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プライベート事情 その2 |
投稿者:あーもんど
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今、私の実家では93歳の母と72歳のPDの兄が二人で暮らしている。 母がやっとのことで兄の食事を作っているのだが、誰が見たってこの2人暮らしはとっくに無理なのは明らかだ。 母は大分前に私にこういった。「普通なら2人ともとっくに施設に入っている。」実際母は施設入居を表明したことがある。 それがどうして実現しないのかは、ひとえに兄が「この家に住んでいたい」と言っているからである。それと2人の介護度がある。兄は要介護4でいつでも特養に入れるが母は要介護1なのだ。 母が有料の老人ホームに入るには土地を売らなければならない。 つまり、もう土地を売らなければならない最終的時期だということ。 これもとっくにそうだったのだが兄が強引に無視してきたのだ。 だがもう限界だ、兄も決断しなければならない。
私の父は次男で親から何ももらわなかった。自分ひとりの働きで家を建てそこそこの預金を残したが決して多くはなかったとおもう。 母の生家はそれなりの名門だったが祖父母と同居していた母の妹とその娘が残されたものを引き継いだ. だから私の家族は父の残したお金でPDの兄と母、そして私たち夫婦を支えてきた。兄は一度も働いたことがなかったし私たち夫婦も自分たちの収入がたりないぶんを助けてもらい決して贅沢ではなかったが、 お金に困ったという経験はしなかった。 だから早晩お金がなくなるのは目に見えていたし、土地を売ることになるのもまた仕方のないことだったと思う。 だってひとりも働いていなかったのだから。夫は60近くまで仕事をしたがは収入には恵まれなかった。
(2017年07月24日 (月) 03時33分)
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柱時計 |
投稿者:あい。
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| 京都の実家は借家だったため、最終的には追い出され、取り壊され、小さな 店舗付きマンションになってしまった。ぼろぼろの家だったけど、そこがわたしの 帰る場所だった。実家に行った時には、かつての自分の部屋に入り、わたしのものでは ないベッドに横たわり、天井を眺めていた。 その家で過ごしたのは18歳まで。その18年間というのは、家族6人と家とが共有 していた時間でもあったといえる。 おじいさんはいつも月末になると柱時計のねじを巻いていた。まるで、家の時間が 止まらないように番をしているようだった。
(2017年07月25日 (火) 00時59分)
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