「戦後70年」か「皇紀2675年」か、「谷口雅春先生の戦後40年」か「谷口雅宣総裁のこの30年」か? (3092) |
- 日時:2015年01月29日 (木) 09時58分
名前:破邪顕正
今年は戦後70年ということで、年頭から「安倍談話」が注目されています。
早速、中・韓、そして米国からは、「村山50年談話」「小泉60年談話」を引き継ぐよう、つまり“謝罪談話”が強く求められています。
これが、所謂、戦後レジームと言われるものであって、まさに戦後日本はこの呪縛から逃れられない体制として存立してきました。
その年の冒頭に当たり、今上陛下、美智子皇后陛下が期せずして「神話」の世界を暗示なさるような歌をお詠みになられたことに私は得もいえぬ感激を覚えたわけです。
「戦後70年」の中に日本があるのではありません、日本の本当の姿は「神話」の世界にこそあるのです、そう仰っておられるような気がしてならなかったのです。
「戦後70年」を超克する視座として「皇紀2675年」があるのではないのか?
今年の「歌会始」に、私はそんな感慨を抱きました。
同様に、今日の“八ヶ岳教団”についても、これは谷口雅宣総裁が乗り込んできてからの30年がつくりあげたものであって、そこに本当の「生長の家」があるわけではないと感じた次第です。
本来の「生長の家」は、敗戦日本を何とか再建なされようと先頭に立って運動を牽引してくださった谷口雅春先生の戦後40年の歩みにこそある、そう思うのです。
そして、それはまさしく「神話」の世界を今日に甦らす運動としてありました。
つまり、今の“八ヶ岳教団”は、「戦後70年」の体制に乗っかった、実に薄っぺらな教えで成り立っているのであり、一方、谷口雅春先生の創始なされた本来の「生長の家」は、悠久の「神話」の世界にまでさかのぼる永遠のいのちに根ざしたところに存立していると思うのです。
「日本」をみるとき、戦後70年として見るのか、それとも皇紀2675年として観るのか、それによって、まったく違った世界が現れてまいります。
同様に、「生長の家」をみるとき、谷口雅宣総裁の近々30年で見るのか、それとも谷口雅春先生の戦後40年で観るのか、それによって、まったく違った「生長の家」が現れてまいります。
どちらの見方、観方に立つのか、それが信徒一人ひとりに問われているような気がしております。
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