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No.354 毛利家の長老吉川広家 |
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NAME:杉原盛重の末裔 |
1597年、吉川広家にとって父方の叔父 にあたる小早川隆景、毛利元清が亡くなり、 その上、母方の叔父の熊谷直清も同時期に 亡くなりました。毛利輝元は吉川広家を 一族の長老として扱いました。 広家にとって頼みの相談相手は姉婿の 益田元祥です。義兄弟は関ヶ原の戦いでは 裏工作を用いて東軍方の勝利を導きました。 益田元祥は徳川家康から石見の大名に なることを薦められたのですが、本人は 固辞して毛利輝元に随行しました。 益田元祥は毛利家の家老として萩藩を 盛り立てました。 ちなみに、広家の母方の叔父直清の子供 たちは、広家を協力的に支えました。 長男は直顕、次男の直之は杉原盛重の 家族の養子になり、四男の春真は宮庄家を 継ぎ広家の家老になりました。春真の 子供の家正は広家の四家老の一人として 吉川家を支えました。
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