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谷口雅春先生のお話 ⑯ 聖経『甘露の法雨』の由来 (83)
日時:2012年08月04日 (土) 22時34分
名前:龍

       聖経『甘露の法雨』の由来


『甘露の法雨』は、生長の家発祥当時、しきりに霊観的に私の脳裏にひらめいて来たのを書きつづった自由詩の一つであった。

 その頃出て来た私の自由詩は全部『生命の實相』の"聖詩扁"に収められているが、別に『ひかりの語録』という携帯型の袖珍本に、やはり霊感的短箴言の輯録である"智慧の言葉"と共に収められているのである。

 これは私がまだ東京へ出ない前の数年間、ただ一般に"生長の家の歌"又は"自由詩"として取り扱われていたのであるが、

 私が東京へ移転してから後であるが、京都電燈社長の石川芳次郎氏の外舅(しゅうと)工学博士小木虎次郎氏が、その自由詩の中の一編『甘露の法雨』を読誦すると、医界難治の奇病・難病が治癒することがあり、霊界の祖先の霊が救われると見えるような奇瑞(きずい)が縷々(るる)あるので、

 それを単に"詩"として詩集の中にのみ収めておいては功徳を知らない人が多いから、ハッキリとこれは聖経であると明示して、折り本型の経本として発行すれば、功徳を受ける人が多いであろうと、生長の家京都教化部で経本式折本として発行されたのであった。

 折本の紫色の表紙には単に「聖経」という表題が貼りつけてあり、経本の本文を印刷した紙は、尾本輝三(おもとてるぞう)氏のお世話で福井県若狭ですいた純粋の和紙で作られたものであった。

 果たせるかな、それが経本になって頒布されると、陸続として功徳を受ける人々が殺到して、それを携帯するだけで、交通事故に遭いながら微傷も負わなかった人が出て来たりしたのであった。
 
 京都の教化部では、これは京都で独占すべきものではないと、その出版権を本部に返還されたのであった。
 どうして『甘露の法雨』にこのような偉大な功徳が生ずるのであろうか。

 私は、それをただ霊感で試作するときに、ふと感じてその詩の題を『甘露の法雨』としたに過ぎないのであって、

 別に『法華経』の観世音菩薩の普門の功徳を説いた"普門品"に関連して詩の題を『甘露の法雨』と題したのでもなかったし、

 観世音菩薩が教えの本尊として、門脇観次郎氏の霊眼に見(あらわ)れるなどということも全然予想もしなかった。

 ところが私の著書や執筆の雑誌を読んで、功徳を得た人にあらわれる色々の霊顕や現象が、次第に観世音菩薩が生長の家の本尊であり、

 その観世音菩薩が、『法華経』の"普門品第二十五"にある通り、「甘露の法雨を澍(そそ)ぎ給うて煩悩の炎を滅除(めつじょ)し給う」のであることを証明するようになったのである。

 聖経『甘露の法雨』の功徳はそれをお説きになった観世音菩薩の妙智力と引き離して考えてはならないのである。

         (以上転載)


※ 雅宣総裁が新しくご自分で書かれたという経文との大きな違いを思います。



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