釈迦成道会に因みて① (2408) |
- 日時:2014年12月19日 (金) 04時34分
名前:伝統
* 「善と福との実現」(P63~77)より抜粋。
第5章 釈迦成道会に因みて
12月8日は釈迦牟尼世尊が、暁の明星をみながら菩提樹下に静座して 悟りをひらいて仏陀即ち「覚者」となられた因縁深き日であります。
この日に因んで、釈迦世尊の出家の事情から始めて、 その悟りに到達せられた経路を思い出すままに話させて頂こうと思います。
一 ~ 五 釈迦誕生から出家まで・・・ここでは省略いたします。
六 以降(出家からお悟りまで)
釈迦は、当時有名だった婆羅門の仙人たちを訪問し、 人間の生老病死からの解脱するために種々の行をせられましたが、 どうしても解決の道に到達する事はできません。
こんな師についても駄目だから、独り苦行し独り覚ろうと考えて ウルビルワーという山の林の中にお這入りになり、殆んど食事をとらないようにして、 静坐と思索に耽って居られたのです。
併しながら肉体を苦しめて見ても、「生命の自由」は得られません。 つまり悟は開けないのです。お腹が空いて来ると矢張り御食事が欲しくなります。 是はお釈迦さんでも同じであります。
山の奥に居れば淋しいという感じがして来てとても堪えられません。 肉体を苦しめれば苦しめるほど、その感覚の苦にひっかかって悟など開けないのであります。
ウルビルワーの林の中で6年間苦行を続けられましたが、 結局得るところなく、又山を下りて来られたのであります。
それが所謂「出山(しゅっせん)の釈迦」でありまして、 『出山の釈迦像』として彫刻とか絵などに表現せられているところの、 瘠せさらばうたお釈迦さんの姿であります。
山から下りて来られた後、苦行は悟のたねにあらず、斯うお悟りになったのです。 苦しんでみたところが、本当に悟が開けるものではないんだ。
そこで一遍気持を変えようというので、尼連禅河という河に沐浴をされたのであります。
全身を沐浴せられて6年間の垢をお落しになると 綺麗さっぱりとした清々しい気持ちになられたのであります。
それが丁度12月の8日。 あたかも暁の明星が東の空に輝かしく光を放っていたのです。
(中略)
釈迦は尼連禅河で沐浴して、ゆあがりのサッパリした気分で 初めて6年振にバラモンの少女から供養を受けて 牛乳のお粥をお喫りになった時にとても美味しかった。
お釈迦さんはその美味しい味はどこから来るか考えられたのであります。 そして是は物質の味ではないということが本当にお分りになったのです。
此の世界は、殺し合いの世界ではなかった、と悟られたのであります。
拝みあっているのだ、というように釈迦の心の中で「観」が転回したのでした。
みんな生かし合いの世界なのである、 斯う云うように観る心が変わったのであります。
その時に、万物が本当に生命に満ち輝いて 仏の生命そのものの顕現のように思われたのである。
そこでお釈迦さんは「有情非情同時成道、山川国土草木悉皆成仏」と悟られました。
情(こころ)ある者も、情なき草木も山も川も悉く同時に今、仏を成就している。 皆仏のいのちが輝いている、仏の命でないものはない。
だから「みんな一体」の世界である。 斯ういう風に悟られたのであります。
<感謝合掌 平成26年12月19日 頓首再拝>
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