三国時代、魏の国の初代皇帝になった曹丕は人材を推挙させるにあたって、当時人事を担当していた大臣の蘆毓(ろいく)に相談します。「適する人材を得られるかどうかは蘆毓の腕にかかっている。人材を官史に推挙する際にはその人物の名声に頼って採用してはいけない。名声というものは絵に描いた餅のようなもので食べることができず役に立たないものだから。」と。蘆毓はその通りに人事を行い、優秀な人材が集まったといわれています。 ここから生まれた“画饼”はその後もいろんなところで使われるようになり、唐の時代の詩人白居易(白楽天)は「絵に描いた餅では飢えを救うことはできない」と詩の中で詠んでいます。また計画が失敗して無駄骨折に終わることを「画餅に帰す」といいます。
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