From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]
文藝春秋 2008年7月刊
梁浩遠がふるさとの父に電話をかけたくなったのは何故だろう。 浩遠は電話に出た父の言葉に胸がつまり嗚咽を漏らした。
優しい言葉を聞くうちに受話器を持つ手が震えだし、じっと我慢していた涙が大きな声と共に溢れ出た。
電話を通して浩遠の鳴き声を聞いた父親が放つ科白がある。その科白が本当に素晴らしい。ここに「時が滲む朝」の総てがあると言ってもいいかもしれない。
希望と挫折、光と影。この作品は世界にも通用する青春小説ではないだろうか。中国人の女流作家が中国人の物語を日本語で書いた。しかも巧みな日本語を操って。
1989年の天安門の大虐殺事件を一つの転換点として多くの中国人の青春がねじれていく。そしてさらに香港返還、北京五輪開催という歴史的な転換点を彼らはどのように生きていくのか。
主人公の心の中にあるもの。それは今度こそ希望溢れる転換点にしたいという望み。そういう望みを持ちつつも、己の無力をも思わざるをえない。
何よりも辛いのはあれだけ民主化運動が盛り上がった時に起きた天安門事件でさえ、共産党による報道管制のため中国人のほとんどが知らされていない事件なのだから。
楊 逸さんはこの作品で芥川賞を受賞。日本人の多くに歓迎された。しかし本来であればもっと多くの、いや中国じゅうの人々に歓迎されてしかるべき作品ではないかと私は思った。
2010年01月23日 (土) 09時49分
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