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デイヴィド・ボウイ |
投稿者:あーもんど
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デイヴィド・ボウイが死んだ。 20世紀で最も影響を与えたロック・ミュージシャンといウ解説にかすかな違和感を覚える。 確かにボウイは才能あるミュージシャンだった(と夫が横でいう) だけど、「最も」ということはない。 また夫が言う、ディランが死んだときもこんな風に言ってもらえるのだろうか? そういえばボウイが昔「ジギイ・スターダスト」を歌ったのを夫と私は観て(聴いて)いる。 その後彼の(ミュージックも聞き)出た映画も観ている。カトリーヌ・ドヌーヴと共演した吸血鬼映画「ハンガー」まで観ている。 だからってどうということはないが、どうしても彼が一流という気がしないのだ。ニセモノっていう気がする。 夫が言うには、ボウイのは頭で作った音楽だからだ、頭が良すぎるのだ、と。 ふーん、そうか。
(2016年01月11日 (月) 21時48分)
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デイヴィド・ボウイって、誰れ? |
投稿者:warmgun
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| あーもんどの夫です、はじめて投稿。 上記で、“20世紀で最も影響を与えたロック・ミュージシャン”というコメントをしたのは、昨夜の9時からのNHKTVニュースです。
けれどもいったい、“現在”だれが、デイヴィド・ボウイを知っているのでしょうか?
そして、“知っている”というのは、いったいどの程度を意味するのでしょうか。 たとえば、やはり昨夜NHK(BS1かな?)が放映した“サワ・ホマレ”というひとと比べて。
ぼくは、デイヴィド・ボウイもサワ・ホマレも好きです(笑) しかし次の選挙に、サワ・ホマレが自民党系から立候補しても投票しない。 もちろん、サワ・ホマレはサッカーをしているから美しいのです。
自分の長くなってしまった人生をふりかえれば、実際に出会った人にも、本や映画や音楽を通して出会った人々にも、その顔や声や肉体や仕草があり、それに“感動した”思い出もあるわけよ。
それは、“知っている”ということとはちがう。 ましてや、“20世紀で最も影響を与えた”というご託宣の、居丈だけな物言いはなにごとでしょうか。
まるで、NHKは、自分の報道によって、この世の<意味>と<価値>を決定しているではありませんか。
これは、“デイヴィド・ボウイ評価”のみではありません。
けっきょく、多くの人々は、テレビが言うことをリピートし、テレビの価値感によって生きるのでしょうか。 <ネット=スマホ社会>も、ただただ、<テレビ>を反復するだけなのでしょうか。
もちろん、デイヴィド・ボウイも、カネとコマーシャリズムにまみれて生きたのです。 しかし、彼が、“ジギー・スターダスト”として銀色に輝いて、“ロックンロールの自殺者”として、ぼくらに呼びかけた現前もまた、ひとつの20世紀の<記憶>なのです。
(2016年01月12日 (火) 16時08分)
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ピーナッツ |
投稿者:あい。
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| 他人の価値観であっても、NHKのように公共性の高い場所からの発信であれば、自分の価値観を押し殺しても、受け入れるかもしれません。「最もそうであったかどうか」は、自分との距離感において、深く必要か必要でないかによって、とらえ方が変わってくると思います。必要であれば疑問を持つだろうし、必要なければ、外部から与えられたままに、うのみにしてしまうだろうし。 時々ニュースのコメントを聞いてて、おかしい取材の仕方だと思うことがあります。 例えば、介護の現場の虐待問題です。知らない世界の話だけに多くの方の目線で とらえて行く必要があると思います1。
※ピーナッツは、スヌーピーの登場するアニメ。 あーもんどさんの名前にちなんで、タイトルにしてみました。
(2016年01月13日 (水) 06時56分)
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