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「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします (3533)
日時:2015年03月16日 (月) 18時49分
名前:破邪顕正


ここに紹介する手紙は、ある教区の講師会長(女性)を拝命された方から、「谷口雅春先生を学ぶ会」の会員へ送られたものです。

「これにどうお応えしたらいいでしょう」という相談を受けましたので、この場を借りて逐次、私なりの反論を記してみたいと思います。

この手紙には、谷口雅宣総裁に〝洗脳〟された実に可哀相な姿が如実に現れております。

講師会長までした方が、こんなレベルなのかと暗然たる思いにも駆られます。

大なり小なり、教団に残っている信徒の中には、この元講師会長と同様のことを言い募っている人もありましょう。

そういう人に、きっちりと反論することで、その〝洗脳〟から目を覚ましてあげるのもまた尊い愛の実践だと思い、ここに敢えて紹介する次第です。

>私たちは信仰によって絶対安住の世界に立脚しながらも、現象に生きる人間として現象処理を正しく行ってこそ、物心両面に愛を施し、平安を見出す神の子・人間の生き方が出来ると確信しています。

現在の地球環境を見れば、資源の使い捨て、環境汚染の拡大、原子力発電の再稼動、経済発展に鵜の目、鷹の目の政策、これで美しい地球が保たれるのでしょうか。子孫に美しい地球を残してこそ先祖の徳というものです。<

これに対する反論は簡単です。

現象処理を正しく行うことが大事だとして、どうして、その現象処理が地球環境に限定されなければならないのですか?

そこが全然、明らかにされてはいないのです。

この現象世界を生きていく上で、様々な人生上の悩み、問題があります。

「物心両面に愛を施し、平安を見出す神の子・人間の生き方が出来る」と言われるのであれば、そういう問題にこそ生長の家は取り組むべきなのではありませんか?

そこにおける「魂の救い」にこそ、生長の家の真骨頂があるのではないかと思うのですが、その点について、どうお考えでしょうか?

ぜひ、ご見解を伺いたいものであります。

更に、地球環境に限定して言うならば、美しい地球を汚しているのは日本ですか?

お隣の中国なのではありませんか?

「原子力発電の再稼動」に反対のようですが、それならば中国の原発にはどうお答えになるのですか?

生長の家が環境運動に取り組めば、中国も改めてくれるのですか?

その可能性、展望について、ぜひ、ご見解を伺いたいと思うものであります。

加えて、地球環境の保護のために、どうして、メガ・ソーラーを建設しなければならないのか。

そのためにどうして信徒の浄財を必要とするのか、ぜひ、ご見解を伺いたいと思うものであります。

(これは更に続きます)



「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします② (3548)
日時:2015年03月17日 (火) 17時31分
名前:破邪顕正


>法燈継承された生長の家総裁は、宇宙大生命なる生長の家大神様の神意(みこころ)を受けて全ての運動を発表し、展開しておられます。

生長の家大神様の神意は、総裁を通してしか発表されません。

貴女方のように『生命の實相』の真理に陶酔されるのも是非必要な立派なことですが、生長の家の語源は霊的大宇宙の意と教えられています。

地球のみならず、広く宇宙的な視野に立って物事を見極めるのが生長の家大神様の神意であり、その時がまさに〝今〟なのではないでしょうか。<

こういう文章を読むと、本当に、〝洗脳〟は怖いなと思わざるをえません。

客観的に、冷静に考えれば、この決め付けはオカシイとわかるはずなのに、それが全然、この方には、わかっていないからです。

問題の箇所は、ここです。

>生長の家大神様の神意は、総裁を通してしか発表されません。

その総裁というのは、紛れもない、谷口雅春先生なのです!

それが証拠に、「神示」は、谷口雅春先生にしか天下っていないではありませんか!

「神示」こそは「神意」の最たるものでありましょう。

このことは、いくら強調しても強調しすぎることはない、実に実に重大なことであります。

もし、「生長の家大神様の神意は、総裁を通してしか発表されません。」というところの総裁を谷口雅宣総裁だと考えるのであれば、谷口雅春先生の聖典を絶版にしたこともまた「神意」だということになってしまいます。

「神示」が説かれた聖典をも谷口雅宣総裁は絶版にしました。

「神示」が説かれた聖典を絶版にするというのが「神意」だということになったら、そのこと事態、言語矛盾も甚だしいということになりはしませんか?!

だって、「神意」が言葉として、文字として著わされたのが「神示」であるからです。

「神示」を通して吾々は「神意」を知ることができるわけです。

しかも、谷口雅春先生は「神示」として現れた「神意」を、吾々に分かるようにご講義までしてくださり、しかもそれを本として著わしてもくださいました。

その本を絶版にしたら、その「神意」までもが、わからなくなってしまうではありませんか。

なのに、谷口雅宣総裁は、それを絶版にしたのです。

それが、どうして「神意」だと言えますか?

「神示」をわからなくさせることもまた「神意」だと言うのであれば、ぜひ、その論拠を、合理的な説明を、万人に納得できるよう、ぜひ、ご説明いただきたいものであります。

説明できるわけがありません。

だって、そんなものは「神意」でも何でもない、谷口雅宣総裁の単なる〝恣意〟でしかないからです!

もう一つ、今回の箇所で批判させてもらうならば、この表現です。

>貴女方のように『生命の實相』の真理に陶酔される

〝陶酔〟という言い方の中に、何か実に侮蔑的な思いが潜んでいやしませんでしょうか?

この元講師会長は、谷口雅春先生の次のお言葉に何と応えるのでしょうね。

…徳久先生のように『生命の實相』にとりつかれなければならないのである。

そのとき毎日のように『生命の實相』から新しい真理の光がとび出すのである。

特に霊感によって書かれたる書物は読む人の心境の進むに従って新しい光が読む毎に輝き出すのである。(『生長の家』誌・昭和44年4月号 五日の法語より)

元講師会長こそ、谷口雅宣総裁に〝陶酔〟しているのではありませんか?

それこそ、「お孫さん信仰」に〝陶酔〟しているのではありませんか?

そうとでも考えなければ、「神意」と〝恣意〟との違いすらわからないというのが、とても理解できないからです。

(更に続きます)



破邪顕正様へ。 (3549)
日時:2015年03月17日 (火) 22時12分
名前:そーれ!!

大変解りやすい解説、誠に有難うございます。

更なる続きを、楽しみにしています。

教団の誌友会で使用するパンフを、本日見せてもらいました。

牛がトンカチで叩かれるような絵が載っていました。

教団は、人類より牛の救済に本気の様です。

教団は、もはや狂団です。私は、モー・モー・唖然です!!

ブー・ブー・と言いたいです。 もうケッコウ、コケコッコーと叫びたい心境です!!!

破邪顕正さまへ (3550)
日時:2015年03月17日 (火) 23時23分
名前:ポン太

破邪顕正さま、いつも有難うございます。

私は「お応えします② (3548)」冒頭の「>宇宙大生命なる生長の家大神様の神意(みこころ)を受けて全ての運動を発表し、展開」の表現にも釈然としません。

「宇宙大生命なる生長の家大神様」と「全ての運動を発表し、展開」の二箇所、特に前者に違和感を観じるのです。

ここは、天地創造の絶対神たる「宇宙大生命」ではなく、宇宙浄化に顕現された「住吉大神」であるべきではないでしょうか。

つい、引っかかかってしまい気になっております。
ご教示のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします③ (3553)
日時:2015年03月18日 (水) 08時57分
名前:破邪顕正


元講師会長の手紙を紹介しつつ、それに対する反論を書かせていただいておりますが、この手紙が、教団内で大変、評判だという情報を耳にしました。

何でも、この手紙が組織の幹部・信徒に配られて、この手紙によって、自分たちは間違いないのだという自信を深めているというのです。

それを聞いて、またまた愕然としてしまいました。

どうして、こんな手紙で自信を深めることができるのですか?

本来ならば、ますますオカシイと想わなければならない手紙ですよ、これは!

こんな手紙で納得してしまうようでは、本当に生長の家教団はダメになると、却って、私などは確信をもってしまいました。

この手紙が、如何にダメかということを、更に追求してまいります。

>生長の家大神様は、今地球に神・自然・人間の大調和こそが緊急の課題であると示されて、その先頭に立って実践に取り組んでおられるのが総裁です。

時代即応の実践のない宗教は空念仏に等しいと思います。

私はどこまでも、生長の家大神様のみこころを今に生かされる総裁の想いに従うことに微塵の疑いもありません。<

この方の論のオカシサは、それが自分の勝手な思い込みだということに何の疑問も抱かないでいるというところにあります。

例えば、今回の箇所では、ここです。

>生長の家大神様は、今地球に神・自然・人間の大調和こそが緊急の課題であると示され

これを私はぜひ、谷口雅宣総裁に聞かせたいと思います。

総裁は、間違いなく、苦い顔すると思いますよ。

そして、総裁は、こういうでしょうね。

…「神・自然・人間の大調和こそが緊急の課題である」と言っているのは私であって、生長の家大神様ではない!

谷口雅宣総裁という人は、自分の言っていることを「生長の家大神様」が言っているとされることを非常に嫌う人なのです。

それが証拠に、谷口雅宣総裁は、自分の書いたものを『聖典』とは呼ばせないでいるではありませんか!

教団に残っている信徒は、なぜ、総裁が『聖典』と呼ばせないでいるかを、ここでしっかりと考えてみるべきであります。

本当に、それが、生長の家大神様の「神意」から出たものであるというのであれば、谷口雅宣総裁は自分の書いたものを『聖典』と胸を張って言うはずであります。

どうして、谷口雅宣総裁は『聖典』と呼ばせないのですか?

谷口雅宣総裁が書いていることは、生長の家大神様の「神意」を受けて書いたものではないからです!

ご本人が『聖典』と呼ばせないと言っているのに、それをしも、生長の家大神様の「神意」の表れなどと言うのは、〝贔屓の引き倒し〟以外のなにものでもありません!

この元講師会長は、自分が勝手な思い込みで〝贔屓の引き倒し〟をしていること、そして『聖典』と呼ばせない谷口雅宣総裁の〝お心〟にも背反していることを、深く思い知るべであると思うものであります。


「私は住吉大神ではない」と実際に言っています (3559)
日時:2015年03月18日 (水) 18時07分
名前:山本山

破邪顕正様ありがとうございます。
割り込み失礼します。

「『谷口雅春先生を学ぶ会』への批判の手紙にお応えします③」を読んで、だいぶ前になりますが雅宣氏のブログのコメント欄に「先生のお言葉を住吉大神の言葉と思って云々」とおべんちゃらを書いた人に対し、雅宣氏が「勘違いしてもらっては困りますが、私は谷口雅宣であって住吉大神ではありません」と返信していたのを思い出しました。

「ポン太」さんへ (3568)
日時:2015年03月19日 (木) 07時44分
名前:破邪顕正


投稿、ありがとうございました。

この元講師会長の手紙の背景には、所謂、「生長の家大神-総裁・副総裁-御教」という教団が常に〝洗脳〟の言葉として利用している「人類光明化運動指針 第九条」があると見なければなりません。

だから、

>宇宙大生命なる生長の家大神様の神意(みこころ)を受けて

このような言葉が、何の疑問もなく、すんなりとポンと出てしまうのです。

つまり、この手紙そのものが、「第九条」に〝洗脳〟された人の典型的なものと言っていいのです。

以前にも言いましたが、今の教団というのは、この「第九条」ばかりを利用し、「第五条」については何ら触れようとはしません。

そこが如何にも欺瞞的であります。

もし、「第五条」を重視したら、「神・自然・人間の大調和」なんて一瞬にして吹き飛んでしまうでしょう。

だって、そこには、〝国〟が抜け落ちているのですから!

それは、『続々 甘露の法雨』のこのお言葉にも反しているといわなければなりません。

…国を愛せよ、
 人を愛せよ、
 家族を愛せよ。

〝国〟を説かず、〝国〟を蔑ろにして、「神・自然・人間の大調和」なんて嘯くのですから、どうして、そこに「神意」があると言い切れましょうか。

そういうことが全然、分かっていないところに、この元講師会長の〝洗脳〟された哀れな姿があると私は思うものであります。


「山本山」さんへ (3571)
日時:2015年03月19日 (木) 08時47分
名前:破邪顕正

このシリーズ、「割り込み」大歓迎です。

いろんな方の「割り込み」があって、どんどん、このシリーズが深まることを大いに期待しております。

私の今回の投稿(シリーズ③)の念頭にあったのは、まさしく、ご指摘の通りです。

>ブログのコメント欄に「先生のお言葉を住吉大神の言葉と思って云々」とおべんちゃらを書いた人に対し、雅宣氏が「勘違いしてもらっては困りますが、私は谷口雅宣であって住吉大神ではありません」と返信していた

このときの総裁のコメントは、実に衝撃的で、私の中で、いつまでも鮮明な記憶として残っています。

これは、谷口雅宣総裁自身による「第九条」の完全な否定にほかならないからです。

つまり、谷口雅宣総裁の言っていること、書いていることは、「生長の家大神様」とは全く関係ないと自ら宣言したも同然なのですから…。

だからこそ、自分の書いたものを『聖典』と呼ばせないとも言ったのです。

更に凄いのは、「私の書いたものを『聖典』と言うのであれば、私にもそれなりの考えがあります」そう言って、副総裁職(当時)を辞することもありうると仄めかしたことでありました。

その、脅迫じみた物言いにより、そのときの運動方針は、すべて『聖典等』というように、『聖典』の後に〝等〟が入れられたのでありました。

これだけを見ても、谷口雅宣総裁が如何に『聖典』という言葉を忌み嫌っていたかがわかろうというものです。

ですから、いまだに「第九条」をもって信徒を〝洗脳〟しているのは、谷口雅宣総裁の〝お心〟にも反することなのだと私は断言するのです。

しかし、谷口雅宣総裁としても、その〝洗脳〟をしなくなると「組織」がもたないとわかっているので、やむを得ず、それを放任しているのだと私は見ています。

谷口雅宣総裁の本音を言えば、「人類光明化運動指針」が掲載されている『菩薩は何を為すべきか』は、絶版にしたいのだと思いますよ。

だって、その「第五条」は嫌で嫌でたまらないでしょうからね…。


「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします④ (3582)
日時:2015年03月20日 (金) 08時17分
名前:破邪顕正


>谷口雅春大聖師も、生命の実相の中心真理は、永遠に変わらないが、人類が生きる時代相応に運動の形態が変化して行くのは当然の成り行きであると述べておられます。

変わらなければイスラムの原理主義のように世界に害毒を流しているではありませんか。

生長の家の信仰はどこどこまでも〝神の子・人間〟に立脚した信仰です。

その運動が間違っていると考えるのは、人間智の愚かな計らいではないでしょうか。

拙いながら五十数年を生長の家の信仰に立脚して神様の神様のみこころに聴き乍ら歩ませていただいた私の想いを述べさせていただきました。<

五十数年も信仰してきたということは、当然、谷口雅春先生の教えも学んだはずであります。

学んでいて、それにもかかわらず、こんなオカシナ論を立てるのですから、信仰は長いだけではダメなんだとつくづくと思います。

谷口雅春先生の教えの神髄を極めていたら、絶対に、こんな教団の〝洗脳〟にひっかかるわけがないと思うものであります。

この元講師会長が、まんまと教団の〝洗脳〟にひっかかっていると思われるのがこの箇所です。

>変わらなければイスラムの原理主義のように世界に害毒を流しているではありませんか。

どうして、突然、イスラム原理主義が出てこないといけないのですか…?

何だか、この方の言うことをきいていれば、谷口雅春先生の教えを純粋に学んでいる人は、まるでイスラム原理主義のような破壊活動を展開するとでも言うのでしょうか…?

「谷口雅春先生を学ぶ会」が〝害毒〟でも流していますか?

もとより、教団にしたら目の上のたんこぶで〝害毒〟にも見えようかもしれませんが、それが客観的に見て〝害毒〟とは言えないというのは、最高裁で私どもが勝訴したことからも明らかなのではありませんか。

よし〝害毒〟というのであれば、むしろ谷口雅春先生の聖典を絶版にすることの方こそが、よほど〝害毒〟と言われるべきなのではありませんか。

だって、谷口雅春先生は、「自分の言いたいことは全部、本に書いた」と仰ったのですよ。

それをしも、谷口雅春先生の『聖典』を絶版にするということは、谷口雅春先生が何を仰りたかったか、それをわからなくさせるということにほかならないわけです。

生長の家創始者の教えをわからないようにすることは実にオソロシイ〝害毒〟ではありませんか。

五十数年も生長の家をやっていて、そのオソロシサが分からないというのは、一体、どういうことなのでしょうか。

ことのついでに申し上げておきますが、

>生命の実相の中心真理は、永遠に変わらないが、人類が生きる時代相応に運動の形態が変化して行くのは当然の成り行きである<

私どもは、運動形態を変えてはならないなどは一言も申し上げておりません。

「生命の実相の中心真理は、永遠に変わらない」と言われますが、そもそも、それならばどうやって、その「永遠に変わらない」ところの「生命の実相の中心真理」を学ぶのですか?

そのことを問うているのです。

『生命の實相』をテキストとしてしっかりと学ぶことの方が、絵手紙や料理教室等に興ずることよりも重要なのではありませんか?

『生命の實相』をはじめとして、谷口雅春先生の『聖典』が余りにも蔑ろにされてはいませんか?

「生命の実相の中心真理は、永遠に変わらない」と言われるのであれば、ぜひ、『生命の實相』を学ぶ人を原理主義に陥ると排撃したり、谷口雅春先生の『聖典』を絶版にしたりしている現状をどう見ておられるのか、ぜひ、ご見解を伺いたいと思うものであります。


「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします⑤ (3593)
日時:2015年03月21日 (土) 11時33分
名前:破邪顕正


>私も少し前まで、あまりにも先の方まで見透してお説き下さる総裁の想いが解り難い時もありましたが、今、この時代を迎えて、そのお言葉の一つ一つがパズルを解くようによくわかります。

未来が求めているものは、神・自然・人間の大調和した世界しかないと確信します。

その大調和の世界でこそ人類全体が安心して暮らせるのです。<

谷口雅宣総裁を擁護する人の典型的パターンがこれです。

…総裁先生は、自分たちが思いも及ばない未来のあるべき姿を先見の目をもってご指導くださっている。だから、少々理解できないのも無理はないのだ。

有体に言うならば、こういう理屈であります。

で、これについても、私は敢えて苦言を呈したいと思います。

どんなに時代が進もうが、「未来が求めているものは、神・自然・人間の大調和した世界」というよりかは、まず最小単位としての「家庭の調和」はいつの時代にあっても必要不可欠であると思うものであります。

そこにまた「生長の家」の「生長の家」たる所以がある…。

生長の〝家〟と名称があるのは、とても重要なことなのだと思うのです。

ところが、ご存知のように、谷口雅宣総裁の身の回りはどうなっていますでしょうか?

親きょうだいとの「大調和」が出来ていますか?

自然との調和云々を言う前に、まずはそれこそ『足元から平和を』という本まで発刊した谷口雅宣総裁のことですから『足元から大調和』を示していただきたいと思うものであります。

この元講師会長は、今の谷口家の状態について、どういう見解をお持ちでしょうか、ぜひ伺いたいものであります。

まさか、谷口恵美子先生がお山を脱出していられるという事実を知らないということはないでしょうね…?

更に、付け加えるならば、谷口雅宣総裁は「あまりにも先の方まで見透してお説き下さ」っているわけではないということをぜひ、知らなければならないと思います。

それが証拠に、谷口雅宣総裁は、「大東亜戦争」を侵略戦争だと言い、「占領憲法」を擁護し、民主党を支持し、あまつさえ、あの「朝日新聞」を信徒に読めとまで推奨しているのです。

この事実について、どう思うのですか?

これは、何も「先の方まで見透して」言っているものではありませんよ。

今日の状況についての総裁の見解なのです。

元講師会長は、谷口雅宣総裁の「そのお言葉の一つ一つがパズルを解くようによくわか」ったと言われていますが、この極めて政治的な〝ヒダリ〟の思想すらをも、賛同、容認されるのでありましょうか?

谷口雅春先生の教えを学んでいて、これに同意なさるとすれば、それは、谷口雅春先生への裏切り以外のなにものでもないと私は断じますが、それについてもぜひご見解を伺いたいものであります!



「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします⑥ (3602)
日時:2015年03月22日 (日) 07時59分
名前:破邪顕正


>文明の極のような大都会の東京にお住まいの貴女には、自然と共に生きるというめんどうくさい生活は考えられないかも知れませんが、ある程度の不自由さや面倒なことの中には心を豊かにしてくれ、達成感という喜びを与えてくれるものがいっぱいあることに気付きます。

現代人にその喜びを取り戻してもらうことを生長の家は薦めています。<

まるで、この箇所は、東京、大都会に住んでいる信徒への挑戦状、あるいは喧嘩状にも読めますね。

東京、大都会に住んでいては、心の豊かさが分からないとでも言うのでしょうか?

>現代人にその喜びを取り戻してもらうことを生長の家は薦めています。

ということは、生長の家の信徒は、みんな都会を離れて森にすまないといけないということなのでしょうか?

もとより、それは、谷口雅宣総裁夫妻みたいにお金に何不自由のない方には、そういう〝森の生活〟をエンジョイするのも許されるのでしょうが、それをしも信徒に薦めるというのですか?

“八ヶ岳”界隈に、信徒も挙って移り住み、そこに新たな生長の家版〝サティアン〟でも作るということなのですか?

よし、百歩譲って、元講師会長が言うように、大都会がダメだとして、だったらどうしてなぜ“八ヶ岳”に移転しなければならなったのですか?

私が一貫して不思議でならないのは、どうして長崎の総本山ではダメなのかということが未だに理解できないことであります。

総本山においても、それこそ「ある程度の不自由さや面倒なことの中には心を豊かにしてくれ、達成感という喜びを与えてくれるものがいっぱいある」ということは、大いに可能だと思うのです。

「あるものを生かせ」それが生長の家の教えではありませんか?

どうして、総本山があるのに、それを生かそうとはせずに、原宿本部会館まで破壊し、“八ヶ岳”に本部移転をしなければならなかったのか、ぜひ、納得のいくご説明をお願いしたいと思うものであります。


「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします⑦ (3624)
日時:2015年03月24日 (火) 08時53分
名前:破邪顕正


>御祭神の追加は生長の家としては当然のことです。

生長の家大神にまします宇宙大生命とは古事記に記されている天之御中主大神そのものです。

それがこれまで祀られなかったのは運動がまだ世界的・宇宙的視野に入っていなかったからです。<

ここにも〝洗脳〟の痕跡をはっきりと看て取ることができます。

今回の〝造化の三神〟の合祀を当然だと言い張る神経が、私には既に理解不能です。

まず、なによりそれより、

>生長の家大神にまします宇宙大生命とは古事記に記されている天之御中主大神そのものです。

そこまで言うのであれば、『古事記と現代の預言』はテキストとして絶対に外してはならないはずです。

ところが、ご存知のように、その『聖典』は事実上の絶版にされているわけです。

元講師会長ともあろう方が、どうしてその自己矛盾に気付かないのか、実に不思議であります。

つまり、大上段に「生長の家大神にまします宇宙大生命とは古事記に記されている天之御中主大神そのものです」と言われても、信徒は、そのこと自体を知る手がかり、学ぶことすらもが、今やできなくなっているのです。

そして、ここがとても重要なことなのですが、この元講師会長は、それをいいことに、「生長の家大神」について、とても重大なことを抜かしてしまっているのです。

それを教えてくれるのが『生長の家三拾年史』であります。

長い引用で恐縮ですが、とても重大なご文章なので、端折らずにご紹介させていただきます。

>招神歌の第一首の歌には、『生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ』とありますが、あの『生きとし生けるものを生かし給える御祖神』と申上げるのは、これは宇宙大生命であります。

『古事記』に書かれているところでは天之御中主神であり、光華明彩(ひかりうるわしくして)、六合の内に照り徹らせる大神として顕現ましましたのが天照大御神であらせられ、人体を備え給いて現人神としてお現れ遊ばした神様は天皇様であらせられます。

この天之御中主神、天照大御神、天皇様のお三方は一体であって、吾々の、否生きとし生ける者の御祖神様であらせらる。

吾々はその赤子であって御祖神の子であります。

吾々が天皇の赤子であると申すのは斯う云う意味であります。

吾々、生きとし生けるものが幸福である。

サイハヒであるとは、御祖神の大御命の割き生えによってのみサキハエとなるのでありますから、幸福のことを『サキハエ』と云い、転じて『サイハヒ』と申すのであります。

吾々の幸福は一に天皇陛下の御仁徳に懸ってあるのであります。

天皇陛下なしには吾々のサイハヒはないのであります。

さて宇宙大生命(みおやがみ)とは天皇様であらせられることがわかりましたが『招神歌』の第四首に『天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家大神守りませ』という歌があるのでありますが、天地の御親神の道も宇宙大生命の道を伝え導いて東道(みちびき)の役目を果たす神が生長の家の大神であると云うことが、第四首目の歌に現れているのであります。

そういう風に生長の家の神様には御親神様のお道を明かにし、道案内をし、日本国体を明徴ならしめ、日本の国威を輝かすために出現せられた神様であらせられ、その神様が支那事変、世界の大動乱に先立って現れいでたと云うことは、日本国が丁度、神武天皇様の御東征時代とか、神功皇后様の三韓征伐時代とか云うのに匹敵する大事変に際会しているからだと思われるのであります。(『生長の家三拾年史』23~24頁)<

分かりやすく申し上げましょう。

「宇宙大生命(みおやがみ)」とは、「天之御中主神、天照大御神、天皇様のお三方は一体であって、吾々の、否生きとし生ける者の御祖神様であらせらる」のです。

一方、「生長の家大神」とは、「天地の御親神の道も宇宙大生命の道を伝え導いて東道(みちびき)の役目を果たす神」であり、「御親神様のお道を明かにし、道案内をし、日本国体を明徴ならしめ、日本の国威を輝かすために出現せられた神様」であるのです。

「生長の家大神」が『古事記』において「住吉大神」である所以がまさにここに示されているのです。

そして、それだからこそ、生長の家は「天皇国・日本」の素晴しさを言い伝えていかなければならないのであるし、絶対に「鎮護国家」を外してはならないのです。

更に、この箇所のオカシサはそれだけに留まりません。

合祀を正当化する理由として、「世界的・宇宙的視野に入って」いくことを述べていますが、この言い方によれば、まるで、谷口雅春先生の時代は、「世界的・宇宙的視野」がなかったかのような言い草ではありませんか。

だったら、伺います。

谷口雅春先生の時代と今の谷口雅宣総裁の時代と、どちらが世界的視野において教勢が伸びていますか?

当然、「世界的・宇宙的視野」を念頭に入れてやっているというのであれば、世界において今の方が教勢は伸びているはずですよね。

それを証し立てる、具体的なはっきりとしたデータを提示できますか?

できるわけがありません。

だって、日本だけでなく、世界においても生長の家の教勢は、衰退の一途を辿っているからです。

どうしてでしょうか?

元講師会長には悪いですが、その理由をはっきりと申し上げましょう。

どんなに「世界的・宇宙的視野」を念頭においていると言っても、それが世界では通用していないからです。

つまり、ざっくり言って、谷口雅宣総裁のそれは、独りよがりでしかないということなのです。

更に、苦言を呈するならば、どうして「宇宙浄化の祈り」を無くさないといけないのですか?

大阪教区では、組織会員・誌友等に配布される「手帳」からも、「宇宙浄化の祈り」が削られたと伺っております。

「宇宙浄化の祈り」を無くして、なおかつ「世界的・宇宙的視野」と言われても少しも説得力がないように思うのですが…?

つまり、この元講師会長が言っていることは、何の裏づけもない、そう思いたいだけの、総裁をヨイショするためだけの単なる〝洗脳文書〟でしかないというのが私の見方であります。


「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします⑧ (3631)
日時:2015年03月25日 (水) 08時51分
名前:破邪顕正


>昭和五十三年住吉大神が顕齋されたのは日本国が宇宙浄化・鎮護国家の必要に迫られた時でした(その後、ソ連共産主義は崩壊しました)。

今、宇宙大生命なる天御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神の造化の三神の御出御が要請される時だからこそ、生長の家大神様の神意を托された総裁が齋主(いつきぬし)として御勧請されたので全ては神意の展開としてあるべきものがあるべき位置に鎮座されたのであります。<

生長の家を五十年以上もやっていて、総本山ご造営をこんなレベルでしか理解しえていないことに、正直、がっかりしております。

谷口雅春先生のお志が、この方には全然、理解されてはいません。

冷戦という当時の時代状況だけで、谷口雅春先生が総本山をご造営になったとでも本気で思っているのですか?

だったら、谷口雅春先生のこのお言葉を何とお聞きになりますか?

>私はこの日本の国をなんとか良くしたいと思っても人間の力ではどうすることもできない。

そこでどうしても神様の御力を呼びだして日本人の魂の世界を浄めるより仕方がない。

龍宮から住之江大神の御神威の出現を願ってこの世界を浄化して頂いて、天照大御神の御光を六合に照り徹らせて頂く道を開いて頂き、日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築くために建立する。

それが〝龍宮住吉本宮〟であります。(『生長の家』誌・昭和53年11月号、一部要約)<

それにしても、どうして、谷口雅春先生のなさったことを「真理」の世界から捉えようとせずに、当時の時代状況からしか見ようとはしないのでしょうか?

実は、それもまた、谷口雅宣総裁の〝洗脳〟のなせる業だと言ってよいのです。

だって、この〝時代的要請〟という見方は、谷口雅宣総裁の専売特許そのものだからです。

その典型的なものが、『機関誌』平成25年4月号の「質疑応答集」に掲載された、谷口雅宣総裁の次の文章です(43~44頁)。

>現在「四部経」と呼ばれる雅春先生の自由詩…には、大自然についての記述があまりないのです。

…自然界と人間との関係を表す表現が少ない。

それよりは、人間社会の中の生・老・病・死の問題をいかに考え、それらをどう超えて喜びをもって生きていくべきかという教えが前面に打ち出されている。

これは、発祥当時 の時代的要請にもとづくものです。<

読んで如何ですか?

唖然としますでしょう。

「人間社会の中の生・老・病・死の問題をいかに考え、それらをどう超えて喜びをもって生きていくべきか」

これこそは、宗教上の永遠のテーマではありませんか!

それをしも、谷口雅宣総裁は、「発祥当時の時代的要請」というレベルでしか捉えていないのです!

こんなことだから、“八ヶ岳教団”は、「救い」を放棄して、環境問題だけに専念するという馬鹿げた路線に嵌ってしまったのです。

事ほど左様に、「聖経」すらも、昭和5年当時の〝時代的要請〟が生んだものとしか捉えない谷口雅宣総裁のことですから、当然、総本山ご造営も、昭和50年前後の〝時代的要請〟から生まれたものだということにしてしまった?!

その〝洗脳〟をそのままそっくり受けてしまったのが、この元講師会長に他なりません。

だから、こんな手紙を書いてしまうのです。

それならば、敢えて、こう反論したいと思います。

「時代的要請」という言葉と「日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築く」という谷口雅春先生のお言葉とを、どう理解しますか?

谷口雅春先生は、「日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築く」と言われているのですから、昭和50年当時だけではなくて、今直、その精神は護持されなければならないのではありませんか?

当然、「鎮護国家」を外してはならない、それが谷口雅春先生のご精神を受け継ぐこと、またそれこそが「神意」だという結論になると思うものでありますが、それについての見解をぜひ、伺いたいものであります。


「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします⑨ (3641)
日時:2015年03月26日 (木) 07時58分
名前:破邪顕正


>私は生長の家の信仰者として、これからの世界が人類の欲望のみに振り廻されず、運命共同体としての地球と自然に四無量心を行ずることで〝汝ら天地一切のものと和解せよ〟と説かれた大調和の神示が、本来の意味で生きてくる世界が到来してくると信じています。<

生長の家を五十年以上をやっていたら、普通は、谷口雅春先生の時代の生長の家と今の生長の家とは根本的に違うということを認識しないといけません。

この元講師会長は、その点の認識が少しも出来ていない、そこに致命的な欠陥があります。

つまり、元講師会長は、最初に、こう宣言すべきなのです。

「私は、谷口雅春先生の生長の家を棄てて、谷口雅宣総裁の生長の家をやっていくことにいたしました。」

前者と後者の決定的な違いは何か?

そこに「天皇国・日本」があるか、ないか。

それに尽きるといっていいと思います。

だから、この手紙でも、ぬけぬけと「運命共同体としての地球と自然に四無量心を行ずる」というような言葉が出てくるのです。

そこには、「日本」という国家が、「運命共同体」として、認識されてはいないのです。

だから、「〝汝ら天地一切のものと和解せよ〟と説かれた大調和の神示」においても、谷口雅宣総裁は、「皇恩に感謝せよ」という重大なお言葉を省いてしまうのです。

それでいて、谷口雅春先生のお説きになられた「大調和の神示」が、どうして「本来の意味で生きてくる」と言い切れるのか?

実に不可解であります。

元講師会長がいう「本来の意味」とは何なのですか?

谷口雅春先生の「教え」と離れて、「本来の意味」が成り立つのかどうか、ぜひ、見解を伺いたいものであります。


「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判の手紙にお応えします⑩ (3649)
日時:2015年03月27日 (金) 08時22分
名前:破邪顕正


いよいよ、このシリーズも最終回となりました。

この手紙の末尾はこうなっています。

>私達は中心をゆるがせにせず進むものです。

そこには愛と感謝とよろこびの日時計主義の生活しかありません。

お返事になったかどうか解りませんが、私は貴女が何ものにも惑わされず生長の家大神様の、みこころのままに在られますよう切に願っています。<

ここで問題なのは、何を「中心」とするかということです。

これまで縷々述べてきたことからも拝察せられますように、この元講師会長は、あくまでも谷口雅宣総裁が中心という立場なのです。

だから、谷口雅宣総裁の言うことにすべて「ハイ」という観点から、一貫して、ヨイショの手紙を綴ったということなのです。

それに対して、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、谷口雅春先生の「教え」こそが中心という立場であります。

谷口雅春先生にしか「神示」は天下っていないわけですから、それが当然ではないかと思うものであります。

谷口雅春先生の「教え」なくして「生長の家」はない!

ところが、元講師会長は、谷口雅宣総裁の教えこそが「神意」であり、それを「生長の家」だと思い込んでいるのです。

谷口雅春先生の「生長の家」か、谷口雅宣総裁の「生長の家」か。

どちらの信仰に生きたがいいか…?

「そこには愛と感謝とよろこびの日時計主義の生活しかありません。」

元講師会長は、そう言われていますから、谷口雅宣総裁の「生長の家」がいいということなのでしょう。

そんなにいいのならば、どうして、こんなにも教勢が落ちる一方なのですか?

その理由をキチンと納得いくように説明していただきたいと思うものであります。

「現象ナシ」ということと「現象無視」とは違いますからね。

「現象は心の影」なのですから、教勢が〝減少〟している以上、それは何の心の影なのか。

それを明らかにすることはとても重要なことなのだと私は思います。

教え親・谷口雅春先生を否定して、谷口雅宣総裁が環境問題に暴走した、その路線そのものが、心ある信徒に受け入れられていないところに、今日の教勢の落ち込みという現象が出来したのであると私は見ております。

元講師会長は、私のこの見解をどう思われるか、ぜひ、お聞きしたいと思うものであります。

そして、私も、最後は、こう締めくくりたいと思います。

「谷口雅春先生を学ぶ会」への批判のお手紙に対する、これがお返事になったかどうか解りませんが、私は貴女が何ものにも惑わされず、谷口雅宣総裁の〝洗脳〟から目が覚め、生長の家大神様の、みこころのままに在られますよう切に願っています。



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