新しき朋へ (3615) |
- 日時:2015年03月23日 (月) 20時55分
名前:中仙堂
http://simplog.jp/pub/20285704/62
長い人生の中で、私が知り得た処を述懐させていただきます。
神とは何ものなのであろうか。
しかし、当時、信仰とは何もので有るかという事よりも、
人生の不可解さ、ハードルの高さに呻吟していたものであります。
そんな中、時に集い語り、笑い、
人生の豊かさを味あわせて頂きました。
その長い人生も最早吾々も、六十路に入り、
神とは如何なるものであるか。
その命題を探り当てる時期も一入の様です。
判っている様で、中々判り得なかった。
そんな気がいたします。
谷口雅春先生は聖典の中で、
神に三義あり、と仰いました。
第一義の神
是は宇宙に遍満する神
古事記で云う、天之御中主之神、宇宙に実在する大生命
第二義の神
其の宇宙に遍満する神が、救いの霊波として、顕れた神
古事記で云う、天照大御神、住吉大御神(塩土之神)、仏教で云う、大日如来、
キリスト教で云う、ミカエル天使等々
第三義の神
自然霊(龍等も含む)人間の霊魂(天神様、東郷神社様)人の霊、動物霊、
神(カミ:隠れ身、幽かな身等の意味)
ですから、一神教では説明が着かず、神道の八百万の神も納得説明が着く訳です。
生長の家で云う神とは
創造の神(普遍神)の事であり、
生長の家の神は
住吉大御神(塩土之神)でいらっしゃいます。
ですから、生長の家では他宗を、他宗の神を謗らない訳です。
で吾々人間は本源の神の〝先は枝〟分身分靈でありますから、
私達は神の子であり、神そのものだから、尊い、神の子
子=小さい劣るものでは無く、
神そのものの命で尊い、
自分が神の子であると判れば、尊大に成る筈は無く、
自分が神の子であれば、隣の人も神の子、
だから、キリストも神の子故に弟子の足を洗う事が出來たと云う事です。
未だ未だ良く咀嚼して居ませんが、今迄知り得た処のものです。
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