「人を救うヒマなんかない」といっている以上、今後、先祖供養も神癒祈願等も無くなってしまうのではないでしょうか…? (2008) |
- 日時:2014年11月27日 (木) 10時38分
名前:破邪顕正
経営コンサルタントの第一人者として知られていた一倉定は、「炎のコンサルタント」との異名を持ち、「ダメな会社はTOPがすべて悪い、人のせいにするな、部下のせいにするな、環境のせいにするな」と言い続けました。
空理空論で経営する社長や、利益だけを追求する社長に対しては、烈火の如く怒り叱り飛ばし、「こんなに叱られるのは生まれて初めてだ」「講義と聞いて来たが、これは講義ではない、落雷だ」との所感を述べる経営者もいたといわれます。
その一倉が今、“八ヶ岳教団”を見たら、間違いなく雷を落としたでありましょう。
一倉は、会社にとって大事なのは、「事業の定義付け」であるとよく言いました。
この「事業の定義付け」から言って、“八ヶ岳教団”は大変な間違いをしでかしたと私は見ます。
曲がりなりにも「宗教団体」でありながら、人を救いません、国家を救いません、地球環境を救うことに専念します、と宣言したのですから。
これは、明らかな「事業の定義付け」の変更です。
この変更が、“八ヶ岳教団”を今後、ますます苦しめることになると私は確信しております。
今、“八ヶ岳教団”の先祖供養の「霊牌」、或いは「神癒祈願」の申し込み等がどんどん減っていると言われます。
当然です。
だって、「人を救っているヒマなんかない、地球環境が大事だ」と言っているわけですから。
“八ヶ岳教団”は、「言葉の力」を余りにも軽視しすぎているのではないでしょうか?
「救い」ということを放棄したら、それこそ、所謂、宗教行といわれるものがどんどん形骸化していくのは火を見るよりも明らかです。
まず、練成会が間違いなく下火になります。
だって「人を救う」必要がないのですから…。
教化部長や本部講師の救済力も必要ないということになります。
教化部長や本部講師に求められるのは、教化力でもなければ救済力でもない、谷口雅宣総裁にどれだけ「ハイ」がいえるかどうか、それだけなのですから。
当然、「霊牌」も減ります。
大祓いの「人型」も減ります。
人を救おうとしないところに、「神癒祈願」を出す人もいなくなるでしょう。
「個人指導」をお願いする人もいなくなります。
で、やることはと言えば、「メガソーラー」建設の献金というわけでしょう。
これが本来、生長の家教団がやるべきことなのか?
当然の疑問です。
再度、申し上げます。
「事業の定義付け」
その変更が、今後、ますます信徒離れを引き起こすものと私は見ています。
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