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年満月(としみづき) (4139)
日時:2012年11月30日 (金) 20時37分
名前:伝統

今日は、11月の最後の日で、明日からは師走です。

師走は当て字で、語源は諸説ありますが、その中から、
ここでは、山下景子・著「美人の日本語」からの紹介です。


年満月(としみづき)

    *山下景子・著「美人の日本語」より

【 満ちていくこの1年 】

12月は、師(お坊さん)も走り回るから「師走」。
でも、これは、江戸時代以降にこじつけられた俗説のようです。

「師走」という漢字は当て字で、万葉の時代から、
「十二月」と書いて「しはす」と読ませていたそうです。

その語源はさまざまな説があって、
「し」の方は、仕事、為すこと、年、四季など。
「はす」の方は、ほとんど「果つる」と解釈しているようです。

走るにしても、果つるにしても、あわただしいことに変わりはありません。

十二月の異称の中に年満月というのがあります。

年が終わるのではなく、さまざまな思いで
あなたの1年が満ちていくと思ってみてはいかがでしょう。

どうか、1年の締めくくりの月を、満ち足りた思いで過ごせますように。

       <感謝合掌 平成24年11月30日 頓首再拝>

谷口雅春先生の《十ニ月の祈り》 (4152)
日時:2012年12月01日 (土) 04時53分
名前:伝統


今日から12月師走(平成24年~年満月)です。

その最初の日、清々しい師走の早朝、慎んで、身と心を引き締めながら、
谷口雅春先生の《祈りの言葉》で、満ち足りた月のスタートといたします。


《十ニ月の祈り》

      *「聖光録」《十ニ月の祈り》より

わが創り主なるみ親、生きとし生ける者を生かし給い、
ありとしあらゆる者をあらしめ給ひし、
無限の智慧、無限の生命、無限の調和、無限の美にまします神よ。

み名を崇めしめ給へ。

みわざを讃へしめたまへ。


あゝあなたの創造りたまひしこの世界の調和せることよ!

すべての生きとし生けるものは睦み給ひ、
すべての人と人とは愛し合ひ、その愛は何ら執着することなく、
すべての人々は嫉み妬み合ふことなし。

愛は愈々深けれども その愛は悉く位相を異にして爭ひ衝突することなし。


あゝあなたの創造りたまひし世界の調和せることよ!

生きとし生ける者は處を得て爭ふことなく、相食むことなく、
奪い合ふことなし。

すべての微生物は悉くよきものばかりにして各々の天国にすみて
人に益をなせども害するものなし。


あゝあなたの創造りたまひし世界の美しきことよ!

すべての人間と生物とは、すべての天体が自由にしてしかも軌道を外れず、
衝突せざるが如く、完全に自由にして衝突することがないのである。


あゝ神の創造りたまひしこの世界の妙なることよ!

われは神の子として神に護られ、神の愛につゝまれて
常に完全に調和して平和なのである。

神に感謝し奉る。

     ・・・・・・・

《一切衆生のための祈り》

    *「光明道中記」(十二月 すべてを拝<おろ>がむ)扉の言葉より

わが毎朝念ずる衆生のための祈り――

私の生命は宇宙の生命と一体である。されば吾は宇宙の凡てのものを知っているのである。
わが生命は神と一体なるが故に、わが欲(おも)うところは、神必ずこれを成し給うのである。

光が昇れば隈なくすべての所を照らすが如く、暗(やみ)のあるところにわが光明思念は必ず
行き亘り、悩みのあるところにわが念ずる光明の言葉は満ち亘るのである。

われは光明思念をすべての悩みありと迷える人々に送る。
送るに随って人々の悩みは消えるのである。

与えれば与えるほど殖えるのが法則であるが故に、このことによって吾が光明は愈々輝き、
吾が健康は愈々増進するのである。

病める者、悩める者、重荷を負える者に、われは「光明思念」の導管より生命の水を送るのである。
「今より後、罪も病も死も貧も争いも一切の不調和もなし」

われは今「光明思念」を放送する。わが光明思念は、われを通して流れ出でたる神の生命である
から、その光明思念は宇宙全体に充ちひろがり、すべての悩める者を癒すのである。

神よ、わが祈りを聴き給いしことを感謝します。

            <感謝合掌 平成24年12月1日 頓首再拝>

思うとおりになる世界 (4342)
日時:2012年12月06日 (木) 07時08分
名前:伝統


   メルマガ「癒しのことば(2003年07月28)」より

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「この世の中は、どうにもならぬと思っている人にはどうにもならないが、
思う通りになると思っている人には思う通りになる世界なのだ」

         < 谷口雅春(生長の家・創始者) >

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


太陽は、いつでも輝いています。

雲に隠れることもありますし、夜になれば暗くなりますが、そ
れは私たちの位置からは見えないだけで、太陽が消えてしまったわけではありません。
荒れ狂う嵐の夜にも、太陽は、ちゃんと雲の上にあるのです。

私たちは、ツイているときや、気分のいいことに出会ったときには、
生きていることが楽しいと思ったりします。

逆に、辛いときや苦しいとき、失敗したり人に裏切れたりして落ち込んでいるときには、
とても楽しいと感じることはできませんね。

でも、本当はどんなときでも、人生を楽しむことができると言ったら、信じられるでしょうか。

「楽しむ」を辞書で調べてみると、こんなことが書いてあります。

・心が満ち足りる。
・自分の好きなことをして心を満足させる。
・食物などが十分にあって快い。
・豊かになる。裕福になる。

つまり、自分の欲しいものが十分にあって、それに満足している状態を指しているようです。

ですから、もしも、今、この瞬間を「楽しい」と感じることができないとしたら、
望むものを十分手に入れていないか、それに満足していないからだということになりますね。

だとしたら、よっぽど運が良くて、大金を手に入れたり、大きな目標を達成したときでないと、
人生を「楽しむ」ことは難しいようにも思えます。
何しろ、欲しいものはいくらでもあるし、今の自分自身や環境にも、
探せば満足できないところはイッパイなのですから、

もっとお金が欲しい、やりがいのある仕事がしたい、もう少し背が高かったらなぁ、
もっと明るい性格になりたい、時間が欲しい、頭が良くなりたい、頼れる友だちが欲しい……

なかなか、人生を「楽しむ」どころではないですよね。


……でも、その思いこそが、本当は「楽しむ」ことを妨げているとしたら、どうでしょうか。

今の自分にないもの、できないこと、どうしようもないこと、
マイナスなことばかりを探して見ているから、今を「楽しむ」ことができないのです。

ツイているときや、気分の良いときには、心に余裕ができて、
マイナスではなく、プラスのことが見えてくるのでしょうね。


「楽しむ」を英語にすると、「Enjoy」となります。

この単語は、「en(~のなかに入れる)」と「joy(喜び)」からできています。
つまり、「楽しむ」とは、「自分のなかに、喜びを入れる(受け入れる)」
ということなのですね。

そう、探してみれば、見ようとする目があれば、この世界には「喜び」が満ちあふれています。

それに気づいて、受け入れることが、本当に「楽しむ」ということなのですよね。

まずは、「今、あなたがあたなたとしてこの世界に生きていること」、
この「喜び」を自分の中に受け入れてみましょう。

自分のなかの「あるもの」「できること」「これからやっていきたいこと」に触れて、
そのすばらしさを感じてみましょう。

この世界は、あなたを応援してくれる「喜び」でいっぱいだということが見えてきたでしょう。

さあ、あとは、思いっきり自分自身を楽しみましょうよ。
それが、自分が望む人生を手に入れることに繋がるのでしょうね。

            <感謝合掌 平成24年12月6日 頓首再拝>

至誠神に通ずる日 (4538)
日時:2012年12月12日 (水) 06時31分
名前:伝統

今日は、2012年12月12日。
12が3つ揃う、稀で貴重な一日です。

     *「光明道中記」(P382より)

十二月十二日 至誠神に通ずる日

 【神は全存在(すべて)であるから誠ある人にのみ其の無限力を現わし給う。】
                        <『生命の實相』第四巻>


 神の恵みは既にあるには相違ないけれども、それはレディーメードでは
 ないと云うことである。

 神の恵みはそんな安物ではないのである。
 尤もどんな安物も神の倉の中にはあるのである。
 神は労働服地も、大礼服地も、背広地もモーニング地も用意していられる。

 そして吾々の註文に従ってそれを仕立てて出して下さるのである。

 神の作りたまう吾々への供給は、どんな安物でもピッタリと各人の心の寸法に合うのである。
 どんな貧しさもその人の心の寸法に合っている。

 彼がその貧しい境遇と称(よ)ぶ服を着ているのは、神様のレディーメードではなく、
 彼が困難と戦って魂の貴(とうと)い鉱石を発掘するためには、
 その貧しい服装が丁度都合が好いと言って、彼の心が誂(あつら)えたものなのである。

 それは無意識に誂えたのかも知れないが、兎も角彼の心が誂えたものなのである。

 自分の今ある境遇は自分の心が誂えたところの自分の魂の衣服なのである。
 兎も角、今着せられている「境遇」と云う服装で吾等は善処しなければならない。
 
 今労働服を着ている人は、その労働服が擦り切れてしまうまで働かなければならぬ。

 その後に新しい服が与えられるであろう。

            <感謝合掌 平成24年12月12日 頓首再拝>

「正月事始め」 (4582)
日時:2012年12月13日 (木) 18時04分
名前:伝統


選挙も佳境を向え、慌ただしさを増しておりますが、
本日は大安、そして「正月事始め」の日です。

江戸時代には、この日を正月の準備を始める日とされました。

昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪などお正月に必要な木を
山へ取りに行く習慣があったそうです。


正月の準備の一つとして大掃除があります。大掃除は別名、煤払い。
旧年中に積もった一年分の煤を払って、新しい年を迎えようと言うわけです。

さて、この煤払いですが、江戸城では毎年12月13日の事始めの日に
これを行なっていたそうです。

お上がこの日煤払いをすると言うことで、お上のお膝元、江戸の街でも次第
にこの12月13日に煤払いを行う風習が定着していったようです。
そのうちに12月13日と言えば煤払いと連想されるまでになったもののようです。

川柳の中に、

   あくる日は夜討ちとしらず煤をとり

というものがあります。

これは、明くる12月14日に赤穂浪士が討ち入った吉良邸を読んだものとか。
12月14日には夜討ちがあるとはつゆ知らず、一生懸命煤払いを行なったのだろう
と言う歌です。


現代では、12月13日からの正月事始めとはいささか早すぎる気もしますが、
お正月まであと20日余り。いよいよこの日から正月準備が本格化し、
年末の充実した忙しい時に差し掛かります。

(今年は、選挙がありますから、選挙が終わってから
 実質的な「正月事始め」なのかも知れませんが・・・・)

<参考Web:五十鈴神社『宮司の社務日誌』 「正月事始め」とは
       → http://isuzujinja.blog103.fc2.com/blog-entry-2493.html >

            <感謝合掌 平成24年12月13日 頓首再拝>

「金」字塔 (4605)
日時:2012年12月14日 (金) 06時28分
名前:伝統

その年の世相を漢字1文字で表す「今年の漢字」は、阪神淡路大震災が起きた
1995年の「震」に始まり、18回目の今年は「金」に決まりました。

この字が選ばられるのは2回目で、金環日食やロンドン五輪でのメダル獲得、
山中教授がノーベル賞を受賞などの「金」字塔がうち建てられたことが理由と
してあげられています。

山中教授自身は今年を振り返り、「驚(ビックリ)」という漢字をあげております。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20121211-OYT1T01237.htm


ちなみに過去の「今年の漢字」と世相は以下のようになっています。

  1995年「震」 阪神・淡路大震災発生、オウム真理教事件

  1996年「食」 食中毒(Oー157)や狂牛病の発生

  1997年「倒」 山一證券などの大型倒産

  1998年「毒」 和歌山カレー毒物混入事件

  1999年「末」 世紀末、警察等の不祥事で世も末

  2000年「金」 シドニー五輪、新500円硬貨と二千円札の発行

  2001年「戦」 米同時多発テロ、対テロ戦争、不況との戦い

  2002年「帰」 北朝鮮拉致被害者が24年ぶりに帰国

  2003年「虎」 阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグ優勝

  2004年「災」 台風・地震・豪雨・猛暑などの天災が相次ぐ

  2005年「愛」 紀宮さまのご結婚、万博「愛・地球博」

  2006年「命」 秋篠宮紀子さまが約40年ぶりに親王をご出産

  2007年「偽」 産地偽装、原材料偽造、耐震偽装等

  2008年「変」 世界経済の大変動、オバマ氏が大統領選で勝利

  2009年「新」 政権交代、高速道路無料化などの新制度

  2010年「暑」 記録的な猛暑

  2011年「絆」 東日本大震災や台風による災害、なでしこジャパン


・・・「金」字塔に関連し、『生命の實相』幸福篇(第38巻)より

(12月13日)の言葉より抜粋

唯一の成功とは価値有るものを実現するということである。

価値の実現とは”心の中にある”ことを知らねばならない。

価値だけが価値であって、そのほかのものは価値がない。
ことのことが判明したならば、物質そのものと追求することは
愚かなことであることがわかるであろう。

われらは心の世界にさえ価値を実現すればよいのである。
価値は心の世界にのみある。
われらは愛と美と善と赦しと寛容と・・・
それらの心の中の価値を心の中に実現しさえすればよいのである。

客観(もの)は主観(こころ)の投影(かげ)であるから、
主観(しゅかん)が成就したら必ず客観(かつかん)が授受するのである。

主観(しゅかん)の価値が成就しないで、客観(かつかん)の成功を希(こいねが)うものは、
やがて土崩瓦解してしまうのである。


(12月14日)の言葉より抜粋

静かに省みて、心が喜べるのが成功である。
心にやましい何物かが感じられるかぎりは、まだ心の世界に価値が成就していない。

ただ価値のみが価値である。人の世に何か”ため”になることを成すこと。
それは物質的に残るべき何物でなくてもよい。
それを措いて成功はない。

本当の成功は、偶然でも行幸でもない。
われわれの心の中に把持された決意であり、決意の持続である。

それは偶然とか僥倖とかいうものによって左右されるような他動的なものではない。
それは今、みずから決意したとき得られるのである。

            <感謝合掌 平成24年12月14日 頓首再拝>

「金」字塔② (4649)
日時:2012年12月15日 (土) 07時30分
名前:伝統

「金」字塔に関連し、今回は「光明道中記」からの紹介です。

十二月十四日 報恩行の日

 【報恩の行為は実生活を生じ、周囲の人々の神性を招び覚す。<『生命の實相』第八巻>】

 (中略)

 何事も「わしがやる」のではなく、「やらせて頂く」のである。

 わが業(わざ)はわが為すに非ず天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の力である、

 と思ってやるところに、仕事をやりながら感謝が湧いて来るのである。
 感謝が湧けば何事をするにも丁寧になる。丁寧になれば人から好感を受けることにもなるし、
 仕事そのものの成績も上がるのである。

 自分が世界に貢献している程度が、その人の成功の程度である。
 貢献しないで、何かの策動や操りによってその人が経済界に頭を上げたからとて、
 それは狡智の成績であって、本当の成功ではない。

 成功とは自分が世界にとって有用な人間となり、
 自分が世界にとって有用なる仕事が出来るということである。
 成功とは奪いえた成果ではなく、献(ささ)げた成果である。


十二月十五日 富想を持続する日

 【貧想を持続すれば貧者となり、富想を持続すれば富者となる。
                 <『生命の實相』第四巻>】

 一日一日と自分が世界に貢献している程度が殖えると云う自覚ほど有りがたいものはない。
 「自分」が大きくなるのではなく、貢献が殖えると云う自覚である。
 自分が天下の公僕であると云う自覚である。

 外面の成功は内面の貢献の反映であってこそ貴いのでもあるし、永続もするのである。

 若し外面の成功が何ら内面の価値によって支えられることなしに、ただの偶然であるならば
 其の成功は間もなく壊けてしまうであろうし、それは一時的なものであるであろう。

 思念の力によって成功がかち得られると云うことは事実である。
 常に繁栄を心に念ずる者には繁昌が引き寄せられて来るのである。

 併し、その繁栄が利己のための繁栄であったならばそれはやがては崩れてしまうのである。

 そう云う人は軈(やが)ては光明思想も効かなかったとか、生長の家も効果がなかったとか
 言う人達なのである。併しそれは光明思想が効かないのでもなく、生長の家が効かない
 のでもないのである。

 繁栄の基礎が利己と云うニセ者の基礎の上に立っていたのである。
 「利己」的態度で「己」だけの利益に限って了う者は、「己」と云う一範囲の
 思念の創化力を使い果たした後、跡が続かないのである。

            <感謝合掌 平成24年12月15日 頓首再拝>

明朗歓喜の日 (4961)
日時:2012年12月23日 (日) 06時24分
名前:伝統


          *「光明道中記」より

十二月二十三日    明朗歓喜の日 

【朗らかに笑って生きよ。陽気の充ちた家は必ず生長する。(『生命の實相』第四巻)】  

  
人間の貧しき原因は、彼の心の不調和より来るのである。
彼の心の弱さより来るのである。

心不調和なれば、事業に於いても仕事に於いても精確なる判断をすることが出来ない。
また適当に物事を推し進めることが出来ない。
すること為すこと不適用となるのである。

心弱ければ最後の踏ん張りがきかないで肝腎のところで崩折れて了うのである。
また心弱ければ思い切るべき時、思い切ることが出来ず、果断である時に果断である
ことが出来ない。

失敗すべきことに何時までも恋々としていて新生面を拓くことが出来ない。
成功の要素として欠くべからざるものは、調和の心と、強さの心とである。


では調和の心は如何にして養い得るか。
すべての隣人と調和することである。
先ず自分の家族、親類等と仲好くなることである。

これらの人々と調和することによってのみ、吾々は神と調和することが出来るのである。
神と調和することによって、神からの叡智が流れ入る。

神からの叡智が流れいることによって、押し進むべき時に勇敢に押し進み得、
退(しりぞ)くべきときには調和して退き、
思い切るべきときには果断に断念し得るのである。

            <感謝合掌 平成24年12月23日 頓首再拝>

お正月を迎える準備 (5091)
日時:2012年12月28日 (金) 04時51分
名前:伝統

(1)正月飾りの門松。

   松は長寿を、竹は発展を願い、「松は千歳を契り、竹は万代を契る」との諺もあります。
   さらに縁起を担ぐ場合は、風雪に耐え、百花に先がけ花開く梅花を、ワラなどで
   かたどり添えます。

(2)正月飾り

   赤い実の南天と福寿草の花とセットで「難を転じて福となす」という縁起物として
   正月飾りに用いられます。

(3)しめ縄を飾るのは、悪霊退散! のためです。

   魔を祓って、難を即滅して・・・ 、その後で・・・福来たる!となるのです。

   悪い運気を家や会社などの大切な場所に入れないために、しめ縄を張るのです。
   そして、年の福の神様を迎えます。

(4)年越しそば~大晦日に食べる蕎麦

   由来にもいくつかあるようです。

  ①一つは、その昔、あるお寺が、貧しくて年の越せない人々に蕎麦がき
   (蕎麦粉を熱湯でこねたもの)をふるまったところ、翌年から皆に運が向いてきた
   ことから、「運そば」として広まったというもの。

  ②または、もともと商家では、つごもり、つまり月末に蕎麦を食べる習慣があり、
   それが元になったとする説。

  ③金細工の職人が金粉を集めるのに、練った蕎麦粉を使っていたことから、
   蕎麦は金を集める縁起物として食され、またはその形状から細く長く達者に暮らせる
   ように願ったとの話や、蕎麦は切れやすいことから、
   その年の苦労を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという話もあります。

  ④痩せ地でも実を結ぶ蕎麦は、雨や風にも強い植物です。風に寝かされても、
   雨に打たれても翌日には起き直ります。
   このことから捲土重来(けんどちょうらい)を期す食べ物とも言われています。

(5)お正月のお節(おせち)。

  ①来客の度に台所に立たなくてもいいように、日持ちのよい料理を重箱に詰めた
   お節料理も縁起の良い食材でいっぱいです。

  ②マメ(健康)に暮らせるようにと黒豆を、子孫を増やし家が繁栄するようにと
   数の子を、喜ぶことが多いようにと昆布巻きを、腰が曲がるまで長生きしたいとの
   願いで海老を、金運を呼ぶ栗きんとん(金団)、遠くまで見通せるレンコンなどなど。

・・・・

新たな年が、ますます運が上向き、福の神を呼び込もうという風習は、大事にしたいものです。

            <感謝合掌 平成24年12月28日 頓首再拝>

年暮~掉尾の一振 (5121)
日時:2012年12月29日 (土) 06時33分
名前:伝統

西田幾太郎は、「年暮狂歌」の中で次の和歌を残している。

<年ぐれにとしがゆくとは思ふなやとしは毎日毎時ゆくなり>。

 (さらさらと止めどなく時は流れている。それは、なにも歳末に限らない。)

これは、今この瞬間を精いっぱい生きろ。そう背中を押してくれている歌です。


さて、今年も、今日を入れて残り3日となっております。

昨日は、アベノミクスの影響もあり、経済界の指標でもある株式市場は、
「掉尾の一振(とうびのいっしん)」となりました。

「掉尾」とは尾っぽのことであり、「物事の最後」という意味があります。

また、この言葉自体で釣られた魚が激しく尾を振る行動をも指しており、
「一振」は最後の一振りを強調したような形になっています。

「掉尾の一振」という言葉には、
いろいろあったけれど「終わり良ければすべて良し」で、最後は来年に期待させるような
形で終わってほしいとの願いがを込められております。

この掲示板においても、残り3日、「掉尾の一振」で象徴されるように、
活き活きとした賑わいで、年の暮れを迎えれることを密かに期待したいものです。

            <感謝合掌 平成24年12月29日 頓首再拝>

年の瀬 (5143)
日時:2012年12月30日 (日) 06時36分
名前:伝統


12月30日 ”年の瀬”も押し迫ってきています。

年の瀬の「瀬」は、川の浅く流れが急なところを指します。
1年のうちでもこの時期は急き立てられるように時間が経過します。

江戸時代、
宝井其角と赤穂浪士の大高源吾が交わした次のような歌があります。

 「年の瀬や 川の流れと 人の身は あした待たるる その宝船」

宝船を待つこの時期、平成24年も残りわずか。
明日が大晦日で、今日は晦日です。

 晦日とは、陰暦で月の最後の日を意味するとあります。
 晦には夜・闇・暗い・くらますといった意味もあります。
 晦明とは暗いと明るいで、夜と昼のことです。

 この1年をふりかえってみて、晦と明のどちらだったでしょうか?

 日本国にとっては、試練の1年であったことは間違いありませんが、
 個人個人としてはそれぞれ異なることでしょう。


・・・

 多くの人は、年初めに誓いを立て、今年こそは良い年にしようと願います。

 しかし、押しつまってくると、後悔する、反省しきり、時には懺悔もあります。

 心鎮めて、この1年について自分に語りかける時期であるかもしれません。

 しかし、谷口実相哲学を学ぶ人は、速やかに、観の転換で、光に振り向き、
 明後日からの新たな年(癸巳)への準備を怠りなく進めたいものです。

 そして、正月元旦の新しい夜明けは、
 さわやかに、めでたさ一杯の明るい心で迎えたいものです。

 そのための晦日、大晦日という大切な時間であることをお祈り致します。

・・・・・

      *「生命の實相」第22巻聖語篇より

「実在すなわち光明。これを不可思議光と言い、如意自在と言う。
非実在すなわち暗黒、これを病と言い、不幸と言い、人生苦と言う。
闇はあるのではない。光明のないことを称して”闇”というにすぎない」 

「神は光明無限である。
明るい広きゆたかなる心のみがこの光明を透過するレンズとなる」

・・・・・

    *「光明法語」(12月30日の法語)より

光は天地間に充ち満ちておれども、その光を百%完全に見る者は聖者である。
多くの人たちはその光を一部分しか見ていないのである。

心の眼を開いて見よ。
到る処に光は充満している。

空気には神の生命がかがやいているのである。
空気を吸っていることは神の生命を吸っていることである。

水には神の愛が輝いているのである。
水を飲むことは神の愛を飲むことである。

食物には神の恵みが輝いている。
これを食することは、神の恵みを食することである。

            <感謝合掌 平成24年12月30日 頓首再拝>

大晦日の言葉 (5158)
日時:2012年12月31日 (月) 05時08分
名前:伝統

大晦日、谷口雅春先生の言葉

谷口雅春先生の365章シリーズ等から、
大晦日における、6件の言葉を掲載いたします。



【 新生のため準備整う日 】

  植物の種子と等しく人間の事業の発芽にも時間を要する。急ぐな。
                     (生命の實相第一巻)

 愈々今日で本年も終わるのである。
 終わると思うと、名残り惜しいような気もする。

 振返ってみると、どれだけ私の魂はこの一年間に進歩したことだろう。
 色々の失敗もあったであろう。色々の躓きもあったであろう。

 併しその時には魔誤ついた如く見えた失敗も躓きも、今から振り返って見ると、
 悉く私の魂の生長に必要欠くべからざる要素をなしていることを発見するのである。

 要するに、本当の意味に於て失敗と云うことはなかったのである。
 躓きと云うものはあり得ないのである。
 今から見ればすべてのものが拝まれる。

 振返って見て拝まれるだけでは尚心細いと思う。
 どんなときにも拝めるようになっていなければならない筈である。
 その時その場で拝めるようでなければならないのである。

 まだ私は、本当に拝み切っていることが出来なかったようにも反省せられもする。

 愈々今年もこれで終わるのかと思うと、今年と云うものに申し訳ない気がする。
 私自身の生命にも申し訳がないような気がする。
 誌友諸君に対してもまことに申し訳がない。

 この私を茲(ここ)まで鞭撻し、
 ここまで引摺るようにして導いて下さったのは誌友の私に対する信頼である。

 私は茲に感謝を以て本年の日記を終ろうと思う。

    <谷口雅春先生・著「光明道中記 十二月三十一日」>


【 再び新生する 】

 愈々今年もこれで終る。

 吾等は今日限り一切の悪しき習慣、人を怒ること、憎むこと、恨むこと、
 不平に思うこと、取越苦労すること、持越苦労する事を止めることを誓うのである。

 何事に対しても腹立てることなく、常に愉快に、明るく、人々の心の中に、行いの中に、
 常に善のみを見て悪を見ず、物事は今を生かして積極的に取進み、

 常に自らが神の子であり、円満完全であり、
 無限の能力と健康とを所有していることを自覚自信し、
 撓(たゆ)むことなくひるむことなく神の道を邁進せんことを誓う。

    <谷口雅春先生・著「光明法語(道の巻)」12月31日の法語>


【 過ぎし日を淨めて 】

【 過ぎし日を淨めて・信仰問答19 】

 人間の良心の中には「あがなひの法則」といふのがある。

 自分の良心にとがめることをしてゐると、一方においてその良心のとがめる行為によって
 何らかの利益を得てゐても、他方においてその「氣がとがめる行為」をつぐなうために
 何等かの不幸や災難や怪我や損失を蒙る事情の中に自分自身をもって行くのである。

 「天網恢々疎にして漏らさず」と古人が説いたのはそれである。
 天網は後天的なものではなく、先天的に自己の内に宿っている道徳的法則である。
 道徳的法則が私たちを指導しつゝ、人間の魂は向上を遂げるのである。

 年末には、一年を振返って、魂の進歩のために反省しよう。
 そして來るべき年に、心が再び過ちを繰返さないための準備をしよう。

 樂しいバランスのとれた生活、外に對して冷淡でない内心の平和、環境に對して
 恐怖や憎悪や不平なく完全に順應する生活、すべてのものを愛し、
 すべてのものに感謝し、調和する生活、そのやうな理想に向かって歩むべく、

 來るべき新年を迎えるための準備をしよう。

    <谷口雅春先生・著「女性の幸福365章」最終ページより>


【 1年中の迷信の垢を落として 】

 直截簡単に表現するならば、神と人間と云う二つのものがあるのではない。
 唯、神のみがあるのだ。その神の最高表現が人間なのである。

 「生きてゐる」と云うこと其の事が「生かされてゐる」と云う事であり、
 「今此處にあなたの内に神がある」と云うことである。

 だから希望は既に成就してゐるのである。
 それを現實にあなたが受取るか受取らないかはあなたの心ひとつにある。

 人間を、「衆生」だ、「凡夫」だ、「馬鹿野郎」だと暗示をかけ、
 「お前たちは俺が仲介(なかだち)にならないと天國淨土へ行けないぞ」
 と脅しつけるやうな惡辣な偽預言者にまどはされてはならない。

 今日は一年の終わりである。
 心の垢を落として新しい年を迎えましょう。

    <谷口雅春先生・著「希望を叶える365章」最終ページより>


【 新年を迎える心の準備 】

 あなたの心のうちに新年を迎える準備が出來てゐますか。

 今年もよく三百六十五日を無事に過ごすことが出來ましたのは神様、
 あなたのお蔭でございます。

 神に感謝致しませう。御先祖様に感謝致しませう。父母に感謝致しませう。
 夫又は妻に感謝致しませう。家庭の、又勤め先の、協力者すべてに感謝致しませう。

 みんなを心の中に思ひ浮かべて、しみじみと心の中で御禮を申しませう。

 今年一年の間に過って何か不快な思ひをさせたことがあったかも知れませんが、
 どうぞそれをお赦し下さいと念じませう。

 この感謝と懺悔とによって、
 今年一年ぢゅうにあったすべてのあなたの思ひと行いとが清められるのです。
 そして來年になすべき善き事のプログラムを定めましょう。

 では皆さん、御機嫌よう。

    <谷口雅春先生・著「幸福を招く365章」最終ページより>


【 決意の日 】

 本年最後の決意の日である。
 新しき天と地とを迎えるために潔(きよ)むべき日である。
 
 家を潔め、心を潔め、新しき花嫁の装いをした「真理(キリスト)」が釈迦が、
 その人の中に天降って来ても、その「真理(しんり)」の坐り場所がないような
 不潔なことをしておいてはならない。

 毎日の眠る前の神想観に、新しき次の日を迎えるべく、すべての人とその罪とを赦した
 と念じ、さらにその人に愛を送り祝福を送ったと同じように、今夜は眠るまえに
 いっさいの人々を赦し、

 いっさいの人々に感謝し、いっさいの事物に感謝し、感謝の念で心の中の汚れを洗い浄め、
 愛と祝福の念で、心の中を美しく装飾して、

 いつでも新しき「生命(せいめい)」の、新しき「真理(しんり)」
 の花嫁が天降って来ても招じえられるように魂の準備をして眠ろう。

 人々よ、安らかであれ。われはすべての人々に感謝する。
 よく戦ってくれた。よく働いてくれた。
 あなたたちがいてくれたのでわたしの生活が光栄あるものとなったのである。

 雷霆(らいてい)も、暴風も、山雨も、地震も、海しょう(津波)
 も、それはわたしを高めるためのものでしかなかったのである。

 われ、一切人(いっさいじん)、万事万物に感謝する。
 人々よ、平安なれ。

    <谷口雅春先生・著「生命の実相第28巻幸福篇十二月三十一日」>

            <感謝合掌 平成24年12月31日 頓首再拝>



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