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光明掲示板・第三

 

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「罪は無い」と知っていながら、自己処罰していた苦しみからようやく解放されました! (3108)
日時:2015年01月30日 (金) 08時35分
名前:破邪顕正


表題は、「谷口雅春先生を学ぶ会」のとある会員さんの悦びの声であります。

その方は、ずっと「組織」になじめず、苦しみ続けておられました。

皆さんとどうしても「大調和」できない、それは自分の信仰姿勢が間違っているからだ。

そう思い込んで、ずっと自己処罰してこられたのでした。

それが、ある人のご縁で「谷口雅春先生を学ぶ会」の練成会に参加して以降、ガラッと変わられました。

その方の溌剌とした悦びの声に「我が意を得たり」との共感を覚えました。

その方はこう言われたのです。


…私の信仰は間違っていなかった。

間違っていたのは、「組織」の皆さんの方だった。

なじめなかったのも当然。

だって、向こうの方が間違った信仰をしていたのですから。

しかし、向こうが圧倒的に人数が多いから、しかもこちらは一人だし、どうしても自分の方がオカシイのかなと思ってしまう。

人数が多いから正しいわけではない、たとえ一人であっても正しいものは正しい。

それが、ようやく、「谷口雅春先生を学ぶ会」と出会って解りました。

私のように、純粋に谷口雅春先生の「教え」を信じている方がやはり正しい信仰だったのです。

谷口雅宣総裁に付いていっている人達の方がオカシイのです。

それが解った途端に、長い間の呪縛から解放されました、癒されました。

救われたい一心で、これまで精一杯、私なりに挺身・致心・献資の誠を捧げてまいりました。

徳積みすれば、何とかなる、それにすがってやってきました。

しかし、内心はいつも自己処罰しているから、クライ表情をし、シズンダ雰囲気を漂わせていたようです。

自分ではわかりませんでしたが。

でも、今は全然、違います。

昔の私を知っている人が、別人みたいだ、と言ってくれます。

これが私の本当の神の子さんの姿だったんです。

私に残された時間はそう長くはないと思っております。

だから、間違った信仰の人達になじもうと、間違った努力をしているヒマなんか実にもったいないと思います。

過去の私がそうでしたから、貴重な時間をそういうことに費やしている信徒さんをみると本当に何とかしてあげたいという思いでいっぱいになります。

「谷口雅春先生を学ぶ会」の支部を立ち上げて、一緒に真理の勉強をさせていただいていますが、皆さんが言われるのはこの言葉です。

「やっと本当の勉強ができるようになったわね」


以上が、その方がお話になった内容です。

本当に有り難く、嬉しく聞かせていただきました。

「谷口雅春先生を学ぶ会」があって本当に良かったと改めて思い知らされたことでした。


“いい人信徒”を返上し“KY信徒”へと脱皮しよう… (3143)
日時:2015年02月01日 (日) 12時47分
名前:破邪顕正


山本七平の『空気の研究』によれば、日本人は、すぐにその場の空気を読んで、その「空気」を乱さないことを第一義にしてしまうところがあるそうです。

なるほどと思います。

だからこそ、「KY」(空気が読めない)という言葉が流行ったのでしょう。

ご他聞に漏れず、これが“八ヶ岳教団”に蔓延っているようです。

谷口雅宣総裁の方針に少しでも疑義を差し挟もうものなら、「KY信徒」(空気が読めない)のレッテルを貼られかねないからです。

その場の空気を敏感に読んで、それに合わせるのが、どうも「いい人信徒」の心得第一条のようであります。

それが恰も「大調和」の教えであるかのように錯覚している信徒もいるようです。

もし、それが本当に「大調和」の真理の世界であるならば、どうして、ここまで教勢が落ちているのでしょうか。

こういうときにこそ、「原因・結果の法則」から捉えなおしてみるべきなのです。

空気を読んでそれに合わせるという姿勢は、決して「大調和」の教えではないということです。

ここまで来たら、「いい人信徒」では、もはややっていけないと思い定めるべきなのであり、いっそのこと、今後の「生長の家」のために、この際、「いい人信徒」であることを返上したらどうでしょう。

つまり、「何でもハイ、ノーと言わない人がいい人、生長の家の信徒である」という思い込みを捨ててしまうのです。

逆に、本当に「いい人」とは、その場の空気がどうなろうが自分で納得のいかないことについては堂々とそれを述べる、敢えて「KY」を引き受ける覚悟をもつ信徒であると考え直すのです。

それが、長い目で見れば、必ずや教団を良くすることにつながります。

これからは「KY(必ず良くなる)信徒」こそが教団を救うことになると信ずる次第です。




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