【広告】楽天市場からブラックフライデーセール11月21日から開催予定

 

光明掲示板・第一

 

本流宣言掲示板光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三」「光明掲示板・伝統・第一」「光明掲示板・伝統・第二」「谷口雅春先生に帰りましょう・第一」「谷口雅春先生に帰りましょう・第二

ご投稿は「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」へ

重要リンク集
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。 なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。 「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、 自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、 自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、 当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。
トップページ/Página de topo/Top page

 


「原宿本部会館」の落慶と「森の中のオフィス」のそれとではこんなにも違う! (9947)
日時:2013年07月19日 (金) 13時22分
名前:「靖国見真会」参加者


「森の中のオフィス」の落慶式典と「国際教修会」とを一緒に開催したら良かったのにと思った一番の理由を申し上げます。

昭和29年3月1日、「原宿本部会館」の捧堂式典が行われた際、それを記念して「記念講習会」が開催されていたということを知ったからであります。

その一部始終は、『生長の家』誌昭和29年5月号に掲載されています(「生長の家教団本部竣工 捧堂式典参列記 立教二十五周年記念祭」)。

ここにも、歴史に学ぼうとしない〝雅宣教・八ヶ岳教団〟の悲しい実態があるように思えてなりません。

ご参考のために、「原宿本部会館」の捧堂式典の内容、そしてそれに続く行事についてご紹介させていただきます。

>先ず全員起立して「君が代」の合唱。徳久克己理事の司会によって祭司亀井普及協会理事の招神歌。つづいて和服姿の教祖先生(註 谷口雅春先生)が立たれて、舞台背面にはめこまれた『實相』の額の前へすすまれ祝詞奏上。一同の瞑目合掌の中に、生長の家大神に対してこの会館を捧げる捧堂の御儀を報告申し上げ、人類光明化への誓いを言上される。
 ついで教主先生(註 谷口清超先生)の低いながらも力強い『いのちのゆにはの神示』の読誦。終ってかすかなピアノの音の流れの中に聖歌隊による『甘露の法雨』の読誦。その間に教祖先生教主先生御一家をはじめ、各理事役職員の厳かな玉串奉奠があって、再び祭司の「大調和の歌」。これで捧堂報告の御儀は終わり、聖歌隊の「いのち柱の歌」の合唱につれて『實相』の額が閉ざされる。<

読まれて如何ですか?

谷口雅宣総裁が嫌う「神道」による式典、そのものではありませんか!

国歌「君が代」斉唱あり、「祝詞」奏上あり、「神示」の拝読あり、聖経「甘露の法雨」の読誦あり…。

これであってこそ「生長の家本部」の落慶式典ですよ!

圧巻は、「原宿本部会館」の設計を担われた東大教授、岸田日出刀博士のご挨拶であります。

その時の内容を、先の記事はこう記しています。

>建物の設計はその規模によって難しくなるが、この会館はその大いさは勿論、不規則な敷地の形、土地の傾斜の具合等から様々な困難があり、殊にそれ以上に、「生長の家を容れるうつわ」として大変な苦心を重ねたという。既成宗教においてならば過去から引きつがれた夫々の建築の伝統と型とがある。併し万教帰一の大理念をもつこの生長の家本部という場合、それらの既成の型に従ってはならないし、単なる教会建築や社寺建築になってはならない。岸田博士の苦心は主にこの点に注がれた。併し結局は谷口先生の御考えを唯無心に受入れて、それを建築技術的にまとめるという態度で全ての事にあたったのだと云う。--岸田博士が他で人に語った所によると、再度の設計がえ、建増等においても、谷口先生の御考えは、一々建築学的に星にあたっていて、一事に秀でる人は万事に秀でるという古諺を、さてもと思わしめたというのである。<

ここから分かることは、確かに「原宿本部会館」の設計者は岸田博士でありますが、その理念、アイディアの本源は谷口雅春先生であったということなのです。

現に、岸田博士はこう語っておられます。

「本会館の設計に当たってわたくしはひたすら、谷口先生のお考えなり御希望を、建築家として具合よく技術的にまとめ上げさせて頂くという心組みでやってまいりました。正面中央の円い光明の塔や、その他すべて本会館が『生長の家』の中心として光り輝くような計画はみな谷口先生のすぐれた御構想でありまして、わたくしはただそれを建築的にどうすればよりよく表現できるかに苦心しただけであります」。

そうであれば、何としても、「原宿本部会館」は、歴史的記念物として後世に遺すというのが本来のあるべき姿ではないでしょうか?

この点においても、会館の解体を既に宣言している〝雅宣教・八ヶ岳教団〟は、「忘恩の徒」との誹りを免れ得ないと確信するものであります。

更に、注目されるべきは、この「本部会館」に込められた谷口雅春先生の御思いであります。

谷口雅春先生はこの日のご挨拶でこう述べられたと先の記事は言います。

>先生は生長の家の発祥当初の理念に思いをはせられ、それが文部省によって宗教とみとめられるに至って現在のような教団が出来上がったいきさつ。従ってこの会館は参拝するための神殿ではなく、人類光明化運動の運動本部であり、神示された『見真道場』が立教二十五周年にして今此処に完成したのであることを示されて、かかる立派な道場を神に捧げ得るに至った現在までの誌友の協力を謝するとともに、今後人類光明化運動のより一層の展開のために、この会館を皆で充分に活用して頂きたい<

谷口雅春先生は、あくまでも「本部会館」を「人類光明化運動の運動本部」として、更に加えて「神示された『見真道場』」として位置づけておられたのです。

方や、「森の中のオフィス」はどうでしょうか。

地元において何の布教伝道も為し得ない、文字通り「オフィス」の機能しか持ち得てはいないのです。

何と言う違いでありましょうか。

これでは、〝雅宣教・八ヶ岳教団〟は、「人類光明化運動」の大いなる志を失ったと言われても何の抗弁もできないでありましょう。

前者と後者との違いは、まだまだあります。

この式典の最後はどうであったか?

>最後に全員起立して中嶋與一教団總持の発声のもとに、「天皇陛下万歳」「生長の家万歳」の三唱を行った。<

やはり、「生長の家」であれば「天皇陛下万歳」は欠かせませんよね。

今や、〝雅宣教・八ヶ岳教団〟では、一切、これがなくなってしまいました…嗚呼。

これは信仰の中心が変わった事の何よりの証左といわざるを得ません。

更に、記事は続きます。

>捧堂式典は、この三月一日の捧堂式を頂点として、二月二十八日の前日祭から三月七日の白鳩大会にいたる八日間、記念講習会、及び…奉納演芸等、延べ一万人以上の参会者を得て大規模にくりひろげられたのであるが、ここで重大なのは、この式典の意義が…教祖・教主両先生と全信徒を一丸とした人類光明化運動展開の悲願を象徴する一つの誓いの行事であり、この全信徒の誓いを神の前に報告するという神聖な式典であったということである。<

読まれて如何でしたか?

何から何まで違う。

はっきり言って、これが同じ「生長の家」?

まるで別の宗教団体になってしまったのではないのか、という印象を持たれた方も多いのではないでしょうか。

59年前にこの「捧堂式」を見届けた「ご神像」は、〝雅宣教・八ヶ岳教団〟のこの度の落慶式典をどのように見届けたのでありましょうか?

「ご神像」の悲しい表情がその全てを物語っているような気がしてなりません。




名前
メールアドレス
スレッド名
本文
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場からブラックフライデーセール11月21日から開催予定
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板