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10年前の文章 |
投稿者:あーもんど
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https://blog.goo.ne.jp/almond41/m
10年前に書いていた文章を探していて、ここを見つけた。 2009年にイーライ・リリー社の賞で審査員特別賞をもらったことがある。 その時応募したのはプリントアウトしたファイルだった。 それをスキャンしてファイルを辿った。
(2018年04月20日 (金) 04時34分)
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定家の愚痴(オリジナルのまま) |
投稿者:あーもんど
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| 藤原定家が詠んだ歌のことを私は知らない。 昔、新潮社が出している「波」という宣伝のための小雑誌を毎月、読んでいた。 それに堀田善衛の「定家明月記私抄」が連載されていた。 定家の日記「明月記」からの引用を読んでいると、なんだか定家は愚痴ばかり言っている。 藤原定家って新古今和歌集の選者の一人、中世の代表的歌人だ(といわれている。)
お父さんは藤原俊成で、名門中の名門だし、源実朝の歌の先生でもあった(と思う。) そのころ、私は20代で世の中のことも人間のことも、今ほども知らなかった。 愚痴を言うのは私の夫ぐらいだと思っていた。(冗談です)
定家は和歌の天才であり(知らないけれど)、その時代きってのインテリであっても、宮仕えの身には違いなかった。
現代の宮仕え、サラリーマンであった夫が時折こぼす愚痴に、私は定家の例をあげて慰めた。 夫は当代きってかどうかはわからないが間違いなくインテリでもあった。 夫は、その時も今も、私の言葉には全然慰められなかったという。
それではと、私はモーツアルトの例を持ち出した。 当時、「モーツアルトの手紙」を読んでいたのだ。 モーツアルトも天才といえるだろう。 それなのに36歳で亡くなって、無名墓地に葬られた。 彼の妻は、モーツアルトの死後、再婚相手から「君の前のご主人は天才だったから」と言われ仰天したという。 モーツアルトの埋葬に誰も立ち会わなかったのだ。 モーツアルトの手紙は初めは求職の依頼ばかり、後半は借金の申しこみばかり。 超一流の文化人であっても報われなかったのだ。 モーツアルトだけでなくバッハでさえ、そうだった。 楽器演奏家としては認められても作曲家としては認められなかった。 楽器演奏家というのは、貴族が夜、眠るときに眠れるように音楽を奏でる役目。 召使のようなものだ。 バッハが当時楽譜を印刷して売ろうとしたけれど、全く売れなかったという。 仕事といえば、貴族に雇われるか、教会の専属演奏家しか道はなかった。
文化、知識、芸術は軽んじられてきた。 遊びや楽しみを貴族に提供する「芸人」としてだけ認められた。
私が夫に言いたかったのは、知識・文化・芸術は同時代的には評価されないものだということ。 しかし、定家のとき以上に、ますます慰められなかったみたい。
芸術・文化の価値がリアル・タイムでわかる人はほんの一握りなのだと思う。
その一握りの人だけが、時代にとらわれない、芸術性を感じとる独自のレセプターを持ち合わせているのだ。 これは非常に稀なことだと思う。 たいていの人は、評価が定まったものしか評価しない。 そして、その評価を決めるのはマスメディアのお墨付きだけ。
(2018年04月22日 (日) 01時48分)
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あーもんどの樹 より |
投稿者:にえも
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| 10年前のブログとのことで 読ませてもらっている途中ですが、なんとなく 心に残った記事があったので、貼らせてくださいね。
https://blog.goo.ne.jp/almond41/e/927e7de10cae8ef34d9dfe54b10fd86b
https://blog.goo.ne.jp/almond41/e/6e81181dbb868a2196413445b289d4ac
(2018年07月31日 (火) 11時31分)
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