一人減ってさみしいね」 と言うのです。

私は改めて母の言葉を思い出して、
「おふくろが毎回行き先を聞いてきたのはわかるけれども、なんで時間まで聞いたんだろうね」
と家内に言ったんです。

すると家内は、
「絶対お父さんに言わんで、ってお母さんは言っていたけど、時効だからもう話してもいいかな」
と、こんな話をしてくれました。

私の講演が始まる頃になると、母が家内を呼び、
「講演が始まる時間だから、悪いけどベット半分起こして」
と言って、ベットの前の神棚に向かってじーっと手を合わせて、拝むのです。

寝たきりですから、きちんと座れないので、腰に枕と毛布を当ててなんとか座れるようにして、
じーっと手を合わせている。

「講演が終わる時間になったらまた来てね」と母が言うので、1時間半くらい経ってから
家内が行くと、また母が同じような状態でじーっと祈っているのだそうです。

この話を聞いた時、私は、頭をガーンと殴られたような気がしました。
毎回講演に行って、今日もこんないい方々と、素晴らしい出会いをいただいて、
自分ががんばっているという思いがどこかにあったのです。

私は母が祈ってくれているということを知らずに、
そんな母の言葉を少し疎ましく思っていたのです。

申し訳ないことをしてしまったという気持ちと同時に、私以上に、祈ってくださっている世界が
あるんだなぁと思い、改めて天から喜ばれるような生き方をしたい、という思いが湧いてきました。


先日ある方からいただいた、あいりん地区の詩集の中にこういう短歌がありました。

「尋ね人 掲示されたる わが名前 老母は今も 俺を見捨てず」

自分は大人になり、世を捨て、名も捨てたつもりでいても、親の思いはいつまでも
子どもを愛する思いに満ちていることを改めて感じさせる歌でした。


感謝の原点にあるものは、父母への感謝の念です。

「上」を立てること、親を敬うことを日本は古来大事にしてきました。

何事も水の流れのように上から下へと流れていきます。
上が汚いものを流すと、下は全部汚くなっていきます。

上は大事だとわかっていたからこそ、
上を「かみ」とし、神様の「かみ」としたのです。

         <感謝合掌 平成25年6月19日 頓首再拝>

人として孝(こう)無き者は、畜生(ちくしょう)に異ならず。 (9958)
日時:2013年07月20日 (土) 04時56分
名前:伝統


    *「子どもと声に出して読みたい『実語教』」齋藤孝・著(P90~92)より

【人として智無き者は、木石に異ならず。 人として孝無き者は、畜生に異ならず。】


《いい人生を送っている人の条件》

智恵のない人は木や石と同じだ、といっています。
木や石には人間と同じような感情や智恵はありません。
ですから、智恵のない人は人間とはいえないよ、というのです。

昔の人は、子どもにもずいぶん厳しいことをいっていますね。
「あまえには智恵がないから、そのへんの木や石と一緒だ! 」

こんなことをいわれると、昔の子どもは発奮して、
「絶対に智恵のある人になってやる! 」と必死になって勉強したのです。


次に、親孝行の気持ちがない人は「畜生」と同じだといっています。
「畜生」というのは、下等な動物のことです。これも厳しい言葉ですね。
「親を大切にしない人は人間じゃない! 」といっているわけです。

どちらも厳しい言葉です。
でも、子どもにはこのぐらい厳しくいったほうがいいと昔の人は考えていたようです。

こういうふうに厳しくいわれて、「ちゃんと勉強しよう、ちゃんと親を大事にしよう」と思う
子どものほうが、大人になったときにしっかり生きていけると考えていたのでしょう。

しっかり智恵を身につけようと思って勉強を続ければ、向上心も探究心も育ち、
さらに、まわりの人たちの付き合いうまくいきますから、
結果として社会に出ても成功しやすくなるのです。

また、親を大切にしようと思っていると、親を早く楽にしてあげたい、
親に心配かけないようにしようとします。その結果、まっとうな仕事について、
ちゃんと結婚をして、親を喜ばせるために子どももつくろうとします。

そういうふうに生きると、親が喜ぶだけではなく、自分自身もいい人生を歩めるのです。
少しぐらい厳しいほうが子どもは人としての道をわきまえるようになる、ということです。
この点は、今の大人も昔の人に見習いたいものです。

         <感謝合掌 平成25年7月20日 頓首再拝>

《中野の孝子》と呼ばれた宗忠公 (10267)
日時:2013年07月31日 (水) 07時14分
名前:伝統

       *「黒住宗忠公」原敬吾・著(P2~3)より

(1)宗忠、7歳くらいの時である。
   雨あがりに戸外へ遊びに出ようとした時、父は下駄をはいて行けと言い、
   あとから来合わせた母は、それを知らずに、下駄ではあぶないから草履で遊ぶように
   言った。

   両方の言いつけを守ろうとして迷ってしまった宗忠は、咄嗟に思案して、
   片足に下駄、片足に草履をはいて出て行った。

   しかし無論うまく歩けず、とうとう転んで泣いてしまったということであります。

(2)幼年の頃、よその2、3の老人たちが、宗忠の両親が近頃めっきり老衰したようだと
   語り合っているのを、宗忠は小耳にはさみ、それからは産土の今村宮に日参して
   両親の長寿を祈ったとのことです。

(3)少年の日に、習字を岡山藩の右筆(ゆうひつ)市村三蔵に学んだが、
   その塾へ通う時間などについても宗忠は極めて几帳面で、帰りがおそくなって
   父母が心配させることのないよう、いつも気をつけていたという。


それやこれやで、近隣では宗忠のことを「中野の孝子」と呼びならわしておりました。
(宗忠は、安永9年<1780>11月26日、冬至の朝、備前国御野郡上中野村に生まれました)

・・・・

(1)のお話は、有名な話であり、谷口雅春先生も取り上げておりました。

         <感謝合掌 平成25年7月31日 頓首再拝>

《”お墓掃除”》 (10440)
日時:2013年08月08日 (木) 04時27分
名前:伝統

(この記事は、別のスレッドで掲載したものですが、
 「お盆の月」と「親孝行の日」に合わせ再掲させていただきます。

 【親孝行の日】
  「88」が「は(8)は(8)」、「パ(8 )パ(8)」と読めることと、
  「ハチハチ」を並びかえると「ハハ(母)チチ(父)」となる)

   *中山靖雄・著」「すべては今のためにあったこと」(P42~45)より

子どもを持つお母さん向けの母の日の記念講演が終ったあと、
ある方から、電話がかかってきました。

「今回の講演を聞いて、今年の母の日は何かしようと思ったんです。
『やり直しはできないけれど、出直しはできる』というお話を先生からお聞きできたので・・・」
と言ってくださいました。

この講演会で私は、
「母の日は自分が大事にされる日ではありませんよ、自分のお姑さんやお母さんを大事にする
のが母の日なんですよ」 というお話をしていたのです。

「たいした話じゃなくてごめんなさない」と伝えると、
「私にとっては最高でした」とおっしゃいます。

そこで「何かありましたか? 」とお聞きしてみたら、
「親孝行したい時には親はなしですね、お姑さんも亡くなり、実の母親も亡くなっていない。
それでふっと、『そうだ、お墓掃除に行こう』って思いました」とおっしゃって、
こんな話をしてくださいました。

母の日の当日、母親が生きていたら、親孝行できたけれども、もう亡くなって何もできないし、
せめてお墓掃除でも行こうと思って用意をしていたら、高校生のお嬢さんが私もついて行くわ、
と一緒について来てくれたそうです。

一緒にお墓に行き、綺麗にお掃除をして、帰ってきて、ご飯食べて何気なくテレビを見ていたら、
娘さんが、「お母さん、お風呂沸かしたから先にお風呂に入りなさいね」と言う。

「今日はお父さんもいるから、お父さんに先に入ってもらってよ」と言うと、
「私、今日は母の日のプレゼントもあげてないんだもん、お風呂くらい一緒に入ったら
いいじゃない」と言ってくれるので、背中を押されるようにしてお風呂に入ったといいます。

すると、娘さんがあとから入ってきて、「お母さん、タオルとシャボンを貸して」と言って
背中を流し始めた。

「何あなた、あまり変わったことしないでよ」と言うと、娘さんが、
「生き仏の墓掃除よ、死んでからは、こんな温かい墓石、流せないもんね」
と言いながら背中を流してくれたのだそうです。

「こみ上げてくるものを止められなくて、顔を洗いながら、涙を隠すのが精一杯でした。
こんな嬉しい母の日はありませんでした」と電話をくれたのです。

どなたに言っても、娘自慢になってしまうし、先生なら喜んでいただけるかと思って、
と言ったあと、電話の向こうで、わ~っと泣いておられました。

どなたにも母の日があります。
こうして思いを切り替えたその時、出直しができるのですね。

「やり直しはできないけれど、出直しはできる」。
お母さんを大事にしたら、娘さんが自分を大事にしてくれた、
このようにこの世はめぐりめぐる世界なのです。

親子は因縁の連鎖です。お姑さんも死んだし、実の母も死んだ。
それが見える世界ですが、見えない世界まで大きくひっくるめて広い心で親を大事にすると、
自分の子どもまでもが変わっていくことがあるのです。

それから十数年後の母の日、私は同じ会場でこの話をする機会がありました。
すると、たまたまその電話をくださった方が講演会に来ていて、
控え室に小さいお孫さんを連れて訪ねてきてくださいました。

「先生、十数年も前になるのに、覚えてくださっていてありがとうございます。
今年はここにいる三歳の孫が、娘と一緒に里帰りしていて、一緒に背中を流しながら、
小さいもみじの手で、『生き仏ちゃま、生き仏ちゃま』と、ぺチャぺチャたたくのです。
これがまた嬉しくて、またそこでひと泣きだったのですよ」

とお話してくれました。


お墓の掃除をすれば家庭がうまくいくなんて、そんなに簡単にはいかないと思う方が
いらっしゃるかもしれません。けれども、その通りにはいかなくても、何もやらなければ
花は咲きません。

めぐりめぐる世界の中で、やり直しはできないけれど、出直しはできるのです。
今を生きる自分の思いは、過去にも未来にも必ず伝わっていきます。

            <感謝合掌 平成25年8月8日 頓首再拝>



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