name:オノケン
Date:2011年12月07日 (水) 20時10分 No.6643 [160]
雨のボスポラス海峡
朝から雨です。
兎に角寒い。
会議の合間のブレイクでは、外にて喫煙。
凍えます。
午前中の会議終了、ランチの後、メールチェックと投稿。
部屋から見おろす雨のボスポラス海峡。
オダさんが言う、潮と風でいつも荒れてるという
イメージはないね?
大きな船が悠然と通過していきます。
今晩は、会議後、ディナーに加え、ベリーダンスショウーを見るんだとか?
楽しみです。腰のくねりが・・・
わが長女も習っているが、見たことがない。
name:オノケン
Date:2011年12月07日 (水) 20時12分 No.6644
手前は
手前はサッカースタジアム。
屋根がみすぼらしい?
name:オダ
Date:2011年12月07日 (水) 20時27分 No.6645
くねり+H17・7・11水害
オノケンさん、どこ行っても六感が元気に働いてるようで、幸い。過ぎたるは何じゃらで、超過料金とか、お持ち帰り料金が発生しないよう祈念。
ーボスポラス 波のくねりは ないものの
腰のくねりは これから凝視ー
さっきH18・12・6蒲原沢土石流を書き込んでから、はて、大糸線はH17・7・11水害の時に路盤が亡失、線路が空中ブランコになっていたような記憶が甦ってきたんですが?
となると、赤坂プリンス宿泊予約しながらシャワーだけだったのは、平成7年12月。
明日、調べますが、大糸線が不通になった時点、
開通した時点、お分かりの方、教えてください。
晩酌終了。今日は「相棒」始まるまで起きていられるか。
name:オノケン
Date:2011年12月08日 (木) 01時14分 No.6647
7・11水害
大糸線が空中ブランコになったのは、平成7年の7・11水害の時です。
ホテル国富が流失したのも、その7.11水害の時。
蒲原沢の土石流は、その一年後です。
name:オダ
Date:2011年12月08日 (木) 05時41分 No.6648
トルコ特派員サンキュー
オノケン特派員サンキューさんです。
国内の特派員にも調査依頼しております。
独自調査も踏まえ時系列で事実を整理し報告したいと考えます。
糸魚川に居住の特派員さんには、
大糸線が復旧し開通した年月日、
今更ですが、
新宿への直通急行が走っていたのはいつまでか、
合わせて
お教え頂きたく存じます。
name:南条ケン
Date:2011年12月08日 (木) 10時37分 No.6656
蒲原沢の辛い思い‥
オダの投稿で、当時のことを思い出した。
あれから15年、昨日の糸西タイムスも大きな写真入りで掲載されておったね〜
俺は、翌年の4月に防災担当部署に配属されて、
結構厳しく辛かったが、貴重な経験をさせてもらった。
オノケンは、土屋北陸地建局長よく覚えておったね〜さすがの記憶力に脱帽!
当時の建設大臣は、亀井静香、現国民新党代表だった。‥現地本部でのすごい迫力に圧倒された。
対策本部の陣頭指揮者は、小合沢?(こあいざわ)松本砂防所長‥鬼瓦のようなこわい顔をしとったが、強くて優しい人だった。
14名の作業員の方は全員遺体で発見されたが、最後のひとりの男性は、大捜索が行われた翌年のゴールデンウイークが終わってからだった。
被害にあった蒲原温泉の佐藤さんは、廃業を余儀なくされ、本当に気の毒だった。
今、国界橋付近に建立されている慰霊碑は、山之坊の堀田さん(平岩のデンカ発電所勤務?)が熱意を持って関係機関に働きかけてくれたお陰だと思っております。
災害は大勢の人を不幸にするんで、大雨が降ると
心配になるんさね〜
今日はふざけとられん、そんなことで‥