From:じゅりんた [関東/51歳から60歳]
講談社 2005年刊
山田風太郎は大正11年に生まれた。作品は40歳から書き始め脱稿するのが2年後の42歳の時となる。
初めて発表されたのは昭和37年、その時のタイトルは「柳生忍法帖」ではなくて「尼寺五十万石」。この尼寺とは鎌倉の東慶寺のことを指す。
東慶寺は縁切り寺、駆け込み寺とも呼ばれ江戸幕府から公認されていた女性救済の寺である。また近世になり禅を世界に広めた鈴木大拙とも深い縁を持つ。
鎌倉の地は昨年11月に訪れたばかり。(2009年1月当時)ゆっくり歩いて散策した古都の秋の爽快な記憶が蘇る。あの日、あまりの混雑ぶりに戸惑ったとはいえ、東慶寺のある松ヶ岡まで脚を伸ばさなかったのは今さらながらではあるが少々悔やまれる。
ところが作品はあの時満喫した爽快な気分とはまったく無縁な書き出しから始まっていた。凄惨な殺戮シーンから始まる。息が止まる。なぶり殺されるのは尼寺からまんまと騙されて外に連れ出された数十人の尼たち。
目の前の夫や子供達の前で殺される。殺すのは7人の武士。暴君会津藩主加藤明成の家来、会津七本槍の男たちだった。夫や子供達というのは藩主明成に背いた罪で縄に繋がれて遙か高野山から引かれてきた堀一族の男たちであった。
これがこの作品の出だし。昭和三十年代後半大人気を博し大ベストセラー作品となった山田風太郎の「忍法帖」シリーズとはいったいどんなものだったのかを垣間見ることが出来る。このままずるずると物語に引きずられるように読み進めてしまった。
「柳生忍法帖(上)」では東慶寺での殺戮を運良く免れた堀一族の七人の女が凶悪極まる会津七本槍の一人一人を復讐し始めるところで終わる。
なんとも言えない気持ちを心の中に保ち続けて「柳生忍法帖(下)」へと続く。
私が手にして読んだ「柳生忍法帖(上・下)」は2005年に発行された講談社ノベルス。カバーはせがわまさきさんという漫画家が描いた柳生十兵衛のイラスト。
せがわまさきさんによるコミック版「柳生忍法帖」が出版されているようである。コミック版のレビューの数が多いのはそのせいだと後から気が付く。
忍法帖と名付けられているが、子供の頃親しんだ忍者ものの様相ではなかった。主に漫画作品や映画で親しんだのだが、「伊賀の影丸」「サスケ」「ワタリ」などあれこれ思い出すと懐かしい。
「柳生忍法帖(下)」では柳生十兵衛の助太刀の下、堀一族七人の女たちの復讐が引き続いて描かれる。しかし一筋縄ではいかない強敵が現れ妖術を繰り出し十兵衛たちは一気に窮地に陥る。
ハラハラドキドキの展開に一度引き込まれるとさすがにつべこべ言えなくなる。娯楽作品として高い評価を得ているのは否定出来ない。これは物語の世界なのだ。
しかし面白さと裏腹、痛烈な憂鬱を感じる読書でもあった。二度と読み返すことはない。
2011年01月01日 (土) 18時11分
|