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何かすると叩かれる |
投稿者:あーもんど
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「社会に出る」ってどういうことだろう? 大勢の人たちに向けてなにか働きかける……そうするとリアクションがくる。 その結果、自分の考えの足りなかったところが形を表す。 考えが自分の中にある間は分からなかったことだ。大勢の人にむけてはたらきかけなくても、考えを自分の外に出す=表現する・ 文章に書くことはある程度考えを客観的にすると思う。 自分の外に出すにはきちんとした形にする必要があり、それに矛盾がないか自分で点検することになるから。 だから表現する=形にすると不備が出てくるのは当たり前で、そこでもう一度見さらにもう一度考えなおすことになる。 思いついたことは簡単には実を結ばない。 拍手喝采もない。 どちらかというとけなされることになる。 だからけなされるのが嫌なひとはなにもしないのだと思う。 
(2017年01月07日 (土) 01時56分)
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社会に出るとは |
投稿者:あい。
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| 今いる社会(生活範囲?)より一周り大きい社会に触れることを「社会に出る」 というのだと思う。 一番小さな社会は家族、その次が地域、その次が地方…という風に、段々大きく なっていく。少しずつ外に向かっていくに従って、いろいろな考えを持つ人に 出会い、学び、自分が教育されていく。そうやって、他人のものを自分の身に つけていき、また体験や経験を積んで、人格が形成されていくのだと思う。
多くの人に何かを投げかけたとき、自分が至らなくて受け付けられないことは よくあることだけれど、周りがそれを理解するだけの能力を持ち合わせてない 場合も同じく受け付けられない。どちらにせよ、受け付けてもらえないときに どうするかが大事だと思う。自分を客観視できるには、それだけの器量が必要 ではないかと思う。
(2017年01月07日 (土) 05時17分)
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自分で自分をを育てる |
投稿者:あーもんど
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| 社会の中で人の中で自分が育っていくのとは別に、自分だけで表現することによって自分を客観視し育てることができる。 と思う。
(2017年01月07日 (土) 11時23分)
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なるほど。 |
投稿者:あい。
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| 言葉にしたり文字にしたりすることで、自分を外に表現することで 客観視できるということなのですね。
(2017年01月07日 (土) 21時21分)
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客観視 |
投稿者:にえも
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| 自分で自分を見ると言うことは 重要なことだと思っています。 客観視する為に文章を書くわけではなく、文章を読んで自然に自分を外から見れるというのは すごくいいことだと思います。文章には案外今の自分というものが反映されていることが多いと思うから。しかし、客観的に見えると言うことを上手に使っている方は結構いるんでしょうか。 もちろん自分に関してはまだまだといったところでしょうか…
(2017年01月10日 (火) 08時39分)
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