“いい人信徒”を返上し“KY信徒”へと脱皮しよう… (3143) |
- 日時:2015年02月01日 (日) 12時47分
名前:破邪顕正
山本七平の『空気の研究』によれば、日本人は、すぐにその場の空気を読んで、その「空気」を乱さないことを第一義にしてしまうところがあるそうです。
なるほどと思います。
だからこそ、「KY」(空気が読めない)という言葉が流行ったのでしょう。
ご他聞に漏れず、これが“八ヶ岳教団”に蔓延っているようです。
谷口雅宣総裁の方針に少しでも疑義を差し挟もうものなら、「KY信徒」(空気が読めない)のレッテルを貼られかねないからです。
その場の空気を敏感に読んで、それに合わせるのが、どうも「いい人信徒」の心得第一条のようであります。
それが恰も「大調和」の教えであるかのように錯覚している信徒もいるようです。
もし、それが本当に「大調和」の真理の世界であるならば、どうして、ここまで教勢が落ちているのでしょうか。
こういうときにこそ、「原因・結果の法則」から捉えなおしてみるべきなのです。
空気を読んでそれに合わせるという姿勢は、決して「大調和」の教えではないということです。
ここまで来たら、「いい人信徒」では、もはややっていけないと思い定めるべきなのであり、いっそのこと、今後の「生長の家」のために、この際、「いい人信徒」であることを返上したらどうでしょう。
つまり、「何でもハイ、ノーと言わない人がいい人、生長の家の信徒である」という思い込みを捨ててしまうのです。
逆に、本当に「いい人」とは、その場の空気がどうなろうが自分で納得のいかないことについては堂々とそれを述べる、敢えて「KY」を引き受ける覚悟をもつ信徒であると考え直すのです。
それが、長い目で見れば、必ずや教団を良くすることにつながります。
これからは「KY(必ず良くなる)信徒」こそが教団を救うことになると信ずる次第です。
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