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ターニングポイント |
投稿者:あーもんど
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年をとるということ 何度も書いてきたが、この年になって唖然としている。このことはいくら書いても書き足りない気がする。賢い人には早くから分かっていたのだろうが、もう若くはならないのだということ。具合が悪いのがもう良くなることはないのだということ。生きていることが楽しくてしかたがない時期は終わってしまったのだということ。 50代にはまだあった。それこそないに等しかった青春を取り戻したような日々もあった。 それが60を過ぎる頃からすり減ってきた。 決定的になったのは今年にはいってからの背骨の状態。脊柱管狭窄に椎間板ヘルニア。長年の転倒…いままでよくもってきたと思う。前に何千回もころんだがひざはもちこたえた。尻もちによる背骨への直撃は避けられなかった。PTはいう、今はこうなったけど、それまで保っていたのが凄いと。でも、私は失ってしまった。ターニングポイントを曲がってしまった。
(2015年12月21日 (月) 19時26分)
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Re:ターニグポイント |
投稿者:PSP-PAGF
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| そうなんです。 例えば、 介護・福祉の世界に「出来なくなった事を嘆くより、(まだ)出来る事が残っている事に感謝しよう」と言う言葉がありますが、それは健常者の論理です。 かつて自分自身で出来た事が一つ、また一つと減って行く現実は悲しいし、他人の介助を得なければ出来ない事が増えて行く自分自身が情けなく、時として惨めですらあります。
http://psp-pagf.hatenablog.jp/
(2015年12月21日 (月) 22時32分)
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何度も書き直して |
投稿者:にえも
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| こちらの掲示板に書き込むのは いろんな意味で恐縮してしまいますが、書き込みさせてもらいますね。出来なくなることが確実に増えています。ごまかしもきかない事もあれば、自分の考え方でどうにでも考えを明るくも持っていける事も、どうしても前を向けない事もある事、いろんな事は決まった答えはなくて、それこそ「臨機応変」に(自分の事なんだけど)対応していかないと、て思います。出来ない事の中でできる事を見つける。例えば調理を手伝う、人参を切る、そんな事なんだけど「そんなこと」ではない。「そんなこと」がどれほどの思いが詰まっているか本人にしかわからないこと。だけど同じ気持ちになれるから悔しさも出てくるし、だから 相手を思える。 思いが伝わるから自分の思いも伝えようと思う。そういう連鎖がうまくいくこともあるしいかないこともある。自分でもわかり切れない自分でも きちんと見てくれている人が居ることも知りました。気持ちにも、症状にもターニングポイント、いくつもあるのかも知れません。無我夢中で突っ走って曲がった事にも気付かないなんてこともあれば、構えていなくちゃいけないことも。 人それぞれ、でも、それぞれに曲がる場所はいくつもあり、曲がり方はいくつもあるんだろうな。 …なんて考えました。 長々すみませんです💦
(2015年12月28日 (月) 11時55分)
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ターニングポイントは何だったのか |
投稿者:なな
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| ソチ五輪の憂いを帯びしギター曲 生きていたなぁ あの時私
何をしても辛く苦しい。楽しくないし、二時間半置きの薬に一日中付き纏われしかも決して気分が良くなる日は来ない。ジストニアは私を狙っている。生きていた実感はまだ覚えている。 これが今の私です。ターニングポイントは検査入院してその現実を確定した時。 身も蓋も無い話になりました。
あーもんどさん 割り込んで暗い話してすみません
(2015年12月28日 (月) 13時57分)
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ターニングポイントにしたい |
投稿者:ひまわり
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| ターニングポイントとは、「分岐点・転換点又は運命の分かれ道」とかの意味、できればこれからの自分の行動がターニングポイントと、なり得るかそれも結局自分次第なのだと思う。診断を受けて5年が経過したがいつも悩んでいた、もうはっきりと腹をすえて自分の思う道を突き進みたい。 パーキンソン病は原因不明の病気で、現代の医学ではまだ治すことのできない病気。そんなことは、患者はみんな知っているけれど、結局はそれが落ち込む一番の原因だ。 でも、そのことで落ち込んでいても仕方のないことなのでできるだけ前向きに考えようと思い(病は気から)と言うように、そして意外にパーキンソン病は気の持ち方が重要らしいので、でも仕事を続けているとどうしても以前の自分と比較してしまうし、比較されてしまう。
私は、決心した。私は新しい自分になったんだ。 私はもう、以前の自分のことはすっぱり忘れ、新しい自分に生まれ変わったのだと思うこととした。 二度目の新しい私の人生のスタート を経験できるなんてすごくラッキーで、得した気分。 そして二度目の人生をどう生きるか、結局のところ私は私だけど、病気の自分の体で、でも自分のやりたいこと今まだできる事を、思いっきり精一杯やりたい。 やりたいこととは、やはり人と人が絡み合う仕事なのです。人間関係さえ良ければ、良い仕事に繋がるのです。そしてそこで私がそのためにすべきことは、自分のすべてを隠さず出し、わかってもうこと。
(2016年02月06日 (土) 14時03分)
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なぜ人はみな |
投稿者:あい。
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| 岐路というと、なぜマイナスの方向の話になるのかわからない。 PDによって生き方が変わったというなら、わたしはある意味、良かったのではないかと思う。不便ながらも、一生懸命生きているからだ。「もし、PDに出合わなかったら」なんていう過去のもしものもう一方を歩んでいたら・・・その時想像されるのは、恐らく現状とは正反対の生活なのかもしれません。しかし分岐点において、選択の余地があったとは言えない。今ここに来る運命にあったとしか言えないと思う。
(2016年02月06日 (土) 20時39分)
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転換点 |
投稿者:あーもんど
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| turning point を英英・英和辞典でチェックしてみた。
「転換点(期)」という意味には違いないのだが、どうも"状況が好転する・改善するW瞬間・時期というニュアンスのようだ。
英語では『よくなる」というニュアンスが何故日本語では「悪くなる」意味に使われることが多いのか? (ひまわりさんあ正しくつかっているようだが)
あい。さんの文意とは少しずれるが、書いてみた。
(2016年02月07日 (日) 04時28分)
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私の本意 |
投稿者:あーもんど
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| このトピックの最初の文意は、人生の転換点として「年をとる」ことについて述べている。 PDになったことではない。PDであることは私の前提条件に等しい。 PDになってから初めて私は考え始め「人間」になったといえる。
(2016年02月07日 (日) 05時11分)
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