From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]
2007年 中央公論新社刊 希和子が赤ちゃんを誘拐して逃げ続ける。何故誘拐したのか、理由がわからない。 私は気が気でなかった。目が離せなくなった。
第一章は心配が途切れぬまま、逃亡劇に終始する。物語を読み続けるのは苦しみであり辛い気持ちであった。 これほどの犯罪だというのに、事の成り立ち、事の発端が掴めない。
人の子供を誘拐することがどれほど卑劣な犯罪なのか、まったく主人公は気が付いていない。 気が付かないどころか、自分を正当化することばかり考え、さらった子供と末永く暮らすことばかり夢見ている。
もし万が一不測の事態が起こり、赤ちゃんが病気にかかり具合が悪くなったらどうするつもりなんだ。 子供はすぐに体調を崩す。赤ちゃんならなおさらだ。幼いものの命はあっという間に失われてしまうことなど珍しいことではない。
希和子が決意すればよいのだ。赤ちゃんを母親に返してやればいいのだ。 総てをあきらめて、子供のことを第一に考えなければならないのだ。そうすることが母親としての本当の慈しみの心だ。
ところが、第一章の後半で私の気持ちが変化してしまった。希和子が名付けた薫は4歳になった。いや、希和子が薫を4歳まで立派に育てたのだ。 そして4歳の薫がかわいいのだ。そして希和子がけなげなのだ。 私の気持ちが犯罪を憎む気持ちよりも、希和子たちに手を差し延べて少しでも助けてあげたい気持ちに変わったのだ。
この「親子」二人がこのままずっと何事も起こらず安心して平和に暮らして欲しい。 ついにはそんなことまで念じている。偽の親子に対して。
希和子と薫がつかの間のひとときを本当の親子のように過ごしているのを見るとホッとする。 赤ちゃんの時に誘拐された薫にとってはもはや本物も偽物もない。母親は目の前にいる希和子一人だけ。
親子の情にほだされた。では、薫の本当の母親に向かっては、どうやって慰めればいいのだろうか。
第二章からは、恵理菜(薫)の視点で物語が語られる。誘拐した理由もこの章で明らかになる。そして本当の両親についても詳細に記述されている。 つまり第二章は、答えが書かれている。この答えを読むと、誘拐した者もされた者も誰も幸せとは言い難い人生を送っていることがわかる。
恵理菜が希和子について記憶している最後の言葉があるが、その言葉こそが、私には希望の光に思えた。恵理菜をどこかで支えてくれていた。 そしてその言葉に泣かされた。あまりにも母親らしいその言葉こそが私の心をつかんで離さない。
2009年03月12日 (木) 09時36分
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