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2001年のヒースロー |
投稿者:あーもんど
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私が初めてEPDAの若年患者の集まりに参加したのは2001年6月のロンドン・ヒースローだった。 それは本当に夢のように楽しい集まりだった。 日本から3人とロンドン在住のAさんが参加した。 もう一人、日本の企業の研究所にいたインド国籍の患者もいた。 私は今6もよく英語は話せないのだが、楽しさのあまり気にならなかった。
昨日、そのときの一人が去年の暮れになくなっていたと聞いた。
(2016年02月09日 (火) 02時20分)
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前原隆司さん |
投稿者:あーもんど
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| 亡くなったのは前原隆司さん、大阪の若年患者だ。 大阪の中央郵便局に勤めていた。 25歳で発症してからも定年近くまで仕事を続けた。 どん何か辛いこともあっただろう。 そんなことは口にせず、友の会のHPを作り続けた。 EPDAの集まりに早くから参加してウイーンのときに一人で行き、水野美邦先生に車椅子を押してもらい市内観光をしたという伝説がある。 Lizzieのメールにあったように、ウイーン、ロンドン、ダブリンと参加した。 決して具合は良くなかったのに、気迫だけで生きていたような気がする。 大阪にマリエラとチューさんが来てワークショップを開いたこともある。 及び腰の私を励ましてとうとう2人だけで開催、大成功だった。 童顔でニコニコ笑っていたので"Mr.Happy"とEPDAでは呼ばれていた。 享年62歳、胸を打つ。
(2016年02月10日 (水) 04時57分)
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友の会は? |
投稿者:あーもんど
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| ヨーロッパのパーキンソン病協会が遠くヨーロッパでもない日本の一若年性患者の死にこころからの弔辞を寄せ寄せてくれているというのに、前原さんが長年属していた友の会の大阪府支部はホームページになんの訃報も載せてはいなかった。 彼は全国の友の会が発足した頃からの会員だったと思う。 彼の死にあたってなんのコメントもないのだろうか?
ヨーロッパと日本のあまりの違いに言葉を失う。
(2016年02月10日 (水) 08時30分)
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どうか嘆かないで |
投稿者:あい。
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| 62歳といえば若いです。友の会が訃報を載せなかったことを 功労者なのになぜ?という疑問がわいて くると思います。でももし別の考え方があったならどうなるのだろう と考えてみました。 前原さんが若年性で、60代という若さで人生を閉じられたのは、 同じ若年性にとっては、ショックが大きいのではないかと 思うのです。PDは寿命に関係ないと聞きますが、イルカさんの夫も 若年性で59歳でこの世を去られています。若年性のいいところは、 薬がよく効くところですが、こんなに若くでこの世を去ったのでは 寿命は本当にPDと関係ないのかと、疑いたくなります。 しを悼むことは大切です。ただ、訃報を聞いて、体調を崩す者も、 出るかもしれないと思ったら、訃報を出すべきかどうか、迷われた のではないでしょうか。でも、掲載する方が自然ですけどね。
(2016年02月11日 (木) 00時25分)
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真実は真実 |
投稿者:あーもんど
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| 前原さんは 若年性PDと言っても私と同じAR-JP(調べてください)で、DBSの前の破壊術も受けていた。 それに転倒して脳梗塞になり入院もしていた。 そのどの要素も死に関与していたのかもしれない。 若年性患者にショックを与えるかもしれなくても、真実は真実。 ショックをあたえることになっても仕方がないではないか? 隠すことはない。 2年くらい前に大阪府支部は内紛があったと聞く。前原さんは他の役員とともに役員を引いたという。 内紛は内紛、患者の死は死。
(2016年02月11日 (木) 17時09分)
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知らない情報 |
投稿者:あい。
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| 申し訳ないです。 単に、PD者の訃報という以外は、存じ上げていませんので・・・
(2016年02月11日 (木) 17時46分)
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患者の死は死 |
投稿者:あーもんど
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| 事情を何も知らなくても、「人の死は死」というのはそういう意味です。 内紛があろうとなかろうと、前原さんが役員であろうとなかろうと、彼の死は死だということ。この意味がわかったら、あなたの最後の書き込みは無意味です。
(2016年02月11日 (木) 18時54分)
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