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PDのホームホスピス |
投稿者:あーもんど
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姫路で'「あけび」をやっている木村美貴子さんが今度はPD患者のためのグループホームを始めるという。 もうずいぶんまえから考えていたようだ。 PD患者はふつうの施設に入ると、 薬の飲み方をはじめ症状の日内変動、感情が体の動きに直結するなど特殊なことが多くて職員の対応が難しい。おまけに興奮すると余計症状がひどくなって言ってることがわからなくなってしまう。周囲から大事にされ安心できる環境でない戸落ち着いた状態が保てない。結果後回しにされることになり状態が悪化してしまうことになる。
それでできるだけ、それまでと同じような環境で自分のことをよくわかってくれるひとたちに囲まれて人生の終わりを迎えたい。 最後まで人間が人間らしく生きたい。 こういう願いを実現するには自分たちで作るしかない。それで作った。 それぞれ異なる10室があってクローゼットややねうらべやがついているのもあるという、 エレベータは付けるそうだが、基本的に自分で歩こうという"前向きな"人が入居条件だという。 37畳くらいあるリビングはデイサービス、幇間看護ステーションもできるらしい。
ショートステイの部屋も作りたいと言っているので 、そのうち見学に行ってみたいものだ。
(2016年06月30日 (木) 20時59分)
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[482]
水を差すようで申し訳ないけれど |
投稿者:あい。
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| 「自分たちは障害者だけれど、一般社会で一人前の人間として 扱ってほしい、補助さえあれば私たちは皆と同じように 生きていけるのです。だけどできないこともありますが、それは 特徴として認めてください」 と、訴えてきませんでしたか。何か矛盾を感じます。 自分たちのことをよくわかってくれるのが、どうか一般人で あることを願います。ぱーきんそん病患者の中から健常者と呼ばれる 人たちを追い出してしまったのでは、逆差別だと思うのですが…。 ぱーきんそん病患者だけをひとくくりにして他と区別するということは …どういうことか。歴史の苦手な私でも、思い当たることがあります。 それとも、最後ぐらいは和気あいあいと暮らしたいという思いだけに なってしまうのでしょうか。
(2016年07月15日 (金) 22時40分)
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[483]
語るには若すぎました |
投稿者:あい。
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| 482投稿について わたしは今月末で48歳にになります。この年齢で、482の内容は 言い過ぎたと思います。何もわかっていないのにわかったような ことを書いてしまいすみませんでした。 掲載は取り下げませんが、「なに寝ぼけたこといってるんだ」と思い ながら読んでください。
(2016年07月16日 (土) 10時33分)
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[484]
最後まで「人」として扱われたい |
投稿者:あーもんど
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| ホームホスピスじゃなくてもいいのだけど、要するに人間あしくせいかつしたい。 自分の家で暮らせるのが一番だけど、今の私は一人では生活できない。 夫が元気でいてくれてこそ自宅で暮らせる。 施設、ベビーブームの老人で溢れる施設で、手のかかるP患者が丁寧にあつかわええるとはおもえない。
(2016年07月17日 (日) 14時34分)
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[485]
もっと若いわたしが |
投稿者:にえも
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| 久しぶりにこちらに書かせてもらいます。なるべく簡潔に説明できればいいのですが。 わたしがパーキンソン患者をきっかけに知り合えた友達と、真っ先に「こんなのがあったら良いね」と自由な発想で計画していたのは(計画とはいえ夢のような空想でしたが) 基本にあるものはあーもんどさんの書かれた事と同じ、同じ病気だからなんだけど、生活していく上ですぐ納得される、理解される病気ではないこと、まだ、比較的若い自分も頼れる人がたくさんはいないですし、この先老いてから、ひとりでの生活は慣れるまでには大変だとも思う。主治医の問題、治療の問題、地域の問題、資金や運営の問題、いろいろ考える項目はあると思いますが、そんな話もあっても楽しいかなと思います。人間らしさって言うのはそんな風な理想的と言うか希望した環境の中で最後まで人と関わりを持てたりすることなのかもしれないな、なんて思います。
(2016年07月18日 (月) 06時01分)
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[486]
人間らしい=愛されていたい |
投稿者:あーもんど
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| 「人間らしく」というのは、私に関心と愛情を持ってくれる人たちと暮らしたいということ。 お互いにそういう関係でありたい。
(2016年07月18日 (月) 06時12分)
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