糸校43卒掲示板

井戸端会議で盛り上がるまいか!

ホームページへ戻る

826179

投稿フォーム
名前 (リスト
Eメール
タイトル
タイトル背景
内容
文字色
画像


URL
削除キー 項目の保存
RSS
このレスは下記の投稿への返信になります。内容が異なる場合はブラウザのバックにて戻ってください
  「娘へ・・」
name:野翁(田畑)  Date:2013年03月12日 (火) 17時06分 No.8621 [194]

  「娘へ・・」

ケンちゃんの投稿を読んでて〜
十数年前に長女が沖縄に嫁に行った時のことを思い出した。

>【帰っちゃいました 】
>孫娘の桃佳が、スラバヤに帰りましたよ。
>すっかり慣れてくれたので、ちょいと嬉しい。今度来る時にも、覚えているかな?

>【 話しは何も】
>「梅林の 娘に話す 夢ひとつ」
>お宮参りにいったら、梅が満開だったが、娘には何も話さず。ただ、平穏と幸福を祈るのみ、だな?



十数年前、娘に書いた手紙を捜して以下に添付しました。

 ____________________

やたらと廻りを見渡しているからといって、何かを見ている訳ではない。
咳払いが多いからと云って、のどに何かつっかえている訳ではない。
しかめっ面に見えるのは、多分ため息を押し殺しているからだろう‥

お前を乗せた飛行機が東京の空遠くに消えるのは、
どうか昼間であってもらいたいものだ。
夜はいかん、夜は何とはなしに寂しい雰囲気を作り出す。
お前の母の顔を見るのも
お前の母に俺の顔を見せるのも
きっと、どんなにか辛いと思うからだ。

いつかは、こんな日が来ると考えていなかった訳ではないが、
俺にとって少し早過ぎた。
「昨日まで人のことかと思いしに俺が死ぬのかこれはたまらん」
これは、蜀山人の句だが
死ではなく、幸せが生まれたのに
俺にとっては、驚き、悲哀、狼狽、焦燥、の感がある。

お前の決断と勇気には感心させられた。
どうか、そのまま突っ走ってくれと思うばかりだ。
やがて子供が生まれる、家庭は歴史を伝承する場所だ、
父母から受け継いだ習慣や人の道をしっかり子供らに伝えてくれ、
自分たちの身勝手で、
お金を与えるだけ、時間を与えるだけで放っておくことのない様に、

お前が幼かった頃、一度、辺りが暗くなってから家に帰って来たことがあって、
俺はドアを閉めて中に入れなかったことがある。
ドアの外で幼いお前がワァンワァン泣いた‥
ドアのこちら側でいたたまれなくなって俺も泣きたい気持だった。
今でもそのことをはっきり覚えている。
そんな気持ちで俺はお前たちを育ててきた。

子供と共に生きる、共に成長する。
これを、親の子をさとす心掛けとしてくれ。

身体があまり丈夫でないお前が暖かい土地を選んで嫁ぐのは何かの縁かもしれない。
どうか、健康に、正直に、夫婦、家族仲良く幸せに暮らしてくれ。


世界中、誰にも誇れる子に育った娘へ
         まさか俺の娘が嫁に、と‥今の今でもそう思っている父より。

  ____________________


 

Pass


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板