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素晴らしい日本Ⅱ (30)
日時:2014年09月01日 (月) 04時06分
名前:伝統

(このスレッドでは、
 日本と日本人の良さ・素晴らしさに焦点を当てた情報・資料を続けて紹介して参ります)


関連Web:「光明掲示板・第一」内スレッド「日本讃歌」
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1233

      「“本流宣言”掲示板」内スレッド「輝く日本! 輝け日本!」
      → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2190

      「光明掲示板・第一」内スレッド「素晴らしい日本」
      → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=548


   ・・・


【日本は最も信頼できる国】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年08月31日)」より

   (長谷川慶太郎氏の心に響く言葉より…)

   21世紀の世界の中で「親日アジア」の国々は非常に重要である。

   ベトナム、タイ、シンガポール、フィリピン、ミャンマー、マレーシア、ラオス、
   インドネシア、カンボジア、ブルネイのASEAN10ヶ国で人口規模は6億人。

   インドは12億人、バングラディッシュには1億5000万人がいる。

   これに日本を加えれば、人口は20億人規模になる。


   「反日アジア」の中国、韓国、北朝鮮の合計人口約14億人をしのぐ。

   「親日アジア」は、マーケットとしても、「反日アジア」をはるかに凌駕するのである。


   時代は「親日アジア」が大繁栄する時代に移り変わっている。

   その親日アジアの発展に不可欠なものが日本の技術力である。

   日本の技術力はアジア諸国をはじめ、中東、中南米、アフリカなど、
   これから伸びる新興地域を発展させる力を持っている。

   特に、発電技術、水技術、鉄道技術、公害対策技術など
   いずれも新興国の発展には欠かせない。


   外務省が2014年に発表したASEAN調査(インドネシア、マレーシア、ミャンマー、
   フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの7ヶ国)によれば、ASEAN諸国の
   人たちが「最も信頼できる国」として挙げたのは、
   アメリカ、イギリスを抑えて、日本が1位だった。

   日本が33%(1位)、アメリカが16%(2位)、イギリスが6%(3位)である。

   アメリカの倍の支持を得て日本が1位だった。

   ちなみに中国は5%、ロシアは3%、韓国は2%だ。


   また、ASEANにとって重要な将来のパートナーとして挙げた国も、
   日本が1位(60%)で、2位が中国(43%)、3位がアメリカ(40%)の順だった。


   日本はASEAN諸国からこれほど高い信頼を得ており、
   また、彼らがとても親日的であることがわかる。


   日本の技術力や金融力がなければ、世界はとてもではないが成り立たない。

   新興国の発展のためには日本の支援が不可欠であり、
   先進国のアメリカ、ヨーロッパも日本の技術力と資金を頼みとしている。


   アジアの情勢を見てみると、国内情勢の悪化した中国は崩壊前夜であり、
   中国が崩壊すれば、北朝鮮も崩壊する。

   北朝鮮が崩壊すれば、その受け入れ先である韓国も負担に耐えかねて破綻する。


   一方、これまでは発展が遅れていると見られていたASEAN諸国は、
   いよいよ一大飛躍期を迎えようとしている。

   もちろん、現時点では遅れている面も多いが、
   日本が技術支援をしていけば飛躍する可能性が高い。

   彼らの発展に必要な技術…たとえば、水、電気、鉄道、工作機械、
   公害対策技術、安全技術などはすべて、日本には揃っている。


   ASEAN、東南アジアが発展していけば、いずれは巨大市場となり、
   日本企業にとって大きなチャンスが生まれる。

   日本はアベノミクス以降に経済が持ち直し、経済界は自信を取り戻している。

   近年の中では最大のチャンスが巡ってきている、とも言えよう。

   この流れは本物だ。

   いよいよこれから、日本経済は重厚長大産業を中心にますます伸びていくであろう。

   高度な技術力を背景に、日本経済が世界をけん引していくことになる。

     <『大破局の「反日」アジア、大繁栄の「親日」アジア』PHP研究所>

             ・・・

新聞やマスコミは特殊で希少な事例を記事にするのが通例だ。
めったに起こらないことや、ごく少数の意見や事例をニュースにする。

明るいニュースより暗いニュース、幸せな日常より悲惨で悲しいニュース。

そして、「親日」の記事より、「反日」の記事。


「日本は最も信頼できる国」

日本を必要としているたくさんの親日的なアジアの国々がある。

明るい面に目を向け、希望を持って進んでいきたい。

           <感謝合掌 平成26年9月1日 頓首再拝>

【日本のこころ】 (301)
日時:2014年09月12日 (金) 04時22分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年07月15日)」より

   (兵庫教育大学名誉教授、上寺久雄氏の心に響く言葉より…)

   昭和20年8月15日、ついに日本も終戦を迎えざるを得なくなった。
   8月30日、マッカーサーは進駐軍総司令官として日本に乗り込み、日本は軍政下におかれた。


   ここでとりあげられたのが「3R・5D・3S政策」であった。
   これを機に、日本の様相は一変した。
   まさしく「日本を消す政策」による変化である。


   マッカーサーは、日本の占領にあたり、管理する上での原則を
   この「3R・5D・3S政策」においたといわれている。


   3R 

   1.リベンジ(復讐)
   2.リフォーム(仕組みを組み直す)
   3.リバイブ(復活。アメリカの都合にあわすように生き返らせる)


   5D 

   1.ディス・アーマメント(武装解除)
   2.デ・ミリタリゼーション(軍国主義の排除)
   3.ディス・インダストリアリゼーション(工業力の除去)

   4.デ・セントラリゼーション(国力の中心をなした財閥の解体)
   5.デモクラタリゼーション(日本的民族主義からアメリカ流自由主義へ)


   3S 

   1.セックスの解放
   2.スクリーン(映画)
   3.スポーツ


   最近よく、「日本人が日本を知らない」と、いろいろのところで語られ、
   マスコミも機会ある毎にとり上げたりしている。

   日本人が日本を知らないとは、「日本人としてもっとも大切にしなければならない
   “歴史”と“誇り”を失ってしまったこと」に関連するのではないだろうか。

   一言でいいうるならば、日本人が歴史的に堅持してきた「日本のこころ」を
   身につけていないということであろう。


   このような戦後の異様な状況から日本否定の自虐的価値観が生まれ、
   それに裏づけられて、「日本を見ない教育」「日本を消す教育」が
   当然のように推進されるに到った。

   戦後50年が過ぎ、西暦2000年を迎えると、この危機的状況に対し、
   世の識者たちも何とかしなければと、やっと危機意識を高めはじめた。


   その一人が、台湾の初代民選総統の李登輝氏である。
   李登輝氏は戦前、日本人として育ち、日本の教育を受け、さらに京都大学で学び、
   日本の軍隊に志願入隊し陸軍少尉として兵役に服した。

   氏は、

   「まことに残念なことに昭和20年8月15日以降の日本においては、
   そのような“大和魂”や“武士道”といった日本・日本人特有の指導理念や道徳規範が
   根底から否定され、足蹴にされ続けてきたのです」

   と日本の立場に同情しつつも、

   「日本および日本人が『過去を否定する』自虐的価値観を捨て、
   『日本および日本人の醇風(じゅんぷう)美俗』や『敷島の大和心』、
   もっと単刀直入にいえば『武士道』について『大覚醒』してほしい」

   と直言しているのである。


   では、なぜそう望むのか。

   それは二つの理由にまとめられるという。

   一つは、日本国が世界の「人類社会そのものの羅針盤」の役割を果たすためであり、
   今一つは、日本社会のいろいろな腐敗現象を克服するためである…と。

         <『「日本のこころ」の底ぢから』毎日ワンズ>

            ・・・

「醇風美俗(じゅんぷうびぞく)」とは、現代において絶えて久しい言葉だ。

醇風美俗とは、素直で人情に厚い美しい生活態度や風俗習慣をいう。


また、本居宣長は大和心についてこう詠んだ。

「敷島の大和(やまと)心を人(ひと)問はば、朝日に匂ふ山桜花(やまざくらばな)」

大和心とは何か、と聞かれたら、
それは朝日をうけ、そこで匂うばかりに咲く山桜の花、と答えよう。

桜は日本人が最も好む花の一つであり、
そこに、「潔く生きる」、「正直に真っ直ぐに生きる」という意味も重ね合わせる。

武士道とは、「惻隠の情」、「卑怯を憎む心」、「弱い者への慈(いつく)しみの心」、
「名誉を重んじる心」、「恥を知る心」、「勇気を持つこと」、「誠実さ」、「忍耐」、
「正義感」、等々の徳目をさす。


失った日本のこころを、今一度大切にしたい。

           <感謝合掌 平成26年9月12日 頓首再拝>

親日国「パラオ」 (549)
日時:2014年09月22日 (月) 04時17分
名前:伝統

先日の新聞(日経新聞<9月17日>)で、
天皇、皇后両陛下がパラオを訪問するとの報道がありました。


菅義偉官房長官は16日の記者会見で、

天皇、皇后両陛下が太平洋戦争の戦没者を慰霊するため、

来年4月以降に西太平洋のパラオを訪問される方向で調整していると発表した。

宮内庁によると、今年8月にパラオ政府から招待があり、
来年戦後70年を迎えることなどから、両陛下も訪問を希望されているという。

日本が委任統治していたパラオでは太平洋戦争中の1944年、
激戦地となったペリリュー島で米軍の総攻撃により、1万人以上の日本兵が戦死。
全土で約1万6千人が犠牲になったとされる。



・・・以下に、「パラオ」と「日本」の姿について紹介いたします。


《日本を愛する親日国「パラオ」》

       *「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」池間哲郎・著
            第3章(P56~58)より

かつて南洋の島々が日本統治だった時代があった。
日本統治が決まった時、人々は、「白人から日本人に代わっただけ」
「また私たちは差別を受け、ひどい目に遭うに違いない」 とかを思惟覚悟を決めていた。

ところが日本は、そうではなかった。
学校を造り、病院、道路、水道、電気などさまざまなインフラ整備をしてくれた。
人々を差別することなく、日本人と同じように扱ってくれた。

人々は今でも日本を愛している。
日本を大事にしてくれる。

           ・・・

1885年、パラオはスペインの植民地となり、圧政と虐殺、
天然痘で6万人いた人口は6000人に激減。実に90%もの人々が亡くなった。
いかに植民地政策だったかが分かる。

1899年にはパラオはドイツに売却されたが、同じくドイツも搾取と略奪を続ける。

第一次世界大戦終了後、パリ講和会議で日本の委任統治領と決定。

帝国主義の白い蛮人たちはパラオの人々を人間とは思っていなかった。
教育も与えず、インフラ整備も一切行なわない。
いかに搾取するかだけを考えた統治だった。

しかし、日本は違った。学校、病院、電気、道路などのインフラ整備を行ない、
住民の生活向上に力を入れる。
特に教育に関しては、日本本土とまったく同じ人種差別なき政策を実行。

優秀な子供たちが続出し、「パラオ人も、やればできる」と彼らに大きな自信を与えた。

日本敗戦後、パラオはアメリカ統治となった。
アメリカは熾烈な日本叩き教育を行なう。

浸透していた日本文化の徹底的な破壊。二宮尊徳像をぶち壊し、神社を破壊。
「日本は残虐」「日本はパラオ人を虐殺した」と長期にわたり学校教育を行なう。

ところがパラオ人は、誰も信用しなかった。特に日本統治時代を経験した年長者たちが、
「何を言いやがる。日本は素晴。日本統治時代が一番よかった」と激怒した。

何があっても日本を愛している」今も人々は語る。

1994年10月1日にパラオは米国統治から。独立した。

パラオは世界有数の親日国である。
にもかかわらずパラオの歴史を多く日本人は知らない。

これでいいのだろうか。
反日国を大事にし、親日国を粗末にするのは間違いだと思う。

           ・・・

        *同書第3章(P59)より

私はアメリカ軍統治時代の沖縄で生まれ育ったが故に、異民族に支配された人々の悲しみを
身に沁みて知っている。南洋諸島の人々も辛さや悲しみもあったと思う。

それでも日本が好きなのは、日本統治時代の日本人の真面目さ、優しさ、誠実さと
触れ合ったからだと現地の方々から教えられた。
ありがたい、嬉しい、感謝している。

日本人の目が向く国はアメリカ、中国、韓国がほとんど。

日本を愛する親日国のことは知らない。

どうか南洋諸島の人々のことを学んでほしい。
大事な親日国に意識を向けていただきたい。

           ・・・

        *同書第3章(P73~74)より

1947年から50年近く日本に代わりアメリカの信託統治下に置かれたパラオでは
徹底的に日本破壊が行われ「日本の悪」のみが教えられた。
それでもパラオの人々は「日本嫌い」にはならなかった。

村山内閣が誕生した1995年の10月1日にパラオ独立1周年記念式典が盛大に行われる。
多くの国から要人が参列し色とりどりの国旗が飾られた。
しかし、その中に日の丸はなかった。日本政府代表も居なければ、祝電さえも届かなかった。

クニオ、ナカムラ大統領は拳を震わせ悲しみと屈辱に耐えていた。
パラオは中華人民共和国中国を拒絶し、中華民国(台湾)と国交を結んでいるが、
それが理由なのだろうか? それは私にはわからないが、それにしてもひどすぎる。
 
第7代、第9代大統領を務めたトミー、メレンゲサウ氏の言葉を紹介する。

「日本は第二次世界大戦から今日に至るまでの年月で、敗戦から見事に立ち上がり、
それどころか、産業、経済、文化など様々な分野において世界のリーダーとして
活躍されています。

そんな日本の皆様達のバイタリティーが、
実は私達の国パラオを造ったと言う事実をご存知でしょうか。

終戦までの日本は数万人に及ぶ日本人入植者を送り込み南洋庁を作り、私達パラオ人のために
様々な教育や産業を伝えました。それは後に、パラオ独立の為の貴重な原動力となりました。

そして現在でもパラオの長老達は日本の事を「内地」と呼び、
世界で最も親日感情が高い国と言っても過言ではないのです。
 
日本人はパラオをスキューバ・ダイビングのできる
リゾート地としか思っていないような気がする。それではいけないと思う。

日本の子供たちにもパラオの人々が「日本を愛している」と伝えて行きたい。

            ・・・

日本パラオ友好の橋

        *同書第3章(P75~76)より

パラオの旧首都コロールからバベルダオル島へは、橋が架けられている。

最初、1977年に韓国の企業が、橋の工事が完成させた。
完成直後から、崩落の危険性が指摘され、1996年9月26日、真っ二つに折れて崩壊した。
それとともに、電気、水道、電話などのライフラインも、すべて切断された。

コロールの町の機能は完全に麻痺し、
当時のクニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令。
深刻な状態に陥った。

補償を求めようにも、韓国企業はすでに解散している。
(注、韓国の建設会社が受注した橋は手抜き工事で崩壊した)

困り果てた大統領は、韓国政府に救いを求めるも、「関係ない」と突き放される。
パラオでは再建築の費用を捻出するのは不可能だった。

そこへ手を差しのべたのが日本。
1997年、日本の無償援助で鹿島建設が請け負い、工事が始まった。
低品質コンクリートが使われていた旧橋の残存土台などは一切使わずに工事が始まる。

2002年1月完成。
「日本パラオ友好の橋」と命名され、日の丸と、パラオの美しい月の国旗が描かれた。

パラオの人々は、「日本に助けられた、日本に感謝している」と口々に言う。
日本人として、こんな嬉しいことはない!


<参考動画:日本とパラオ ~歴史を越えた友情~
       → http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A&list=PL66DD0C72B50B53A6&index=1 

       → http://www.youtube.com/watch?v=r2Ys0O5fFm4&list=PL66DD0C72B50B53A6

<参考Web:親日国パラオと日本・魂の友好(日本・徳の遺産)
       → http://friendly756.blog111.fc2.com/blog-entry-83.html >


           <感謝合掌 平成26年9月22日 頓首再拝>

【日本に生まれただけで幸せ】 (685)
日時:2014年09月29日 (月) 04時19分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年09月23日)」より

   (ケント・ギルバート氏の心に響く言葉より…)

   「日本人に生まれただけで幸せ」という私の意向に疑問を感じる愛すべき人のために、
   少し触れておきたいことがある。

   国連世界食糧計画(WFP)の調査によれば、
   現在世界の死因の第一位は「飢餓」である。

   約70億といわれる世界人口のうち10億人近くが飢餓に苦しみ、
   毎日平均2万5千人もの5歳未満の子供が飢餓を原因とする病気で死亡する。

   時間に直すと6秒にひとりの子どもが、飢えを原因として命を失っているのだ。

   ちなみに、日本の5歳未満の乳幼児の死亡率は1千人中6人。
   その死因は病気や事故、虐待であって、飢餓ではない。

   あなたはこれまでの人生の中で、餓死しそうになった経験があるだろうか。
   あるいは、身近に餓死した知り合いがいるだろうか。

   先の戦争を経験した世代を除けば、イエスと答える人はほとんどいないと思う。

   日本人はたとえホームレスになったとしても、
   自分で普通に体を動かせる限り、餓死する心配はほとんどない。

   残念なことに、GDP世界一の我が母国アメリカ合衆国といえども、
   最下層では餓死が十分あり得る。


   あなたは、日本人として生まれただけで幸せなのである。

   あなたが今、自分のことを不幸だと感じているとしたら、
   その最大の原因はあなたの視野と度量にある。

   それは目の前の幸せな現実が見えないからである。

   ほんの少し視野を広げるだけで、自分は幸せだと気付くことが出来る。
   そうすれば身辺や目先に多少の問題を抱えていたとしても、
   解決に向けて積極的に行動することができる。

   広い世界の現実を知れば、
   自分がいかに小さな問題で悩んでいるのかに気付くことになる。

   日本語が読めるというだけでも、実にありがたいことである。

   子どもの頃、学校も勉強も大嫌いだった人もいるだろう。

   しかし、日本の義務教育制度の恩恵を受けたからこそ、
   基本的な日本語の読み書きには不自由しないし、
   恐らく掛け算の九九も暗記しているだろう。

 
   ニジェールなどアフリカ南部の貧しい国では、
   2人にひとりの子どもが勉強したくとも小学校にすら通えない。

   ネパールでは1日に100円にも満たない収入を得るために、
   学校にも行けず過酷な労働を選択せざるを得ない子どもが少なくない。
   そして、2人にひとりの子どもは栄養失調状態である。

   ハイチは、識字率が約50%である。
   国民の2人にひとりは文字が読めないのである。


   さて、「日本に生まれただけで幸せ」と明言したにもかかわらず、
   実は私は、戦後の日本に生まれた日本人は何と不幸なのだろかと
   真剣に思うことがある。

   その理由は、「私は自分の国を愛している」「日本に生まれたことを誇りに思う」
   「日本に愛国心を持っている」と堂々といえないような雰囲気が、
   この日本社会全体に霧のように漂っているからである。

   国民が祖国に愛国心を持つことは、本来なら当たり前の話である。
   子どもが母親のことを好きなように、そして母親が我が子を慈しむように、
   自分が生まれた国を好きだと思う気持ちは自然に、本能的に湧いてくるものである。

   そして、日本という国以外、世界中の誰もがその感情、
   つまり、愛国心を素直に言葉に表現しながら日常の生活を送っている。


   ところが日本人の場合、「私は日本が大好きだ!」と堂々というと、
   周囲の典型的な反応は、「あなたは右翼ですか?」というものである。

   面白いことに、私のような外国人が、「私は日本が大好きだ!」というと、
   それに対して日本人は例外なく嬉しそうな反応を示す。

   「そうですか! 日本のどういうところが好きですか? 」と、誰もが食いついて来る。

   本当は、日本人は日本のことが大好きなのだと思う。
   自分の国を誇りに思っているし、心の中には愛国心も持っている。

   事実、統計数理研究所の2008年度の調査では、

   「生まれかわるときにどこか好きな国を選べるとしたら、
   あなたはもう一度日本に生まれてきたいと思いますか、
   それとも、どこかよその国に生まれてきたいと思いますか? 」

   という質問に対して、77%の人が、「日本に生まれてきたい」と答えている。

   ところが日本人は、この素晴らしい祖国への愛国心を
   自信を持って対外的に表現することに、抵抗を感じている。

   その理由は簡単で、戦後教育や日々の報道を通じて、
   そのように「洗脳」されてしまったからだ。

         <『不死鳥の国ニッポン』日新報道>

           ・・・

「漢字かな交じり文」という、世界中の言語表記方法の中で最も読解が難しい文章を読み、
理解している、というだけで日本人は十分すぎるほど幸運で幸せな人間である、
とケント・ギルバート氏は言う。

また、ギルバート氏は自身の「君が代を歌えますか?」と題するブログの中でこう語っている。


『国旗や国歌というものは、国家の象徴であり、その国に属する人々の愛国心の象徴です。
だからこそ国旗や国歌は、自国のものであっても、他国のものであっても
、誰もが無条件で大切に扱うべき存在だと私は考えます。

それを無視したり、軽んじたり、増してや国旗を踏みにじったり、燃やしたりする人々は、
周囲の人に「軽蔑」以外の何を求めているのでしょうか。

国歌斉唱時に脱帽や起立しない人々も同様だと私は思います。

ちなみに私はアメリカ人ですが「君が代」を歌えますよ。

六本木男声合唱団倶楽部の一員として、
東京マラソンの開会セレモニーで何度も国歌斉唱をしています。
ですから最近は「君が代」を歌えない日本人が珍しくないという話を聞いたときは驚きました』

日本に対する誇りと愛国心を、もっと深めたい。

           <感謝合掌 平成26年9月28日 頓首再拝>

【平成生まれの愛国心】 (817)
日時:2014年10月05日 (日) 04時22分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年10月03日)」より

   (税所篤快氏の心に響く言葉より… )

   海外で活動していると、世界じゅうで日本人であることの恩恵を感じることができる。

   たとえばタクシーに乗ったとき、ドライバーから
   「おまえは中国人か、韓国人か。それとも日本人か」と聞かれることが多いのだが、
   「日本人だ」と答えると、
   「日本人か! おまえたちはナイスだ! 」と満面の笑みを返してくれる。

   途上国の人びとにとっては、戦後の焼け野原から力強く復興した日本は、
   いまでも驚異の存在であり、自分の国が参考にできる点はないかと
   貪欲に学ぼうとしている。


   僕の師匠、一橋大学の米倉誠一郎先生はインド、南アフリカなど
   世界各地でプレゼンテーションをするとき、東京の焼け野原の写真から始める。

   上野から東京湾にかけて焦土が広がり、国会議事堂だけがぽつんとその姿を見せている。
   そのあとに、モダンなビルが緑に囲まれている現在の東京の写真が続くと、
   会場はどよめく。

   「なぜ日本はゼロから世界ナンバー3に駆け上がれたのか」。
   こんなに底力のある国は、世界のどこを探しても存在しない。


   こうした評価はとくにバングラデシュで強い。
   ODA(政府開発援助)やJICA(国際協力機構)の関係者が数多く
   国際貢献活動に取り組んでおり、

   現地の人から「あの橋をつくったのは日本人なんだろう?」と、
   さも当たり前のように言われたこともある。

   1971年にバングラデシュが独立した際、
   世界に先駆けて日本が独立国として承認したことも、彼らを親日家たらしめている理由。

   国際貢献活動の目的の一つは、
   自分たちの国のブランド力を高めるところにあると僕は思う。

   ことバングラデシュに関しては、その戦略が非常にうまくハマっているのだ。

   もちろん僕自身も、海外にいるときに何度、
   日本のすばらしさ、力強さを実感したかわからない。

   洪水に浸るバングラデシュの首都ダッカで、日本の都市計画の緻密さを。

   険しい山間部を進むルワンダの路線バスで、日本の新幹線の快適さを。

   F16戦闘機の飛行音が鳴り響くガザで、日本の平穏さを。

   貧困にあえぐロマ族(ジプシー)を数多く抱えるハンガリーで、
   日本のセーフティネットの手厚さを。

   自国の通貨が崩壊している国コソボで、円の世界的強さを…。


   そのとき僕は、素直に、日本のことを「すごい」と思った。
   「好き」だと思った。
   「愛(いと)しい」と思った。

   海外でプロジェクトに取り組む仲間に聞いても、みな口々に同じことを言う。

   これこそが僕たち平成生まれの、リアルな「愛国心」である。

   忘れてはならないのは、僕たちがこうした想いを抱けるのは、
   先輩世代の長年にわたる、とてつもない努力と貢献のおかげだということ。

   そのことを認識し、感謝しないことには、
   海外で日の丸を背負って活動する資格はないと思っている。

          <『ゆとり世代の愛国心』PHP新書>

          ・・・

税所篤快(さいしょあつよし)氏は、1989年生まれの25歳で、国際教育支援NGOの創業者。

19歳でバングラデシュに渡り、2014年には世界銀行本部イノベーションコンペ最優秀賞を受賞。

その後、仲間たちと五大陸での教育革命を掲げて7ヶ国で同事業を展開中の若き快男児だ。


「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」という言葉があるが、
日本にいると日本のよさに気づかない。

これは国だけでなく、会社や家族についても同じことが言える。

会社を辞めて起業したり、生まれた町や、家族から離れてみて初めて、
その大切さや有難さに気づく。


日本にいるときに「愛国心」や「郷土愛」、家庭での「家族愛」の教育をしたところで、
それがストンと腑(ふ)に落ちることは少ない。

なにもかも恵まれた生活ではその有難さに気づかない。


もっと日本のすごさに気づき、素直な愛国心を持ちたい。


           <感謝合掌 平成26年10月5日 頓首再拝>

アーセン・ベンゲル氏の言葉 (1056)
日時:2014年10月14日 (火) 04時19分
名前:伝統

元名古屋グランパスエイトの監督 アーセン・ベンゲルの言葉を紹介します。

最初に、次の動画(7分程ですが)を観ていただきましょうお願いいたします。

 → 動画(youtube)~ https://www.youtube.com/watch?v=gVPy5D_QnhM



日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう
日本人はヨーロッパを美しく誤解している。

しかし実際のヨーロッパは全然違う。
日本が東京のような大都会とすれば、
ヨーロッパはアフリカのサバンナのようなところだ。

治安が悪いのはもちろんのこと日本人と比較すればヨーロッパ人の民度は恐ろしく低く、
日本では当たり前に通用する善意や思いやりは全く通じない。

隙あらばだまそうとする奴ばかりだ。

日本と違い階級社会である為、会話の全く通じない無知な愚か者も多い。

私は、時々、欧州事情に疎い日本人が欧州に行ったら、
精神に異常を来たしてしまうのではないか?
と心配することがよくある。

欧州について何も知らない日本人が欧州に移り住むというのは、
都会の快適な場所に住んでいる人間を、ライオンがうようよいる
アフリカのサバンナに丸裸で放り込むのと変わらないだろう。

悲惨な結果になるのは目に見えている。

日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう。
これは私の確信であり事実だ。

問題は、日本の素晴らしさ・突出したレベルの高さについて、
日本人自身が全くわかっていない事だ。

おかしな話だが、日本人は本気で、日本はダメな国と思っている。
最初は冗談で言っているのかと思ったが、本気とわかって、心底驚いた記憶がある。

信じられるかい?
こんな理想的な素晴らしい国を築いたというのに、誇ることすらしない。 

本当に奇妙な人達だ。

しかし我々欧州の人間から見ると、日本の現実は奇跡にしか思えないのである。


           <感謝合掌 平成26年10月14日 頓首再拝>

「和」こそが、日本の建国精神 (1273)
日時:2014年10月24日 (金) 04時46分
名前:伝統

     *「日本人の原点がわかる『国体』の授業」竹田恒泰・著(P56~60)より


日本の建国の精神とは何でしょう。

他国のように、日本には「これが建国の精神だ」と明文化したものはありません。

しかし、どのようにして日本という国ができたのか、
どのようにして国家が運営されてきたのかを、歴史を調べて2千年間追ってみたら、
私に言わせれば解答は一つしかありません。

それは「和」です。

和の精神こそ、日本の建国の精神だということです。
日本国民は、和の精神によって統合されているのです。

「和」とは何か。
「和」とは「自分のことは後回しにする精神」です。

「自分のことはあと、まずは仲間のために働こう」
「正しく生きた先に自分の幸せがある」

と思うことです。

考えてみてください。
日本人1億2千万人全員が、家族の一員として、会社の一員として、国家の一員として
何ができるかを問いかけたら、どうなりますか。
信じられないほど素晴らしい国ができるでしょう。

これが「和」の力です。

事実、日本では上の上体にほぼ近い社会を、戦前に会っても戦後にあっても、
現実に形成してきました。


《個性的でなおかつ統率が取れている国》

「和」が大切だというのは、「和」こそが最も人々を幸せにする考えだからです。
すべての国民が自分の私事は措いて行動する。

政治家は自分の身命を惜しまず、国民のことを考える。
国が栄えたあとに国民の幸せがあるのではありません。
国民をいかに幸せにするか、それが第一なのです。

国民が富めば必ず国が栄えます。

したがって「和の国」というのは、一人ひとりの個性が尊重され、
自分らしく暮らせる国のことです。
しかも全体としては統率が取れている。

これが他国にはなかなか真似のできないことなのです。


一人ひとりが自由に振る舞い、なおかつ全体として統率が取れている。
これら二つの併存という、世界的に見てもくわめて困難なことを実現している
稀有な国が「和の国」日本です。


《「国民の不幸は天皇の責任」という考え方》

このような日本における「和」のスタイルは、
主に『古事記』と『日本書紀』に記されています。

仁徳七年、仁徳天皇が高台にお立ちになり、遠くをご覧になったところ、
百姓の家が困窮していて、ご飯を炊く煙すら上がっていないことをご心配になりました。
そして3年間徴税をやめ、税金を取らなかったのです。

そのとき仁徳天皇は、次のようなことを皇后におっしゃいました。

「それ天(あめ)の君(きみ)として立つには、百姓(おおみたから)のため」


天が君主を立てたのは百姓、民のためであり、
民が飢えればそれは天皇の責任であるということです。

天皇自らが

「国民の幸せのために天皇がある」
「国民が不幸になれば、それは天皇の責任だ」

と名言なさったのです。

           <感謝合掌 平成26年10月24日 頓首再拝>

「和」と「同」の違い (1699)
日時:2014年11月15日 (土) 03時22分
名前:伝統

    *「日本人の原点がわかる『国体』の授業」竹田恒泰・著(P118~123)より

日本建国の精神は「和」だと説明しました。
この「和」は、しばしば「同」と混同されて使われています。
皆さんには、ぜひ「和」と「同」の違いを正確に理解してもらいたいと思います。

よく政治家の外交姿勢は「タカ派」と「ハト派」に分けられます。
「タカ派」は対外強硬路線で、対する「ハト派」は穏健路線です。

たとえば小泉元首相の外交は「タカ派」といわれ、
鳩山由紀夫元首相の外交は「ハト派」です。

(鳩山外交は)何を言われてもニコニコして、相手国の欲しいと言われたものは
「どうぞ」と言って差し出す。相手の嫌がることはせず、どんな嫌なことがあっても、
とにかく笑顔で友好姿勢を見せることに重きを置く。

しかし、そもそも「タカ派」と「ハト派」で政治家を分類すること自体が、
日本の大きな過ちだと考えています。

政治家の外交路線を分けるとしたら、
むしろ「和」なのか「同」なのかで分けるべきでしょう。

「タカ派」か「ハト派」かというのは、表面的な強硬度合いだけを見た物言いにすぎません。
「タカ派」にせよ「ハト派」にせよ、行きすぎは問題だということです。

どういうことでしょうか。
中国の孔子はわかりやすく答えを述べています。

「和」とは「自己の主体性を保ちながら他者と協調すること」です。

一方で、「同」のほうは一見、「和」と近いように見えるけれども、
似て非なるものだといいます。
「同」とは「自己の主体性を失い、他者と協調すること」です。

他者と協調するという点では、「和」も「同」も一緒です。
しかし、自己の主体性を保ちながら協調することと、
主体性を失って協調することは、大きな違いがあります。

(中略)

「和」というのはいつも穏和で、他国との関係性を大切にするけれども、
場合によって強く出ます。譲れるところは譲るが、ここは譲れないという一線を守り抜く、
それが「和」の外交姿勢です。


たとえば日中外交を例にとると、中国は外交的に優れた国で、つねに相手国との「間合い」
を見ています。尖閣諸島を巡って、中国は日本の領海ギリギリまで舟を出し、「どこまで
入ったら日本が反撃してくるか」という一線を探っています。

(中略)

したがって、中国の出方は日本の対応いかんにかかっています。
もし接続水域に達した時点で、武力による排他行動に出れば、
中国は「ここまで来たら日本は怒る」と分かるのです。

反対に、どれだけ領土や領海、領空に踏み入られても友好姿勢を貫くという「ハト派」的な
姿勢を貫いた場合、最後にどうなるかといえば、中国の公船が尖閣諸島にやってきて、
彼らは上陸することになるでしょう。

やがて沖縄本島でも、同じことを繰り返すに違いありません。
そうなったら戦争ですから、まさに「ハト派が戦争を呼ぶ」ことになります。
結局、つねにニコニコしてあらゆることに譲り続けるという態度が最も危険で、
戦争に至る早道であることを、日本人は知っておくべきです。

「和」の外交姿勢を持ち、どこかでしっかり機先を制するようにしないと、
「日本はどこまでも折れる」という誤ったメッセージを他国へ与えてしまいます。
それが平和を脅かすことに繋がっているのです。

           <感謝合掌 平成26年11月15日 頓首再拝>

日本での、エボラ治療薬の開発 (1907)
日時:2014年11月22日 (土) 20時16分
名前:伝統

《「アビガン錠」》

エボラ治療薬としてインフルエンザ治療薬「アビガン錠」が注目を集めています。
アビガン錠は、新型または再興型インフルエンザウイルス感染症が発生し、
他の抗インフルエンザ薬が無効または効果不十分な場合に使用するという条件付きで、
2014年3月に製造販売承認を取得しました。

このアビガン錠、現時点でエボラ熱には未承認薬であるものの、
これまでにフランス、スペイン、ノルウェー、ドイツの4か国で4人の患者に投与され、
全員の症状の回復が報告されたました。

その結果、年末から年明けにもエボラ治療薬として国際的に承認される可能性があるそうです。

    (http://news.goo.ne.jp/article/jijico/life/jijico-13568.html

・・・

《エボラ抗体、ダチョウの卵から大量精製 京都府大グループ》

       *産経新聞2014年11月21日(金)15:43

西アフリカを中心に流行し、世界的な感染拡大が懸念されている
エボラ出血熱のウイルスを不活化する抗体をダチョウの卵から大量精製することに、
京都府立大大学院の塚本康浩教授(動物衛生学)のグループが成功した。

12月中旬には、この抗体を使用したスプレー剤が海外の空港で販売される予定という。

ダチョウは傷の治りがきわめて早いとされる。
その免疫力に着目した塚本教授は抗体を作る能力も高いことをつきとめ、
卵から大量の抗体を取り出す技術を開発。

平成20年に新型インフルエンザが流行した際に販売された抗体入りマスクが注目を浴びた。

 
今回、塚本教授らは、カイコの細胞で作製したエボラウイルスの
表面タンパク(リコンビナントタンパク)を抗原としてダチョウに投与。
体内で生成された抗体をダチョウが産んだ卵の卵黄部分から取り出し精製した。

エボラの表面タンパクは、ウイルスが人の細胞に取り付くことを可能にしており、
塚本教授は「今回の抗体がヒトの細胞に侵入しようとするウイルスの鍵を
ブロックすることにより、感染を防ぐことができる」と話す。

抗体のスプレー剤は、マスク、ドアノブや手などに噴霧して使用する。
「抗体は治療にも応用できるが、まずは感染を防ぐことを第一とし、
医療従事者や拠点空港での使用を考えた」(塚本教授)。
シンガポールや香港の空港で12月中旬に使用開始を予定している。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20141121117.html

ダチョウの卵で、人類を救います!
http://marutto50.blog.fc2.com/blog-entry-314.html


           <感謝合掌 平成26年11月22日 頓首再拝>

「富山の薬売り」のDNAが、エボラから世界を救う (2078)
日時:2014年12月02日 (火) 03時43分
名前:伝統

         *Web:現代ビジネス(11月27日)より

《富士フイルム「アビガン錠」開発苦闘16年
 「富山の薬売り」のDNAが、エボラから世界を救う まさに「プロジェクトX」!》

発見は偶然だった。医療関係者は見向きもしなかった。一度は製品化を諦めた。
ある出来事が潮目を変えた。それでも立ちはだかる難問。男たちは手を休めなかった。
その努力が今、ようやく実を結ぶ。

<手探りの研究が始まった>

富山の薬が世界を救うかもしれない―富士フイルムホールディングス傘下の
富山化学工業が開発した錠剤「アビガン」(一般名・ファビピラビル)が、
世界的な注目を集めている。

今年夏頃から西アフリカを中心に爆発的に流行しているエボラ出血熱は
いまだ終息していないが、その理由の一つは有効な治療薬がないことだ。

エボラ出血熱の致死率は50%と、毒性はすさまじく高い。
エボラウイルスに感染すると、患者は7日間程度の潜伏期間を経た後、
高熱を発して嘔吐、下痢、頭痛などの症状を呈し、最後は全身から出血して死に至る。

11月12日に発表されたWHO(世界保健機関)の最新データによると、
すでに世界中でエボラウイルス感染者は1万4098人に上り、死者は5160人になったという。

そんな「史上最悪のウイルス」に対して「アビガン」が有効な解決策になる
のではないかとの期待が膨らんでいる、

フランス、スペイン、ノルウェー、ドイツではエボラウイルスに感染した患者に
アビガンを含む数種類の薬が投与され、症状に改善が見られた。

フランスとギニアの両政府はエボラウイルス感染者へのアビガンの臨床試験に着手し、
来年初めにも承認、そして使用される可能性が出てきた。

アビガンが世界に出荷されれば、多くのエボラ患者の命が助かることにつながる。
「富山の薬売り」のDNAが世界を救う画期的な成果を挙げるのだ。

だが、この新薬の開発は、もちろん一朝一夕に可能だったものではない。
そこには実に16年にも及ぶ熱いドラマがあった。

 *

話は'98年に遡る。このとき、富山化学の研究者たちは一心不乱に実験を繰り返していた。
インフルエンザなどをターゲットとした新しい抗ウイルス薬を創ること―。
これが10人にも満たない研究チームに与えられたミッションだった。

富山化学総務担当部長の泉喜宣が振り返る。

「もともと当社は細菌に効く医薬品の開発に定評があったのですが、
ウイルスに対する治療薬にも手を広げようと考えたんです。かといって、
潤沢な研究資金があるわけではない。
インフルエンザ薬に関しては、研究者がすべて手作業で効果を測定していきました」

通常、大手の製薬会社が新薬を開発する場合、自動化されたロボットなどを用いて、
ターゲットとなる化合物を見つけ出すのが一般的になってきた頃だ。

だが、当時の富山化学は研究所を地方都市に構える、
従業員数2000名足らずの中堅製薬メーカーにすぎず、
インフルエンザ薬の開発のインフラ整備に資金を注ぎ込む余裕はなかった。

「そこで2万6000種類の化合物をランダムに選んでインフルエンザウイルスに効くか、
一つひとつ手作業で試していったのです。シャーレに細胞を入れ、そこに
インフルエンザウイルスを入れます。その中に化合物を入れ、細胞が生き残るかどうか
を調べるという単純な実験方法です。

週に600種類ずつ試し、2万回以上の失敗を経た後に偶然、
ウイルスに効果のある化合物、現在のアビガンにつながる『T-705』を発見したんです。
'98年のことでした」(泉)


<無念の開発中止>

富山化学工業は発見したT-705を本格的に試験するため、富山大学医学部の
白木公康教授(ウイルス学)に共同研究を持ちかけた。白木教授が語る。

「富山化学は昔から化合物を合成する技術には定評がありました。
実際、T-705の構造図を見たときに、これは薬になると直感し、共同研究を承諾したんです。
大学ではインフルエンザに感染させたマウスを使って、生体実験を行いました。

一番気を使ったのは、情報漏洩ですね。
実は大学というのは、よく情報が漏れるところなんですよ。

民間企業に比べるとセキュリティがしっかりしていませんし、
多くの製薬関係者が出入りしますから。
大学関係者には秘密保持の意識が高くない人もいるんです。

そこで、私は実験データを大学には残さず、富山化学のほうで保管してもらいました。

実験の結果、インフルエンザに感染させたマウスにT-705を投与すると、
一匹も死ぬことはありませんでした。

有効性が確認できたので、'00年9月にカナダのトロントで行われた学会で
私たちの研究チームが発表したのです」

だが―。この学会発表は、ほとんど話題にならなかった。
世界中の大手製薬会社にT-705の製品化を持ちかけても、
乗ってくる会社は1社もなかったという。なぜか。

「その頃、ちょうどインフルエンザ薬として『タミフル』と『リレンザ』が
発売されたからです。当時の製薬関係者は、もう新しい抗インフルエンザ薬は要らない
と考えていたんですね。

また、元々製薬会社には長期的な投与が見込まれる薬を開発したがる傾向があります。
たとえば、糖尿病や心臓病、高血圧に効く薬は、飲み始めたら亡くなるまで飲む薬。
企業にとっては大きな売上高が見込めます。

一方、インフルエンザの薬は飲んだとしても1週間。利益の幅が薄いんですよ」(白木教授)

それは富山化学にとっても死活的な問題だった。
T-705がすぐに製品化できないのであれば、このまま開発を進める意味はあるのか―。

「実はインフルエンザ薬はマーケティング面でも極めて難しい医薬品なんです。
インフルエンザが流行した年は売り上げが上がり、そうでないとガクンと下がる。

そこでこのままインフルエンザ薬の開発を進めるより、
違う方向に注力したほうがいいのではないかということで、

'02年にT-705の開発をストップし、これと似た構造を持つ化合物の中から
C型肝炎ウイルスの治療薬を見つけて開発する方向へシフトさせました」(前出・泉)

 
こうして、T-705はいったん「お蔵入り」となった。

しかし、3年後、思わぬ形で世界中の医療関係者から注目されるのだ。

きっかけは'05年にアジアで猛威をふるった「鳥インフルエンザ」だった。
鳥インフルエンザが人間にも感染し、死亡するケースが多発したことを
記憶する人も多いだろう。

各国の医療機関がこぞってこの病気に有効な薬がないか、試験をしていた。

そんななか、NIAID(米国立アレルギー感染症研究所)より委託を受けた米ユタ州立大学が
'06年3月、T-705が鳥インフルエンザに効果があると名指しで発表したのだ。

「NIAIDが3000種類以上の化合物を試した結果、唯一T-705だけが効いたというのです。
そうなると、'01年頃に考えていたマーケティング上の問題を飛び越えて、
会社としてなんとしても製品化しないといけないと判断しました。

'07年から臨床試験を開始し、T-705にリソースを集中するため、
今度はC型肝炎治療薬の開発をストップさせました」(泉)


<苦境のなか、救いの手が>

富山には300年以上にわたる「薬作り」の歴史と伝統がある。
江戸時代に富山藩主が江戸城内で腹痛を訴えた大名に丸薬「反魂丹」を与えたところ、
たちどころに収まったことがその発端だった。

それを見た他藩の藩主がこぞってこの薬を欲しがったことから、
富山で作られた薬は柳行李を背負った「富山の薬売り」たちによって
各地に広がったという。

そのDNAが生きていた。
世界が自分たちの薬を求めているのならば、広めることが自分たちの使命ではないか―。
この信念の下、富山化学はヒトでの臨床試験を進めていった。

だが、一方で製薬業は巨額のカネが動くビジネスでもある。
「社会的使命」だけでは事業は続けられない。

事実、T-705の本格的な臨床試験を進めていた'07年の3月期決算で、
富山化学は最終赤字に転落。新薬の開発費用もあり、累積赤字がかさんでいた。

そこに手を差し伸べたのが、富士フイルムホールディングスだった。
'08年2月、富士フイルムは富山化学の買収を発表。
1300億円を投じて66%の株式を取得したのだ。

富士フイルムは古森重?社長(現会長)の陣頭指揮の下、
「第二の創業」と位置づけた大胆な業態変化の過渡期にあった。

富士フイルムコーポレートコミュニケーション部マネージャーの田口貴広が言う。

「富士フイルムは長年、写真フィルムをメインに事業展開してきました。
しかし、デジタルカメラの影響から'00年をピークに写真フィルムの需要が
年率2~3割のペースで減っていったのです。

そうした中、'04年から経営改革を進め、6つの重点事業にリソースを投入し、
その中の一つがヘルスケア分野だったのです」

富士フイルムは創業2年後の'36年からレントゲンフィルムを出発点として、
医療分野にも深く関わってきたメーカーだ。
X線画像診断装置や内視鏡といった、主に「診断」領域で関わってきたという。

 
「ヘルスケア全体で考えますと、
診断の前には『予防』領域が、後には『治療』領域があります。
いずれもこれまで私たちが培ってきた独自技術が活かせる領域です。

そこでまず'06年に化粧品やサプリメントを発売しました。
ただ、『治療』領域において、我々は医薬品の経験やノウハウを持ち合わせていませんし、
一から立ち上げるには時間もかかります。

だから'08年に富山化学を買収して医薬品事業に本格参入したのです。
富山化学を選択したのは、インフルエンザ薬やアルツハイマー薬など
有力な新薬の候補を持っていて創薬力に優れていることや、技術的なシナジーが
見込めることが理由です」(田口)

 
富山化学側には買収に対する複雑な思いはなかったのだろうか。

前出の泉が振り返る。

「これからの時代、医薬業界は海外も見据えてグローバルに展開していかなければいけない。
それまで富山化学は、海外事業は他社にお願いするという方法でやってきていました。

しかし、富士フイルムは医療分野で海外にもネットワークとブランド力があるので、
自分たちのやってきたことをグループとして海外展開できるようになる。

また、地道に研究し、異業種との融合にも積極的であるという企業文化にも
共通するところがあったんです。様々な相乗効果が生まれたという意味でも、
買収は双方にとってよかったと思います」


<米ペンタゴンも注目>

こうして資金的な問題も解決した富山化学はさらなる臨床試験を進めていく。

同社が開発したT-705が画期的なのは、これまでの抗インフルエンザ薬とは
効き方のメカニズムが異なる点だ。前出の白木教授が説明する。

「ウイルスは細胞の中に入り込んで、複製、つ
まりたくさんの子供を作って増殖していきます。
そして、細胞から飛び出して、また別の細胞に入り込む。

タミフルやリレンザといったこれまでの治療薬では、
増殖するウイルスを細胞内に閉じ込めて、感染の拡大を防ぐ効果があります。

一方、『T-705』はウイルスの複製そのものを阻害します。
ウイルスの増殖を直接抑えられるのです。

また、ウイルスは増殖の過程でどうしても薬の耐性を持ってしまうものですが、
増殖そのものを抑える『T-705』では耐性ができにくいことも特徴です」

耐性ができにくいため、新型のインフルエンザにも効果が期待できる。
そして、さらにこの薬が優れている点は、インフルエンザに似た多くのウイルスで
同様の効果が期待できることだ。

だからこそ、インフルエンザ薬として開発されながら、
エボラ出血熱にも効くのではないかと期待されているのである。

このT-705の効能に早い段階から注目していたのが、
世界最大の軍事力を誇るペンタゴン(米国防総省)だ。

米メディアによると、ペンタゴンは'12年3月から「T-705」を生物テロ対策の
薬剤に指定しており、開発費用として140億円を助成しているという。
そのペンタゴンが音頭を取って、米国内でも大規模な臨床試験が進められていった。

米国当局の活発な動きの中、中国では新しい鳥インフルエンザの感染者が続出した。
こうした背景もあって今年3月、「新型インフルエンザが爆発的に流行し、
他の薬が効かない場合」という条件付き承認ではあるが、ついにアビガンが誕生したのだ。

発見から16年。長きにわたる苦闘だった。

そして、今年8月、ペンタゴンが「アビガン」をエボラに効く可能性のある
治療薬の候補として発表。緊急措置としてスペインでは二次感染した女性看護師に
投与され、完治した。

ドイツではエボラ出血熱を発症したウガンダ人に投与され、
回復傾向にあると現地で報道されている。

今後もアビガンによってエボラウイルスから
一人でも多くの命が救われることが期待されている。

「富山化学には現時点で2万人分の錠剤が在庫としてあり、
錠剤にする前の原薬は30万人程度があります。
追加生産が可能なため、各国からの提供要請があれば、
日本政府とも協議の上、対応していきます」(前出・田口)

史上最悪のエボラ禍に打ち勝つ、一筋の光明が見えてきた。
もうパニックに陥る必要はない。我々には使命に燃えた男たちが執念で作り上げた
「アビガン」という錠剤があるのだから。

 (文中一部敬称略)

 「週刊現代」2014年11月29日号より

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141127-00041194-gendaibiz-bus_all&p=1


           <感謝合掌 平成26年12月2日 頓首再拝>

ダチョウの卵で、人類を救います!  (2214)
日時:2014年12月08日 (月) 18時29分
名前:伝統

           *「ダチョウの卵で、人類を救います! 」塚本康浩・著より

(1)なぜ、ダチョウか?

  ①ダチョウならは、生命力がすこぶる強い。
   平均寿命は60年もある。 ダチョウほど丈夫な鳥はいない。 

  ②怪我を負ってから2週間目で傷がふさがって、1か月後には元通りに。
   傷口の病気が拡がることもなければ、感染症にかかることもない。 
   だから免疫力はことのほか強い

   例えば、「首に傷を負って皮膚が裂け、首の中の器官や食道が見えてしまっていて、
   この子死ぬかと思っていたんですけれど、非常に早く皮がふさがりまして。

   ものすごく回復力の強い動物から出てくる抗体ということで、
   何でもやっつけてくれる力があると想像したわけです」

        (塚本教授<(京都府立大学大学院生命環境科学研究科応用生命科学>)


(2)ダチョウの抗体

  ①抗体とは、ウイルスや細菌を撃退する防御システムのひとつ。
   その抗体は無害化したウイルスをダチョウに打ち込むことによってつくられます。
   予防接種と同じ原理です。

   体内で生成された抗体は卵にも送り込まれることがわかりました。
   卵の黄身に特殊な液体を混ぜて機械にかけると抗体が抽出されます。

  ②ダチョウの卵が良い理由

   抗体はニワトリからでも採取できますが、
   鶏卵1個からとれるワクチンの量は人間一人分ですが、
   ダチョウの卵からは800人分とれるということです。

   大きさは30倍ですが効率がいい。
   しかも鶏の寿命が10年なのに対して、ダチョウは60年と長寿なのです。


(3)悪戦苦闘の抗体づくり

  ①第1段階の苦闘

   健康なダチョウにウィルスや細菌などの病原体を注射して、
   その高い免疫力で抗体をつくってもらう。 
   2週間後に採血して、抗体ができているかどうかを確認。 

   いい抗体ができてればダチョウに安楽死してもらって、
   血液を抜き取り、抗体のみを精製する。 これが当初の机上計画。

   ところが、ダチョウに注射を打つこと自体がとんでもない重労働。
   いい抗体を得るには元気のよいオスに注射をした方が良かろう。
  
   ところが、放し飼いされているオスをつかまえるのが並大抵ではない。
   100メートルの記録保持者ウサイン・ボルトのトップ・スピードが時速換算45キロ。
   これに対してダチョウは60キロと軽く上回る。 

   牧場の人5人がかりでも捕まらない。 時にはキックの反撃を喰う。 
   このため、1日がかりで1匹に注射が出来ればオンの字という有様。
   そして、良い抗体が出来ても安楽死させるのは辛い仕事。 

   その上、血液を取り、これを大学まで運ぶのが一仕事。 
   体重100キロ以上のダチョウからは7リッター以上の血液がとれる。 
   これをバケツに入れて小型車で牧場から大学まで運ぶのだが、
   血なまぐささが車内満ちる。

   だが、窓を空けると非難ゴウゴウ。 うっかり窓を空けることもできない。

   そして、予算がないのにムリして大型の遠心分離機を買ったのだが、
   1回で扱える量は1リットル。時間は20分もかかる。丸々半日仕事。 
   作業服は血まみれで、臭いは付きまとう最悪の3K仕事。

   著者も助手もついに音を上げた。

  ②第2段階の苦闘

   そこで窮余の一策として考え出したのが、卵から抗体を取りだす方法。
   これも、すんなり行ったわけではない。
   まずメスのダチョウが、なかなか抗体入りの卵を生んでくれない。

   そして、抗体入りの卵が手に入るようになったが、
   卵の殻が硬くて歯科医師が歯を削る時に使う回転式ヤスリを使わないと殻が割れない。

   さらに黄身だけを使うのだが、白身との分離がなかなかうまくゆかない。
   取りだした黄身はビーカーにあける。
   ここから純度の高い抗体を取りだすまでには数ヶ月に及ぶトライ&エラーの連続。

   そして、やっと純度の高い抗体の入手に成功したのが2005年。

   それまで、マウスやウサギなどの小動物からつくられる抗体の価格は、
   グラム数億円もしていた。

   これに対してダチョウ1個の卵からつくれる抗体は約4グラム。
   そして価格は、グラム10万円としている。価格は1/1000~1/4000以下になり、
    抗体の用途が飛躍的に拡大。

   そして、今まで1個4000円前後で取引されていたダチョウの卵が
   100倍の価値を持つようになった。


(4)商品化

  ①ダチョウマスク~インフルエンザ対策用

   インフルエンザはウイルスにある突起が人間の細胞に刺さって感染します。
   このマスクを通ったウイルスの突起は蓋をされた状態になり、
   細胞に刺さらないではじき返されます。

   市販されるや否や、爆発的なヒットとなり3年間の売り上げ7000枚、
   100億円以上に!

  ②花粉症対策

   花粉症の人の腕の肌で実験したところ、
   スギ花粉+ダチョウ抗体を塗った所は反応がなかったのに対して、
   スギ花粉を塗布したところには反応がでました。

  ③アトピー性皮膚炎

   奈良県橿原市のピュアメディカルクリニックでは塚本教授の開発した
   ダチョウ抗体ジェルをアトピーの治療に取り入れています。
   アトピーに悩む女性は、使用して3ヶ月でおでこや首の周りの赤みは
   ほとんど引いていました。

   小川源太郎院長によると、菌を寄せ付けない、増やさせない虫よけみたいなイメージ。
   ただし、ダチョウ抗体がすべての人に合うわけではありません。
   かかりつけの医師にご相談下さいとのこと。

(4)2009年の産学官連携功労者表彰では「文部科学大臣賞」を受賞されました。

   → http://dachou-koutai.com/about_antibody.html

(5)塚本教授のさらなる挑戦

   水虫、虫歯、ガン、エイズ、痛風へも!


<参考Web>

(1)アトピー・新型インフルエンザ・花粉症・HIVに有効!?
    → http://marutto50.blog.fc2.com/blog-entry-314.html

(2)生命力の強いダチョウの抗体がインフルエンザや花粉症に効く!!
    → http://unohideoblog2011.seesaa.net/archives/20120925-1.html

           <感謝合掌 平成26年12月8日 頓首再拝>

【日本人の特徴】 (2406)
日時:2014年12月19日 (金) 04時28分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2010年12月16日)」より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   私の文明観、道徳観を述べておきます。

   「ある地で素晴らしい道徳観が発生したのは、その逆の状況があったからである」

   たとえば、キリストは平和や愛を説き、「汝の敵を愛せよ」と説いた。
   キリストが説いた地は今のパレスチナあたりで、旧約聖書の時代から、
   そしてこんにちに至るまで、いわば民族虐殺の頻発地でした。

   だからこそ、「右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せ」という
   徹底した平和主義が生まれた訳です。


   釈迦は、カースト制度という世界最大級の差別体制から生まれました。
   カーストから離脱した教えを説いたのです。

   シナでも、黄河の上流を中心とする多種多様な人々による商業活動によって、
   ずるい人間、人をたぶらかすような人間が出てきたために、
   仁義を説く教えが必要になり、
   孔子や孟子、あるいはそれを理想化した堯(ぎょう)や舜(しゅん)が現れる。


   日本の場合、そうした強烈な悪の状況にはなかったため、
   日本から何か強烈な一つの教えが生まれるということはなく、
   仏教に傾倒した武将もいれば、江戸時代には儒教が盛んになったりもしました。

   他の国から生まれた教えの「いいとこ取り」をして、修行する。
   こうした中から、「一つの宗教にこだわらない」という日本独特の道が生まれるのです。


   つまり、宗教や宗派という枠組みを超えて、自分の精神を磨くことが主眼となる。
   これが日本人の特徴でもあり、日本の武士道と西洋の騎士道との違いとも言えます。

   一つの宗教や一人の聖人にいかに近づくかではなく、
   自分自身の中にある心をいかに磨くかを重要視するようになりました。

   そう考えると、あらゆる宗教が、心を磨くための「磨き砂」のようになる。

   日本人は「いい教えを用いて自分の心を磨けばいいんだ」と考えてきたのです。

   武士道においても、どの宗教、どの宗派に熱心であるのかは問題ではなく、
   自分の心を磨き、天地神明に誓って恥じるところなしという精神になればいい訳です。

   「常に先祖代々からみられているような心持ちで自分を律する」とでも言いましょうか。

          <『日本人の品格』KKベストセラーズ>

                  ・・・

日本人には宗教観が希薄だとか、宗教心が少ないとか、言われることがある。

それは、大方の日本人が、ひとつの宗教だけにこだわらず、
12月にクリスマスを祝い、1月には神社に初詣、8月のお盆にはお墓参り、
と一見するとゴチャゴチャな宗教的行動をしていることも一因にある。

だがこれは逆に言うと、
ひとつの宗教にはこだわらず、かなり宗教的行事が好きな国民とも言える。


日本人の根本的なスピリットや精神行動の多くは、神道によって形作られていると言われる。

神社の奥には鏡が祭られている。

この鏡の意味には色々あるが、主には、「己を見よ」、「己を知れ」ということだ。

つまり、神道の根本は、「自分の心を磨くこと」であり、「自分を律すること」である。


いいことも、悪いことも、自分の責任であり、
天地神明に誓って恥じることのない行為が大切、と考える。

それは、太陽信仰とも関係するが、「お天道(てんと)さまが見ている」ということだ。


あらゆる教えを自分の「磨き砂」とし、自らの魂を高めていきたい。

           <感謝合掌 平成26年12月19日 頓首再拝>

日本精神を教えてくれた靴磨きの少年 (2543)
日時:2014年12月28日 (日) 03時37分
名前:伝統

       *『致知』2014年2月号 (P72~73)
        ~ ジョージ・アリヨシ(第3代ハワイ州知事)

《“分かち合い”の精神を教えてくれた靴磨きの少年》

私が最初に日本の地を踏んだのは1945年、
第二次世界大戦が終わって間もなくのことでした。

アメリカ陸軍に入隊したばかりの頃で、焼け残った東京丸の内の旧郵船ビルを
兵舎にしてGHQ(連合国軍総司令部)の通訳としての活動を行ったのです。

私は日系アメリカ人です。
両親はともに九州の人で、福岡出身の父は力士を辞めた後に貨物船船員となり、
たまたま寄港したハワイが好きになってそのまま定住した、という異色の経歴の持ち主。

ここで熊本出身の母と出会って結婚し、私が誕生しました。

私は高校を出て陸軍情報部日本語学校に学んでいたことが縁で、
通訳として日本に派遣されることになりました。


東京で最初に出会った日本人は、
靴を磨いてくれた7歳の少年でした。


私は思わず、

「君は子供なのに、どうしてそういうことをやっているの」

と質問しました。


少し言葉を交わすうちに、彼が戦争で両親を亡くし、
僅かな生活の糧を得るために、この仕事をしていることを知りました。

その頃の日本は厳しい食糧難に喘いでいました。
それに大凶作が重なり1千万人の日本人が餓死すると見られていました。

少年はピンと姿勢を伸ばし、はきはきした口調で質問に答えてくれましたが、
空腹であるとすぐに分かりました。

兵舎に戻った私は昼食のパンにジャムとバターを塗ってナプキンで包み、
他の隊員に分からないようポケットに入れて少年のもとに走り、
そっと手渡しました。


少年は

「ありがとうございます。
 ありがとうございます」

と何度も頭を下げた後、それを手元にあった箱に入れました。

口に入れようとしないことを不思議に思って、

「おなかが空いていないのか」

と尋ねると、

彼はこう答えたのです。

「僕もおなかが空いています。
 だけど家にいる3歳のマリコもおなかを空かせているんです。
 だから持って帰って一緒に食べるんです」

私は一片のパンをきょうだいで仲良く分かち合おうとする、
この少年に心を揺さぶられました。

この少年を通して

「国のために」という日本精神の原点を

教えられる思いがしたのです。


「いまは廃墟のような状態でも、
 日本人が皆このような気概と心情で生きていけば、
 この国は必ず逞しく立ち直るに違いない」

そう確信しました。

果たしてその後の日本は過去に類のないほど
奇跡的な復興を遂げ、世界屈指の経済大国に成長しました。

通訳として日本に滞在したのは僅か2か月です。
しかし、私は今日に至るまでこの少年のことを忘れたことがありません。

日本に来るたびにメディアを通して消息を捜したものの、
ついに見つけることはできませんでしたが、
もし会えることがあったら、心からの労いと感謝の言葉を伝えるつもりでいます。


《先人たちの努力に思いを馳せなくてはいけない》

(中略~アメリカに帰国後、上院議員を経てハワイ州知事を歴任)


州政運営は時に思わぬ困難にぶつかることもあります。
しかし、いかなる時も私が政治家として常にフェアな姿勢を貫くことができたのは、
両親の教えがあります。

「人の恩を決して忘れないようにしなさい」

「人前で恥をかくことのない立派な人間になりなさい」

「困難なことがあっても最後までやり抜きさなさい」

「何事も一人ではなしえないのだから、いつも威張らずに謙虚でいなさい。
 どんな時も”おかげさま”の気持ちを忘れてはいけません」

というのが両親の教えでした。

特に”おかげさま”の言葉を私はこれまでずっと大切にしてきました。

”皆のおかげ”と心から思って行動すれば、人は喜んで集まってきます。


安部総理は、自国の繁栄に溺れることなく、”おかげさま”の精神で困っている国々の
ために手を差し伸べていけば、日本は必ずアジアのリーダーになることでしょう。


日本は、今こそ、本来の日本、子孫のために身を粉にして働いたお祖父さん、お祖母さん、
お父さん、お母さんの努力に思いを馳せなくてはいけません。

他の国の思想にいたずらに振り回されることなく、
日本人が日本人の心に立ち返った時、
そこに道が拓けてくることを私は信じています。

・・・

<参考Web>

(1)日本人の分かち合う心(2014/3/18()
   → http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/62471146.html

(2)ディスカバー・ニッケイ~ジョージ・アリヨシ
   → http://www.discovernikkei.org/ja/interviews/profiles/1/

           <感謝合掌 平成26年12月28日 頓首再拝>

(幕末)再び世界の表舞台に現れたニッポン (2582)
日時:2014年12月30日 (火) 03時15分
名前:伝統

       *「不思議の国 ニッポン」ケント・ギルバート著(P211~214)より

1854年、アメリカから開国への圧力を受けて、もし鎖国を継続すればアメリカなど
欧米諸国との戦争になり、間違いなく大敗すると判断した江戸幕府は、
アメリカ合衆国と日米和親条約を締結し、下田港と函館港を開港した。

その後、1856年にアメリカ発の駐日総領事として来日し、日米友好通商条約を締結した
タウンゼント・ハリスは、1858年、『日本滞在記』のなかで日本の印象について
次のような記録を残している。

「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。
これまで見た国にもまさる簡素さと正直さの黄金時代を見る思いであった」


また、ペリーも帰国後に著した『日本遠征記』のなかで、
日本についての印象を要約抜粋すると、

「読み書きが普及しており知識をえることに熱心で、彼らは他国についてもいくらか
知識を持っている」・・・「日本が一旦、文明世界の技術をもったならば、機械工学の
成功を目指す強力なライバルになるであろう」と。

そして、「日本人は勤勉で、若い女性は美人で品位がある・・・」とも記している。

二百数十年もの間、自らの意志で国際交流を絶ち、小さな島国に閉じこもっていた国なの
だから、ハリスをはじめとする西洋人は、日本とは相当に遅れた野蛮な国なのだという
先入観を持っていた。

ところが実際の日本は、航海術や蒸気機関、大砲などの科学技術こそ西洋諸国の水準から
すっかり遅れてしまっていたが、そこに暮らす人々はみな清潔で、飢餓や貧困にあえいでいる
わけでもなく、誰もが親切で礼儀正しく、道徳心にあふれていた。

(中略)

幕末に来日した多くの西洋人が特に驚いたのは、日本人は庶民であってもユーモアを
理解してよく笑う上に、謙遜する気持ちを持っていたことだという。

当時のヨーロッパの労働者階級は虐げられていたので、お互いに冗談をいい合って
笑っている余裕などなかった。

日本には「衣食足りて礼節を知る」という諺がある。
来日前のハリスは、日本の庶民は支配階級である武士たちに搾取され、野蛮人同様なの
だろうと想像していたが、実際の日本の庶民は衣食が足りているだけでなく、
ヨーロッパの上流階級並みの礼節を備えていたのである。

ハリス以外にも、幕末の日本を訪れてその事実を目の当たりにした西洋人の多くは、
度肝を抜かれるほど驚き、日本を絶賛したのだ。

           <感謝合掌 平成26年12月30日 頓首再拝>

【イマジンの世界】 (2733)
日時:2015年01月08日 (木) 04時55分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年12月25日)」より

   (外交評論家、加瀬英明氏の心に響く言葉より…)

   東日本を襲った大震災は、
   日本国民の精神性がきわめて高いことを、世界へ向かって示した。

   未曾有の天災だった。

   それにもかかわらず、日本国民が、規律も礼節もいささかも失うことなく
   行動したことに、中国や韓国まで含めて、全世界が称賛している。


   日本人の礼節が、世界から絶賛された。

   先の第二次大戦に敗れてから、日本が世界にわたって、
   これほど高く評価されたのは、はじめてのことである。

   他の国々であれば、人々が平常心を失って、
   略奪が頻発するなど、治安が大きく乱れるものである。

   日本が世界の手本になったと、いってよい。


   全世界で、日本の被災者を援けようという、運動がひろまった。

   私も海外の多くの友人から見舞いのeメールや、電話をもらった。

   オーストリアの音楽評論家は、東日本大地震が発生してから、
   ウィーンで日本にかかわりがない3つのコンサートに出席したが、
   いずれのコンサートでも、演奏前に日本の犠牲者に対する黙祷(もくとう)が
   行われたことを知らせてくれた。

   3年まえの中国の四川大地震では、8万人以上の死者と、
   多数の行方不明者が発生したのにもかかわらず、
   被災民を励まし、援けようという輪が世界にひろまることがなかった。


   ふだん、貨幣価値によって計れるものが、
   いっさい流されて失われてしまうと、人の真価が試される。

   津波によってすべてが押し流されてしまった時には、心しか残らない。

   日本がしっかりとした、精神的な根を張っている国であることを、覚らされた。


   日本人の高貴な精神は、先人たちの贈り物である。
   そのような精神が、どのようにしてもたらされたか、
   その根がどこにあるのか、考えたい。


   日本文化は、独特なものである。

   日本人は古代から和の心を、保ってきた。
   この和の心は世界のなかで、日本人だけが持っているものだ。

   そこから、全世界が驚嘆した自制心、克己心、利他心、同胞愛が生まれてくる。


   日本人の和の心は、
   日本の2000年以上にわたって民族信仰であってきた神道に発している。

   神道が日本人をつくり、日本人が神道をつくった。

   神道というと、今日では宗教の一つとされているが、
   宗教であるよりも、心のありかたである。
   神道という言葉が生まれるはるか前に、発生した信仰である。

   神々のあいだの和、人々のあいだの和を重んじ、
   人が自然に属しているという考えかたが、日本人の心をつくってきた。


   ジョン・レノンは、私の従姉、小野洋子(オノ・ヨーコ)の夫だった。

   ジョンは日本人の心と、神道に魅せられた。

   ジョンは1971年に、有名な『イマジン』という歌を発表した。


   「天国なんてありゃしないと、想像してごらん。
   地獄もありゃしない
   そして、宗教もない。
   そしたら、みんな平和に生きられるってさ」

   というものだ。

   私は『イマジン』は、神道の世界を歌っているにちがいないと、思った。

   そして、そうジョンにいった。

   ジョンとヨーコは靖国神社、さらに足を延ばして、伊勢神宮を参拝している。
   ヨーコは明治の女のやさしい気性(きだて)と、
   凛とした男勝(おとこまさり)の気質を、受け継いでいる。


   日本では、多くの家に神棚と仏壇が同居している。

   だが、誰もそれを不思議に思うことがない。
   神々が仲よく、共生しているのだ。


   今日でも、日本人はこの世のことは神に、あの世のことは仏に頼んで、
   若い男女が結婚式をキリスト教のチャペルで挙げるというように、
   神々の棲(す)み分けを行っている。

   私はこのような風習を、けっして軽佻浮薄(けいちょうふはく)だと思わない。

   日本人にとって、神々にはそれぞれ備わった霊威(れいい)があって、
   ご利益を授かれるのだ。


   ほとんどの日本人が、外国人から「あなたの宗教は何ですか?」とたずねられたら、
   すぐに答えることができないものだ。

   私はこれこそ、日本人の長所の一つだと、思う。

      <『ジョン・レノンはなぜ神道に惹(ひ)かれたのか』祥伝社新書>

                ・・・

他の宗教になくて、日本の神道にだけにある独特のものが「祓(はら)え」の儀式だ。

知らず知らずに身につけてしまった罪や穢(けが)れを、
祓えの祝詞(のりと)や大幣(おおぬさ)で清める。


穢れとは、「気枯(けが)れ」であり「気離(けが)れ」のことであり、
気が衰え、気力が充実していない状態のこと。

また、罪とは、一般的な罪を犯すことを言うだけでなく、
怒り、憎しみ、悪口、不平不満、心配、憂い、嫌なこと、等々の
ネガティブなことをすべてをさす。


そして、「清き、明(あか)き、正しき、直き」世あれと、参列者だけでなく、
この世のすべての罪や穢れを払う儀式が「祓え」だ。

それらすべてを、祓って、清めて、そして笑う。

まさに、ジョン・レノンの「イマジン」の世界。


日本人の心のよりどころである神道を大事にしたい。

           <感謝合掌 平成27年1月8日 頓首再拝>



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