From:じゅりんた(8) [関東/51歳から60歳]
2007年 文藝春秋刊 本作品は平成19年度前期直木賞の候補作となり、「吉原手引草」「玻璃の天」「赤朽葉家の伝説」「夜は短し歩けよ乙女」「まんまこと」「鹿男あをによし」と言ったそうそうたる作品と堂々と肩を並べ、受賞レースを競った。結局本作は賞には漏れたが、大いに世間の耳目を集めることになった。
と、言いたいのだが、それほど評判にはなっていないような気がする。この「俳風三麗花」というタイトルがどうも地味だ。そしてレビューでどなたかも書いていたが、カバーのデザインが「なんだこりゃ」である。
しかし読んでみて驚愕した。驚いたのである。
わが敬愛する北村薫さんの描く小説の世界に別の入り口から足を踏み入れたような感覚だった。途中で私は実際に声を出して驚いた。もちろん嬉しい驚きだった。
時は昭和7年。あの「街の灯」の導入と同じ。そして謎解きこそ無いが、主人公が若き女性で俳句に精進し、その指導をするのが数学者でもある孤高の俳人。これも「円紫さんと私」の構図を思い出してしまう。 但し本作では若き女性が3人登場するので、そっくりひそみに倣うというわけではない。
そして句会の描写が本当に素晴らしい。俳句をひねり出し、そして互選する。これが実にスリリングでときめきの時間になる。「ふらここ」が出てくるし「山眠る」も出てくる。こんなところで待ち伏せされるとは。
正岡子規も高浜虚子もシェークスピアも顔を出す。なんと浅草の料亭「草津亭」も「都鳥」も実名で登場する。
作品の舞台である昭和8年の暮れには明仁殿下がお誕生になり、7万の東京市民が提灯行列をしてお祝いをするという描写があるが、私の頭の中ではただひたすらその頃の東京の町並みが鳥瞰図のように広がっていく。
もうここまで北村薫さんの作品をなぞるようにしてレビューを書いてしまったのだから、開き直ろう。
この時代にベッキーさんも英子も同じ空気を吸って生きていたのだ。そしてこの物語の主人公たちが句会で静かな火花を散らせている時、ベッキーさんや英子たちは軽井沢にいたのであろうと想像する。
ノスタルジックな雰囲気はもちろんある。女性の言葉遣いが違うのだ。手紙の文章が歴史的仮名遣いだ。読んでいる内にどんどんセピアカラーに染められていく。
しかしいつまでも穏やかな時代の雰囲気を楽しんでばかりはいられない。着実にこの国は戦争へと向かっている。暗い影が少しずつ広がってゆく。
歴史を知り得ているだけにこの物語がどういう展開をしていくのかが本当に気になってしょうがない。作品としてはまとめられて完結しているが、この物語の続編、いや後日談でも良い、何とか読みたい。そんな気持ちになっている。
2008年03月09日 (日) 09時34分
|