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リトマス試験紙 |
投稿者:あーもんど
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まわりのひとがわたしをどうみているかわかるときがある。 昔それをこう表現したことがある。 「PD患者はリトマス試験紙」 周囲のひとが、難病患者をどう思っているかをその言動からあぶり出してしまう。 そのとき、ある人が私を激しく叱った。 そのひとはわたしよりとししただった。 その人の私に対する態度は、そのひとがPDかんじゃをしたに見ているとしか私には思私には思えなかった。 私の文章がすきだといってくれるのはPD患者が多い。患者じゃない人はわたしの文章を目にすることはないのだろう。 文章で書くことと日常生活でのわたしは違うかもしれない。 日常生活のわたししか見ていない人は、わたしが「あかるいからいい」という。私はそういう風に言われることがあまり好きじゃない。圧倒的に明るくないわたしを知っているから。私は自分のことを内心、知的かつ思索的であり、いくぶん文章家だと思っている。 これは思い過ごしかもしれないけれど。 とにかく「明るいからいい」としか見えない人はひょっとすると眼がかなり見え ない私よりメクラなのかもしれない。それとも、障害を持つ人が明るいかどうかにしか関心がないのだろう。 さらに、私は知的且つ思索的であり"ふつう"である。ふつうであるというのは、難病および障害から"障害されていない"のじゃないかと思う。 つまり、人の「障害者」の定義から外れているのだろう。ひとがひとをまったくみていないと感じる。 ことに何を考えているかに関心がない。 同じ型にはまったことで人をみている。 人間について"たかをくくっている"のだとおもう。
(2016年07月11日 (月) 04時37分)
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10年そこそこのキャリアしかありませんが |
投稿者:あい。
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| わたしも相当明るい。LEDのように、突き刺さる明るさではなく 太陽のような明るさだと思っている(笑)わたしは逆に、明るい といって欲しい派。何があってもゆるぎない太陽、それが自分の 特徴だと思っているから。 障害者というのは、人間がつけた区別の仕方の一つにしかすぎないと 思う。わたしたちはイレギュラーではない。あくまでも普通の人間。
昨日、たまたま発達障害のことを調べていたら、前頭葉に関係する とありました。ぱーきんそん病もパニック症も、発達障害も、結局 前頭葉なのかと思いました。少なからず、関連はあるのではないかと 思います。その目線から普通の人を見ているのですから・・・
わたしは、自分のことを「都合のいい障害者」だと思っています。 ある時は車いす、またある時は二足歩行、そしてまたある時は 猛ダッシュ…。頭脳は明晰、思慮深く、とってもあったかくて、 ありおりはべりいまそかり。
(2016年07月15日 (金) 08時49分)
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