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[890]

私の母(4th edition)

投稿者:あーもんど


私の母 (4th edition)
兄と私が発症した頃の母を思う。
母はまだ42歳、今の私からすると子供のような年齢だ。普通に順調に育っていた子供たちが突然難病になる。私は大学受験を目前にした17歳、兄も同じ頃異常を感じはじめていたと思う。
兄はすぐには言わなかった。慶応大学の3、4年の頃。
兄の発症が明らかになった頃はもう大学院の学生になっていた。だがこの頃の家族のことはよく覚えていない。私は自分のことで精一杯、絶望の中にいたのだろう。
私がこの時期を乗り越えるのに 長い時間がかかったのと同様、母もまた人生で一番 長く苦しい時期を送ったことだろう。
母は私と違って滅多に愚痴を言わない。 私が結婚した後のことだが兄のことを時折嘆いた。病気になったことで母を責めるといって。母は決して兄のことを悪く言わなかった。 まるで台風か地震のように兄のことを話した。 私は苛立って「兄さんをそういう風にしているのはママなのよ」と言った。母は黙ってしまった。
兄はずっと父のせいで病気になったと言い張り、父に 土下座して謝らせたことがある。父が亡くなってからだいぶ経って私は父の話をしようとした。 母は静かに言った「 心臓がドキドキするから。」 私は慌てて話すのをやめた。 母は父のことを父と兄のことを幾晩も幾晩も考えたことだろう。
母はよく「じっと考えてみたら」と言っていたがその言葉どおり考える人だと思う。
母は子供たちにもああしろこうしろと言ったことはない。いつも私の好きにさせてくれた。小学生の頃ピアノが欲しいといった私にピアノ屋さんと交渉してボーナス3回払いで買ってくれた。私はその交渉を横で見ていたのでよく覚えている。芦屋の社宅の3畳の部屋で私はピアノと並んで寝ていた。
学校もこの学校に行きたいという私に何も言わずに行かせてくれた。2人とも私立で大変だったに違いない。
でも母のことで悲しいこともある。昔あんなに仲良しだった夫のことだ。私の夫は素敵な人だけど少し変わっていた。本人もどうしてかわからないと思うが仕事というものが好きじゃなかった。関心がなかった。それでも彼なりに一生懸命やったのだがいかんせん後ろ向きだった。できれば逃げたかったに違いない。で世間並みには成功せずお金をあまり稼げなかった。2人の生活費は辛うじて稼いでいたが足りなかった。とにかく母は私たちを援助し続け、いつか夫を評価しなくなった。多分ぎりぎりまでやってくれたと思う。とうとう実家にもお金がなくなってしまった。それで兄は私たちを恨んでいる。だが公平に言っても兄だって生活している、父のお金を使っている。母や兄とこのことについて話し合ったことはない。
私たち家族は肝心なことを話し合ってこなかった。 そしてお互いの考えがわからない。 私がどういう人間でどういう考えを持っているか母や兄はずっと知らなかったと思う。

母のことを書こうとおもったのにあまり書けなかった。お金のことだけでなく母にはたくさん心配をかけ てきた。時々鬱っぽくなったりノイローゼになって実家に戻っていたこともある。そのたに母は私を全力で支えてくれた。今まで思ったことはなかったが私は母に似ているのかもしれない。母の資質を受け継いでいるのかもしれない。母の娘でよかった。
母は私の誇り。


阿刀田俊子

(2019年02月05日 (火) 15時40分)

[891] 読ませていただきました。

投稿者:mame
わたし、いつかパーキンソン病になった原因について書いたことがあります。おっそろしく辛いこと、こんなことがあった人が発症するんじゃないかなって。あーもんどさんのお宅にも何かあったのではないでしょうか。

それにしても、何かを、一人抱え込んでるとき、私の場合は夫でしたが、そんな私の悩みを知らない、知ってくれなくていい夫が、テレビ見ながら小さな声で何か言って、「ひゃはは(笑)」と、のんきに笑う。なんかそんな空間がわたしを、なごませ、ほっとさせてくれました。笑ってる夫をみてぶっと、ふきだすわたし。そんな私を見て、夫は同じことで笑ってるとおもったんだろうけど、うれしそうな笑顔を向けてくれる。助けてくれた夫でしたよ。

あーもんどさんのお母様の辛さ苦しみ、わたしなんかがわかるはずないけど、相当辛く苦しい思いでいっぱいだったでしょうねと、思います。

何か家庭に気がかりがあったかもしれないときに、ここまで元気に優秀に育ってきた子供たちが、ふたりともが、難病で、動けない?!子どもの幸せだけを楽しみや、やすらぎにこられたかもしれない。どうしよう!パパ!

なのに!愛する夫と愛する息子の仲が険悪!!どうしようどうしよう。考えてみようっ!!ひとりで!!って感じ。(なんか全然ちがうんですけどって思ってらっしゃるでしょ?すみません)だけど、そんな中で俊子ちゃんは 病は軽いわね良かったぁ。ボーイフレンドと仲良くしてるし、彼も早稲田、優秀な子だし。俊子ちゃんは幸せになれる!と思われたかも。ね。
俊子ちゃん、俊子ちゃんの幸せ。祈りながら俊子ちゃんに辛い気持ちきいてもらおうかしら…とか思うも…俊子ちゃんも色々不満があるのね…やっぱりね。一人で何か解決しなくちゃ考えなくちゃ。って、実は、わたしがやってきた。ひとりで。自分が我慢して、夫にも両親にも我慢させた。苦しくて苦しくてみんなが辛かった。やっぱり、ぶつからないと、前進しない。そんなことしてるうちに夫は死んじゃうし、両親も90になる。そして私は、お荷物的病におかされて。だんだん腹が立ってきた。だけど、私も、両親も、夫も生きた意味があるはず!わかりかけ、またわからない。そんなひびをおくっています。何が何だかわからない内容ですね。もし変過ぎたら削除します。

(2019年02月07日 (木) 00時00分)

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[892] こんなふうに書いてくれて

投稿者:あーもんど
うれしい。
ほんとのこと言ってよくわからないけど、よくわかるような気もする。
私の文章読んでご自分のことを考える…それって人に何かを喚起させる力があったのね、私の文章が。
思うに人は何かどうにもならないこと、ひとりじゃ抱えきれないことを抱えて生きていくものなのか。
そんな気がした、mameさんの文章読んで。
文章って何を感じるか読み手の自由。書き手が意図したことでなくても全然かまわない。
だいたい私の文章は何も意図してない、そこまで踏み込んでない。
意図して踏み込んでないの。
エッセイでもなんでもない。ただ書きたいように書いた。
文章はコレスポンダンス!?
何人かの人に読んでもらった…コレスポンダンス。


(2019年02月07日 (木) 02時09分)

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[893] correspondance

投稿者:あーもんど
英語だと correspondence ってふつうに「文通」とか「通信文」という意味だと思うけど、フランス語 correspondance にはそういう意味の他に「響きあう・呼応(する)」という意味もある。ここでは関係ないけど「乗り換え」っていう意味もあるんだって。面白いね⁉

(2019年02月07日 (木) 03時22分)

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