name:越後屋
Date:2009年06月01日 (月) 18時27分 No.2029 [15]
おまけ
うんざりするほど下手な写真を貼って『かんべんね!』
昔の幼稚園の頃の写真を見つけたので『メモリ』がちょっとオーバーするかもと思いながら貼っときます。
原版はもっと大きいので大きくしてみたい方は機会があったら用意しましょうかね!?
name:御託島
Date:2009年06月02日 (火) 05時34分 No.2030
面影以上
当時お寺さんなぞが幼稚園やってくれていた。
浜町の生家は豆腐、油あげなど造ってたもんで、生業の邪魔にならないよう幼稚園へ預けられたみたい。写真は寺町の正覚寺、井伊さんのとこ。近所の英子ちゃんと手をつないで通った。中央区の西性寺へ行かされた記憶もある。
みんな当時から一丁前の顔して、面影以上に風格感じる。
世間を騒がせるのも止む無しか。
そういえば津南町の職員で自然観察指導員の資格もっている人、昭和54年頃役場へ奉職、上郷地区の入会林野整備を担当、京都議定書h9辺りに湯之谷の自然観察会で再会、どうしているかな。
name:ちーママ
Date:2009年06月02日 (火) 08時09分 No.2031
もっと大きくして見たい!
越後屋さん、たくさんの写真ありがとうございます!
堪能しましたぁ〜。
主人が丁度家にいて、一緒に写真見た第一声は
「奥さん若いね!」
です。すごくうらやましかったみたいです。
風景のよさもさりながら、おふたりの仲のよさが感じられて
(ウチみたい、フフ・・)ステキな写真でした。
幼稚園の写真なつかしいです。
拡大して天眼鏡でも見てみましたが、もっと大きくなる写真も
見たいです。(無理だったらあきらめますが・・)
越後屋さんも御託島さんもあまり変わっていないじゃあり
ませんか。大きくなってキレイなひとは、小さい時から可愛い
んだなっていうのもわかりました。
それにしてももう半世紀以上もたっているんですね。
幼稚園・・幼少の頃の私の憧れでもありました。
父はデンカ、母は農業をしていた私は、幼稚園も保育園にも
あずけられずに家でボンヤリ育っていました。
小学校に上がってから、集団生活になじめず、すごいイジメに
あい、担任(一年五組)の伊藤先生から、知恵遅れじゃないか
なんて言われて・・子供心にも切なかったものです・・
幼稚園に通えるひと・・うらやましかったなぁ・・
name:御託島
Date:2009年06月02日 (火) 20時01分 No.2032
訂正
1、西性寺⇒直指院
訂正前が銀杏の名所、訂正後が親不幸通り迎え
2、いじめ⇒?
小学校低学年時代、背が高く、クレオパトラのように吸い込むような眼の、少し赤ら顔の、やさしさ溢れる女性がいた。寺町から通っておられた。
1年5組の伊藤茂先生は白根へ転勤。牛木先生が各人前任に手紙を出しましょうとのことで、素直に「伊藤先生は人参が嫌いなんで背が伸びなかった」と書いたら、お怒りになられたようで、牛木先生から父兄召喚された、と親が語っていた。・・子ども心にグサッと刺さる言葉があるんですね。
これからでは遅いかもしれませんが、言葉遣いに注意します。
伊藤先生、出は鬼伏?だったでしょうか。糸魚川へ戻られて公民館勤務なさったり、俳句もやっていたと思いますが・・
3、爺、婆、親など家族がいたんであれば、幼稚園、保育園、その他<学校も なければないで なんとやら>では、なんて思ったり・・皆、それぞれですから、一緒でなきゃいけないこともないんじゃありませんか・・では晩酌はじめます。
name:ちーママ
Date:2009年06月02日 (火) 20時40分 No.2033
やさしいんですねー
御託島さんって本当におやさしいんですねー
想われた女性は幸せです!
伊藤先生の思い出、御託島さんも結構おありなんですね。
伊藤先生のおかげで、私、さか上がりができるようになりました。
放課後、いっぱい練習して先生はよく私のお尻を上げて下さい
ました・・
寺町のクレオパトラ?どなたなんでしょうか?
赤ら顔、寺町(4丁目)まではあっているんですが・・
御託島さんは、お小さい頃から男らしくてすごくステキでしたよ
よく覚えています。(少し近寄りがたかったかも)
幼稚園のこと・・おやさしいんだなぁ・・私もこれから
いっぱい(グレープフルーツ割りの焼酎で)晩酌です。
name:御託島
Date:2009年06月03日 (水) 07時35分 No.2034
外面(そとづら)化粧
「外面(そとづら)」という言葉があります。相棒がよく「あんたはさ、私にゃ厳しいいけど、外面ばっかいいんだから」と使っています。誰でも化粧するんです。
「それ違うんじゃ・・」とか「もう少し考えたら」とかの言葉は相当のストレスを与えるようで「胃が痛くなったのは、ああ言われたから」とか「○○が△△なったのは、あのせいで」とか、昭和51年以来、耐えに耐えて御託島の相棒を保っているようです。
<やさしさを 表現できない 身内には>
<この絆 いつまで続くか 神知るや>
笑止千万でありますが、一緒にいる限り同じパターンが続くのでしょう。
name:越後屋
Date:2009年06月03日 (水) 08時37分 No.2035
name:ちーママ
Date:2009年06月04日 (木) 18時11分 No.2039
越後屋さん、ありがとう!
すぐお返事下さってありがとうございます!
メールのほうは、こちらよりずっと大きくて、ひとりひとりの
表情がとてもよくわかります。
名簿など見なくても、誰だかすぐわかるほど。
ひとの顔って歳月を経ても、本当に変わらないものですねー。
でも越後屋さんってすごい!