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患者の側から見た病気 |
投稿者:あーもんど
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患者から見た病気 ときどき木下広子さんとはなしをする。私はいつも感心してしまうのだが、彼女には患者の立場がしっかりと貫いている。結論から言ってしまうと、「自分(患者)が生活するための医学=医師・薬」ということ。 当たり前といえば当たり前なのだが、医師も患者もそう思っていないことが多い。 例えば、症状を訴える患者に「どこも悪くない」と言う医者。これは正確にいうと「どこも悪いところを見つけられなかった」というべきである。 症状はあるのだから。病気というのは先に病名と症状名があるのではなく、患者がある「違和」を感じるのが先である。診断がつくと患者は安心するが、これで病気だと公認されるというものではない。 病名や症状名は、患者が感じるありとあらゆる「違和」を整理分類して名前をつけたものである。 薬もある症状を緩和させるような物質を研究開発したものである。治すものではない。 病気というものは人間は治せないのではないか? 休養をとり自然に治癒するのをまつ…人間にできるのはこの程度のことではないか? 話が逸れてしまった。 つまり、医学が人間より先にあるのではない。 人は相変わらず謎に満ちた驚異的な存在なのだとおもう。
(2015年11月24日 (火) 20時44分)
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主治医の笑顔が見たくて |
投稿者:あい。
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| あーもんどさんの文章を読んでいて、思い出したことがあります。
わたしの主治医は、わたしが太ってきたのを悩もうが、不眠を訴えようが、リハビリのことを尋ねようが、いつも答えは同じ「そうですかぁ、困りますねぇ。…では次回ですが・・・といって、なかなかまともに取り合ってくれません。薬の飲み方を勝手に変更しても、それでいいですよというし、次また勝手に変更しても、その飲み方でもいいですねというし。じゃあどうでもいいのかと聞けば、そのままでいいって言います。とにかくわたしの言うこと全てに、イエスなんですよね。リハビリはしなくてもいい。薬だけ飲んでいればいいと。お陰でわたしは、気になることがどんどん減って、とても楽に毎日を送ることができるようになりました。体重はぐんぐん増えて、まるで成長期のようですが、心は安定し、体力も握力も戻り、笑顔が増えました。
今思えば、主治医の言葉は、いつも私を認めてくれて、安心させる効果があったようです。患者をしっかりみてくれていて、その人に合った療法をしてくれてるんだなと思いました。
(2015年12月04日 (金) 07時26分)
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主治医に思わずメールを |
投稿者:あーもんど
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| あいさんの文章を読んで思わず主治医にメールを出してしまった。 患者の状態を良くするように振舞うのが主治医の仕事だと思った。 私の主治医の理論がいくら正しいとはいえ、患者にプレッシャーを与え負荷をかけるのは間違いではないか? そういう風には書かなかったが、先生の理論通りにはできないと書いた。 返事が来るかどうかわからない。
(2015年12月04日 (金) 16時26分)
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今の医療の仕組み |
投稿者:PSP-PAGF
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| >病気というのは先に病名と症状名があるのではなく
勿論、その通りなのですが、「病名(または症候群)」が無いと、何も進まないのが今の医療の仕組みなのです。
例えば、その症状を緩和するために処方をするにも、健康保険適用か適用外は病名に拠るのです。
「医者は直ぐ、病名を付けたがる」
と言う人もいますが、統一的な症状の理解(例えば、予後の予測)にも、病名が必要なのでしょう。 http://psp-pagf.hatenablog.jp/
(2015年12月18日 (金) 07時08分)
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