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光明掲示板・第三

 

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再び「和解」を考える①ー死に物狂いで裁判に勝ってみろ (3620)
日時:2015年03月24日 (火) 00時31分
名前:光明遍照(亀の子)

これは、「雅宣総裁観世音菩薩論・和解論・擁護論についての私の考え (3590)」のスレッドのつづきであるが、長文であり、スマートフォンなどでは読みづらくなるため、新たなスレッドを立てさせていただくことをお許し願いたい。

(承前)

再び、「和解」という事を具体的に考えるにあたって、山ちゃん1952様が、

「唯物思想の教団とは和解してはならない。」(2015年03月22日付)


というタイトルで書かれた文章がある。


その一部を引用させて頂くことをお許し願いたい。

以下、一部引用

>トキさんは
「和解念仏教」の教祖であり、これだけ「和解」といえば少しは良くなっているのかと思えばその状況は益々悪化であることは誰もみても明らかである。

雅宣氏と何を和解するのか?
『生命の實相』のないの教団と和解するのか?
『甘露の法雨』のない教団と和解するのか?
光明化運動のない「環境 の家」と和解せよというのか?
九州総本山を聖地ではないという人と和解するのか?
民主党を支持するような人と和解するにのか?
「天皇陛下」を愛さないような人と和解できるのか?
兄弟と仲違いするような人と和解できるのか?

それでも和解をいうならば、本当に「和解」ではなく「妥協」するとしか言い様がない。
妥協してどうするのかであろう。
たぶん。トキさんは「妥協」して欲しいというのが本音であろう。
口では和解と言っているが「妥協」して欲しいというのが素直な意見であろう。

(以上引用終)


では、トキ様はどうかというと、本流対策室/6で、

トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/23(月) 22:14:45 の投稿で、


>最近、また、教団と本流復活派の間で裁判があり、教団側が敗訴したという情報が入りました。


という書き出しで始まっている。そして現場の声として、


>「両方とも意地の張り合いをしている。現場は大変な状態になっている事を双方とも知るべきだ。早く和解して欲しい。」という意見が多かった。
>と聞きます。

>おそらく、双方とも現場の意見を知らないと思います。

とあくまでも「早く和解欲しい」と現場の声に代弁させているが、相も変わらず「和解」「和解」の繰り返しである。


山ちゃん1952様のいわれる通り、「これだけ「和解」といえば少しは良くなっているのかと思えばその状況は益々悪化であることは誰もみても明らかで ある。」


子供でも同じ失敗を何回か繰り返し生長して行くが、いい大人が、いつまでも同じ事を繰り返して言ってるだけでは、学習能力がないのかとその知性が疑われてしまう。そこには本当の智慧がないからである。


教団も裁判、裁判の繰り返しで、毎回、敗訴ばかりの繰り返しであるが、まったく学習能力がない。これでは、わざと負ける裁判を起こしているとしか思えない。


>おそらく、双方とも現場の意見を知らないと思います。


とトキ様はいわれるが、組織に属しているのに何故、現場の声を上(教団の上層部)に挙げられないのか、不思議に思う。


これでは、まるでマッチポンプではないか。自分で問題を起こしておいて、自分で火消し役に徹している。マッチが「教団」で、 ポンプが「トキ様」という茶番劇にしか見えない。


「リーガル・ハイ」というコメディタッチの弁護士ドラマもののドラマがあるその中で、訴訟で一度も負けたことがない敏腕弁護士・古美門研介が、負けてばかりいる新米弁護士・黛真知子にいう言葉がある。


その言葉、

「死に物狂いで無罪を勝ち取ろうとしてないからだ」


本当に、『生命の實相』、聖経が必要ならば教団側に言いたい。


「死に物狂いで聖経・聖典を守り抜こうとしてないからだ」と。


トキ様は、「双方とも現場の意見を知らない」と言っているが、本音は、本流派に「困っている現場の意見」を届け、「妥協」を迫っているようにしか見えない。


「本当」に困っているのであれば、教化部に届いたという「生長の家社会事業団の弁護士さん」のいう通り、「光明思想社から出ている聖経を使え」ばいいだけのことではないか。


聖経は、どこから出ていようと内容に変わりがあるとは思えない。


また、教化部は、被包括宗教法人ではあるが、被包括宗教法人(各教化部)が包括宗教法人(教団本部)から独立して単立宗教法人となることもできるのである。


「ときみつる會」の宮澤潔先生が「宗教法人 生長の家 オーストラリア法人」を独立させたのがいい例である。


(つづく)


再び「和解」を考える②ー和解しない「和解」を提案する (3632)
日時:2015年03月25日 (水) 08時53分
名前:光明遍照(亀の子)


(承前)

前回は、すこし感情的になってしまった部分があると思う。今回は、真理の面からの「和解」いうものを考えてみたい。

そーれ!!様が、

「本当の和解とは、こらえたり、我慢し合ったりでは無いですよね。 (3628)」のスレッドの中で、

>感謝していたら、裁判なんて起こしません!!!


と和解派の和解待望論をぶった斬っておられるのは、なんとも痛快である。まさにその通りである。

一般的に両者の間に問題が生じたら、裁判になる前に和解するのが、大人の対応というものであろう。ましてや聖職者たる宗教家が、裁判ばかりに明け暮れるとは、一体、何事かと言わざるをえない。


最近読んだ本に琴線に触れる言葉が書かれていたので、その部分を一部、紹介させていただく。

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2006年11月に開催された広島国際平和会議に、3人のノーベル平和賞受賞者が来日した。

ダライ・ラマ法王 、南アフリカ共和国のデズモンド・ツツ大主教、それに北アイルランドの平和活動家ベティ・ウィリアムズ氏。

その時の講演会でひときわ、おもしろかったのがツツ大主教でした。

「クリスチャンのなかにも、良いクリスチャンと悪いクリスチャンがいる」と言った。

「キリスト教の信徒をしながら、その教えとはまったく反対のことをしている人がいる」と言われた。
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正にこの言葉は、今の教団にも当てはまる。

「生長の家人のなかにも、良い生長の家人と悪い生長の家人がいる」

「生長の家の信徒をしながら、その教えとはまったく反対のことをしている人がいる」

また、 ツツ大主教は、こうも言われたという。
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「神様は人間のことをよくご存知だから、嫌な奴まで好きになれと無理なことはおっしゃらない。嫌いなものは嫌いであり、それは理屈を超えている。しかし、キリスト教の愛とは好き嫌いの問題ではなく、人間の意識面での愛のことである。」

「神様は、「人を愛しなさい」とおっしゃるけれど、嫌いな人まで無理して好きになりなさいなどと無茶なことはおっしゃらない」と。
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(上記は、『神(サムシング・グレート)と見えない世界』矢作直樹・村上和雄共著 祥伝社 新書)


谷口雅春先生は、『聖経  真理の吟唱』の「天地一切と和解する祈り」の中で、「暗(やみ)」と、和解せよとなどとは言われていないのである。


現教団の思想が、「光明」でないことは、信徒の激減の状況を見ても明らかではないか。人は、「光」を求めるのは、人がもともと「光」なるものであるからである。


従って、谷口雅春先生が「和解念仏教の教祖様」であるなど言うことは、勘違いもはなはだしいと言わざるをえない、だから、「理解が浅い」と言ったのである。

(谷口雅春先生も、「人が天皇陛下のことを単に「天皇」と呼びつけにするような言葉遣いで話すのを聴くと腹が立つのである。」と言われていたのである。この事は、後日、別スレッドを立てて投稿する予定である。)


トキ様の唱える和解とは「暗」と「光」を和解させようとしているようにしか見えない。(この場合、「暗」とか「光」とは、特定の団体を指す意味ではなく、その思想的なものを言っている。)


ヨ ハネ福音書の冒頭に、「光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒(くらき)は之(これ)を悟らざりき。」 という言葉がある。


前述の「天地一切と和解する祈り」の中の一節、


「光の進軍に対しては暗は逆らうことも、抵抗することもできないのである。・・・(略)・・・神は「暗に対しては光を以って相対せよ」と仰せられているのである。」

とある。

「暗(やみ)・暗黒」は、「之(これ)」すなわち「光」を悟ることは出来ない。また、逆に「光」の進むところ「暗(やみ)」はないのであるから、「光」も永遠に「暗(やみ)」に出会うこともないが故に、「光」もまた「暗」など悟らざりきである。


「光」はただ進むのみである。光の進軍するところ、暗・闇・病みは、消え行くのみなのである。


したがって、「光」と「暗」は、永遠に和解(感謝・愛)することは出来ないのである。


「本当の和解」など永遠に出来ないのである。あるとしたらそれは「我慢」か「妥協」にしか過ぎない と知るべきなのである。

上記のことから導き出される最終的な「和解」を考えた時、トキ様に提案したい和解案として、


<< 和解しないという和解案 >>  を提案したい。


さて、その先具体的な処置は、「天地一切と和解する祈り」の中に答えが書いてあるので、是非、繰り返し熟読、神想観、思索し「叡智」を出していただき、「本当の和解」ということを学び直して頂きたい。


これにて、「和解」について考えるは、一旦、終了とする。


感謝 合掌




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