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内在のキリスト (4985)
日時:2012年12月24日 (月) 04時12分
名前:伝統


今日12月24日は、キリストの降誕祭前夜(クリスマスイブ)

       街は楽しい雰囲気で包まれています。


 ..:・^:.:*☆★☆★───────────☆★☆★:゜+::..
 +^・ __| Happy ★ Christmas|__::゜*
 *゜゜\ |                 | /*^:+*
 :+::*/   ̄ ̄ ̄) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄( ̄ ̄ ̄  \+:゜:
 ゜+:  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄*:^:^゜*゜.:+:+:^:.:+^**. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄*:.:^
 。 ゜ 。*  。  。    クリスマスですね!
  ___┌┐*。  ゜  ゜ 
 /\____\ ☆  *   ° *みなさんに 
 ┃┌┐┌┐┏┫ ▲ 。        メリークリスマス♪
 ┃└┘└┘┃┃ ▲▲ * 〇
 ┗━━━━┻┛ □ 。(_)゜


 【A Merry X'mas! メリークリスマス! a Merry Christmas!】

・・・・・

自己内在のキリストを礼拝せよ

  *谷口雅春先生・著「神と偕に生きる真理365章」(P-338)より

今日はクリスマス・イヴである。

クリスマスの前夜こそ、まことに心を”神の国”に在(いま)すキリストに、
そして”自己に宿るキリスト”に心を振り向けて、
”普遍のキリスト”と”自己内在のキリスト”との一体感を深めるべき時なのである。

キリストとは固有名詞ではなく、神から遣わされて
”母”の胎内に宿ったところの”神の子”の霊なのである。

すべての人間に”神の子”の霊が宿っているのである。
それがあなた自身の「本当の自己」であるのである。

それ故に、イエスは、その模範的祈りなる「主の祈り」に於いて
「天にまします”我ら”の父よ」と神に呼びかけるように教えられたのである。

まことに「我ら」(複数に注意せよ)人類全体の父が”神”なのである。
だから我ら人類は悉く”神の子”なのであって、神の生命を宿し生れているのである。

この事を知って、このクリスマス・イヴを機会に、
自分自身に内在する”神の子”(キリスト)を礼拝し、感謝し、
神の子らしく清く正しく健やかに生活しようと断然と決意すべきであるのである。

            <感謝合掌 平成24年12月24日 頓首再拝>

伝統様♪ありがとうございます。 (5006)
日時:2012年12月24日 (月) 20時38分
名前:マリーゴールド


伝統様

merry X'masρ( ^o^)b_♪♪(~▽~@)♪♪♪

素敵なプレゼントをありがとうございます。

今まで、ただ、メリークリスマスと言っておりましたが

今年からは、相手の内在のキリストに礼拝する思いで

merry X'masρ( ^o^)b_♪♪と言わせて戴きます。

毎日、お忙しい時もあると存じますが、貴重な真理を掲載していただいて、本当にありがとうございます。感謝申し上げます。

再度、merry X'masρ( ^o^)b_♪♪(~▽~@)♪♪♪


クリスマス~”神の子”があなたに新たに降臨する日 (5019)
日時:2012年12月25日 (火) 05時06分
名前:伝統

”マリーゴールド さま” いつもありがとうございます。

”マリーゴールド さま”の「奇跡を生ずる実相哲学 下 生長の家入門講義」
 ( http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=342 )
を拝読し、谷口雅春先生が目の前において、ご講義くださっているかの感じを受けております。

本当にありがとうございます。

そして、このたびは、愛深い心温まる励ましの言葉をいただき、感激いたしております。
心よりお礼申し上げます。


・・・以下に、谷口雅春先生の”クリスマス”の言葉を続けてまいります。
  

  *谷口雅春先生・著「神と偕に生きる真理365章」(P-339)より

クリスマスに臨んで、私は諸君に宿る”神の子”を祝福し、
その健康と幸福の源泉に燃燈(ともしび)を点ぜんことを願うのである。

今日、この日”神の子”は新たにあなたの内に自覚され、あなたは新生したのである。

神はこの日あなたを祝福して
”神の子よ、われは汝に完全なる健康を送る。われは汝の健康の本源である”
と宣言したのである。

”神の子よ、われ汝に平安を送る。われは汝の平和の基(もと)である”
”神の子よ、われは汝に、なくてはならぬすべてのものを裕(ゆた)かに送る。
われは汝のあらゆる供給の本源である”

”神の子よ、われは汝のいだく希望の本源である。
それゆえにわれは汝を祝福して必ず希望を成就せしめるのである”

”神の子よ、われは汝の生活の光であり、生活を導く燈台である。
その燈台の光に照らされ汝は今より後迷うことも躓くこともなし”
と宣言したまうのである。

まさにこれこそ、真のキリストの降誕である。

しずかに坐して神想観してこれらの神の宣言のことばを、繰り返し、繰り返し、
心の内に深く強く念ずるならば、

この神が”神の子”祝福して宣言せられた言葉の通りに、

あなたは健康となり、魂は平安を得、生活は無限供給を得て裕(ゆた)かとなり、
希望は成就し、今より後迷うことも躓くこともなくなるのである。

既にキリストは諸君の中に降誕したまえり!!

            <感謝合掌 平成24年12月25日 頓首再拝>

”永遠のキリスト”われに宿ると知ること (5048)
日時:2012年12月26日 (水) 06時37分
名前:伝統


      *「人生の秘訣365章」(P307)より

私たちが本当に自由人となり、完全に解放されたる人間となるためには、人間は"神の子”であり、
”神の子”とは、まだ”神”に成り切らない小さな存在という意味ではなく、
神”そのもの”が自己に宿っていて、その神”そのもの”こそ”本当の自分”であるということを
意味するのである。

それがパウロの「最早われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり」
(「ガラテヤ書」第二章第二十節)の自覚である。

パウロだけにキリストが宿っているのではなく、すべての人間が、自己の内性を自覚するとき、
「最早われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり」の自覚を得るのである。

吾々は肉体がユダヤ人と見えたるキリストを知るだけではなく、”永遠のキリスト”
”普遍的キリスト”を知らなければならないのである。

            <感謝合掌 平成24年12月26日 頓首再拝>

『悔改め』 (5075)
日時:2012年12月27日 (木) 04時23分
名前:伝統


《ニセモノの自覚を捨てよ》

     *「光明法語」(P256)より

(十二月二十日の法語)

『悔改めよ、天国は手の届くところにある』とキリストは云った。
ニセモノの自覚を捨てなければ、ニセモノのままで、
自分は神の子だと頑張ったとて何にもならぬ。

鍍金(メッキ)は本物だと頑張っても本物にはならぬ。
鍍金を剥がして本物を出してこそ『わしは本物だ』と主張する資格があるのだ。

鍍金を剥がす方法が『悔改め』であり、懺悔である。
懺悔なしに自覚の転回は不可能である。

洗濯することなしに、垢を流し捨てることなしに『私は清潔です』と頑張って見ても駄目だ。

・・・

《自己を死に切る》

     *「光明法語」(P256)より

(十二月二十一日の法語)

『悔改め』を仏教では『懺悔』と云い、自己放棄と言い、パウロは『自己に死に切る』と言った。

一遍、肉体としての自分に死に切ったとき、霊の自分に復活(よみがえ)るのである。

自分を肉体だと思っている限りにおいて、
人間がエデンの楽園から追放せられなければならない。

自分を肉体だと思う智慧は、地(物質)に執した蛇の知恵である。
蛇は地を這う動物であり、地は物質を表徴し、物質をありとして執着する五官を『蛇』を
もってあらわし、その蛇に教えられたる知恵を「知恵の樹の果(み)」をもって表徴する。

            <感謝合掌 平成24年12月27日 頓首再拝>

新生 (5094)
日時:2012年12月28日 (金) 05時00分
名前:伝統

新たに生まれる

     *「光明法語」(P257)より

(十二月二十ニ日の法語)

知恵の樹の果を食べたときアダムとイヴとはエデンの楽園から追放せられた。
その如く人間は自分自身を五官の感覚で観て「物質」の塊だと思い出したときに
自由自在の境涯(楽園)から追放せられたのである。

「物質」は霊の自由に対する障礙であるからである。

だから吾々が真に自由自在の境涯になろうと思うならば
吾々は「新たに生れ」なければならないのである。

物質的存在としての自覚から「霊的實在」としての自覚への更正である。

これをキリストは「人あらたに生まれずば、神を見ること能わず」(「ヨハネ伝」第三章三)
と言ったのである。

・・・

キリストの復活

      *「光明法語」(P258)より

(十二月二十三日の法語)

ニコデモは新たに生れることを知らない所の、自己をいつまでも物質の塊だとして見ている
人間を代表してこう言っている──
「人はや老いぼれぬればいかで生るる事を得んや、再び母の胎に入りて生るることを得んや」と。

彼は新生することをどこまでも物資的更正であるかと考えているのである。

キリストの十字架の真の意義は「肉体」を抹殺して「霊」として復活することだったのである。
彼は「肉体なし」を説教してもわからないから、現実に肉体を十字架につけて、
復活して見せたのである。

            <感謝合掌 平成24年12月28日 頓首再拝>

自己にキリストを降誕せしめること (5125)
日時:2012年12月29日 (土) 06時50分
名前:伝統


  *谷口雅春先生・著「神と偕に生きる真理365章」(P-343)より

真のキリスト降誕祭は、自己の内にキリスト(神の子)が宿っていることを再認識する
魂の悦びを指すのである。

本当に自己の内に神の子が自覚されたならば、心に平和がみたされ、どんな試練にも
耐え忍ぶことができ、躓きと見える中からも復活があらわれて来るのである。

真の自己の内にキリストが宿っていると知ることができるならば、イエスが言ったところの
「十字架を負いてわれに従え」といわれた通りに十字架を負わなければならないのである。
という意味は、十字架は「肉体の抹殺」の象徴である。「肉体なし」と知ることである。

そして肉体を抹殺し、十字架に釘(つ)けた後に、「真の自己」なる「内在のキリスト」の
復活が行なわれ、聖パウロの如く「最早われ生くるに非ず、キリスト我にあって生くるなり」
の自覚によって人間自身の新生が行なわなければならないのである。

「最早われ生くるに非ず」は肉体我を抹殺する十字架を負うことであり、
「キリスト我にあって生くるなり」は真我の復活であるのである。

            <感謝合掌 平成24年12月29日 頓首再拝>

あなたの実相は”無原罪の受胎”である (5146)
日時:2012年12月30日 (日) 06時45分
名前:伝統

  *谷口雅春先生・著「神と偕に生きる真理365章」(P-343)より

今あなたは自己に宿る”神の子”を自覚したのである。
”神の子”は”既に贖(あがな)われたる者”であり、”無原罪の受胎”である。

土の塵によって造られたるアダムがあなたの祖先ではないのである。
エロヒムの神があなたの生みの親であり、”光の神”があなたの真の父なのである。

あなたは”光の子”であるから、あなたの住む処、行く処、向かう処、
悉く明るくして暗い影はないのである。

すべての過去の罪はあなたの心の中に描かれたる妄想の影であるから、心の中に真理の光が
射し来(きた)ると共に消えてしまったのである。

あなたは本来”神の子”であるから、実相に於いて未だ嘗て罪を犯したことは
なかったのであり、これからもまた罪を犯すことはないのである。

罪は”包み”であり、本来の”光の姿”に対して”心の瞼(まぶた)”を垂れ”包み”て、
光を見なかった状態である。

ひとたび”心の瞼”をひらいて、人間自身の実相を堂々と露呈するとき、
”包みの状態”即ち”罪”はもう何処(どこ)にもなく、
光ばかりの”神の子”の実相があらわれるのである。

            <感謝合掌 平成24年12月30日 頓首再拝>

全ての把住を放ち去る日 (5159)
日時:2012年12月31日 (月) 05時09分
名前:伝統


  *谷口雅春先生・著「神と偕に生きる真理365章」(P-344)より

 愈々「汝の持てる全ての物を売りてこれを貧しき者に施せ、而して汝の十字架を負いて
 我に随え」というイエスの教えを今日こそは実行すべき、今年最後の日であるのである。

 「汝の持てる全てのものを売れ」というのは、
 単なる物質の所有財産を売れということではないのである。

 唯物論的な人間観、「物質は実在する」という人類一般の常識、少しばかりの学的知識を
 もっていることを鼻にかけた高慢な心、金銭さえ貯めて置けば何でも此世の事は自由になる
 などという拝金宗、

 このような「心の中に持っている全ての塵埃(ごもく)」
 を悉く心の中から棄て去って「無」にまで施すということである。
 (注・「貧しき者」とは「無」の象徴である)

 こうして一切の迷い、迷いの根源たる唯物論的”存在観”を「無」にまで還元して、
 十字架にかかって”肉体”を無にまで抹殺したときに、Cross(クロス)は
 十字架であり、×は抹殺であり、同時に+(プラス)であり、復活であり、

 「真の自己」なる霊的”神の子”が復活するのである。

 この事をイエスは自己の生涯に事実をもって証明されたのである。

 さらば読者諸賢よ、この一年の最後の日に、一切の過去を棄て、心の中につかんでいた
 唯物論的な一切を悉く棄て去り、霊的に生まれ変わって、
 新たなる”神の子”としての生涯を、來るべき年を迎える心の準備をせられよ。

 來るべき新年はこの自覚により新生せる輝かしき年であることを
 諸賢と共に信ずるのである。

 今年一年中多くの愛語・愛念を送られた読者諸賢に深甚の感謝の意を表します。 

            <感謝合掌 平成24年12月31日 頓首再拝>



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