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[841]

考え方の違い

投稿者:あい。

次男が不登校になったころ、PDの状態がどうであったか。
そんなものは覚えていない。次男のことで頭がいっぱいで、
自分のことなどどうでも良かったに違いない。まったく
その頃の状態が記憶にない。

次男は、高校の入学式の日に、人格を否定されるほどの痛い目に
逢った。しかもそれは、学校からのお便りに目を通すことができ
なかったわたしのせいである。今から悔やんでも悔やみきれない
が、結果として今いい方向に向かっていることは間違いない。

徐々に学校に行く時刻が遅くなり、最後は玄関で靴を履くこと
さえできなくなってしまっていた。このとき、学校も先生も、
世間体も、どうでもいいと思った。とにかく何かの理由で
今心が病んでいるこの子に、自力で抜け出せるように、手を
出してはいけないと思った。学校に行けとも行くなとも言わず、
いつも通りふるまうことにした。食事の時間だけは声をかけ、
一緒に食べた。
食事の時間以外は、次男はずっと部屋で過ごしていた。不満が
あるなら、できるだけ満たしてやろうと思い、いわれたこと
には「わかった、すぐする」といつも言い、懸案事項になら
ないように、気を付けた。

我が家の子供たちは小学校を4回かわっている。年子の3人は
2、3、4年生の3学期に1回目の転校、しかもそれは転校を
申し出た翌日だった。わたしはPDの前触れだったのか、ひどい
パニック症で、3人の子供を連れ実家に帰ることにしたの
だった。じいじとばあばの家に4人が転がり込んだ。
わたしはほとんど寝たきりだったので、ばあばが子供たちの
面倒を見てくれた。あいさつをはじめ、立ち居振る舞いや
言葉遣いまでほぼすべてにおいて、わたしの代わりに教育して
くれたのだ。わたしがいずれ3人の子供たちと自宅に戻った
時、スムーズに生活できるようにと願う、ばあばの親心だった。
しかしわたしは、その教育を見て、布団の中からいつも思って
いることがあった。「その育て方じゃない」と。
ばあばの方針と、わたしの方針が、明らかに違うのだ。
例えば、ばあばは、子供たちが協力できるようにと、かたちを
作った。お手伝いを子供達に割り振ったのだ。わたしは自主性
を持たせるために、お手伝いを割り振らない。義務ではなく、
自分から行動できるようにと考えてのことだった。また、姉弟
であることをばあばは強く意識させたがっていたが、わたしは、
今は家族として一緒に暮らしているが、いずれ社会に出ていく、
その時のために、年齢の上下に関係なく一人ひとりの能力を
見ながら育てていた。
だけど、親に「違う」とはとうとういえなかった。なぜなら
それは、親に意見するような教育をわたしはされていなかった
からだ。

(2018年08月14日 (火) 07時23分)

[842] ぎりぎりの思い

投稿者:あーもんど
私には子どもがいない。
だから、ここにあるような子供に対する祈るようなぎりぎりの思いを体験したことがなかった。

おやがこどもに対してもつ願いはこんなにもみずからのおやにたいする命がけの反論なのだということ。
そんな思いに駆られた。

(2018年08月14日 (火) 15時27分)

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