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光明掲示板・第三

 

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恐怖心を追放する道 (51)
日時:2014年09月02日 (火) 04時00分
名前:伝統


先代までの掲示板において、「恐怖心の追放」に関した題材を次のように紹介してまいりました。

(1)「“本流宣言”掲示板」内スレッド「恐怖心を消すには(4210))」
    ~消滅しております。

(2)「光明掲示板・第一」内スレッド
   「恐怖心を追放するのが「生長の家」の念願の一つ (2064)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=436    

(3)「光明掲示板・第二」内スレッド「恐怖心の追放 (87)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=41


この掲示板(「光明掲示板第三」)においても、継続して紹介して参ります。

・・・

【太古の記憶】

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2011年11月15日)」より

   (マーシー・シャイモフ氏の心に響く言葉より…)

   人の脳には太古より「恐怖」と「不安」という
   「幸せのバリア(障壁)」がプログラムされています。

   この二つの「脳の警報システム」は、現代社会ではあまり役に立ちません。

   原始時代、人の祖先は子孫を守るため、楽観的に考えるより、
   あらゆる危険に注意を払う暮らしをしていました。

   そうしなければ、鋭い牙をもったトラに子どもを食べられてしまうかも
   しれなかったからです。

   脳の研究を専門とする心理学者リック・ハンソンは、

   「私たちの脳は、ネガティブな考えをマジックテープで留め、
   ポジティブな考えをテフロン加工ではじいているようなものです」と言います。

   つまり、嫌な経験はぴったりとくっついて離れず、
   うれしい経験はスルッとすべり落ちてしまうというのです。

   この生来の傾向を修正するためには、意識的にポジティブなものに注意を向けること、
   つまり「思考をプラス方向に走らせる」ことが必要でしょう。

   「意識して」うれしい経験に注意を向けることでうまくいきます。

   人がそれを意識しはじめたとたん、それまで見えていなかった幸せに気づくようになり、
   たちまち幸福感が高まるのです。

   たとえば、鏡に向かって自分を褒める。

   ただそれだけで自信がつきます。

   私がこれを始めた当初は、バスルームに入り、ドアを閉め、自分に向かって
   「あなたは美しい、あなたは優しい、あなたが大好き!」と褒めちぎったものです。

   何日か練習しているうちに、しだいに「いいアイデアを生む力がある」
   「人のために時間を惜しまない」など、
   褒められることはけっこうたくさん出てきたのです。

   あるいは、ちょっとでもいいことがあったら見過ごさず、意識するのです。
   ポジティブな考え、きれいなもの、おいしいもの、小さな成功、問題の解決など、
   何でもいいから、「うれしいな・楽しいな」と思うことを毎日見つけてください。

   うれしいことに目を向けるために、一日に何度も心の中で「賞」を与えてみてください。
   「行儀のいいワンちゃん賞」「おしゃれな内装のファストフード店賞」
   「親切なドライバー賞」といった具合です。

   これによって身の周りの美しいものやポジティブな気持にさせてくれるものに
   絶えず注意を向けることができます。

    <『脳にいいことだけをやりなさい!』(茂木健一郎訳)三笠書房 >

                ・・・

一部の戦争地域を除けば、現代社会において、死につながるような、
「恐怖」や「不安」と向き合うことはあまりない。

今の時代は、虎や、ライオンに食べられる心配はないからだ。

にもかかわらず、我々は、太古の昔の弱肉強食だった頃の、
「恐怖」や「不安」というネガティブな記憶を消せないでいる。

不安を消すには、その上に、よいイメージを上塗りすること。

「大丈夫!」、「絶対できる!」、「私はすばらしい!」と、自分に、声を掛ける。

そして、毎日、小さな幸せを見つけること。

小さな成功体験を重ねれば、やがてそれは大きなものとなる。

太古のネガティブな記憶は、持ち続けずに、どこかでしっかり手放すしかない。

嫌な経験は忘れ、いいことだけを覚えている思考習慣を身につけたい。


・・・

《恐怖心を追放するのが、「生長の家」の念願の一つ》

        *「生長の家」誌(創刊号~巻頭のことば)より
 

 蛇に睨まれた蛙は恐怖のために動けなくなって蛇にのまれる。
 国が国を恐れるとき莫大な軍費を要する。

 就職試験に臨んで恐怖心を起す青年はその就職に失敗する。
 入学試験に臨んで恐怖する学生はその入学に失敗する。

 恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。
 更にそれが自己の病気や健康に影響するに至っては云うまでもないのである。

 此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐すべき道を示さんとするのが
 『生長の家』の念願の一つである。

          <感謝合掌 平成26年9月2日 頓首再拝>

何でも受ける (154)
日時:2014年09月07日 (日) 04時55分
名前:伝統

         *「聖光録」(九月の手紙)<「靜思集」(P78)>より

何でも起って来るものに敵意をもって立ち騒ぐことは、
発熱や、発汗や、下痢や、喀血や・・・・その他のどんなものでも増悪せしむるばかりであって、
不幸はその「起って来るもの」に対する不調和の念によって増悪されるばかりでございます。


「何でも受ける」と云う覚悟が出来た時に病気の治った人は沢山ございます。

若しあなたが病気であって治り難いのでございましたならば、
此の「何でも受ける」と云う心境が無いのではございますまいか。

「あれも嫌や、これも可(い)かぬ」と言って
素直に受ける心境におなり遊ばされねば、心の調子(リズム)が騒がしいので
神の療能(なおすちから)が働きかねるのでございましょう。

「何でも受ける」という心境におなりなさいましたならば、第一恐怖がなくなります。

恐怖と云うものは、遁れる道がまだあると思い、何とかして逃れたいと思うからでございます。

もう宣告を受けた囚人には恐怖がございませぬ。
逃走中の犯人の心は恐怖で充満しておりまする。

「逃れるような卑怯はすまい、すべてを受けよう」
斯う決心した時に恐怖心は消えるものでございます。

恐怖は神経の過労を惹起(ひきおこ)し、血液の循環を不平等にし、
血液その他内分泌(ホルモン)中に毒素を造り、自然療能を妨げるのであります。

今日から私達は恐れないと決心致そうではありませんか。

          <感謝合掌 平成26年9月7日 頓首再拝>

不安と恐怖とを取り除くには、真理の言葉を読むこと (212)
日時:2014年09月09日 (火) 04時08分
名前:伝統

         *『生命の實相』第39巻仏教篇(P80~82)より

諸君がもし絶対健康を求むれば、絶対健康の秘訣は、まず自己が絶対健康であることを知るにある。
汝の生命(せいめい)を今、神の生命(せいめい)なり、絶対健康なりと信ぜよ。信じかくして
絶対健康として行動せよ。その時汝は絶対健康となり、病める者も自癒するのだ。

キリストの奇跡はこの真理を実証しているのであります。(『生命の實相』生活篇)。

                ・・・

視よ、12年血漏(ちろう)を患いたる女、イエスの後(うしろ)にきたりて、御衣(みころも)
の総(ふさ)にさわる。それは御衣にだに救われんと心のうちにいえるなり。イエスふりかえり、
女を見て言い給う「娘よ、心安かれ、汝の信仰なんじを救えり」女この時より救われたり。
(「マタイ伝第9章20~22)


この驚くべき奇跡が成就したのは、一つは患者自身の信仰によるのであって
「汝の信仰なんじを救えり」である。

さらにその信仰が現実的力となって神癒を完成したのは、「娘よ、心安かれ」という
言葉の力であります。

(中略)

言葉の力で、人間が健康になるのは、人間の本来が「健康」《そのもの》であるからであります。
本来内在している「健康」《そのもの》も、それを自覚せざる人には顕われない。
これが「もたざる人はなお奪われる」真理であります。

健康の自信をもてば、その自覚がその表面にあらわれて健康を増進する。
これがもてる者はなお与えられる真理であります。


キリストは申されました。「心安かれ」と。
「心安かれ」―― これが、病気を治す最大最有効の心の持ち方であります。

心に心配や恐怖をいっぱい詰め込んでおいて健康になろうと思うのは
草の上に大きな重石を置きながら、その草を伸ばそうとするようなものであります。

人間の生命(いのち)は本来円満完全であるのに、その円満完全さの上にいろいろと心の迷いの
塵埃(ほころ)をもって覆うているがためにその円満完全さが発露しないのであります。
心の迷いの中で大なる塵埃(ほこり)は「心の不安・恐怖」であります。

多くの人は不安と恐怖とのために地上の生命(せいめい)を縮めているのであります。
その不安と恐怖とを取り除くのは真理の言葉によるのであって、キリストの言葉や
真理を語る書物の言葉は大いに効果があるのであります。

アメリカのクリスチャン・サイエンスの本や、『生命の實相』の本などを読んだだけで無数の
病気が治った治験例が発表されておりますが、これは「人間本来神の子・病気本来なし」の
真理が、言葉の力をもってあらゆる方面から自由自在に説いてあるために、

『病気あり』と信ずる迷妄(まよい)が吹き消されて、恐怖が消え、不安が去って、
雲のはれた後(あと)に輝く満月のように、明皓々と、人間本来の完全たる円満完全さが
輝き出でるからであります。

          <感謝合掌 平成26年9月9日 頓首再拝>

恐怖・不幸の悪循環は、実相独在、と断ち切る (348)
日時:2014年09月14日 (日) 04時55分
名前:伝統

《恐怖・不幸の悪循環》

         *「神と偕に生きる真理365章」(P334)より

恐怖心の起る根元は,この世に自分の存在又は幸福を脅かすところの何物かが
存在するという信念である。この信念を打ち破らない限りは根本的に恐怖の根元を
絶ち切ることはできないのである。

ところが現象界の事物は、所謂(いわゆ)る”諸行無常”であって、
その存在は常に確乎(かっこ)としていないのである。
「今日あって明日無い」のが現象界の存在である。

どんな現象界の幸福も、肉体の健康も、それは常に変移し、破壊し、
消えて無くなる危険にさらされているのである。

現象の肉体だけを見ておれば人間はすべて死刑囚であって、
ある不定の期間だけ執行猶予せられているに過ぎない。

このような不安定な肉体人間を「自分そのもの」だと思っている限りに於いて
恐怖心を絶滅することは絶対不可能なのである。

そこで恐怖心が存在する限り、更に不幸を招(よ)び寄せて、連鎖反応を継続することに
より、不幸は恐怖を呼び、恐怖は不幸を招き・・・循環して終止することがないのである。


《本来完全なる実相世界のみの存在を知ること》

         *「神と偕に生きる真理365章」(P335)より

恐怖・不幸・恐怖・不幸の悪循環を断ち切るためには、恐怖の原因となっているところの
常に変易する”無常の世界”を”本来無い”と”心の世界”より消し去って、真に存在する
世界は、唯、神の創造り給える完全世界《のみ》であると知らなければならないのである。

この完全世界のみが実在であるからこの世界を吾々は実相世界と呼ぶのである。

この実相世界は「一切の生物所を得て、争う者なく、相食む者なく、病む者なく、乏しき者なき」
すべての生物扶(たす)け合いの平和にして調和せる世界であって、

病いもなければ、奪い合いもなく、乏しき者もない円満具足の極楽的状態の世界であり、
この完全世界のみが実在だということを知らなければならないのである。

一切の悪は無い、不調和はない、自分を脅かす何者も本当には存在しないのだと知るとき、
根本的に恐怖の根因が断ち切られてしまうことになるのである。

          <感謝合掌 平成26年9月14日 頓首再拝>

遺伝子から恐怖を捉えると (618)
日時:2014年09月25日 (木) 04時24分
名前:伝統

          *Web:「日本人は世界一の怖がり屋さん!?」より

(1)最近の研究により、脳が恐怖かを感じるメカニズムが明らかになってきている。
   ある遺伝子をなくすと恐怖を感じなくなるという。

   その恐怖をコントロールする遺伝子は恐怖遺伝子とも呼ばれており、
   脳の中で恐怖を抑える働きをするたんぱく質セロトニントランスポーターの量は
   この遺伝子によってコントロールされているという。


(2)我々は本能的に恐怖を感じ取る「恐怖の記憶」を受け継いできている。
   暗闇を恐れたり、大きな音を恐れたり、ヘビを恐れたり。
   これらは危機を察知し警戒する為に必要な本能的恐怖である。


(3)人種ごとに異なる恐怖遺伝子所有の有無

   恐怖遺伝子は人種により所有の有無が大きく異なるそうで、
   最も多く持っているのが日本人だという。

    <恐怖遺伝子を持っている割合>

  ①日本人        97%

  ②アメリカ人(白人)  77%

  ③インド人       67%

  ④ドイツ人       64%

  ⑤アメリカ人(黒人)  46%

  ⑥南アフリカ人     32%


   日本人の97%が不安を感じ易い「臆病」な遺伝子を持っている。
   恐怖遺伝子を持っている割合が高い東アジア人でも平均が90%くらいだから
   日本人より臆病な民族は他に存在しないだろう。


(4)恐怖は脳の扁桃体という部分で感じとり、
   危険を回避するために全身に様々な指令が下される。

   人間が恐怖を感じると、カラダには様々な変化が起きてくる。
   目の瞳孔は大きく開き、心臓が活発に動いて全身の筋肉に血を送り
   筋肉の動きを活発化させる。これは逃げる・戦うための準備態勢となる。


(5)恐怖感への対応

  ①恐怖を感じている時に 「恐怖を感じるな、想像するな」と言われたり強く思うと、
   逆に恐怖を増大させる結果となる。

   恐怖という感情は言葉や念じることではコントロールできないが、
   自らの生み出す表情によってある程度抑えられることがわかってきた。

  ②もっとも効果があるのは笑顔。
   無理にでも笑顔を作ると恐怖度が下がるという。

   笑顔を作るとき、人は無意識にうちに口を横におおきく引き、
   歯がしっかりとかみ合った状態となるが、
   この状態が一番恐怖を感じなくなるのだそうだ。

   笑顔の作り方を忘れてしまった人の場合には、
   鉛筆を横にして歯でくわえると、その表情になります。

     (http://karapaia.livedoor.biz/archives/51481574.html

             <感謝合掌 平成26年9月25日 頓首再拝>

「心の不安・恐怖」 (760)
日時:2014年10月03日 (金) 04時28分
名前:伝統

        *「生命の實相」第39巻仏教篇(P81~82)より

心に心配や恐怖をいっぱい詰め込んでおいて健康になろうと思うのは
草の上に大きな重石(おもし)を置きながら、その草を伸ばそうとするようなものであります。


人間の生命(いのち)は本来円満完全であるのに、その円満完全さの上に
いろいろと心の迷いの塵埃(ほこり)をもって覆うているがために
その円満完全さが発露しないのであります。

心の迷いの中でも最も大なる塵埃(ほこり)は「心の不安・恐怖」であります。
多くの人は不安や恐怖とのために地上の生命(せいめい)を縮めているのであります。

その不安や恐怖とを取り除くのは真理の言葉によるのであって、
キリストの言葉や真理を語る書物の言葉は大いに効果があるのであります。

『生命の實相』の本などを読んだだけで無数の病気の治った治験例が発表されておりますが、
これは「人間本来神の子・病気本来無し」の言葉が、言葉の力をもってあらゆる方面から
自由自在に説いてあるために、「病気あり」と信ずる迷妄(まよい)が吹き消されて、

恐怖が消え、不安が去って、雲のはれた後(あと)に輝く満月のように、
明皓々(めいこうこう)と、人間本来の実相たる円満完全さが輝き出でるからであります。

             <感謝合掌 平成26年10月3日 頓首再拝>

恐怖を消滅する言葉 (1144)
日時:2014年10月17日 (金) 04時53分
名前:伝統

        *日々読誦三十章経(十七日の経言<のりごと>)より

吾れは恐れない。
神はすべてであり給う。

神以外のものは何も存在しないのである。
神は善なるが故に悪は決して存在しないのである。

神は護り給う。
神は養いたまう。
神は吾れを抱きたまう。
神は吾れを愛したまう。

如何なる禍(わざわい)も吾れに来らず、
如何なる疫病(やまい)も吾が家には見舞わない。

神は吾が行くところに常にその天使をつかわしたまいて
吾れを看(み)まもり給うのである。

吾れは真理を自覚したるがゆえに自由である。
吾れは神と偕(とも)に人生の行路を歩む。

吾れは『善』と『真理』とのみを見る。
吾れはそのほかの何物をも見ないのである。

神は渾(すべ)てでありたまう。
吾れは終日(ひねもす)吾がたましいの内にかく叫ぶのを聞くのである―― 

吾れは心のうちに病いも貧しさも恐怖も考えない。
吾れはただ真理と愛と生命とのみを考える。

一切のものは神のものである。
吾れは神の子である。
それ故に一切のものは吾がものである。

神の力のみが実在する力である。
神のもち給う一切のものは吾がものである。

吾れ一切のものを神より承(う)けたるが故に、吾れは全てである。

吾が父なる神に感謝いたします。

       <感謝合掌 平成26年10月17日 頓首再拝>

恐怖心を克服する (1292)
日時:2014年10月25日 (土) 04時45分
名前:伝統

          *『白鳩』誌(S.47年新年号)より


    若し汝の心にて恐怖を滅せんと努力して、
    而も恐怖を滅することを得ざるときには、
    恐怖を捨てんとする努力をさえ止め、
    唯そのままであれ、
    ただ實相(そのまま)であれ。

    如何なる恐怖も
    『生命』の実相(そのまま)の中には存在せざるなり。
    無き恐怖を滅せんとする必要も亦あらざるなり。
    汝は汝の『生命』の實相(そのまま)で宜しきなり。
    恐怖しながら、そのまま恐怖本来無きなり。
    そのまま真に任せ切るとき
    實相(じっそう)なる神は一切の恐怖は拭い去り給はん。

                     『続々甘露の法雨』


この一節は非常に深い真理が書かれているのであります。

『生長の家』信徒行持要目の第二項には、 
「そのままの心を大切にすべし」 と題して
次のように書かれているのであります。

「そまままは零なり、一切なり、○(まる)なり、圓萬なり、無礙なり、無限供給なり、
調和なり、病なきなり、一切の不幸、災厄、病難は “そのまま” を外したるとき
あらわれるなり、顧みて、 “そのままの心” に復るとき、一切の不幸は滅す」


恐怖とは要するに “そのままの心” から外(そ)れた状態をいうのであります。 
日本語の 「おそれ」 とか 「おぢる」 とかいうことばの語源は 
「緒外れ」 「緒縮る」 という意味であります。 

われわれの魂の事を、古語では 「玉の緒」 といったのであります。 
天界から神の生命の霊気の極微の繊維が喩えば麻の緒のように連なって、
髪の毛を通して人体に流れ入ってわたしたちの魂になっていると古代人は直感したのです。 

それゆえに 「魂」 のことを古代人は 「玉の緒」 と呼んだのであり、
頭髪は、神は生命の霊気の流れ入るアンテナ的なものと古代人は感じたので、
頭髪のことを 「神の毛」 と称したのであります。

そして、その玉の緒が心が正常で静かで波打たない時は、
その玉の緒の極微の霊線がスンナリと、波打たず、縮れず、
あるべき位置から外れずにあるのですが、

何か驚くことが出て来ますと、玉の緒が、暴風に揺れて振動しなが
らヒュー、ヒューと梢が枝鳴りを起こすように轟くのであります。 

その “玉の緒” が轟くことを
 「緒轟く」 即ち 「おどろく」 というのであります。

その 「おどろき」 が烈しくなると、魂は人によって二様の反応を起します。 

その一つは 「玉の緒」 が縮みあがってしまうことであります。 
これを 「緒縮る」(怯) というのであります。 
縮みあがると冷えるので 「緒冷える」 ともいうのであります。 

もうひとつの反応は、 「玉の緒」 が、そこにいたたまれなくなって、
あるべき位置から 「外れて」 逃げ出してしまうのであります。 
即ち驚きが烈しい時には “驚死”(ショック死) を遂げたり、気絶したりします。 

人体の生理作用は、魂によって動かされているのでありますから、
魂が、あるべき位置から外れて、人体内から一時外へ逃避しますと、
気絶状態になるのであります。 

恐怖で腰がぬけたりするのは、脚を司っている部の脊髄神経節から、
玉の緒が一時的に外れて、冷えて縮みあがって充分脚部を司配し切れなくなった
のであります。

恐怖すればそのように、人体の生理作用を本来司っているところの神経系統を司配する
主動者である魂が外れたり、冷たり、縮んだりして、正常なはたらきをしなくなるので、
そのために、その位置に不随や病気症状を惹き起すことになるのであります。

この聖経の一節に  

『もし汝の心に恐怖を滅せんと努力して、而も恐怖を滅することを得ざる時には、
恐怖を捨てんとする努力をさえ止め、唯そのままであれ、ただ実相であれ』  

とありますが、ここは充分、咀嚼(かみ)しめてその真理を味わって頂きたいのであります。

http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24618036.html

       <感謝合掌 平成26年10月25日 頓首再拝>

恐怖心は信念の欠乏 (1532)
日時:2014年11月07日 (金) 05時00分
名前:伝統

          *『白鳩』誌(S.24年7月号)より

世の中で最も不必要なものは恐怖心である。

恐怖心は不信仰より来たる。 
恐怖心は人間を神よりひきはなして、
人間のとやかくの想いわずらいの世界にひきこむのである。 

我々が恐怖する時、我々は神の子の位から滑り落ちる。 
そしてアダムの子となるのである。 
楽園から追放せられ 『汝は苦しみて食を得ん』 と宣言せられる。 

恐怖は恐怖を呼び、雑音と噪音とに波長を合わしたラジオ・セットの如くなるのである。

元来恐怖心は信仰の欠乏から生ずるのであって、
過去のことを思いわずらう持越苦労及び
現在の事に不満足なる感謝欠乏の心によって成りたっているのである。 

そしてその奥には、過去・現在・未来にわたって生ずる所の色々の現象は、
何れも皆自分の心でどうにでも変化し得るという真理を知らないことが
基本になっているのである。

一切の現象が、肉体でも境遇でも皆自分の心でどうにでも変化し得るものと
いうことがわかれば、誰でも恐怖する必要がないことがわかるのである。


恐怖を征服するために第一必要なのは

肉体及び、自分の環境に起る出来事は、
悉く自分の想念の反映であるという 心の法則 を知ることである。 

第二には

人間というものは肉体的存在ではなくして神の自己実現であり、
それは金剛不壊なる霊的実在であって、決して如何なる外物にも
傷つけられることなきものであるということを信ずることである。


病気や不幸が存在するという信念がただ健康と幸福のみが実現する
という信念にまでおきかえられるならば、恐怖心の起りようがあり得ないのである。 

結局恐怖心は信念の欠乏ということができるのである。

真に完全なる健康と完全なる幸福とを確保する道は、
吾々の心の世界からまず恐怖心を追放し、幸福と歓喜と健康と富と凡ゆるよきものの
想念を心の中に確保してどこまでも持続することができるならば、

実相無限の神の宝倉は開かれて健康でも幸福でも富でも自由に豊かに
現象界に流れ出ることができるようになるのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24614335.html

       <感謝合掌 平成26年11月7日 頓首再拝>

勇気は与えてある (1777)
日時:2014年11月18日 (火) 04時57分
名前:伝統

       *『神を見出す四つの道』<スター・デーリー(著)谷口雅春(訳)>より

ある臆病な小男が、信仰的行動家である牧師のところに出かけて行って言うのであった。

「私は何に対しても恐怖心を感じるんです。
高等教育を受けた人とか地位の高い人に会うと、私は恐怖を感じるんです。

私は多勢の人々の前へ出るのが怖いのです。
公衆の面前で一言でも話すよう頼まれることなど、
思っただけでも身体中の血が凍ってしまいます。

私はほんのちょっとした責任を負うことすら恐いのです。
そして失敗しやせぬか、人の物笑いの種になりやせぬかと、
そればかり気になって恐怖で震えてしまうのです。

特に私が恐いのは、他人の自分に関する批難の声です。
私はここ数年の間、時には夜を徹してまで神に祈りを捧げ、
恐怖心を取去り、勇気を与えて下さるようお願いしてきました」


「その祈りはあなたの生まれる前からすでに叶えられていたのですよ」 と牧師は言った。

「すでに与えられている勇気を今さら祈って求めるなんて、
それは神の与え給うた時間の浪費ですよ。

神はあなたに、およそあるものは全て、
これからも永遠にあり続けるものは、全て与えておられるのですよ。

だから、あなたが神からすでに受継いでいる勇気の種を使って、
それを伸ばして行くようにするならば、あなたに宿る神の勇気は必ず増大するのです。

神はあなたを恐怖の念から救い出し給うというようなことは、せられぬかも知れぬが、
あなたが自分の持っている勇気に基いて行動しようと悦んで立ち上がるとき、いつでも、
神は恐怖の念を克服するに足るだけの勇気を必ず与え給うのであります。

それで、もしあなたが相変わらず跪いてばかりいて、勇気を与え給えと神に懇願し
続けるならば、あなたがすでに持っている勇気までも奪い去られてしまうのです。
神が奪い給うというのではなく、あなたが勇気を使わないために、それを失うのです。

全て、肉体的な力、霊的な力というものには、
それを行使すれば増大する、という法則が働いているのです。

ですから、この法則に従って行動しなさい。

そうすれば、物質的な力、並びに霊的力は必ず際限なく増大するのです」

           <感謝合掌 平成26年11月18日 頓首再拝>

本当の神を信仰したら恐怖はない (2033)
日時:2014年11月29日 (土) 03時41分
名前:伝統

           *『人生を支配する先祖供養』(P51~52)より
             (『生長の家』誌(昭和48年12月号)初出)

“本当の神” というものは、此処に見よ、彼処に見よというように
肉眼でも霊眼でも見えるものではない。

見えるのは一個の差別的存在であるが、差別と差別とが
一緒に融け込む 「愛」 という連結のなかに神はいますのである。

“本当の神” というものは差別を絶した全体であるから、
われわれの行いや心持ちが差別的な境涯を脱したら、
その程度に従って神がハッキリとあらわれるのである。

そこに本当の神が生きてくれば、もうわれわれは恐れる必要はない。 
どんな悪霊が祟ってやろうと思っても、自分自身がその祟りの怨念の波長を受ける
ラジオの受信機にならないからもう恐れる必要がない。

何かを恐れるとその何かを受信しやすい精神波動を自分自身のなかに作ること
になるから恐れないがよろしい。

いろいろの霊魂を祀ってもあながち悪いことはない。 
ただそれは 第二義の信仰であって、本当の信仰の対象とすべきものではない。

こちらのやり方によって、怒ったり、罰をあてたり、復讐したりするような
個別霊を信仰の対象としていると、相手は肉眼で見えない 「霊魂」 のことであり、
こちらからこうして祀っているのが気に入っているのか気に入っておらぬのか
わからぬから、常に仏罰又は神罰を受けるかと思って戦々兢々としていなければならぬ。

それでは信仰というものが心の平和の礎とならないで、
却って心の不安の原因になってしまうのである。

“本当の神” を信仰すれば恐怖がない。 その境涯を仏教では無畏の境涯と称している。

“本当の神” は自己の内に宿る “神の愛” であるから、
そしてそれは一切のものを拝み、一切のものと和解することになるから
天下無敵となるのである。 

この事をキリスト教の聖書には 「完き愛には恐怖なし」 と示されている。


           <感謝合掌 平成26年11月29日 頓首再拝>

天地一切と和解せば恐怖が滅する (2249)
日時:2014年12月10日 (水) 04時26分
名前:伝統

           *「幸福を招く365章」(P21~22)より

恐怖の心配とは、「不幸」を呼び寄せる接待係のようなものである。
恐怖したものは顕れ、心配したものは実現する。
こんな接待係は一日も早く追放しなければならない。

恐怖心に満たされた蛙(かえる)は、
みずから恐れている蛇の口の方へ引き摺られるように歩いて行くのである。

恐怖心に満たされた人は逃げる自由を失って自動車に轢かれる。

恐怖しなければ犬も咬(か)みつかないが、
恐怖すれば犬も馬鹿にして咬みつくのである。


毅然として「われ神と供にあるが故に、恐るべきもの絶対になし」と信ぜよ。
天地一切のものが悉く、神より出でたる物であると知るならば、
吾らと等しくすべての者は自分と兄弟であるから恐るることが無くなるのである。

これが天地一切のものと和解することである。

           <感謝合掌 平成26年12月10日 頓首再拝>

神との一体感で、恐怖の感情は消滅する (2441)
日時:2014年12月21日 (日) 04時47分
名前:伝統

            *「生命の實相」第七巻生活篇(P112~113)より

われわれは理想としては
恐怖や怒りや嫉妬や憎しみの感情にとらえられないようにしなければならぬ。

それにはこれらの激惰が催してきた時に、自分は今悪徳の断崖より堕ちようとするのである。

再びかかる危険を冒すまいと思って、断崖の今一歩の所で踏みとどまるべきストア的の
方法のあることはすでにのべたしかしながら今いっそう根本的な方法があるのである。

そもそもかかるいろいろの悪感情が起こるところの根本原因をしらべてみると、
ただ一つの恐怖の感情に還元することができるであろう。

自分の存在がおびやかされることを恐れるから、われわれは腹がたつのである。
負けるかもしれぬと恐れるから、われわれは嫉妬するのである。
彼が自分に害を加えるであろうことを恐れるから憎むのである。

だからこの恐怖の感情を一つとり去ってしまえば、いっさいの悪感情は
指揮者のない雑兵のように木端微塵に散ってしまうのである。


ところがこの恐怖の感情は自分と神と一体である、自分は大宇宙とともに生きている、
たといが 外見はいかに見えようとも、

あらゆる事物が渾然として自分自身の生長のためのみに運行しているという根本観念が
心の奥底に植えつけられさえすれば自然に消滅してしまうべき性質のものであるのだ。

           <感謝合掌 平成26年12月21日 頓首再拝>

神想観によって、恐怖の根本感情は除かれる (2643)
日時:2015年01月02日 (金) 04時36分
名前:伝統

            *「生命の實相」第七巻生活篇(P113~114)より


ゲーツ教授は毎日1時間ないし1時間半を費やして、
心の最も楽しく幸福な愛他的な感情を喚起してこれを持続する勤行(ごんぎょう)を
つづけよと言った。

「生長の家」では就寝前10分間、時間がゆるせば30分でも1時間でも、
合掌静坐瞑目して、この合掌をアンテナとして大生命がわれに流れ入り、
われがそれと一体なると観ずる修行をするのである。

この神想観によってわれらが最も深い境地に入るときは、
われらはこの世界の支配者(神)との無限の一致に到達するのである。

かくしてわれらが神との無限の一致に到達するときはたとい外見がどう見えようとも、
万事万物が自己を中心として、自己を育ててくれるために運行しているという霊的実感が
たましいの底の深いところから湧きあがってくるのである。

この神秘な霊的実感に触れるとき、われらはわれらに触れるすべてを、
それが一見どんなに不幸な事実であろうとも、ただそこに自分をいっそう偉大に
育てようとしてのみ作用(はたら)いている摂理の慈手を感じて、
唯ありがたく拝ましていただくことができるようになるのである。

たとい人が自分に侮蔑(ぶべつ)や危害を加えようとも、
それが自分のたましいの花をひらかす温かい神の息(いぶ)きと感じられ、
おのずから合掌されるようになるのである。

この境地に達するとき、われらより恐怖の根本感情は除かれる。

われらはもはや怒りや嫉妬や憎悪の激情を抑えたり、怺えたりする
克己的修養(こっきてきしゅうよう)を超越してしまうのである。

われらは完全にそれらの悪感情から解脱する。
そしてあらゆるものがただありがたい、あらゆるものが感謝される。

「生長の家」の生き方はかくのごとくして、
あらゆる不幸も苦痛も追害もただ一つの「聖悦(せいえつ)の坩堝(るつぼ)」の中で
熔かしてこれを自己のたましいの生長の養分にかえてしまうのである。

           <感謝合掌 平成26年1月2日 頓首再拝>

真理の言葉で、恐怖を取り除く (2789)
日時:2015年01月13日 (火) 03時46分
名前:伝統

         *「生命の實相」第39巻仏教篇(P81~82)より

心の迷いの中で最も大なる塵埃は「心の不安・恐怖」であります.
多くの人は不安や恐怖とのために地上の生命(せいめい)を縮めているのであります。

その不安や恐怖とを取り除くのは真理の言葉によるのであって、
キリストの言葉や真理を語る書物の言葉は大いに効果があるのであります。

アメリカのクリスチャン・サイエンスの本や『生命の實相』の本などは
読んだだけで無数の病気の治った治験例が発表されておりますが、

これは「人間本来神の子・病気本来無し」の真理が、言葉の力をもって
あらゆる方面から自由自在に説いてあるために、

「病気あり」と信ずる迷妄(まよい)が吹き消されて、恐怖が消え、不安が去って、
雲のはれた後(あと)に輝く満月のように、明皓々(めいこうこう)と、
人間本来の実相たる円満完全さが輝き出でるからであります。

           <感謝合掌 平成26年1月13日 頓首再拝>



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