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思うこと。 |
投稿者:あい。
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わたしは PDでない自分なんて考えられない。 PDがつらい人生だとしても、PDでなかったら、なんて想像しようとも思わない。 PDでありながらその人生を拒否するのは、自分で自分を否定するのと同じだと 思うから。それではあまりにも自分が可哀想ではないか。 これがまぎれもない自分なのだから。
(2017年08月16日 (水) 21時27分)
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圧倒的な暗さ |
投稿者:あーもんど
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| 歩けなくなってきたとき私は17歳、大学受験を控えた高校最後の時期だった。 大学には入学したが相変わらず歩行困難のままだった。 歩けないのが決定的になってきたころから診断がつくまでを思い出そうとしてみる。泣いた記憶はほとんど無く、ただただ暗い気持だった。私には突然未来がなくなり、この世界に私が占める場所は無くなってしまった。 この時期私を支えたのは夫の存在だけだったが、それでもなお 私を覆う暗い気持ちは消えるべくもなかった。
17歳から25歳までの、この圧倒的な暗さと比べると、その後のPDを抱えた人生は平和な幸せに満ちたものに思える、少なくとも今のところは。
(2017年08月18日 (金) 02時53分)
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21歳の頃 |
投稿者:あい。
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| 思いだした。 そういえば21歳の頃、左胸の脇よりのところに、1センチぐらいのしこりがあるのを 自分で見つけたことがあった。その朝は左わきのあたりが痛く、しこりがあると わかった瞬間、将来結婚はおろか、生きていられるかどうかという不安に包まれた。 当時、神奈川県の逗子に住んでおり、土地勘も知り合いも、全くなかったので、 とにかく大きな病院に行こうと思い、保土ヶ谷の病院にひとりで言ったのを覚えて いる。その時は、ただただおびえているだけだった。 検査の結果は何ともなかったのだけれど、あーもんどさんの投稿内容の「暗さ」 という言葉で思いだした昔の出来事でした。
(2017年08月18日 (金) 21時48分)
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歩けない |
投稿者:あーもんど
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| 歩けなくなったことは世界から1人滑り落ちるほどの衝撃だった。
あいさんの言うように17歳という年齢もあったろう。 そして時代があった。 1965年には神経内科は日本に初めてできたばっかりで全く一般的ではなかった。 診断がついた1973年でさえ東京に東大、慶応と虎ノ門病院にしかなかった。 事実、私は整形外科にかかっていたし医師でさえ神経内科の存在を知らない人も多かったのではないかとおもう。 大学の診療所の医師が私の歩き方を見て驚き虎ノ門の神経内科あてに紹介状を書いてくれた。 やっと神経内科にたどり着いたのだが、若年性パーキンソン病と診断がつくまでそれから4年もかかったのだ。 神経内科医でさえ私のような若さでパーキンソン病になるなんて思わなかったのかもしれない。
それからもう一つ、歩けないことは人間にとって必須の移動の自由を失うことだ。 当時私にそんな意識はなかったが、これは現在でも人間にとって大きな衝撃だと思う。
(2017年08月19日 (土) 05時32分)
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