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光明掲示板・第三

 

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先祖供養 (511)
日時:2014年09月20日 (土) 04時51分
名前:伝統

今日は、秋の彼岸の入りです。
今年の秋の彼岸は、9月20日から9月26日の7日間。

「お彼岸にお墓参り」という文化は、仏教徒が多い他の国と比べても
日本だけの独特の風習です。

この期間に、お墓参りをして、
ご先祖さまに日頃のお守り・導きに感謝の念を捧げることは
日本の素晴らしい行事です。

・・・

秋の彼岸に合わせ、コンビニやスーパーのお惣菜コーナーの目立つところには
「おはぎ」が並べられていますが、草かんむりに秋と書く萩は、その名のとおり
秋を代表する花の一つで、秋の七草の筆頭にも数えられています。 

秋の七草は「萩(はぎ)尾花(おばな)桔梗(ききょう)撫子(なでしこ)
女郎花(おみなえし)藤袴(ふじばかま)葛(くず)」で、

古くは万葉集にある山上憶良の歌(下記)に由来します。


『 秋の野に 咲きたる花を 指折りかき数ふれば 七種(ななくさ)の花

     萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花 』


*『ぼたもち』と『おはぎ』の違い
  → http://www.rcc.ricoh-japan.co.jp/rcc/breaktime/untiku/100907.html


・・・

(以下は、先祖供養について)


「真理の言葉による供養の意義」

       *『生命の實相』第28巻久遠佛性篇下(P71~73)より


(1)われわれが霊界に行きましても、
   この世で生活が下手な人は霊界でも生活が下手である。
   霊界で病気をしている霊魂もあれば、悩んでいる霊魂もある。

   ですからわれわれ自身または他の霊界における生活状態というものを
   良くしようと思うと、

   やはりどんなカンパス(画布)の上に描いても、
   いい絵が描けるようにしておかなくちゃならない。

   われわれは「現世」とか「来世」とかいうカンバスに何で絵を描くかというと、
   念波で絵を描くのであります。

   念波という絵具をもって絵を描くのでありますから、
   その念波を善くし、またよくしてあげることが必要であるのであります。

(2)最もよい念波は何であるかと申しますと、 悟りの念波、真理の念波なのであります。

   この真理の念波を人に与えるということ、
   これが仏教でいう法施というものでありまして、最も尊いほどこしであります。

   われわれが人に物を施すのは、 物施といって物を施すのと、
   それから法施といって悟りの念波を施すのとがありますが、
   真理の念波を施すということが本当の最も根本的な供養になるのであります。

(3)霊界は念の世界であって霊魂たちというものは何を食物として
   生きているかというと、念を食物して生きているのです。

   善念は最も霊魂を生長せしめる滋養物となるし、
   悪念は霊魂を低下せしむる害物となるわけであります。

(4)ことに、われわれが真理の念波を放送して、真理の念波を相手方の霊魂に
   吸収させてあげるということは霊魂には絶大な供養になる。

   それですから、「甘露の法雨」のようなお経でも、「生命の實相」でも、
   また真理が書いてあるものなら、佛耶の経典でもよろしいのです。

   それを祖先の霊魂に、意味がわかって読んで誦げるということは大変よろしい。
   最高の救いは、やはり真理のお経を意味が本当に分かって読むに限るのです。

   そうしますとそのお経を捧げられる相手方の霊魂は非常に心が富み、
   心が満腹し、生命が生長するということになるのです。


<関連Web>


(1)「光明掲示板・第一」スレッド「先祖供養 (125)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=63  

(2)「光明掲示板・第二」スレッド「先祖供養 (96)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=45

             <感謝合掌 平成26年9月20日 頓首再拝>

墓参と家運の話 (529)
日時:2014年09月21日 (日) 04時53分
名前:伝統

墓参の功徳については、光明掲示板・第二においても紹介しておりますが、
今回は、橋本徹馬師による著書からのお話を紹介いたします。


       *「墓参と家運の話」橋本徹馬・著(序文)より

  人は皆、幸福を求めているが、然し実際幸福を得ている人は少ない。

  それは幸福を求める道を知らぬからである。
  幸福への道を簡単にいうと、


(1)親に孝行すること。

   どんな親でも不幸をすると必ず不幸を招くが、それを知らぬ人が多い。
   その親は自分が選んだ親であるから、親が気に入らぬからとて、不満を持ったり、
   怒ったりしてすむことではないのである。


(2)先祖の墓参や仏壇での供養をよくすること。

   木に例えれば親先祖は根であり、当主は幹である。子孫は枝葉である。
   根を大切にせねば、幹も枝葉も栄えぬ道理であろう。

   この分かりきったことを気づかずに、墓参や供養を怠る者がある。
   それで栄えようとするのは無理である。


(3)子供を墓参に度々連れていくこと。

   誰でもわが子が良い子に育つことを望むが、そのための一番大事なことは、
   親がその親に孝行するさまを子に見せておくこと
    (殊更に見せるのではないが)。

   並びに墓参に連れていくことである。
   親が墓参をして子にも拝ませ、その家の先祖のことを何かと墓前で語り聞かせる。

   そうするうちに子供心に家系の尊いこと、家名の重んずべきことなどが、
   子供の身に沁みて分かってくる。

   あの爆弾テロの連中やゲバ学生などの多くは、
   墓参に連れていかれたことのない人たちである。
   あの人たちは家系とか家名とかいわれても、何のことだか分からない。

   あのような子を持って苦しむ親は、自分たちの不行届を反省すべきである。


(4)次にはその親たる者が平素欲張らずに、人のため人のためと考えて世に立つ。

   そうして私たちの親は正しいという感を、子供に植えつけておくことである。
   それが子供の親に対する心からなる尊敬心ともなり、
   従って子供が世に立つうえにおいても、正しい指針となる。

   つまり晩年の親は、正しいわが子の成長ぶりを喜ぶことができるのである。


(5)神仏はもちろん親先祖や自然にも常に感謝の心を持つことである。

   その感謝のうちにこそ、こちらの心が神仏に通じ、神仏の加護がうけられるのである。

   墓参の大事なことを知る人なら、これらのことは皆よく分かるはずである。

             <感謝合掌 平成26年9月21日 頓首再拝>

《墓参は、繁栄につながる》 (548)
日時:2014年09月22日 (月) 04時11分
名前:伝統

          *「繁栄の書」橋本徹馬・著(P113)より

(1)墓石は生きている。墓石は家運を現わす。

(2)長く墓参せぬ家の墓場は、甚だしく淋しげである。
   家運の衰えていることを示している。

(3)墓石が傾いているのは、家運が傾いている証拠である。
   すぐに直すべきである。

(4)私方の子は勉強する気はあるのですが、成績が悪くて困っています、と歎く人は、
   親が墓参を怠り、子をも墓参に伴わぬ家庭である。

(5)親の生前に不孝であった者が、子を持って後に親の恩が分かり墓参をして歎く。
   
   「さればとて石に布団も着せられず」

(6)【 清めして香華を手向けおろがめば はえあるさまに見ゆる墓かな 】

(7)家運の不振や子供の成績不良を歎く人に、
   「墓参をよくしていますか」と聞くと
   「お盆とお彼岸にはお参りしていますが」と答える人が多い。

   両親の命日にも墓参せぬ人は、信心家ではない。

(8)何分お墓が遠いものですからという人がよくある。
   それは言いわけにはならない。

   遠くて困れば近くに墓地を持つべきである。

(9)遠方の墓地にお参りして、損をすることは絶対にない。

             <感謝合掌 平成26年9月22日 頓首再拝>

秋季皇霊祭 (570)
日時:2014年09月23日 (火) 04時47分
名前:伝統

今日(23日)は「秋分の日」で「彼岸の中日」。

秋分の日は「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として
1948年に法律で制定されました。

以前は、秋季皇霊祭とよばれていました。

今日は、それぞれ個々の祖先及び日本国の皇祖皇霊を敬う日です。


・・・

《お彼岸はご先祖さまとつながる日》

先祖供養が昔からの習わしとして、自然なかたちで継続して行うことができる民族は、
日本人しかいないようです。

これが日本人の世界に類を見ない、反乱や暴動を起さない国民性や、
災害時に我がごとのように助け合える思いやりの源であり、
国土の清浄さが保たれている理由であるとも言われております。

日本人は、縄文の昔から自然に対して畏怖畏敬の念をもって向かい合い、
村人全員で豊作の祈りや豊作の祝いのための祭り(祀り)を行ってきました。

その祭りは、まさに春分の日・秋分の日ごろであることも偶然ではなく、
祖霊崇拝の観点からも昼夜のバランスのとれた期間は大事なときなのかもしれません。


縄文神道(古神道)では、人の死も、生きとし生けるものの自然な循環として、
祖霊崇拝の中で、死を必要以上に痛むことなく、丁寧に扱われてきました。

それが、小乗仏教が民衆宗教として大乗仏教化していく中で、
人の死を先祖供養として取り込み、日本的な成長を遂げたのです。

祖霊崇拝の伝統があったからこその、日本的習俗としての定着です。

 
ただし、仏教が教団として組織化され、葬式仏教と言われるように葬儀を取り仕切ることが
大きな収入源となるになるに及んで、葬祭会社が隆盛となり、ますます先祖供養と言うものが
儀式化してしまったようです。


わたしたちは、誰しも両親あって、この世に産み出されました。
その両親にも父母がいて、祖先から延々とこのいのちが受け継がれてきました。

そのうちの一人欠けても、この自分は存在しないのです。

自分の家系のいのちの連鎖を思うと、
ご先祖さまへの感謝と供養は、当たり前の行為として行うことができます。

さらにいのちの根源へと遡れば、まさに神仏の存在に行き着いてしまいます。

ご先祖さまとつながり易い彼岸という今を生かしましょう。

様々なお蔭があっての今です。


・・・


皇居では、今日秋分の日に、秋季皇霊祭・秋季神殿祭が行なわれます。

(1)秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい) ~秋分の日に皇霊殿で行われるご先祖祭

(2)秋季神殿祭(しゅうきしんでんさい)~秋分の日に神殿で行われる神恩感謝の祭典

   *平成25年9月 秋季皇霊祭の儀・秋季神殿祭の儀(皇霊殿・神殿)のお写真
    → http://www.kunaicho.go.jp/activity/gokinkyo/01/h25-1223-sanju4.html#shuki

・・・


皇室および一家の祖先を礼拝せよ

        *『生命の實相』第28巻(久遠佛性篇下)P65~66より)

【われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遥拝し奉り、
 次いで一家の祖先の霊魂または仏壇の前に坐してその冥福と守護を祈願し、
 かつ自己の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す】


皇霊を礼拝するということ虚礼ではありません。

われわれ日本人は日本国の歴史を通して「今」の一点に生きているのです。

そしていろいろの日本国の興隆浮沈はあったにしても、どんなときにも日本国が動揺せずに、
ここまで日本民族が発展してきました不倒翁の重心のごとくドッシリとして、その中心から
どんな時にも日本国が立直ることができた重心は天皇がましましたからであります。

われわれは歴代の天皇の御恩沢を忘れてはならない。
恩を知るということが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。

だからわれわれは歴代の皇霊に対して崇敬の誠を献げるのであります。


             <感謝合掌 平成26年9月23日 頓首再拝>

墓参にまつわる不思議な話~その1 (594)
日時:2014年09月24日 (水) 04時44分
名前:伝統

《結婚話が纏まり難い時の墓参》

          *「繁栄の書」橋本徹馬・著(P108~109)より

ある男女が相思の仲にあり、一方の両親は賛成するが、他方の父親が反対している。

その時、何かその反対する父親を納得させて、夫婦になれる方法がないでしょうかと
聞かれた時に、それには良い方法がある。あなたは相手方の家の墓がどこになるか調べ、
その墓に日参して、その家の御先祖によくお願いしなさい。

「私を嫁にして下さるならば、必ず主人や御先祖を大切にし、墓参もよくして、
子孫が繁栄するように努力します。だからどうか私が嫁になれるようお力添えください、
と祈念するのです。そうすればキッと親御さんも、承知されるようになります」

と答え、その女の人がその通りにお墓参りをして努力したところ、
反対していた父親の態度が変わって、結婚が出来たという話。

こういう実例がいくつもあります。

             <感謝合掌 平成26年9月24日 頓首再拝>

祖先・一家・自分自身を済うのが「生長の家」 (973)
日時:2014年10月11日 (土) 05時03分
名前:伝統

       **『生命の實相』第28巻久遠佛性篇下(P78)より

(「生長の家」は)他の宗教を生かし、
祖先の信奉しておったところの宗教を生かすことによって、
まず第一祖先と和解するのであります。

祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、
―― ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、
生命(せいめい)を与え、祖先を済(すく)い

そうして一家を光明化し自分自身をも済(すく)うというのが
「生長の家」であります。

             <感謝合掌 平成26年10月11日 頓首再拝>

霊魂は真理の言葉を摂取して向上する (1209)
日時:2014年10月20日 (月) 06時15分
名前:伝統

         *『生長の家』誌(S.46年11月号)より

立てるべきものを立てないと脚の故障を招くことが出て来るのである。
或は子供の脚が立たなかったり、夫婦のどちらかの脚に故障がおきたりする。
人生は心の象徴劇であり、肉体は“心の象徴(かげ)”であるからである。

祖先は子孫が立てるべきものであり、祖先の霊を尊敬し、それをよくお祀りして、
毎日、感謝のために聖経『甘露の法雨』と『真理の吟唱』を順次一章づつ、
霊前で読誦するがよい。

霊魂は物質的食物は食べないけれども、”真理”の言葉を摂取吸収して霊魂が向上し、
解脱し、自由自在を得るのであるから、真理の言葉を霊前に読誦することは、
本当に祖先及び霊界の父母その他縁者の霊魂に対する功徳になるのである。

祖霊に対して聖経を読むときには、ただ尊敬と感謝の念をもって

『今まで色々と子孫が受けて来た密れたる御恩、陽なる御恩に対して唯感謝のために、
この真理の御経を霊界に対して放送しますから、どうぞお受取下さいませ』

と誦えて、ただ”感謝の念”をもって読誦するがよいのである。

        (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24018065.html

             <感謝合掌 平成26年10月20日 頓首再拝>

ハロウィン (1397)
日時:2014年10月31日 (金) 03時47分
名前:伝統

今日10月31日はハロウィン(聖霊節)。


ハロウィンはもともとケルト人の先祖供養と収穫感謝の儀式でした。

ケルト人の宗教観は日本人のと似たところが多く、
正月には祖霊や神々が家に帰ってくると考えてました。

祖霊が帰ってくるときに家を間違えないようにかぶを刳り貫いた提灯をつくります。

この辺は日本のお盆と似ています。

現在のかぼちゃの提灯はハロウィンがアメリカに渡った時に
アメリカにはかぶが無かったためといわれています。

祖霊を迎えいれた後にはカマドに新しい火をおこします。

この日は祖霊だけでなく、さまざまな神様も冥界をでます。
家々に招きいれられない悪い神々(魔物、魔女、悪魔など)が
街角をうろついていると考えました。

そのために、この日に外出するにはマントで身を包み、面で顔を隠したのです。
それが今のハロウィンの仮装や衣裳です。


日本では、商業ベースでの行事になっておりますが、もともとは先祖供養ですので、
ハロウィンの今日は、ご先祖様への感謝の想いを込めて楽しむことが大切です。

・・・

《祖先に感謝する》

      *谷口清超先生・著「輝く日々のために」(P178)より

毎年美しく咲いていた八重桜が、今年は花の数が少ない。
しかも咲いたと思ったら、間もなくしおれた。

おかしいと思い、樹木やさんに調べてもらうと、根に蟻が一杯住みついて、
根の養分を「ありがとうございます」と吸いとっていた。
樹木にとって、根ほど大切なものはない。

人間にとっても同じように根が大切だ。
人間の根は、われわれの祖先である。

多くの人は、この根を忘れて、枝葉ばかりを栄えさせようとする。
けれどもこれでは、一時パッと花が咲いても、やがて枯れしぼんでしまうのである。


             <感謝合掌 平成26年10月31日 頓首再拝>

報恩行としての先祖供養 (1650)
日時:2014年11月12日 (水) 04時14分
名前:伝統

            *『女の浄土』(P123)より

更に聖経『甘露の法雨』を祖先霊の供養のためにいうことは、
祖先から受けた恩恵に対する報恩行事であるのである。

受けた恩恵を返さないことは、”天の倉”に於ける借金であるから、
その借金を聖経読誦によって、”真理の言葉”を供養して返す事になるのである。

何故(なぜ)なら、既にこの世を去って”霊魂”になっている祖先にとっては、
金銭は”用なし”であり、物質的食物もお喫(あが)喋りにはならないのであるから、
金銭や食物のような物質的なもので報恩することはできないのである。

しかし霊魂は”真理”を知る程度に随って向上し、一層霊界に於て自由を得るのである。

聖経というものは仏教のお経でも生長の家の『甘露の法雨』でも”真理”が説かれている
のであるから、祖先霊に対して聖経を読誦するとき、霊魂はそれを受けとって歓喜し向上するに
従って神通力を増し、それも子孫が自分を憶(おも)い出して聖経を読誦してくれたお陰であると
感謝して、今度は、祖先がその神通力によって、子孫を護ってくれることになるのである。

このような色々の事情が交錯して聖経読誦が運命好轉の原因となるのである。

小山壽子さんが僅か四ケ月間祖先に”聖経読誦”を供養して、望み通りの家が得られたのは、
祖先霊の加護と導きとがあったに相違ないのである。

吾々は祖先霊の加護と導きとを通さないで、大いなる事は成就し得ないものである。

・・・

上記の谷口雅春先生の言葉は、『女の浄土』第6章「幸福を完うする秘密」における
(P115~123)「祖先の霊に”聖経読誦”により真理を与えること」内のご文章です。

祖先への報恩としての先祖供養の必要性が、小山壽子さんの体験談を紹介しながら、
説かれております。

詳細は、谷口雅春先生の著『女の浄土』もしくは、「光明掲示板・第一~先祖供養 (125)」内
の子記事「祖先の霊に”聖経読誦”により真理を与えること (10032)」「(体験録) (10033)」
「(体験録への解説~谷口雅春先生) (10034)」にて、ご確認ください。
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=63

             <感謝合掌 平成26年11月12日 頓首再拝>

「霊媒現象と健康への影響」 (1915)
日時:2014年11月23日 (日) 03時36分
名前:伝統

           * 「霊供養入門」(P31~32)より

かって岐阜の藤井速水さんが生長の家に入信直後、自分の過去の経歴を話されたことがある。

その時の話で今思い出すのは、速水さんは株式界で「シテ」と言われて、
新聞の株式欄に出ているほどの人であった。

速水さんが買えば必ず株はあがる。速水さんが売れば必ず下がる。

それには、ある稲荷の霊がその売買を指導していたのであった。
速水さんのお宅に伏見稲荷がお祀りしてあって毎朝家族一同がその前で礼拝していた。

ところがある日礼拝していると、
息子の一人が稲荷の社の上に一匹の白狐がいるのが見えるというのである。

そこで、速水さんは、その子供に「その白狐さんとお前話ができるか」というと
「話してみる」というのである。

「それでは、明日のXXという株式は上がるか、下がるか。
上がるならいくらまで上がるかきいてみてくれ」

と子供に言うと、
その子供が稲荷の霊にきいて株式値段の予告をしてくれることになったのである。

速水さんは株式値段を先取りして売買するのだから
百発百中するのは無理はないわけである。

これはその子供が霊媒的体質があり、その子供の半物質的霊的体質媒質を
白狐の霊が利用して霊的通信をしてくれたのであって、

それは子供の体質の霊媒的素質がゆたかだったからであって、
子供の霊魂の高下や霊的修行が足りていたとかいうことには関係ないのである。

 
ところが、ある日、その速水さんの子供の受け持ちの先生から、
「保護者殿」と封筒に書いた手紙が届いたのであった。

披いてみると、それには

「昨日、生徒たちの体格検査があったのだが、あなたの息子さんは非常に痩せて
肋骨が露出していて、衰弱度がひどいようで、近頃、教室でも疲れた様子で
眠ってばかりいるようだから、どうぞ息子さんの健康に気をつけてあげて下さい」

という意味のことが書いてあった。それを読んだ速水さんは、

 「これは息子を霊媒として使っているからだ」

と気がついて、もう息子から稲荷の霊告をきくことを止められたのだった。

それから息子さんの健康は恢復したのである。

             <感謝合掌 平成26年11月23日 頓首再拝>

祖先供養について (2153)
日時:2014年12月05日 (金) 03時31分
名前:伝統

         *「人間無病の原理」(P173~175)より

生長の家の神示には
「神に感謝しても父母に感謝し得ないものは神の心にかなわぬ」と示されている。

”父母”とある中には父母のそのまた父母である祖先の霊をも含むのである。

吾々が、ここに神の生を享(う)けて地上に出現し得ているのは ”諸々の祖先”を
含む父母を通してであるから、祖先及び「父母に感謝せぬものは神の心にかなわぬ」
と神が示し給うているのは当然のことである。

多くの心霊治療家がその力の限界を暴露し、精神集注によって念じても、祈っても、
神想観してすらも病気が治らないことがあるのは、祖先及び父母に対する感謝行が
足りないのである。

ここに霊界にい給う祖先霊に対して報恩感謝のための供養をすることが必要なのである。

祖先供養とは祖先の霊魂を招霊し、感謝の法要的儀式をして真理のお経(生長の家では
聖経『甘露の法雨』)を子孫の者又は同信の多数者によって朗読し、その経文に書かれて
ある「真理」を多数者のコトバの力によって祖先霊に念送するのである。

肉体死後の霊魂は物質的食物を食さないけれども、真理の念送によって、真理を一層
深く悟り、霊界に於いて一層の自由を得、神通力を発揮して子孫の報恩行事によって
歓喜満足し、子孫の幸福に手を貸し、子孫が”実相の円満さ”を現象界に引き出し易い
ようにしてくれるのである。

それによって今まで、如何に手をつくしても治らなかった重症も、祖先供養によって
治った実例が出てくることになるのである。


(「人間無病の原理」において、谷口雅春先生は、1973年8月12日盛岡での
 講習会において体験発表された方の体験録を紹介しております。
 内容としては、孫の重症の脳腫瘍が、墓参と祖先供養によって癒やされたという
 ものです。詳細ついては、同書P175~180にてご確認ください)


             <感謝合掌 平成26年12月5日 頓首再拝>

《祖先霊を祀ること》 (2345)
日時:2014年12月15日 (月) 03時44分
名前:伝統

            *『人生を支配する先祖供養』(P11~13)より

《幽界と現実界との境》

ここで私は、こんな素晴らしい霊魂もあるのだということを
『生命の實相』第十巻・霊界篇にある高級霊からその子に寄越した“霊界通信”の
一節を諸君に紹介したいと思うのである。

 
この高級霊は其の子に向かって、

「お前はわたしの語ろうとするところの真義を捉(とら)え得るであろうかね。
この真義をすべての人類が捉え得たならば、全世界は相(すがた)を変えてしまう
ということがお前には解るだろうか・・・」 と言っているのである。

そんなに重大な真理がこの霊界通信には盛り込まれているのである。
彼(父の霊魂)はその子の手を借りて、自動書記現象によって次の如く
自分自身の臨終を書くのである。――

「わたしは、街路で突然病気に襲われて病床に運ばれて、そしてそこで死んだのだった。
家族のうちでお前だけが、父の意識の最後の残りが、微(かす)かに漂っている
臨終に間に合って来てくれたのだった。

愛するわが児よ。私はお前を感じたよ。お前というものが、わたしの最後に浮かんだ
『念』だったのだ。お前は私の手が力なくお前の方へ垂れ下がったのを思い出すであろう。

それはわたしの現実界における最後の運動であり、最後の力であった。
そしてわたしは現実界から没し去って死んだのだ」

(これで、彼の肉体を通しての意識は消滅し、その次は肉体を脱した霊魂が、
現実界をのぞき込んでいる意識に換(かわ)るのである。――  谷口註 )


《思いやりある死者の霊の力》

この父の霊魂は高級霊であるから、肉体を脱した直後、
すぐ現実界を見ることができるのである。
それで次のように自動書記現象で綴(つづ)るのである。――

「わたしの愛する児よ、お前は立ちながら父親の肉体の上に覗きこんでいた。
しかし、その時お前の心に浮かんだのは、お前の不幸な母親のことであって、
私のことではなかった。

お前の魂は意識していなかったが、その考えはわたしの魂の中に織り込まれていて
わたしと同じことを考えていたのだ。

『どうして此の憐(あわ)れな母を助け、慰めてあげようか』と。・・・彼女よりも
先にわたしが他界するということは、彼女にとって太陽が没したことになる。
絶望と悲歎とのきわみが彼女を襲うであろう。


(註・肉体を脱した父の霊は、その息子が何を考えているかを
霊的知覚によって知っていたのである)

 
わが児よ。その時、お前の母親がやって来たのだ・・・・その時お前は自分の手で
母親の手を握りしめ、彼女の腕を抱き上げた ―― そうしたのは本当はお前ではなく、
わたしだったのだ。

お前は眼の前に横たわっている父親を忘れて母親に囁(ささや)きかけた ――
そうしたのは、本当はわたしだったのだ。
わたしはお前に力を与え、お前の母親に内から力を与えていた。

母がその夜お前が心配したようには悶絶(もんぜつ)もせず悲しみに耐えることが
出来たのはそのためだったのだ」(『生命の實相』第十巻・霊界篇下巻P101)



《祖先霊を祀ること》

死者の霊はこのように現実界の人々にも力を及ぼすことができるのである。

諸君は祖先の霊の祭祀(さいし)のことを思い浮かべることがあったり
気にかかったりするならば、それは祖先(亡父母を含む)自身の祭祀して貰いたい
意識があなたの意識の中に織り込まれているからなのである。

だから、そういう考えが起こってきたときには
お仏壇のない家庭ならお仏壇を買ってきて祀(まつ)ってあげるがよい。

             <感謝合掌 平成26年12月15日 頓首再拝>

霊界の諸霊への供養のこと (2506)
日時:2014年12月26日 (金) 04時43分
名前:伝統

          *「如意自在の365章」(P174)より

あなたの愛する〝誰か〟がこの世から去って逝ったからとて神の愛を疑ってはなりません。
決してあなたの「愛する人」はなくなったのではありません。

人間の生命は、〝神の生命〟が宿っているのですから、
永遠の存在であり、久遠滅びざる存在なのです。

常に永遠にその人の〝霊〟は生き通して、あなたが〝その人〟を思うと
その人の〝霊〟はすでにあなたの側(そば)にいるのです。

無論、霊界も現実界と同じく、唯心所現の世界でありますから、
その人の心境に従って霊界で、その心境相応の世界に住んでいることは
現実界と一向異なりません。

それゆえ、霊界の祖先霊、縁者の霊などの心境の向上のために、
〝真理の言葉〟(聖経)を読んであげることは非常な功徳があることなのであります。

だから常に、仏壇または祖霊祭祀の宝壇の前で聖経『甘露の法雨』を読んであげることは、
霊界の緒霊を救済するところの非常な功徳のある法施(真理の供養)となるのであります。

             <感謝合掌 平成26年12月26日 頓首再拝>

念霊を供養し浄化すること (2601)
日時:2014年12月31日 (水) 06時13分
名前:伝統

          *「女は愛の太陽だ」(P214)より

この念霊というものが、一応、本人から放出せられたのち、独立的存在となって、
それが禍をなすということが判れば、われわれはどんなときにも、
そのような怒りや呪いの念を起してはならない事が解る筈なのである。

自分自身が相手を赦しているのに、家来だけがいつも怨みを持ちつづけて
仇討をしなければならないと、相手を探しまわっているような恰好なのである。

このような念霊は、一種の”業力(ごうりき)”の具体化であって、敵意をもつ
念霊が殖えれば殖えるほど、この世界に禍が一層多く生ずるということになるのである。

たびたび交通事故の起る踏切や高速道路の或る場所にかぎってまたしても衝突事故が
起るなどの事は、そこで死んだ人の死の刹那の強力な念がその場所に止まっていわゆる
「念霊」として存在し、その念霊が死を誘って交通事故を起すことになるのである。

ブラジルのアサイという所へ往った時に、そこの滝浪さんという生長の家の幹部が
話しておられたが、いつもトラックや自動車が衝突して死傷者が絶えないところへ
小さな祠(ほこら)をつくって、その念霊を祀って『甘露の法雨』を誦げて供養したら、
それ以後、その地点に於ける交通事故が消えてしまったということである。

僕は講習会中、滝浪さんのお宅からこの道路を通って会場へ往復したものである。

               ・・・

<参考:念霊>

          *「女は愛の太陽だ」(P213~214)より     

念霊は、その人の霊魂全体ではありませんが、霊魂から放射された波動の具体化で
ありますから、その念が目的を達したら普通消えてしまうものであります。

しかし強力な念の波動は、ややその具体化された姿のままでその人格的存在を継続します。
たとえばAがBに対して『非常に憎い』と思って慍(いか)りの念波又は呪いの念波を
起しますと、それが『念霊』となって本人(A)とは独立して存在しており、

A自身は、もうBを宥(ゆる)してしまって何ともおもっていないのに、その呪った時の
『念霊』が本人とは別に離れてBに対して復讐をし、禍を与えていることがあります。

このような『念霊』を消して禍を無くするのには『罪本来無し』の真理を説いてある
聖経『甘露の法雨』をAの名前をとなえてから読んであげるとよいのです。

             <感謝合掌 平成26年12月31日 頓首再拝>

雲孫(うんそん) (2757)
日時:2015年01月10日 (土) 04時53分
名前:伝統

            *「美人の日本語」より

《雲孫~鶴の子》
 
鶴の寿命は千年といわれますが、実際は、そんなには生きられません。
丹頂鶴が五十年以上生きた記録があるそうですが、だいたい二、三十年とか。
でも、鳥にしては長寿の方だそうです。

ところで、雲孫(うんそん)という言葉をご存じですか。

子 ー 孫 ー 曾孫(ひまご) ー 玄孫(やしゃご) ー 来孫(らいそん)
 ー 昆孫(こんそん) ー 仍孫(じょうそん) ー 雲孫 と続くのだそうだす。

なんと、はてしない子孫でしょう。まさに、雲のような遠さです。
その雲孫のことを、鶴の子というそうです。

あまりに遠すぎて、玄孫のことでも鶴の子というようですが……。

今では、ほとんどの人が気にとめなくなった、血のつながり。
 
でも、はてしなく遡れば、みんな、どこかでつながっている……。そんな気がしてきます。

・・・

《わが生命は祖先の生命の連続である》

             *『人生を支配する先祖供養』(P15)より

祖先または自分に関心ある縁者の霊魂の想念は、その子供に影響を与えるので
祖先が好まないところを子孫が行えば、祖先または縁者の霊魂の反対観念を受けて
その人の運命が妨げられ、順調に進まなくなる事もある。

また祖先または自分に関心ある縁者の霊魂が迷いにとらわれ、信ずべからざるを信じ、
妄執にとらわれていると、現実界の子孫たるわれらがその念を受けて、
正しいことを行いながらも、それがおもしろくゆかなくなることになるから
祖先の霊魂にはすみやかに真理を悟らせてあげる必要がある。

(『生命の實相』第四巻、第五巻、第十六巻参照)

              <感謝合掌 平成27年1月10日 頓首再拝>



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