《便秘》 (2204) |
- 日時:2014年12月08日 (月) 04時54分
名前:伝統
*「ライフ ヒーリング」ルイーズ・L・ヘイ(著)(P275)より
(1)考えられる原因・内的要素
これまでの考えを捨てたくない。 過去にこだわる。 苦しい思いをすることもあるという考え。
(2)新しい思考パターン
過去を手放せば、体内に新しく新鮮で生き生きとした生命が流れる。 生命の流れに身を委ねる。
・・・
*「チャクラ 癒しへの道」クリスティン・ヘイジ(著)(P169~170)
(1)便秘はコントロールの問題と関連している。(自分の身体、感情、動作・・・)
自分をコントロールしたいという欲求は幼児期に発生します。
感情を胸にしまいこむタイプの人は、何年たってもある出来事の記憶を葬ることが できず、ささいなこともよく覚えていて、人に言えなかった心の痛みや悲しみ、 流せなかった涙を胸の中に抱きつづけています。
(2)便秘や憩室症を発症する人は、自分を支配したいという欲求が見られ、 過去の悲しい出来事を忘れることができません。
(3)便秘と憩室症が其の人に発しているメッセージは、感情を表現し、結果をそのまま 受け入れ、赦すことを学び、前へ進みなさい、というものです。
・・・
<Dr.クリスティンからのメッセージ>
真の健康とは、単に「病気でないこと」のみならず、 マインド、ボディ、スピリットの全体性のバランスがとれていることをあらわします。
私たちが、今ここに生命を維持させているのは、 成長を果たしたいという魂の想いがあるからです。 長い間、身体はこの世を生きるための単なる乗り物と思われていました。
しかし、身体は意識であり、また智慧をもっています。
時に身体はソウルの想いを果たすため、 私たちにとって本来必要でない習慣や観念などに耐えながら、 ハードワークを続けていることがよくあります。
本来身体は、あなたの目的を果たすために、完璧な姿と機能をもっているのです。 身体が病気になるということは、ソウルからのメッセンジャーとして 何かを伝えてきているということです。
私たちに変化や進化を促そうと、働きかけてきているのです。 病気は決して、私たちの弱さではなく、失敗でもありません。 たいていは、ソウルからのモーニングコールなのです。
身体は、ソウルとのつながりをもつ親友であり、私たちを愛しているのです。
・・・
*「生命の医学大事典」橋本徹馬・著(P806~808)より
(1)便秘は出すものを出さぬから、出るものが出ぬということである。
下剤を使うことは、くせになり害がある。
(2)出すものとは金銭(或いは物質)、愛情、労力、汗等であるが、 便秘の場合は主として金銭または物である。
「自分くらい人から物を貰って、お返しをしていない者はない」と気づき、 思い出し思い出し、お返しを始めたところ、忽ち快便になり、 その後結婚し、優良児を授かったという娘さんがある。
(3)良書や珍しい品物をしまい込んだりせず、それぞれ人に見せたり、 与えたりすると便秘が治ったという実例がある。
・・・
*「自分を愛して!」リズ・ブルボー(著)(P269)より
(1)大腸の機能は、からだにとって有用でなくなったものを排泄することです。 便秘とは、それができなくなった状態のことです。
(2)もはや心にとって有用でなくなった古い考えを手放すことができない人に起こります。
①嫌われるのが怖くて、間違うのが怖くて、さらには、誰かや何かを失うのが怖くて、 言いたいことやしたいことをため込んでいます。
②持ち物に執着しており、もう必要なくなったものも、 いつか必要になるかもしれないと思って、なかなか手放す事ができないケチな人。
③自分の時間やお金、体力などを無理やり与えなくてはならなくなった時にも 起こります。
それは、本当は与えたくないのに、与えざるを得なくかった状況なのです。 そんな時、私たちは、罪悪感を感じまいとして与えることになります。
④過去の出来事に対して固定観念を持っており、そのために、 その出来事を絶えず大げさなものにしてしまう人。 その固定観念をなかなか手放せない。
過去を手放せない人は、さまざまな心配や暗い想念、怒り、侮辱されること への恐れ、嫉妬などによって、心やすまる時がありません。
(3)便秘からのメッセージは、
①あなたの役に立たなくなった古い思い込みは、さっさと手放しましょう。 そして、新しいもののために空いた場所をつくるのです。
②心配、暗い想念などはさっさと排泄されなければなりません。 何か、あるいは、誰かを失うのが怖くて、いつまでも自分を押さえているのは、 決してよいことではないのです。
③あなたが本当に望むことを言ったり、したりしたら、 あなたにとって本当によくないことが起こるのでしょうか? よくよく確かめてみることをお勧めします。
・・・
<他(ひと)を釈す心にならなければならない。>
*「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(P150~151)より
便秘はいかにして起こるか。
それは食物に関係して起こるというのは物質科学の解釈であるが、同一家族にして同一食物を 摂(と)りながら、一人は便秘し一人は下痢するという場合において考えるならば、 それはたんに食物を変更するだけでは治療せしめないのである。
フロイド流の精神分析によれば、それが肛門に関係した疾患であるから、 すぐに幼児期の性欲に連関して解釈しようとするのであるが、 そうすべてを汎性欲論で片づけてしまうべきではないのである。
便秘は肉体の心の影という方面から分析してゆくならば、 あらゆる種類のものを失うことに対する恐怖が具象化したものだと言うことができるのである。
金銭の喪失に対する恐怖、友を失う恐怖、愛情を失う恐怖、・・・等のごときはそれである。 これを一言(いちごん)にして言えば「把(つか)む」こころである。
把(つか)んで放たない心であるから、まず心を放下することを、何物にも引っかからず、 ゆったりと緊張を解く心に誘導すべきである。
恐怖はすべて把む心である。溺れるものは藁をも把む。
恐怖すれば手に汗を握る。(握るは把むである。) すべての心が元であって、恐怖する念が起これば全身にその形があらわれるのである。
血管は収縮し、皮膚は収縮して肌(はだ)に粟(あわ)を生ずる。心臓も急激頻繁に把むがゆえに、 その鼓動を増加し、血圧は高まり、時として狭心症を生ずるのである。かくて恐怖する者は 直腸も肛門を収縮して「尻(けつ)の穴の狭い者」となり、排便しえない状態になるのである。
われわれは他(ひと)を釈(ゆる)す心にならなければならない。 「釈(ゆる)す」は「放つ」であり、「放つ」は開放するのである。
他(ひと)を釈(ゆる)すことのできない者は「尻(けつ)の穴の狭い者」であり、 他(ひと)を害する心あるがゆえに、自分自身をも他(ひと)から害される恐怖があるのである。
かくて内臓も筋肉もすべてみずから把(つか)むことによって硬化し萎縮してしまうのである。 それを癒す道は、症状に対して直接的には「人間は神の子であるから、害されるものではない。 われ便通によって生きず、神の生命(いのち)によって生くるなり」と 大らかな気持ちになって心から便秘を放つのである。
そして間接的にはもっと根本的には、ゆたかに愛しゆたかに釈(ゆる)す念(こころ)を起こす ことである。いやしくも人を釈(ゆる)さず、やっつけてやろうというような考えを起しては ならないのである。
他(ひと)を傷つける心は自分を傷つけ、 他(ひと)を愛する心は自分を愛することになるのである。
<感謝合掌 平成26年12月8日 頓首再拝>
|
|