傳記 二宮尊徳 ③ (2444) |
- 日時:2014年12月21日 (日) 07時25分
名前:平賀玄米
しかしそれは効果はなかった。金次郎は遥々来た遣いの者に会おうとはしなかった。しかしたって の願いだというので、門人を通して返答をした。
「貧村を再興する事は出来ない事ではない。何処でもやり方は同じで、どんな処でも再興出来ます。 しかし話を聞いただけでは事情や情況が詳しく分りません。細かいことで大事な事があるものだが それを遠くで考えただけでは分らない。
どんな些細な隙でもあると誠の仁術は行えないものです。一条氏の持ってこられた書付は貧村ばかりで、藩全体の様子が分りません。藩全体がどうなっているかが分らないと一村の衰退の原因がはっきり分らないものです。数村を仮に救う事が出来ても、反って税を取り過ぎたりして巧くゆかないものです。
良村になると反って亡びる事がよくあるもので、その村の繁昌が目に付いてつい税を取り過ぎる傾向が出来るので、本当に救おうと思うなら藩全体に亘って調査をし、過去数十年の税を調べてそれを平均し、中庸の収入を以って永年の分度として、それ以上の収入は臨時収入として、民の生活安定の為に使うべきです。そして基が安定すれば、どんな小さな村でも安定するものです。
ですから私に道が聞きたいなら藩主自らお出でになるのが本当だと思います。藩主が国を離れる 事が出来なければ、代ってご家老が見えなければお話しても無駄です。帰ってその事をお伝えく ださい」そうしてとうとう金次郎は遠路遥々やって来た一条には会わなかった。 門人達は「どうしてお会いにならなかったのですか」と聞いた。
「私が迂闊に会って、あの遣いの一条が私の話に感心し、帰って早速私の教えを実践しょうとし たら、必ず反撥を喰らい、職を失うようなことになるだろう。私の教えを行うには大夫の力なくしては 難しいのだ。
もし本当に相馬藩の人が私の教えを知り、それを実践しようと思うなら改めて大夫が会いに来る だろう。私が直接一条という遣いに会わなかったのは、一条氏の一身を案じたからだ」
つづく。
<平成26年12.月21日 謹写> ありがとうございます 合掌。
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