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光明掲示板・第三

 

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平成27年歌会始御製御歌に思うこと (3072)
日時:2015年01月27日 (火) 08時58分
名前:破邪顕正


今年の御題は「本」でありました。

御製
夕やみの せまる田に入り 稔りたる 稲の根本に 鎌をあてがふ

皇后陛下御歌
来し方に 本とふ文の 林ありて その下陰に 幾度いこひし

今上陛下は、「本」という御題にたいして「稲の根本に」とお詠みになられました。

「本」を「ホン」と詠まれず「モト」と詠まれことに驚きを禁じえませんでした。

「日本」は“瑞穂の国”それが〝大本〟であるということを教えていただいたような気がして本当に感激しました。

『天壤無窮の神勅』は今に生きていると思ったことでした。

「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤(あめつち)と窮まりなかるべし」。

皇后陛下御歌には、以前、お話になったことが思い出されました。

平成10年、皇后陛下は「第26回IBBYニューデリー大会」の基調講演においてこうお話になったのです。

…ほとんど読む本のなかったこの時代に、たまに父が東京から持ってきてくれる本は、どんなに嬉しかったか。

冊数が少ないので、惜しみ惜しみ読みました。

そのような中の一冊に、今、題を覚えていないのですが、子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。

日本の歴史の曙のようなこの時代を物語る神話や伝説は、どちらも8世紀に記された2冊の本、古事記と日本書紀に記されていますから、恐らくはそうした本から、子供向けに再話されたものだったのでしょう。

私は、自分が子供であったためか、民族の子供時代のようなこの太古の物語を、大変面白く読みました。

今思うのですが、一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。

これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたか等が、うっすらとですが感じられます。

父がくれた神話伝説の本は、私に、個々の家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えたという意昧で、私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。

本というものは、時に子供に安定の根を与え、時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです。


「幾度いこひし」とのお言葉に、このときのお話も陛下のお心にあったのではないのかと拝察させていただいた次第です。

今上陛下も皇后陛下も「本」という御題で、期せずして「神話」の世界を思われたのではないのか。

御製と御歌を拝誦させていただき、「日本」という国に生まれた幸せを改めて噛みしめたことでした。



「戦後70年」か「皇紀2675年」か、「谷口雅春先生の戦後40年」か「谷口雅宣総裁のこの30年」か? (3092)
日時:2015年01月29日 (木) 09時58分
名前:破邪顕正


今年は戦後70年ということで、年頭から「安倍談話」が注目されています。

早速、中・韓、そして米国からは、「村山50年談話」「小泉60年談話」を引き継ぐよう、つまり“謝罪談話”が強く求められています。

これが、所謂、戦後レジームと言われるものであって、まさに戦後日本はこの呪縛から逃れられない体制として存立してきました。

その年の冒頭に当たり、今上陛下、美智子皇后陛下が期せずして「神話」の世界を暗示なさるような歌をお詠みになられたことに私は得もいえぬ感激を覚えたわけです。

「戦後70年」の中に日本があるのではありません、日本の本当の姿は「神話」の世界にこそあるのです、そう仰っておられるような気がしてならなかったのです。

「戦後70年」を超克する視座として「皇紀2675年」があるのではないのか?

今年の「歌会始」に、私はそんな感慨を抱きました。

同様に、今日の“八ヶ岳教団”についても、これは谷口雅宣総裁が乗り込んできてからの30年がつくりあげたものであって、そこに本当の「生長の家」があるわけではないと感じた次第です。

本来の「生長の家」は、敗戦日本を何とか再建なされようと先頭に立って運動を牽引してくださった谷口雅春先生の戦後40年の歩みにこそある、そう思うのです。

そして、それはまさしく「神話」の世界を今日に甦らす運動としてありました。

つまり、今の“八ヶ岳教団”は、「戦後70年」の体制に乗っかった、実に薄っぺらな教えで成り立っているのであり、一方、谷口雅春先生の創始なされた本来の「生長の家」は、悠久の「神話」の世界にまでさかのぼる永遠のいのちに根ざしたところに存立していると思うのです。

「日本」をみるとき、戦後70年として見るのか、それとも皇紀2675年として観るのか、それによって、まったく違った世界が現れてまいります。

同様に、「生長の家」をみるとき、谷口雅宣総裁の近々30年で見るのか、それとも谷口雅春先生の戦後40年で観るのか、それによって、まったく違った「生長の家」が現れてまいります。

どちらの見方、観方に立つのか、それが信徒一人ひとりに問われているような気がしております。


美智子皇后陛下様のお姿に日本国民の取るべき姿勢を垣間見ました… (3101)
日時:2015年01月29日 (木) 19時11分
名前:破邪顕正


美智子皇后陛下様が、平成10年にお話になった中に、今でも忘れ得ないのをご紹介いたします。

…父のくれた古代の物語の中で、一つ忘れられない話がありました。

年代の確定出来ない、6世紀以前の一人の皇子の物語です。

倭建御子 (やまとたけるのみこ) と呼ばれるこの皇子は、父天皇の命を受け、遠隔の反乱の地に赴いては、これを平定して凱旋するのですが、あたかもその皇子の力を恐れているかのように、天皇は新たな任務を命じ、皇子に平穏な休息を与えません。

悲しい心を抱き、皇子は結局はこれが最後となる遠征に出かけます。

途中、海が荒れ、皇子の船は航路を閉ざされます。

この時、付き添っていた后、弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと) は、自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので、皇子はその使命を遂行し覆奏してほしい、と云い入水し、皇子の船を目的地に向かわせます。

この時、弟橘は、美しい別れの歌を歌います。

さねさし相模(さがむ)の小野(おの)に燃ゆる火の
   火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

このしばらく前、建 (たける) と弟橘 (おとたちばな) とは、広い枯れ野を通っていた時に、敵の謀りごとに会って草に火を放たれ、燃える火に追われて逃げまどい、九死に一生を得たのでした。

弟橘の歌は、「あの時、燃えさかる火の中で、私の安否を気遣って下さった君よ」という、危急の折に皇子の示した、優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持を歌ったものです。

悲しい「いけにえ」の物語は、それまでも幾つかは知っていました。

しかし、この物語の犠牲は、少し違っていました。

弟橘の言動には、何と表現したらよいか、建と任務を分かち合うような、どこか意志的なものが感じられ、弟橘の歌は…私は今、それが子供向けに現代語に直されていたのか、原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですが…あまりにも美しいものに思われました。

「いけにえ」という酷い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。

はっきりとした言葉にならないまでも、愛と犠牲という二つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ一つのものとして感じられた、不思議な経験であったと思います。


この話を思い出したのは他でもありません、皇后様のお心の深くには、ずっと弟橘比売命がおられるのではないか思われて仕方ないからであります。

平成4年、山形県で行われた第47回国民体育大会(山形べにばな国体)、開会式でのことです。

開会のお言葉を述べられる今上陛下、その隣には皇后陛下がお立ちになられていました。

そこへ突然、競技場内のトラックから男が駆け寄り、「天皇訪中反対」「天皇は帰れ」などと叫びながら両陛下のいらっしゃるロイヤルボックスに向かって発煙筒を投げつける事件が発生しました。

男が動き始めたそのとき、皇后陛下はすぐさま異変を察知されます。

そして一瞬のご判断で、皇后陛下は一切の躊躇なく右手を今上陛下の前へ伸ばして、陛下を庇われたのです。

いつでも身を挺して、陛下をお護りなさろうとするお姿。

それが咄嗟のご判断でお出来になる。

常日頃から、そのお心構えが出来ていなければ、到底、できる行為ではありません。

皇后様のお心深くに、弟橘比売命がおられる!

それが私の確信となりました。

谷口雅春先生は、民とは“手身”であるといわれます。

頭に何かが飛んできたら、咄嗟に手を出して、頭を守ろうとします。

手が傷つこうとも構わない。

頭こそは、中心生命であるからです。

皇后陛下のお姿の中に、私は日本人のとるべき姿勢を垣間見た思いがして、今でもこのときのことを感激をもって目に焼き付けている次第です。

命懸けで天皇様を愛しておられる皇后さま (3103)
日時:2015年01月29日 (木) 19時58分
名前:コスモス


 》一瞬のご判断で、皇后陛下は一切の躊躇なく右手を今上陛下の前へ伸ばして、陛下を庇われたのです。

 いつでも身を挺して、陛下をお護りなさろうとするお姿。

 それが咄嗟のご判断でお出来になる。

 常日頃から、そのお心構えが出来ていなければ、到底、できる行為ではありません。《


 全く同じことを、テレビ番組の中で、三輪明宏さんが話しておられました。「皇后さまは本当に素晴らしいお方です」と、絶賛しておられました。

 白鳩会総裁も、是非、皇后さまをお手本にして頂きたいと思います。そうすれば、生長の家白鳩会総裁とは、何を為すべきかがよくお分かりになると思います。




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