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光明掲示板・第三

 

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言葉の力 (213)
日時:2014年09月09日 (火) 04時12分
名前:伝統

生長の家七つの光明宣言の第5条において、
「吾等は、言葉の創化力を駆使して大自在の境に達しうることを信ず」とあります。


先代までの掲示板において、
「言葉の創化力」に関した題材を次のように紹介してまいりました。

(1)「“本流宣言”掲示板」では、
   スレッド「言葉の持つ力 (5205)」として。
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1100  

(2)「光明掲示板・第一」では、
   スレッド「言葉の力」として。
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=216    

(3)「光明掲示板・第二」「言葉の創化力」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=27


この掲示板(「光明掲示板第三」)においても、継続して紹介して参ります。


《コトバとは何であるか》

         *『眞理』第4巻青年篇(P220~222)より抜粋

ヨハネ伝には「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神と偕(とも)にあり、
言(ことば)は神なりき」とあります。
そして一切のものが言(ことば)によって造られたと書かれてあります。

それでは言(ことば)とは一体何であるかと云いますと、
宇宙に満つる霊(たましい)の振動であり、生命(せいめい)の活動であります。

宇宙に満つる大生命の波動が(大生命の)想念即ちコトバであって、
それがやがて形の世界にあらわれて来るのであります。

だから事物の本質とは何であるかと云うと、
このコトバでありまして、形ではないのであります。

だから人間の自然発生のコトバは、事物の本質を自然に表現していることになります。
人間のコトバが事物の本質を表現していると云うことになりますと、

人間が言葉を出すと云うことはラジオセットがある波長を起すのと同じことで、
宇宙に満ちているコトバの活動をその位置に於いて
感覚世界に発現することになるのであります。

だから、いやしくも、悪しき言葉を発言すると云うことは
慎まなければならないのであります。

           <感謝合掌 平成26年9月9日 頓首再拝>

神の国を現象化するための言葉 (469)
日時:2014年09月17日 (水) 04時03分
名前:伝統

         *「神と偕に生きる真理365章」(P325~326)より

「神の国がわが内にある。それが今現象界に展開しつつあるのである。
神の愛がわが内にある。それがわが現象の心にあらわれつつあるのである。
神の智慧がわが内にある。それが今、現象界に展開しつつあるのである。
神の国の繁栄がわが内にある。それが今現象界に展開しつつあるのである」

毎朝の神想観のとき、先ず招神歌を誦(とな)えてから、神との一体感を深め、
しかる後に、以上の如く念ずるがよい。

一日だけ念じても、その通りには実現しないかも知れないけれども、
毎日怠らず念じていつうちに、その自覚が深まる程度に応じて、
神の国にある完全にして幸福なる実相が、あなたの現象界に実現し始めるのである。

           <感謝合掌 平成26年9月17日 頓首再拝>

成功への道は、言葉のコントロールから (653)
日時:2014年09月27日 (土) 04時05分
名前:伝統

      *「今すぐ「言葉」を変えましょう」佐藤由紀・著より

(1)最良の結果を得られるかどうかは、実は脳を"壮快な状態"に保ちつつ、
   いかにして「古い脳」、つまり「潜在意識」をコントロールしていくかに
   かかっているのです。

(2)「言葉」はそのための最強のツールであり、最強のエネルギーとなりうるのです。

(3)口癖は、「ありがとうございます」「いやー皆さんのおかげです」「楽しいですね」

(4)真の営業のプロフェッショナルは自然に、
   「どうしたら相手が喜ぶか」をできる人ばかりです。

   それはつまり、出会ったらまた会いたいと相手が思ってしまうことです。

(5)一寸先は光!  だから大丈夫!

(6)火事場の馬鹿力は腕力ではなく、心の力のことである。

(7)笑いと喜びがある限り、私は必ず成功する。

(8)死んでいない人にはまだチャンスがある!

(9)夢はその人が水戸を切り開いてくれる。

(10)今日この一日を心からの愛を持って迎える。そしてわたしは成功する。

(11)今日、私は自分の価値を100倍にする。

(12)私は今、ただちに行動する。善は急げ!

(13)自分の未来を信じよう!
   セルフイメージを他人の評価や、過去の記憶にゆだねるのをやめよう!

(14)「肯定的な言葉を使う」という極めて簡単な習慣であっても、
   実はマインドを安定させて快適に行動するためには不可欠な行為であり、

   これが出来て初めてスキルや知識などの実力と、努力や行動を
   「成果」として結び付けられるということです。

(15)成功者とは、この「ライフスキル」によって、
   人や組織を動かす言葉を与え、理想となる未来像をイメージさせ、
   周囲とともに現実化してきた人たちです。

   「リーダーシップ」にしても、人を励まし、
   動かす一言を掛けることから始まるのだから。

           <感謝合掌 平成26年9月27日 頓首再拝>

言葉は慎重に有力に使いましょう (792)
日時:2014年10月04日 (土) 04時26分
名前:伝統

        *『眞理』第九巻生活篇(P100)より

言葉は有力な武器ですから、無闇にそれを散乱させてはならないのであります。
だと云って其れを全然使ってはならないと云うのではないのです。

火薬はその爆発力を適当に閉じ込めて置いて後(のち9に爆発させると
一層の威力を発揮するのであります。

蒸気の力もそれを閉じ込めて置いて一定の方向に噴射するとき汽車汽船を動かすことが
できますし、タービン回転の推進力を閉じ込めて置いて一定の方向にそれを噴射するとき
ジェット機は空中飛行をするのです。

言葉もそれを軽率に浪費することなしに想念としてそれを蓄え、洗練し、強化して後(のち)、
それを一定の方向にリードして噴出させてこそ本当に効果を発揮することができるのです。

無限の愛情を内にこめておれば、
その人の唯(ただ)一語が相手の胸を打つことができるのです。

常にコセコセ小言を言っている母親の言葉を子供が軽視し、
たまに発言する父親の言葉が力を持つのは其のためです。

           <感謝合掌 平成26年10月4日 頓首再拝>

言葉は、創造の原動力 (1060)
日時:2014年10月14日 (火) 04時39分
名前:伝統

         *「人生は心で支配せよ」(P111~112)より

吾等の言葉は、創造の原動力を有する。
そしてわれらの境遇、われらの世界、われらの肉体の上に作用して、
これを善にも悪にも変改しうるのである。


されば、吾等は発する言葉を如何程選択しても選択しすぎると云う事ことはないのである。

宇宙は、感覚鋭き耳である。

吾等はその鋭き耳に対して、苟(いやしく)も人を傷つける言葉を聞かしてはならない。
卑陋(ひろう)の思想を人に印象する如き言葉を聞かしてはならない。

(補足~卑陋:品性・言動などがいやしいこと。見識などが浅はかであること)

そして人を引き落とす如き言葉を聞かしてはならない。


然るに、自己の家庭を呪い、職業を呪い、境遇を呪い、自己自身を呪う如き
徒(いたず)らなる言葉を発する人々が如何にこの世に多くあることだろう。

悲観的思想を発表することはこれに相応ずる雰囲気を醸(かも)し出すことである。
それはやがて自己の恐れる事物を自分の周囲に造り出さずにはいないのである。

冷酷な言葉を発することを休(や)めよ。
その審判(さばき)の言葉は冷酷なる境遇をつくるからである。

人を審判(さば)くことを休(や)めよ。
その審判(さばき)の言葉は、不快な環境を造らざるにはいないのである。

聖書には「人の口より発する徒らなる言葉は、
すべて審判(さばき)の日に数え上げらるべし」と云うように書いている。

審判(さばき)の日と云うのは未来ではなく、常に今である。

           <感謝合掌 平成26年10月14日 頓首再拝>

「 舌 を制するものは、世界を支配する」  (1257)
日時:2014年10月23日 (木) 04時10分
名前:伝統

       *メルマガ「RPE Journal(2014年10月16日)」より

これ、あるインドの聖人から聞いた言葉です。

答えは「舌」ですが、「口」でも正解ですね。
要するに「言葉」を支配できる人は、「世界も支配できる」 というのです。

私はこの言葉をはじめてきいた時、「なんとおおげさな! 」と思いました。

しかし、その後、この世界をいろいろ観察してみた。

そしたら、「まさにそのとおりではないか!? 」と思い始めたのです。


▼「口」は災いの元

勢いのある政治家さん、起業家、芸能人などが、ある日突然 失速することがあります。
失速するばかりか凋落することもある。

理由は、たいてい2つです。

一つは「悪い行動をした 」。
悪い行動とは、窃盗とか殺人とか、もちろんありますが。
一番多いのは、「男女の問題」。

たとえば、ある清純派芸能人の不倫がばれた。
それで人気がなくなった。

記憶をたぐれば、いろいろ出てきますね。


もう一つ多いのは、「金銭問題」。
飛ぶ鳥落す勢いの政治家さんが、「黒い金」をうけとっていた、
それがウソでもホントでも、特にホントの場合、相当なダメージを受けます。


もう一つは、「悪い言葉」、つまり「失言」問題。

これも、いろいろありますね。

世界的に、「これはタブー」とされているのは、「人種差別発言」です。
欧米でも、時々「黒人」「ユダヤ人」「移民」などに対する差別発言で、
失脚したり、影響力が衰える政治家さんがでます。


まことに、人は自分の「行動」「言葉」には気をつける必要がありますね。



▼「舌」を制するものは、「世界を支配する」????

「舌」「口」「言葉」は使い方次第で、私たちの身を滅ぼす原因になります。
別の言い方で、「それだけ強力」である。


逆に言えば、「舌、口、言葉を正しく使えば、インドの聖人がいうとおり、
『世界を支配すること』ができる」かもしれない。

           <感謝合掌 平成26年10月23日 頓首再拝>

言葉による表現力を訓練せよ (1510)
日時:2014年11月06日 (木) 06時07分
名前:伝統

             * 『理想世界』誌(S.47年5月号)より

神は”霊の世界”にイメージを「無声のコトバ」〈想念〉によって創造した。

その霊的イメージに随って縦横厚みの三次元空間に、物質的形に、
それを翻訳して表現する役割を受持っているのが人間であるのである。

神が”霊の世界”に創造を行なうのには、単に無声の想念で、
その創造が成就し得たのであろうけれども、

人間が縦横厚みの三次元空間に表現されてある物質世界において、
神から承け継いだ創造の営みを遂行するには、
単に「無声のコトバ」のみによるだけでは仕事をすることはできないのである。

私たちは無論、常に「想う」という「無声のコトバ」によって、
論理的思考を用い、計画したり、アレンヂしたりするけれども、

愈々実行するというときになれば「形ある言葉」〈文字〉をもって文書を書き、
計画を人に伝え、宣伝し「声あるコトバ」〈発声音〉によって自己の意思を相手に伝達し、
ひとりでは到底できない大いなる仕事を、多勢の人々の協力によって遂行し
完成しなければならないのである。

それゆえに大いなる事業を遂行しようと欲するならば、
「言葉を語る技術」を自己訓練することが必要となるのである。

多くの人々の協力を得ようと思うならば、
人々に”よき印象”を与えることが出来なければならないのである。

発声音の「コトバの巧みなる音」
必ずしも人々に良き印象を与え得るとはきまっていないのである。

表現は”示し”であり”申す”であり、従ってそれはコトバであり、
「神の創造力」であるから、あなたの一挙手一投足がコトバある。

「身のこなし」「態度」などもコトバである。

「身のこなし」「態度」などがブッキラ棒であり、荒っぽく、傲慢であるならば、
他から受取られる印象は決して”よき印象”ではあるまい。

「出る杭は打たれる」「能ある鷹は爪をかくす」
「実る程、頭のさがる稲穂かな」という諺が示すところの教訓は
処世の上で学ばなければ、人々に好印象を与えることはできないであろう。

http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/23006471.html

           <感謝合掌 平成26年11月6日 頓首再拝>

最上の言葉を出すように心がけよ (1703)
日時:2014年11月15日 (土) 03時37分
名前:伝統

         *「人生は心で支配せよ」(P113)より

聖書には、言葉は足を照らす灯台となり、道を照らす光となれりと録(しる)されている。

もし諸君が時代の救済者となろうと思われるならば
自己の思想感情に最上のものを以って充たせ。
努め励みて己が心情に最も善きものを保つように心掛けよ。

ここからのみ生命の泉は湧いて来るのである。
吾等が思想感情に美と優雅とを貯えて置くならば
吾等の言葉は美と優雅とを備えて流れ出で来るであろう。

ある詩人は歌って言う。

   さらば汝の内奥の思想を明るいものたらしめよ
   思想は生ける力をもって働きかけ
   言葉とあらわれて運命を形造る
   
   神の描きたまいし構図の如何に荘厳霊妙なることよ。

           <感謝合掌 平成26年11月15日 頓首再拝>

プラスの振動、マイナスの振動 (1951)
日時:2014年11月25日 (火) 04時04分
名前:伝統

     *「あいうえお言霊(ことだま)修行」(矢山利彦・著)<P28~36>


心も身体機能もよくする振動は

「あ」は、ありがたい(感謝の気持ちを持つこと)

「い」は、いくつしむ(反省も必要ですが、自分を責めるのではなく、自分自身を慈しむこと)

「う」は、うれしく(何事も当たり前だと思うのではなく、うれしいな、と思うこと)

「え」は、エンジョイ(うれしくと同様に、何事も楽しんで積極的にやること)

「お」は、おおらか(くよくよせず、小さなことにこだわらないこと)



反対に病気になる人、ネガティブな人に多い振動です。

「が」は、がんばる
「ぎ」は、義理、義務
「ぐ」は、グチる
「げ」は、原理、原則
「ご」は、ごまかす

が・・・「がんばる」
    歯を食いしばって肩に力が入りすぎて、実は本当の力が発揮できない状態。

ぎ・・・「義理・義務」  
    こうしなければならない、こうでなくてはいけない と言う思い込みで心を縛り、
    自分を追い込んでしまう。

ぐ・・・「グチる」  
    答えの出ないことを、ああでもない、こうでもないと考えすぎて
    頭がヒートしてストレスが溜まり、そこから病気になることも多い。

げ・・・「原則・原理」  
    「こうだからこうあるべきだ」と言う断定的な考えにとらわれること。
    こういう人は自分だけでなく、相手に対しても厳しい。

ご・・・「ごまかす」 
    身体の信号を無視してごまかして生きていると、
    そのうちツケが溜まって病気になってしまう。

           <感謝合掌 平成26年11月25日 頓首再拝>

最初のひと言が脳を支配する (2129)
日時:2014年12月04日 (木) 03時06分
名前:伝統

            *「言葉の心理学・生理学」佐藤富雄・著より

(1)世の中で成功した人、高い評価を得ている人、
   人生を悠々と充実して生きている人は、言葉の使い方が上手です。

(2)肯定的な言葉、気持ちで取り組む姿勢が変わらないかぎり、
   脳細胞は解決を求めて活動し続けます。

   「何とかなる」「できる」は「幸福行き1枚ください」と
   駅員に告げているのと同じであります。

(3)否定的な言葉を発すると、脳細胞は残酷にも、その意向にそって、
   ただちに「できない理由」を山ほど探し出してきます。

   「無理だ」「できない」は「不幸行き1枚!」と
   駅員に言っているのと同じであります。

(4)「今日も一日素晴らしい日になるぞ」

   「私は何て幸せなんだろう」

   「私の未来はどんどん開けていく」

   この言葉を区切りをつけ大きな声で一度に唱えるのです。

   何であろうと、まずは「肯定」してから始めます。

           <感謝合掌 平成26年12月4日 頓首再拝>

真理の言葉を繰り返し唱えよ! (2327)
日時:2014年12月14日 (日) 06時13分
名前:伝統

            *「生命の實相」第39巻仏教篇(P100~101)より

病める者よ、

「神は光にして少しの暗(くら)き所(ところ)なし」

この言葉を瞑目して十遍、百遍、千遍となえよ。

おのずから自己の身辺 光にて満ち、天国浄土ここにありとの観念が
生まれてくるに相違ないのであります。

病まざる者も、健康なる者も、悩める者も、悩まざる者も、
この言葉を瞑目して唱えよ。

神は単に病める者のみの神ではないからであります。

かくのごとき真理の言葉を繰り返し唱える時、
言葉の力によって次第に存在の実相が「光明そのものであって少しも暗き所なき」
事実がハッキリ自覚されてくるのであります。

光明思想とわたしが名づけたところのものは、
この「神は光にして少しの暗きところなし」という直接体験の宗教的真理であって、
人間は神の子であるから「少しも暗きところなし」であり、

したがって罪もなければ病もなく、また不幸災難もないのであります。

           <感謝合掌 平成26年12月14日 頓首再拝>

言葉の奥には魂の熱情がなければならぬ (2496)
日時:2014年12月25日 (木) 04時46分
名前:伝統

           *「女は愛の太陽だ」(P13)より

こらえている涙の一滴が滝のように流す涙よりも人を動かすことがある。
それは内にこもる魂の力である。

「雄弁は銀、沈黙は金」の諺に通ずるものである。
あまり喋る婦人は軽率に見える。

しかしこれは私的な人間関係に於いてである。

国家的問題について宣言したり、意見を述べたりするときは、
雄弁に滔々と論理的に大なる説得力をもって話すことが必要である。

しかし表面の雄弁も、
内部にそれを語る熱情が伴わないときには人を動かす力は少ない。

熱情をもって語る言葉は、人々の琴線に触れて、
大いなる感銘を喚(よ)び起すのである。
熱情は雄弁にまさるのである。

           <感謝合掌 平成26年12月25日 頓首再拝>

”悪い事”は言い当る (2705)
日時:2015年01月06日 (火) 03時19分
名前:伝統

           *「女は愛の太陽だ」(P101)より

想像力は創造力なのである。

神が、まだ地球も、太陽も、一切の天体も、すべての物質も存在しない宇宙の最始元に
於いて、天体を創造し、天体の上に万物を生ぜしめた力は何によって得たのであるかと
いうと、それは、何も物質の無い時に利用し得る材料は「心」ばかりである。

だから、神は造るものを心に描く ── 即ち「想像する」ことによって、
一切の最初の存在を創造されたのである。
その如く、まことに「想像する」ことは創造することなのである。

だから、あなたは、不幸や災難や病気を「起るかも知れない」と
想像して恐怖してはならないのである。

古い諺に「悪い事は言い当る」いうのがある。

八罫見(はっけみ)や観相家が、「あなたは今、不幸に見舞われる人相をしている」
などというならば、それは《言い当る》のである。

八罫見や、観相家の、まことしやかの確信に満ちた語調で、
「これこれの事が起るにちがいない」と断言されると、その予言は、”言葉の力”に
よって相手の人の心を動かし、予想された通りの有様を心に描いて想像する。

すると想像した通りにそれが実現するのである。

           <感謝合掌 平成27年1月6日 頓首再拝>

”大丈夫”、と首を縦に振る (2846)
日時:2015年01月16日 (金) 04時01分
名前:伝統

           *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年1月11日)」より
  
   (志賀内泰弘氏の心に響く言葉より…)

   とことん落ち込んで本当につらい状態にある場合には、
   心のベクトルを力づくで明るい方へ向けようとしても、
   萎えた心がついていかず、限界があります。

   それはまるで、病気で顔色の悪い人に、
   「頑張れ!頑張れ!」と言っているようなものです。

   頑張れるものなら、言われなくても頑張れる。

   それができないからつらいのです。


   そんな中で、心がピンチに陥ったとき、とくに効き目のある言葉を見つけました。

   それが「大丈夫」です。


   まずは、心の中に立ち込めた心配や不安の黒雲を取り除くことです。
   不安は、放っておくと、どんどん広がっていきます。

   「大丈夫だよ」と、心の中にいるもう一人の自分に声をかけてあげる。
   決して励ますのではなく「安心させる」のです。

   ポイントは、3回唱えること。

   「大丈夫、大丈夫、大丈夫」。

   できることなら(人のいない所で)、声に出して言ってみましょう。
   効き目は倍増します。


   それから、人は肯定するときには、首を縦に振ります。
   誰に教えられたわけでもないのに、勝手に顔が動いてしまう。

   つらいことがあったとき、悩み事があるとき、

   「私はダメな人間なんだ」
   「誰にも認められない」

   などと、自分自身の存在を否定しがちになります。

   そんなとき、「うんうん」と心の中で呟きながら、
   あえて首を縦に2度振ってみるのです。

   その「うんうん」の中には、無意識に

   「大丈夫、できるよ」
   「頑張ろう」
   「負けるものか」

   という意味が込められています。


   すると、なぜかしら心がポッと明るくなります。
   首を縦に振ることで、心にポジティブ信号が届くのです。

          <『「ポジティブ練習帳」』同文館出版>

             ・・・

相手に自分の本当の気持ちを伝えたいときは、
言葉にそえて何らかの動作が加わるとその言葉はもっと伝わりやすい。

たとえば、感謝の気持ちを伝えるには、
「満面の笑みを浮かべて…」、
「感激の涙を浮かべて…」、
「相手の両手をにぎりしめて…」、

『ありがとう』、という。


大丈夫の反対語は、駄目(だめ)。

いつも、「ダメだ」とか「大変だ」とか「無理」と言っていると、
本当にダメで、大変で、無理になってくる。


大丈夫とは、禅でいう「大安心(だいあんじん)」のこと。

大安心とは、不安のひとかけらもない状態、
つまり、心の底から安心しきっている状態をいう。


不安なときこそ、「大丈夫、大丈夫、大丈夫」とつぶやき、
自分の首を縦に振り、うなずいてみる。

大丈夫という言葉は、大安心する言葉。

           <感謝合掌 平成27年1月16日 頓首再拝>



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