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[634] 北村 薫 「北村薫の創作表現講義」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

「北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く」 (新潮選書)

2008年5月 新潮社刊

3年前、北村薫さんが早稲田大学で講座を持つことになったと聞いた時、どれほどその授業を受けてみたいと思ったことか。おそらく同じ思いを抱いた人は沢山いただろう。

その講義が実はテープに録音されており、こうして編集されて一冊の本になった。小説を読んだり、書いたりするための授業が教室には行けなかったけれどもこうして体験出来る。

それを考えるだけでも至福のひととき。本を読んでいないのにもう、喜んでいる。

私にはそういう本。そしてその期待を上回る面白さがこの本にはあった。作家ではなく、北村先生との出会いであった。

学生が遅刻せずに授業に出席して、せっせとノートを取る。同じように私もこの本を読みながらノートを取りたい。そんな気持ちで読んだ。

講義を授けると言うことは大変な労力が伴うことだと思う。大学だから、1回90分の授業だろう。この90分の講義のために北村先生はおそらくその倍以上の時間をかけて準備をしているはずだ。

2年間教壇に上がられたと言うことはいったいどれほど下調べや準備のために時間を費やしたのだろうかと考える。そう考えながら読むと一層深い。

先生だけがしゃべる単なる講義で終わらず、ゲストの人選も魅力的。天野慶さんは注目したいと思う。新潮社と講談社の編集者の方も面白い。

しかし、私としては里見ク(さとみとん)の「椿」、そして塚本邦雄の「晝戀(ひるのこい)」を北村先生や教室の学生たちと一緒に、あたかも教室にいて読んで聴いて語り合えたかのように思えたことが何よりもうれしい。

北村先生はこう言っています。「読むことも重要な表現です。」

これは私には励ましのようなひと言に思えます。
「いかに読むか。そこから、喜びをすくい取ってこられるか。」なるほど。合点承知の助。

2009年03月17日 (火) 17時42分


[633] コーマック・マッカーシー 「ザ・ロード」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

2008年 早川書房刊

作者のコーマック・マッカーシーはアメリカの作家で既に巨匠と称されている。本作品は2006年に発表され大ベストセラーとなり、日本では黒原敏行氏により邦訳され2008年に刊行された。

訳者あとがきによると、おそらく「核戦争か何かが原因で世界は破滅している。空は常に分厚い雲に覆われ、太陽は姿を現さず、どんどん寒くなっていく。地上には灰が積もり、植物は枯死し、動物の姿を見ることはほとんど無い。生き残った人間たちは飢え、無政府状態の中で、凄惨な争いを続けている」終末世界を描いたSF小説なのだという。

そういう状況の地球に生き残った父子がいる。子はまだ幼く父親の守りと助けがなければ生きてはいけない。気温が下がり続けているので、この父子は南を目指してショッピングカートに乗せた毛布などの生活用具を押しながら旅を続ける。

困難で明日の見えない旅路。襲われるか、飢えて死ぬか。恐怖と空腹と寒さに凍える旅路だ。

数行前で訳者のあとがきを引用して本作品の舞台を説明したが、それは訳者の想像であって、実は作者による状況の説明は一切無い。

何が起きたのか、いつの時代なのか。どこの国なのか。何も説明はない。しかし、父と子が歩いているのは絶望だけの道ではなかった。

この父子には名前すら付けられていない。しかし、この幼い子供の心が美しいのだ。純粋で優しいのだ。

総ての苦痛が癒されるような言葉を子供が発する。だから父は子を命に代えても守ろうとする。

想像もつかないこの世の終わりの世界で、辛く重く暗い父子の旅なのだが、この物語に出会えて良かった。

二人の会話が私には、宝物だ。こんなところに親子だけが作れる宝物が落ちていた。是非、多くの人にも見つけて欲しい。そして涙が止まらなくなることも覚悟しておいて欲しい。

2009年03月15日 (日) 14時59分


[632] 角田 光代 「八日目の蝉 」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

2007年 中央公論新社刊

希和子が赤ちゃんを誘拐して逃げ続ける。何故誘拐したのか、理由がわからない。
私は気が気でなかった。目が離せなくなった。

第一章は心配が途切れぬまま、逃亡劇に終始する。物語を読み続けるのは苦しみであり辛い気持ちであった。
これほどの犯罪だというのに、事の成り立ち、事の発端が掴めない。

人の子供を誘拐することがどれほど卑劣な犯罪なのか、まったく主人公は気が付いていない。
気が付かないどころか、自分を正当化することばかり考え、さらった子供と末永く暮らすことばかり夢見ている。

もし万が一不測の事態が起こり、赤ちゃんが病気にかかり具合が悪くなったらどうするつもりなんだ。
子供はすぐに体調を崩す。赤ちゃんならなおさらだ。幼いものの命はあっという間に失われてしまうことなど珍しいことではない。

希和子が決意すればよいのだ。赤ちゃんを母親に返してやればいいのだ。
総てをあきらめて、子供のことを第一に考えなければならないのだ。そうすることが母親としての本当の慈しみの心だ。

ところが、第一章の後半で私の気持ちが変化してしまった。希和子が名付けた薫は4歳になった。いや、希和子が薫を4歳まで立派に育てたのだ。
そして4歳の薫がかわいいのだ。そして希和子がけなげなのだ。
私の気持ちが犯罪を憎む気持ちよりも、希和子たちに手を差し延べて少しでも助けてあげたい気持ちに変わったのだ。

この「親子」二人がこのままずっと何事も起こらず安心して平和に暮らして欲しい。
ついにはそんなことまで念じている。偽の親子に対して。

希和子と薫がつかの間のひとときを本当の親子のように過ごしているのを見るとホッとする。
赤ちゃんの時に誘拐された薫にとってはもはや本物も偽物もない。母親は目の前にいる希和子一人だけ。

親子の情にほだされた。では、薫の本当の母親に向かっては、どうやって慰めればいいのだろうか。

第二章からは、恵理菜(薫)の視点で物語が語られる。誘拐した理由もこの章で明らかになる。そして本当の両親についても詳細に記述されている。
つまり第二章は、答えが書かれている。この答えを読むと、誘拐した者もされた者も誰も幸せとは言い難い人生を送っていることがわかる。

恵理菜が希和子について記憶している最後の言葉があるが、その言葉こそが、私には希望の光に思えた。恵理菜をどこかで支えてくれていた。
そしてその言葉に泣かされた。あまりにも母親らしいその言葉こそが私の心をつかんで離さない。

2009年03月12日 (木) 09時36分


[631] 浦沢 直樹 「PLUTO 6」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

―鉄腕アトム「地上最大のロボット」より (6) (ビッグコミックス)
2008年7月30日 小学館刊

心待ちにして、わくわくしながら読んでます。
なんてったって「鉄腕アトム」を「少年」で読んでいた世代ですから。原作だって何度も読んだし、テレビだってかぶりつくように見ていました。

だけど、まさかこんな風にゲジヒトが…。思いもよらなかったです。今さらですが、望むべくはもっともっとあいつと激しく戦って欲しかった。

ヘレナと天馬博士の涙が、こちらにも移ってしまいます。浦沢さん、渾身の描画。

物語の展開としてはゲジヒトの記憶の秘密が総てとは言いませんが、かなりの部分明らかになってきました。

従って5巻までの物語を再読するのがさらに面白いかと。

また、プルートの生い立ちも紹介され、だんだんと姿を現しつつあるようです。

もうこうなってくると、次巻がまたもや待ち遠しくてなりません。また、心ウキウキしながらの辛抱です。

本作ではあとがきがとても面白かったです。山田五郎さんは昭和33年生まれだったんですね。残酷シーンと少年の感じるエロティシズム。ほぼ同世代だから、思い切り共感出来ました。

笑ってしまったのはひょうたんツギ。ペルシャの街頭の場面にこっそりと出ています。正確なひょうたんツギではありませんが、笑いました。

ゴジのお守りも、妙な形です。ストーリー展開とは何ら関わりないと思いますが。

2009年03月09日 (月) 09時21分


[630] 阿川佐和子 「婚約のあとで 」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

2008年 新潮社刊

鷹野のおばちゃまがP11でビーフシチューを運んできて言うセリフ。「…学校のォみたいでしょ。ごめんあそばせね」この言葉遣い、今どこで耳にできるのだろう。暫し視線が止まります。

凩さんがP167で、つい歌い出す歌。なんとスーダラ節ですよ。クレージーキャッツです。愉快です、阿川さん。

いかにもあの素敵な永遠のお嬢さま、阿川さんが書いた小説。面白かったねと、誰かとニコニコしたくなります。そうして、いつの間にか遠い記憶になっていくのでしょう。

【付録】凩…こがらし、と読みます。

2009年03月07日 (土) 20時04分


[629] 山田 詠美 「ぼくは勉強ができない」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

1996年 新潮社刊

この主人公、ぼくは勉強ができないと言うが、時田秀美は頭の回転はかなり速い。しかも時田秀美はモテモテだ。悔しい。まぁ、それはそれとして。

期待が高すぎたためだろうか。八編の短編は私には退屈だった。しかし「番外編・眠れる分度器」まで読んで、俄然面白くなる。山田詠美さんの本領発揮か。

私はもう一つ悔しいことがある。この作品を高校生の時に読みたかったなぁ。もっと元気が出たかも知れない。

知らないことを知るのは楽しかったのだけど、私も物理と数学、赤点取っちゃった時のこと、筆者のあとがきを読んで思い出してしまった。 僕も勉強が…。

2009年03月05日 (木) 22時50分


[628] 宮部 みゆき 「名もなき毒」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

2006年 幻冬舎刊

杉村三郎さんが主人公の「誰か」の続編です。連載中は東京新聞の朝刊が毎朝届くのがとても楽しみでした。本にまとまり発刊後、最終章が書き足されたと知りました。だからずうっと気になっていて再読したかった。

再読とはいえ感動も新たでしたし、物語にすっかりのめり込み再び楽しませてもらいました。杉村さんに会えるのは楽しみになっています。

今度の物語は無差別連続殺人事件がまた発生したことを伝えるところから始まります。この事件がまたしても杉村さんと絡んできます。誠に不運の極みです。

しかしながら、杉村さんは大企業今多コンツェルングループ会長の令嬢と結婚をし、ひとつぶだねの桃子ちゃんというかわいい子供にも恵まれた何不自由ない暮らしをしているのです。この設定がこの物語の大事なところです。

心に残すべきは今多コンツェルン会長のセリフ。杉村さんが私邸へ呼ばれて義父である会長と会話を交わすシーンです。これが鋭い。253頁からの第14章、宮部さん力を入れて筆を持っているようです。

そして再び、事件の起こった家で会長は杉村さんにこんな事を言います。
「どこにいたって、怖いものや汚いものには遭遇する。完全に遮断することはできん」それが生きると言うことだ―

それがこの物語を通して宮部さんが言いたかった気持ちだと思います。

世の中毒だらけのようにも感じてしまうことが多いのですが、それでも毒を少しでも和らげる薬の役目をしようとしている人も沢山いるのも事実です。
萩原運送の社長や、北見さんを見ていてそう感じました。

宮部さんは社会学者でも政治家でもないので、小説という形で読者に「毒」を語りかけていますが、世の中を少しでも良くしたいという可能性も限界も同時に感じているのだろうと推測します。いったい誰がどうすればいいのか、誰にもわからないのですから。

現実には傷も癒えぬうちに次から次へと無差別殺人事件や通り魔事件が発生し、餃子を食べたら体の具合が悪くなったり、いろいろなことが起こっています。個人レベルではなく、国と国の間でも毒が生み出されています。

いくらかでも薬になりたいと思わずにはいられません。ほんとうにほんとうに微力ですけど。

2009年03月02日 (月) 10時24分


[627] 山本 幸久 「笑う招き猫」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

2003年 集英社刊

面白いなぁ。読んでいて楽しい。あの野球拳のシーンからすっかり目が離せない。

友達は作れる。けど、親友はまず自分が親友にならなきゃ、相手からも親友とは思われない。思われないまま終わってしまうかも知れない。だからなかなか難しい。かと思うと簡単に親友ができちゃう時もある。

だから、人と人がつながると言うことは面白いし、つらいし、そして素晴らしいのだ。

アカコとヒトミのふたりの出会いは学生食堂。ひょんな出会いから始まった。この二人が数年後に漫才コンビを結成するなんてね。誰もわからない。面白いなぁ。

「アカコとヒトミ」の漫才コンビの物語は快調にポンポンと進んでいく。まさか、の展開もある。回りをにぎやかにする人々も、皆一癖あるがかまわず読み進める。

さぁいよいよ大事な舞台が迫ってくる。ここまでは快調に飛ばしてきた。急ブレーキ。トラブル発生。

楽しくてそして胸キュンのお笑いコンビの物語。何も考えずに素直に読むのが正しい楽しみ方。愉快な気持ちに必ずなれます。

2009年02月27日 (金) 16時38分


[626] 井上 荒野 「切羽へ 」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

2008年 新潮社刊
 
主人公の麻生セイが「切羽(きりは)」の話を持ち出すのは物語のエンディングが近づく場面でだ。

ある意味だめ押しのような、最後の確認の判を押すような「切羽」の意味。セイは自分に言い聞かせていたのだろう。トンネルは貫通しなければ、ただの洞穴でしかないのだから。

作者の父、井上光晴の故郷である長崎県の小さな島は作者にとっても思い出深い場所なのだろう。

人から「こんな地の果て」とまで言われる島ではあるが、それゆえ本土でも、東京のような大都会でも決して得ることの出来ない生き方があるはず。

主人公が勤める小学校の生徒は全校全学年合わせても10人に満たない。先生も生徒も島の人たちもみんな親戚のような付き合い。

そういう小さな島。そこを舞台にして井上荒野さんは、主人公に恋愛と言う名のトンネルを掘らせた。

セイには結婚して夫がいるというのにだ。

最初は恋愛などと呼べるものではなかった。しかし微妙な心のバランスを維持し続け無ければこのトンネルは掘り進めない。綱渡りのように危ういのだ。

そのバランスが果たして保てるのか。恋愛と呼べるようなトンネルが出来るのか。読者をハラハラさせる。

「ベーコン」の時も感じたが、本当に上手な小説を書く作家だと思う。直木賞受賞も本作に花を添えた。

2009年02月25日 (水) 18時28分


[625] 光原 百合 「十八の夏」
From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]

2002年 双葉社刊

どうしてこんないい加減な作品が推理作家協会賞を受賞したの?と読んでいる間は不満がふくらんでいた。
あわてるべからず。読み終わって納得しました。
最後まで読みましょう。秀逸なる短編です。

この受賞作「十八の夏」は青春の切なさも美しく書き上げているのだが、私には光原百合さんの小説作りのうまさにばっさり斬りつけられたような気持ち。

他に3編、花を材料として使った、やはり巧みな技の冴える作品が収録されています。特に取り上げるとすれば「ささやかな奇跡」。これはじんわりと勇気が湧いてきます。

2009年02月23日 (月) 09時08分







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