再び「和解」を考える②ー和解しない「和解」を提案する (3632) |
- 日時:2015年03月25日 (水) 08時53分
名前:光明遍照(亀の子)
(承前)
前回は、すこし感情的になってしまった部分があると思う。今回は、真理の面からの「和解」いうものを考えてみたい。
そーれ!!様が、
「本当の和解とは、こらえたり、我慢し合ったりでは無いですよね。 (3628)」のスレッドの中で、
>感謝していたら、裁判なんて起こしません!!!
と和解派の和解待望論をぶった斬っておられるのは、なんとも痛快である。まさにその通りである。
一般的に両者の間に問題が生じたら、裁判になる前に和解するのが、大人の対応というものであろう。ましてや聖職者たる宗教家が、裁判ばかりに明け暮れるとは、一体、何事かと言わざるをえない。
最近読んだ本に琴線に触れる言葉が書かれていたので、その部分を一部、紹介させていただく。
---------------------------------------------------------------------------------- 2006年11月に開催された広島国際平和会議に、3人のノーベル平和賞受賞者が来日した。
ダライ・ラマ法王 、南アフリカ共和国のデズモンド・ツツ大主教、それに北アイルランドの平和活動家ベティ・ウィリアムズ氏。
その時の講演会でひときわ、おもしろかったのがツツ大主教でした。
「クリスチャンのなかにも、良いクリスチャンと悪いクリスチャンがいる」と言った。
「キリスト教の信徒をしながら、その教えとはまったく反対のことをしている人がいる」と言われた。 ----------------------------------------------------------------------------------
正にこの言葉は、今の教団にも当てはまる。
「生長の家人のなかにも、良い生長の家人と悪い生長の家人がいる」
「生長の家の信徒をしながら、その教えとはまったく反対のことをしている人がいる」
また、 ツツ大主教は、こうも言われたという。 ----------------------------------------------------------------------------------
「神様は人間のことをよくご存知だから、嫌な奴まで好きになれと無理なことはおっしゃらない。嫌いなものは嫌いであり、それは理屈を超えている。しかし、キリスト教の愛とは好き嫌いの問題ではなく、人間の意識面での愛のことである。」
「神様は、「人を愛しなさい」とおっしゃるけれど、嫌いな人まで無理して好きになりなさいなどと無茶なことはおっしゃらない」と。 ---------------------------------------------------------------------------------- (上記は、『神(サムシング・グレート)と見えない世界』矢作直樹・村上和雄共著 祥伝社 新書)
谷口雅春先生は、『聖経 真理の吟唱』の「天地一切と和解する祈り」の中で、「暗(やみ)」と、和解せよとなどとは言われていないのである。
現教団の思想が、「光明」でないことは、信徒の激減の状況を見ても明らかではないか。人は、「光」を求めるのは、人がもともと「光」なるものであるからである。
従って、谷口雅春先生が「和解念仏教の教祖様」であるなど言うことは、勘違いもはなはだしいと言わざるをえない、だから、「理解が浅い」と言ったのである。
(谷口雅春先生も、「人が天皇陛下のことを単に「天皇」と呼びつけにするような言葉遣いで話すのを聴くと腹が立つのである。」と言われていたのである。この事は、後日、別スレッドを立てて投稿する予定である。)
トキ様の唱える和解とは「暗」と「光」を和解させようとしているようにしか見えない。(この場合、「暗」とか「光」とは、特定の団体を指す意味ではなく、その思想的なものを言っている。)
ヨ ハネ福音書の冒頭に、「光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒(くらき)は之(これ)を悟らざりき。」 という言葉がある。
前述の「天地一切と和解する祈り」の中の一節、
「光の進軍に対しては暗は逆らうことも、抵抗することもできないのである。・・・(略)・・・神は「暗に対しては光を以って相対せよ」と仰せられているのである。」
とある。
「暗(やみ)・暗黒」は、「之(これ)」すなわち「光」を悟ることは出来ない。また、逆に「光」の進むところ「暗(やみ)」はないのであるから、「光」も永遠に「暗(やみ)」に出会うこともないが故に、「光」もまた「暗」など悟らざりきである。
「光」はただ進むのみである。光の進軍するところ、暗・闇・病みは、消え行くのみなのである。
したがって、「光」と「暗」は、永遠に和解(感謝・愛)することは出来ないのである。
「本当の和解」など永遠に出来ないのである。あるとしたらそれは「我慢」か「妥協」にしか過ぎない と知るべきなのである。
上記のことから導き出される最終的な「和解」を考えた時、トキ様に提案したい和解案として、
<< 和解しないという和解案 >> を提案したい。
さて、その先具体的な処置は、「天地一切と和解する祈り」の中に答えが書いてあるので、是非、繰り返し熟読、神想観、思索し「叡智」を出していただき、「本当の和解」ということを学び直して頂きたい。
これにて、「和解」について考えるは、一旦、終了とする。
感謝 合掌
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